「記憶」(3)

真弘先輩の記憶が戻らないまま、もう三日が過ぎている。
世話係に任命された私は、学校以外の殆どの時間を、真弘先輩と一緒に過ごしていた。
 「ただいまー」
 「おや、お帰りなさい、珠紀さん」
急いで学校から帰ってきた私を、卓さんが出迎えてくれる。
真弘先輩の今後について、卓さんは毎日のように、お祖母ちゃんと相談していた。
 「卓さん。お祖母ちゃんとは、これからですか?」
 「いえ、それは、もう・・・。ちょっと、電話をお借りしていたんですよ」
廊下にある電話を示して、私を出迎えてくれた理由を教えてくれる。
 「あの・・・。卓さんは、真弘先輩の記憶、もう戻らないと思いますか?」
真弘先輩と一緒のときには、不安そうな顔をするのはやめよう。
迷惑だと言われたあの日から、私はそう心に決めていた。
それでも、頭から消えない不安を、私は卓さんに尋ねる。
また、泣きそうな顔をしていると、自分でも自覚しながら・・・。
 「それは・・・私にも、判りません。
 もしかしたら、鴉取くんは、過去を忘れたいのかも。そう思うことはあります」
私は、卓さんの言葉に驚いて、俯いていた顔を上げた。
 「どういう・・・意味ですか?」
 「鴉取くんの幼少時代は、お世辞にも”幸福”だった・・・とは、言えないでしょう。
 彼に纏わる事柄には、いつでも”死”がついて回る。
 それらをすべて、なかったことにしたい。無意識に、そう思っているのではないかと」
守護者が持つ異形の力。それがあるから、怪我をしても、すぐに完治する。
でも、心にできた傷は、異形の力でも癒すことはできない。
心の傷を塞ぐために、自らの意志で、過去を封印してしまったのではないか。
卓さんは、真弘先輩の記憶が戻らないことについて、そう説明する。
 「珠紀さんは、どう思われますか?」
 「私にも・・・判りません。でも、真弘先輩は、そんなに弱くないと、思います」
真弘先輩が、どんな思いで過ごしてきたのか・・・。私には判らない。
卓さんも、祐一先輩も、拓磨も、慎司くんも、真弘先輩のことを理解している。
同じ境遇で過ごしてきた彼らなら、私なんかよりずっと・・・。
でも、私が知っている真弘先輩が、今の真弘先輩であるならば、
過去を過去として受け止めて、きちんと乗り越えていってくれるはず。
私はそう信じている。
 「そう、ですね。きっと、鴉取くんは、大丈夫ですよ。傍に、貴女がいるのですから」
卓さんは、にっこり微笑むと、鴉取くんは縁側にいますよ、と言って、私の背中を押した。
卓さんと二人で縁側まで行くと、真弘先輩が空を見上げながら座っていた。
すぐに私たちに気がつくと、ムッとした表情を浮かべて、不機嫌そうな声を出す。
 「んだよ、世話係。今日は、おせーじゃんか」
 「ごめんなさい。今日は日直だったから、帰りがちょっと遅くなって・・・」
 「いけませんね、鴉取くん。あんまり、世話係さんを独り占めしないでください。
 恋人同士の邪魔は、感心しませんからね」
私の言い訳の言葉を遮るように、後ろから卓さんが言葉を紡ぐ。
 「あ?恋人同士・・・って、誰と、誰が・・・」
 「それはもちろん、貴方の世話係さんと、私です。
 今まで、二人きりで愛を育んでいたから、遅くなってしまったんですよ」
卓さんは、それは見事な微笑を浮かべていた。
 
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