「記憶」(4)
卓さんの言葉に、私も真弘先輩も、固まったように動きを止めていた。
すぐに我に返ったように、真弘先輩が怒鳴る。
「何だよ、それ!!俺を、騙そうったってそうはいかねーぞ。珠紀、お前も、何とか言え!!」
「随分ですね、私が嘘を言っているとでも? 鴉取くんは、覚えていないだけですよ。
ねぇ、珠紀さ・・・」
声を上げる真弘先輩を宥めるように言う卓さんは、私に声を掛ける途中で言葉を詰まらせる。
固まったまま動けずにいる私は、ポロポロと涙を零していた。
「ごめ・・・なさ・・・卓さん。それは、嫌です。真弘先輩が、私を覚えていなくても、
私の片思いなんだとしても、真弘先輩以外の人を、好きになんてなれません。
そんな風に、真弘先輩に思われるのは、嫌・・・」
卓さんが、冗談を言っていることは、判っている。
本当は、笑って話を合せる方が良いっていうことも・・・。
でも、今の私には、それをすることが、どうしてもできなかった。
真弘先輩に、もう一度、私を好きになってもらいたい。
私の一歩通行の片思い。この気持ちを、たとえ冗談でも、偽るなんて、私にはできない。
「申し訳ありません、珠紀さん。鴉取くんの芝居が、あまりにも下手過ぎて・・・。
ちょっと意地悪をしたくなったんですよ」
「私の方こそ、ごめんなさい。卓さんが嫌だってことじゃないんです。ただ・・・」
「判っていますよ。私の方こそ、まだまだですね。女性の気持ちを解するのは、難しいです。
ほら、鴉取くんも、何か言う事があるんじゃないですか?」
「いいんです、卓さん!! ごめんなさい、真弘先輩。
今度は、重いって言われちゃいますよね。でも・・・、嫌われたくな・・・」
言葉にすると辛くて、また涙が溢れてくる。慌てて俯くと、手で涙を拭う。
「嫌いになんか、なるわけねーだろ。それに・・・、俺の方こそ、悪かったな」
「何が・・・ですか?」
「一瞬でも・・・お前を、忘れちまったこと」
真弘先輩の言葉に、驚いて顔を上げる。真弘先輩、それって・・・。
真弘先輩が、少し照れたような顔で笑っている。
目があった瞬間、私は、真弘先輩の胸に飛び込んでいた。
私の後ろにいた卓さんが、静かに席を外してくれる。
それから暫く、私は真弘先輩の腕の中で、泣いていた。
真弘先輩は何も言わず、ただずっと、私の髪を撫でていてくれる。
「いつから・・・ですか?思い出したの・・・」
漸く落ち着いた頃、私は、真弘先輩にそう尋ねた。
「昨日の・・・夜くらいからかな。何となく、意識がはっきりしだしてよ。
一晩寝たら、もうすっかり思い出してた」
「言ってくれれば・・・良かったのに」
「なんかなー、言い出し辛かったってのもあんだけどさ。
お前を、こんだけ独り占めできる、なんて滅多にねーだろ。
だから、やめらんなかったっつーか」
「酷いです。すっごい、心配してたのに・・・」
「だから、悪かったって」
ポンポンっと軽く頭を撫でると、真弘先輩は、私を腕から解放する。
「ねぇ、真弘先輩。先輩は、過去を忘れることができるとしたら、どうしますか?」
卓さんと話した会話を思い出す。真弘先輩は、過去を忘れたがっている。
「んー、どうだろ?んなこと、考えたこともねーからなー。
だいたいよー、今の俺があんのは、過去があったからだろ。
そいつがなかったら、俺は俺じゃなくなっちまう。んなの、つまんねーじゃん」
満面の笑みを浮かべて、真弘先輩が私の問いに答える。
「それに、あの過去があったからこそ、お前とこうしていられるんだからな。
それを手放してまで、違う過去を手に入れたいとは、思わねーよ」
良かった。真弘先輩は、私の知っている真弘先輩だ。すごく、すごく強い人。
「真弘先輩。お願いがあります。私の・・・名前を呼んでください」
「あ?あぁ、・・・珠紀」
真弘先輩が、名前を呼んでくれる。その声が、優しく心に響く。
「もう、忘れたりしないでくださいね」
「判ってるよ。もう、絶対に忘れたりしない。
それに、俺はお前と違って、そんなに気、長くねーしな。片思いなんて、ぜってー無理」
「じゃあ、忘れたままだったら、どうするつもりだったんですか?」
「んなの、決まってんだろ。さっさと振り向かせて、あっという間に両思いだ」
そう言って、真弘先輩は、いつもの笑顔を向けてくれる。
私を安心させてくれる飛び切りの笑顔を・・・。
その夜、卓さんに電話で呼び出されたと言って、祐一先輩、拓磨、慎司くんがやってきた。
美鶴ちゃんが作った料理を囲んで、真弘先輩の快気祝いが、遅くまで続けられた。
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