「記憶」(1)

放課後。
掃除当番だった私が、ごみを捨てに校舎裏まで行く途中、それは起こった。
校庭で部活動中の野球部員が打ったボールが、私目掛けて飛んできたのだ。
 「珠紀!!危ない!!」
真弘先輩の切迫した声が聞こえた後、私の身体は強い力で突き飛ばされていた。
気が付くと、私は地面に倒れた状態で、傍には真弘先輩が頭を抱えて蹲っている。
真弘先輩の横には、野球のボールが転がっていた。
 「真弘先輩!!大丈夫ですか?」
 「頭・・・いてぇ」
私の声に答えるように、真弘先輩は苦しそうに呟く。
それでも、私の顔を見て無事なのを確認した真弘先輩は、
安心したように微笑むと、そのまま崩れるように気を失ってしまった。
 「しっかりしてください、真弘先輩!!」
その後、ボールを探しに来た野球部員達に手伝ってもらい、
真弘先輩を保健室へと運ぶ。
話を聞きつけた祐一先輩、拓磨、慎司くんも、すぐに保健室まで来てくれた。
 「真弘先輩、大丈夫でしょうか?」
なかなか目を覚まさない真弘先輩に、私はつい不安を口にしてしまう。
 「真弘も、守護者の一人だ。ボールが当たったくらい、どうとでもない」
 「真弘先輩の頭、硬そうっすもんね」
 「だから、そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。珠紀先輩」
涙声で呟く私に、みんなは安心させるように言葉を返してくれる。
その時、真弘先輩が小さく声を漏らすと、ゆっくりと目を開けた。
 「真弘先輩!!気が付いたんですね」
顔を覗き込んでいた私たちは、焦点の定まっていない視線を向けている真弘先輩に、
それでも安堵の息を吐きながら、感嘆の声を上げる。
 「具合はどうだ?真弘」
 「ま・・・ひろ? それは、俺のこと・・・なのか? お前ら、・・・誰?」
私たちの顔を見回すと、真弘先輩は掠れた声でそう言った。
 「真弘先輩、それ、冗談っすよね?」
 「あんまり面白くないですよ、真弘先輩」
真弘先輩の言葉に、拓磨も慎司くんも、呆れた声で反論する。
身体を起こそうとする真弘先輩を、祐一先輩が支えるように手を差し伸べた。
私は、真弘先輩の言葉に動揺して、すぐには動くことができなかった。
 「わりぃ、本当に判らん。俺、誰?」
言葉の意味に比べれば、随分と呑気そうな声で、真弘先輩はそう口にする。
 「本当に・・・、判らないんですか?真弘先輩」
震える声で、私はそう聞いた。確認するのが怖い。ただの冗談だ、って言って欲しい。
そう思いながら、真弘先輩の答えを待つ。
 「んー。さっきから、俺に向かって『まひろ』って呼んでっから、
 それが俺の名前だってことは、何となく理解できんだけどさ。
 なーんか、実感ねーんだよなぁ。ついでに、お前らは、俺のなに?」
頭を無造作に掻きながら、一瞬思案した後、私たちに向かって、そう尋ねる。
それを聞いた拓磨が、怒ったように詰め寄った。
 「真弘先輩!!本当に忘れちまったんすか?
 俺たちのことだけじゃなく、珠紀のことまで!!」
 「真弘先輩、酷いですよ。珠紀先輩は、真弘先輩の・・・」
 「いいよ、慎司くん!!それは・・・言わなくて・・・」
拓磨の後を受けた慎司くんの言葉を、私は遮るように声を上げる。
真弘先輩が忘れてしまった。
自分のことも、みんなのことも。そして、私のことも・・・。
 「そうだな。真弘が落ち着いたところで、宇賀谷家へ連れて行こう。
 このことは、ババ様にも報告しなければならない」
重い沈んだ声で、祐一先輩がそう告げた。
 
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