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ときめきメモリアル Girl's Side(PS2) 二次創作

   女の武器

 ほどよく曇った春の空。フリーマーケットにはうってつけの天気だ。
 晴れ渡ってしまうと、他の行楽地に客を取られてしまうし、雨天では中止だ。
 奈津実は、大きなボストンバックから服を出し、会場の自分のスペースにせっせと並べていた。
 隣のスペースはまだ人がいない。同じような傾向の出店だと価格競争が勃発するので、どんな人が来るのかは毎回少々気がかりなのだ。
 あらかた商品を並べて値札を付け終えた頃、隣で荷物を置く音がした。ちらっとその荷物を見る。
 ----小さい。アクセか小物雑貨系かな?
 そんな風に思って少々安心して、折り畳み椅子を最後に引っ張り出した。
 隣は男性のようだ。ずいぶんとのんびりした手つきでシートの上にアクセサリーを並べ始めていた。ほとんどがシルバー。シンプルで色々使いこなしの効きそうなものばかり。手作りかも知れない。
 ケータイで時間を確認する。開始時間までまだ少しある。朝起きたのは遅刻しそうな時間だったのだが、慣れて来たせいか、出店準備が早く終わってしまったようだ。
 飲み物調達して来ようかな。
 奈津実は立ち上がって、お金の入ったポーチを片手に、未だ並べ方に苦労しているらしい隣のスペースに声をかけた。
「すいませーん。ちょっと離れるので、荷物見ててもらってもいいで…………」
 その男が顔を上げた。途端に飛び込んで来た見覚えのあり過ぎる顔。
「……げっ」
 口の中でだけ思わず声が出た。同じ学年にいる高校生でありモデルでもある葉月珪がそこにいた。
「…………」
「…め、珍しいトコで会うね……。あ、あの、一応、持ってかれたりとかされないようにだけ……」
「…………」
 至ってゆっくりと至って面倒そうに葉月は頷いた。
「……、じ、じゃ、よろしく」
 奈津実は逃げ出すように、財布とお釣りポーチと携帯だけを持ってその場を後にする。

 どうもあの男だけは苦手なのだ。多分そう思っているのは奈津実だけではないだろう。
 確かにモデルやるだけあって見た目はいい。そしてあろうことか勉強もスポーツも相当出来る。
 普通に考えていたらモテまくるはずなのだが、いかんせん人付き合いというものに難があり過ぎるのだ。
 中学から地元にいる女子たちの間では、モデルやっていようが何していようが、遠目でパンダのごとく見物する程度で、憧れられてはいるが個人的に親しくなろうとする人はあまりいない。本人も多分、それを望んでいる。
 「あの」葉月珪だ、と騒ぐような女の子は、たいていが実態を知らない他校生だったり、引っ越して来たばかりの人だったりする。
 頭も良くてスポーツ万能、そういう類の人間は奈津実の身近にもう一人いるのだが、こっちは屈託のない明るい天然ボケ少女。本人は意識していないが、男にも女にもあまり敵を作っていない。
 大親友だ。すごくいい子だ。試験のたびに葉月と主席争いしているけれども人格的には大違いだ、と奈津実は思っていた。
「……遥、呼ぼうかなあ……」
 その親友----水嶋遥の電話番号をケータイのメモリで呼び出してみる。
 別に二人きりになるわけではないが、隣に一日中居座られるのだと思うと少々息苦しい。
 あの天然ボケは「引越し組」なので葉月に対して苦手意識がないらしいのは知っていた。学校の帰りに「葉月くん、今帰り?」なんてにこにこ話しかけることが出来るだけで、地元組に言わせればツワモノである。
 お茶のペットボトルを買ってスペースに戻る途中、思い切って発話ボタンに指を伸ばす。
 出て来た遥に、「……手伝う予定の友達が来られなくなって」とヘタな言い訳をしてみる。
 親友は、相変わらず屈託のない声で、「いいよー」と軽く承知してくれた。

 スペースに戻ると、そろそろお客たちの物色が始まっていた。適当に相手をしているが、まだ買う人はいないようだ。
 隣は、膝を立てて座っている。どうも売る気があるとも思えない態度で、ぼーっと斜め45度下辺りを見つめている。
 それじゃ売れるものも売れないよ?
 とアドバイスしたくなるが、別に他人の売上を気にしてやる義理があるわけでもない。自分のスペースにもぼちぼち人が来るようになったし、接客にかまけて、隣の存在はしばし忘れることにした。
 30分ぐらいして、客が途切れた隙間を縫うようにケータイが鳴る。電話の向こうで、会場がそれなりに広いせいか、奈津実を見つけあぐねているらしい遥の声がした。
「……何してんだか……相変わらず方向オンチなんだから遥は……」
『はははは……ゴメン……で、どっち?』
「入口入ってまーっすぐ奥。一番奥から……えーと三……四番目かな」
『わかったー。ごめんね待たせて』
「呼び出したのはこっちなんだから、気にしないで!」
 じゃーねー、と言って電話を切り、立ち上がって背伸びして、入口の方に目を走らせた。まあまだ来ないだろうけど。
「……遥って……」
 ほとんど間を置かずに、突然背中からぼそっと声がした。何気なく振り返ると、さっきから斜め45度下にご執心だった葉月が奈津実を見上げている。
「何?」
「……水嶋か?」
「そうだけど」
「……来るのか?」
「っていうか、来てる」
「………」
 その言葉に、一瞬、切れ長の目がきょとんと丸くなった。
 (珍しいもの見た……)
 奈津実が呆気に取られているそばから、無表情の代名詞だった葉月の口元が少し微笑んだ……ように見えて、さらに後ずさりそうになってしまう。
 またすぐに斜め下に逆戻りしたその表情はもう見えない。
 一瞬だけのその顔は、そんな笑顔が出来るんならここまで学校で孤立しないんじゃないかって、そう、奈津実でさえ思うような……不思議なほど優しそうな笑顔だった。

 遥がスペースにやって来た。隣が葉月だと判っていても、こちらはさして気にする様子はない。「がんばってね」と声をかけたっきりで、あとは奈津実の手伝いに徹していてくれていた。
 奈津実は服に飽きるサイクルが早いせいか、出しているものはそれなりに状態がいい。午後に入ってからは似た年頃の女の子たちであっという間に人だかりになる。
 遥と奈津実で接客に明け暮れているうちに、次々に商品が捌けて行く。最初は単に隣人対策で呼び出したはずの奈津実だったが、終了する頃には、心の底から「いてくれて助かったー!」と遥を拝み倒していた。
 空に夕焼けが薄く広がる頃、あらかたの商品がなくなったスペースを片付けながら、奈津実は遥に何度も礼を言った。売れ残ったものではあるが、リストウォッチをお礼代わりにプレゼントする。遥は最初は何度か遠慮していたが「気持ちだから」の奈津実の言葉に最後は「ありがとう」と受け取ってくれた。
 スペースを離れる時に、ぼーっと片づけている葉月にも一応声はかける。
 見上げた顔はいつものように無表情だった。
 でも、奈津実の心には、遥が来る前のあの表情が引っかかっていた。
 親友----成績優秀、スポーツ万能、でも恋愛沙汰に関しては神経があるのかと思えるほどに鈍感な----の名前に対してだけ見せた、やわらかな笑顔が。


「何や、今さらそんなことに気づいたんか?」
 しれっと言ってのけた姫条に奈津実の方が一瞬言葉を失った。
「……今さらって、何?」
「何って……葉月だろ。ありゃハルカちゃんに惚れてるでしょう、明らかに」
 にやにやにや。
 その表情からして、何だかんだでこういう話は嫌いではないらしいクラスメイト(今のところは)に、
「姫条はどーしてそう思うわけ?」
 訊いてみる。
「あいつ顔違うもん。ハルカちゃんにだけは」
「顔」
「表情っちゅーか。目がな」
 断言されてしまった。違うと言い切るぐらい普段を知っているんですかと突っ込んでみたくなるけどそれは我慢。
「……んー。でも遥の方は全っ然っ意識してなさげなんだけど」
「俺もそう見えるわ……っていうかひょっとして俺に惚れてるかも、ハルカちゃん……」
「アホ」
「うわっ、関西人にアホ言うな!」
 ふざけてこづいて来る拳をぱちんと叩き落とす。全く、女心ってもんが判ってない、と突っ込みたいけどこれも我慢。
「判らんやろ? こないだゲーセンで一緒に音ゲーやったけど楽しいって言うてたし」
「うっそ! 一緒にゲーセンなんて行く仲なの?」
「いやたまたま会っただけや。----って何で俺がお前に言い訳せなあかんの?」
「べっつにぃ。そっちが勝手に言い訳してるだけじゃん」
「……かわいくねー」
「何よぉ」
 お互いに本気じゃないと判った上で、ジャブの応酬みたいに言葉を繰り出してる。本当は……本当は、その中のいくらかには奈津実の本音も含まれてはいるのだけれど。
 遥はいい子だけど、そこだけはひどい、と思う。
 彼女はいい子過ぎるのだ。男子の何人かの間で「マドンナ」扱いされているらしいとこの姫条がいつか話してくれた。
 まあ大袈裟に誇張している可能性はあるとしても、彼女が嫌われていないことだけは奈津実にも判る。後輩の野球部員に何やら慕われているのも知っている。その他にも、下校時や校内で色んな男子に声をかけられている現場を見たことがある。
 そして。
 ----目の前のこの男だって。
 ただの同級生。それ以上にまだ進展出来ずにいるけれど、奈津実は姫条のことが気になっている。こんな風に軽口叩ける程度には仲はいいけれど、彼は奈津実の気持ちには全く気づいてはいないだろう。
 それどころか。
「はー。でもまあ、しゃーないでしょう。ハルカちゃん、天然だけどかわいいし。文武両道ってやつだけどお高く止まったトコないし……」
「……恋に悩む姫条って似合わないよね」
「藤井……俺を何だと思ってるんやお前は……」
 簡単に口にするのだ。彼女のことを。簡単に。
 いっそ彼女を嫌いになれたら楽なのに。
 そう思ってしまう自分の気持ちに少しだけ鬱になる。
 ----遥はその成績を保つためにすごい努力をしている。くるくるバタバタといつも忙しそうによく駆け回っている。
 好きなことしかやってない自分なんかとは、本来住む世界が違うのかも知れない、と思うこともある。
 それでも、彼女は奈津実と親しく話してくれるし、話してみれば突っ込みどころの多い天然ボケさ加減が憎めないキャラだし。嫌う理由は何処にもない。だけど。
「----いっそ葉月くんとくっついちゃえばいいのにね。主席カップル。似合うと思うんだけど」
 意地の悪さを含んだ本心。早く誰かのモノになってくれたら、彼を奪われなくて済むのかも知れない、なんて。
「俺のハルカちゃんが葉月とねぇ……」
「勝手に所有物にすんなっ」
 ぱしーんと裏拳。
「くぅ、ナイスツッコミ!」
「褒められても嬉しくないって……」
 言葉とかぶるように鳴り出した昼休み終了チャイムをBGMにばらばらと席に就く。
 頭を切り替えようと思いながらも、自分の中に沸いた1つのもやもやを拭い切れない。
 遥の心は何処にあるんだろう。
 いっそ、葉月が気になるって言ってくれないかな。
 斜め前にいる姫条の背中を睨みながら、ほんの少しだけ奈津実は泣きそうな気分になっていた。


 学校の帰り道。坂道を下りて行く背中を見つけて、奈津実は遥に駆け寄った。
「遥〜、こないだはサンキュー!」
「あ、別にいいのに、そんな」
 声で気づいたらしく振り返る。
「ね、ちょっと話あるんだけど、途中まで一緒していい?」
「うん、もちろん」
 並んで歩きながら、次の言葉を待つように遥は少し首を傾げている。
「……あのさ、遥ってさ」
「うん」
「好きな人っていないの?」
「考えたことないなー」
 あっさり。
 迷うわけでも照れるわけでもなく、さらりと流されてしまって奈津実はちょっと拍子抜けしてしまった。
「……もったいなくない? せっかくのセーシュンが」
「あはは。尽にもよく言われてる」
 尽、というのは、遥の弟だ。奈津実も少しだけ話をしたことがある。
「弟に心配されてるって……」
「うーん。でも、バイトとか部活とか……色々動き回ってる方が性に合ってるみたいだし。多分、オトコがプラスされたら、私じゃ捌き切れないな。たまに抜けてるトコあるのも自覚してるし」
 冗談っぽく笑う。
 時間は誰だって24時間しかない。その中で恋の優先順位を下げてしまえるなら、どんなにいいだろうと奈津実も思うことがある。
 想いは、時にわずらわしい。答えのない疑問に時間を取られるばかりだから。
「……あのさ」
 今なら周りに誰もいない。ちらっと確認してから、軽い調子で訊いてみる。
「葉月とか、どう思ってるわけ?」
「……天然?」
「----へ?」
 好き・嫌い・眼中にない、という類の答えしか期待していなかったので、返って来た答えに奈津実は突拍子のない声を上げてしまった。
「天然だよね。ぶっきらぼうと言うより、自分を表現する必要がないからしていない、そんな感じ」
「……そうなの?」
「そう見えるな」
 遥は何かを思い出したように一人で頷きながらそう答える。
「ツンケンしてる、って奈津実は言ってたよね」
「……うん」
「モデルの仕事として、にっこりさわやか笑顔、みたいな仕事したことなさそうだし、『ツンケン』っていうのも、雑誌に載ってる『葉月 珪』のイメージでしかないんじゃないかな。私は、そういうの事前によく知らなかったし」
「………」
 奈津実の中で少しだけ何かがつながった気がした。
 葉月が、何故この親友を『選んだ』のかが。
 しかしこの遥という少女は、
「奈津実、葉月くんのこと好きなの?」
 とか、本気で不思議そうに聞いて来るぐらい、鈍いヤツなのは確かなわけで。
「----葉月も苦労症だ……」
「え? 何の話?」
「……何でもないです。ちなみに私の好きな人は葉月じゃないよ」
「そう」
 それきり、話はこの間のフリマであげたリストウォッチのことになる。奈津実はそれに頷きつつも、ある作戦を頭の中で考え始めていた。


「……遊園地ねえ」
 放課後、バイトに向かう姫条に無理矢理くっついて来た奈津実の言葉に、姫条は最初、あまり気乗りしていなさそうな返事を返して来る。
 反応が予想出来るだけにちょっと憂鬱ではあるが、切り札をとりあえず出してみる。
「遥も呼ぶつもりなんだ」
 その一言で、奈津実にすれば悲しいぐらい顔色が変わった。
「そーか。ハルカちゃん来るのか〜」
「……予想はしてたけど、めっちゃムカつくなーその反応……。私じゃ不満なのー?」
「いやそんなことないけど、藤井の顔は見慣れてるし」
 薄々感じていたとは言え、何気に言われると反論出来ない。
 ----既に「近過ぎる」のかな。姫条とは。
「で? あと誰が来んの? 俺、両手に花?」
「ははー、一応花扱いしていただけて光栄ですわ、まどか様」
 わざとバカ丁寧に平坦に言ってみる。
「何を拗ねてるかなー」
「……別に拗ねてない」
「で? 誰か来んの?」
 まだ誘ってはいないんだけど、という前置きは心の中だけでしておいて、
「……葉月」
「げ」
 体面を取り繕うとかいうことをしないのは、姫条のいいところであるとはいえ、それにしても露骨に眉をひそめるので笑い出しそうになる。
「……まさか主席カップルくっつけよう作戦?」
「も、あるかな」
「お前、そりゃハルカちゃんの意志はちゃんと確認しとるんか? ハルカちゃんが日々俺を想ってタメ息ついてたらどーすんだよ?」
「他の男かも知れない可能性は考えないかなー」
「俺の可能性は考えないかなー」
「……はあ……。だめだこりゃ」
 大袈裟に眉をしかめてこめかみに指を当てる。
 それきり、スタリオン石油が見えて来るまで奈津実は黙り込んでいた。別に、まだ誰に話しているわけでもなし、姫条が協力する気がないなら、奈津実自身の行く気も半減する。
「----しゃーない。別にええわ。藤井で我慢したる」
 横断歩道の信号待ちで、姫条が呟いた。明後日の方に顔を向けたまま。
 肩からふっと力が抜ける。とりあえずは、「我慢」でもいい。
「オッケー。日付とか調整してまた連絡するから」
「あぁ」
 青になった信号を渡る姫条を見送りながら、口元に浮かんで来る微笑を、奈津実は必死でかみ殺していた。

 翌日、学校で会った遥の方は、いつものようにお気楽に「いいよー」と承知してくれた。誰が来るかは明かしてはいないが、それでもあまり気にしてなさそうなのを見ると、ホントにオトコのことはどうでもいいらしい。
 難関は葉月の方だ。今までロクに話したこともないのに、果たしてOKするかどうか。遥が来る、という餌に釣られてくれればいいんだけど、などと思いつつ、昼休みにぼーっと歩いている葉月に声をかける。
「今度、姫条と遥と一緒に遊園地遊びに行こうって話してたんだけど、葉月くんも来ない?」
 少しだけ「遥」を強調してみる。
 ここまで至近距離に近づいたのは初めてとはいえ、それでもここまではっきり見て取れるほど表情が変わるようなヤツじゃないと思っていた。葉月が元々そういう男だったのか、遥のせいで変わっちゃったのか、それは判らないけれど。
「……いつ」
 ごくシンプルに。しかし行く気はあるらしいことが判る一言。
「いつならいい?」
「……火曜と木曜は仕事あるから、日曜なら」
「うん、わかった」
 連絡をメールで回すから、とケータイのアドレスを聞いて、その足で、遥と姫条にも確認を取りに行く。
 なんというか、揃いも揃って休みの日は暇なヤツらなんだと思うと何だか物寂しくなりつつも、とりあえず次の日曜に決行、という方向で即座にまとまった。

 放課後までに、待ち合わせ場所と時間を適当に決めて「招待状☆」などと銘打ったメールを(授業中に)打ってみたりする。そして放課後に駆けずり回って「見た? ちゃんと確認しといてね!」などと注意を喚起しておいて、ようやく少しだけ肩の荷が下りた。
 家に帰る途中、ショッピングモールをウロついて、新しい洋服を物色したりする。それがいつものことではあるのだけれど、心の隅では、日曜日に何を着て行くべきかをつい考えてしまう。
 姫条は常日ごろ、スタンドに来る客の服装をああだこうだ評しているのを聞いている限りでは、少し色っぽい系のスタイルに弱いらしい。奈津実には似合う自信はなかったのだけれど、それはそれ、コーディネートの見せどころだ、などと張り切ってみたりする。
 ----切っかけはこうだけど、「藤井で我慢したる」と言ったからには、とことん我慢させてやるんだから。一人で心で呟いて、何枚かの服を手に、奈津実はレジへと向かっていた。


 その日曜日の天気は上々。春の日差しとはいえ、それなりにキツい。
 一番早く来たのは奈津実。いつもより少し速い鼓動を宥めながら、残りのメンバーを待っていた。
 次に来たのは遥。続いて姫条。「何や気合入ってんなー」という言い草は服への褒め言葉と受け取っておくことにして、残る一人を待つ。
 遅刻5分で登場した葉月は、一応有名人なのに無自覚にフツーに現れた。既に周りの何人かは、ちらちらと見ながら噂話を始めている。
「……悪い、遅れた」
「うん。もういいよ。とっとと入ろう」
 少し急かすように入口に足を向ける奈津実に続いて、3人もそろそろと移動する。

「……で、誰の隣に座る?」
 ジェットコースターの列に並びながら、奈津実は遥にそう話を振ってみた。遥はちらっと男子二人の方を見てから、奈津実の耳元で小さな声で、
「……葉月くん……の方がいいのかな」
 と訊いて来た。
 途端に、意識するまいと思って抑えていた早鐘がまた戻って来てしまった。自分でもはっきり判るくらい顔が熱を持っている。
 話してなかった……はずだった。でも、普段の態度で察しがついてしまったんだろうか……。
 遥は、何やら納得したように少し意地悪気味に微笑んでいる。
「……やっぱりそうか。奈津実がダブルデートなんてヘンだと思ったんだよね……」
「な、何言って……。べ、別に姫条と乗りたいんなら、いいよ、そんな、」
 弁解するように言ってしまってから、声がうわずっていたのに気づいても後の祭。
「なんや、そーかー! 遠慮せんでえーのにハルカちゃん!」
 2人の間に割り込むように入って来た無神経が1人。
 ----奈津実は一瞬前の自分を頭の中だけで激しく責め立てていた。
 そんな奈津実にはもちろんおかまいなしに、姫条はぐいっと遥の二の腕を掴むと、到着したコースターに誘導する係員に導かれてゲートに入って行く。
「……あんの男はっ……」
 ふるふる震えている奈津実に、困ったように係員が声をかける。
「あの……ご乗車なさいますか?」
「……どうするんだ」
 その光景に事情を悟ったがごとく、葉月も小声で尋ねて来る。
「……乗りたい?」
「……いや別に……」
「やっぱ乗る。絶叫でもしないとやってらんない」
「…………」
 呆気に取られているらしい葉月の腕を引っつかんでずんずんとゲートに侵入する。相手が葉月だとか有名人だとかいうことはすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
 二列挟んで前に姫条と遥。妙にハイテンションな姫条に30cmほど遥が引いちゃってるのは不幸中の幸いではある。
 しかし。初めて話した時に、今日の目的の一つは主席カップルくっつけることだとちゃんと言っていたはずなのに。「藤井で我慢したる」と答えていたはずなのに。
 ----その言葉を信じて、服装も化粧もアクセも、かなり考えて選んだのに。
 がたん、とコースターが動き出してから、ようやく奈津実は大きく息をつく。ジェットコースターのたかが数分の間だけのこと、こんなに苛ついていても仕方ない。何より、隣にいる葉月に対してあまりに失礼過ぎる態度だったかも知れない、とふと思う。
 だかしかし。ちらりと見上げた葉月もまた、ぼんやりと二列前の辺りを見ている(ように見える)。
 ----失礼はお互いさまだった。
「……ちょっと葉月くん」
「ん」
 奈津実に目もくれないその声は、何だか普段より少々低め。
「……葉月くん?」
「……共同戦線だな」
 相変わらず目もくれないまま、その低くなった声で、さらっととんでもないことを口走っている。
「きょーどーせんせん??」
「……次はない」
 この距離だから判ったのかも知れない。---一瞬、ブリザードが吹き荒れた気がした。
 葉月、天然かも知れないが、怒らせると怖いタイプと見た。
 コースターの上り坂の1分弱の間に----詳細は全部すっ飛ばして----とりあえず利害関係は寸分の狂いもなく一致してしまった。それだけはよく判った。
「……オッケー。契約成立」
「あぁ」
 お互いに全然顔を見合わせずに不敵に笑っている二人を乗せて、コースターはゆっくりと急降下を開始していた。


 それからアトラクションに並ぶたびに、奈津実と葉月は、怪しい目配せを交わしつつ、遥につきまといたがる姫条との間にさりげなく割り込む作戦を開始した。今のところコースター以外は全勝だった。
 午後になって、園内のレストランで少し遅めのランチのために席についた時、姫条が「……藤井、お前葉月と何か結託でもしてんのか?」などと言い出すほどに、それはそれは見事な連携プレイだった。
 ちなみに、ランチの席順も当然のように奈津実の隣に姫条が座っている。その向かいに葉月。隣から何だかんだと話しかけられ、向かいから時折妙に敵意の含んだ視線が刺さって来る、居心地がいいとはとても言えないかも知れない小一時間を過ごさせてしまった。
 その後、食べたばかりでは激しいアトランションでは戻しそうになるので、しばらく園内のベンチで休憩しようと遥が提案する。男性陣二人がそれに賛成したので、奈津実も頷いた。
 日差しは既に弱くなり始めている。四人分のベンチを見つけておいてから、ちょっと気分転換も兼ねて「お手洗い行って来るね」と奈津実は一人離れた。

 大人げないことをしているなあとは自覚している。しかし、最初から遥と葉月、自分と姫条、というペアでのダブルデートだと彼も判って来ているんだと信じていただけに、いささかショックだった。
 もちろん、奈津実がそう思っていたのは「藤井で我慢したる」という一言だけだ。ひょっとしたら、自分がそれを言ったことですら姫条は忘れているのかも知れない。
 そのわだかまりは、葉月のおかげで多少すっきりしたとは言え、まだ心の隅の方でくすぶり続けていた。
 トイレを出て、深呼吸する。せめて最後ぐらいはちょっと可愛げのある女でいようかな、などと考えながら歩き出した時。
「……ねー、ちょっと訊いていい?」
 見知らぬ大学生ぐらいの女の子たちが3人、奈津実の前に立ちはだかる。
「……どちらさまですか?」
 記憶にはないが、以前、フリマの客に街で会って声をかけられたことがあるので、またその類のことかと思って立ち止まる。
 だが、3人のうちの一番気の強そうなミドルボブの女から出て来た言葉は。
「……あのさ、あなたって、葉月くんと友達なの?」
 ----そっちか。
 言葉面は普通だが、明らかにその三人の目には敵意がこもっていた。
 街で男に声をかけられたりしたことはあり、そんな時の対処はある程度慣れてはいる。しかし、こんな形で女に声をかけられた経験はない。初めてのことにどう答えていいか判らず、しばらく言葉を探していると、
「ふーん……」その子が一気に不機嫌になる。「何も言えないってことは、隠さなきゃならないような関係ってことー?」
 突然のその理論の飛躍に、奈津実は慌てて首を横に振る。
「い、いや、全然。単なるクラスメイトていうか……そんな感じの……」
「なんか焦ってない? あやしい〜」
 こういう展開になると、もはや言い訳は火に油を注ぐことにしかならない。そう判断した奈津実は、「失礼しますっ」とその場から逃げ出す策に出た。
 だが、相手の方はそれすらも火に注ぐ燃料になってしまったようだ。すっと三方を囲まれ逃げ場を塞がれる。さらに不機嫌度を増したミドルボブが奈津実に詰め寄る。
「ただのクラスメイトが手つないでジェットコースターなんて乗るんだー」
 よりによってあれを見られていたとは。確かに腕を引っ張りはしたが、遠くから見ればつないでいると見えないわけでもないかも知れない。
「何でもないってんならさー。ちょっとさー。お話しない? 葉月くんのファン同士でさー」
 真正面にいた女が、ぐいっと奈津実の手首を掴んだ。後の2人がすっと両側に立ったのは、手を隠すためなのだろう。
「……痛っ……やめて下さいっ……」
 相手が男ならまだしも、女相手にむりやり振り切るようなことをしたら、こちらが先に暴力を振るったとわめかれたりしそうで怖い。間近で見たその自称ファンの視線は、どう見ても嫌がらせ目的で逃がすまいという悪意に満ちていた。このまま何処かに連れて行かれたら、何をされるか判らない----本能的にそんな風に感じさせる視線だった。
「何怖がってんの? 別に何もしてないでしょ? 仲良く手をつないでるだけで」
 くすくす笑いながらも手首をぎりぎりと締め付けて来る。
「……やめ……離してっ!」
 ねちねちしたその態度に我慢出来なくなり、奈津実は誤解を覚悟してもう片方の手を上げようとした----その時に。
「……なんやお前ら。俺の連れに何しとんじゃ」
 妙にドスの効いた関西弁---姫条の声。助かった、と奈津実は本気で泣き出しそうになる。
 不機嫌な三人は、その声の迫力だけで気圧されるように奈津実の手首を離す。その隙に奈津実は彼女たちを押しのけて姫条の元に駆け寄った。
 夢中だった。何よりも怖さの方が先に立っていた。近づいた奈津実に向けて姫条の手が伸びて来る。かばうように、思いがけないほど力強い手で肩を横抱きにされた。
「……何よ……葉月の女じゃないの? そいつ」
「誰がほざいとるんや? んなこと」
 肩にいた手がすっと腰に回り、そのままさらに引き寄せられる。震えたまますがるように見上げた奈津実の視界で、姫条は視線に気づいて一瞬だけ奈津実を見下ろした。
 ふわっと。安心させるような笑顔。
 ----全身が燃え出しそうになった。例え芝居だとしても、そんな風に笑ってくれたことが嬉しかった。
 奈津実も、腕を回す。『彼氏』に助けを求める女のフリをして。
「あははー。人違いみたいねー」
 女はそれを見て諦めたのか、わざとらしく笑い声をあげて、「行こ」と友人たちを急かしてその場からそそくさと逃げ出した。
「……ったく。何で女ってのは周りから攻めようとすんだか……。葉月のファンなら本人に言うたればいいのに……」
 いや、本気で友達になろうとはしてない、とか弁解する元気は、奈津実にはもう残っていなかった。一気に緊張が解けて、へなへなと姫条にしがみついてしまう。目も潤んで来た。
「……お、おい、どーした? 何言われたんや?」
 珍しく心配そうに奈津実を覗き込んで来る。距離が近過ぎることの恥ずかしさも手伝って、落ちてしまった涙を止めることは出来なかった。
「ちょっ……な、泣いてんのか? ……俺が泣かしたって誤解されるやろ、落ち着けって!」
「はは……ゴメン。大丈夫、もう何でもないから……」
 深呼吸。しがみついていた手を放す。
「何でもないって……」
「何でもないよ。涙は女の武器ってのを試してみただけ」
 無理に笑いに紛らわせようとする。もう大丈夫。そっと涙を拭う。
「女の武器ねえ。……じゃ、今俺は攻撃されとるわけだ、その武器で」
 口調はちょっとふざけていても。その後に見えた笑顔は、さっきの『芝居』のそれと同じで。
 言外に、もう安心しろ、と囁かれているかのように優しくて。
「ま、そゆこと。……効いた?」
 だから奈津実も、少しだけ違う微笑みで。
「……ちょっとな」
 ----姫条のいいところは、思うところがすぐに顔に出るってことだ。
 ふざけていない笑顔は、ほんの少しだけ戸惑って、それから----照れたような残像を残してあらぬ方向に向いてしまった。


 夕方までの間は、割と平穏に色んなアトラクションに乗って遊び回った。「お前で我慢したるって約束したからな」などといちいち前置きするのがしゃくに触るが、とりあえずは素直に奈津実を選んでくれていることが嬉しかった。
 夏のナイトパレード時期でなければ閉園時間は結構早い。アナウンスが蛍の光を流し始めたのを聴きながら、四人も出口に向かう。
 入場ゲートの外で、それぞれに別れを告げて家路につく。奈津実は、ケータイのメールをチェックしながらバス停でバスを待っていた。
 フリマ友達からのメールなどに返信を作っている途中で、別のメールが着信する。友達への送信が終わってからそれを開いてみる。
「----『女の武器』?」
 差出人は姫条。タイトルだけでは意味が判らず、文章をスクロールさせる。
『今日一日で、葉月を敵に回すのは身が持たん、てのはいやんなるぐらいわかった。』
 そこまで読んで思わず吹き出す。実は奈津実も同感だ。今回はとりあえず共同戦線張る立場だったけど、逆だったら確かに身が持ちそうにないかも知れない。
 メールは、それからしばらく空白行が続く。そんな演出でよくウケないギャグを書いてよこすので、特に気にせずさらにスクロールする。
 そしてようやく現れた一文に、奈津実は一瞬、息をつめた。

『本題。
 見慣れないモン見せる、ってのは結構効く。
 これからもたまには見慣れないモン見せてみ。
 もしお前が本気なら、だけどな。』

「----あいつ----」
 バスがやって来た。
 慣れた操作で、そのメールに保護をかけてから、ケータイをマナーモードにしてバスへ。
 薄闇に包まれ始めた街の景色をバックに、車窓に自分の顔が映る。
 ちょっとだけ変わってみようか。退屈を埋め尽くすようにバカ話をするだけじゃなくて。
「----挑戦は、受けて立たないとね」
 そんな風に自分に言い聞かせて、車窓の自分にゆっくりと微笑んでみる。
 普段のふざけた笑顔じゃなくて。あいつが「見慣れない」と思うような笑顔を。
 ----覚悟してなさいよ。そんなこと言い出したからには、たーくさん、見慣れないモン、見せてやるんだから。
 とりあえず頭の中だけで返信しておく。
 実際の返信は、----これからの自分だ。
 可能性がないわけじゃないなら。諦めなくていいなら。
 きっと少しずつでも変わってみせる。
 ----そうすればこの距離を、変えてくれると言うのなら。

=== END === / 2002.07.08 / textnerd / Thanks for All Readers!

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