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ときめきメモリアル2(PS) 二次創作

   リョウオモイ

 水道から勢い良く噴き出した水の下に手を差し入れて、その冷たさに一瞬小声を上げて、でもすぐにふうっとため息をついた。
「気持ちいぃー……」
 しばらく手をさらした後、思いっきり顔をパシャパシャ洗う。6月は夏本番ではないとは言え、陸上部でトラックを何度も走っていた体にとってはやっぱり暑い。日陰にある水道の水はまだ温くなっているわけでもなく、ひんやりして気持ち良かった。
「……光? 今部活終わったの?」
 自分を呼ぶ声に振り返る。体育館の裏手から、親友の水無月琴子が出て来るのが見えた。
「うん。……あれ? 琴子が体育館の方から出て来るなんて珍……」
 言いかけて、止めた。琴子が少し俯いている。
「……ごめん……剣道場って、向こうだっけ…」
「……んー……」
 曖昧な返事。困ったように目をそらすのは、私には照れ隠しだって判ってる。
 多分、琴子自身も戸惑ってるに違いないのだ。今まで、彼女がそんな風に、特定の男の子に興味を持つことなんてなかった。どうしていいか、判らないみたい。
 もっとも、私自身だって、そんな時にどうしていいかなんて、判っている訳じゃないのだけれど……。

 2年生になった時、私と琴子はクラスが別になった。でも帰りに待ち合わせて一緒に帰った時、琴子が話してくれたことがある。
 ----剣道している時の男子って清々しさがあるわよね。他の運動系の部活って何だかチャラチャラした男もいるけど、やっぱり剣道って筋が一本通った緊張感みたいなものがあるし。
 琴子らしいな、とその時は思っただけだった。確かに、他の運動部は、試合の時に女の子にキャーキャー騒がれて、何だかファンクラブ紛いの様相になっていたことがあったけど、剣道部に限っては試合でもそんな雰囲気にはならない。凛々しさや緊張感のあるスポーツであることは確かで、それは実に琴子好みだ、というのも納得が行く。
 彼女はそういう、凛としたもの、「日本」を感じさせるものが好きなのだ。今時の女の子にしては珍しい子なのだ。
 ただ、彼女の剣道好き発言は、どうやら単なる和モノ好きとはレベルが違っていたらしい。やがて私にもそれが判る時が来た。

 琴子と同じクラスに、私の幼なじみの男の子・野島誠、という男子がいる。彼もまた剣道部。誠と私は、下の名前を呼び合って平気なくらい仲がいい。そして----私の、今一番気になる人、でもある。
 というのも、誠は小学校の頃はずっと私と一緒に遊んでいた一番の「親友」だった。でも、彼は突然引っ越してしまった。そしてその時、小さな私は、誠のことを親友以上に感じていた自分に気づいていた。でも誠は、高校に入る時にまたこの街に戻り、私と同じひびきの高校に通うことになり、再会したのだ。それ以来、私は彼のことをずっと気にしていた。
 その誠から、5月のある日、電話がかかって来た。誠と同じ剣道部で、琴子と同じクラスの穂刈純一郎という男子が、琴子のことが気になっていると言うのだ。
 前から、誠と穂刈くん、そしてもう一人・坂城匠という男子が仲が良くてよく一緒にいるのは知っていた。この3人がまた全然タイプの違う3人なのだが、その中でも穂刈くんは、硬派で、恋愛ごとに対しては「くだらん」で切り捨てることで有名だった。バレンタインの義理チョコですらもらうのを嫌がっているかのようだ、とまで言われて、カッコ良くて密かなファンは多いのに、女子から見ると多少近寄りがたい雰囲気を持つ人だった。
 その穂刈くんが琴子を----。
 穂刈くんに対する女子の評価は、そっくり裏返して琴子に対する男子の評価に当てはまってしまう。琴子は性格がキツい。やっぱり恋愛ごとはあんまり得意じゃない。男子からは結構怖がられている。でも、彼女はとても綺麗な女の子だ。男の子にデレデレするタイプじゃないけど、でも密かに慕っている男子がいるのは知っていた。
 似た者同士。最初に浮かんだのはそんな言葉だった。
 誠の電話はさらに、超奥手の穂刈くんのために、Wデートをしたいんだけど、と続いた。
「……Wデート、ねえ……」
「なんだよ、嫌なのか?」
 電話の向こうの声に少し不満が混じる。
「……私と、誠くん? ……琴子と、穂刈くん? そういうこと、だよね?」
 しばしの沈黙。
「……いーよ、もう光には頼まねぇよ」
「あーっ、嘘、嘘だってば! いいよ、今度の日曜日ね?」
「わりーな、光」
「ううん、全然。楽しみにしてるねっ」
 思わず口から出た言葉に深い意味はなかったのに、
「……なんで光が楽しみにするわけ??」
 誠の返事で、自分の言葉の意味に、気づいてしまった。
「……!?、……あ、私、ほら、遊園地好きだし」
「……そっか」
「うん、うん、んじゃ、日曜日」
「じゃな」
 ぷちっ。
 ためらいもなく電話を切れるのは、誠の方。私の心は、宙ぶらりんのまま。
 琴子と穂刈くんはきっとうまく行くんじゃないかな。そんな気がした。でも、誠にとっての私は単なる幼なじみなのだ。
 そしてこれからも、単なる幼なじみなんだろうか。
 少しだけ痛い心の行く先を、私はまだ探せなかった。


 日曜日----天気は上々。
 遊園地の前で落ち合った4人のうち、3人はいつも通りだった。穂刈くんは、物凄く緊張しています、と顔に書いてある感じ。多分、何も知らなかったら「やっぱりちょっと怖い」と思っていたかも知れないけど、今、状況を知っているからその表情は違って見える。
 琴子には穂刈くんの気持ちは話していないけど、電話で少し声が裏返るのが判った。最初は遊園地でデートなんてと渋っていたのに、穂刈くんの名前を聞いたら途端に態度が軟化して、渋々OKに転じたのだ。
 そこで、剣道の話を思い出した。そして、うまく行くんじゃないかな、とひらめいた。
 多分、琴子も彼を気にしているのだ。ほんの少しだけ。それが、このデートを通じてお互いに「確信」になれたら素敵だろうな、と私は思っていた。

 元々「主催者」は誠だ。彼は、ガンガン色んなアトラクションを指定して「俺は光と乗るから。じゃな」と穂刈くんを突き放つ。穂刈くんはおろおろする。「しょうがないな」という顔で琴子が穂刈くんを促して、2人が共に歩き出す。そんなパターンの繰り返しが何度か続いた。
「……大丈夫かな、あの2人」
「……まあ、後は純に任せるしかないだろ」
「……そうだね」
 人の心配より、自分の心配しなきゃ。
 内心、そんなことを呟きながらちらっと誠の顔を見上げる。
 ----目が、合ってしまった。慌てて、風が起きそうな勢いで振り返る。
「……なんだよ??」
「……なんでもない」
 俯く。自覚してる。顔が真っ赤。ラッキーだったのは、そこで2人がやって来て、誠の気が私からそれたこと。
「次っ、観覧車!」
「うん、賛成!」
 体制を立て直して私も笑う。今度は、歩き出した私たちの後を、2人がついて来る。だいぶ馴染んだらしく、少し会話が弾んでいる2人の声がする。
 頑張れ、琴子!
 私は、背中で応援しながら観覧車へ向かった。


 Wデートは無事に終わった。それからの穂刈くんは、相変わらず他の女子に対しては「くだらん」モードのようだけど、琴子に対しては普通に接しているらしい。とは言っても、彼らのような硬派にとっての普通というのは、たいていの人が考えるレベルの普通とはいささか違う。私と誠の方は、相変わらず、たまにだけど、一緒にカラオケに行ったり、ボウリングしたりすることもあった。しかしどうも琴子たち2人は----いや、穂刈くんが、かな----「デート」といったことに頭が回らないみたいで。
 琴子は、私と誠が遊びに出かける話なんかを聞くたびに少し表情がかげることがあった。誠は、琴子が私の大親友だと知っているせいか、何処か遊びに行こうと誘ってくれることもあるらしい。でも、琴子が一緒に行きたいのは誠じゃない。それはもちろん、誠も知っているから、琴子がデートを断ってもあまり気にはしていないらしい。
 そんなわけで琴子は、夏ぐらいから、体育館の裏からひょっこり出て来ることが増えていた。

 ただ----。「一緒に行きたい人が誘ってくれない」という状況は、実は私もそうなりつつあった。特に7月に入ってから、誠の友達・坂城くんに会う機会が多くなっていたのだ。
 彼は情報通で、女の子の友達も多い。穂刈くんとは正反対に、たいていの女の子と平等に仲が良い。しょっちゅう色んな女の子と歩いている。ただ、私はちょっと敬遠していた部分もあった。
 でも、色々話しているうちに「遊びに行こう」ということになって、何度か一緒に遊びに行ったこともあった。彼は色んな店の情報を知っていて、一緒にいて飽きないし、楽しい。誠は勉強も部活もそれなりに頑張っているのに対して、坂城くんは全エネルギーを情報収集に当てている感じがした。それがちゃんと成果として出ている、というのも変だけど、坂城くんは何をやっても「外さない」人だった。
 それで、それまでの軽薄なだけのイメージは夏休みまでには消えていて、彼が実際ホントに「モテる」のだ、ということを徐々に実感しつつあった。女の子が何を喜ぶのかというツボを実に良く判っているのだ。
 それに、私自身が坂城くんに対してあまり特別な感情がないことも、一緒にいて楽しい原因でもあった。逆説的だけど、誠といると、Wデートの穂刈くんのように、時々妙に緊張してしまうのだ。気にせず小さな頃のように、と思っても、日ごとにそれが出来なくなる自分に、私は気づいていた。それで、坂城くんといる方が気が楽だ、というのもあった----坂城くんには、凄く悪いんだけれど。

 夏休み、坂城くんから神社の縁日に一緒に行こうと誘われて、特に予定もなかったのでOKした。遊園地のナイトパレード開催中に遊園地に誘われて、やっぱり何も予定がなかったのでOKした。海に行こうと言われて、海は大好きだったのでやっぱりOKした。坂城くんは部活の強制練習日も知っていて、きちんと避けて日程を言ってくれる。
 彼と出かけていたことそのものは、結構楽しかった。----でも。
 夏休みに入って、いつものように時々電話をくれる誠が、話のついでのように「どっか出かけない?」と言って来る日程は、たいてい坂城くんとの約束のある日だった。それは、ホントに偶然に過ぎないんだけど、「約束あるから……」と断ることはちょっと胸が痛んだ。
 どうしてこう、同じ日にばかり、と思うのだけれど、夏休み中の彼の剣道部の強制練習日も私の陸上部のそれと似たような日付なので、日程的に、どうしたって重なってしまうのだ。坂城くんは私のスケジュールを知っていて、誠は自分のスケジュールがそうなっているから……。

 そんな風に夏休みが過ぎて、結局学校で部活帰りにちょっと顔を合わせるくらいで、誠と私は殆ど会わないまま新学期が始まった。----そのせいか、2人の間にはちょっと気まずさが流れていた。
 もちろん、そんなのは私の本意じゃなかった。だから誠の顔を見れば嬉しかったんだけど、でも、誠が私を見る目は、以前とは違っていた。
 下校時に会うことがあっても、前は声ぐらいかけてくれたのに、それすらもなくなっていた。
 ……こんなはずじゃなかった。
 私はその時になって初めて、ほんの少し焦り始めていた。今まで、ずっと「幼なじみだから」という言い訳で一緒に過ごしていた時間がなくなっていたら、誠にとっての私は、単なる同学年の女の子でしかないんだって気づいてしまったのだ。
 何もしなくても、誠は「幼なじみだから」それだけで、誠にとっての私は他の誰よりも特別。
 無条件に、そう思っていたのだ。

「あ、誠くん」
「……あ?」
 放課後、校門で偶然会った時はチャンスだと思った。
「偶然だね。途中まで、一緒に帰ろ?」
 あくまで普通に。
 ドキドキする鼓動をなだめながら精一杯の笑顔を作る。----けど。
「……」
 彼の顔には表情がなかった。
 無言のまま少し目を細めた誠は、ため息と一緒に「ごめん、ちょっと……」とだけ言って、軽く手を上げて私の横を通り過ぎた。
 ----私は、振り返ることも出来ずにいた。体中が硬直して動けなかった。
 全然違う。夏が始まる前の誠の態度とは全然。
 でも、そうしたのが自分だということも判っていた。
 ----ようやく振り返った頃には、彼の姿は坂の下の方に小さく見えていた。でも、急いでいるわけでも、誰かと待ち合わせている様子でもなかった。
 『ちょっと』に続く言葉を見つけたくない。
 予定があるでもなく、急いで家に帰りたいわけでもないとしたら。
 私は目を閉じた。
 ----『光とは、一緒にいたくない』……
 そう言われたような気がしたのだ。


 修学旅行がやって来た。
 定番の京都・奈良なので琴子はえらい張り切っている。お寺巡りを楽しみにする女子高生、というのはどうも琴子だけのようで、他の人たちは自由行動の日程中に大阪や神戸に足を伸ばすことを計画して楽しんでいるようだった。
 私は、行き場がなかった。
 琴子は自由行動に穂刈くんを誘うつもりでいるらしい。デートらしいデートは結局していないのだが、どうも穂刈くん自身が女の子と2人きりで外で会うことにはやっぱり苦手意識があるみたいと話していた。それは私も琴子も理解出来る。その代わり、私の知らない部分で、随分2人は親交を深めていたようだった。電話をしたり、普段の授業や部活の合間に少し話したりして。
「だから、」と琴子ははにかんで笑う。「実質、初デート、かなぁ……。学校行事だから、穂刈くんも抵抗少ないと思うんだけど……」
「そうだね。きっと大丈夫!」
 笑う私は、取り残されていた。
 琴子ほどの親友は学校には他にいないから、女の子で一緒に行こうって言うとしたら琴子だけど、……もう予約済み。
 かと言って男の子は……。
 琴子の言う、『学校行事だから』が私の中でもエコーしている。学校行事だから。あんまり深い意味はなくって、他に誘う人もいなくて、……などと、言い訳を考えながら、1日目・2日目の団体行動は過ぎて行った。

 2日目の夜、旅館の廊下で歩いている誠をつかまえた。あの時と同じように無表情だったけど、私は極力同じ笑顔を保とうとしていた。でも、それが成功していたのかどうかは正直、自信がなかった。声が震えているのが、自分でも判ったのだ。
「……明日の、自由行動だけど……」
「……」
 無言。
「……予定、ある……?」
「なんで?」
 そっけない。むしろ、先約があるって言ってくれた方が気が楽なのに、それすらもなく。
「……良かったら、一緒に、どうかなあ……、なんて……思っ……」
 笑顔が崩れそうになる。目頭が少し熱くなって慌ててまばたきでごまかす。
「……」
 誠の目がそれた。その瞬間に、私の足はもう振り返ってここから逃げたくなっていた。
「……ごめん」
 誠は最後まで表情を変えないままで、それだけ言って、足早にそこを離れた。
 また目頭が熱くなっていた。でも、もう、まばたきでごまかすことなんて出来なかった。私はうなだれたまま、床に出来た自分の涙の染みをずっと見つめ続けていた。

 3日目の自由行動の朝。ロビーでガヤガヤと賑やかな中で、私は1人で、ロビーの壁に貼られた観光マップとにらめっこしていた。別に入念に地図をチェックしていたわけではなく、頭の片隅からはがれてくれないある意識をごまかすためだった。
 それは----誠には『先約』があるんだろうか? ということ。
 マップとロビーをちらちら見ながらそのことを考え続けていると、目の中に誠の姿が映った。
 誰かと話してる。
 人波で見えないので、少し体をずらしてそれが誰かを確かめようとする。隣にいたのは、坂城くんだった。
 ----なぁんだ……。
 安堵のため息。心の何処かでは、あの琴子のように、誠を誘おうと計画している見知らぬ女の子のことをちらっと心配していたのだ。だが、それは杞憂のようだった。
 ----坂城くんと約束しているならそう言ってくれたら良かったのに。そうすれば、こんなにウジウジ悩むことなんかなかったのに。
 昨夜、涙で少し腫れぼったくなった目を鎮めようと、トイレで悪戦苦闘したことを思い出した。琴子に知られたら、涙の理由に気づくと思ったのだ。そうすれば、その場ですぐ誠を捕まえて怒り出すに決まっているから。折角の修学旅行を険悪なものにはしたくなかった。
 でも相手が坂城くんなら……。気持ちは晴れた。くすっ、と笑って、割り切って一人で出かけようと決意して歩き出した時。
「陽ノ下さん」
 前ににこにこ笑いながら立っていたのは、坂城くんだった。
「一人なら声かけてくれればいいのにー。一緒に行かない?」
「えっ……」
 誠と一緒じゃないの?
 言いかけてロビーを見回す。視界の隅で、やっぱり同じように表情のない誠が、私たち2人をちらっと見て、私の視線に気づいたように急いで一人旅館を出るのが見えた。
 ----何……どういうこと??
「陽ノ下さん?」
「あ、えーと……」
 口ごもっていると、
「いいよね?」
 強引な笑顔で、坂城くんは歩き出した。
「えっ、ちょっと待ってよ、……坂城くん??」
「苗字なんて他人行儀だなぁ。『匠くん』でいいよぉ。誠のことはそう呼んでるじゃない?」
 振り返った坂城くんは、満面の笑みで答えた。そして。
「早くおいでよ。すごくかわいい雑貨置いてる店、あってさあ……」
 持っていた鞄を引っ張られて、私はその日、坂城くんに同行することになってしまった。

 残りの日程はクラスでの団体行動。結局クラスの違う私は、それ以来一度も誠の姿を見ないままに修学旅行が終わってしまった。


 修学旅行が終わると、にわかにみんなは「受験」という言葉を意識し始める。もちろん文化部に所属している人は文化祭のことも頭にあるけど、他の生徒は祭の後のように穏やかな日々を過ごしていた。
 私はと言えば……。
 夏の前に琴子に羨ましがられていた私が、心の中で琴子を羨む方に転じていた。
 相変わらず坂城くんはよく電話してくれるし、一緒に遊びには行くこともあるけど、私はいつも何処か上の空だった。
 一方琴子は、修学旅行以来、穂刈くんも少し肩の力が抜けたらしく、休みの日に公園を散歩したりしている、と嬉しそうに話していた。私は笑顔でそんな琴子の話を聞くだけだ。
 でもその日は廊下で会った時に、
「----ところで光の方はどんな感じなの?」
「……どんなって?」
 いきなり話を振られて明らかに動揺してしまう。
「最近、一緒にいるところ見ないなあと思ってさ」
「……ん……まあね……」
 まともに琴子の顔を見られなかった。
 琴子はそんな私を見て大きなため息をつく。
「……ったく、あの鈍感男は…」
「……琴子??……」
 私が気づいた時には既に遅く、琴子は自分のクラスに戻った途端に、誠の前につかつかと歩み寄った。
「ちょっと野島くん」
「……あれ、どうしたの水無月さん? 純なら……」
「あなたに用があるの。ちょっと放課後、部活行く前に茶道部の部室に来てもらえる?」
「……へ? 何で??」
「何でもヘチマもないのっ。来なかったらタダじゃ置かないからっ!」
 久々に迫力のある声でそう言うと、廊下に戻って来た。
「こ、琴子、やめてよ……」
「何がよ? 私はね、光を傷つける男は許さないの」
 キッ、と教室の中の誠を睨む。誠は琴子に睨まれて慌てて目をそらした。
 琴子の気持ちは嬉しかったが、多分このことは私も悪いのだ。誠だけが責められる謂れはない。そう話してみても琴子はどうにも納得してくれなかった。結局、チャイムが鳴ってその場は別れたが、私は途方に暮れていた。
 とりあえず、私も放課後、行かなきゃ、と思った。琴子と誠を目の前にしてちゃんと話せば納得してくれるかも知れない。そんな気持ちも何処かにあった。

 放課後。私も部活に行く前に茶道部室へ向かおうとしていると、坂城くんが歩いていた誠を呼び止めているのに出会った。慌てて廊下の蔭に身を潜める。
「どうだい調子は」
 坂城くんはにこにこと誠に話しかけている。
「どうって、別に具合は悪くないけど」
「違うよ、彼女出来たかって聞いてんだよ」
 そこへ、穂刈くんもやって来る。
「……何の話だ?」
「まあお前は一途だからなあ……」
「何がだよ?」
「『彼女』だとさ」
 誠が穂刈くんに説明する。
「あ……あぁ……」
 穂刈くんは真っ赤になって俯いてしまった。琴子は幸せ者だなあ、などとちらっと思う。だが次に穂刈くんはそれをごまかすように咳払いして、
「そういえば匠、こないだお前見かけたぞ」
「え、何が」
「陽ノ下さんとデートしてただろ」
 私の心臓が飛び上がった。誠は背中しか見えないからどんな顔しているのか判らない。でも……そんなこと、こんな形で誠には知られたくなかった。それが正直な気持ちだった。
 坂城くんはいつも笑顔だが、それは上等なポーカーフェイスだった。相変わらず涼しげににこにこ笑ったまま、
「あ、水無月さんだ」
 一言言って、すっとその場を離れた。
 穂刈くんが慌てておろおろきょろきょろするのを誠が笑いをこらえながらなだめている。「そーいうことは純は匠には勝てないって……」などと言いながら。
 そしてその後。一転して平坦な声で誠が言う。
「純、それホントか?」
「え」
「匠と……光が」
「……ああ」
 背中だけ。表情が見えないのがもどかしい。
「----ふうん」
 無表情な、声だった。
 誠はそのまま「用があるから」と歩き出す。穂刈くんは何かを取りに教室に戻ったらしい。私は、そのままそっと誠の後についていった。

 茶道部室は琴子以外はいないようだった。その琴子は、既にカンカンに怒ってテンションが高くなっていた。
 誠が入った途端、琴子は物凄い勢いでまくし立てた。「光を傷つけるなんて最低!」「男として恥ずかしいと思わないのっ?!」「もし彼女が泣くようなことあったら、私絶対あんたを許さない!!」と一方的に責める責める…。外で聞いていた私は、出るタイミングを失ってどうしようかとおろおろしていた。
 今度も見えるのは背中だけ。誠は、妙に落ち着いている。
 琴子がなおも畳み掛けるが全く動じることもなく。
 ひとしきり怒鳴ったら、さすがの琴子もちょっと黙り込み、「……ちょっと、何よ。反論するなり反省するなり、何か言うことないの?」と少し穏やかに尋ねる。
 誠の肩が大きく動いた。深呼吸……しているように見えた。
「な、何なのよ」
「水無月さん」
 誠の声は穏やかだった。
「何」
「……もし、水無月さんが、純じゃなくて俺を気に入ってたらどうする?」
「そんなことあるわけないでしょ、あんたみたいに女心が理解出来ない男は私は」
「ごめん、たとえが悪かった。----そうじゃなくて」
 高ぶっている琴子に対して、誠はとことん冷静だ。
「じゃあこう言えばいいか?……」
 再び、肩が動く。
「自分の親友と、同じ相手を好きになっちまったら、どうするかって聞いてんだよ」
「……!」
 琴子の息が止まるのが判った。
 私も、心臓が止まりそうだった。
「どうするかって聞いてんだけどな」
「……」
「水無月さん?」
「……私が、もし……もしも、ですからねっ、あくまで……、もしも、あんたのことが気になっていたとしたら……」
「……」
「私は、言わないわ。気持ちを隠そうとすると思う。……光にも、あなたにも」
「俺も、同じ立場ならそうする」
 誠はため息とともにそう言った。そして、
「用はそれだけか?」
 訳がわからず絶句した琴子を確認して、誠は部室を出て行った。

 しばらく私の世界は無音だった。『親友と同じ相手を好きになったら、自分は身を引く』、誠はそう言ったのだ。琴子が私に対する態度を責めた時に、そう答えたのだ。
 誠の親友と言えば、考えられるのは穂刈くんと坂城くんしかいない。
 穂刈くんと琴子は、緩やかだけどうまく行きつつある。
 夏、坂城くんは私に電話をくれて、それ以来2人で色々と遊びに行った。
 夏、誠の態度が、激変した。
 修学旅行で2人はロビーで話していた。そして坂城くんが私の所へ来たのを見て、誠は一人でその場を離れた。

 ----出て来る答えは、1つしかなかった。


 その日、1限目は講堂で全校集会があった。毎年このくらいの時期になるとたいていそうなので、今年もまた教育実習生が来たんだなあと思った。
 講堂で並んでいた今年の実習生の中に、私の見知った顔があった。小さい頃、誠と一緒に良く遊んでくれた近所の麻生華澄さん……「かすみおねーちゃん」だ。隣町の教育大に行ったとは言っていたけど、確かもう4年のはず。教育実習にしては随分遅いなあと思ったけど、それは学校で会った時に話を聞いて事情が判った。彼女は、自分の進路についてギリギリまで迷っていたのだそうだ。
 その日の放課後、偶然帰りが一緒の時間になり、私は華澄さんと帰ることになった。教育実習中は実家から通っているそうで、そうなれば近所だからだ。
「ホントに久し振りねー」
「華澄さん、何だかすっかり『大人の女』って感じになっちゃったなあ」
「からかわないでよ〜。光ちゃんだって、もう小さな女の子じゃなくなったでしょ?」
「うん、まあ、そうだけどね」
「……そう言えば、誠ちゃん、戻ってたんだねー。今も仲良くしてる?」
 華澄さんの口調は少しからかうような雰囲気だった。夏より前の私なら「そーんな、仲良くだなんて……」などと笑って返せたのかも知れないが、今の私はうまく繕えずに黙ってしまった。
「……ごめん、悪いこと聞いた?」
「----華澄さん」
「うん?」
 誠が琴子にしていた同じ質問。
「……もし、華澄さんが親友と同じ人を好きになっちゃったら、華澄さんなら、身を引く?」
 華澄さんは驚いたように黙り込んで、しばらく考えていた。
「……そうねえ…」
 答えを言うのかと思ったら、
「……お茶でも、飲んで行きましょうか。おごるわよ」
 華澄さんは近くの喫茶店を指さした。

 結局、私は喫茶店で華澄さんに全てを話してしまった。誠のことは今でも気になっていること、夏までは友達として遊びに行っていたこと。でも、誠の親友がどうやら私を気に入ってくれたようで、それ以来、誠は親友に遠慮してわざと私を避けていること……修学旅行で泣いてしまったことも。
「……光ちゃんもつらい立場になっちゃったね」
「その『親友』くんは、一緒にいて確かに楽しいんだけど、……でも『親友』くんだからこそ楽しいっていう類の楽しさじゃないんだ。いっそのこと『親友』くんが、その……なんていうか……」
「告白してくれたら、断れる?」
 華澄さんの穏やかな声。
「……うん。正直、その恋愛関係……っていう付き合い方じゃないんだよね。2人で行くんだけど、遊びに行くだけで、別にその……そういう感じになったこともないし、それらしいことを言うわけでもないし……」
「断っちゃったら?」
「だっ……、だって、『親友』くんだって遊びに来てるだけかも知れないじゃないですか。他に女の子の友達大勢いるし、その子たちとも遊びに行ってるみたいだし、向こうが友達としか思ってないのに、こっちが変な意識して断るのも、なんだか……。誠くんの『親友』だから、変にこじれても困るし……」
「でも誠ちゃん----って、もう『ちゃん』って年じゃないわね、誠くんは、その『親友』くんは恋愛だと思っているわけでしょ。だから遠慮してる」
「……なのかな。でも、友達として、だとしても、遠慮するのかも。修学旅行なんかはきっと、そうじゃないかな。『親友』くんが、一緒に行きたいって言ってたから、自分は断ったって、それだけかも知れないし……」
「ねえ、」華澄さんはにっこりと優しい笑顔で私を見ていた。「それって結局、どっちにしたって、光ちゃんと誠くんは両想い、ってことよね?」
 リョウオモイ。
 聞きなれない単語をいきなり突きつけられたような気持ちになった。
「たとえ一緒に遊んでないにせよ、誠くんは光ちゃんが好き、なんでしょう?『身を引く』ってつまり、そういうことでしょ?」
 華澄さんはごく当たり前のことのようにすらすらとそう言うけど。
「でも、もう……」
「本当にもう遅いの?」
「だっ……」
「光ちゃん」
 華澄さんの表情がにわかに真剣になる。
「光ちゃんには、選ぶ権利はないのかな」
「……」
「光ちゃんは、自分の意思を伝えたの?」
「……」
「光ちゃんは、『親友』くんとのデートのこと、誤解を解く努力をした?」
「……」
「光ちゃんは、何をしたの?」
 ----ほのかな紅茶の香り。華澄さんは、そっと一口飲んでから、穏やかに付け加えた。
「恋愛だって、出来る『努力』はあると思う。でも、まだ光ちゃんは、何もしてないんじゃないかな……」


「陽ノ下さ〜ん」
 放課後、後ろから坂城くんの声がした。少し息を切らして横に並ぶ。
「これから部活?」
「うん」
「大変だねえ」
「まあね。でも走るの好きだし」
 いつもようにソツのない会話。その後には多分……
「ところで、今度の日曜なんだけどさ」
 ……来た。
「なに?」
「カラオケ、行かない? 久し振りに」
「……あのさ」
「ん?」
 このあいだから家で何度かリハーサルして来たセリフ。
「……誠くんも、一緒じゃ、ダメかな」
「え」
 意表を突かれた、という声だ。明らかに不満そうな。
「……何かね、私はよくわかんないんだけど……、誠くん、最近、全然遊んでくれないんだぁ。私、何か悪いことしたかなあって思ったんだけど、思い当たることもないし……。坂城くんと一緒なら、友達だし、来てくれないかなあ、なんて……」
 坂城くんの顔があからさまに曇る。
「……2人がいいんだけどなあ、俺は……」
「え、どうして? 同じ友達でしょ?」
 にこにこにこにこにこにこにこにこ。
 本当は爆発しそうにドキドキしていた。「トモダチ」という言葉が、こんなに恐ろしい地雷だと思ったことはなかった。
 私は、踏んでしまったんだろうか?
 それとも……。
 坂城くんが黙っていた時間は多分一瞬なのだ。でも、私にしてみればとても長い時間に感じられた。
「……友達、ねえ……」
 坂城くんの口が開いたと思ったら、そんな風に意味ありげに呟いただけ。
 そして、しばらくして、いつものポーカーフェイスに戻り、
「OK。じゃ誠のやつも誘っとくよ。それでいい?」
「えっ」
「何、その意外そうな声は。それでも嫌なの??」
「あ、そんなことないよ。うん、それでいいよ」
「じゃ日曜に」
 行ってしまった。
 承知したものの、考えてみれば……彼が誠を誘っておく、とは言ったけど、ちゃんとそうする、という保証は何処にもなかった。誘ったけど来なかったって言われれば終わり。いや、その前に、ホントに坂城くんが誘っても誠がウンと言わない可能性だってかなりある。
 どうなんだろう。
 ----やっぱり来ては貰えないのかな……。
 心の中は、不安以外は何もなかった。

 日曜日。天気は上々----こんな日に限って。
 5月のWデートの時に天気がいいのは気持ち良かったけど、私の今の心はどんより曇っていた。それなのにこの綺麗な秋晴れと来たら……。天気に罪はないけれど、何だかうらめしいくらいの気分だった。
 ----もし誠が来なかったら。
 それは、今の私には何だか最後通牒のように思えていた。もう光には会いたくない、そう言われているような気がしたのだ。
 時間はぴったりのはず。珍しく坂城くんも遅れている。彼の遅刻は珍しい。
 ショッピングモールの時計を見上げて、私が時間を間違えていたのかと思い始めた頃、
「……光」
 声が、耳に届いた。
 ぎこちない笑顔を作って、すっと声の方を向く。
「……久し振り、誠くん」
「ん」
 楽しみにしている、という感じの返事ではなかった。明らかに。ちらっとこっちを見たきり、自分のつま先辺りを見ている。
 現実の天気とは逆に、心の中にはもくもくと黒雲が発生していた。やっぱり、ダメなんだ。『身を引いた』のは、華澄さんの言うようなリョウオモイなんかじゃなくて、単にタイミングがちょうどよかっただけで……。
「行くぜ」
「----えっ」
「出る直前に、匠のやつから遅れるって電話が来たんだよ。先に部屋入ってろってさ。カラオケボックスの店員とあいつ、知り合いだから、伝言しとけば通じるって」
「あっ、そ、そう……なの?」
 2人きり。10分前なら嬉しかったけど、もう今では憂鬱でしかない。どう時間を過ごせばいいのか、まるで判らない。
「何だよ、俺と二人じゃ嫌なのかよ?」
 その時、つま先を見たままの誠の声が明らかに苛立ちを含んでいるのが判った。
 泣きたくなった。
「違う、そんなんじゃ」
 彼が私の方をちらりと見た。やっぱり表情が見えない。
 ----心の中には雨が降り出した。

 部屋に入っても、2人はお互いに黙りこくったままで、新曲の入荷を知らせるテロップと脳天気な音楽だけが部屋を満たしていた。
 リモコンを手の中でぐるぐるいじってはいるけど、思考回路がそこに集中出来ない。わずか6,7桁の数字さえ覚えられず、入れたはいいけど全然知らない曲が出て来て、決まり悪そうに「ごめん、間違えちゃった」と言っては消して入れ直す、というのを3回も繰り返してしまった。
 どうも誠の方は歌う気にはならないらしい。画面をぼーっと眺めていたり、たまにこっちを見たりするぐらいで、あとは頼んだコーラのグラスを手の中で回している。
 あまりにも気まず過ぎる。だからつい。
「坂城くん、どうしたんだろ、ね……」
「……」
 こっちを見てさえくれない。挙句の果てに、
「……そんなに匠が気になんなら、俺なんか呼ばなきゃいいだろ」
 心の中で落雷。
「そんなこと言わないでよ、わ……、私、そんなつもりで言ったんじゃなくて……、ただ……」
 しーん。
 言い訳は思いつかない。
 とにかく、不機嫌な時の琴子もそうだけど、障らない方がいいような気がして来た。
 ----こんなはずじゃなかったのに。今日、会えたら、色んな話をして、誤解を解いて、また夏より前みたいに普通に話して……、そして……。
 色んなことが頭を回り始めたその時に。
「……んで……」
 コーラに向かって呟く声がした。
「……なに……?」
「……何で呼んだ?」
「……あ……、その……」
 落ち着いて。小さく、息をついて。
「……最近、話してくれないし……、だから、私……その、何か、悪いこと、したかなあ……って思って…」
 黙って聞いていてくれてる。とりあえず。だから、また雷が落ちないうちに…。
「私、謝るから……。私が悪いことしたんだよね? だから、ごめんなさい……。だから……っ、だから、また……、また前みたいに……」
「誰がそんなこと言ったんだよ」
 また怒ってる。雷鳴が聞こえて来た。目の前が、ふわっと暗くなったような気がした。
「誰が言った、光が悪いことしたなんて」
「……誰も……」
「じゃ何で謝んだよ」
「だって怒ってるじゃない!」
「怒ってなんかねぇよ!」
 ----それ、普通怒ってるようにしか見えないんだけど……。
「だって……」
「遠慮すんなよ! こんな小細工しなくたって、俺は別に気にしてないし、……たっ……、匠だって…あいついいヤツだろ? カルく見えるかも知れないけど、根は悪いやつじゃないし」
「そんなこと判ってる!」
「じゃ何なんだよ!」
「何って何がよ!?」
「光、匠のこと好きなんだろ!? べっ、別に俺に気ィ遣うことなんかねーんだよ!!」
 ----えっ……?
 言った誠の方は『しまった』という顔をしている。
 また気まずい沈黙が部屋に流れた。
「……誠……くん」
「……んだよ」
「……坂城くんがそう言ったの? 私が、坂城くんのこと、好きだって……」
 コーラに向かって頷いてる。
「……私、そんなこと、言ってない」
 誠の手の中で揺れていたコーラが止まった。
「そんなこと言ってない。私……、坂城くんのことは、……友達としか……」
「でも会ってたんだろ」
 雷鳴はもう聞こえない。少し穏やかな誠の声。
「会ってたよ」
「俺が出かけようって言っても断ってばっかりだったのに、……匠とは、会って……」
「たまたま先に約束してただけだよ。……別に深い意味なんてなかった」
 誠の目が初めてまともに私を見た。まだ表情は見えないけど、苛立ちはずっと見えなくなっている。
「……私だって、ずっと、……」
 言いたかったことを、言うチャンスが来たと思った。
「なんで同じ日にばっかりって思ってた! ずっと会いたかったのに、なのにどうしてって……」
「……光……?」
「なのに、夏が終わったら、誠くんは、私と口もきいてくれなかったじゃない! 話して、謝りたくて、ずっと、……なのにっ……」
「だっ……、光だってずっとオドオドして、まるで腫れ物に障るような言い方して、無理に笑ったような顔して……」
「だって怖かったんだもん!」
「何で怖がんだよ! 俺は、てっきり……」
 少し落ち着くように息をついて、
「てっきり、もう匠と付き合ってて、俺には、仕方なく声かけて……」
 小さくなる。それ以上何かを言おうとして言いよどんでいるように。
 ----心の中に晴れ間が見えた。
「……だって、誠くん、冷たかったじゃない、私に……」
「……『人の彼女』と必要以上に仲良くなんか出来っかよ。匠は……、親友だし」
「だから、そんなんじゃないってば」
 心の黒雲を追い払うように笑う。----大丈夫。もう、無理な笑顔じゃないはず。
「……な……んだよ……、じゃ匠のやつ、何であんなこと……」
「そうだよぉ。来たら、ちゃんと聞いてみなきゃね」
「…あぁ」
 やっと戻った。まだ少しぎこちないけど、でも……
 ----夏の前と同じ、普通に微笑んでる誠が、そこにいた。


「陽ノ下さ〜ん」
 私は、琴子みたいに人に対して腹を立てる、ということは滅多にないつもりだった。でも、今回の坂城くんに対してはちょっと怒っていた。
 結局、彼はあの日、来なかったのだ。
 カラオケボックスで、誠と2人で色々久し振りに話して、時々歌って、それは楽しい時間だったけど、でもそもそも最初に心に黒雲がやって来たのは坂城くんのせいだ。
 好きだなんて言ってもいないのに、そんな嘘をついて、何で私と誠の間に必要以上に波風を立てようとなんかするんだろう。坂城くんのことは別に『好き』ではなくても、友達だとは思っていたのに、そんなことをされたら正直、友達としての最低限の信頼さえも裏切られたような気分でいた。
「……陽ノ下さ〜ん、待ってよ〜」
 それなのに相変わらず彼はニコニコと脳天気でソツがなく。
「こないだはごめーん。急用が出来て……」
 私は無視して歩き続けていた。
「陽ノ下さ〜んってば〜」
 ……ついて来る。
「待ってよ〜」
「……なに?」
 普通に、と思ったけど……、我ながらちょっと声のトーンが低い。
「これから部活?」
「……そうだけど」
「走るにはいい季節だよね」
「……そうだね」
「……あのさ」
「……なに」
 相変わらずのポーカーフェイスで。
「……そんなにツンツンしなくたっていいじゃない。こないだは俺が行けなかったこと、そんなに怒ってるの?」
「……」
 ホントに、それだけ、だと思っているんだろうか。
 坂城くんは結構、良く気のつく人だと思ってたけど、意外に…
「はは、まぁいいけどね。悪いのは俺だし」
「……」
 悪気があるようには見えない言い方。----でも次の瞬間。
「で、どう?」
「……どうって、何が?」
「誠のやつと仲直りは出来た?」
 表情は全然変わらない。だけど私はその言葉で、坂城くんの表情の裏に何か違うものを見てしまったような気がした。
「……うん、まあね」
「そりゃ良かった。俺の急用もそれなりに役には立ったね。怪我の功名ってやつかな」
「……」
 ひょっとして、坂城くんは……
 わざと、来なかった……?
「俺と違って誠のやつはモテないからねー」
「……」
「陽ノ下さんがいないとバレンタインに義理チョコひとつもらえないようなヤツだし」
「……」
「俺はほら、寿さんとか白雪さんとか一文字さんとか赤井さんとか」
「……」
「転校しちゃった佐倉さんとも連絡取り合ってるし、退学しちゃった八重さんとも時々会ってるし」
「……」
「まあ水無月さんは別格としても、俺って女の子の友達多いじゃない?」
「……」
 ひょっとして、坂城くんは、わざと嘘をついた……?
 誠をわざと怒らせて、わざと本音を言わせるために……?
「……だけど誠のやつは陽ノ下さんしかいないみたいだし、…まあ、適度にかまってやってよ」
「……ねえ、坂城くん、ひょっとして」
「じゃ俺、急ぐから。じゃあね〜」
「待って、話が」
「あっ、誠」
 えっ?
 坂城くんの視線の先を辿って思わず振り返る。視界の中を必死に探しても誠の姿はなかった。何処に?と聞こうとして顔を戻したけれど、
「……あれ? 坂城くん?」
 もう、そこには誰もいなかった。


 ----今でも坂城くんの真意はよく判らないまま。でも、多分そういうことなんだって思ってる。彼は、私と誠の間がギクシャクしているのを見てとって、自分が悪役になってそれを治めようとしてくれたんだと思う。
 お礼を言おうとしても、例のポーカーフェイスでまるで取り合ってくれないので、心の中だけでそっと感謝し続けることにした。
 そして私は、ほぼ以前のように普通に誠と話せるようになった。でもちょっとだけ違うところもある。それは……。

「誠くん」
「……なんだ光か」
「『なんだ』はひどいなぁ」
「はは、ごめんごめん」
「今帰り? 一緒に帰ろうよ」
「あぁ」
「じゃ、行こ!」

 もう声をかけられるのを待ってたりしないってこと。
 華澄さんにあの時言われたことはその通りなんだ。恋愛にも出来る『努力』がある。でも、私はまだ、何もしていなかったのだ。

「ね、今度の日曜日、予定ある?」
「え? 別に何も」
「遊園地に行きたいんだけど、付き合ってくれないかなぁと思って」
「あぁ、いいけど」
「やったぁ! じゃ、楽しみにしてるねっ!」
「え、あ、うん」

 努力しないで後悔するより、やって後悔する方がましだから。
 だから私は走り出してる。
 「単なる幼なじみ」から、抜け出すためのトラックを。
 ----まだ、スタートラインに立ったばかり、なんだけどね。

=== END === / 2000.1.6 / textnerd / Thanks for all Readers!
(初出:陽ノ下光ファンクラブ「Sunshine Island」投稿 / サイト閉鎖のため移転)

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