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GunParade March(PS) 二次創作

   花 〜絶望の日・遠坂の場合〜

Part I 〜 悲しみの天使

 幻獣勢力が支配するその場所は、目に見える異様な早さで植物が育つ。まるでビデオの早回し。田辺の足元からプツンと音を立てて始まった成長はみるみる彼女の背をも超える。
 大きなひまわり。
 まだ夏には早いその柔らかい陽射しの中で、歌うかのように揺れて伸びて。
 周りを埋め尽くすようにさわさわと生える草の名前はいちいち数えていられない。
 腰の辺りまで草いきれに埋もれて、ようやく田辺は歩き出す。
 さわさわ。
 さわさわ。
 背の高い草をかき分けて、緑の中を泳ぐように。
 一際強い風が吹く。ぎゅっと目を閉じてやり過ごし、不自然なほどぴたっと止んだ風に驚いて目をまた開く。
 風で割れた濃い緑の中に横たわる、違和感のある物体。
 田辺は近づいて覗き込む。
 声を上げそうになって口を塞ぐ。何故か、聞かれてはいけないような気がしている。
 幸せそうに横たわるその人は、とても穏やかな顔をしている。
 長い髪が頬にかかり、その色と同じ草が深い影を落として。
 田辺はその頬に手を伸ばす。
 既に冷たい。
 もう遅かった。
 彼は行ってしまったのだろうか。
 それを望んでいたんだろうか。
 ----それが、彼の幸せだったんだろうか。

 ブルー・ヘクサ。幸運強化型。
 私が望むものは自分の大切な人の幸せ。そのために、私が不幸になっても構わない。
 そう願ってその通りになった、----のだとしたら。

 (私が圭吾さんを殺したのかも知れない)

 震える指の先の彼はとても幸せそうだった。
 青ざめた頬とは対照的に赤と白の血に染まったウォードレス。
 田辺は膝をついて涙を流す。

 強運なんて要らない
 青い髪なんて嫌い
 誰も幸せになんかならなくていいから
 せめて誰も不幸にならない世界が欲しい

 こんなのいや
 こんなのいや!
 こんなの----!!


「----ねえちゃん、ねえちゃん!!」
 ゆさゆさと揺さぶられて田辺は目を覚ました。弟が心配そうに自分を覗き込んでいる。
「何泣いてるんだよぅ、寝ながら……」
「----夢……」
 目が腫れぼったい。手が冷え切っている。まるで、本当に触れて来たかのように。
 その冷たい手を目に押し当てる。気持ちいい。
「怖い夢、見たのか?」
「うん……大丈夫だよ」
 起きてにっこりと笑う。

 狭いアパートの一室。火事で焼け出された後、4月になって、ようやく田辺の家族は多少まともな----それまでに比べたら----暮らしが出来るようになっていた。田辺の給料を全額家に入れることもないと言われるようにはなったが、それでも田辺は全額を家族に渡していた。自分が必要だと思うものは、主に学校で暇を見てプログラムを作って売ったりバイトしたりして何とかやり繰りしていた。
 今や立派な稼ぎ頭。整備と勉強以外に出来ることはないけれど、それを最大限活用して、田辺は精一杯過ごして来た。そしてその努力は、きちんと報われつつあった。

 ----それだけでも、かなり幸せと思っていたのだけれど、さらにその上に。
「……おはようございます」
 穏やかな笑顔が、校門で田辺に声をかけて来た。
「……あ、はい、あの……」
 かああっ、と頬が紅潮する。手の中で、とても彼の口に合うとは思えないお弁当がカタカタ震える。
「こ、これ…っ、……お仕事の、合間にでも……」
 目を見られないまま差し出すと、その人----遠坂はふんわり笑って受け取る。
 教室に2人で向かいながら、田辺の鼓動は収まらない。
 知れば知るほど判って来ていたこと。
 この恋はまるで身分違い。だからお弁当なんて作ってみたところで、彼のそれまでの食事なんかと比べたら多分どうしようもないほど質素過ぎるメニューのはずで。
 それでも彼は必ず言ってくれる。おいしかったと。
 その言葉だけで全部報われる気がしていた。たとえ、自分のバイトやプログラム売却資金のエンゲル係数がどんなに高くなったとしても。

 整備士である田辺は、部隊を裏から支えるべく自分のやれることをやろうとしていた。
 とは言え、戦況は正直あまり芳しくはない。
 部隊の中で戦死者も出て来ていた。暗く重苦しい空気に支配されている日も多くなって来た。
 それに何より----人が足りない。
 整備士たちが、ロクに訓練もしないままで戦闘員に立候補しては戦場で命を落として行く。今や二番機の整備士は自分だけで、些か不本意な状態のまま出撃命令が出ることも多くなった。
 前任の二番機パイロットは新井木。整備士の苦労は知ってるからムチャはして来ないよ、と笑った笑顔が、田辺の見た最期だった。
 そしてその翌日。本田先生から渡されたウーンズライオンに泣くより先に、全損状態の機体を復旧しなければならなくなった。
 ----その理由は。

「じゃあ…ここで」
 教室の前で名残惜しそうに遠坂がそっと手を伸ばす。
 周りの視線から少し隠れるようにかすめた指先を思わず田辺は掴んだ。
「……どうして…、ですか……」
 目を少し伏せた微笑にためらいのかけらもなかった。
「また戦う勇気をくれたのは、あなたです。まだこの世界にも、守る価値があると、思えるようになったからです」
 1組の教室に消える背中。
 田辺は締めつけられる痛みにまだ慣れることが出来ない。
 ほぼ全損状態から何とか動かせるレベルには復旧したものの、それでも安心出来るとはとても呼べないその機体を、今操っているのは遠坂なのだ。
 まだ故障している分には出撃出来ない。出来る状態になった今日の方が不安は強かった。
 そして、それを見透かしたようにやって来る出撃命令。
 目を閉じて、深呼吸して、そして走る。補給車の準備をしていた原を手伝って生体接着剤や予備弾薬、応急手当セットを運び入れる。
 自分が震えてもどうしようもないとは判っていても、震えてしまう体を止めることは出来そうもなかった。
 歩き出した士魂たちの後に続く補給車の中で、自分でも耳障りな深呼吸を繰り返す。
 原はそんな田辺の肩に手を置き、ただ何も言わないまま宥めるように優しく滑らせていた。


 複座型と二番機、そしてスカウト2人。田辺が、自分が出来る精一杯と思って陳情した武尊がまだ使えたのはラッキーだが、連続の戦いで人工筋肉も相当疲弊しているから、この戦いでダメになることは予想はついた。
 スキュラが8体配備された幻獣軍。軽装甲の二番機が前に出て勝てる相手ではない。手にしていたのは確か92mmライフルだったはず。近づかないで、と田辺は思わず祈る。
 速水機が最初に前に出る。機動力からすれば二番機の方が速いはずだが、その動きからすると明らかに無理はしないつもりなのだろう。あるいは司令の指示か。
 速水機が、前線でスキュラの射程に踏み込んだ途端に煙幕を張る。いいタイミング。拡散させられるレーザー。それでも三番機ににじり寄って来る幻獣たち。
 同乗の舞がせわしなくミサイルランチャーで幻獣たちをロックして行くのがコンソールを通じて補給車でも見えている。
 煙幕に安心したのか、遠坂機が少しスキュラたちの群れに踏み込んでいる。元々両手武器である92mmライフルは命中精度が高い。2発、あるいは3発を連射しながらスキュラを落として行く。
「二番機、止まらないでなの、もう切れるよ」
 その声はののみ。彼女もまた、状況を眺めながら各機へ的確に指示を出している。最初は何でこんな子供まで、と田辺は思っていたが、彼女の持つ同調能力はそれなりに戦場では意味があった。彼女は、幻獣たちの動きを、かなり読むことが出来るようだった。
 煙幕が晴れる直前に、速水機のミサイルランチャーが白い軌跡と共にミサイルを吐き出す。スキュラは4体巻き込んでいたが、整備状況もいいとは言えない機体のミサイルで潰せるはずはない。屈んでいた複座型がひらりと跳ぶその手の中には大太刀が光っている。
 動きの鈍ったスキュラに跳びつくように太刀を向ける。返す刀で最期のとどめ。崩れ落ちて行く空中要塞を避けて次のターゲットに向かう。
 増援が接近していると告げるののみの冷静な声。
 煙幕は途切れた。二番機が少し下がる。熱線がすぐ脇をかすめたことをオペレータが報告する。田辺は悲鳴を上げそうになる。
「目を閉じてはだめよ」
 厳しい顔。原の凛とした声。
「あのお坊ちゃんが戦う気になったのは私もびっくりしたけど----、でもそうだとしたら理由はひとつでしょう。私にだって判ったわよ?」
 まだ震えは止まらない。
「そのあなたが、目をそらしてはだめ。ちゃんと見ていてあげるべきだわ」
 二番機は動いている。まだ無傷のスキュラに向けて立ち上がる銃口。
 その隣の空間がぐにゃりと歪んで----
「敵増援現れましたっ----、けいちゃん、左っ!」
 ののみの声と、何かが潰れるような嫌な音は同時だった。
 悲鳴というより溜め息のような遠坂の声がする。太い棍棒のような右手を振り上げたミノタウロスはまたその赤い目をぎらぎらと二番機に向けている。
 単座の中に組まれた発射シーケンスが終わるまで動けない。判っている。軽い音と共に飛び出した銃弾はスキュラを綺麗に撃ち抜いて沈めていたが、もうその頃には何もかもが手遅れだった。
「いやぁぁぁぁっ!!」
 オペレータの報告を聞く間もなく田辺は補給車を飛び出す。
「田辺さんっ」
 原が慌てて引き留めようとしても間に合わない。補給車を空にする訳には行かない。ただ叫ぶだけで動けない原の声を振り切るように田辺は戦場に立つ。ウォードレスも着ないままで。
 機体を捨てた遠坂はただウォードレスでミノタウロスのすぐ横にいた。
 向こうはまだ機体に気を取られていて、更に殴りかかっている。
 たいていはその隙にパイロットは撤退ラインに戻れる。それこそが、パイロットが生存率が高いと言われる所以でもある。
 それなのに。
「いやぁぁぁ! 遠坂さん、戻ってっ、戻ってぇぇっ!!」
 泣き叫ぶ声は恐らく戦場には届いていないのだ。機動力のない互尊が振り上げたカトラスが与えられるダメージなんて大したものではなかった。いやむしろ、そのせいで「彼」は気づいてしまった。自分の横にいた、ちっぽけな新たな敵に。
「いやぁぁぁ!! いやぁぁぁぁぁっ!!」
 ----頭の上から。まるで空き缶でも潰すかのような動きでしかなかった。
 もう言葉にならない。足をもつれさせながら田辺は全力疾走していた。その挙動に司令がどんなに慌てていたかなんてもちろん知る由もなく。速水機がアサルト連射でそのミノタウロスにとどめをさしていなかったら、田辺の方だってもう生きてはいなかった。

 人間の体の形は何とかかろうじて保っていても、ひどくねじれていてあちこち角度が変だった。
 血を吐きながら遠い目をして、覗き込んでいる田辺にうっすらと微笑して見せたのは、もう言葉を出すことが出来なかった彼の、最後の挨拶だったのかも知れない。


Part II 〜 Black Moon

「-----本気ですか」
 遠坂は通信機の向こうの準竜師----芝村勝吏を睨みつけていた。
「今の遠坂家に、それ以外にどんな利用価値がある?」
 ククク、と喉元でせせら笑うように。
「そもそも誰のせいだ? お前は自分の立場というものをまるで知ろうとしないんだな。そこまでバカなのか? 失望させたいのか?」
「……ですが……」
「もっと計算高くなれ。お前が牛耳れるようになるんだぞ、あの腐った財産をな。あのままならどうせ腐るだけだ。必要とする者に使わせる方が有意義だ。いつまでもコソ泥みたいな真似をし続ける必要もなくなる。何か損になることがあるのか? 私には見えぬぞ」

 そう、何もない。何故ためらう。あんな父親ごときで。あんな家ごときで。
 遠坂は手の中の白紙の命令書を見ながら、自分の中に存在する奇妙な疼きが理解出来ずにいる。
 あの時もそうだった。
 自分で自分が何をしたいのか判らなくなる瞬間。
 どう自分を「置く」べきなのか理解出来なくなる瞬間。
 仲間を裏切った。幻獣派の何人かを結果として芝村に売ることになり、そしてその代償に手に入れた命令書。自分の身を守るためだけに。結局自分はただの飼い犬でしかないのだと自らを貶めることにしかならなかった、その結末。
 雨が降るその中を教室に向かう。結局この部隊に来たのもただの飼い犬としての行動なのかも知れない。
 それでも。
 自分がどう生きるべきか、それすら誰からも教わったこともないただの人形だった自分が、初めて自分の意志でそちらを選んだのだから。
 芝村だけだ。金持ちなら戦争しなくていいなどという言葉を、言わなかった人間は。
 カツンカツンと金属と靴底が触れる音。教室は、整備班は2組か。向かおうとしたその時に、ふと違和感のある音がする。
 周りは誰もいないのに、くしゃみ。
「……?」
 屋上だろうか。
 再び階段を昇って、その姿を見つける。
 がたがたと冷たい雨に打たれたままの青い髪。見たことがある。
 このプレハブが間借りしている尚敬高校の戦車部隊にいた。
 どう見てもいじめられているとしか見えなかった。そして彼女は常に謝ってばかりいた。
 それでも学校に律儀に来ているのは、よほど前向きなのか、それとも。
 (立場が見えないほど、バカなのか?)
 歪んだ微笑を隠して彼女に白紙の命令書を押しつける。元々、それが欲しくてやったことでもない。見るたびに自分が卑屈になって行くだけのそれに価値なんてない。

「…これを持って、生徒会連合まで行きなさい」
「…え?」
「いいから。そこで、望みを言えばいい。転属でも、何でも」
「…え?」
「いいですね?」

 それは彼にとっては、「捨てた」のと同等の行為でしかなかった。


 手を差し伸べる。空へ。
 暗くなって行く空の下、まるで空気そのものが歪むように渦巻く。
 赤く光る多目的結晶が何かを吐き出すような感触。存在するはずのない風圧。一瞬力が抜けて、持ち直すように足を踏みしめる。
 無言のまま現れた小山ほどの物体。ゆらりと、立ちのぼる。
 目を細めて見上げている小さな人間を見下ろして、その赤は戸惑うように不規則な明滅を繰り返す。
 ミノタウロス。ヒト型幻獣。擬竜科でありながら二足歩行に進化した、幻獣側の対人型戦車の切り札。
 静まり返っていた住宅地に遠くから聞こえる車の音。近づいたそれが、短い悲鳴を上げて停まる。
「----何だ……」
 運転席から首を出した男の、掠れた声。
「げ、幻獣が……単独で? 何でこんなところに……」
 慌ててバックしようとしても、既に捉えられたその生体ミサイルから逃れることなど無理だった。
 外殻に張りついていた無数の小型幻獣が一斉に奇妙な叫び声と共に飛び出して来る。車があっと言う間にぼろぼろにされる。運転席の男もまた。
 男は、死の間際に、その幻獣の隣で、黒い月に祈りを捧げるように指先を向けている人間の姿を見つける。
「どうして……です……」
 ごふっ、と口から溢れた血が、彼の声帯から声を奪う。
 重く鈍い爆発音。オレンジの炎。騒ぎに驚いた家々が覚醒するのを感じながら、黒い月に祈る男は手を下ろす。
 目の前の瀟洒な屋敷の門に手をかける。小さなインターフォンに向けて穏やかに。
「----私です」
 引きつった息がそこから洩れる。
「……どういうつもりだっ……」
「自分の家に入ろうとするのに、どういうつもりもないでしょう」
「それは何だ----お前の後ろにいるそれは!!」
「わかりませんか」
「わからないわけないだろう!!」
「『彼』に力ずくでこの門を壊されたいですか?」
「くっ……」
 緩やかに開く。きしむ鉄の音。
 男が歩き、その後から『彼』が。家から飛び出して来た男と女。震える家政婦と、その主人。
「----圭吾っ……」
 男はうめく。目の前に立つ息子に。
「平和的な解決方法ならいくらでもありました」
「芝村に寝返るのか! 何故だ!! あやつらとて幻獣共生派を生かしてはおかんだろうっ!!」
「それはどうでしょう? 誰が言い出したことなのか、父さんが知らないとは言わせません」
「それが条件か、お前が生き残るためのっ……」
 赤が光る。ひっ、と短く悲鳴を上げて後ずさる。
「今しかチャンスはありません」
「……お前っ……」
「譲ると言ってくれればいい。ただ一言だけ。私だって、これ以上誰かが死ぬのを見たくなんかない」
「圭吾!!」
 殴りかった父親を、絶望するように遠坂は見る。踊るように手を軽く振る。殴り倒される直前に、断末魔の叫びが耳の奥に滑り込む。男と、そして女と。

 深い紺色の空の向こうで、ふたつの月が揺れている。
 黒と青。
 遠坂は倒れたまま再び手を伸ばす。ミノタウロスの体が、音もなく幻のように掻き消える。
 ----やがて遠くから響くパトカーの音。停まるまで聴く間もなく、意識が遠くなって行った。


「延べ棒持ってたよね〜、交換してくれへん? ええ薬、手に入ったんやけど」
 加藤の上目遣いの言葉に、遠坂は無言のまま多目的結晶にコマンドを送り込む。所有権を移動しただけ。びっくりしたように加藤がそろそろとデータを確認して。「うひゃっ」と多少下品に喜んだ後、
「あ、あーおおきにぃ……感謝するわー、ほんまぁっ!」
 いつもの調子でそう言ったと思ったら、何だか泣きそうな顔になった。
 100万、という金額が彼女にとってどんな意味があるのか、それは知っている。
 そのために使われるならいいだろう。
 口には出さずに、ちらりと廊下側の席に目をやる。本を読んでいる車椅子の後ろ姿に。

「ねねね、お腹すいてない?」
 新井木が必要以上ににこにこと笑顔で話しかけて来る。
「遅くまで大変だよねー。遠坂家の家督継いだってマジ? ゴシュジンサマなわけだぁ。何かあちこち国際交流の大使とか任命されてるんだってー? 家政婦こき使ってるんでしょ? 何でそれなのに戦場なんか来てんのー? もったいなーい!」
「何か、用ですか?」
「あー、えーとね……良かったらこれー、交換してくれると嬉しいなー、なんて……」
 出来立てらしいクッキーの香ばしい香りが辺りにふわっと広がった。
「かなり傑作なんだよぉ? 出来たら真っ先に遠坂くんにぃって実は思っててさぁ、へへっ僕もこういうこと出来るんだよっ?」
 ただ無言でデータを移動する。新井木の表情に一瞬嘲笑うような表情が現れて消える。
 最近パイロットになった彼女が、整備士の足りない士魂号を手っ取り早く使える状態にするために金策を考えていたのは知っていた。
 彼女とてサボるために使うわけではない。最近の戦局にそんな余裕など元からないのだ。

 小隊の中で、声をかけて来る輩はみんな「それ」だけだ。今のところ例外は1人だが、その例外とて、ただ言い出せなくておろおろしているだけと取れなくもない。
「----あ……、あの……」
 帰ろうとしていた遠坂に、そのひとりが、真っ赤な顔で話しかけて来た。
「い、今お帰りですか……?」
「ええ」
「あ……あの……あの……その……」
 もじもじと俯く青の髪。
「一緒に帰りますか?」
 いつまでももじもじされているのは却って疲れる。
 田辺は嬉しそうに頷いて、ほんの少し遠坂との距離を縮めた。その途端に、げぃん、という音とともに彼女の頭に片手鍋が降って来た。
「……は、初めてのパターンです…」
 田辺は物珍しそうに新品の鍋を拾い上げる。対処に困っていた遠坂に謝ると、ようやく二人で並んで歩き出す。
 鍋を持つブルーヘクサと遠坂家の----「名義上だけの」当主。実にバカらしい組み合わせの帰り道。
「----遠坂さんは、」何やら決死の覚悟といった風情で田辺が話し出す。「……は、花は、好きですか」
「ええ、好きですよ」
 ぱあっ、と嬉しそうに田辺の顔に笑みが広がる。その言葉の意味がつかめずにいる遠坂の目の前で、彼女は、ひらっ、と手を動かした。
 赤の花束。
「この間、気がついたんです。あの、特に何の気なしに……訓練してたら、出来ちゃって」
 ふふふ、と笑う。
「私、あの、お金ないですし……整備の他に出来ること何もないんですけど、その…」
 そろそろと遠坂の方にそれを差し出した。
「私も、誰かにプレゼント出来るんだなぁって……そう思ったら、嬉しくて」
 遠坂は身構えていた。
 いよいよ言われるのだと思ったから。いつも、「お金が欲しいなぁ」とぼんやり思っているこの少女も、と。
 だが彼女は何も言わないまま。遠坂がそれを受け取ったのを見て、顔を赤く染めて俯いた。
 それだけだった。
 (-----?)
 思わず怪訝そうになった遠坂が視界に入ると、田辺は慌てたようにごめんなさいを繰り返す。 「そ、そうですよね。戦争中に……花なんか。役にも立たないし……もらっても……困るだけ……ですよね…」
 (-----??)
 はあ、と本気で落ち込んでいる。またごめんなさいと謝って、それっきり黙ってしまう。
 (----この女……)
「ああ……すいません」
 笑って見せる。
「お礼を……言っていませんでしたね。ありがとうございます」
 綺麗な赤い花。何処から接続されて来たのだろう。その仕組すら知らないままに、彼女は花を見てただ微笑する。
 その「技術」こそが----幻獣をこの世界に呼び込ませている元凶であることを知らずに。
「は……はい!」
 愚かである方が幸せなこともある。何も知らないでいた方が。
 (バカな女だ)
 その愚かさの方が、今の遠坂には何故か救いに見えていた。
 何も考えないでいられる。何もかも忘れていられる。全てに血塗られてしまった自分の生き方も。----後はただ壊すだけに迫った遠坂というその名前さえも。


 目が覚めると----妙に頭が重かった。
 ぼんやりしたままベットから降りて、カレンダーに目をやる。日曜。
 憂鬱な一日になる予定の日曜だった。親善大使とやらに祭り上げられてスピーチをしなければならないのだ。
 少しの間、頭痛の芽のような重さを振り払おうとして挫折する。どうしようもない。ため息だけついて、のろのろとスーツを手にした、その時に。
 多目的結晶から直接響く、耳障りな合成音声。
 遠坂はスーツを捨てて制服を手にする。急いで着替えて、部屋を飛び出す。
「……お坊ちゃま、あの、どちらへ……」
「出撃命令です」
 逃げ出せるなら何でも良かった。慌てる家政婦はそれでも事情は理解している。周りがフォローしてくれることを願うしかない。いや、させるしかない。
 第一執事にスピーチ原稿の場所を伝えただけで家を出て走る。一路、学校へ。

 戦場の様子を補給車から見ていた整備班は愕然としていた。
 昨日までと、あまりに違う敵構成。こちらの戦区が動いたわけでもないのに、それまでいたはずのゴブリンやゴブリンリーダーといったS目標はもう何処にもいない。
 半数がスキュラ。残りの半数がミノタウロス。あとはゴルゴーンがわずかに見えるだけ。
「何が起きてるの……」茫然と呟いた二番機新井木は、早くも及び腰になっていた。「まだ機体完全じゃないのに……バズーカでだってスキュラ潰せるかどうかわかんないのにぃっ!」
「戦況報告、見ていないんですか」森がコンソールにデータを呼び出して見せる。遠坂も、遅くまでスピーチを推敲していたので一緒に覗き込む。二番機モニタに映像を送る。
「……政府はこの日を『絶望の日』と名づけることにした、なんて、悠長なこと言ってたわ。そう言って後世にこの日を記録するって……」
 熊本の地図は、一面真っ赤に染まっていた。今まではまだ中心部は少しは青が優勢だったのに、そこまでもが。
 絶望の日。
 声にならないどよめきが広がる。
「無理はするな----戦術を変えねばならんな」
 善行司令が関東に戻った後を継いだ若宮司令の声もいささか別の緊張を含んでいる。小刻みに震える滝川の肩を、同じスカウトの来須がそっと叩いている。一番機はいつものように毅然と二刀流の両手を強く握り直している。そして、冷静な複座の二人。
「スキュラを優先で潰す。全軍、撃墜数にこだわるな。頭を潰せ。そしてなるべく早く掃討戦に追い込む。いいな」
「イエッサ!」
 戦士たちの声は心をひとつにした。
 そして誰ともなく、歌が始まる。----振り向いた遠坂のその目の前で、掠れ声を振り絞るように歌い出したのは田代だった。
 ガンパレード・マーチ。
 ----どこかの誰かの未来のために。
「全軍突撃! よもや命を惜しいと思うな! どこかのだれかの笑顔のために戦って死ね!!」


Part III 〜 Blue Moon

「----もちろん、上級万翼長が『知るな』とおっしゃるなら、それ以上、自分には何も言えないと理解はしています」
 若宮の口調はあくまで静かだった。善行が小隊にいた頃と同じように慇懃で。
「ただ----自分の中で割り切れずにおります。どう解釈すれば良いのか。何故----我々が転戦した先だけに、狙ったように幻獣勢力が突出するのか」
「万翼長、辛い戦いをしている時にはそう感じることもある----というだけではないですか?」
 穏やかな口調とは裏腹に、目は厳しい。苦虫を噛み潰したように曇る。
 その厳しさこそが全ての答えだった。
 若宮がもっとも欲しかった答えであり、最も恐れていた答え。善行もそうだと考えているなら……恐らく間違いはない。
 一瞬だけ、若宮の顔が苦悶する。そんな形でこの部隊に死者を出したくはないのに。
「はい、自分はまだ、弱いだけかも知れません----司令としては」
「ひとつ言えることは、----部下の前で迷いを見せてはいけません。そして、決断は早い方がいい。押すにしても、引くにしても」
「はい」
「健闘を祈ります」
 全てを理解した上で、それをあえて封じ込める。
 途切れた通信機のモニタに映った顔から表情を消す。
 戦争ならまだいい。幻獣を狩るだけなら。
 同じ人間を、共に戦って来た仲間を手にかけなければならない日が来るとは。
 ----たとえそれが、幻獣共生派と呼ばれるものであろうとも。


 道化はただ踊らせておけば良い。
 芝村準竜師----勝吏から届いたメッセージはそれだけだった。舞は多目的結晶の赤をぼんやりと覗き込んだまましばらく動きを止めていた。
 この世界に竜を狩る者が現れる、その目標は300。
 この絶望的な戦況で、既に芝村として動き始めた速水、そして自分の撃墜数はそれを軽く乗り越えてしまった。
 それでも戦いは終わることない。竜という名の決戦存在が現れることもない。絢爛舞踏、その伝説の匂いに気づいて現れるはずの存在が。
 見えない。この戦争の終わりが。努力をすれば勝てると信じたその想いに反して、まるで人類勢力に見合わぬ増加を続ける幻獣勢力の前に、彼女の中ですら少しの疑念を呼び起こしていた。
 この幻獣の、あまりにアンバランスな増え方は、明らかに異常だ----と。
 そんな時に舞が見た光景。深夜の住宅街。
 黒い月の下僕たち。
 そしてその中にいた----『仲間』の姿。
 小隊室へ入る。普段の若宮からは考えられないほど不自然に無表情なまま座っている司令の姿を見つける。入口に立つ舞に気づくと、明らかに嫌悪の表情を浮かべて目をそらす。----判りやすくていい。
 陳情をしに来ただけだ。言う代わりに通信機を起動する。
 淡々と勝吏とのやり取りを終わらせる。士翼号、それとバズーカをいくつか。最後にレールガン。
「相変わらず無茶を言う。すぐには出来んぞ」
 無茶ではない。それを舞は知っている。恐らく後ろに見えた若宮に配慮したのだろう。
 通信を切って立ち上がる。その途端に、珍しく若宮が声をかけて来る。
「ひとつ聞いていいか」
「なんだ」
 腕を組んで若宮を見下ろす。
「回りくどいことは苦手だ。単刀直入に聞く。芝村は----何故、共生派を飼っている?」
「----------」
 それは私も聞きたい。舞の今の本音はそうだった。
 この状況で、何故放置する----ミノタウロスまでも平気で同調させられる幻獣使いを。いくらなんでも、熊本の半分の戦区の幻獣勢力が500、というのは、今の人類の手に負える数字ではない。
 もう絢爛舞踏は出た。舞台は終わっている。それでもなおこの絶望の日々を続ける価値などあるはずがない。
「この戦争に勝とうという意志のある間であれば、芝村とて利用させてもらおう。準竜師がこの小隊に目をかけて物資を都合してくれる分にはありがたい。だからこそ目を閉じて来た」
「----------」
「だが、今はそうは言っていられない。悪いが----自分は準竜師直属の小隊の司令であるより、ただこの戦争に立ち向かうひとりの軍人であるという意識の方がまだ強い」
「----------」
「これ以上整備士が減るのは困るが」
 消さざるを得ないだろう。
 皆まで言う前に若宮は目を細めて、無言で舞に問いただす。
 「彼」の存在価値を言えと。
 舞は数瞬だけ迷った後で口を開く。
「そなたの部隊だ。好きに動かすが良い」
「芝村」
「私はただの手足だ。芝村である以前に、ここにいる舞はただの学兵だ。委員長。手足に答えを求めるな。らしくもない」
「--------」
 言い捨てて抜け出す。そして、多目的結晶に残るメッセージをまた反芻する。
 道化はただ踊らせておけば良い----。
 何故。


 最近眠っても疲れが取れない。幸い「名義上の」家督としてなすべきことなど戦争の波に埋もれてしまっていて、ただの学兵としての立場を続けていられるのがまだ救いではあった。この上に社交界での付き合いまで笑顔でこなしている余裕なんて存在しない。
 どうせもう、裏でこの家はかの一族に握られている。せいぜいその財力を食い散らかす自由くらいしか自分に残されているものはない。
 朝。教室に向かっている途中で、多目的結晶に通信が入る。シフト変更。何かの間違いか、と不審に思いながら小隊長室に向かう。
「朝早くから済まない」
 司令の顔の若宮がそう言った後、遠坂に二番機パイロットへの転属を宣告した。つい先日戦死した新井木の後を継いで。
 一瞬茫然として、それから眉をひそめる。
 ただ是とも否とも言えず、一礼して部屋を出る。それが戦場だから。
 誰の陰謀なのだろう。自然に険しい顔をしていたらしい。瀬戸口ののんびりした声でふと我に返る。
「よぉ色男くん、せっかくの美少年が台無しだな」
「……は?」
「お嬢さんを悲しませるなよ。嘘でも言っときな、『君を守るために戦う』とかなんとか、さ」
「……はあ」
 辞令は確定すれば小隊中に通告される。呑気な傍観者はそのまま、愛を振りまきに行くか、などと言いながら遠坂と共に教室へ向かう。
 目前で険しさを見ていた瀬戸口以外の人間は、遠坂が自主的に異動を願い出たと思っているのだろう。畏敬の念や驚きの表情が遠巻きに自分を囲んでいるのを意識する。
 1組の教室で、新井木が使っていた前列の机に座る。少し痛い視線を感じて振り向いたそこにいたのは、芝村舞。
 責めるようなその意味は、遠坂にはわからない。
 今まで話したことすらないのに。

 昼休み。遠坂は一組に自分の居場所は探せない。教室を出て、ぼんやりと時間を潰す方法を探す。廊下に出ていたブルーヘクサが、顔を一瞬で染め上げて駆け寄って来た。途中で何処からともなく転がって来る空缶に足を取られたりするのは、いつものこと。
「あ……あああああのっ」
「どうしました?」
「お昼ご飯、一緒に……どうですか?」
 異存はない。頷こうとしたその時に、後ろから尊大な足音が二人の間に割り込んだ。
「待て。話がある」
 芝村。田辺の意外そうな顔。もちろん遠坂自身も。準竜師本人ならともかく、彼女から何かを言われる筋合いなどないはずだが。
「芝村さんも一緒にどうですか?」
 田辺は屈託なくそう声をかける。一瞥した芝村は「私は遠坂に話があるのだ。断る」と言って遠坂の方に向き直る。
「会議室が良かろう」
「……何なんですか」
 一緒にお昼をという雰囲気ではない。
「話はそこでだ」
 勝手に歩き出す。
「----芝村さん?」
「とっとと来い。15分で終わる」
 逆らうと後が恐ろしいような気がする。それは田辺も感じたのか、「あの、私……食堂で待ってます」と言葉を残して足早にその場を後にする。

「昨夜は何処にいた。3時か……4時だ」
 壁に背を預けて腕を組んだ芝村の言葉に、遠坂は怪訝に思いながらも家にいたと答える。
「何をしていた」
「休んでしました」
「寝ていた、ということか」
「ええ」
「ふむ」
 まるで嘘を見抜こうとしているかのように睨みつける----そして。
「私は、そなたを見た」
「……え?」
「実際、この異様な幻獣勢力の増加とあまりに状況が一致し過ぎている。そうだと判断せざるをえないだろう。一般の軍人の感性なら、妥当な判断だ。」
 口の中が奇妙に乾き始める。何の話をしている?
「目立つことはせぬ方が良い。まだ5121小隊だから隠蔽工作に動けないこともないが」
「……何の話ですか」
「そなたとて死にたくはないだろう。ずっと前線に出ないつもりでいたのだろうがな。今の司令は、そうは動かぬ。もう知っているだろうが」
 滑らかに動く彼女の言葉を聞きながら、その前提ですら彼には覚えがない。芝村が、遠坂を見たというその言葉自体。
「私を見たというのは……何処での話ですか」
 芝村の片眉が跳ね上がった。
「私は芝村だ。隠さずとも知ってはいる。ただ、いささか度を超えてるのではないかと言っているだけだ」
 そこで少しだけ確信する。幻獣を操って父を殺したこと。幻獣派の最先鋒の何人かを殺したこと。思いつく限りの自分の所作を並べてみても、『昨夜』に当てはまるものは何もない。
 ----まさか。
 無意識のうちに?
 ……そんなことが。
 キンっ、と鈍い痛みのようにメッセージが届く。多目的結晶に。出撃命令。201v2。
「v2……?」
 芝村がまた咎めるように遠坂を見る。
 何もしていない。そう言うつもりでいても、声にならない。
 v2はv1より実体化が早い。それは、自然に敵が現れたのとは明らかに違う作為が入り込んだ結果、とされている。
 一般の兵士はそんなことを知りはせずただ焦るだけだが、芝村はそこに意味を感じることが出来る。
 だからこそ。
「どういうつもりだ!!」
 吐き捨てて走り出す。
 違う。自分じゃない。遠坂が今弁解しようとしてもそれが受け入れられる時間などあるはずがない。ましてや今は自分も前線に出なければならない身だ。
 だが走り出した先で、遠坂は補給車に回るよう原から指示を受ける。新井木が壊した機体はまだ出撃可能な状態にまで至っていないと。
 パイロットたちがウォードレスの着用に入る。整備士たちは物資をチェックし始める。宙に浮いたような遠坂は、多目的結晶に奇妙な違和感を感じて目を閉じる。そして----
 彼女が正しいことを知る。
 緩やかに戦場へと放出されて行くその静かなエネルギーは、確かに彼が源だった。
 ただそれはあまりに静かで。あまりにも彼自身の日常に近すぎて。それが幻獣という形を取ることですら、考えたこともなかったほど穏やかな絶望。
 遠坂がゆっくりと目を開いた前で、司令は静かに立ったまま、全てを理解、否、誤解したまま冷たい視線を向けている。
「----戦死なら」
 低い声で。
「まだ『名誉』だ」
「…………」
 暗に言われている。自ら死を選べと。「幻獣派」であることを理由に手を下したくはないと。
 身を翻してそこを離れる。急ピッチで進む士魂号のロールアウトに参加する。田辺が何かを言おうとして、言えないまま離れて複座を手伝う。遠坂は原の指示で、元の職場----一番機へ向かう。

 どうすればいい。それを止める術を知らない遠坂の心はただ焦る一方だ。
 少しずつ少しずつ。積み重なったそれは、前日までにようやく400を切っていたはずの人吉戦区の幻獣勢力を緩やかに目覚めさせて行く。
「何が起きているの----」
 そう言ったきり唇を引き結んだ原の手元のコンソールが緊急事態を告げている。辿り着いてなお増殖する幻獣群。一部の実体化はv4。
「v4だなんて----阿蘇特別戦区以外で起こるはずがないのに」
 目の前に広がる赤の海。瀬戸口の声も普段のお気楽ぶりとは別人のように。
「現在は45体だ。恐らくまだ増える」
 ----声にならない。
「v4で13こなの。20分したら来るよ」
「……だそうだ。戦力値の予想は520から530」
 友軍支援はあてに出来ない。一小隊が、相手に出来るレベルではない。
 整備班は誰もがそう思っていた。ましてや今は二番機不在なのに。
 ----それでも、指揮車から流れて来た声は。
「壬生屋機。盾になって引きつけろ。速水機はミサイルよりまず精霊手だ、ある程度戦力を削ってから攻勢に出る。スカウトたちは援護を」
「はい」
 壬生屋機が走り出す。整備士たちの動きが一斉に止まる。
「冗っ談でしょ……」
 原の掠れ声が、全てを代弁する。

 撃墜し、撃墜されるたびに、瀬戸口の声の中には司令を責めるような棘が混じり始める。準竜師からの通信が入り、友軍たちが撤退を始めてもなお、若宮は引こうとはしなかった。そして壬生屋・速水両機もまた。
 重装甲の壬生屋機は、被弾を繰り返しながらスキュラへの白兵戦を挑み続ける。速水機のスモークに守られながら。そして三番機は青の光をまとい、弧を描いて立ちのぼるリューンでスキュラたちを無に返す。
 煙幕が切れた隙間を狙うように放たれたレーザーが壬生屋機に止めを刺した。脱出する余裕すら与えられないまま、落ち着き払った壬生屋の声が全員に届いて、そしてオペレータが彼女の戦死を告げる。
 速水機が跳ぶ。崩れた一番機をなお粉砕しようとしているスキュラを太刀で崩す。そして再び青がその腕の模様を浮かび上がらせる。
「計算上はこれで行けるな」
 ひどく冷静な芝村の声。美しいとすら見える光を残してスキュラが消えたところで、ようやく幻獣軍の戦力は80%を切っていた。
「上等だ。掃討戦に入る」
 若宮司令の声と同時に速水機は突出して、ミサイルランチャーが開かれる。次々に方向転換と非実体化を始める幻獣たちに追いすがるように、白の小弾が突き刺さって行く。全てが背後を取ることに成功して有効打は14。瀬戸口とののみの報告は途切れることなく続く。
 わずかに生き長らえた幻獣たちに最期を突きつけたのは太刀の返し。そして。
 戦場は、終わった。
 速水機はミサイルの硝煙と土煙から悠然と姿を現す。白い血がだらだらと「彼」の足を濡らしている。
「無事か」
 司令の声に、
「問題ありません」
 落ち着き払っている速水が答える。
「かなり取り逃がしたが……あの状態からここまで来れば上等だ。恐らく戦局は動く」
「そう願いたいな」
 芝村の声とともに複座型が動き出す。
「芝村にしては悲観的だね」
 少し冗談めかしたように明るく言う速水の声に、----彼女の答えはなかった。


 そっと離れて行く指先と涙。その少女は何も知らない。
 瀬戸口の言うように、ただ嘘でも君を守るとそう言えばことは収まる。どうしてと問われて、本当のことをそのまま言うことなど遠坂には出来ない。
 彼女はあまりに何も知らなすぎるから。
 彼女はあまりに周りを見ていないから。
 ただシンプルな理論で笑顔と紅潮とそして涙を見せてくれるから。
 バカなだけでいい。愚かなだけでいい。その方が幸せでいられる。----少なくとも、この戦場では。

 同じ戦区でしばらく叩き続けた結果なのか、二番機が復活したすぐ後の戦場は、あの時の----壬生屋を失った時の戦いに比べればまだ立ち向かえると思えるレベルだった。
 軽装甲では不安がある。だが作戦会議で改装を提案している余裕もなかった。
 バズーカの在庫は切れている。遠坂は92mmmライフルとその予備弾倉をありったけ装備して戦場に出た。
 すぐ隣で、もうすぐ撃墜数が400に届く絢爛舞踏が待機している。今や戦いの中心は彼で、遠坂に出来ることはその支援だ。
「両機二時方向へ。分散させるよりある程度密集させて、速水機のミサイルランチャーで一気に削り取る」
「了解」
 速水の動きは早い。遠坂は慣れないコックピットに戸惑いながらそろそろと動かし始める。
 複座型が動きながらアサルトを抱えて空へ。軽い衝撃音と共に白の煙幕が広がって行く。
 司令からの指示で二番機の移動目標ポイントが送られて来る。スキュラのすぐ横。スモークの間なら問題はない。向こうの射程内に踏み込むことになるが----スモークの間に連射すれば行けるか。
 機体に指示を与えてそして縦Gに備える。跳躍。地を捉えてすぐにライフルを向ける。迷わず連射セット。2発で落ちたのは距離が近かったことも幸いしたのだろう。
 立て続けに、動きながら連射シーケンスを組んで行く。司令からの指示は速水機ミサイルの布石としての集中化に向けて前線へ。
 にじり寄る幻獣たちの動きを読んだ速水が芝村にロックオンを指示する声。足が止まり複座型が身をかがめる。二番機は半ば囮になるように、その一発を決定打にするべく動こうとする。
 綺麗に弧を描いて舞うように散らばるミサイル。撃破9、巻き込まれたスキュラは潰し切れていない。
「あとは任せて」
 速水は跳んだ。手の中にいるのは太刀。
 遠坂は離脱する。すぐ横の地面で熱が上がる。その発生源に銃口を向ける。まだ無傷のスキュラ。連射シーケンスを組み込んだその直後に。
 オペレータより先に感知した。すぐ左。絶叫に近いののみの声は今更役には立たない。
 そうか、そんな風に死ぬのか。まるでひとごとのように呟いた途端に鈍い衝撃が走る。
 通信機の向こうで少女の声がする。何も知らないまま彼を見上げていたブルーヘクサ。
 脱出してすぐにそれを見上げた。
 グロテスクなその姿こそ、今まで自分がして来たことの体現だと思えて来る。それが正しいと信じたわけではなく、ただ保身のために共生派になっただけの自分の醜い心の象徴。
「君が殺すべき『人間』はここだ」
 手を広げる。片手に閃いたカトラスを向けて。
 ミノタウロスはまた戸惑うようにその赤で、目の前にいる遠坂を撫でるように見下ろしている。
 通信機からではない、生の音で響いて来る悲鳴。誰の声なのかは判っていた。でももういい。彼女が涙を流す日々もこれで終わらせることが出来るのだ。
 この日は再び記録に残る。絶望の終焉の日。人類がまた新しい未来に踏み出した輝きの日として。
 遠坂のカトラスが腹部の節を抉るように突き刺した。それに呼応するように、『彼』の赤は光を増し、----その太い腕を振り上げた。


epilogue 〜 ブルーヘクサ

 ノイズだらけのTV中継が、ぽややんとした速水の笑顔を映し出している。世界で5人目の絢爛舞踏、累積撃墜数は417。自然休戦期直前に、真っ赤だった熊本県下の戦局を青に引き戻した英雄。
 学生としての、普段の速水くんはどうなんですか? などと、貼りついたような笑顔でインタビューされて、田辺はただ見たままを答える。料理が好きで。家庭的で。友達思いの優しい人です。
 戦局が平和ムードに入って、テレビ局もそんな取材に予算を割く余裕が出て来たのか、さして珍しいはずもない5121小隊のプレハブ小屋のあちこちを映してて回っている。ハンガーに入ろうとして原に怒られたりしながら。
 田辺は、ちらりとハンガーを覗いて、二番機の性能値を確認する。充分過ぎる完調。このところ出撃もないから当然か。
 夕日の中を走る。舞に頼み込んで譲ってもらったネットワークセルを現金に換えて、電車に飛び乗る。

 第6世代記念病院。ナースステーションに声をかけようとして、もう顔馴染みになってしまった看護婦に頷かれる。ぺこんと田辺も一礼。途端に今度は金だらい。
「……いいわよ、片づけとくから」
 それも日常。
「それより早く行ってあげて」
「……はい?」
「昨夜、気がついたのよ。先生は奇跡だって言ってたわ……あなたの思いが通じたのね。今はまだ眠っているけど、もう大丈夫よ」
 目を見開いて、輝かせて、そして小走りに向かう病室。
 (----遠坂さん!)
 田辺は、へたり込むようにパイプ椅子に腰を下ろす。
 戦場で自分がしたことはまるで記憶にない。彼はどう見ても生きているように見えなかったのに、田辺が駆け寄ったその時に、周りが言うには----青い光が彼女の体から湧き出すように彼を包み込んだ。そして、戦死を宣告しかけたオペレータが再度ウォードレスからの生体反応をチェックして、それを撤回する、という珍しい事態になっていた----らしい。
 田辺本人はそのまま気絶していたせいで、何が起こったのかを知ったのは翌日だった。
 それはとても奇妙な変化。遠坂は辛くも一命を取りとめて、そしてあちこちで理由の説明出来ない幻獣の非実体化が起こり、圧倒的劣勢状態で組織的抵抗を諦めることまで検討していた政府が一転、非常事態宣言を一時凍結することになったのだ。
 その劇的な変化の当日、出撃していたのは5121小隊だけだった。絢爛舞踏がいる部隊----騒がれるには充分過ぎる材料が揃っていた。
 その陰で眠り続けていたパイロットのことなど、誰も振り向きはしなかった。今やただ、芝村の裏資金源のひとつ、などと嘲笑さえ受けている遠坂家の最後の末裔。
 (----もうこんなのはいや……)
 田辺はそっとその手を握る。流れて行く涙を止められず俯いてただ繰り返す。
 自分を思ってくれる人が、こんな目に遭うのはもう嫌なのに。いつもいつも。自分を助けてくれる人は、自分を守ると言ってくれた人は、絶対、必ず、不幸になる。
 自分のせいで。自分のせいで。
 かたんと小さな音がして、田辺は涙を溜めたまま振り返る。そこには、舞がいつものように多少尊大な態度で仁王立ちしていた。
「そなたが泣いてもどうにもならんだろう」
 つかつかと病室に入って来る。「ふむ」と何かを考え込むように遠坂を覗き込む。
「田辺」
「は、はい」
 真剣な顔が突然田辺を振り向いた。真っ直ぐな瞳。
「そなたは、自分で思うより恐らく強いのであろうな。あのような奇跡を引き起こすぐらいだ」
「…………」
 本人は、何もしたつもりがないので、反応に困って少しだけ首を傾げた。
「そなたは戦えるか。この男のために」
「……はい?」
 突拍子のない物言いに田辺は更に首を傾げる。
「何も銃を取れと言っているのではない。そなたなりに出来ることはあるだろう。発言力を溜めて上にものを言う力を持つとか」
「……なんの話ですか」
 本当に理解出来ないのだ。
 舞はまたちらりと遠坂を見て。
「これから、一波乱あるやも知れぬ」
「………えっ」
「聞いているであろう。奴の『思想』を」
 どきりとする。その言葉だけで、それまでの奇妙な彼女の態度にかかった霧が全部晴れて行く。
 幻獣共生派。その危険思想について彼が話すのを聞いたことがある。
「今回の一連の戦況変化に、共生派の関わりを疑う者たちがいる。だから、いずれ遠坂に調査の手が伸びることがあるやも知れぬ。私も出来うる限り岸辺で食い止めはするがな。動かれるとフォローし切れない」
 しばらく田辺をじっと見つめる。そこまでは判った、と言う代わりに頷く。
「そなたがこやつを『監視』すれば良かろう」
「……『監視』?」
「そうだ。私がそれを言うなと言っても効かんだろうが……そなたなら効くであろう。まあ親しくもない者にぺらぺら喋るような男ではないだろうが、親しいふりをして近づく敵もいないとも限らない」
「……はあ」
 話が大仰ではあるが、言うことは理解出来る。田辺は何だか髪の毛が変な方向に引っ張られるような違和感を感じながら答える。
「要するに……喋らないで下さいって言えばいいんですよ……ね……?」
 うむ、と笑顔が頷く。「これから奴に近づこうとする者は全て疑わねばなるまい。いいな?」
 頷いた田辺に安心したようにポニーティルを揺らして舞が出て行く。
 そのドアの音で。
「----起こして……しまいました?」
 まぶしそうに目を開ける遠坂に声をかける。驚いたように見上げる。
「ごめんなさい……でも……でも気がついて良かった……」
 舞に止められた涙がまたぶり返す。曇って行く目の前の光景から、すっと手が伸びて来た。
「----何故……泣いているんです」
「……私のせいです……私、すごく運が悪いから……。いつも……私のそばにいる人は……みんな不幸になる----」
 あたたかな手が田辺の腕をそっと掴む。その手の甲を、田辺は思わず握り返した。
「そばになんていてくれなくてもいいのに……。私のそばにいるより、そばにいなくてもその人が幸せであればって、いつも思うのに……。なのに……、なのに……っ」
 布ずれの音がしている。田辺の手の下にあった手が動いて。そして。
 すっ、と眼鏡が外された。
「----えっ」
 少し熱を帯びた指先が、田辺の頬に流れた涙をそっと拭っていた。
「……僕なんかのために、あなたの『幸運』を使わせてしまうことになるなんて……最低だ」
 気づけば半身起き上がっていた。悲しげな顔が田辺をじっと見ていた。
「『幸運』なんて、ありません----」
「いえ、少なくとも僕には----」
 ぼやけた視界の中で、何が起きているのか理解出来ないまま、田辺は遠坂の腕の中にいた。
「----!!」
 言葉にならず、全身真っ赤に染まる田辺の耳元で、わずかに聞こえて来たその息は泣いていた。
「何故、僕なんです?」
「遠坂……さん??」
「----最低だ……生きるべきは、僕じゃない……のに……」
 自分を責めるように。うわごとのように。繰り返してただ、涙を流す。
 田辺はそれを受け止めることしか出来ない。
 そっと手を回して。
 彼が自分から離れて行くまで、田辺はただそうしていた。


 幻獣勢力が支配していたその場所は、植物の育つ速度がかなり速い。1日経った、それだけなのに、もう田辺の背を追い越した、1本の真っ直ぐな花。
 大きなひまわり。
 まだ夏には早いその柔らかい陽射しの中で、歌うかのように揺れて。
 周りを埋め尽くすようにさわさわと生える草の名前はいちいち数えていられない。
 腰の辺りまで草いきれに埋もれて、ようやく田辺は歩き出す。
 さわさわ。
 さわさわ。
 背の高い草をかき分けて、緑の中を泳ぐように。
 一際強い風が吹く。ぎゅっと目を閉じてやり過ごし、不自然なほどぴたっと止んだ風に驚いて目をまた開く。
 その空間だけぽっかりと空いている。駆け寄って田辺が膝まずく。
 彼が倒れて、そして生還したその場所は、何故か数個の赤の花が身を寄せ合うように咲いている。
 あの時田辺がプレゼントした、あの色で。
 遠くから聞こえるブルトーザーの音。田辺は草の間からそっとうかがう。
 元々住宅街だったこの辺りは、再び人が住むための場所へと変わろうとしていた。
 あまりに唐突に訪れた平和は、人々に復興への意志を呼び起こした。
 自然休戦期が明ければ、また激烈な戦いが始まるかも知れないと思っていても。
 ----その花は狩られる花。田辺はそっと手に取って、首を傾げて話しかける。
「今町公園にお引越ししましょう。あそこなら、私もお水あげたり出来るし」
 この色は、特別だから。初めて、自分が誰かにブレゼントした色だから。

 手を泥だらけにして植え替えを完了する。その後ろから感じるあたたかい視線。
「花、ですか?」
「はい」
 笑顔で見上げると、遠坂の視点が隣に降りて来た。とても近い距離。まだ慣れない。
「遠坂さん、最近----、言わなくなりましたね」
「? ----ああ、」
 何処か冷めたような目をしていた。あの時はいつもいつも。でも今は違う。不思議な優しささえ漂う瞳。
「『青』になったのでしょうね、僕は、恐らく」
 真っ直ぐに田辺を見ている。『青』----芝村の一族の別名。遠坂が戸籍上の名だけを残してその身を託した一族の名。
 首を傾げた田辺の、青の髪に手が触れる。
「『青』でいることは、さほど悪いことじゃありません。そう思えるようになったせいでしょう」
「じゃあ----」
「赤は花の色です。少なくとも、今の僕には」
「……はい」
 田辺は笑顔をただ向ける。微風に揺れる花が彼女の手をくすぐる。
「手、洗って来ます」
 田辺がその距離の恥ずかしさに耐えられなくなり立ち上がろうとする。その途端に、きらん、と何かが空にきらめいた。
 風を切って落下するやかんが目に入る。いつものこと。田辺は目を閉じた----その時に。
 ばしっと小気味いい音がして。
「……ようやく、約束を果たせましたか」
「……はい?」
 転がるやかんを目で追って、それから田辺は遠坂を見上げる。
「あなたを守ることが出来ました。----初めて」
 冗談めかしたように彼は笑った。
 楽しそうに。----本当に楽しそうに。

=== END === / 2001.02.19 / textnerd / Thanks for All Readers!

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