「----茜。君は……、何年かかっても、この国を、ま……」
「黙れ! それ以上何も……」
「----この戦争を……終わ……」
最後まであの笑顔。
その男は。
最期まで----。
「速水ィっ……!!」
誰かのために涙を流す日が来るなんて、考えたことがなかった----あの日までは。
速水はウォードレス状態になってから、果敢に前に出ようとした芝村----あの田舎娘より先に出た。自分が盾になって笑いながら、君は生き残るべきだ、と芝村に向かって言ったのを通信機越しに聞いていた。
芝村は、それでも戦いはした。したが、泣き叫ぶばかりで平静さを明らかに失っていた。
速水は、死ぬ気でいた。それが彼女にも判ったのだろう。
----あんな田舎娘のために。
詰め所で林総司令の演説を聞きながら、自分の心の中に浮かぶ表現しようのない苛つきをどうすべきか迷っている。
何が戦いだ、何が芝村だ。
母親を殺された恨みもある。でももう今はそれ以上に強力な私怨がここに生まれている。
人の命は戻らない。国土を取り返すチャンスなら作る希望はあるとしても、人の命は失っても取り戻すチャンスなんて絶対にありえないのに。
「僕なら、こうはやらないっ……」
誰に言うともなく呟く。
「僕なら……」
かたん、とわずかな物音に顔を上げる。
芝村が詰め所の入口に立っていた。
「………………」
茜の顔を確認するなり、みるみるその顔が真っ赤に染まって行く。
?
意味が判らずきょとんとしている茜に、芝村はそろそろと近づいた。
「----速水の、遺品を整理していた」
いつもの彼女らしからぬ小声だった。
「その……これは、そなたの……あれか?」
手の中にずっと握り締めていたらしい、ぐちゃぐちゃの封筒。茜は思わず声を上げそうになって口をキツく結び直した。
速水に託した、芝村への手紙。
複雑そうな顔で、とりあえず承知はしたものの、ヤツは結局渡せないでいたらしいのは知っていた。
途中から、小隊内に続出する戦死者と状況悪化で仕事が忙しくなり、正直、しばらくそれどころではなくなっていたのも事実だ。
要するに、茜自身もすっかり忘れていたのであるが。
しかし、芝村からするとそうではない。思った通り彼女はそういうことに慣れてはいない。ただ少し震えながら、真っ赤になって、困ったように目を泳がせては、茜の方をちらちら見ている。
面白い、と思った。
彼女の財力。彼女の発言力。そしてもちろん、芝村であるということ。
戦うために使うことも出来れば、戦わないために使うことだって出来ないとは言えない。
彼女で部隊を動かしてみるのはどうだ?
もうこれ以上の死者を出さないために。
僕ならこうはしない。そう思った。
奴を----芝村勝吏を殺してやりたいのはまだ同じだ。だが、その前に自分のやりたいように奴を『使い倒す』ことが出来るのではないか。この女を使えば。
茜は唇の端に、-----見た目だけは、充分に甘ったるい笑顔を浮かべて芝村を見つめる。
「----なっ……」
ますます真っ赤になって硬直する芝村の腕を取る。
「なななななっ、な、なぬを……いや何をす……」
動かないのをいいことに。
「……っ……!?」
そっと、本当にかすめる程度のキスでも。
彼女には、気絶級の衝撃であったようだった。
茜が二番機に乗ることになった途端、立て続けに新型が小隊に届くようになった。
士翼号の予備が四機も並んだハンガーは壮観だった。5121小隊の人員は半減していたが、この圧倒的な戦力増強は、戦わずして幻獣勢力を萎えさせるのに充分過ぎる威力を持ち合わせていた。
「----私が今まで苦労して予備機頼んでいたのは何だったの……」
二番機に乗って死んだ加藤の後釜として事務官と、人が足りないので三番機整備士と整備主任をも兼任していた森が、茜の隣で憮然として呟く。
「……大介」
「あ」
「あんた、芝村たぶらかしたってホント?」
ぷっ、と吹き出した後で声を抑えて笑う茜を見て、森は、はあ、とため息をついた。
「----よくやるわ……」
「まあ、今はいいだろ。利用するだけするさ。どうせ、その程度だ」
腕を組んで義姉を見上げる。
「----そうね。正直、無駄な戦いをしなくて済むのはいいことね。整備も、専念出来るし……でも、女なんて嫌い、じゃなかったの?」
「ヤツが男でも同じだ。使えるから使った。それだけだ」
呆れる森の視線に見送られて、茜はハンガーの二階へと行く。
複座型の調整に没頭している芝村の後ろ姿。まだ相方が決まらないのでこの所は複座型は出撃していない。
戦車技能を持つ人間は多いが、誰も彼もまだ訓練不足だ。
環境が悪くてそれどころではないせいでもあるが。石津が何故かスカウトに立って戦死してしまってからは衛生官も空席で、委員長が個人的に頼んで色んな人が入れ替わり立ち代わり仕事を兼任しているような状態だから。
茜も、新型機と交換された二番機の調整をしようとする。
「待て、話がある」
凛とした声が呼び止める。腕を組んだ、いつもと同じ尊大な態度。
「何?」
「----その……」
少し微笑みかけたぐらいで、その態度がぐにゃりと音を立てるかのごとく崩れる。
「……なんだ、頼みが……ある」
もじもじと俯く。
「どうしたの?」
近づいて、わざと下から覗き込むようにしてみる。ぱあっ、と目許から真っ赤になって行く。
「そ、そんな近くで見るなッ」
「………」
かと言って離れればそれはそれで、
「たっ、たわけっ。行くなっ」
慌てて腕を掴む。---そして。
「そなた----」
「ん?」
「----複座に、乗る気はないか」
「君と?」
こくん、と頷く。
「……その、まあ、我らはあまり周りからは良く思われてはおらぬし、だから少しでもその……我らに敵意の少ない者が、相方である方が、色々と、よい」
茜の方は見ないまま、目を潤ませて小声でそう言うと、目をきゅっと一度、閉じる。次に開いた時は、恐れるようにそろそろと茜の方をうかがっている。
「…………」
ふと、複雑な気分になる。
自分を法と言い切って憚らない芝村。自分達のやりたいことのためには世界を敵に回すことも厭わない芝村。戦う舞は、その一族の生き方そのものを体言しているのに、この態度は何なんだ。
茜の真意を見ようともせずに、ただ信じているのか。この女は。
狡猾で抜け目なく、裏の裏まで全てをコントロールしている、そんな存在ではなかったのか? 芝村は。
「----あ、茜……?」
「……わかったよ」
何故だかわからない。
不意に沸き上がったその不安定な鼓動を自分でも持て余し始めている。
(----こんなはずじゃ……。)
嬉しそうに微笑む芝村の笑顔に嘘はない。それは、悲しみ・絶望を捨てた不必要なほどの強さを持ついつもの不敵なそれとは違い、ただひとりの少女が自分に笑いかけている、その笑顔だった。
速水が守ろうとしたのは、この笑顔----だったのか。
「……そ、そうか、よ、良かった」
「……何だか、芝村らしくないな」
まるで、ただの女じゃないか。
----バカなだけの。
舞の手が強くなる。
「わっ……我らは、戦うことに関しては、その、あれだが……、こ、こういうことに関しては、ただの----ただの人間だッ。芝村も何もなかろう。私は----それに、慣れて……慣れて、な……」
茜が、つかまれたままの左手を引くと、バランスを失ったように舞は少しよろめいた。息のかかる距離。言葉を止めて、その数瞬後に彼女は目を閉じる。
鼓動が聞こえるキス。ゆっくりと。
少しぐらいは心を許してもいいか、と思えた。
彼女が嘘をついていない、その間だけ----それだけは。
----ただの人間、として。
バズーカを両手に。脚に太刀とGアサルト。
担当者のいない一番機・二番機は不在。
茜が舞に頼み込んで、少しでもスカウト達の生存率を増やすべくレールガンを入手していた。そこに乗るのは来須と瀬戸口。
本音を言えば、出て来なくてもいいと思った。
人の命は戻らない。戦争はただ兵を部品みたいに使い捨てるための場所であるとしても、今の茜はそれが嫌なのだ。
ずっと見ていた。速水の動きを。ただの整備士だが、補給車で待機しながらずっと見て来た。
ゆっくりと目を開く。敵の数は21。
「てき、ぞーえん、せっきんちゅー……」
無線機から聞こえる舌たらずなたった1人のオペレータ。
「だいちゃん、気をつけてなの」
「ハッチダウン----GO!」
義姉の声で送り出される。半ば白濁して行く意識が見つめる戦いという名の長い夢の始まり。
パイロットはただ判断するだけ。接続された士魂号は、取るべき行動を読み取ってバズーカを向ける。スキュラに。
一撃。その場に投げ捨ててもう片方も射撃準備に入る。
突出した複座型に近寄って来るきたかぜゾンビたち。士魂号はほんの少し滑るようにその射界を外して次のスキュラを撃ち落とす。
ここからが複座たる所以。バズーカを捨て、両足の武器を手に、煙幕弾を打ち上げて走り出す。
「ぞーえん、きますっ!」
構うか。
レールガンが残るスキュラへの援護射撃を続けている中を縫うように跳ぶ。整備不足の機体は回避率も悪く、既に被弾を繰り返している。一枚の装甲がなければもう動いてはいないだろう。
間に合え、間に合え、間に合ってくれ。ただ祈るように狙いを定めてミサイルを放出しようとする。その目前に、最悪のタイミングで実体化する幻獣の姿。
----ちくしょうっ
回避。新たに現れた敵に対してはミサイルの照準はまるで間に合っていない。一度撤退して体制を、と思っていても、ミサイル直後の無防備な状態に横から突き刺さったミノタウロスの近接攻撃を避けることは出来なかった。
鈍い痛みが茜の意識の中に滑り込む。士魂号の動きが重い。もう『彼』は動ける状態ではないのか。
「茜!! ----脱出するっ!!」
芝村の声に意識を引き戻す。接続断----コックピットから飛び出した舞は後退した後、耳障りな呼吸を少しの間繰り返す。その後、深呼吸。
パイロットを失った士魂号は、ただでくの坊のように突っ立ったまま近辺の小物たちに向けてアサルトを全力射撃している。そして弾が尽きると、最期の太刀を振り上げて、撃破される直前に近づいたスキュラを一刀して、そして崩れた。
残る幻獣はまだ軽く20はいる。
サブマシンガンとカトラスの久遠が戦場に立つ。
茜は自分の足が異様に重いのに気づいて舌打ちする。最悪だった。痛みは感じていないが多分それは薬のせい。頭がぼおっとする。引きずるように撤退ラインに向けて動き出す。
「……っくしょおっ!!」
歯の間から洩れる呟きに応えるように、ふふっ、と笑い声が聞こえた。
「そなたは、死ぬなよ、茜」
「----えっ」
久遠が、茜の背後を守るように動く。
「芝村」
「あの時----速水と同じ失敗はもうしない」
「芝村っ」
「戻れ」
恐らくあの笑顔だ。完全に茜を信じてただ笑うひとりの少女。
「言ったはずだ。私は、必要とあらば----、そなたのためなら、世界を敵に回して戦える女だ。それに----」
また笑って。
「こうも言ったはずだぞ。舞と呼ぶがいい、と」
機動力のない、攻撃力もない、装甲なんてほとんどなく、肩につけられたシールドだけが唯一の守り。舞はサブマシンガンを連射しながら、ただじりじりと下がる茜の盾になる。
動かない足。ぎりぎりと奥歯を鳴らしながらただ逃げるしかない。
好きとか嫌いを超えて、ただ誰かの足手まといになるなんて嫌だった。それだけだ。撤退すれば被害は最小限だ。何も考えずにひたすら動こうとする。----動こうとはしている。
通信機が耳障りな音を立てる。来須が降車したと。驚いた茜が、さっきまでレールガンのいた場所を振り向こうとした時、空から武尊が降りて来る。
無言で、茜を抱えて再び跳躍する。リテルゴルロケット。まだあったのか。
「----感謝する」
芝村の声。来須は無言でレールガンのガンナー席に茜を乗せる。
「……行け」
「ああ」
短い会話と共に、可憐の瀬戸口が操るレールガンが撤退を開始する。再び跳ぶ来須は、その強力なキックでスキュラを一撃のもとに沈めて芝村の元へ。彼女の周りに集まり始めていたミノタウロスを中心にキックだけで戦いを続けている。
芝村と二人。撤退しようとはしない。
この戦場を、二人だけで潰すつもりか。
芝村が小さいのを中心にすり足を続けながらサブマシンガンで。来須はロケットジャンプを駆使して空中のスキュラと、そして芝村に近づき過ぎたミノタウロスを。
撤退ラインに辿り着いたレールガンから降りた瀬戸口は、整備主任----森に向けてシールドはまだあるかと尋ねている。目を見開く森。「ありますけど----でも武器はないです、カトラスも----」
「充分だよ」
瀬戸口はシールドをつけただけで、素手で戦場に帰った。森が止めるのも聞かずに。
そして残された茜は----。
整備士たちとともに、その壮絶な戦場をののみの声でだけ聞いていた。
ノイズの中で瀬戸口が死んだ。
次々と撃破して行く来須の戦果の隙間に、小さな舌打ちが紛れる。来須が動こうとしたその先にいたミノタウロスは突然その体を芝村に向けて動かし始めていた。
間に合わない。その舌打ちの意味するところが茜には聞こえていた。
そして。
「----舞機、ミノタウロスにやられました……っ」
ののみがギリギリに抑えた声で冷静に報告した後、堰を切ったように叫ぶ。「わぁあーんっ!! いなくなっちゃ嫌ぁ!! 嫌だよォっ!! まいちゃんっ、たかちゃぁんっ!!」
「来須くん、撤退しなさい」
善行の声が震えている。「もう充分です----これ以上、損害は出したくない」
無言の戦士は、撤退ラインに向けて最後の跳躍。既に目を真っ赤にして泣くのを耐えている森が、撤退準備を開始する。
唯一の武尊もかなりギリギリまですり減らされている。善行があそこでああ言わなければ彼も危なかったかも知れない。
気づけば、一番『無傷』なのはむしろ茜の方で----。
「……くしょおっ……」
即席の衛生官となった田辺が救急箱を手にレールガンに乗り込んで来た。
「ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょおっ!!」
叫びながら手でレールガンを殴りつける。意識がはっきりして来ると共に増して行くずきずきした痛み。
「これ以上怪我を増やさないで下さい……」
田辺がその手を掴んで優しく微笑む。落ち着かせようと背中に手を置く。
そのあたたかさに。
「……っく……」
茜の中で何かが外れた。
「もう大丈夫ですから----」
彼女の腕の中で、茜は声を上げて泣いていた。
誰かのために涙を流す日が来るなんて、考えたことがなかった----この日までは。
しかもそれがあの女だなんて。
----あの芝村だなんて。
「----変なものね」
義姉は、物資リストとストックをかわるがわる見てチェックしながら、隣の茜をちらちらと見ていた。
「何かだよ」
「----あれだけ芝村を恨んでたあなたが、それつけて戦場に出ているのが、よ」
「うるさい。それよりスカウト用の装備は来てる?」
「うん、かなりね。武尊の予備も来てる。----あんたが陳情したの?」
「来須には世話になったんだ、当然だろ」
「----そっか」
カチャ、と胸元で小さな音を立てる。『それ』----ウーンズライオン。舞のものだ。
他の勲章を外していても、これだけはずっとつけていた。
それが、あの笑顔に自分が出来る唯一の供養のような気がしていたから。
生きている人々に感謝を表す方法ならいくらでもある。でもあの言葉に報いることはもう出来ない。
『必要とあらば----、そなたのためなら、世界を敵に回して戦える』
自分を利用していただけの男に向けてまで向けられたその純粋。
速水が命を投げ出して守ろうとした、その純真。
全てを壊したのは自分かも知れない。
茜は目を閉じる。そして決意する。
あの時、戦場で友が最後に遺した言葉を反芻する。
「----この国を守る、僕は……この戦争を終わらせてやる……」
「……はぁ? 何よいきなり」
冗談だとしか思っていない。手は止めないままの、笑いを含んだ森の声。
「……義姉さんには関係ない」
まだ完治していない足を、少し引きずりながらハンガーを出る。
----もうすぐ5月。自然休戦期がやって来る。その間に自分が何が出来るだろう。この小隊での経験を元手に芝村に取り入るしかないか。
恨むならその方法でもいい。
----彼らが自分達の好き勝手に世界を守り戦うなら、僕も好き勝手にそれを利用すればいい。自分のために。その骨の髄まで。
灰緑の瞳が強い光と共に見開かれ、----そのどんよりと曇った空を、射るように見上げていた。
=== END === / 2001.02.13 / textnerd / Thanks for All Readers!
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