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GunParade March(PS) 二次創作

   風の中へ

序章

 シンと静まり返ったハンガーの中で、黒く汚れた手を、これまたひどく汚れたタオルでとりあえず拭う。はっきり言って、全然、役には立たない。
「……はあ」
 森は床に座り込む。目を閉じて、冷たい金属の温度が自分の体温を侵食して行くのをぼんやりと感じている。
「ウォードレスもない……そもそもコプロの神経が死んでるも同然なのに……どうやってインターフェイス作れって? ……バカげてる、冗談じゃないわ、もう……」
 そう、逆境になると燃えるタイプというのは、何処にでもいる。
「この世界で私が初めてだわきっと。----脚の動かないパイロットにも使えるようにする整備士だなんてっ。何でもいいから勲章でももらわなきゃ割に合わないわよ全く……」
 とか言いながら手の中でくるんくるんと軽快にレンチが回り始めたりしている。
「無謀にもほどがある、あのバカっ」

 つい先日まで同僚だったはずの男。コックピットの中で、目を閉じて、長い夢の中に放り出されたままの。
「右足っ」
 ----何となく動いたような気がしないでもない。
「ああっもぉ……」
 森はドライバーの先で(指が汚いから)、接続されていた端末をつんつんいじり始めた。
「ここまでやったら普通『壊れる』んだけどなぁ…」
 元々、『壊れてる』んだから、いいのか。
 そうは言えずに、ちらりとコックピットを見上げる。背骨自体が再生しないと、もう歩けるようにはならない、と本人が言っていたらしい。森は加藤からの又聞きでしか知らないのだが。
「走れない士魂号なんて意味ないです。左足っ」
 びくん。
「あ、ごめん。やっぱりキツかった……ね」
 またドライバーでつつく。
「はいっ、もう一度」
 そろそろと、まるで赤子が初めて地面を踏むような足踏み。
「結構です。今の感触をちゃんと覚えておくこと」
 ぱしん、と軽快に、比較的綺麗な薬指で最後のキーを叩いて、コンソールを確認してから端末の接続を外した。
「あなたのコプロセッサは扱いが難しい…多分。今までのパイロットほど判り易くはないと思います。聞いてる? だから、----」
 士魂号複座型----騎魂号の腕がわずかに動いた。森は頷いて見せて、
「いい子ね」
 笑顔になった。

「----頭がずきずきする……」
「ちょっと強過ぎたかな…」
「いや、大丈夫。戦場に出る時には多分あのぐらいで問題はないよ」
 かなり辛そうに顔をしかめたのは一瞬で、その後すぐに、少し皮肉っぽいいつもの笑顔が戻る。彼をコックピットから引き出した滝川と中村は、森が差し出した車椅子まで何とか運んでから、ようやく口を開いた。溜め息。
「悪いね、いつも」
「いんや、気にすることはなか」
「腹減ったー。味のれん、行く?」
「ええね。狩谷は?」
「----そうだね」
「森さんはー?」
「……そうね」
 共通項がないんだかあるんだかの組み合わせ。とにかく4人はそのまま味のれんに向かう。

 閉店ギリギリの午後9時半、店内には4人以外の客はいなかった。カウンターに並んで、何を話すでなくぼんやりと食事しながら、森は隣のさっぱり食が進んでいないパイロットを気にしていた。
 対G訓練がまだ足りない。だから、降りたばっかりで食欲なんか普通はないだろう。むしろ、吐きたくなるぐらいだろうし。
 それでもここにこうして付き合う気になっているのは、多少は周りと迎合する気になったってことなのかな。それとも、相手が中村と滝川だからか。何だかんだ言って、最近、仲、良さそうだし。
 視線に気づいたように狩谷が不思議そうな目を向ける。慌ててそっぽを向く。
「何や、食わんの? 狩谷」
「早く食べないと取られるぜー」
「何言うか、ことわりもせずかっさらうようなことはせんって」
「----いや、お腹はすいているんだ」
 森はカウンターの中のおやじさんに声をかける。
「すいませーん、キンっキンに冷たい水、下さーい」
「むー。……氷入りでよかね?」
「はい」
 ミネラルウォーターが氷の上に注がれて行く。そのコップが、森の前でかたんと鳴った途端に、狩谷の方にスライドして来た。
「多少は、効果あるわよ」
「………」
 物凄く驚いたように一瞬目を見開いてから、頷いて手を伸ばした。
 ----そんな二人にお構いなく、中村と滝川は何故かコロッケ争奪戦を始めていた。それを呆れたように眺めてる森の耳に滑り込む小さな声。
「ちょっと、負担が大き過ぎるだろうか----僕では」
「----誰だって同じです」
 無理に少し笑いかける。そうでもしなければ、彼は納得しないだろう。本当は多分、判っているのだろうから。


第一章

 森は、冷蔵庫の中に並んだ生体接着剤をずるずると引っ張り出して来て、補給車まで必死に走る。
 原の指示で積み込んで飛び乗って。リフトアップした複座型が、かなりぎこちなく歩き出す後に続く。
 大丈夫かな。
 ----整備士がパイロットを信じなくてどうするの。
 2つの思考に頭の中を掻き回されながら、ただ戦場を見守ることしか出来ない。
 それが整備士の仕事だと判っていても。

 目を閉じてしまう。怖くて見ていられない。動きはとてもスムースとは言えない。前任----速水が「主」だった頃の動きを、捨て切れていない。
 同じようになんて動けないって言ったはずなのに!
 オペレータの被弾報告が多すぎると感じるのは、自分の担当機体だから、そこばっかり耳に入るせいだけではないはずだ。
 速水が乗っていた頃は----
 それを言い出したらキリがないとは判ってはいるけれど。
 でもそれにしたって。
 オペレータが報告する幻獣の動きに、今の複座は思ったより付いて行けてない。いつもは落ち着いている芝村の声にも何処か苛立ちが含まれているように思える。
「狩谷くん、今日は引いて」
 速水司令がとうとうそう言い出す。これ以上被弾が続けば撤退戦に持ち込まれかねない。
「狩谷くん」
「緊急事態だ。こっちに制御を回す」珍しく怒りが露になった芝村の声がする。「狩谷が----気を失っている」
「なっ……」
 森は唇を噛む。『戦場に出る時はあのぐらいで大丈夫』なんて言葉、信じるんじゃなかった。
「森さん、何やったの、あなた」
 原の声も少し棘が含まれている。
「----すみません。自分の落ち度です」
「そう思っているならいいわ。司令に頼み込んで、少し調整時間をもらえる場所に転戦をお願いしておくから」
「----はい」
 かろうじて敵陣から離れた複座は、ただ歩くだけで精一杯だった。撤退ラインに戻った途端にバランスが崩れそうになる。ギリギリで、ただ、立ち上がる。ザラついた通信機の音。
「誰か起こしてやってくれ。私は機体を支えるためのコントロールだけで手いっぱいだ」
「は、はい」
 近くにいた田辺が、救急箱を手にコックピットをこじ開ける。吹き出して来る熱気に一瞬顔を逸らす。
「ごめん、私も行かせて」
 森の声に気づいたように、田辺は頷いた。
 パイロットは。接続を切らないまま意識を失っている。外から強制切断しても大丈夫だろうか。ほんの少し不安になりつつも、このままでいる方がタチ悪いことは確かだ。注意深く計器を眺めて、それからそっと切断----
 びくんっ、と彼の体が跳ねる。
 ----変だ。脊髄損傷の人間がそんな風に動けるとは思えない。
「狩谷……くん?」
 恐る恐る手をかけてそっと揺さぶる。
 無反応。
「田辺さん」
「は、はい」
「石津さん呼んでくれる……?」
 彼女が降りて行く。
 森は、小さくぱしんっと彼の頬を叩く。目を覚まさないまま。
 嘘だ。
 嘘だ。変だ。彼ゆえの特殊事情で何もかもを強くし過ぎたのは自分で、それに頭痛を抱えながら頷いたのは本人で。
 でも、これは。
 かたんと小さな音を立てて萌が現れる。ちら、と見ただけで、彼女の口からささやくように声がする。
「オーバードウズ……」
「わかってるわよっ! 何とかしてあげて……早くっ」
 選手交代。萌が手にしているのは中和剤か。首筋にいきなりはキツい気がするが、緊急事態であればそれが一番効くという判断なんだろう。
 あとは任せるしかない。森は下に降りる。士騎号回収準備。
 二機の士魂号は、連携して大物を潰しに入っている。戦力値をこちらに有利に動かすためだろう。滝川のライフルが削り、そして壬生屋の太刀がとどめを刺す。それまでは、小物を複座のミサイルが一掃して、大物を2人が潰して、それが常套手段だった。何もしないまま動けなくなった複座なしで、何処までやれるだろう。
 被弾報告は聞こえない。彼らは、よくやっている。支援するように動くスカウトたちは、細かいながらも確実に数を減らしている。
「敵は撤退を開始した。掃討戦に入る」
 準竜師の尊大な声でようやく形成逆転を知る。そんな時になって、全身ががたがたと震え出していた。

 もう嫌だ。こんなの嫌だ。森は時間が止まったようなハンガーの中で自分を責め続けながらコンソールを睨みつけていた。
 だってどうすれば良かった? 自分はパイロットじゃないから、「彼ら」の動きを信じるしかないじゃない。
 頭を振る。それは言い訳だ。自分のパイロットとしての特性すら知りもせずに彼はパイロットになったのだ。無理をしていたとしても、それを無理と認識出来ない、そういうからだであることは知っていたはずなのに。
 ぼんやりと多目的結晶を意識する。----4時半。もう朝。
 本人がいない間にこれ以上の調整は無理だろうか?
 のろのろと立ち上がる。指が冷たい。はあっ、と息をかけて、少しジンっとするその感覚ですら心地いい。
 裏庭に出る。ぼんやりとあちこちに灯った明かり。詰め所も、まだ明るい。
 そっと覗き込む。その途端に、中で半身起き上がっていた当の本人と目が合った。
 困ったように目を逸らす。「迷惑、かけてしまったね。やはり僕では無茶だったんだろうか」
「………」
 そうです、とも言えず、かと言って、そんなことないです、と嘘ぶくことが出来る状況ではない。
「ほんの少しだけだったけど、僕は走れることが楽しかった----」
「辞めるんですか」
「誰かが言い出すだろうさ。時間の問題だよ」
 そんな言葉を皮肉っぽいいつもの笑顔で呟くだけなら、いつもの狩谷だけれど----
 今日の彼は、悔しそうに見えた。
「乗って、いたいんですか」
 あまり感情を込めずに淡々とそう聞いた森の前で、狩谷は少しだけ微笑んだ。
「君たちにはわからないよ。ただ、自分の意志で動ける、それだけのことに固執するやつの気持ちなんてね」
「そういう言い方しか出来ないんですか」
「出来ないよ」
「………」
 確かにわからない。わからないけど。
 ----楽しいなら楽しいと言えばいいのに。乗っていたいならそう言えばいいのに。何故この男は、そんな言い方しか出来ないんだろう。
 小さな溜め息。
「----もう、大丈夫なんですか」
「ああ」
「誰か探して来ます」
 飛び出して、運良くなのか悪くなのか、そこにいたデカいのに真正面からぶつかりそうになる。
「あ、適任がいた」
「何の適任だ?」
 怪訝そうに見下ろした若宮に、事情を説明する。若宮は快諾して詰め所に入り、そばに停められていた車椅子へと狩谷を運ぶ。
 肉体的に傷があるわけではない。そのために作られた第6世代の体は元々、戦闘薬に対する耐性はそれなりにあるからだ。
 だから多分、大丈夫。
 青の車椅子の背中を見送り、深呼吸する。
 もう時計は5時に近づいている。いい加減、もう切り上げよう、と独りごちて森は荷物を取りにハンガーに戻った。


 何が悪かったんだろう。森は翌日の朝から授業をサボってハンガーにこもり切りで騎魂号とにらめっこを続けていた。あの日取った狩谷側の基本データを何度かロードしてみても、結局、必要とされる最低限の数値は森のシミュレイションと変化はない。あらゆる誤差を考え併せたとしても。
 疲れて床に座り込む。自分の膝を見ていてもそのブルージーンズすらちかちかして来る。目の奥が重い。
 時間は、もう昼。今日は土曜日。多分、狩谷は仕事をしに来るだろう。あとは本人に確認をしなきダメだ。
 軽い靴音がハンガーを昇って来る。今は司令となった速水の顔がひょこっと覗き込む。
「あ、ちょうどいいや」
「何がですか」
「手伝って。三番機分だけ、シュミレータ移動するから」
「……え?」
「一階にね、場所作ってもらった。その方が狩谷くんにはいいかなあって」
「……はあ」
「設置終わったら調整頼みたくて。ヨーコさんが嘆いてたよ。かなりいじったんだって?」
 そういうことか。森は軽く頷いて立ち上がる。
 図体のでかい----スカウトの2人が、バラされたシミュレータを黙々と運んでいる。そして下で、芝村と壬生屋と滝川が、中村やら岩田やらに手伝わせながら組み立て直していて。
 その脇からうねうねと伸びたコードの先に端末がつながれている。森はすぐさまそれを手にして、ぱたぱたと軽い音を立ててキーを操り始める。
 やがて本人も現れる。話を聞いていたのか、その様子にただ目を細めただけで驚きはせず。
「……その……」
 少し言いにくそうにどもってから、
「……すみません、司令。迷惑かけて……」
「あやまる必要なんかないよ、僕の判断だから。それより……揃ったかな」
「これで最後だ」
 軽々とシミュレータのシートを担いでいる若宮の大声。それがセットされて、ようやく完成。
「とりあえず乗ってみてくれる?」
 速水の声を合図に、中村と滝川はすっかり慣れた手付きで狩谷をシミュレータ内部に運んで行く。
 森がつなぎのポケットから保存されたデータの入ったディスクを指先で取り出して。
「起動します」
 声とともに明かりが点いて行く。ぽんっぽんっぽんっと軽い音がして。システム起動。わずかな点滅の後にオールグリーン。
「セッティングに問題はありません」
 シミュレータだから実践のような緊張感があるわけではないが。
 データロード。『現物』のコプロセッサを前にしてデータと付き合わせて。
 少し眉をひそめる。
「どうしたの、何か問題あり?」
「----いえ」
 こっちが間違っているんだろう。『現物』がそう動くなら。
 微調整してデータを書き直す。リセット。途端に、がんっ、と接続効率が上昇する。
「いい感じだね」
 覗き込んだ速水の青い目の中にグリーンの数字が流れて行く。オールシステムスタンダップ----オールグリーン。レディ。
「『走って』みて」
 森の声に目を閉じたままのパイロットは少しだけ反応したように首を動かす。つながれたモニタの中でフィールドが動く……否、動いているのは、複座の方だ。
 周りからも少しどよめきが上がる。いい動きだ。
「飛べる……?」
 無茶かな。
 思いながら言った森の言葉を裏切るように、機体の視点が宙へ。綺麗だ。
 ……どうなってるの?
 先日実戦でまるで動けなかったコプロだとは思えない。本当に同一人物かと思えるぐらいに動きが良くなっている。
「森さん、随分頑張ってくれたんだね」
 司令はそれを、森の再調整がうまく行った結果だと思っているのだろう。いや、周りの誰もがそう思っている。この空気は。
 違う。……違う。あの時、初めて彼が乗った時に気が狂いそうな時間をかけて書き換えたそれを戻したと言う方が近い。そうまるで……まるで……
 ----足があるみたい。
 人間の脳の動きをコプロセッサとして使う士魂号の基本動作から行けば、そもそも足を動かすという機能が「死んで」いるはずの狩谷が乗ってなお士魂号が「歩ける」ようにするためには、ちょっと無理をさせるぐらいに刺激を強くするしかなかった。その「無理」を、ニュートラル側に引き戻してみただけなのだ。それなのに。
 怪訝な表情を隠せない。ぼんやりと視線を投げるように狩谷の背中を見る。
「……ホントに、問題ない?」
 心配そうな速水の声に、首を横に振る。
「すいません。先日の戦闘時は私の完全なミスでした。もっとちゃんと時間をかけるべきでした----」
「今日は出ないつもりでいるから、じっくりやってよ。狩谷くんも、平気だよね」
「はい」
 こもった声が返って来る。
「わかりました」
「自由に動かせるようにしてあげてね」
「はい」
 笑って肩を叩き、速水はハンガーを出て行く。
「とりあえず、4時間後に一度来てみてくれるかな」
 中村と滝川に声をかける。頷いて2人も去る。
「付き合ってくれるわよね」
「当然だろ」
 狩谷が手を伸ばす、その先にあるのはGアサルトのシミュレータ。
「射撃系パラメータ、再セットします」
 こっちは変化があるわけではない。軽い音(シミュレータだが)とともにゆっくりと銃口が動く。照準セット。発射。さらに連射。モニタの中で、ダミーのゴブリンが、キョオオオ、と叫びを上げながら霧散して行く。
「そっちは問題なしね……」
「そのようだね」
「動きのデータを取っておきたいから、色々やってみてくれない。歩いたり、走ったり、角を曲がったり、ビルに乗ってみたり、飛び降りたり----そういうの、一通り」
「わかった」
 狩谷が深呼吸をする。吐く息と同時に走り出す。
 滑らかにアスファルトを蹴り、交差点で止まって足を少しだけ擦って。ぐい、と方向転換。上体を少し倒してから、強めに足首がスナップして、再び走る。ブロックを越えてストップ。腰が落ちて、しなやかにジャンプ。5階建てのオフィスビルの屋上に柔らかに着地して。見回す、限りなく続くどんよりとした黒い雲。
 ああ、とその時に気づく。
 その動きは。
 多分、彼がコートにいた時の記憶なのだと。
 死んでいたはずの神経が、士魂号という肉体につながれた途端に目を覚ましたのだと。
 体は、忘れない。自転車に乗れていた人が、しばらく間を置いていてもまたすぐに勘を取り戻すのに似て。
 彼は走っていた。飛んでいた。その時の感触が、一度乗った時に甦った。だから、----だから、足が動かせないことを前提にした自分の調整ではうまく行かなかったのだ。
 ----彼は。
 森が手を止めて目を上げる。騎魂号はまだ走っている。まるで…それまで止まったままだった時間を取り戻すように。ひたすらに。


第二章

「狩谷機、ミノタウロスを撃破!」
「敵は撤退を開始した。掃討戦に入る」
「全軍掃討体勢! 各位常時報告!」
「言われなくてもォ!」
「参ります!」
「芝村さん、10時方向のモコスの支援に入る」
「わかった。アサルトか」
「そうだ」
「精度再調整する----ロックオン完了」
 飛び交う通信の声に、森はようやく目を開ける気になる。
 補給車の窓から見えた戦場で、少し白い血を流しながらも三番機は稼動している。片手に持ったGアサルトを振り回すように、逃げて行くゴルゴーンの背に向けて連射。足をピンとつらせたままで巨体が横倒しになり、そして霧散する。
「狩谷機、ゴルゴーンを撃破!」
「……すごいわ」
 命中精度の上昇は芝村側の成果でもあるだろう。そのため息のような原の声の理由は、動きにあるであろうことは、わかっている。
 音を立てて走る。少しだけ体の角度をねじるようにして動きを止める。がたがたと動くモコスに先行して、動きの早いきたかぜゾンビにすがるようにアサルトを向けて。
「狩谷機、きたかぜゾンビを撃破!」
 非実体化されるギリギリ手前でしとめる。動けなければ出来ない。これは、明らかにメインパイロット----狩谷の『動き』が変わっている。
 戦場が終わってみれば圧倒的威力の大勝。敵の増援が途中で入ったせいもあり、ミサイル2発をしっかりと有効活用した狩谷はシルバーソードを手にしていた。

 勲章授与式から戻った狩谷を、プレハブ校舎の廊下でみんなが取り囲んでいる。シルバーソードは実際のところかなり珍しい。前任の速水ですら手にしたことのなかったその勲章を、前から見たかったとはしゃぐ滝川を始めとして、みんなが口々に狩谷を褒めている。
 森は、変だとは思うが少し誇らしくなる。自分が整備士として苦労した自覚がそうさせるのだろうか。もちろん、狩谷自身がそのために必死に訓練した成果でもあるのだが。
 狩谷はそのにわかファンクラブ状態の人の輪からようやく抜け出すと、遠目に眺めていた森に階段の移動を頼んで来る。すっかり憧れの目つきの滝川が「俺も手伝うー」と割り込んで来て、二人がかりで一階へ。
 くるくると車輪を回してハンガーに向かう後ろ姿。昼休みの少しの時間も、調整をしようというんだろう。森も同じつもりでハンガーに足を向ける。
 ハンガー一階でくねくねしていた(いや、本人は仕事をしていたつもりであるらしいが)岩田に手伝わせてシミュレータへ。対G訓練プログラム起動。最初から慣れずにいたそのGにもだいぶ慣れては来ているらしい。
 森も、岩田がくねくね……ではなく、仕事をしている横で工具箱を手にする。少し被弾した足を人工筋肉を追加して調整して。動きを鈍くさせないように。人工血液の循環は----OK。少し生体部品の疲弊が激しいだろうか? 関節だけ----それは仕方ないだろう。
 時を忘れて整備に没頭していた森の耳に、声が滑り込んで来た。
「最近の狩谷くんはイィですね」
 隣のくねくねが、くねくねしたままそう声をかけて来る。
「そうね」
「彼のような人間がヒーローになる世界は美しいィ……」
 言っていることはマトモだが、くねくねしながらなのでどうも説得力がない。
「ヒーローねえ……」
 既にヒーローではある。銀剣だけでも世間が大騒ぎするに充分過ぎる威力だ。
「絢爛舞踏も夢ではないかも知れませんね……」
「……え?」
「スゴクイィィィィィ」
 重力を無視しているかのようなステップで森から離れて行く。
 絢爛舞踏。
 確かに、毎回銀剣の勢いが続けば、1ケ月もしないうちに届くだろうけれども。
「……そんなの、どうだっていいじゃない……」
 絢爛舞踏という勲章に自然と抱いている恐れのようなものが、森の中にふと沸き上がる。そして何故か、----思う。
 狩谷がそれになってしまったら、遠い存在になってしまうのだろうかと。自分が彼のために、彼が使いやすいように機体を調整し、彼が戦場に走る姿をこの目で追うことが出来なくなってしまうのだろうかと。
 その想像が、何故こんなにも----悲しいのだろう。
 整備士として、またとない機会を与えてもらったからだろうか。半身不随というハンディを抱えたパイロットを英雄にするという難しい課題に挑戦させてくれたからだろうか。
 何故だろう。何故そこに行って欲しくないと思えるのだろう。
 レンチを手にしたまま、少し苦しげながらも自分の限界を超えようとしている狩谷にふと目が向く。離れなくなる。
 会った時は、そしてしばらくは、世の中の全てに絶望して、森に対しても見下したようなとげとげしさでしか接して来なかった彼。今は、その頃の影はもうなくなっている。
 周りに対していちいち突っかかる言い方も最近しなくなっていた。
 全ては、複座に乗ってからだ。
 彼は足を取り戻したのだ。この機体で。そのことが、恐らくは彼の心に変化をもたらしたのだろう。
 そして、自分は、その手伝いが出来た。
 ----彼を、救えた、のだろうか。
 その言葉を、自分でも意外なほど森は嬉しく感じる。もしそうだとしたら、すごく嬉しい。
 しゅうん、と小さな音がする。シミュレータが切れた音。昼休みが終わろうとする時間。
「……手伝ってもらってもいいかい」
「うん」
 何故か自然に微笑んでいるような気がしている。視線の端に加藤の姿を見つけて、手を振る。
「手伝ってー」
「あ……なっちゃんここにいたん?」
 嬉しそうに駆け寄る加藤と裏腹に、少々うんざりしたように表情が曇る狩谷。そんなに嫌わなくてもいいのに。
 二人で車椅子に狩谷を戻すと、狩谷はわざとらしく森の方だけを見上げてありがとうと言った後でそこから離れる。
 予鈴。
「……加藤さん」
「……ええん……気にしてない……いつもの、ことやし。それに……森さん、ずっと調整、付き合ってたんやろ、なっちゃんの……その、お礼……だったんよ、きっと……」
 あからさまに泣きそうな顔で無理に明るい声で話す。
 ----やりづらかった。


 放課後。ヨーコが工具箱を手にハンガーに入って来る。見上げた森に笑いかける。
「さ、お仕事デス」
「うん」
 ヨーコがコックピットから接続コードを引き出して来て小さなモニタに接続する。傍らに用意された人工筋肉を慎重にチェックしながら、声をかけて来る。
「最近、チョット装甲値弱めデスね。強クしてもスグ、機動力重視に調整され直されてマス。森さんデスか?」
「……ううん。そんなこと、してないよ?」
 モニタを覗き込む……本当だ。
 さすがに標準装甲並とは言えないが、パイロット側の訓練次第では……近い機動力は出そうな数値。運動性能だけに特化した、異様な数字が並んでいる。
「ノイズじゃ、ないですよね」
「違いマスよ。変と思って、二番機の計測器借りて来マシタけド、同じデシタ」
「……何これ」
 確かに、人型は、防御より攻撃ではある。その機動力で敵を避け、射角を外し、攻撃を仕掛けてまた逃げる。その戦法から行けば間違っているわけではないが、……しかし。
 今のパイロットは、機体から脱出出来ない以上、大破は許されない。森はそう思うからこそ、本来の複座の重さより更に多少鈍くなることを覚悟で機体強度を強めていたはずだった。
 それでも、彼が元々持っていた運動神経をもってすれば、普通に動けるはずなのに。
 スニーカーのゴム底をきゅうきゅう鳴らしながら階段を降りる。1Fのシュミレータの前で、中村と滝川が彼の車椅子に手をかけていた。
 他に考えられない。狩谷は、今はパイロットだが、その整備の腕は決して生半可ではなかったのだ。それは今でも変わるはずはなく。
「----ちょっと話せる?」
「何だい」
 怪訝そうに見上げる狩谷。森はちらりとそばの二人を睨む。
「あー……」
「じゃあ、俺たちまた後でなー…」
 首をすくめてそそくさとハンガーを出て行く。
「----そんな怖い顔しなくったって」
「心配する人間を増やしても仕方ないからよ」
「何の話?」
 溜め息。
「整備士は、パイロットを守るのも仕事だと思っているの。それなりに考えて調整しているつもりなんだけど。勝手にいじられると、やりづらいんですっ。
 ねえ、走りたいだけなら二番機替わってもらったら? ミサイルランチャーがある以上、敵中で足を停めざるを得ない機体なのよ? その機体強度を軽視するわけには、行かないの。そんなこと、言わなくても判っているとは思うけど」
「…………」
 一気にまくし立てる。
 むすー、と腕を組んでいるその顔を眺めている狩谷にはあまり表情がないように見える。元から感情を露にする方ではなかったとはいえ。
「私、怒ってるんですけど、これでも」
「----そう見えるよ」
「じゃ何とか言って下さい。というか約束して下さい。私達を信じるって」
 目が逸れる。拒絶、だろう。
「狩谷くんっ」
「それは僕のセリフだ」
「はい?」
「僕を----パイロットを、信じられないのか」
「それとこれとは!!」
 思わず足が前に出る。車椅子の足置きにぶつかり、少しだけ、揺れる。
「----僕が、どう戦っているかぐらい、補給車から見ていると思ったけど」
 視線が膝に落ちる。それとこれとは違う、と言い出しかけた森の息が、止まる。
「風だ」
 意味がわからない。片眉を少し吊り上げる。
「僕は風の中にいる。あれに乗っている時は」
「----??……」
「コックピットは暑いけどね。でも、少なくとも心は----そう思える」
 森の腕がほどける。俯いてはいるが、その頬に、少しふわふわした笑顔が見えたような気がしたのだ。
「僕は----変わりたい。変われるような気がする。風の中にいれば。あの戦いの中にいれば」
 目を上げる。一瞬だけ眼鏡に反射した蛍光燈が、撫でるように消えた後で。
 その瞳の中には。
「秘密を教えようか、森さん。まだだれにも話したことないけど----」
 意志という名の新たな光。
「複座にこだわるのは、……『目標』があるからだ」
「………」
 初めて会った時。
 赤茶けた----ブラウンの瞳孔が自分を興味なさそうに見ていた。
 その色を忘れたことはなかったのに。
「僕は」
 笑うその目に宿る光は、不思議なほどに深い青。
「絢爛舞踏になる」

 その青は見たことがある。1度。
 あのぽややんとしたパイロットが、長い長い瞬きの後で見せた青だ。
「僕はこの国を守る」
 そう言って、----不敵に唇が歪んでいた。その目の中に。


第三章

 壬生屋機が先に動く。その重さと引き換えに厚く堅い防御力を誇る重装甲が、太刀をまるで薙刀のように横へ。突撃体制に入っていたゴルゴーンは何も出来ないうちに霧と化す。
 その背後に滝川。機動力で大きく跳んだ軽装甲は、それでも司令の指示により決して彼らの懐に入ることはせず、壬生屋が機体を動かして見据えたミノタウロスをライフルで牽制する。うるさそうに軽装甲の方を見た一瞬の隙に、壬生屋機が腹に切り込んで撃破。
 ----複座は、まだ動かない。
「何してるの?」
 モニタのマーカーがあてにならないとでも思ったのか、原が双眼鏡を手に戦場を見ている。
 森には、判っている。
 結局、折れた。彼がそう戦いたいと言うのなら。
 異様だとしか思えないその調整要求に忠実に、過剰なまでに機動力に特化した突撃仕様がそこにいる。
 ヨーコはとても困っていた。彼女にしては珍しく厳しい顔をしていたが、13時間かけてロールアウトした後では、もはや再調整などしている時間はあるはずがなく。
 せめてもの気遣いなのだろう。ヨーコは展開式装甲を複座に装着させていた。ただ、戦場に出た途端に複座はそれを投げ捨てる。
 でも、動かない。
「ひょっとして……また……」
 原は指揮車に連絡を取ろうとする。マイクに手が伸びたその時に----
「う、動きました」
 田辺の声。原がまた双眼鏡を手にする。
「何処?」
「あの……」
 モニタに点滅する複座のマーカーは。
「前線にいる!?」
 壬生屋機目指してのろのろと動いていたナーガの群れ。そろそろと近づいていたゴルゴーン。もはや敵陣のド真ん中にいた一番機のすぐ後ろで、三番機はミサイルの送出体制に入っている。
「う……うそっ……」
 嘘ではない。
 森の唇に少しだけ浮かぶ微笑は、整備士としてのプライドだ。
 限界性能を超える。それはパイロットに対してだけ言われて来た言葉だと思って来たけれど。
 それは違う。私は。
 私は、奇跡を起こしているんだろうか。----この手で。
 壬生屋機を囮にして集まった幻獣たちが、あっと言う間にミサイルランチャーで消されて行く。それでも潰し切れずに残ったミノタウロスに壬生屋が動く。三番機はまた風のように戦線から離脱する。
 そして、停止する----。
「な……何なの、あの動きは……」
「敵増援来ますっ」
 緊迫したののみの声に単座2人は防御体制に入りつつ待つ。空間から湧き出すように現れた空中要塞。
「----スキュラ……」
「煙幕準備!」
「はいな!」
 司令と加藤のやり取りと同時に広がる白い霧と赤の光。でも、ただその動きによって複座は射程から消えている。
「すごい……一体、何が起きてるの……」
 「瞬間」に力を全て叩き込む。だから動いた後はしばらく動けない。動と静、ホットとクール。その緩急を躍動にして、彼は走る。
 既に限界をとっくに超えた機体は、このまま動けば被弾しなくても人工筋肉が極端に疲弊する、と出た。そのシミュレイション結果を見て----それでも、彼は選んだ。
 風の中を。
 この戦場の中を。
 ----絢爛舞踏という、恐怖に向かう道を。

「すげー、すげー、5つめの銀剣……」
 狩谷がパイロットになって2週間。銀剣を取らなかった戦いの方がむしろ少ないのに、それでも滝川はまだ飽きないらしい。全く同じだというのに、その5つめを手にして、ためつすがめつ手の中でぐるぐる転がして溜め息をついている。
「いいなあ……持ってるとバス無料なんだろ? すげー……」
「いや、持ってなくても元々無料なんだけどね」
 狩谷は苦笑する。
「あ」
 困ったように固まった滝川を見てくすくす笑う。
「1個ぐらい誰かにあげちゃっても判らないかな?」
「ちぇー。何だよ、妙に余裕じゃん」
「そう? ----ちょっとお辞儀、してみて」
「え?」
 怪訝な顔をしながらも上半身を下げた滝川の胸に、そのシルバーソードが収まる。
「似合う似合う」
「……へへ」照れて、指先でそれをつついている。「重いな」
 頷く狩谷は、不思議な自信に満ちて見えた。
 整備士だった頃にはなかった笑顔。
 こうだったのだろうか、とふと思う。
 バスケットの選手だった狩谷は、
 加藤が見ていた狩谷は、
 ----彼女が想う狩谷は、こんな風に眩しかったのだろうか。

 森は、もう戸惑ってはいなかった。あの頃----足を止める必要がある以上、機体強度を蔑ろには出来ないと詰め寄った頃とは、もう何もかもが違うのだ。
 彼の操る三番機はたいていの攻撃は避けられる回避率を誇り、騎魂号には有り得ないと報道された機動力で戦場を駆ける。
 その裏方としてパイロットが一番信頼を置く整備士は、期待を裏切らずに応えようと努力する。
 それはただの努力に収まってはいない。彼女にとって、次々と記録を更新して行く騎魂号の『成長』を見ることは、純粋に楽しくもあった。
 自分の整備士としての腕は誇るに足ると自覚が出来る。はっきりと。誰にも褒められることはなく、パイロットのように撃墜数に応じて勲章があるわけではないが。
 それでも----。
 少なくともひとりはその業績を知っている。知って、気にかけて、それに応えようと更に上を目指そうとしてくれている。
 いやむしろ、そのひとりだけでいいのだ。今の森には。
 そのひとりだけが、わかってくれさえいれば。


 ----人間としての最後の勲章、と芝村が呼ぶその金の翼が、彼の手の中に光る。
 パイロットになってたった3週間。速水司令も彼を信じて、激戦区へ激戦区へと小隊の担当戦区を移動させた、その成果。
 報道陣のフラッシュの中で、まっすぐに前を見据える半身不随のパイロットの登場は、政府の予算さえ動かした。最後に関東を守るために温存されていたはずの武器や人員が、次々と熊本へと配備される。ただ正規の軍の準備が出来るまでの時間稼ぎだったはずの熊本は、今や難攻不落の砦としての役割をすら期待されるまでになる。
 それは人類にとって嬉しい誤算。九州など、元から捨て駒のつもりで動いていたはずの日本の形勢が変化して行く。
 勝てるかも知れない。守れるかも知れない。あまりも小さ過ぎる島国であるが故に幻獣たちに見くびられていたその国の、時間稼ぎの防衛線に過ぎなかったはずの熊本は、今や人類の最後の希望となっていたのだ。

 その希望が。
 森は大きく息をついて目を開く。
 新品の騎魂号なんてものがまさかあるとは思わなかった。後期型の予備機がトラックでハンガーにやって来たのだ。
 それでも、いささか特殊なチューニングで錬度の高い今の複座を、まだ捨てるつもりなどなかった。
 確かに関節はかなりやられてはいる。あのシミュレーションは嘘をつかなかった。被弾はしていないのに、少しずつ少しずつ弱り続ける。生体部品は、ある程度の自己回復能力も有していたはずなのだが、それはもう全く効果はなくなっている。
 森は睡眠時間を削って性能低下に何とか追いついている。でも、それを苦痛と感じることはない。
 流れて行く数字に微笑みかけて。
 目の端に入る青の背中。----その主は今はコックピットの中だ。
 立ち上がり、膝やお尻の埃をぱんぱん払って。
 なんとなく、その車椅子に座ってみる。
 車輪はロックされているので動くことはない。背中を預けて、頭を逸らせて、彼が乗る騎魂号を見上げる。
「視点……低いなあ……」
 ただですら大きい複座が、さらに大きく感じられる。でも、狩谷にとってはこの大きさが普通なのだ。
 これを動かそうなんて思ったんだ。整備士だったその時から。
「……何してるの?」
 蛍光燈の光が動いて、上から誰かが覗き込む。
「……あっ」
 頬が紅潮するのがわかる。慌てて飛び跳ねるように立ち上がる。
「へえ……森さんって……」
 そこにいたのは、いぢわるそうに笑う原。
「な、何がですかっ!!」
 何がも何もない。別に座っているだけなら誤解もされないだろうが、こうゆでダコのように真っ赤になっていたのでは、誤解しろと言っているようなものだ。
 よりによって、原。内心森は頭を抱えていた。
「まあいいけど。というか、そういう面白そうな話をしに来たわけじゃないのよねえ」
「お、面白くなんかっ……」
「まあいいから。ちょっと話せるかしら?」
 いぢわるが消えて。整備主任の顔になる。
「はい」
「----ちょっとマズいんじゃないかしら、今の複座は」
「え?」
 思いもかけなかった言葉に、思わず声が裏返る。
「実質、微妙なところはあなたじゃなきゃ判らなくなっちゃってる。こんなにデリケートになってしまったこの子を扱えるのが1人では、3人いる整備士のポストの意味がなくなるわ」
「……はい」
「ただ、他の人たちでも扱えるようにしなさい、では、レベルを落とすことになるかも知れないわね。この機動力の」
「…………」
「でもね。----森さんも、この子以上に最近疲れてる。自分ではあまりそういうの意識しない性格みたいだけど、外から見てるとそう見える」
「…………」
「整備士は、この戦争で死ぬことなんて期待されてはいない。特にあなたのように優秀な整備士はね。
 だから、私はこう言わなきゃならないわ。手綱を、緩めなさい、って。
 気づかないうちにたまった過労で、あなたがたとえ1日でもこの小隊を留守にして、その間に出撃があったら----今の複座なら、どうなるか、判るわね?」
 稼動効率は確実に落ちるだろう。今の狩谷がそれで大破させるほどのダメージを負うとは思えないが、それでも、彼を危険にさらすことには変わりはない。
 自分さえ倒れなければいいと内心では思いながら、そう注意するのが彼女の役職であることも理解は出来る。大人しく頷く。
「頼りにしているんだから、ね」
 笑って肩を叩く。その後ろで、少し電圧が揺らいだように光が弱くなる。
「終わったのかしら」原は少し腕まくりする。「人手、要るわよね」
「はい」
 女性二人でコックピットから引き出された狩谷は少し困ったように照れている。
「……すいません」
「あら、これでも結構、腕力はあるのよ?」
 原は、ふふふ、と何やら怪しい含み笑いをすると、
「んじゃ、邪魔者はお仕事に戻りましょうね」
「なっ……」
 またゆでダコになった森を残して、ものすごーく楽しそうに1Fに降りて行く。
「何、誤解してるのよっ、主任は……」
 自分でも不自然なほど真っ赤なのがわかるから、あえてぷいっと横を向く。
「----少し疲れたな、さすがに」
「ここのところ連戦だったしね」
「信じてくれてる証だから、悪い気はしないよ」
 声が離れて行く。森が深呼吸の後でそっと見た視界で、彼は整備士のコンソールを覗き込んでいる。
「……そっちは私がやりますっ。疲れたら休むのもパイロットの仕事ですっ」
 車椅子のハンドルを手にして、コンソールからむりやり遠ざける。
「----森さんは、何でもひとりで抱え込むんだな」
 ちらりと振り返る。目が合って。
「いや、今は僕がそうさせてるのか」
 ひどく優しい目をしている。
 こんなに優しい目が出来るひとだっただろうか。
 このひとは。
「すまない。せめて、味のれんで何かおごるよ」
「----そんなの、気にしないで下さい。私も、色々挑戦させてもらえてますから。整備士として」
 『整備士として』、を必要以上に強調する。
 それはどちらかと言えば自分に言い聞かせている。
 何故離れないの。
 何故逸らさないの。
 交錯したままの視線が、----そこから、動かない。
 手の中のハンドルが消える。器用に車椅子を振り返らせた狩谷は、何か言おうとして、ただ息をついて、----わずかに、目を伏せた。
 奇妙な緊張が切れる。森も少しだけ肩で息をついて瞬きをした、その隙間に。
「……そうだね。その通りだ」
 少しおどけたような口調。
「……何がですか?」
「……いや」
 なんでもない。
 そう言った後、何がおかしいのか、彼は俯いたままで少しだけ声を立てて笑った。


第四章

「最近、なっちゃん、なんか優しいねん」
 屋上で弁当を広げていた森に、加藤が嬉しそうにそう切り出す。隣に座って、自分も弁当を膝に。
「へえ、良かったじゃない」
「うん。でも……まあ、恋愛とかそういう感じや、ないけどね。突っかからなくなって。前より」
 誰に対しても彼の態度は最近角が取れて来ている。いわば、加藤は最後の砦みたいなものだ。それでもそう感じるのなら、きっと彼は変われたということだ。
 自分が、そう望んだように。
 知らず知らず、笑顔になる。
「中学の時の狩谷くんに戻ったって感じ?」
「うーん」弁当箱を開けながら、「うちも憧れてて、遠目に見ていただけやし……」
「そうか」
「でも今は、近くや」
 一人でちょっと赤くなる加藤。
「手伝いに行ってるんだって?」
「……うん、まあ」
「一人じゃ大変じゃない?」
 車椅子の移動ですら、森は一人ではおぼつかないのに。
「んじゃ、手伝いに来る? 森ちゃんなら、なっちゃんも嫌がらへんと思うし」
「えー、邪魔しちゃ悪いよ……」
 ちょっぴりいぢわる気味に言ってみる。
「……いややわぁ、なーに言ってんのー!!」
 ばしぃ、と肩をどつかれた。めちゃくちゃ嬉しそうだった。

 仕事場以外では、彼の近くにいるのはいつも加藤だ。仕事に入ってしまえば、加藤に出来ることはなく、彼女は自分の職場に戻って行く。
 そこからは森の方がそばにいる。1Fのシュミレータが視界に入る位置で仕事。何か調整が必要なことがあれば、狩谷は必ず森を呼んで、相談する。
 その日も、仕事時間を超えてまだハンガーにいた。整備主任の原も帰ってしまって二人きり。森は立ち膝で、彼は車椅子で、2つの頭がコンソールを覗き込んでいた。
 そのモニタが、ALL GREENを点滅させた途端、同時に大きな溜め息が洩れる。
「……もう限界かなあ……」
「かも知れない」
「今までよく頑張ってくれたし……交代の時期かも知れないですね」
「重い複座に逆戻りか」
「……もう充分ですよ。未調整でも後期型ですし。それに、あと一戦出れば----」
 絢爛舞踏になります。
 言いかけて、森はちらりと隣を見る。
「……狩谷くん」
「何だい」
「なんで絢爛舞踏になんか……なるの?」
 ハンガーに静かに響く機械音が突然大きくなったように感じる。彼が----息を止めている。
 しばらくして。細い細い溜め息の後に。
 少し長めの瞬きがあって、その瞳が、森を静かに見据える。
「まだ全部が駄目なわけじゃない----ここにいれば、僕は、今までの僕であることを辞められそうな気がした」
「……」
「脚が悪くても、誰かを守ることは出来る。誰よりも速く走ることも。『ただの人間』の限界を、この僕が超えることも出来る。もちろん、優秀な協力者がいてくれたから出来たことだろうけど」
 少しだけ、表情が揺らいでいる。
 ----違う。
 自分の視界が、揺れているんだ。
「そんな顔をしないでくれ。感謝しているんだ。----違うな。うらんでる。……後ろ向きな生活より、ずいぶん苦労させられてる。それでも----」
 森が、体を支えるために何気なく手すりにしていた車椅子の肘掛けに、その主の掌がゆっくりと降りて来る。
 熱かった。戸惑うように触れたその指先が、何かを決意したように森の手に重なる。
 その手の甲に落ちた涙を、森は自分でも解釈出来ずにいた。
 どうして泣いてるの、私。
「泣くのはやめよう。もう少し別の未来があるはずだろ?」
 違う。
 違う、違う。
 悲しんでいるわけじゃない。
 辛いと思っているわけじゃない。
 認められなかった。
 認めたくなかった。
「出来れば、----『整備士として』、でも構わないから----僕の、……これからも、ずっと……」
 整備士とパイロットだから。その言葉だけで割り切らなきゃと思っていたから。
 ----つらくなるだけだって、わかっているから。
 好きな人を戦場に送り出さなきゃならないなんて。
 そこは確かに風の中。それと同時に死の中でもあるのに。
 だから、だから、だから----

 絢爛舞踏なんて、どうでもいい。
 そんなものがなくたって、あなたに価値はあるのに。それなのに。

 いかないで。

 言い出そうとしたその息を、出撃命令のサイレンが、----止めた。


 気が狂いそうに怖かった。
 もう役目を終わらせてあげようとしていたその機体がどんなに脆弱であるか、森は判っている。
 むしろ動けなければ傷つくこともないけど、今の狩谷がそんな妥協をするとは思えない。
 昨日までの自分は、回避率99.99%を見つめて誇らしさを感じていた。
 今は頭の片隅でその数字が逆転する。
 1000回に1度は当たるってことでしょう?
 機体強度が強ければ、装甲値が高ければ、たとえ当たるのが2回に1度でもダメージは軽微で済むのに。
 1000回に1度のそれが致命傷だったら----
 避けようもなく、彼は。

 その動きは全く同じ。壬生屋が囮になり、当たっても性能低下を起こすことのないその固さを利用して敵中へ。装甲を叩きつけるように地面に突き刺して展開。5121のマーキングがミノタウロスの生体ミサイルを全て弾き返す。その裏から、流れるように構えた太刀が、一撃する。
 動かない複座は睨むようにただ戦場を見ている。
 そして、壬生屋機が次の獲物に向けて足を擦ったその位置に、切るような風圧を伴って跳び込む。驚いたように目標を変えた幻獣たちに、次々とロックオンして行く。
 確実に薙ぎ払う。それでも今回は、射程外だったキメラのレーザーが少し足に掠った。
 他の機体ならそんなことで性能低下など起きはしない。でも今の複座は----オペレータの声が緊張する。
 まずいかも知れない。ほんの少しだけれど、動きが、重い。軽微な損傷ですら、タイトなチューニングをして来た三番機には影響があり過ぎるのだ。
 それでも今の司令は引かせるなんて考えないだろう。森は知らずに手を組んで、何処にいるともわからない神に悲鳴に近い祈りを捧げる。
 敵増援到着。戦場から目を逸らす。通信機のノイズの向こうで、オペレータが報告する。ミノタウロス中心部隊。
「狩谷、後ろにもいる。近づかれないうちに、----」
 ごく普通にそう言っていた瀬戸口の声が、突然、止まる。
「----狩谷?」
 その声のトーンに----目を開く。
 ミノタウロス3体。今の複座の位置はそのど真ん中だ。早々に彼らの射程に捉われている。
 森が見上げた中で、TV中継カメラが大写しにしていた三番機が目に入る。
 その機体の足から、白い血が吹き出しているのが見えた----。
「狩谷くん!!」

 集中砲火。

 怒鳴るように報告して芝村が脱出する。彼女が手にしていたのは40mm高射機関砲。よろけながら、立て続けにミノタウロスに弾丸をばらまいて、膝から崩れ落ちた複座より前に出る。
「芝村機、ミノタウロスを撃----」
「そなたの敵は私だ!!」
 通信機の音が割れるほどの大声。小さな久遠が、2体目のミノタウロスに強烈なキックを叩き込む。
「芝村機、ミノタウロスを----」
 土埃を上げて軽装甲が突撃して来る。
「狩谷ァァァ!!!!」
 滝川は声と同時にライフルの銃口をミノタウロスの腹にねじ込んで連射する。ぼすっ、ぼすっ、と鈍い音とともに、巨体が、ゆらりと傾く。
「滝川機、ミノタウロスを撃破」
 上空のヘリが、敵の撤退開始を告げて来る。逃げる背中に追いすがるように走り出した壬生屋とは逆に、滝川機は指揮車の方を振り返る。
「まだ生きてるだろ!? え!? どうなんだよ!!」
 かろうじて大破を逃れた複座は、横たわったまま全ての活動を停止している。
「瀬戸口!! もう一人の複座パイロットは!!」
「補給車、救出に向かって下さい。生命反応は----微弱です」
 感情を殺している。
「急いで下さい」
 断ち切るように切れた通信。
 ----嘘だ。
 嘘だ。嘘だ。
「田辺さん、森さん、救急キット、用意して! ----中村くん早く出して!!」
 原の声も悲鳴に近かった。
「わかっとるって!!」
 運転席にいた中村の返事と同時に補給車は走り出す。田辺はその揺れについて行けずに、包帯や消毒薬を派手にバラ撒いてしまった。それを必死に手の中にかき集める。森もそれを手伝おうとはしながら、手ががたがたと震えて言うことを聞かない。
 到着した頃には、スカウト二人によって、コックピットから彼が引き出されていた。戦場に横たわったその顔に血の気はない。
 指揮車から走り寄った萌が真っ先に手首を取る。
 目を閉じて----
 小さく、ほんの小さく、彼女の首が横に動いた。
「そん……な……」
 震えが止まらないまま、彼の前に膝をつく。手から、ころころと転がり出る包帯。
「う、嘘や……嘘や……こんなん、嘘……」
 同じく指揮車から飛び出した加藤が、森の隣でへたり込む。
「早く連れ帰ってあげよう、せめて」
 速水司令がスカウト二人に目を向ける。彼らは、静かに頷いた。

 5121小隊所属、狩谷夏樹----階級は万翼長。
 世界で5人目の絢爛舞踏。
 同時に----傷ついた獅子章を受章。


epilogue

 ----1年半後。

 茜作戦の参謀総長と志願兵のひとり、という立場で、茜と加藤は再会した。
 これだけ大規模な作戦であれば、作戦参謀総長と志願兵が直接顔を合わせることなど普通はありえない。彼女の名をリストに見つけた茜が、個人的に話したいことがあると総長室に彼女を呼びつけたのだ。
 どう接していいのか判らないまま、加藤はしゃちほこばっていた。茜はその身には余っている革の椅子の上で手を組んで----まるであの頃の勝吏準竜師のようだと加藤は思った----静かに座っていた。
「出てけ」
「は、はい?」
「加藤じゃない。お前たちだ」
 そばで控えていた男たちが、一礼してドアに向かう。
 重々しい扉がゆっくりと閉まった後に、茜は椅子から立ち上がる。まだかちんかちんのままの加藤を憮然とした顔で見上げると、
「まだ持ってたんだな」
 目が細くなる。憎むような視線。
 その先にあるものが何なのか悟った途端に、加藤はそれ----ウーンズライオンを胸から外した。
「あのバカの生きた証か」
 少しむっとする。バカはひどい。仮にも絢爛舞踏に向かって。
 茜は、あの頃とまるで変わらない仕種で腕を組む。窓際にゆっくりと歩いて、ブラインドの隙間から外に目を向ける。
「姉さんから一年以上の時間を奪った男だ。世間が何と言おうと僕にとってはバカなんだよ」
 僅かに唇を噛む。その横顔はあの頃と変わっていない。
「姉さんは、----未だに、自分が殺したって言って聞かない。狩谷を」
「--------」
「でもそれは違う。整備士がパイロットを『殺す』ことなんて出来ない。姉さんはただ、その感傷で現実から逃げたがっているだけだ。あれから、ずっと」
「--------」
「僕はあの男のおせっかいのせいでここに殆ど缶詰だ。姉さんは退院はしたらしいとは聴いたけど、どんな状態なんだかは知らない」
「--------」
「加藤」
「何?」
「加藤が『許す』って言えば、姉さんも……」
 最後の方は口ごもる。
「たとえ本音じゃなくてもいいから----言ってやってくれたら、違うと……思う」
 それだけで時間が取り戻せるとは思えない。それに、最早今の加藤にその資格があるかどうかどうかすら判らないのに。
「効果、あるでしょうか」
 立場上、関西弁は出せなかった。
「何もしないよりはいいだろ」
 少し真っ赤になって俯く。
「わかりました」
 そういう心配の仕方しか出来ないやつなんだな。
 強気で不器用な男は、あまり突っ込まないに限る。
 加藤はそんなことを考えながら、一礼して部屋を後にした。

 あの時。
 加藤自身は、不思議なほど落ち着いていた。
 狩谷は、しばらく前から、何処か遠い目をして考え込んでいることが多くなっていた。
 彼の元に週三回、入浴介護のために訪れていた介護士は、それを恋の病だと揶揄していた。その相手は加藤であると思っていたらしかったが、加藤には違うことが見えていた。
 自分と二人きりでいても、彼の目は遠い。
 整備士を辞めたはずの彼のベッドの枕元に、それまで以上に整備関連の資料が積み重なっていた。もちろん、それは仕事上必要だという言い訳には説得力がある。
 でも、仕事時間にハンガーへ彼を連れて行ったその時に。
 あの二人でいる時だけ、彼に自然に現れる不思議な自信。
 パートナー。同じ機体の担当という信頼。それだけでは決して表現の出来ない眩しさ。
 普段、部屋で世話を焼いている間にだって、さりげない話題の端々で登場する森の名前に、少し怒ったように目が泳ぐこともあった。
 ----その時から、少しずつ努力を重ねて来ていた。彼がそれで幸せなら、自分が邪魔する権利はないと、そんな風に言い聞かせて、彼から離れる、小さな努力。
 それが多分、うまく行っていたのだ。だから。
 加藤自身は、不思議なほど落ち着いていた。

 彼が受章した最期の勲章は、儀式が終われば親族に手渡されるのが通例だった。しかし、狩谷には血縁がいない。その結果、一番近しい人物として、書類上彼を担当していた介護士に話が回って来たらしい。
 介護士は、何のためらいもなく加藤の名を挙げる。毎日来ている。食事の世話をしている。さすがに入浴は狩谷が嫌がるから自分しかやらないが、それ以外は、彼女が全てやっていると。
 そして、今、ウーンズライオンはここにいる。
 加藤自身は、受けるべき先に届けられるまでのほんの腰かけに過ぎないと思っていた。
 しかし、受けるべき先と思ったその整備士は結局、自然休戦期に入るまで小隊に復帰することはなかった。
 茜から聞き出した彼女の居所は、第6世代記念病院の精神科病棟。
 彼女は心を閉ざしてしまった。言葉を話すこともなく、自ら食事を取ろうともせず。
 ただ自分を責めるだけの抜け殻同然となっていた、と。

 森の母親によれば、彼女は、そんな心神喪失状態からは立ち直っていたらしい。でも、自分の部屋でぼんやりするばかりで、仕事や学校、そんな外界との接触の兆しはまだ見えていないと言う。
 案内された部屋のドアは開いたままだった。本人は、ベッドの上に横座りになり、窓の外をぼんやり眺めていた。
 加藤が軽くノックすると、緩慢な動作でその頭が動く。
「久し振り」
 表情はあまりはっきりしない。ただ、こっちを見ているのに、何処か焦点のズレたぼんやりした視線だけは、わかる。
 かたん、と傍らの机に桐の箱を置く。
「これ、ずっと預かってたから----『返しに』来たで」
 そろそろと立ち上がって、その桐箱を開ける。
 目を見開いて、首を勢い良く横に振った。
「だめ----私のじゃないよ。私は----」
 声を詰まらせる。手で顔を覆う。その指の隙間から、苦し気に泣く細い声が洩れる。
「資格…、ない……」
「----森ちゃん、」
「私……、私が殺したんだもんっ……。あの時に機体交換……してれば……、きっと死ななくて済んだ……」
「………」
「整備だって性能限界突破出来るって、やれるって……。それが嬉しかった……。判ってたのに……あんなんじゃいつか……いつか、危険になるって、知ってたはずなのにっ……」
 加藤は、静かにその背中に手を回す。
「……しのせ、……私、……」
 もう言葉にならない。ただ、ワタシノセイ、とだけ繰り返して森はしゃくり上げている。
 その背中をゆっくりと撫でる。それが気休めになるかどうか。なってくれればいいと思いながら。
「----なっちゃんなぁ」
 ちらりと、桐箱に目をやって。
「幻獣共生派に興味持ってたんよ、戦車乗りになる前は」
 少しだけ森の喉が静かになる。
「たまーに妙なこと言い出してて……正直、怖ぁなってたとこ。うちが密告しなきゃ大丈夫やとは思ってたけど……でも……うちじゃ、その考えを変えさせるまでは出来なかったんやね……」
 わずかに彼女の体が引いたのに合わせて、加藤も腕を放す。真っ赤に腫れた潤んだ両目が、加藤をじっと見上げている。
「誰かさんは、出来たわけやけど」
 出来る限り笑顔になろうとする。
「森ちゃん」
「………」
「今のあんたみたいな状態、なっちゃんは望んでないよ、きっと」
「………」
「うちじゃダメ? うちがお願いしても、まだ泣いてここにこもってるだけで1日潰しちゃうん?」
「……なんで、……加藤さん……」
 じわあ、とその目から涙が零れ落ちる。
「……多分森ちゃんのお蔭やもん。なっちゃん、えらい楽しそうやったし、うちに優しくしてくれたし、周りとも仲良うなってたし。そら、辛ぁないって言ったら嘘になるけど、せやけど……」
 その涙をそっと拭って。
「好きな男が、幸せそうなんは、見てて嬉しかった。それで----ええん。うちは。なっちゃんが、幸せやったんなら、それで……」
「加藤……」
「それに、森ちゃんがずっとこんなんだと、うちも忘れられへん。前向きになりづらいやん。生きてかなきゃ、しゃーないんよ。なっちゃんに怒られてまうわ」
 少し声を立てて笑ってみせる。つられたように、森も表情を和らげる。
「連絡、してあげて。茜くん、えらい心配してたし」
「----あの悪魔が?」
「まあ、小悪魔やね。未だに半ズボンやったし」
「……あのバカ」
「まあいいから、とにかく、電話してあげて、な?」
 少しの間の後に、こくんと頷く。
「……それとな」
「何?」
 こっちは茜に頼まれたことではないが。
「ウチもあの作戦に参加するんよ。戦車章、持っとるし」
 胸の勲章を指差して見せる。
「----茜作戦……?」
「そ。だからね」
 びし、とその指を森へ向ける。
「ご指名やっ。うちのL型の整備せえへん?」
 指の勢いに少し後ずさった森は、その言葉にまたことさら目を丸くする。
「……何言って……」勢い良く首を横に振る。「うちは、うちは、パイロット殺した整備士やもんっ……そんなん、だめ!」
「何言うてんの。だから、やないの」
 加藤はその手を肩に乗せる。
「自分の給料のためや、発言力のためや、戦いたくないいうだけで整備士を選んだようなやつより、その痛みを----、人が死ぬことの痛みを知る整備士の方が、なんぼ信用出来るか----」
 その言葉に。
 ややあって、ほんの少しの不器用な笑顔がゆっくりと広がる。
「……加藤……」
 少し照れたような。あの頃の、いつもの笑顔。
「やってくれる? 報告やー言うてむりやり会いに行って、小悪魔に直訴してみるから」
 こくん、と小さく頷いた。
 加藤は、ようやく肩の荷がひとつ下りたような気がしていた。
 そして----

 やっと、自分のためだけに泣ける。
 ----そんな風に、思えた。

=== END === / 2001.05.31 / textnerd / Thanks for All Readers!

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