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GunParade March(PS) 二次創作

   片方だけのリボン

●No.5121@2001/08/15 築城様
 リク内容:
 GPM / ののみメイン、シリアス、マスコット扱いではなく他のメンバーと同じ高さで語るような小説、Overs禁止、裏設定OK
 書いた人の内容説明:
 恋するののちゃんハードシリアス。ののみ瀬戸口(逆にあらず)。ののちゃんの精神年齢ちょっと大人なのでゲーム内とはイメージ違うかも。瀬戸口の過去についての例の裏設定がんがん使用。


----------part.1

「……マップ展開します」
 瀬戸口の冷静な声とともに、指揮車のスクリーンにユニットの光点が灯り始める。ののみはそのマップを数秒だけ見つめて目を閉じた。
 近づいて来る怒りの波動。それはいつものように赤黒く濁っている。息をついて、『彼ら』の意志が向かう先を見ようとする。
 小さな手を祈るように胸元で組む。それが一番集中出来るのだ。
 ----何故だろう。いつもより色が濃いような気がするのは。
 彼女の多目的結晶が光る。流れて行く先の瀬戸口が小さく舌打ちをする。
「……強硬派だな」
「そのようですね。慎重に行かせましょう」
「きょーこーは?」
「いつもより怖い、ってことだよ」
 違う。どちらかと言えばいつもより悲しんでいる。
 でも、戦闘時にそんな所で討論する時間がないのは判っている。恐らく、共生派の集会をひとつ軍が壊滅した事件が関係しているのだろう。共生派が動いたから幻獣が動いたのだ。
 判っていても、口に出す言葉を選べない。前まではこんなことで悩みはしなかったのに。
「……東原さん」
「は、はい、ごめんなさい」
 善行の声に我に返る。気が逸れていた。今が肝心なのに。
「予測パターン転送します。たかちゃ……、瀬戸口十翼長お願いしますっ」
「了解。展開します。司令、各機へ指示を」
 増援の気配が見えない。今いる彼らの意志の底にあるひたひたとしたこの悲しみに、動かないはずはないと思うのだけれど。ののみは眉をひそめて、目ではないちからで赤を見ようとする。
 今までなら聞こえていた気配が聞こえない。何故。目を閉じて集中しようとする。
 ----見えない。そんなはずはない。思うのだが見えない以上口には出せない。
「……もう少し前線を深入りさせるか? 向こうの増援部隊の気配は」
「今はありません」
 即答したのは瀬戸口だ。ののみがそう『見て』いるのだから。
 でも。嫌な予感がした。これは、見た結果いないのではなく、私が「見えて」いないだけなのでは----
「…きゃっ!」
 短い悲鳴に似た壬生屋の声がその予感を確信に変える。
「……v4!?」
 やはりそうだ。やっぱりそうだ。自分の感応能力が変化している。この力をオペレート技術に応用出来ているからこそ、敵の行動予測で動く人型戦車は戦えるのに。それがなくなったら。
「東原さん」
「ごめ……、申し訳ありません」
「増援部隊、ミノタウロス4、きたかぜゾンビ2。左翼ミノタウロス集中しています。壬生屋機故障率43%です」
「一度引かせて下さい----司令」
「もちろんです。総員一時退却。体制を立て直します」
 震え出す。何故こんなことに。どうしてこんなことに。
「ののみ、疲れてるなら接続を切って。後は俺が引き受ける」
「………」
 嫌わないで。嫌わないで。役に立ちたいのに。部隊のためにも、あなたのためにも。ぼろぼろと勝手に涙が零れて来る。
「切らせなさい、瀬戸口くん」
「……はい」
 ぷつんと赤から引き離される。そこに集中していた意識が現実に戻る。でもその途端に別の『接続』が緩やかに始まる。自分ではどうしようもなく見えてしまう人々の心。
 ----ずっとこんな調子だった。最近のののみの感応能力の鈍化は明らかに部隊の戦果に影響を及ぼしている。
 アルガナの英雄を出した小隊だというだけで、不当なほどに高く評価された5121は、他部隊と同じように戦うだけでは最早実力とは思われないのに。
 九州生徒会連合本部長である芝村準竜師直属部隊として、装備品や補給物資に特別配慮がなされているだけで、最初からいくばくかの反感は買っている。アルガナというような具体的な実力を見せればこそ周りも黙ってはいるけれど。
 私のせいで。
 ----目を上げられない。失望する善行司令。明らかに仕事がオーバーフローしている瀬戸口。
 ほんの少し前までは、こんなことを考えたこともなかった。彼の悲しみを見てしまってから。どうにかしてあげたいと願ってしまってから。頭を撫でてもらうのではなく、私が彼の悲しみを消してあげるにはどうすればいいだろうと思い始めてしまってから。
 おおきくなってはいけない。それは体の成長のことではない。それが自分に理解出来るということは、理解出来る程度には自分は「大人」になってしまったということだ。
 ずっと望んでいたはずなのに。いざそうなってしまったら、結局周りを苦しめることにしかならない現実が待っていた。
 辛うじて勝利を収めたその一戦の後、締めつけられるような葛藤が善行司令の中に見えていた。予想は出来る。役に立たなくなった「タレント」の行方ぐらいは知っている。たくさんの姉さんや妹たちがどうなったのかは見ていたから。
「……やっぱりののみじゃだめなのかな」
 ぴくりとも動かない善行司令は内心で飛び上がりそうなほど動揺している。
「最近、転戦続きだから疲れていたんだろう?」
 笑いかけてくれる瀬戸口の心の中は暗澹としている。こんな風に、わかるようになってから見えてしまうと辛いだけだ。
「たまには休暇を----と言えるような戦況じゃない、か」
「ののみ、もっと勉強する。感応能力じゃないおぺれーてぃんぐも頑張る。だから、だから」
「大丈夫だよ。ののみはそのままで大丈夫」
「たかちゃん」
「帰ろう。そして休もう。おいしいもの食べて。ね?」
 そうじゃない。そうじゃないのに。
 わたしだって、わたしだってちゃんと役に立ちたい。部隊のためにも----あなたのためにも。
 そう願っているのに、何故言葉を選べないの。何故伝えちゃいけないの。
 みんなが大好きなのに。
 ----あなたが、大好きなのに。


----------part.2

 瀬戸口は決して心の底に思うことを見せようとはしてくれない。それは自分を心配させまいとするこの人なりの配慮なのかも知れないけど、自分が彼と対等な位置にいてはいけないのだと押しつけられているようで、それはそれで少し寂しい。
 いつまでも「娘」でなんかいたくないのに。ちゃんとひとりの女の子として見て欲しいのに。
 朝、校門で見つけた後ろ姿から伝わって来る苛立ち。一瞬目を閉じて、その感情の先を探ろうとしてしまう。
 見つけたその先に、痛みが走る。
 声を殺して自分の胸を抱きしめる。息をついて、ののみは瀬戸口に駆け寄った。
「たかちゃん」
「ん?」
 オハヨウの形に唇が動きかけて止まった。ののみの真剣な眼差しを受け止める。
「あのね、あの……」
「どうした?」
「……いいんちょと仲良くしなきゃ、めーなの……」
 胸が痛い。ちくちくする。どうしてそんなに善行司令を恨んでいるんだろう。
 笑っていた顔が歪んでののみから逸れる。いつもそうだ。悲しいなら、苦しいなら、何故私に話してくれないの。そんな風に全部抱え込んだままでは、いつかあなたは壊れてしまう。
 原因は自分にあるのはわかっている。でもその矛先を善行に向けるのはおかど違いだ。上から命令が来たら、彼は頷くしかない。たった1人の「不良品」のタレントを守るために部隊の21人を犠牲にするわけには行かないのだ。
 あらゆる特例が認められた512小隊。それはたくさんの実験フィールドでもあった。ののみの感応能力も含めて。それを知りながら上の意向に逆らえば、みんながどうなるのか判らない。自分一人がラボに戻れば済むなら、それが一番平和的な解決に違いないのに。
「……いいんちょは悪くないよ? ののみがね、ちゃんとお仕事出来なくなったから、だから、」
「遅刻するぞ? 話は後だ」
「ふえ」
 手を引いて急がせようとする。その嘘の笑顔に泣きたくなった。
 プレハブ校舎の前ですれ違った二人の間に渦巻く嫌悪に吐き気がする。でも善行の側は嫌っているのではなく苦しんでいるのだけれど。
 彼だって好きで決断したわけではない。
 ののみは、自分が不適格者の烙印を押されたことを悟った。あと何日ここにいられるんだろう。否、あと何日、人間の形をしていられるんだろう。
 教室に入る直前にちらりとハンガーを振り返る。あの場所に、今度は士魂号として戻って来ることになるのだろうか----。

 教室にいることが息苦しかった。ピリピリしたままの瀬戸口と善行の感情波に耐えられそうもない。昼休みは「ねこさんと遊んで来るね」と瀬戸口に笑いかけて、返事も聞かずに飛び出した。
 ブータは色んなことを知っている。多分、もう決定事項なのだとは思うんだけれど、それでもどうにかなる方法があるんなら知りたかった。
 屋上で、誰かにもらったらしいおにぎりにかぶりついていたブータが、近づくののみの気配に振り返る。
「にゃあ」どうした、小さい人よ。
「……えっとね」
 どう聞いていいのか判らない。自分の感応能力がなくなった理由。取り戻せる方法。頭に疑問は浮かぶけれど、話す語彙がついて来てくれないのだ。
「……うう」
「にゃむう……」まあ焦るな。ワシに対しては言葉で通じようとする必要などない。
 祈るように手を合わせる。集中するときの習慣。ブータには伝えることが出来るはず。しばらくじっと耳を伏せて話を「聞いて」いたブータは、ヒゲを少し揺らしてから答える。
「みゃあ……」……そうだな。それは、そなたの「作り手」たちが一番恐れていたことなのだろうな。
「おそれていたこと??」
「みっ」
 ブータはこくんと頷いて見せる。そして、少し低い声で。
「みゃうう」そなたも恋を知ったということなのだろうて。
「……ふえええ」ののみは思わず真っ赤になる。「こ、い??」
「にゃり」
 ブータはゆったりと顔を洗ってから言葉を続ける。
「みゃあ?」キッドの悲しみに気づいたんだろう? あの心を、どうにかしてやりたいと思ってくれているのであろう?
 ののみは知っている。ブータが彼を呼ぶ名前は何故かキッドだ。でも、その響きは何処か瀬戸口にぴったりと似合う。震えて泣いている小さな心は、時折とても幼い子供のように見えるから。
「みぅぅぅ」あいつのことを、そんな風に思ってくれる人が現れたのは、とても久し振りだな。キッドの魂はずっと救われるのを待ち続けている。
「ののみじゃ、助けてあげられない?」
「みゅむ……」
「ののみね、たかちゃんをぎゅーしてあげたいの。そしたら……変わる?」
「みぃ……」
 ブータはよく判らないという顔をしている。
 それはののみにだって判らない。それでも、そうすることで何かが伝えられないかと思い続けて来たのだ。大人の、恋人同士だって、そうやってお互いの存在を確かめ合っている。少なくともののみにはそう見えるから。
 でも、この小さな手では。彼に届くことすらも出来なくて。
「ののみね、大きくなりたいの」
「みゃ……」
「大きくなりたい。ちゃんとたかちゃんを----『きっど』を守ってあげられるぐらい大きくなりたい」
 ブータはゆっくりとまばたきした。そして、何かを思い出すように空を見上げる。
「にゃ?」----そのために、その能力を失うことになってもか? それが見つかったら、そなたは、あの巨人の中に取り込まれてしまうのであろう?
 胸の奥が騒ぐ。かなしい。かなしい。それはとてもかなしい。でもこのままの方がもっと悲しい。自分がタレントでありさえすれば。このちからさえ衰えなければ。
 でもその方法は判らない。
 小さかった自分は当たり前のように使っていたのに。日に日に弱くなる気がしている。もしかしたらブータとももう話せなくなる時が来るのかも知れない。ののみは手で顔を覆った。どうしていいのかわからない----。
「ウネーゥ」
 ブータは、励ますように鳴いた。
 そのふわりと温かな心の色。それをこうして伝えることがせめて出来れば。
 ブータはぐぅと背伸びをすると、少し早足でその場を離れる。その爪音にはっとして振り返る。
 善行が立っていた。
 泣いているののみを見下ろす目はただ、心を殺そうとして足掻くような黒。眼鏡に隠れてそのものは見えないけれど、ののみにはそれが判る。
 「その時」が来たのだと。こんなにも、早く。
「……東原さん」
「……はい……」
「あなたには一度ラボに戻ってもらうことになりました。簡単な検査をするだけです。何も異常がなければ、数日中には戻れます」
「……はい……」
 嘘はついていない。異常がなければ、確かにそうだろうけれど。
「岩田くんが明日の朝に迎えに行きます」
「……ひろちゃん??」
 意外な名前だった。いつもうねうねと踊っているあの「見えない」男が? 残念ながら、何を考えているか解せない彼を、ののみはあまり好ましいと思えたことがない。
「明朝九時です。家にいて下さい。準備が必要でしょうから早退手続きは取ってあります」
「……はい……」
 あくまで素っ気無い態度。本当は誰より心を痛めているのは知っている。彼もまた、その優しさを外に伝える手段を持てないでいる。そういう意味では、自分と何処か似ているのかも知れないとふとののみは思った。
「……あのね、いいんちょ」
「……何ですか」
 立ち去ろうとした背中に呼びかける。振り向こうとはしない。
「……ののみがいなくなっても、たかちゃんと仲良くしてね……」
 こちらは嫌っていませんよ。小さな溜め息に紛れた、決して口に出すことのない言葉。
「私は授業に戻ります」
 屋上から消えた善行から少し遅れて、ののみも階段を降りる。また針のむしろのような空気。いつもにも増して、痛みに近いかなしみが、彼の心に満ちている。時折見える、ぷくぶくと泡立つような怒り。
 こんな時に簡単に泣き出せなくなったのが「大人になる」ことなんだろうか。ののみはぎゅうっと唇を噛みしめる。いつもの笑顔で歩いて来る瀬戸口の足が止まって、ののみを抱き上げる。
「……今日は俺も授業をサボろうかな」
 廊下から一組に消える善行には聞こえていたはずだが、それを責めることはしないつもりらしい。
「ちこくはめーなのよ」
「今日は特別なんだ」
 わかってる。もしかしたら、最期かも知れないもんね。

 部屋には元々荷物らしい荷物はない。いくつかの私服と、最低限の食器と。家電類やベッドや机は寮に備えつけのものだから。9歳の女の子にしてはあまりに殺風景なその部屋で、9歳の女の子の痕跡を残しているのは、瀬戸口が買ってくれたぬいぐるみぐらいのものだった。
 ののみには多少大きなボストンバックに服を詰める。どうせもう使わなくなるかも知れないけど、それでもここに置いて行くのは何となく不憫で。
 瀬戸口はそれについては何も言わずにいた。台所で、最近バンビちゃんに色々習ってるんだぞ? などと軽口を叩きながら何やら料理を作っていた。
 夕焼けが消える時間。出来上がった料理は純和風の食卓。肉は少なめの肉ジャガ。2人で囲んでいる分には肉の量なんてどうでもいい。ほこほこしたじゃがいもを箸でグズグズに崩して怒られたり。そんな時だけは、昏い心を見なくて済む。でも、楽しければ楽しいほど、時間はあっと言う間に過ぎて行く。
 眠りたくない。そう思っても、体が9歳である以上、長くは起きてはいられない。自分が自分でコントロール出来ないことに苛立つ。大きくなりたかった。なれたら良かったのに。
 士魂号に載れば、眠らなくても済むのかな。ずーっとずーっと起きていて、あなたを見守っていられるのかな。
 ベッドに寄りかかるように座る瀬戸口が手を伸ばす。おいで、と声より先に意志を聞く。睡魔に引きずられながら、その腕の中に身を預ける。
 すらりと伸びた長い足の上に横座りになる。右耳の下で響く鼓動。安堵とは違う跳ねた音。
 ののみはたかちゃんにとってちゃんと女の子なのかなあ。
 最後まで聞きたかったそれを言い出せないまま、髪の中に入り込んだ指先の感触を最後に、ののみの意識が途切れた。


----------part.3

 ベッドの中でちゃんと寝ていた。起き上がって部屋を見回す。
 まだベットを背にして床に座っている瀬戸口を見つける。物音に気づいたように振り返る。
 彼は一睡もしていないようだった。一晩中、数秒ごとに書き換わるカウントダウンを苛立ちと共に数えていたらしい。
 何も言えないまま起き上がる。笑おうとしてもうまく行かない。
 このまま逃げ出そうと言えるほどには無鉄砲ではなかったようだ。それは救いなのだけれど。自分のために瀬戸口が軍に追われるような立場に追い込まれるのは困る。
 もしかしたらほんの少しぐらいは可能性があるかも知れない。大人になってもなお感応能力を失わずに済む方法。自分が実験体として生み出されてからだって、技術は進んでいるはずで。
 呼び鈴が鳴る。ののみより先に瀬戸口が向かう。鍵が開いてそこに立つ青年は、小隊で見ている岩田のいつもの服装ではなかった。地味な紺のスーツ。素顔。
「……まだ1分ある」
 掠れた声でののみとの間に立ちふさがる瀬戸口を事も無げに押しのける。ののみにはその背中に漂う赤い気配が見えていた。
 ベッドに近づく岩田が手を伸ばす。ののみは頷いてベッドから降りる。
 ぎしぎし音がする。ベッドではなく、空気が。
 目をつむる。何かが起こる。
 たかちゃん。だめ。そんな風に怒らないで。音にならない、抉られる叫び声。頭の中ががんがんする。渦巻いて取り囲む。がんじがらめの強過ぎる想い。
 壊れちゃう。たかちゃんが壊れちゃうよぉ。
 言葉にする前に、ぷつっと嫌な音がした。目の前で岩田の体がぐらついて、そして倒れる。その体を正視する前に体を抱えられる。
「たかちゃ--------」
 呼びかけたその目の前にいたのは瀬戸口ではなかった。
 自分の体に食い込んで来る長い爪が痛い。人間ではない速さで「それ」がののみを抱えたまま部屋を飛び出す。その途端に、寮の前で居並ぶ迷彩色と銃口に出迎えられる。立っている白衣の男性には見覚えがある。研究員の1人。歪んだ唇から皮肉っぽい声が流れる。
「……なるほどね。第5世代か? 何故武装する必要があるのかと思ってはいたが」
 「それ」が大切そうにののみを地面に降ろす。
 真っ赤な霧。目に見えない怒りの波動。ののみに向かっているわけではないとしても、それはののみの心を凍らせる。
 彼は全てを殺せる。守るためなら。
 すべてをかけて守ろうとしてきたものを奪われると思っている今は。
「たかちゃん、だめぇぇぇぇ!!!」

 心の奥から生ぬるい何かが這い出すような感触に捕われる。水のごとく自分を取り巻き始める何か。現実から引き離されたようにぼやけて行く視界の中で、節くれだった手が振り上げられる。
 長い爪。声のない咆哮。繰り広げられる殺戮劇の向こうで、白衣の研究員だけは無表情にののみを観察している。
 これはいつか見た光景だ。いつか見た光景が目の前の『瀬戸口』と重なっている。
「いや……」
 首を振ろうとする。ゼリーの中に閉じ込められているみたい。緩慢にしか動けない。
「いやぁ……」
 手を伸ばそうとする。涙が自分の目の中に戻って来る。足に触れた途端、そのごつごつした手触りに戸惑う。
 でもそれはほんの一瞬だけ。
「だめ! もうこれ以上殺さないで!!」
 足にしがみつく。突然のことで咄嗟にバランスを崩した『瀬戸口』が膝をついた。
 がたがたと震えるその体から、やがて滲むように泣き声が溢れ出す。
 しわがれた声。瀬戸口とはまるで違う。
 ----自分を囲んでいた拘束が不意に解ける。よろけながら『瀬戸口』の首に手を回した。今なら出来るから。抱きしめてあげられるから。
「泣かないで……ね? もう泣かないで……っ……」
 髪というよりはたてがみの赤い針を手で囲むように。小さな肩に耳まで裂けた彼の唇を押し当てるように。
 ずっとこうしてあげたかった。最期に、最期に願いが叶った。ののみは突き刺さりそうにがさがさした頬に自分の頬を押しつける。
 伝わる。だから伝えよう。
 もう泣かないで。もう泣かないで。
 ちゃんとわたしはここにいるから。かならずもどってくるから。この姿はしていないかも知れないけど、それでもあなたのそばにいるから。

「……都築さん」
 膝をついたまま動きを止めた瀬戸口と、その首にしがみついたまま目を閉じていたののみの後ろから、岩田が白衣の男に声をかける。
「……この子に何を見せたんですか」
 その言葉にはっとする。ののみは目を開ける。何故かまだ部屋の中にいる。
 首だけ動かした。ベッド脇に立っている岩田は無傷。そして。もう一度向き直る。ドアの所の、都築と呼ばれた白衣の男の隣には----誰もいない。
「何を見せたんですか」
「いえ、何も」
 腕の中の瀬戸口は、ののみがよく知る『たかちゃん』の姿をしている。
 目を見開いて、それから何度も何度もまばたきをした。
 あれは何だったの? 確かに見えたのに。彼の悲しみの本体を。『キッド』の姿を。
「でも、見ていたんでしょう、この子は」
 頭の上に細長い手がぽんと乗った。慈しむように撫でる手----父がよくそうしてくれたように。
「見ていましたね。お蔭で仮説が総崩れだ。岩田さんの言う通り、とんだ『不良品』ですね、これは」
「----モノ扱いはやめて下さい」
「そうじゃなきゃ仕事にならないだけです。私の立場では特定の個体に入れ込むわけには行きませんから」
 瀬戸口は茫然と目を見開いたまま、口の中で何かを呟き続けている。ののみには理解出来ない言語であることだけが判った。ブータも時々似たような言葉を話していた。
 あれは。
「ののみさん、行きましょう。今の瀬戸口くんはあなたがそばにいない方がいい」
「…………」
 守るべきものを守ろうとして、その少年は暴走する。その赤の意志が引き起こそうとしていることを。引き起こされてしまう何かを。
 強過ぎる同調能力。それを抑えるために、ラボで脳神経に阻害物質を打ち込まれたことがあった。その時も、あの感覚が。行動までも制限されたような。水中を歩くような。
 消してしまうところだったのか。幻獣のように。彼の心を。それを引き止めたのは誰? 自分?
「…これからが大変ですね。どうやってコントロールさせる気なんですか、これを」
 都築の目はあくまで観察者の目だった。
「させますよ。そのためにわざわざ除隊されてまで僕がついて行くんですから。この子を、士魂号に載せるわけには行かないので」
「……何故そこまでする。たかが失敗作の実験体ひとつに」
 ののみの頭上の手が、一瞬だけ強くなる。
「----電波の指令ってやつですよ」
 しばらくの間を置いて、自嘲するように岩田は答える。
「ののみさん」
 肩を押すように、自分を連れ出そうとする岩田をののみは見上げた。
「待って」
 寝乱れてほどけていたリボンを片方だけ外した。それを、瀬戸口の肩にそっとかける。
「……行きましょう」
 口の中だけで、もう一度約束した。このリボンをその印として。
 ちゃんとわたしはここにいるから。かならずもどってくるから。


----------epilogue.

 少女は、鏡の中の自分に微笑んでみた。そして、あの頃はお団子に結い上げていた髪を下ろす。揺れるふたつのお下げの根元。片方だけに黄色いリボンをしっかり結ぶ。
 街を歩いている時に、その片方だけのリボンを見てくすくす笑う人がいる。それでも、少女は構わなかった。
 再会したら最初に言う言葉は決めている。それできっと彼は判ってくれるはずだから。
 ちゃんとわたしはここにいるから。かならずもどってくるから。
 その約束を忘れたことはないと、伝えることが出来るはずだから。

 自然休戦期が明けて、再び集められたその小隊は、彼ら本人の希望によって、一夏でさんざんよれよれになったプレハブ校舎に結集していた。げんなりとそれを見上げている司令官----善行に、少女は声をかけた。
「……ああ」
 眼鏡を押し上げる。その掌の下で彼は微笑んでいた。
「……ずいぶん無理をさせたみたいですね、岩田くんは」
「いえ、いいんです。岩田さんにそうお願いしたのは私ですから」
 実際、成長痛は物凄かった。このまま彼に再会出来ないまま死ぬんじゃないかと何度思っただろう。でも、それだけの甲斐はあったはずだ。
「『本名』で登録されて来ましたけど、それでいいんですね」
「はい」
 にっこりと笑う。
「それじゃあ、まあ、……今日は校舎修理だけですけど、とりあえずHRを開きましょう。教師はまだ来ていませんけどね」
 多目的結晶を操作している。部隊全員に集合の報。少女にもそれは届いた。

 懐かしい一組の教室。ざわめくクラスメイトは教壇に立つ少女を見定めるようにじろじろと眺め回していた。
 『ののみ』が実験体で、同型の『ののみタイプ』と呼ばれるクローンがあることは全員知っている。実際に、国語教師の芳野が同型クローンと交代してしまった現実も見ている。あの頃に小隊にいたののみと同一人物だとは誰も思っていないのだ。
 無理もない。ののみは9歳の少女だったのだ。そして「おおきくなれない」と自ら話していたのだから。
 岩田の説明によれば、ののみは大きくなれないのではなく大きくならなかっただけであるらしい。いつまでも「おとーさん」の娘でありたいと願っていたのは彼女の方で、その意志がある限り、それこそが最も強い枷となって彼女の成長を縛っていたと。だから、成長しないことと感応能力の間には実は何の関係もなかったのだ。少なくとも、『ののみ』に関しては、そうだった。
 だからね、と岩田は言っていた。あなたがただの、あの男の娘であることを本気で辞めたいと願えば、それがあなたを自由にする。あの男は、自分が死ぬと判ってからそんなことを話し出して、じゃあよろしくって。何がよろしくなんだか。どちらかと言えば、そう言うべきは瀬戸口くんの方なのでしょうね。まあ、僕の人脈であなたを『パーツ行き』から救う手だてはあるとしても。以降は僕の仕事じゃない。全く、因果なヤツと知り合っちゃいましたよ----
 ----そしてののみはのぞみになった。彼の娘であることをやめ、大好きな人の隣に並ぶことを望んだから。それがのぞみ。私ののぞみ。自分の気持ちに確信が出来ない頃の揺らぎで感応能力が落ちたことは、いずれ訪れる幸せのためのバランスの不幸だったのだと、今ならば思える。
「東原のぞみさんです。瀬戸口くんとともにオペレータに入ってもらいます」
 善行司令官が全員に向けて彼女の紹介をする。
「よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる。好奇の瞳が、一斉に逸れた。やっぱり別人だったのか、と大部分は思っている。
 睨むようにのぞみを見ている紫の瞳と目が合う。
 薄く微笑んで見せる。
 怪訝そうに眉をひそめている。
 気付いて、くれてはいないのか。
 そのまま善行司令は、今日一日は校舎修理に充てると話す。その場にいる全員は、嫌そうな顔をしながらもその必要性は理解している。反対の声は上がることなく、まばらに立ち上がって教室を出た。

「サボってていいんですか?」
 裏庭の指揮車のそばで座り込んでぼんやりと空を見上げる瀬戸口は、のぞみの姿を認めて苦々しげに目を背けた。
「俺は荒事は苦手でね」
 必要以上に冷たい口ぶり。他のクラスメイトの女子とは、自称愛の伝道師の面目躍如とばかりに軽々しく話しかけているのに。
 それはそれで、少し嬉しくもある。彼にとって『ののみ』が特別である以上、のぞみの存在を簡単に認めるのが嫌なのだと、判っているから。
 ちゃんと女の子だったんだ。『ののみ』も。彼にとって。そう思えて、何だかくすぐったくなる。
「……あの、もし時間あるなら、お願いしたいことがあるんですけど」
「ん? 何?」
 気のない顔で、それでも一応は笑顔を作って立ち上がる。
「リボン、結んでくれませんか」
 黄色のリボン。片方のお下げの根元。
 意味がわからないという顔で片眉が少し跳ね上がる。のぞみが、結んでいない片方のおさげを彼に向けるように横を向く。
「……リボンって」
「----持ってて、くれてなかったですか?」
 視界の端で、紫の目が見開かれて行く。
「あの頃みたいに、結んで下さい。----あのリボンを」
「----の……ののみ……なのか……?」
 戸惑うような瀬戸口の言葉。答える代わりに小さく頷く。
 息が止まる。引きつれるような声とともに小さな鳴咽が始まる。
「ののみ……っ」
 彼の震える肩をそっと抱き寄せた。目を閉じる。
 ずっとこうしたかった。一夏の間。激痛に苦しみながら、感応能力のコントロールを再訓練しながら、こうなる日を待ち続けていた。
 身長差は20cm以内がいいな、と岩田に頼んでおいたのだ。彼が立ったままでも、その肩に手が届くぐらいがいい、と。
「----あのね」
「…………」
 ひくん、と鳴る喉が一瞬止まる。
「ずっと思ってたんです。----たかちゃんを、ぎゅーしたいな、って」
 その言い方に今度はくすりと笑う。
「ぎゅー、か」
「うん、ぎゅー」
 のぞみも笑って手に力を込める。
「いたたた」
「あ、ごめんなさ……」
 慌てて解放する。久し振りに見た、ふわりと包むような温かな紫。あの頃より少し青が強いように見える。涙が赤を洗い流したかのように。
 頬に手を伸ばして来る。触れたその感触は、くすぐったいけど気持ちがいい。
「----これからは、普通に成長するのか?」
「判らないです。ここまではどうにかなったんですけど、これ以上は」
「そうか。じゃ、ちょうどいいかな」
「え?」
 瀬戸口はいたずらっぽく笑って見せる。首を微かに傾げたのぞみには、また少し悲しげな波動が伝わって来るけれど、それは前ほど絶望的には感じない。
「今まで秘密にしてたけど、実は俺も大きくなれないんだ」
 冗談に紛らせるように。それは、話される前から知っていた。
 その悲しみを。これからは。----私が、少しずつ。
「それでもいい?」
 あの時に『ののみ』も瀬戸口にそう聞いた。
『……ののみね、実験体だから……もうこれ以上、大きくなれないんだって。……いい?』
 その時に彼は。初めてののみを壊れそうなほど抱きしめてくれた。
 だから。今度は。

「----痛いって」
「我慢して下さい。私、ずーっとこうしたかったんです。だから----」

 その男の子の心は、悲しい過去に囚われてずっと後ろを向いていたのです。
 わたしではだめですか。
 あなたを助けてあげられないの?
 小さな女の子は、男の子の悲しい心を「めー」してあげたかったのです。
 ただかわいがられたり、ただ守られたり、そんな風な関係ではなく。
 女の子は男の子をちゃんと抱きしめてあげたかったのです。
 その小さな手で。----その大きな心で。

=== END === / 2001.08.25 / textnerd / Thanks for All Readers!


※文中に登場するラボ研究員はオリジナルキャラクターです。「都築」の名前は、リクエストを頂いた築城さんよりハンドルの発音だけ拝借いたしました。もちろん、実在する築城さんとは一切何の関係もございません。

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