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GunParade March(PS) 二次創作

   誰かを守るために

〜 序章 〜

 ----いきなり機体の方向がねじ曲がった。咄嗟に追いつけなくて、したたかにコックピットにぶつかって、舞は声も出せない。
 士魂号が走り出す。あと一撃で屠れるミノタウルスを放置して、全く無傷のスキュラに突進している、と判った途端、舞は思わず叫んでいた。
「何して……」
 走りながらバスーカを捨てて太刀を手にする。
 いきなり飛び上がったと思うと派手にスキュラを蹴り上げる。今まで射程内になかった敵の出現に、スキュラがこっちに目標を変えた。
 その時にやっと判る。
 その先にいたのだ。もう一撃で死に至るかも知れないほど傷ついている若宮が。
 ----こいつは。
 いつもそんな戦い方をしている。
 撃破した数はあまりに少ない。それは、このパイロットが、とどめを刺すことよりも違うことを優先してしまう結果で。
「そなたはぁっ……」
 低い声で。
「せめて何か一言言ってから動いてもよかろう??」
「ごめんなさい」
 か細い声とは裏腹に、横に飛んですぐに太刀を振るう。すぐに返し刃。
 綺麗だった。スキュラの攻撃をあっさりかわしてまた突っ込む。撃破。
「…敵は撤退を開始した」
 静かな声はノイズに紛れてザラザラしていた。
 彼らが逃げる背中に向けてアサルトを放つ。
 ----そして戦いは終わる。

 ハンガーの2階で、士魂号をまるで子供のように撫でながら仕事をする。語りかける。整備士の技能も取り、工具箱も常備して、士魂号を労るその様はまるで「母親」だ。
 大破して予備機と交換するたびに泣かれる。舞としては最初はもう勘弁して欲しいという気持ちだった。でも、そのうちそれも慣れた。
 止めてもどうしようもないのだ。
 このパイロットは、自分の役目は英雄になることではないと思っている。勲章なんかどうでもいいと思っている。
 口癖は、こうだ。
「殺すために戦ってるんじゃない----誰かを守るために、戦ってる」

 それもまた、強さなのか。

 ガンパレード・マーチを鼻歌で歌いながらメンテナンスしている三番機パイロットに、舞は溜め息と同時に話しかけた。
「----田辺」
「は、はい」
「----いい加減そのように緊張するのは止めろ。私と親しい者はそう多くはない」
 くす、と気弱に笑った田辺は、
「親しい、と思って下さるんですね。じゃあ、とりあえず、治しちゃいましょうよ、この子。そしたら一緒に味のれん行きません?」
「わ、判った」
 横に並んで作業を開始する。
 三番機のメインパイロット----田辺真紀は、戦っている時よりも、こうしている時の方がずっと楽しそうだった。
 それなのに何故、彼女は、パイロットに志願したのだろう。
 舞には掴み切れていなかった。----まだ、何も。


〜 第一章 〜

 日差しは暖かかった。洗濯物がぱさぱさと軽く揺れる屋上で、自分の膝の上で無防備に眠るその少年をどうすべきか、田辺は少し困っていた。
 授業が始まってしまう。出るつもりはあまりなかったが。
 昨日の戦いで、また手ひどく『彼ら』が傷ついてしまったから。少しでも早くその傷を癒してあげたかった。
 戦いが頻繁になってからは、授業に出るのは午前中だけと決めていた。ひどい、と判っている時には全く出ないこともある。ずっと整備してばかりいた。そうでなければとても追いつけなかったから。
 ----悪魔だ、としか思えない。5121小隊を殺したいのか、と思う時もある。あの少年が司令の座についてからは、戦うのとその準備をするのだけで日々が終わってしまう。
「----茜、くん」
 そっと揺らす。
「授業が」
「----ん……」
 ほんの1週間前までは、こんな風になるなんて思いもよらなかった。
 ただ、田辺はまだよくは判らないでいる。本当にこの少年のことを『好き』であの告白を受け入れたのかどうか。
「ねぇ……」
「……るさいなあ……」
 のろのろと起き上がって。
「……たるい」
「じゃあ、授業出る? 私はハンガーにいるから----」
 嫌そうな顔をしながら、それでも少年はついて来るのだ。教室に集まり始めた生徒たちの何人かが、くすくすと笑いながらこっちを見ているのが判る。
 その中には、あの少年も混じっている。
 にこにこと、人当たりのいい笑顔で。

 結局ブツブツ言いながら茜は田辺と一緒に真面目に仕事をしていた。まずは田辺の仕事----二番機の整備。そして茜の仕事----一番機の整備。いい加減に、人間みたいに士魂号に語りかけるのは止めろ、といつも言われるのだけれど、プータから幻視技能を貰ってからはもうどうしようもないのだ。
 田辺からすれば、『彼ら』が話しかけるから、それに答えているだけだ。
 夕方、一息ついて、そっと弁当を広げる。本当はもうお腹がすいて倒れそうだったけど、お金のない田辺にとって、長い1日を乗り切るためには、昼に昼食を取っている余裕はないのだ。そこで食べ物が尽きてしまっては、長い1日をとても乗り切れないから。
 小さな弁当箱の横に、ぱたん、とパンが転がった。コロッケパン。
「そんなんじゃ、もたないだろ」
 仏頂面の少年の視線の端っこに笑顔を返して、「ありがと、夜食にするね」と受け取る。
 まだ整備は続く。Sランクにするまで、田辺はいつもそこを離れたがらない。それが、自分が出来る精一杯だと思っているから。ここ最近は、茜が進んで(顔は嫌々ながらだが)手伝ってくれることもあって、かなりいいレベルまで短時間で持って来られるようになっては来ている。
 深夜を越えてから、茜は帰って行った。最近彼は少し疲れているように見える。その理由は、聞きたいとは思いながらも、それがまたあれの----準竜師暗殺計画のことだったとしたら、という危惧が拭い切れなくて、もう蒸し返すのは嫌だったので何も言えずにいた。
 舞を騙して利用する、という計画に加担しなかった段階で、もう彼の中でそれを終わらせてくれていたら良いのだけれど、人の復讐心というものは一度根を生やすとなかなか断ち切れるものではない。
 まだ終わってないような気がして、少し、怖いのだ。
 朝方になって、ホントに倒れそうな気がして、ありがたくコロッケパンを食べ終わった頃、背中から奇妙に明るい声が飛び込んで来た。
 ----速水。今は5121小隊の司令の座にいる少年。
「頑張るね。ほぼ完調じゃない。ホント、田辺さんって優秀だよね」
「----司令」
「あはっ、司令室にいる時以外は別にそう呼ばなくてもいいよ」
 ぽややん、とした笑顔が、ぽんっ、と包みを投げてよこした。
「今度こそ、かなり自信作。食べてみて」
 この人は、司令の仕事の片手間に何故かクッキー作りに燃えているらしい。調理場の隅っこで、周りに「司令、ちょっと相談したいことが」と言われて的確な答えを返しながら生地を練っていた、というのは、この間新井木さんが仕入れて来た噂話だ。
 優秀なんだか要領がいいんだかよく判らない。それより何より、砂糖を何処から調達しているのかかなり謎だ。
「…………あの」
「うん?」
「後でいただきます」
「今、感想聞きたい」
 はぁ、と溜め息。そう言い出した場合は、穏やかそうな顔して頑固であることも学習はしていた。
 仕方なくクッキーをかじる。
 田辺は料理に関してはちょっとうるさい。味のれんのバイト生活が長かったせいもあって。だから、料理のことであれば、上司だろうと批評に容赦はしなかった----つもりだったけど。
「……おいしいです」
「ホント?」
「はい」
 めちゃめちゃに嬉しそうである。本当に司令なんだろうか、この人は。
「そりゃあ良かった。……ところでさ」
「はい」
 にこにこ笑いながら隣に腰を下ろす。並んで士魂号を見上げながら、まるでクッキーの話と変わらぬ口調で彼は言った。
「乗る気、ない? 三番機」
「----はい??」
 ぽかん、と口を開けたままニの句が継げない。
 彼が司令になった後は滝川が乗っていたと思った。しかし、滝川が操るようになってから戦果が突然落ち始めたのも承知していた。でも、整備としては楽になった、と三番機担当の森は言っていた。何せあまり機体を傷つけて来なくなったから、と。
 ただ、それは、「突撃仕様」の三番機の使い方ではない。田辺にも、それは判る。
 しかし、よりにもよってだからって、何故田辺に声がかかるんだろう。
 確かに、整備の仕事の一環として、パイロットの仕事も手伝いたくて戦車技能を取ってはいた。でも、乗るつもりで取ったのではなくて、あくまでパイロットの視点で機体を見て、調整をしたかったに過ぎなかった。
「----滝川くんは」
「泣きつかれた。憧れだけで乗ってはみたものの、しんどかったみたいでね。降りるなんて許さなかったけど。三番機が出られないんじゃ膠着状態を打破出来ないし」
 突然、声のトーンが落ちる。『司令』の声。
「嫌われたらしいよ、思いっきり。親友だと思っていたのに、ってね。でも今の僕にはやらなきゃならないことだから」
 彼が(司令室以外で)笑っていない瞬間、というのはあまりない。いつも楽しそうににこにこしている。そういうイメージがあった。でも、その時はさすがに少し辛そうに見えた。
 だが、そもそも。
「----私が、向いてるように、見えるんですか? 司令には」
「……田辺さんは『味方』がいるから」
 速水は笑う。目を細めて。そして、突然、田辺の髪に手を伸ばした。
「この辺に」
 ふわ、と髪を撫でる。
 ----意図が読めない。
「運を味方につけてるヤツは強いよ。他のヤツがやって死ぬ戦いでも、田辺さんは生き残る。僕がそうだったように」
 ----何を言われているのか、田辺には理解出来ない。
「ま、考えといて」
 立ち上がる。出て行く。乾いた靴音が遠ざかる。
 後にはただ、呆気に取られている田辺だけが残されていた。


〜 第ニ章 〜

 翌朝、教室に向かう時、妙な間に気づいた。みんなの視線が宙を泳いでいる。2組に入ってHRが始まった時、----いないのに気がついた。
 狩谷が。
 事故で足を悪くしているから車椅子で通って来ている。そのためにこの教室には1つだけ椅子のない机があった。
 それだけなら気にはならない。田辺だって具合が悪くて(実際は空腹でぶっ倒れたなんて恥ずかしくて言えない)学校を休んだこともある。
 でも、あの妙な間は何なんだろう。

 その理由は、昼休みになってすぐに判った。
 狩谷は1組にいたのだ。そして他の生徒は、何故か彼が通るたびに話を中断したように気まずそうに目をそらす。
 1組にいる。
 田辺は深呼吸をしてから教室に貼られている配置表を覗き込んで、そのまましばらく呼吸を忘れていた。
 ----三番機パイロット 狩谷夏樹 芝村舞
 真新しい白い紙にそう書かれていた。はっきりと。
 そしてその「間」の理由もはっきりした。他の生徒たちは、その配置を噂にしていたのだ。
 彼自身はパイロットとしての資格もある。実際、かなり優秀であるらしい。だから、仕事をすること自体に異を唱えるつもりはないが、しかし----
 1つだけ判っていることがある。
 彼は、もし士魂号が大破した場合、そこから脱出することは出来ない。
 大破しても脱出して逃げられるだけ、戦車兵はスカウトよりは安全だ。だがその『安全』は彼の場合は意味がない。
 大破したら、機と運命を共にするしかないのだ。
 そんな狩谷を三番機----敵陣に突っ込むための「突撃仕様」の機体に乗せるだなんて。
 田辺が茫然と見つめているその横に、新井木がぬっと顔を出した。
「無謀だよね、司令も」
「----え??」
「知らない? もっぱら、噂だけど。司令が狩谷くん口説いたって。乗ってくれって」
「な……」
「善行さんが立候補していたのを蹴ったって。『ルールブックは僕ですから』とか言ったらしい、……ってのは、サスガに、出来過ぎかな。でも今の速水くんだと言いそうなんだけどね」
 新井木の言うことを100%真実とは思っていなかった。でも、火のないところに----ということはありうる。最低限、本人が望んでいなかったのに、速水がそう仕向けたのかも知れない、ぐらいは、田辺も考えた。
 何せ、実際、口説かれているのだ、自分も。
 パイロットになんて全然向いているとは思えない、一介の整備士に過ぎない自分も。

 司令----速水は、隊長室のデスクで、サンドイッチを片手に、何やら書類を見つめていた。田辺は、自分は一体何をしに来たんだろう、と一瞬思った。
 私が乗ります、とは、さすがに言い出せない。そんな自信があるわけではない。
 でも狩谷は。殺そうとしている、としか思えない。
 ちら、とその目がこっちを見た。
「----ひょっとして僕、睨まれてる?」
 くすくす笑い出した。
「噂は噂だからね。そりゃあ声をかけて回ってたけど、何人か志願してくれた中で、一番『相応しい』人事をしたに過ぎないから」
「狩谷くんがですか」
「差別は良くないよ。彼もそんなこと望んでない。彼は役に立ちたがってる」
「--------」
 言葉を失った田辺の後ろから、低い声が届いた。
「----速水」
 善行だ。
「話せるか」
「無駄、だと思いますよ」
 田辺には理解出来ない存在がそこにいた。にっこりと。いつもみんなと休憩時間に話しているのと同じ笑顔から出て来た言葉は、ひどく冷たかった。
「みんなひどい差別主義者ですね。何故彼には出来ない、と思っているんですか?」
 同じ笑顔。
 いつもと。

 準竜師に装甲を陳情する。
 隊長室から出て、まっすぐハンガーに向かう。
 ありったけの装甲を----と言っても2つだが----三番機につける。ミサイル倉を外して。
 三番機担当の森がいた。捕まえて、「授業サボる気、ある?」と尋ねる。
「何、それ、田辺さんってそんな人だったっけ??」
「三番機の整備、手伝わせて。特に機体強度」
 ひどく追い詰められたような声だった、と自分でも思う。
 だが、それの意味するところにすぐに気づいたように、森はがくがくと頷いた。

 2人は目がちかちかしそうなほど整備に熱中していた。特に田辺の方の目の疲労度は並ではなかった。森もそれに気づいたらしく、少し休んだら、と何度も声をかけてくれた。
 それでも、ただ笑って答えた。
「気にしないで。私が、付き合わせちゃったようなもんだし、森さんが疲れてるんなら私に遠慮なんか----」
 ぐうう、とお腹の虫が鳴った。
 森が吹き出す。
「さっきから鳴ってるんだけどなー、その辺」
 気づいていなかった。昼休みに弁当を食べてすらいなかったことをその時になって思い出す。
「集中出来ないよ。私、デニッシュロールを夜食に買ってあるんだけど----、お弁当、だよね、それ」
 傍らの荷物を指す。
「続きは、食べてからにしない?」
 それまで、さほど仲が良いと思っていなかった彼女の笑顔が、その時はとても温かくて。
 整備士として無能だと罵られた昔を思い出してしまって。
 ここには自分の居場所がある----ような気がして。
「----ちょっ、田辺さん、やだ、何?? 私、ヘンなこと、言った??」
 違う。
 首を必死に横に振り、小さな弁当を少し掲げて見せた。
「お腹すき過ぎると、泣けて来るの、たまに」
 そんなんでごまかされるとは、もちろん思っていなかったけれど。

 その涙の向こうで----サイレンが鳴った。

 ----夜が白々と明ける頃、戻って来た三号機を見て、田辺は愕然としていた。
 戦車技能も取った。その訓練の過程で、機体の損傷から、パイロットがそれをどう操っていたのかだいたい把握出来るようになっていた。
 そうだ。
 欠けているのだ、今の狩谷には。
 うまく動けていない。突っ込むのも多分遅いだろうけど、同じように逃げるのも遅い。
 それは装甲で重たいというだけではなくて。
 そもそも理解出来ていないのだ、彼には。『体感』することが、出来ないのだから、士魂号の『動き』を。
 かなり機体がいじられているのには気づいていた。恐らく芝村舞が、この辺りを予測して調整したものだろうとは思っていた。
 それでも、どうしようもない。とてもフォローし切れるものではない。激戦区に突撃させてばかりの今の速水司令の方針が変わらない限り、そう遠くなく三号機は大破する。
 そして----。

 (殺される)

 田辺には、もう、そうとしか思えなかった。
 速水が、知らないはずがない。自分が乗っていた機体なのだから。自律することもある士翼号ならともかく、士魂号が、どれだけパイロット自身の実力に頼った戦車であるのか、知らないはずがない。
 かなりの訓練を積めば、狩谷もきっと操れるのだろう。元々、バスケットをやっていた、と聞いたことがある。でも、感触を取り戻すまでにはやはり時間が必要で。
 でも、戦場は、待ってくれるはずがないのだ。
 戦いは、待ってなんか、くれるはずがないのだ。
 これでまた、今よりもひどい激戦区に転進なんてしようものなら。
 充分な調整も出来ないうちに送り出す羽目になったら。
 がたがた震えたまま止まらない田辺の肩を、誰かが叩いた。
「----田辺さん」
 穏やかなその声は整備主任----原だった。
「あなたが泣いても、機体は元には戻らない」
「--------」
「私は帰らないつもりだけど、手伝う気、ある?」
 田辺の顔を覗き込んだその顔はひどく疲れていた。折角の美人が、目の下にクマを作っている。目も少し充血していた。
「----主任、司令は、」
「言わないで」
 唇にそっと指を当てられる。
「言ってる時間なんてないよ。この機体でまた狩谷くん送り出すつもりなの?」
「----えっ」
「田辺さん、担当、三番機にしたから。ヨーコさんと入れ替えてもらった。私も、三番機につくわ」
「----主任が??」
「私の腕があれば何とかなるような気がしない?」
 その言葉が、嫌味にならない実力の持ち主ではあった。
 しかし、その原が自ら現場にあえて下りて来る決意をしたということは。
 田辺の中に、----真っ黒な影が沸いた。
「さっ、かかるわよ」
「は、はい、主任」
「私はもう主任じゃないよ、単なる同僚」
 工具箱を軽く持ち上げて見せて、原は笑った。その笑顔は眩しくて----そして、とても、痛かった。

 ----ここ数日、ハンガー内の時間は完全に混乱していた。
 もちろん、幻獣の襲撃に夜も昼もないのは当然だ。だがこの所は特に戦闘が頻繁で、1日たりとも休む暇は存在しなかった。
 あちこちで、仮眠しているのか倒れているのかの瀬戸際のように整備士たちがぐったりしている。誰も、ほとんど家に帰りもしない。眠れるのは戦いの最中だけだった。
「汗が気持ち悪……」
 目が覚めた田辺の耳に入ったのはそんな原の一言だった。
「やっぱ、シャワー室、あった方が、いいかな……」
 いいかも知れない。空腹には慣れているが、油まみれで張りつく髪の毛には慣れたくもない。
「出来てまシたよ、Shower」
 軽い足音と一緒に、ヨーコの声が降って来た。
「司令、作らせてたらしいでス」
 少し髪が濡れている。相変わらず服は汚れたままだが。
 精神的な部分をリフレッシュするには悪くない、と思えた。
「起きてる人〜」
 原の呼びかけに応えたのは、結局田辺だけだった。

 何日ぶりに顔を洗ったんだろう、と、あまりに女の子としてはげんなりな考えを、お湯と一緒に洗い流す。この戦時下で何処から手に入れたのか、ボディシャンプーまでちゃんと揃えてあるのは、純粋に嬉しかった。
「----何者なんだろ、速水って」
 浴びた後、身支度を終えて、鏡の前で唇にリップクリームを伸ばしながら原が呟いている。
「----はい?」
「----いや、普通、小隊の司令にあそこまで強固な人事権なんてないでしょ」
 とっさに、狩谷のことだとすぐに気づく。
「----口説いた、んじゃぁ、ないんですか」
「自分から乗ったって思ってるんだ、真紀ちゃんも」
「………」
「……私なら嫌よ。死にに行くようなものじゃない」
「----でも」
 戦果は、実際、凄いのだ。
 三号機だけで、コンスタントに15体以上は必ず潰して来る。そのたびに機体はボロボロになっているが、ひどくバランスの悪い使われ方をしているので壊れない方がおかしかった。
 だからこそ整備士が死ぬほど忙しい目に遭っているわけだが。
「----まあね。嫌々やらされてるんじゃ、あれだけ成果を挙げては来ないでしょうけど。芝村さんの実力もあるとは思うよ」
 ちなみに同乗の芝村も見かけるたびにかなり辛そうではあった。
 何処をどう調整すればフォローしやすくなるか尋ねたら、「無駄だ」と突っぱねられたこともあった。
『あやつは、嫌がるのだ、そういうことを。あそこまで頑固な自尊心の持ち主だとは思っていなかった』
 そう、むすっとして言っていた。
 それでも最近は、時々フラフラしながらそっと田辺の元へ来ては、調整を頼んで行くこともあった。みんなにはその「芝村」の名のせいで近づきがたいと思われているようだが、田辺には彼女がただほんの少し不器用なだけだと段々判るようになっては来ていた。
 ----安堵、という言葉からは遠く離れた日常。
 ふう、と長いため息をつく----そのことすら、決して許されることはなく。
 ----耳をつんざく音。

「----嘘でしょう?」
 原が、一瞬シャワー室の壁に自分の頭を預けた。
「----原、さん?」
「マズいよ、早く行かなきゃ」
 走り出す。

 ハンガーの整備士たちの顔は一様に青冷めていた。そこに立っているのは速水司令。
「ダメです、今度こそダメっ」
 原が飛び出して、凄い形相で速水に食ってかかっている。
「まだバランス悪過ぎます、パイロットの体調だって」
「司令は僕です」
 ----彼の声は、とても、綺麗で。そして刃物以上に鋭くて。
「それに、僕は知ってる。確かに完調じゃないけど、戦えない状態じゃない」
「パイロットはあなたじゃない!!」
「彼は優秀です。判ってるはずですが」
「でもッ」
「出撃準備を」
 ためらいなく振り向いて降りて行く。指揮車へと。
 茫然としたまま。
 誰もが思う。
 狩谷が、もっと臆病であればいいのに、と。

 それは整備士たち全員の中に生まれた、奇妙な予感だったのかも知れなかった。

 ----掃討戦に入った途端、三番機は止まったそうだ。
 去って行く敵をまるでただ見送るように。
 戦場に取り残された機体。
 そのまま回収して来て。コックピットから出て来た舞は、彼女らしからぬ取り乱し方をしていて、周りを大いに戸惑わせた。
 その混乱の理由はすぐ判った。
 被弾した場所が、悪かったのだ。
 機体の損傷は思ったほどではなくて。だから外側から見れば誰も気づかなくて。

 狩谷は、生きていた。
 でも、----生きているだけの存在。
 ただ、----呼吸するだけの肉体。

 狩谷は、5121小隊から除名された。


〜 第三章 〜

『屋上で待つ』
 まるで告白でもするようなその手紙の筆跡は、芝村だった。

「----どうしたの、芝村さん」
 ぺたん、と座り込んでいる芝村の横に田辺も腰を下ろす。
「食べるか」
 差し出されたのは、かなり熟練した腕前と思われる手作りサンドイッチ。小さい頃はパン屋かお嫁さんになりたかった、と話していたぽややんな笑顔が脳裏によぎった。
「自分の弁当がある、と言っているのに、よこされて……困っているのだ」
 さすがの田辺もそれは何だか困る。サンドイッチ屋じゃないんだから、あげるからには芝村に食べて欲しいに違いないのに。
「----でも」
「困って、いるのだっ」
 むうっ、とむくれて、田辺に押し付けるようにする。何故か真っ赤だ。
「あれも----何というか、無神経で困る。普通、女の方が弁当を作って、あげる、とか、世間というものは、そういう……私は別に貢がれて喜ぶような女でもないのに、あれはっ、----」
 そして何故か田辺を睨んで、
「ふつうは、どうするのだ、こういう場合ッ……」
「----?? こういうって……」
「は、話しかけられるたびに、あ、暑くてならぬ。どうも、その、----風は冷たいんだが、身の内が----、その上、そんなものを食べてしまったら、……」
 ----めちゃくちゃな理屈である。
 とりあえずありがたく受け取っておくことにした。それで、この芝村のかわいい大混乱が収まるのなら、そのくらいはどうってことはない(むしろありがたくはある)。
 しかし、あの速水はどうも自作の食べ物を配りたがるくせがあるような気がする(田辺もクッキーでその洗礼はさんざん受けた)。受け取るたびにパニックになっていたのでは、さすがの芝村も大変なのではないか、と変な同情をしてしまった。
「田辺」
「うん?」
「なかなか、皆は対等に話してはくれぬ。ありがたいと思っているのだ」
 突然、真剣な顔でそう言われる。
「私だって、友達、多くないから、友達でいてくれるのは嬉しいよ」
「そうか?」
「うん」
「そうか」
 嬉しそうだった。少しだけ。

 友達、として始まった付き合いでは、もちろん、ない。三番機整備士の中で、田辺が一番話しやすかったに過ぎないのだと思う。
 原は整備士の女の子たちみんなに好かれてはいるが、それで逆に奇妙な派閥のようなものを形成していて、正直、外側からは入りづらい。田辺は目をかけてもらってはいるが、芝村がそこに割り込むのは難しいだろう。
 森は、芝村には近づきたがらない。茜の義姉と聞いてからは、深く突っ込みたくはなかったが、さもありなん、と思えなくもない。
 だから田辺だった。それだけなのだと思う。
 でも、彼女はいい子だ。
 基本的に田辺は人を悪く思うことは少ないが、それでも、芝村は表面がキツそうなだけで悪意はないのがよく判った。
 時々、こうして女同士で、最近は特に、恋するあまりにハチャメチャになっている舞の話を聞いていた。
 三番機パイロットとして一緒に初めて働いた時から、色々話をしていたのかも知れない。司令としてのやり方が強引であることに引っかかってしまった田辺にとって、速水という「ただの少年」の魅力はもう全く見えなくなっている。
 だからこそ心おきなく応援出来る、という一面もあるにはある。
 体が火照ることすら自分で理解出来ないほどに彼女は恋にパニックになっている。
 というより、彼女は恋をしたことがないのかも知れない。
「告白、しちゃえばいいのに」
 結局2人で自前のお弁当を広げて突つきながら、そうやってそそのかしたくなってしまうのだ。
「こ、こここ告白というのは、つまり……」
「好きだって、言えばいいのに」
「----そ、そそそのような、私の口からそのようなことっ、誰があれのことを好きだなどとッ……」
 自分で既に言ってしまっていることにすら、彼女は気づいていないのだ。

 ----くすくす笑える平和な昼休み。
 三号機が出撃「出来ない」故に生まれた余裕。
 戦況は、全く芳しくはなかった。友軍の助けと士翼号がなければとても乗り切れない、綱渡りのような勝利を繰り返していた。
 それでも----。
 その日だまりを、少しだけ堪能していたかった。----卑怯だとは、判っていても。

 やがて、周りの静かな噂で、芝村が速水に告白したらしい、と聞いた。
 と同時に、それを速水が断った、----とも。
 1組はそれで何だか大変だったらしい。芝村が物凄く落ち込んでいて前以上に荒んでいる、という言い方をしたのは新井木だった。ちょっとぶつかっただけで斬られそうな目で睨まれるらしい。
 どんな目なのか想像はつく。
 しかしそれにしても、速水がわざわざそれを断ったのは意外だった。実際、仲は悪くなさそうだったし、田辺は、うまく行くことしか考えていなかったから。
 速水が何を考えているのかまでは、田辺には計り知れない。悲しいけれどそれは誤算だったのだ。
 芝村に悪いことをしたかも知れない、と、少し田辺は後悔した。

 午後。ハンガーで芝村のパイロットの仕事を手伝いながら、何気なく謝った。予想はしていたが「そなたが謝ることではなかろう……」と弱々しく返された。
「もう、よいのだ。暑くもないしな」
 パニックは過ぎたらしい。でも、残り火も完全に消せているのかどうかは、まだ判らない。
 ----耳障りな出撃命令。でも三番機は出ては行けない。ただ黙々と仕事を続けながら、出撃する士翼号を見送る。

 泣き声を、聞いたような気がした。

「芝村さん、何か言った?」
「----いや」
 そっと、三番機に触れる。
 まただ。
 この感触----。

 泣いていた。『主人』を守り切れなかったと。
 呼応するように、予備機として着いたばかりの士翼号からも微かな気配を感じる。
 ただそれは気配だけには収まらなかった。
 小さな音と共に、カメラ・アイが田辺に焦点を合わせる。
 ----「見つめられて」いた。
 じいっ、と。

「……田辺」
「----えっ」
 いつの間にか、隣に芝村が立っている。
「2人目だな」
「何が」
「----士翼号に『一目惚れ』される人間だ」
「ひ……ひとめぼれ??」
「速水もそうだった。士翼号は滅多に自身の意志をそれと判るほど表に出すことはないが、時々そうやって、誰かに『目をつける』ことがある」
 田辺が少し歩く。カメラ・アイが、それをちゃんと追いかけて来る。
 しばらくうろうろする。異様に静かなハンガーに、小刻みに切り替わるカメラ・アイの少し甲高い作動音だけが木霊する。
「田辺」
 どう受け取っていいやら、困ったように士翼号を見上げていたその肩に。
「そなた----乗ってくれぬか、三番機に」
「--------」
 振り向いた。滅多に見せることのない辛そうな表情がそこにあった。
「滝川も狩谷も、相性は合わなかったらしい。遺伝子的な相性では速水が一番合っていたらしくて、それに比べると、2人とも、マッチング率としては最低だったらしい。
 しかし、隊の中では、実力から言って狩谷が一番優れていた。戦車兵としての、総合的な力がだ。狩谷にしてみれば、自分のハンディを越えるために必死に訓練したり勉強したりした結果なのであろう。
 迷ってはいたんだ、あやつも。だから最初に滝川が志願した時は救われたとも言っていた。だが結局----」
 田辺は、ただ頷く。
「狩谷に頼むしかなかった、誰に憎まれても。あやつはいつもと同じ笑顔でそう言ってた」
 そうか。
 だから好きになったのか、と田辺は思った。
 たとえ嫌われ役になったとしても、自分が必要と思える選択を、出来る人間だから。
「そうしなければもっと隊はボロボロになると。隊を救うために、もしかしたら、『スケープゴート』になるかも知れない、とは、思っていたと」
 何かを思い出したように俯いて。
「----田辺」
「はい」
「----うまく説明出来ぬ。ムナサワギ、とか、言うのか、普通は」
「胸騒ぎ?」
「この辺で----」
 くしゃっ、と自分の胸をつかむ。
「何かが囁いてる。そなたと組んでみよ、と」
 そして真っ直ぐに田辺の目を見て。
「この感覚も、2人目なのだ----速水以来なのだ」

 速水に口説かれた時は眼中になかったのに、その言葉に、田辺の心は動揺した。
 速水が何を考えて田辺に目をつけたにせよ、----今の話と総合する限り、無茶なことをやろうとしてのことではないのかも知れない。
 意味はあるのだ、恐らくは。
 ----でも。
「----今の私には……」
「訓練しよう、どうせ機体は完調過ぎるほどなのだから、もう良い」
「ちょっ……芝村さん」
 引っ張られて、ハンガーを連れ出される。
「説明を、つけたいのだ、このムナサワギとか言うやつの。せめてそれだけでも----」
 見つめられて。
 思わず、頷いてしまった。

 深夜になって、出撃隊が戻って来た。
 芝村に付き合ってかなりへろへろになっていた田辺も、何とか体を起こす。
 夜の仕事を乗り切るためになけなしのお金をはたいたコッペパンを走りながら少し食べた。
 ハンガーに飛び込む。
 整備士たちの声にならない悲鳴がしていた。雰囲気が暗い。
 後からやって来た芝村もさすがに息を呑んでいる。
 一番機と二番機は、破棄する以外にない。残骸、としか言えないほどめちゃめちゃにされている。指揮車も前線に出て被弾したと横で誰かが言っていた。無傷なのは補給車ぐらいだと。
 誰も戦死はしなかったのが唯一の救い。ただし、友軍は何機か撃墜されたらしい。
 スカウト2人も、指1本で崖からぶら下がっているかのような状態にまで、傷ついて、追い込まれていた。
 ウォードレスも、恐らく使い物にはもうならない。
 物資が一気に底をついた。複座型1機と士翼号1機を残して。
 弾倉や武装品だけはあっても、機体がなくてはどうしようもなく。
 ましてや----パイロット不在の複座型。
 出られる機体は、実質、士翼号1つ。
「一番機に、頂けますよね、士翼号」
 壬生屋が少し痛そうに腕を押さえながら凛とした声でそう言う。遮断し切れなかったフィードバックが腕に響いたのだろうか。
 ちら、と司令の目が彼女を見て、
「構わないけど----それ、完治させてからにして下さい。出られるのは壬生屋さんだけですから」
 ざわっ、と空気がどよめいている。誰もが不安そうに壬生屋を振り向いている。
「はい」
 田辺のいる位置からは、それが見えた。
 壬生屋の腕。少しだけ、角度が不自然だ。多分骨折している。
 そんな風になるなんてどうやったら----一番機の整備はそんなにひどくはなかったのに……。
「----脱出した後に、ウォードレスで被弾したんですよ」
 田辺の疑問に気づいたように低い声がそう言った。整備主任の座について補給車で出撃していた善行の声だった。
「----私にはもう判りません。彼なりの基準はあるのでしょうが」
「……はい?」
「三番機ですよ」
 眼鏡に無機質な蛍光燈が映り込んでいるせいで、表情はまるで見えなかった。
「あなた以外を、乗せる気はないらしい、あの男は」
 『あの男』。
 15歳の少年に向けられたその言葉に、何処か刺が含まれているような気がしたのは、----気のせい、なのだろうか……?


〜 第四章 〜

 ダミーバルーンを相手に気楽に練習なんてしていられるのは長くて1日。それでも、速水司令は笑っていたのだ。「これが、最大限の譲歩だから」
 その配置換えが発表されて半日。ひどく悪い命中率に激しい自己嫌悪に陥っていると、次々と様々な生徒たちが田辺に声をかけて来た。
 戦闘系の技術。今まで覚える必要なんてなかったはずのこと。走り、集中し、避けて、そして撃つ。ある人は不安そうに、ある人は妙な尊敬の眼差しで、田辺に色んなことを教えに来てくれた。
 壬生屋と、一緒に訓練する。竹刀のダブルブレード。腕を最大限使って。後ろから迫る敵でも機動力と剣だけでさばいて行く彼女の動き。
 それには、まだ追いつけるはずがないのに。
「弾倉は、いつかなくなります」
 壬生屋の瞳は迷いがない。
「火器にだけ頼っていては、自身を守ることさえ出来なくなる。最後に、太刀があるかどうか、使えるかどうかが、生死を分けます」
 理解している。もちろん。
 でも、----1日で何が出来る? 今までロクに訓練もしたことがないただの整備士の自分に。戦うことなんて、考えたこともなかった自分に。

 戦場に立ってさえなお、震えることしか、出来ない自分に----。

「田辺!」
 振り切れてひびの入ったような絶叫。びくん、と身を震わせて慌てて応える。
「な、なに?」
「考えなくていい。壬生屋のそばに行け。集中して、ミサイル、そして戦線離脱! とりあえずそれだけでいいから!」
 慣れない機体をそっと動かす。深呼吸して、走り出す。
 幻獣たちの矛先が一瞬戸惑っているのが判る。
 壬生屋は煽動に徹しているように見える。細かく動き続けるダブルブレードの隣を抜けて。
 最後は跳躍。
 一斉に壬生屋から逸れる幻獣たち。振り向こうとしている。その間に。
 ミサイル。
 ザラついたノイズの向こうから聞こえて来るオペレータの声。千切れて飛散して行く幻獣たちの向こうに、ミサイルでは弱かったらしくまだ無事なミノタウロスの姿が現れる。
「間に合わない」
「えっ、何、何?」
「蹴る! 迷うな!」
 左に飛ぶ。射程から外れて向こうが体制を立て直そうとする間に、芝村の誘導もあってそのミノタウロスを蹴り上げる。撃破。
 壬生屋の太刀があっと言う間に周辺のナーガを血祭りに上げている。
『敵は撤退を開始した』
 少し走る。敵が撤退して来る道筋と垂直に射線を捉えてアサルトを連射する。オペレータの瀬戸口の声に奇妙な戸惑いのカケラのようなものを意識する。
 田辺にだって判らない。
 さっきまで、動かすことにすら戸惑っていたはずの自分が。
 ----何故そうしようと思ったのか。

 初めての田辺機、戦果は14。
 壬生屋機と三番機だけの出撃で大勝を叩き出した。
 戻って来た三番機の状態に原と森も驚いている。
「----綺麗なもんね。田辺さん、実は向いてたんじゃ? 田辺さん抜けた穴はイタイなあと思ってたんだけど、何とかなりそうね」
 原が感心したように言う言葉に、
「いえ、たまたまです。スキュラもいませんでしたし----まだ、膝、震えてます」
 それは本当だった。
 原が、ぽんっ、と肩を叩く。
 にこっ、と笑った顔が少し崩れて。
「もう、あんなの----狩谷くんみたいな使い方、しないでね。整備士、死んじゃうよ、あれじゃあ。もちろん、パイロットだって……」
 辛うじて涙を食い止める笑顔に、田辺はただ、頷いていた。

「はいっ」
 朝からハンガーにこもっていた時、上機嫌の司令官が何かを投げてよこす。サンドイッチ。
「やっぱり見込んだ通りだったね、誰に教わったの、掃討戦であの位置につくなんて」
 楽しそうだった。とても。
「芝村さんです」
 そう答えておいた方が多分無難だと思えた。意識することもなく考えることもなく、何故か、動いていた、なんて、田辺自身にも何だか気味が悪いのだ。
「HR出てなかったから知らないと思って知らせに来たんだけどさ」
 隣に立って士魂号を見上げながら。
「茜くん、三番機整備に入ったから。自薦で」
「----そうですか」
 このところまともに会ってもいない。仕事場ではもちろん顔を合わせるけど。
 一応、付き合っているのだ。今の生活は全然それどころではないが。
「一番機は」
「原さんが移った。壊し屋の方がやりがいがあるって」
 思わず、くすっ、と笑いが洩れる。基本的には原は仕事熱心なのだ。ただ、この1度の出撃で田辺が『壊さない』パイロットだと決めつけるのはまだ早いと思うのだが。
 ----でも。
 何だかんだ言っても、あの茜が、わざわざ転属を願い出てくれた、というのは、ちょっとくすぐったかった。
「もう昼だよ。一緒にどう?」
「いえ、結構です」
 司令がのんびり昼を食べようなんて言い出しているということは。
 とりあえず昼休みの間は出撃はない、ということ。
 田辺は手を止めて、ぐい、と伸びをした。
 傍らの荷物を抱えて、階段へと向かう。午前中、茜を1階で見かけたような気がしたからだ。
 途中で、茜に会う。向こうも昇ろうとしていたらしく。
「……時間、作れ」
 仏頂面が目をそらす。
「うん----屋上で、いい?」
 こくん、と頷いた。

 ただ近くにいるだけの関係。ぼんやりと。多分、そういう誰かが必要なのだと思う。今の彼には。
 まだ『自分』を確立さえしていない危うさを、復讐だけが支えて来た。そのひずみを、少しずつでも、解き放ってあげられるのだとしたら。
 役目はそこまでなんだろうな、と田辺は思っていた。
 それは恋ですらなく。
 異性である限り、恋という言葉に逃げてしまえば、とてもとても簡単で。
 だから茜は告白して来たのだろうと思う。
 それに違和感を感じる時もきっと来るのだと思う。
 それは恐らく彼が大人になる日。
 復讐という名の幻獣に、食いつぶされた心を、彼が取り戻す日。
「日曜、付き合え」
「出撃、なければね」
「----うん」
 それまでのゆりかご。

 ----その約束は、残念ながら守られなかった。
 田辺機2度目の出撃は、学校で待ち合わせていた9時をちょっと過ぎて、まるで狙ったように訪れた。

 今度は初陣ほど怖くはなかった。初陣の成果もあったが、何しろ二番機(パイロットは岩田)もスカウト2人も復活している。
 だから複座型の役割は。
「芝村さん」
「何だ」
「今度こそ、突っ込みます」
「……フォローする」
「はい」
 段差を飛び越えて走る。装甲のせいで少し重いので壬生屋よりは遅いが、彼女が引きつけて削る間にじりじりと懐に迫る。
 岩田は撹乱する気でいるのか。教室で1人で踊っているのは奇妙だが、戦場で派手に動く彼はそれがどんなに有効であるかを計算して行動しているように見えた。
 スカウトは小さなヒット・アンド・アウェイを繰り返している。
 ----みんな無理しないで!
 祈るように、一気に距離を詰める。狙いを定める。
 横からレーザーが飛んで来た。がくん、と衝撃が体に伝わる。
「田辺!」
『田辺機被弾しました!』
 芝村とオペレータの声が少し遠く感じる。
「大丈夫っ……」
 フィードバックは緩和されているとはいえ、めちゃめちゃ痛かったのが正直なところだった。でも、痛いです、なんて言っても足しにはならない。強がりの方が、まだ役には立つ。少なくとも自分に言い聞かせる程度には。
 ----ミサイル。潰れて行く幻獣たちを捉えながら、恐らくまだ潰し切れないはずの大物たちの動きを計算しようとする。
 更に敵陣へ。
「田辺、ムチャするな、これ以上突っ込んだら----」
 飛び込むついでにミノタウルスに蹴りつける。というより、踏み潰す、といった感じ。でも力が出ていない。被弾したことの影響をまだ体感出来ていなかった。
「まずい、スキュラの射程に----」
 目の前が真っ白になった。
「田辺!」
 揺れている。何故バランスが、と思った時には士魂号の腕がないことに気づいた。痛い、などという生易しいものではなかった。
 後ろから壬生屋機が突っ込んで来るのが判った。でも間に合わない。
 動けない。
 自分の手はそこにあっても、動かすべき部位はもうないのだ。
 たとえ自分がどうにかしたくても、でもそこはもうどうしようもなくなってしまっている。
 脳裏に取り乱した芝村が浮かんだ。植物状態になった前任の三号機パイロットの姿も。
 装甲がふっ飛んで目の前で弧を描いている。
「脱出して!! 田辺さん、もう無理よっ!!……芝村さんもッ!」
 悲鳴に似た壬生屋の声に、ほとんど反射行動的にコックピットを抜け出した。
 強い風。方向感覚がつかめない。若宮がウォードレスの田辺の体を抱えて飛ぼうとしていた。
 でも芝村がいない。
「----芝村さんがっ!」
 振りほどいく。
「無茶するなッ!」
「嫌! 芝村さんが----芝村さんが……」
「----田辺!」
「見殺しになんて出来ない」
 がくがく震えながら銃口を向けた先は若宮だった。
「邪魔、しないで」
 それは一瞬だけで。
 田辺は走り出す。壬生屋が飛び込んで敵を食い止めている。倒れた士魂号の後部座席のコックピットから中に呼びかける。返事がない。
 ----どうして!
 どちらかが死ぬ運命なら……
 生き残るべきは私じゃない----!
「芝村さんっ!!」

 風が----その方向を変えた。
 誰もが一瞬----幻獣たちですら----動きを止めて空を見上げた。
 その風に乗って、何かが飛び込んで来る。がんっ、と重い衝撃の割に動きの速い「それ」は、両手に掲げたバスーカでスキュラを撃墜したかと思うと、バスーカを捨てて走り出した。
 ひたすら蹴る。蹴る隙間に足から太刀を抜き取る。
 壬生屋と同じくダブルブレードと装甲1つ。
 なぎ倒して行く。回避したり防御したりすることはない。----血に飢えた侍。
『敵は撤退を開始した。掃討戦に----』
 声が終わらないうちに、「それ」は大破した三番機に太刀を向けた。
「ダメっ、止めてっ!」
 叫んだ田辺に----カメラ・アイが向いた。
「…………??」
 はなれて
 と言っているように見えた。
 取り残された戦場。離れた田辺の目の前で、「それ」は太刀の先で器用にコックピットを抉り出した。芝村の体が、地面に転がり落ちる。
「芝村……さん??」
 背後に車の音がする。
「田辺!----芝村は」
 珍しく焦っている。多分笑ってない。振り返った視界の中で指揮車から飛び出した速水が、ぐったりしている芝村を抱き上げて車内に運び込んでいた。

 ----あれは----

 強風の中、見上げた視界に佇む士翼号にパイロットはいない。
 調整もまだ済んでない。来たばかりの。
 まだ真新しい----。

 カメラ・アイが田辺を見ていた。
 ただじっと。
 追いかけるように。


〜 第4.5章 〜

 昼。
 教室から先生が出て行った途端、田辺は手にしたばかりの黄金剣突撃勲章をゴミ箱の底に投げつけた。
 一瞬、そこにいた全員が息を呑んでそんな田辺の行動を見ていた。
「----もったいない、と思うけど……」
 恐る恐る小声で囁いたのは滝川で。
「欲しいなら、差し上げます。どうぞ」
 手の先でゴミ箱を示し、しばらく反応を確かめるようにじっとしていたが、硬直してしまった滝川を見ると、目を伏せて教室を出る。
 呆気に取られている教室の中で、瀬戸口は窓際にもたれたまま哀れむような目で田辺の背中を追っていた。
 速水が、捨てられた勲章を拾い上げていた。自分の袖口で汚れを落とすように払ってから、教室を出ようとする。
「無駄だと思うけど」
 瀬戸口の声に振り返った顔は珍しく怒っていた。
「無駄だよ。受け取りゃしないって」
「--------」
 ぎゅう、と握り締めていた手が弱々しく下がる。指先にぶら下がる勲章。
「あの子は」
 瀬戸口の声は、ギリギリ速水だけに聞き取れる程度の呟きだった。
「死のダンスを踊るために、ここにいるわけじゃない」
 不思議そうに瀬戸口を眺めている瞳に、
「……乙女としちゃ、戦果を上げるよりカレシの心を撃ち抜く方が大事でしょう、うん」
 憮然とする速水。『司令』ではない時の速水は、判りやすい少年ではある。
 芝村にはかわいそうだが、彼は別な人に叶わぬ恋心を抱いてしまっている。
 何せこの少年は、その人にはまるで好かれちゃいない。その上、向こうは既に彼氏つきなのだ。しかもずっと年下の。
「……瀬戸口さんじゃないんですから」
「うーん、バンビちゃんにそう言われるのは淋しいなぁ……」
「その呼び方止めて下さい」真っ赤になって反論する。
「小鹿ちゃん」
「同じですッ」
「仔猫ちゃん」
「変わってませんっ」
「んじゃぁ」
 ぐい、と顔を近づけて
「『芝村の犬』」
 最上級の笑顔で囁いて、一気に顔色の引いた速水を後にして教室を出る。

 あの時から----
 初めて、戦場に出た時から、ひょっとしてこの子は、という予感があった。
 『彼ら』----士魂号たちを「目覚めさせて」しまうトリガーを持ってしまった戦士。恐らく、速水は(自分が同類であるだけに)、それが見えてしまったんだろうな、とは思っていた。
 ただ問題は田辺自身がそれに気づこうとしていないこと。
 あそこまであからさまに士翼号に「助けられて」もなお、それが自分の『才能』であることを彼女は認めたがらない。
 どう考えても、その回避率では避けられるはずのない攻撃を避けてしまう。
 頻繁な出撃のために、機体の調整はいつも中途半端な三番機を、それでも戦場では最強の機体に変貌させてしまえる。
 それに合理的な説明をつけようと思えば辿り着く答えは1つしかない。
 ----彼女は好かれているのだ。そして、守られているのだ。『彼ら』に。

 自動的なる死を告げる舞踏の者が
 悪い人間と幻獣双方を狩る

 恐らく、「その存在」が持つ素質のひとつであるはずの才能。
 それでもなお、田辺という少女は、「ひと」であることを選ぶつもりなのだろう。
 潜在的に。
 ----あるいは、意図的に。

 (それもまた、世界の選択か)

 暗くなり始めた空を見上げながら、瀬戸口は胸の内だけで静かに呟いた。


〜 第五章 〜

 静かな機械音。
 デッキの柵の間からぶら下がっている茜の足が所在なげに揺れている。
「----手伝ってくれる?」
「--------」
 無言の拒否。
「んじゃ、手伝おうか?」
「全然壊して来なかったの、自分で判ってるだろ」
「でも今は仕事時間なんだよ、一応」
「昼休みだって仕事してるくせに」
 ----まるで子供。
 いや、子供、なのだ。まだ。
 その足が引っ込んで、軽い足音とともに隣へと下りて来た。田辺の手元を覗き込んで、流れて行く性能値に舌打ちしてから、
「----充分なんじゃないの?」
「うん、まぁね----」
 ただ怖くて仕方ないだけ。
 あの時、自分だけが脱出に成功した瞬間のことが田辺の頭から離れなかった。
 たとえパートナーが誰であろうとあんな怖い思いはもうしたくなかったのだ。
 だから出来る限りのことをしたいだけ。後悔するぐらいなら、その前に。
 自分が死ぬことよりも、自分のせいで誰かが死ぬ、と思う方が怖すぎた。心が引き千切られそうだった。
 あれから戦果は順調に伸びているし、機体を傷つけることもあまりなくなった。自分でも信じられないほど、田辺は戦う自分を受け入れられるようになっては来ている。
 ただ、他の戦闘員のように撃破数で一喜一憂する気分にはなれない。
 田辺の戦い方をたいていの生徒は「もったいない」と言う。
 目の前に、確実に殺せる敵がいたとしても、誰か他の味方が危険にさらされていればそちらを優先してしまうから。
 ともに乗っている芝村は、どちらかと言えばもう諦めた、といった風情だ。田辺の戦果が芝村の戦果と直結する限り、彼女にはそれなりに文句を言う権利はあるはずなのだが、口に出しはしなかった。
 生徒たちの噂話に混じらないことで、消極的な味方に立ってくれている人達もいるにはいる。瀬戸口や善行がそうだ。
 そして----この茜。
 ただ、彼の場合は。
「----あのさ」
「ん?」
「やっぱり、怖いよ。そんなに----そんなに戦うことに必死になんてならないで……」
 いつもとはあまりに違う、弱気な涙を含んだ声。
「田辺が----『芝村』に近づいてるような、気がして----」
「そんなことないよ……戦うことに必死になんて、なってない」
 とん、と膝をつく。
「守ろうとしてるだけ。みんなを。私の----出来る範囲で」
 涙を見せてくれるだけ、前とは違う。
 それでも時折、あの時の----暗殺計画に芝村を巻き込もうと画策していた時の、思いつめたような色を感じてしまうのが、ほんの少し不安だった。

 ----サイレン。
 急に動き始める人達の合間に、昏い自身の闇に落ちて行きそうな顔で、茜は取り残されていた。

 士魂号に命が灯る。
 視界が自分の視力を越えた広がりを持ち始めて。
「----田辺」
 落ち着いた中に少し弾んだ芝村の声がした。
「これが終われば、確実だな」
「何が?」
「アルガナだ、決まっておろう」
 ----ゴミ箱の底に叩きつけたはずの名誉。
 殺戮の証明なんて、欲しいと思ったことはないのに。

 ----でも。

 終わらせて戻って来た時間はまだ夕方で、大部分の人が学校に残っていた。
 その田辺を見る目は、それまでとはまるで違っていた。
 微妙な距離がそこにある。
 その人並を抜けて、ただぽつぽつと歩いて教室に戻った。
 誰もいない教室で。
 田辺はただ立ち尽くしていた。
 廊下の人影は多分茜だとは思っていた。
 向こうも声をかけて来ることはなく。
 田辺も話しかける気分ではなく。

 違う、と思っている。ただ。

「田辺」
 本田先生の声がした。
「………はい」
「明日、準竜師が来る。お前に、アルガナ勲章を渡すために」
「--------!」
「尚敬の事務長室だ。8時15分。遅れるなよ」
 軽く手を挙げて出て行く先生の後ろ姿から、すぐに茜を探した。
 いない。
「----茜く……」
 廊下に出る。見回す。既に姿はない。
 ハンガーに飛び込んで聞き回っても誰も知らない。
 そこにいる、とは、思いたくなくても----心当たりはそこしかなかったのだ。

 小さな窓からの夕陽の中で立ちすくんでいた少年は、息を切らせて近づく田辺に向けて、ひどくふわふわした微笑を浮かべていた。
 その扉は尚敬の事務長室の前。
「----変なこと考えないで……」
「何が?」
 くすくすと、楽しそうに笑う。
「来ちゃだめ、明日の朝は、ここには、絶対----」
「何の話?」
 歌うように。
「僕はただ、散歩してただけだよ」
 軽い足取りで、その場を離れる。
 とても楽しそうに----遠ざかる。

 終わっていない。
 終わっていないのだ。
 田辺の中から溢れ出した震えが止まらない。

 今の自分に斬れるのは幻獣だけなのだと。
 彼の心に潜む闇は、どうすることも出来なかったのだと。

 血の色とともに、その現実を、つきつけられたような気がして。


〜 第六章 〜

 金色の翼----
 制服の胸元に黄金剣突撃勲章がなかったせいか、一瞬手を止めた後に、その勲章が彼女の胸に落ち着いた。
 さすがにその場でゴミ箱に叩き付けるわけには行かない。一礼して、そそくさと立ち去ろうとする。
 杞憂、だったのだろうか。
 茜の姿は見かけなかった。朝、少し早めに来て、彼が何か仕出かしそうになったら止めてから授与式に臨もうと思っていたのだが。
 部屋を出る。中にさらに一礼して扉を閉じて----
 そこに。
「----気分はどう? また『芝村』に近づいたってわけだ」
 抑えた、でも喉の奥から絞り出すようなその声は、最初にあった頃に戻ったように冷たくて。
「そこをどけ」
 ドアノブを、放せなくなる。後ろ手につかんだまま、立ちはだかる。
「どけ!」
 首を横に振る。
「……裏切るのか」
 唇を噛んだまま、田辺はただドアをかばう。
 彼をこれ以上の闇に落とすわけには行かないのだ。
 ただ食い止めることしか出来ないとしても。
 救い出してあげることは出来ないとしても----。
「----何の騒ぎだ」
 こもった声とともにドアが開く。予想してなかった動きに一瞬よろめいた田辺の脇を、茜がくぐり抜ける。
 声にならなかった。ただ叫んで、無我夢中で茜の体に飛びついた。手の中から転げ落ちたナイフが床を滑り、革張りのソファの下を通って、準竜師の足元でくるくる回った。
「----っくしょうッ、離っ……!!」
 やはり田辺では、暴れる少年の行動を完全に封じることなんて無理だった。突き飛ばされて、壁にしたたかに背中をぶつける。見上げた視界で----準竜師の手の中の刃先が茜のすぐ目の前で鈍く光っていた。
「----見なかったことにしてやろう。祝いの席だからな」
「わっ……」
 咄嗟に叫ぶ。
「私のです! 返して下さいッ!!」
 茜に----彼の手にそれを渡すわけには行かないと思った。
 準竜師は一瞬驚いたように田辺を見て、それから、ゆっくりとナイフを差し出す。柄の方を向けて。
「----とんでもないお人好しもいたもんだ」
 そう、言われたような気がした。
「----裏切り者ッ!」
 先生たちに引きずられて行く茜の声が遠くなる。
「……裏切ったな! 僕を----裏切ったな!!」

 全身が、痛かった。それ以上に……
 ----心が、痛かった。

 尚敬高校に懲罰室なるものがあるのを知ったのはそれが初めてだった。
 基本的には戦車学校である以上、軍としての規律を学ぶ上で必要だから、というようなことを、本田先生から説明された。
「勲章もらった当日に入るやつも珍しいけどな」
 少し苦笑してくれた。キツく怒られて扉が閉まるよりはいくらかマシだった。
 半日だけ、そこにいるように言われた。状況から見ても明らかに、田辺は止めに入ったのだということは先生方も理解していた。しかし、だからと言って何もしないわけには行かないのだ。田辺は、事前に気づいていたのに、何も予防策を講じなかったのだから。
 茜がどんな罰を受けることになったのかは聞けなかった。ただ本田先生は「俺から聞いたって言うなよ」との前置きつきで「多分似たようなもんだろ」と教えてくれた。
「……たまに発揮される『温情主義』ってやつなのかね。ま、茜は昔、芝村と色々あったらしいから。情状酌量の余地があったってことじゃないか?」
 他生徒には知らされることはない、とも言ってくれた。

 遠くから学校生活の騒音が聞こえて来るだけの静かな時間。
 小さな高窓の光で胸から外したアルガナ勲章を眺める。
 芝村が昔、田辺に話してくれたことを思い出す。
 300の敵を狩る者。
 人類の決戦存在。
 HERO。
『速水に会った時、あやつがそうなのではないかと----そうであれば嬉しいと、思っていた』
 顔を真っ赤にしてそんな話をしてくれていた。
 ----その半分、の証明。

 これを受け取ることが決まった戦いの後で、人々が自分に向けた視線。

 アルガナは----
 ひとがひとから「存在」へうつる最初の引き金なのかも知れない。

 鈍い金属音。
 床に転がったそれを、拾う勇気がもう出せない。
 自分が自分でなくなって行くような。
 自分ならざる何かに変革されて行くような。
 そんな感触が----拭えない。

 怖くなる----戦うことが。
 目を閉じて、沸き起こる悲鳴を、抑えつけようとした時に----

 バタン、
 とドアが開いた。
「田辺、来い」
 まだ半日はたっていない。
 本田先生だ。顔が蒼白だった。
「何ですか」
「あいつ----ピッキングツール隠し持ってやがった」
「えっ」
 とっさに頭が切り替わらない。
「お前を呼べってうるっせーんだよ」
「は、はい?……」
「屋上! 飛び降りるってわめいてんだよ!」

 尚敬高校の屋上。
 貯水槽のさらに上。
 空気が違う。下の校庭も騒ついていた。
 睨むように屋上の入口に目を向けていた少年は、田辺が息を切らせて昇って来るのを見て、ふっ、と表情を和らげた。
「連れて来たぞ、だから降りろ!」
 本田が田辺の腕をつかんで、人身御供に差し出しでもするかのように、ぐい、と押し出した。
 転びそうになって体制を整えて立つ。
 息が上がっていた。
 肉体的な疲れというよりも、あまりの緊張で気を失いそうで呼吸が早くなっていた。
「----来い」
 茜の声がした。
 戸惑って振り向く。
「来い! ひとりでだ!!」
 背中に、突き刺さるように。
 本田が、仕方ない、というように頷く。

 膝ががくがくする。
 士魂号に乗る時よりも絶望的に怖かった。

 頼りなげなはしごをよじ登って辿り着く。
 茜の表情は、近づいた途端に急に泣きそうに変わった。
「----何で、こんなこと……っ……」
 声が震えていた。
「知りたいだろ?」
 歪んだ微笑が浮かんで。
「教えてやる」
 こくんと頷いた田辺の前で。
「『芝村』の温情で生かされるなんて最低だ」
 そして喉の奥で、くくっ、と笑って。
「そして裏切り者に----」
 一瞬、ひどく強い風が吹いただけなのかと----
「----一生、後悔させるために、だ」

 揺れる。

 悲鳴と絶叫。

 そして----

 空をつかんだだけの、てのひら。


〜 第6.5章 〜

「--------」
 どういう神経なのだろうか、あの司令は、と加藤は内心思っていた。
 最初はとりあえず遠慮してみた。一応は上官だから。
 だが、さっぱり聞こえてやしないのが判ってからは、仕方なく強硬手段に出る。
 どんどんどんっ!
 ただでさえ建てつけの悪いプレハブが壊れそうに揺れる。
 調理場で俯いていた背中がびっくりしたように振り返った。
「--------」
 無言で睨みつける。
 ガラスの向こうの顔は----えへら、と笑っていた。
 ----力が抜けた。

 別にいいのだ、戦時下でクッキー焼くこと自体に反対はしない。こっちがなけなしの経費をどう生かそうか悩んでいるのに、準竜師と何やらひそひそ話している翌日にひっそり砂糖が届いたりするのも、見なかったことにしようと思う広ーい心も身についた。
 珍しく悲痛な顔で加藤に話しかけたと思ったら、オーブンの調子が悪いってため息つかれたことも忘れてあげることにした。
 ブレッドナイフ1本ぐらいあってもいいよねって言い出したことは向こうから「いや、忘れて、冗談」と言って来たから冗談ということにしておいた。
 しかしだ。
「もう勘弁して下さいよー。司令がいないたびにみんなに嫌味言われるのウチなんですから……」
 金回りはどうにか出来ても、本人がいないことまで加藤にどうにか出来るはずもなく。
 ましてや幻獣の出現は絶対に待ってなんてくれないわけで。
「惜しいなー、今度こそ焼き立てのアツアツなやつを食べられると思ったんだけど……」
 指揮車に向かいながら、濡れた小犬みたいに落ち込んだ顔で、クッキーの心配をする司令が何処にいる。
 人を動かすことに関しては冷酷ですらあるのに。
 (なんっか、バランス悪い……)
 つくづく、そんな風に思うのだ。

 翌日。教室に行くと、部隊の損害が大きいので持ち場へ、と貼り紙がされていた。
 足早に隊長室へと向かう。請求書やら見積書やらがたむろしているデスクに着く。
 司令の顔をした速水が入って来る。ちら、と加藤の方を見て奥へ。
 加藤がここで仕事をしていると、色んな人たちとぶつかっている速水の言葉は嫌でも耳に入って来る。
 あのクッキー小僧とのギャップが激しいことに、前から多少疑問を持っていたのだ。
「----なぁ」
 とりあえず手元の書類から目を離さないまま加藤は話しかけた。
「何でそんな悪い人のフリしてんの?」
 わずかに動きが止まったように思えた。
 見上げた視界の中にいる姿は普段と変わらない。
「もっとやり方あるんと違う、わざわざ嫌われるような言い方せんでも」
 目は書類の上にあっても、意識がそこにないのが判った。
「----速水」
「ケンカしているネズミたちを仲直りさせるには、どうしたらいいと思う?」
「……は?」
 にこ、と加藤に笑いかける。
「昔の寓話」
「……あったっけ、そんなの」
「うん」
「----知らんわ」
「そう」
 また書類に戻る。
 ----何なの?
「答えてないって、それ」
 消化不良の加藤をほったらかしにして、速水は席を立った。
「ちょっ、速水、待っ」
「善行さんに相談したいことあってさ。急いでるから。それじゃ」
 ----そんな(一見)きっちりした言い訳まで考えている時は、たいてい嘘だ(そのせいで何度も、何も知らない善行が冷や汗をかくハメになっている)。
「……何やの?」
 話したくないのだということは、何となく判ったが。

「それって、『黒い月』が救世主だっていうカルト宗教の話じゃなかったっけ」
 夜。加藤は、たまたま味のれんで鉢合わせた森とコロッケを食べながら、『ケンカしているネズミ』の話をしてみた。その答えがこれだった。
「----カルト宗教??」
「黒い月はいわば、ケンカしているネズミの中に放り込まれた猫のようなものだ、って。賛成はしないけど----でも、まあ、確かに、『黒い月』が現れてから、人類の中の内輪もめはあんまりなくなったよね。身内でケンカしていても、外側に『絶対敵』が現れれば、身内は、自然に結束しちゃう。その『外側の絶対敵』に対抗するために。そんな理屈だったと思うよ。----でも、何でそんな話が気になるの?」
 速水が言った、とは言わなかった。
 それでも、森はしばらく黙った後に、ため息とともに呟くように言った。
「----今の速水くんと似てるかもね」
 飛び上がりそうな心臓をごまかすのに必死だった。
「速水が?」
「5121小隊がさ、他の部隊に比べてかなり戦力値が大きいのって、まぁ、士翼号と士魂号のせいで数値的に大きいってのもあるけど、みんな結束力が高いっていうか……、仲、いいせいもあると思うんだ。もちろん敵は幻獣だからそういう意味では人類みんな仲良しなんだけど、それとは微妙に違う部分で」
 残るコロッケを放り込んでむぐむぐ食べながら森は続ける。
「狩谷くんの時に、何かそう思った。整備士、あの時、凄かったよね。たった1人を守るために異常なぐらい結束してたと思う。多分、個人個人が出来る能力以上の仕事をしてたと思うよ」
 思い出したように目が遠くなる。
「----おまけに口を開けば速水の悪口だったし」
 ぷっ、と吹き出した加藤に釣られるように森も笑って、「加藤も同罪! まぁ、矛先はちょっと違ってたけどさ」
「そやね」
「でもね、」息を継いで、「同じ話題----悪口だけどさ、でも同じ話題で、みんな同じ考えで、『あいつが悪い』ってことに、してしまえてた。今は何か微妙に割れてるっぽいけど……」
「割れてる、というほどでもないよ。戦力的にギリギリな激戦区ばかり行かされる上に機体評価がキツくて絶不調でも出されちゃうとか、にこにこ笑ってるのにめちゃめちゃ高レベルのこと平気で要求して来てしかも絶対譲歩しないとか、まだ共通認識なんやないの、部隊内では」
「うん。そう。で、『速水が悪い』でとりあえず胸はスッとする。全員がね」
 納得したように森が1人頷いている。
「そこまで本人が意識してんのかどうかは謎だけど。何かぽやーっとしてるし。自分のやり方が嫌がられてることにも気づいてなかったりしてね」
 いや。
 多分、気づいているのだ。
 思いっきり。
 おやじさんから閉店時間が過ぎていると言われて、慌てて食事を片づける。店を出て、学校に戻りながら、他愛のない話で盛り上がる。
 ハンガーの闇に消える森を見送って手を振る。
 その手が、ぱたん、と落ちる。
 加藤の視界に入って来た速水は、その手の上に可愛らしい紙ナプキンの巾着を乗せていた。
 多分その中身は。
「----また焼いてたん」
「これはもらいもの」
「……珍しいこともあるもんやね」
 心当たりは約1名いないこともないが。----告白して振られたらしい物好きの顔がちらっと浮かぶ。
 隊長室に駆け込んで行く後ろ姿を見送る。
 それにしても。
「……かなわんなぁ……」
 そんなことに気づいてしまったら、『絶対敵』ではなくなってしまうのに。
 (----ま、嫌っといたるよ、その方がやりやすいんなら。)
 闇の中にぼんやり浮かぶその灯りに向けて、加藤もゆっくり歩き出していた。


〜 第七章 〜

「----田辺」
 ノイズの向こうから聞こえて来る芝村の声が、現実のそれなのかどうかすら、もう田辺にはどうでも良かった。
「故障、どうだ」
「今、動作テスト入ろうとしていたところです」
 テストなんて別にもう何度もやったのだけれど。
「----そうか」
 とりあえずそう言えば1時間は誰も寄りつかなくなるから。
 ----と、思ったのに。
「出て来い、いい加減。コックピットはそなたの個室ではないのだぞ」
 口調は相変わらずキツいが、それは彼女なりの友情表現ではあるのだ。
「…………」
 お腹はすいていた。確かに。
 田辺は、ぐい、とハッチを開けて、外に出る。4時間はこもっていたかも知れない。慣れるまでに目を瞬いて、眼鏡をかける。
「----どうもその、婉曲表現とかいうやつが我らは出来ない性分なんだが」
 腕を組んで芝村が話し出す。
「いいよ、はっきり言って」
「転院する、茜が。山口に」
「--------」
 思い出すだけで心に槍が刺さる名前。
「自然休戦期に入った後にでも、会いに行けば良い」
 芝村が小さな紙片を差し出した。彼女の手で書き写された住所らしきもの。
 その病院は----
「……しっ……、仕方なかろう、設備が一番整っているのは何処も殆ど我らの直属なのだ。あやつも、意識不明なのだから嫌がっている余裕もないだろうに。だいたいにしてあの状態の患者を動かすこと自体、ちゃんとした設備や人のいないところには出来ぬ相談なのだ。だからだな、その、もし無事に目が覚めた後で行きたい所があるなら自由に何処へなりと行けば良いのであって、まずは生きなければ話にならんだろう、人間というやつは、普通は、」
「----もういいよ、ありがと、舞」
 芝村は、内心焦り出すと妙に饒舌になるくせがある。
 まだギリギリで人類優勢とはいえ、鹿児島や福岡は幻獣の手に堕ちてしまっている。危険を避けるため、転院『させた』のが真相だろう、と思った。
 『芝村の温情主義』。
 多分、気が狂いそうに茜は嫌がるだろうが。
 生きられないよりはずっといい----と思いたい。
 ただ、もう向こうは会いたいと思ってくれてはいないだろう。
 田辺はその紙を職員室に持ち込む。誰もいない隙を見て、教師の机からライターを借りて、灰皿の上で火をつけた。

「----一番機担当整備に異動させて下さい」
 かなりの沈黙の後で、ようやく田辺は本題を切り出せた。
 準竜師は長い間、指先1つ動かさずにそんな田辺の顔をじっと眺めている。
「今、複座型の戦力が下がるのは相当に困るな」
「--------」
「どちらかと言うとそなた自身も無理と知っていながら陳情しているように見えるが」
「--------」
「却下する。今の小隊にとってそなたの存在はある意味で『棘』だな。----文句があるなら、そうしてしまった司令に言うがいい」
 ぷつん、と通信が切れる。背もたれに体を預けてため息をつく。
「----で、文句って何」
 入口から入って来た声がゆっくりと歩いて司令席に座った。
「いえ、何でも」
「そう」
 ----がっかりする必要はないと思うのだけれど。
「あ、そういえば、これ」
 がさがさと音がしたかと思うと。
 いつものようににこにこと小さなナイロンの袋を取り出し、
「傑作、絶対」
 楽しそうにクッキーを差し出された。

 その、次の朝に。

「----田辺」
 教室に向かっていた時、小さな声で呼び止められる。坂上先生だった。
「隊長室へ行ってくれ。準竜師が内々に話したいことがあるそうだ。HRは欠席していいぞ」
「はい」
 昨日の今日で、異動させてくれるとはまさか思っていなかったが、ひょっとしたら、という気持ちが何処かにあった。
 呼出音がやけに長く感じる。
 出て来た準竜師は、最初に釘を刺すように、「あれを受け入れたわけではないぞ」と前置きする。そして。
「むしろ、その逆かも知れぬな」
 その後から流れて来た言葉は。
「----一機で、戦場に降りて欲しい。敵は何体いるかは不明だ。増援も、ありだ」
 幻獣の中の強硬派との「外交官」だという言葉を使う。この成果次第では戦局の大幅な変動もあるだろうと。
 田辺はただ眉をしかめて、黙り込んで聞いていた。
 確かに、一機で何体いるのか判らない敵を相手にするとなれば、ミサイルを積んだ複座型が一番適しているだろう。「今、複座型が戦力下がるのは相当に困る」と言った昨日の言葉に説得力が増す。
 返事を求められる。
 自信は、まるでなかった。
「----私には、無理です」
 消え入りそうに。
 長い沈黙がその後に続いて。
「----そうか」
 皮肉な声が聞こえる。
「まあいい。代わりはいくらでもいるからな」
 田辺の目がちらりと画面に走った。
 ----代わり。
 単座型の2機はまだ完調ではなかったはず。
 ましてやスカウトでは----
「待って下さい」
 それは戦うための戦いではない。そう言い聞かせるようにしながら、それでも、田辺の心の何処かで、そんなの自己欺瞞だ、という絶叫が聞こえたような気がした。
 また『芝村』に近づくのかと----。
「----判りました。私が出ます」
 守りたかった。自分がそう出来るなら。
 ----たとえそれが言い訳に過ぎないとしても。

 授業には出ずにハンガーに向かう。最終チェック。全体的に高めに維持するように普段から心がけていることがこんなに安心感につながったのは初めてかも知れない。
 しばらくして芝村も姿を現す。
 パイロット系の最終調整を芝村に依頼すると、背後に回って、工具箱を再び引っ張り出して来る。
 今の三号機整備士は、正式に配置されている整備士は森しかいない。あちこちに声をかけて手伝わせているとは聞いていたが、それでも限界はある。原がかなり手を貸してくれていて、田辺も時間があればそこに入って、そしてもちろん戦闘で極力無理な戦い方をしないように気をつけて、それでどうにか保っている、という状況だった。
 3人揃っていた時----狩谷がパイロットだった頃----に比べると、思うように調整は進まない。ましてや今は期限つきで、誰にもその作戦を話すことは出来ないのだから。
 落ち着かなければならない。
 深呼吸をして、一瞬、目を閉じる。
 次に開いたその目にあるのは。
 ただ強い意志。それだけ。

 夕方になって、本来の仕事時間になって森がやって来る。いつの調子で一緒に仕事をする。知られてはならない使命はひた隠しにして、味のれんに夕飯食べに行こうと誘われても、ちょっと気になることがあって、と笑顔で断る。
 人の引いたハンガーに低い機械のうなりだけが残される。
 そこに入り込む靴音。
 黙り込んで見下ろす視線。
 ----動かない。
 コンソールに映り込んだその人の目は不思議なほど切なそうに見えた。
「--------」
 必要以上に時間をかけて振り返った時には、既にいつものぽややんとした笑顔。
「夜食」
 差し出されたサンドイッチは「ありがとう」と受け取っておいた。
「23時、隊長室に来るようにって」
 事務的な口調でそう告げる。そして、手を軽く挙げて、階段を足早に降りて行く。
 決戦は0時。
 時計を見上げて、それから芝村の元へ向かう。
「----舞」
 やはりコンソールを睨んでいた芝村が振り返った。
「ちょうど良かった、今そっちへ----あぁ」手元のサンドイッチを見て、「また配り歩いているのか、あの男は」
 少し不満そうだった。傍らの荷物の上にも同じような包みが乗っていた。
「ありがたくいただこうかと思って。お腹すかせて戦うのは、今度ばかりは、ちょっとね」
 少し冗談に紛らせて。
「そうだな」
 芝村の表情も和らいだ。

 まるで普段のランチのような1時間。
 他愛ない話の間にちょっと出て来た速水の名前。
 パニックはもうないけれど、どこか切なさを残した彼女の速水への思いをひたひた感じたりする。
 (これが終わったら、キューピットになるのも悪くないかも。)
 田辺はひとりでそんなことを考えていた。


〜 第八章 〜

 ----指揮車もいないのか。
 ただ広がっている幻獣たちの射程を冷静に把握しようとする。
 装備は変更されているが、必要以上に好戦的になっているらしい幻獣たちに対抗するには装甲はあった方がいいという理屈なのだろう。
 地形を見る。盾として使える隆起を意識して。
 まずは----。

「plan-G、行きます」
「判った」

 走り出す。多少機体が重い。少し横にそれながら狙いを定めてアサルトを連射する。射程ギリギリで、跳びながら彼らの射線を避け続ける。
 出しうる限りの集中力。きたかぜゾンビは一撃。眼中にあるのは主にミノタウロスやスキュラ。削り続けるしかない。
 アサルトの弾がなくなったら即座に逃げ出す。まずは飛び越えて。越えるついでにアサルト本体でナーガを殴りつける。そして少し走りながら弾倉を交換する。
 まだ被弾していない。
 追いすがるように絡みつく幻獣たちの射線がこっちを捉え始めた。
 跳ぶ。翻弄するように動き回る。
 振り返って撃ち続ける。近づいて来るスピードを見ながら、接近戦になりそうになったら蹴り上げて道を作ってまた逃げ出す。

 逃げ続けて撃ち続ける。敵が増援を呼ぶ気配がないのは数がまだ相当残っているからだろう。最後にアサルト本体を投げつけてゴルゴーンを潰して、翻ってジャンプする。
 丘を盾にして、----田辺は大きく息をする。

「plan-M、行きます」
「油断するな。防御を」
「うん」

 丘に上がる。
 相当数の幻獣たちが近づいて来る。
 今はただ踊る----からかうように、誘うように。時折防御しながら、彼らが集まるのを待つ。
 少し被弾はしたがほとんどがミスしている。機体の回避力も高い。それに今は装甲の効果もある。

 だから踊る。
 死のダンスを。

「一掃出来るな」
「はい」

 丘の影へ。しゃがみ込んでモニタの情報だけを頼りに狙いを定める。
 ミサイルの発動までがやけに長い。無防備になることをもちろん承知でここを盾にしたのだ。
 外さないで。
 それだけを願って----。

 次々に爆発しては消えて行く幻獣たち。丘へと登りその断末魔を冷静に見送る。潰し切れなかったのかタイミングを逸れたのか、ミノタウロスが1体だけまだ残されていた。
 瀕死だ。太刀を手にする。しかし。

「増援が来る」
「----えっ」

 きつい後悔だった。でもどうしようもなかったかも知れない。ミノタウロスはいるがまだスキュラがいなかったのは救いか。

「M、だな。体制を立て直そう。時間ならある」
「うん」
 走る。新たな盾の影へ。
 彼らが動き出す間にミサイル倉を装填する。
 ----これがなくなったら後は太刀しかない。
 ミノタウロスと接近戦をやらざるをえないと思うとかなり頭が痛かった。

 身を守りながら挑発する。
 跳びながら、あまりに近づき過ぎたヤツらは斬り捨てる。
 射線を外しながらミノタウロスにヒット・アンド・アウェイを繰り返す。他の幻獣たちには必要以上に構わないことにする。
 そして今度こそ終わらせる。
 この一撃で。

 狙いを定めて飛び出したミサイル。

 消えて行く幻獣たちの合間にまだ残るミノタウロス。

「plan-F」

 芝村の声とともに、回避しながら飛び出す。
 疾走した勢いでキック。射線を外すように跳んで太刀を回す。
 向かって来るもう1体はミサイルで削られている。向かって行く。向こうがこっちを向いた途端に横に飛んでその脇から太刀で抉る。

「あとは!」

 叫んだ田辺の耳に届いたのは静寂。

「終わっている」
 芝村の声はとても冷静だった。

 その頃になって、田辺は、自分の手が小刻みに震えているのを意識していた。
 どうしても止まらないそれが、自分の本心のような気がして。

 ----涙が。
 零れ落ちた。


〜 第九章 〜

「いい天気でスね」
 ぱたぱたとはためく洗濯物を見上げるヨーコと石津。
 その光景だけは、戦場の匂いがしない。
 太陽は暖かい。
 5月という季節そのものは、いつものように、暖かい。
 自然休戦期が近づいている。有無を言わさずそこで戦争はいったん中断する。
 そうすれば自分の役割もいったんは終わる。肩の線と勲章で判断される世界からの解放。
 小隊に入った頃は、自分が前線に出るなんて考えたこともなかった。でも、結果として、自分がやれる役割を果たすことが出来たんだと、そんな風に思うことは出来る日々だった、と思う。
「……授業……」
「ハイ、もうすぐでス」
 2人に促されて席を立つ。
 あれから----降下作戦から、人類側は押していた。それまでは授業に出ずに機体調整をすることが多かった日々もいささかのんびりしていて、このところは調整の必要がないほど完調での待機状態が続いている。だから、授業に出て、英語や数学といった授業をぼんやりと受けていた。
 自分の席に着く。先生が入って来る。机の中からノートやペンケースを引っ張り出そうとした時に、紙が落ちる。
 白い便箋。何気に拾い上げて机に戻す。
 午後の授業が終わった後で、改めてその紙を引っ張り出す。自分の膝の上で広げる。
 ----『屋上で待っています』
 その手紙の筆跡は、見慣れていた芝村のそれとは、少し違っていた。

 綺麗な夕焼けをバックに、屋上で椅子代わりに使われているプラスティックケースに座る後ろ姿はいつもと変わりない。
 足音に気づいたように立って振り返る。
「--------」
 仕事の話なら多分隊長室に呼び出されるはずで、屋上という場所柄、個人的な用なのかも知れない。
 この速水がにこにこ笑っているのはそのどっちでも変わらないので、どうにも判断がつかないまま田辺は身構えていた。
「----状況的にうまく判断出来なくてさ」
 いきなりそんな言葉から始まる。
「自分の中で決着をつけたくなって。だから、田辺さんにすると、ちょっと迷惑な話かも知れないんだけど」
「……何でしょう」
 珍しく少し焦っているらしい。田辺まで緊張して来る。
「----今でも、続いてる----のかな」
「……?」
「その----」
 言いにくそうに。
 みるみる顔が真っ赤になった辺りで、ようやく田辺も何が「続いてる」のかを理解した。
「--------」
 それは、田辺の方だって判らない。だいたい、今は、相手の意志の確認のしようもない。ただ、----
「----まだ、壊れたわけじゃ、ないと思います……」
 虫がよすぎる推測なのかも知れないとしても。

 朝のHR。
 物静かな口調が、自然休戦期に入る前に熊本を撤退する、と告げた。
 ここを捨てなければならなくなった。2度と戻れないかも知れないと。
 教室に流れる空気が一気に重くなる。
 最後の最後まで出来ることをやるしかない。
 機体を調整して、訓練して。
 今出来ることは、それしかないのだ。

 あの時にパイロットなしで舞い下りた士翼号は、あれから動かされないままハンガーに立っている。
 田辺は自分の複座型が完調の時は、お礼のつもりでその士翼号に手をかけていた。
 まだあれ以来実戦には1度も出たことはない。
 壬生屋機が大破して、もちろん予備機であった『彼』を一番機として配置し訓練したのだが、壬生屋本人が、何故か扱いにくい、と言って自ら陳情した初期型重装甲に乗り換えてしまった。
 二番機が大破した時は、岩田は乗ってたみたものの、「重い」の一言で初期型軽装甲に逆戻りした。それは、多分、彼自身のポリシーなのだと思っていた。
 だが実際はどうもそう一筋縄では行かなかったらしい。
 撤退戦に備えた装備として、もう一機士翼号が届いたのだ。その機体については、壬生屋もさほどの違和感を感じずに乗っていられたのだと言う。
 その上、教室で『彼』だけに特有の謎めいた乗り心地の悪さを話している壬生屋の横から、にゅう、と瀬戸口が顔を出して来て一言告げたのだ。
「あれは田辺さん専用機」
「----何故そんなことが判るんですっ?」
 普段から瀬戸口のフェミニストぶりに声を荒げている壬生屋は、そうでない時まで何故か刺々しい口調になってしまうらしい。笑顔ながらも怖そうにちょっと下がった瀬戸口は更に、
「乗ってみれば判る、多分ね」
 と付け加える。
 何なんですか、あれは! とひとりでむぅとしている壬生屋を宥める。
 考えてみたことはまるでなかった。
 『彼』に誰が乗ってもいいようにニュートラルに調整していたつもりだけれど、それが自分である可能性は全く考えていなかった。
 そう言われると気になる。
 何せ瀬戸口が、本気とも思えないデートやランチを誘いに来た以外の話題で声をかけて来ることは珍しい。そして、その珍しい機会に出て来る話は、たいてい、聞き流すべきではない何かがあるのだ。
「ちょっと乗ってみようかな」
「田辺さんまで?」
「複座型は絶好調ですから。実践に出るわけじゃなくて、内部シミュレイションだけ、ちょっと試してみますよ。何か判るかも知れないですし」

 放課後----。
 ----田辺はそっと『彼』に乗り込んだ。
 調整用シミュレイション起動。静かに、士翼号が目を覚ます。
 単座型は心細い。だが、士翼号の場合は、複座型で芝村が担っていたプログラム調整や機体バランスなど、ある程度は『彼』自身がそれをカヴァーしてくれている。複座型からいきなり初期型に乗るよりは扱いやすいかも知れないとは思う。
「どうなんだろう……」
 変な乗り心地の悪さみたいなものは感じない。コックピットの中だけで展開されるシミュレイションで機体を動かしてみる。
「----速い……」
 機体自体は重いが機動力はある。あの時の移動量の凄さを思い出せば予測は出来たはずだけれど、実際に試して実感すると思わず声が出てしまった。
「『翼』----か」
 スムースだった。動かすのに辛さはない。ニュートラルに、と思って来たバランスを崩して、扱いやすいように少しいじってみる。
『----田辺さーん?』
 外から壬生屋の声が入った。
「はい」
『どうですかー?』
 シミュレイタを切断。
 コックピットから降りた田辺は、壬生屋に向かって小さく頷いて見せた。
「----瀬戸口さん、正しいです、多分。この子には----この子にだけは、相性があるんだと思います」
「あら……」
 意外そうに答えて、士翼号を見上げる。
 小さなカメラ・アイが、さっきまで乗っていたパイロットを追尾している。
「----見られてますね」
「はい」
 三番機に乗れる人が他にいるなら、『彼』で一度実戦に出てみたかったな、と田辺は思った。


〜 第十章 〜

 撤退日が5月10日に決まった、という報せと共に、配置換えが発表されて、5121小隊は騒然としていた。
 最後の最後で、速水が司令を降りて善行が復帰したのだ。
 嫌なヤツだが、優秀ではある。それが、部隊内での共通評価になりつつあったのに、いきなり、自ら無職になったのだ。
 周りが不思議がるのは当然だった。
 当の本人はのんきにぽややんとした例の笑顔で、2組の教室を珍しがったりしている。
 誰も何も聞けずにいた。森は、田辺と弁当を突つきながら、一緒に教室にいるだけで何だかしんどい、とげっそりしていた。
「どう接していいのか全然判んないよ。授業ずっと出てるし……」
「そりゃ授業は出るでしょ」
「そぉだけど……ねぇ、善行司令は何か聞いてるのかなぁ」
「聞いてみたら?」
「同じ組でしょ? 昼休みとか、さりげなーく、こう、……ねぇ田辺〜」
「そんな……」
 無茶である。特に仲がいいというわけでもないのに。

 ただ、その翌日に発表された配置換えで、また小隊内が大騒ぎになった。
 善行は、田辺を三番機から降ろし三番機整備に配属し、後任パイロットに速水をつけた。元に戻ったと言えばそれまでだが。
 田辺本人は落ち着いていた。準竜師に整備士への転属を陳情したことがあるのを善行は何処かで聞いたのかも知れないと思っていた。
 しかし小隊内の空気は不思議がっていた。複座型に乗り始めて1ケ月でアルガナを手にしたパイロットが、何故降ろされるのか、理解に苦しんでいる人の方が多いようだった。

 その日の夕方。
 善行に声をかけられて田辺は隊長室にいた。仕事をしていた加藤すら外させて、注意深く声を絞って話し出す。
「手短に言います。上層部は、あの『不良品』の士翼号を実戦に出したいらしい」
 その眼鏡が田辺の方をちらりと見て、
「データが欲しいと。あの機体の反応の異常さの。シミュレイタ、動かしたでしょう。その結果がとても興味深いものだったらしいです」
 全てがそこでつながった。田辺をあの機体に乗せるとすれば複座型には自分が乗るしかないと速水は判断したのだろう。だから、あえて司令を降りたのだ。
「--------」
「勝手なものですよ。全く。まあ、彼らにとってはチェスの駒みたいなものなんでしょうね。『司令』でさえも」
 眼鏡を指先で押し上げて。
「正規の仕事ではありません。空港防衛戦のみの任務です。田辺十翼長」
 思わず姿勢を正す。
「あなたを、『四番機』パイロットに任命します」

 ----5月10日。
 速水は戦場に向かう前に田辺を連れて『彼』のところへやって来た。
 見上げた田辺の目の中の『彼』は、全身を青に塗られていた。
「ブルーウィング。……僕の中では『青き翼』って呼んでる」
 搬送用トラックの音が近づいて来ていた。
「データ転送モジュールが増えてるからちょっと反応速度が鈍くなっているかも知れない」
 その口調は司令の声だ。今でも、本当は誰が仕切っているのか、まざまざと見せつけられる、そんな声。
「シミュレイタでも補正かかってます?」
「……の、はずだけど」
「じゃ、あの引っ掛かりがその影響なんですね」
「乗ったんだ」
「はい」
「大丈夫そう?」
「見込んで早めに深めに動けばいいだけですから」
「そうか」速水の笑顔はとてもとても嬉しそうだった。「僕なんかの出る幕じゃなかったね」

 初めての単座型。いきなり初陣。でも、何故か不安はない。
 思念。この子の----『青き翼』から感じられるそれは、まるで懐かしい友人を迎え入れた笑顔のようにあたたかい。
 何故なのだろう。
 今までとは違う。

 『彼』を信じたくなったのだ。とても。
 複座型で相棒の舞を信じたのと同じように。

「出撃まで180秒」
 田辺にとっては初めて聞く、低く通る善行司令の声。

 出撃。

 壬生屋機が一番速い。次いで岩田機。彼は最近挑発役に徹していてくれてる。今回もその作戦は同じだろう。
 速水機は岩田機の煽動に乗せられた幻獣たちを綺麗に一掃すべく射程を調節するように動いている。多少突っ込み過ぎと見えるのは田辺が慎重過ぎるのだろうか。

 スカウトたちは回り込んでいる。無理をさせるよりはいい。

 スキュラがいる。まずはスモーク。元々「いない」はずの四番機がなすべき仕事は第一に後方支援だ。うまくスキュラの方角が定まる前に発動出来たのを確認して、壬生屋機のフォローに回るべく突っ込んで行く。

 複座型のミサイルが出た。「遺伝子的相性」なのだろうか。田辺が操っていた時より命中率補正がかなり強めにかかっているように見える。
 まさに一掃だ。芸術的なほどに。
 ----1ケ月も前線から離れていたのに。
 速水がパイロットとしてどんなに凄い素質を持っていたのかが、自分が乗った後の今は強烈に理解出来た。

 敵が増援を要請したらしい。まだこっちのダメージは少ない。
 壬生屋機に近づき過ぎていて、スモークで攻撃を無効化出来ないミノタウロスなどを中心に、四番機はライフルで遠隔射撃を続ける。彼女が接近戦を続けている限り、射角の狭いライフルでも割と簡単に射程に入ってくれるのだ。
 彼女を傷つけない。機体も、そしてプライドも。それを目標に据えた。

 速水のバスーカがスキュラを撃ち落とす。まだ1体いる。照準を定めかねて少しふらふらしている。
 若宮がいる。
 スモークがもたない!
 走り出す。力を出し切ろうとするとめちゃくちゃに速いのを実感する。ジャンプ。蹴り上げてライフル。何とかスモークの間に撃破した。

 スモークが晴れる。ダメージが重なれば雑魚のレーザーも致命傷になる。補給車に戻るべきか、と考えていた時、指揮車がスモークとジャミングを立て続けに入れて来た。
『戻るなら今だ』
 ノイズの向こうからの声。善行には判っていたのだろう。
 補給車で煙幕弾とライフルの弾倉を入れ替えているうちに、威力の弱い指揮車仕様のスモークは切れてしまう。
 入れ替えた途端に放出する。
 正解----援軍にスキュラがまた2体現れた。他の雑魚の数も多い。三番機が引き上げたのは恐らくミサイル倉の充填だろう。壬生屋周辺が雑魚しか残っていないのを確認して、撃ちに入った岩田周辺の大物たちをライフルとアサルトで削る。

 三番機が飛び出して来る。選手交代。スモークのうちに----
 来須に目をつけようとしていたスキュラへ白兵戦を挑む。ライフルを捨てて足から太刀を引き抜く。この機動力なら行ける。スモークの効果が切れるまではギリギリだが、この機体の回避力ならきっと。
 晴れる直前に指揮車の支援が入る。動くより今は切る方が得策だ。抉り続けて蹴り上げる。来須の高射機関砲が撃破する。
 続いてもう一体へ向かう。

 スモークが切れる。レーザーが来る。反射的に回避しようとしてその速さに自分が一瞬追いつけなかった。
 当たらない----これなら。
 横に前に飛んで煽りながら切る。間合いで機会があれば蹴りも入れる。殲滅。

 壬生屋機がまだ持ちこたえているのは珍しい。捨てたライフル本体を蹴り飛ばして近くのミノタウロスに突き刺しておく。後はアサルトでも行ける。
 残るは大した獲物ではない。
 アサルトの弾切れまで撃ち続ける。

 囲まれて目標を定めかねているきたかぜゾンビ。
 もはや敵ですらない。

『----飛行機は無事に飛び立った。全員機体放棄』
 ほぼ無傷の機体。でも、連れては行けない。
 一機だけの青。それが小さくなるのを補給車の荷台から見つめる。
 もう会うこともないのだろうか。
 ----いや、それはいいことなんだ。
 もう戦わなくて済むんだから。
 彼も----そして自分も。

 この手で、誰かを、守りきることが出来たんだから。


〜 最終章 〜

「志願兵を戦場で殺す権利はあっても、理由もなく志願そのものを潰す権利なんてないはずですよ」
 有能で冷静な----そして茜よりずっと年上の----事務官が呆れたようにそう言うのはもう何度目なのだろう。
「何故です。彼女は熊本のあの戦いでアルガナを取っています。参加する資格は充分です。むしろ、即席の学兵たちに比べたら、彼女のような人が来てくれるなら、ここも----」
「----出原(いずはら)
「はい」
 茜の、その事務官を見る目は、それまでに彼女を見たどんな目よりも冷たくて、そして強かった。
「僕が『司令』である前に『人間』でいられる瞬間もある、ということだよ」
「----それは許されない」
 声が震えている。
「そんなことをしていいはずがない。やはりあなたはまだ若過ぎるんだわ」
 がん、と立ち上がる。
「今まで死んで行った兵士たちが、これから死んで行く兵士たちが、それを聞いたらどんな風に思うか考えて下さい。戦場なんです。ましてやこの戦いは----」
 瞳が少し潤み始めていた。
「ひとの命がひとしく『軽い』、そうとしか思えない----そんな中で『特別扱い』される名があると知ったら」

 この戦いでは兵の名を記憶しないことに決めていた。
 そうでなければ精神がもちそうになかったからだ。
 だからこそ、その名前を兵に加えるつもりはなかった。
 ----田辺真紀。
 かつて自分に微笑んでくれた彼女の名を。

 士魂号、という名のついた戦車はここでは人型をしていない。
 その戦いを自分で動かしながら、あの時の----人型の士魂号がどれだけ奇跡的な機体だったのかを逆に認識していた。
 ただ、それは恐らく、ひどく作為的に集められたあの5121小隊だからこそ実現出来た奇跡。
 今はただ、名も無き兵士たちが体より先に心を殺し、戦場で最期の仕上げに体を潰す、そんな凄惨な日常を繰り返す。
 出来ることは多くない。
 潰されないために、守られるために、彼らを守る。
 スモークとジャミング。誘導と照準。必要ならば指揮車ごと盾になることもあるが、たいていは兵士たちのたくさんの死の方が先に盾になって行く。

 たくさんの死を生産するだけの。
 ----それが戦場。

 ----その出撃で、支援要請はことごとくはねつけられた。周期的に物資不足で極端に戦力値が低くなる時があって、今はちょうどそこにはまってしまっているのだ。
 自分も出るしかなかった。
 そんな時に現れた敵はかなりの大敵ばかりで、行けて辛勝、という計算しか出来なかった。
 撤退すべきか、今は。
 茜が唇を歪めた時、兵たちの掠れた声がわずかに耳に届いた。

 ----幾千万の私とあなたで
   あの運命に打ち勝とう
   どこかのだれかの未来のために
   マーチを歌おう

 やがてその声が合唱になる。それは心から恐怖とためらいを断ち切らせる悪夢の歌。----ガンパレード・マーチ。

「今は止せ!」
 声を張り上げても届かない。

「----オール・ハンデッド ガンパレード!!」

 部隊が突撃する。もうそれはひとですらない。

「出ろ」
「----司令?」
「黙ってアリみたいに潰されようとするのを放ってはおけない。あいつら----」
 ぎゅっ、と拳を握り締める。
「タイミングってヤツを----知らないのか?」
 青ざめている。自覚している。今は運転手となった出原の手も震えている。

 スモークとジャミング。指揮車の射撃系整備は優先順位を下げていたのであまり期待は出来ない。
 せいぜい翻弄させるぐらいがいいところか。

 幻獣たちの興味を引きつけて、そして逃げ出す。その間に絶叫とともに突進した戦車たちが確実に敵を潰して行く。
 逃げ出すという選択肢を見失った人間は強い。
 だがこの車は兵器ではないのだ。

「被弾しました! 無理です、下がりますっ!」
 出原の判断に口を挟む余地はない。彼女を殺すわけには行かないのだ。自分も----無理が出来るほど体が戻っているわけではない。
 がんっ、と横から衝撃が走る。体が叩きつけられる。
「司令!」
「気にするな! 逃げろ!」
 その一瞬が致命傷だった。

 車体が割れた。爆発・炎上する。抜け出すのが精一杯だった。一応ウォードレスは着てはいたが、今戦場に投げ出されたら一番何も出来ないのか自分だということも自覚していた。
 スカウトの1人がジャンプして来た。幻獣のレーザーがこっちに向かっている。
「--------!」
 彼は盾になる。倒れながら血を吐いて高射機関砲を撃つ。地面につくまでの一瞬でその死闘にカタはついた。破裂したウォードレスから覗いた瞳は、ただ満足そうに、茜の方に向けられて、やがて生気を失って行く。
 逃げ出す。生き残らなければならないのだ。自分だけでも。今だけは。
 それが今の自分の立場。

 目の前で盾になろうと動き出した兵たちの死が無駄に生産されて行く。
 無理だ。この戦力比では最初から出撃させるべきではなかったのだ。
 自分の判断の甘さのせいで。
 後悔しても今は遅い。

 もうだめかもしれない。

 一瞬目を閉じたその時に。

 風が----その方向を変えた。
 誰もが一瞬----幻獣たちですら----動きを止めて空を見上げた。
 その風に乗って、青が飛び込んで来る。桁違いに重い衝撃。両手にバスーカが見える。スキュラを撃墜したかと思うと、バスーカを投げ捨てる。走りながら太刀を抜いて。
 ダブルブレードと装甲。
 見上げる茜だけが、それが何だか判っていた。
「----士翼号……?」
 信じられなかった。

 戦況ががくんと変わる。突然現れた人型戦車になぎ倒されて行く幻獣たち。疲弊した兵たちの間に再び細く沸いた声はやがて歌になる。

 ----オール! ハンデッド! ガンパレード!!
 ----オール! ハンデッド! ガンパレード!!

 歌は叫びとなりそして士気となる。守から攻へ。突然現れた青い士翼号はスモークを放出して援護射撃に入る。

「司令……」
 茫然と震えている出原の目は士翼号から動かなかった。
「あれは、----もしかして、『かの一族』の-----」
 言えなかった。その存在ですら公式には出て来ていないはずの機体。国も軍も国連さえも望みながらついに手にすることがなかった新型。
 この戦いにだって、公式にはあるはずのないモノ。

 やがて----戦場は静かに消えた。
 殲滅され尽くした幻獣の前に立つ青い士翼号----
「……まさか、田辺?……」
 茜の呟きのような声に振り返ったカメラ・アイは、全身血の滲んだ茜の姿を一瞬捉えてすぐに逸れた。
 そのまま動き出す。
「田辺!」
 呼びかけた声に、反応はなかった。


 その後も何度か、その司令の危機を救うように----そう、彼が前線にいる時を選んだように、青は現れたが、その正体は結局表沙汰になることはなかった。

 半分の兵を失った茜作戦は、それでも人類勝利への起爆剤として作用する。

 茜だけはそうだと思っている。
 青と同じブルー・ヘクサの天使の翼----

 ----彼女だったのだ、と。

=== END === / 2000.11.07 / textnerd / Thanks for All Readers!

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