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kameのうわ言 (kame's Diary)
2008年前半(1月〜6月)
2007年後半
2008年後半
六月晦日

 パンチカードは湿気が大敵。そんなカードケースを忘れて待ち合わせの場所で雨に濡れながら佇んでいたあの子は今どうしているやら。 こんな日はガラパゴスが飲みたい気分。やっぱり船乗りだった父方祖父と活動弁士だった母方祖父の血が格闘しているのでしょうね。

  駆け巡る 配達の音 かき消して 雨降る夜明け 六月晦日

 6月は去って行きますが、まだまだ梅雨は終わりません。

2008年06月30日 05時32分
五月雨

 パンが無ければケーキを食べればいいじゃないか的な解決策に陥る今日この頃。 なにも言葉で呟くだけが呟きとは限らないと思い、絵や動画や楽曲を使っているけれど、言葉を発しない動植物の「呟き」には遠く及ばないのです。

  迷い道 己の罠に かかりもがくは 木漏れ陽微か じゃんぐるの中

  雨宿り いつもの店で 旨い酒 笑みで飲み干す 女将のお酌

  鳥鳴かず 遅い目覚めの 五月雨に おきどころなく ビートルズ聴く

2008年06月29日 06時24分
季節外れ?
 季節外れの牡丹?いえいえ吾が季節外れの旅人なのです。 思い込みは何処から来るのでしょう。それはきっと幼い頃の刷り込みかしら。疑いを知らない心に刷り込まれた正義は頑なに己を縛り付けるのです。そんな自分から吾を解き放たないと先にはいけないのです。
2008年06月27日 05時24分
あさに
 路地に咲く花の名前は知らない リンクは申請ではなく報告です 空気は読むものではなく吸うものです そして生きて、やがて往くんだね それまでは精一杯生きてやるのです 「人の世は言わぬが花と諭すけど そが語りかける梅雨の中休み」
2008年06月25日 06時14分
去る人あれば
 幾千幾万の先駆けした人々。彼ら無くしては今はない。翻って吾は何をしてきたかと思います。 先達の後について行くだけの人生でいいのだろうか。己が何か成せると思うほど傲慢ではないですが、ついて行けばよいと思うほど脳天気でもないです。 先輩たちの苦労とその有り難味を身にしみて理解できるなら、今度は吾の番だと思うのです。ですが何をしてきたかと振り返ってみると、さしたることも出来ていないことに気がつき忸怩たる思いになるのです。 まだ間に合うなら、せめて一つでもいいから何かをしておきたいと思います。
2008年06月20日 17時53分
大人と子供
 そこいらにある海岸と海水浴場の違いはなんだろうという話。 南の島からは海開きの便りも届く季節になりました。本州ももう直きです。子供の遊泳は監視員のきちんといる海水浴場でさせましょうという事です。「海開き」とは海水浴場を設置するということなのですね。設置したからにはきちんと監視しなければならないのは当然の事なのです。それが出来ない場所に「遊泳禁止」表示するのもまた当然なのです。
2008年06月19日 12時59分
ちいさくとも
 その健気さに心を動かされます。 目覚めてあたりを見渡せば皆生きていると感じます。馴染みのサイトを覗けば、そこにも健気な生き物の写真があります。 元気づけられます。
2008年06月05日 07時39分
陽射し戻る
 ようやく初夏の陽射しが戻ってきました。爽やかな陽気に誘われて街を散策してきました。 花々が陽射しを浴びて嬉しそうでした。いや嬉しいのはきっと小生なんですね。人の気持ちなんて小さいものです。 川を見ていましたら、老紳士に声をかけられました。いまは満潮ですねと。洪水対策のことなど語らってしまいました。 茜雲の上に顕われた月が、すっかり日が長くなっていることを気づかせてくれています。
2008年05月15日 18時40分
夜空の向こう
 信じ切ることが、なかなか出来ないのです。そこまで他者の人生に責任をもてるのかと疑ってしまう己がいるのです。己でもいやな性格だと思っていますが、これはもう直せそうもありません。直す時間もあまり残っていません。 もっと素直に生きたいとは思います。それは茨の道かもしれませんが、逃げてばかりいたのでは何も解決しないとも思います。 その夜空の向こうに何かがあると信じて生きていけたらどんなに素敵でしょうか。今ではもう遅いのでしょうか。やり直しはまだ可能でしょうか。それは自分の星だけが知っているのでしょうね。
2008年05月12日 18時03分
とおりすぎていく
 今日はメーデーです。 中央公園では「労働者の代表」による集会が行われていました。関係者だけのようで、とても盛り上がっているとは思えない様子でした。 小生にとっては、いまさら「労働者」でもないのです。 噴水の水が眩しい陽射しにキラキラしています。海がみたくなりました。そうだ鎌倉へいこう。 「夏告げる光化学スモック注意報 春を追い出す放送の声」
2008年05月01日 10時53分
旗日
 今日は昭和の日。いわゆる旗日の一つです。 ですが、最近では祝日に国旗を掲揚する家がめっきり減りました。いや殆ど見かけなくなりました。 勿論、公の場所には掲げられていますが、個人や団体では見かけなくなりました。そんな中、浅草の仲見世商店街の祝日は旗日なのです。 自国の国旗に敬意を払えないものは他国の国旗にも敬意をはらえられないでしょうね。国旗に色々いちゃもん付けて拒否している方々は、それがどんな旗になろうと否定するのです。なぜなら彼らの多くが日本という国家そのものを否定しているからです。 「消し去るも忘れ去る事も許されぬ 積み重ねたる それが人生」
2008年04月29日 19時18分
そこにはすでに夏の支度をし始めた花達
 路地では紫陽花が白い花を咲かせていました。鉢植えの促成栽培ものはすでに出回っていますが、季節どおりの路地はまだ白い花を咲かせたばかりなのです。 季節は巡って行きますが、少し立ち止まって小さな世界を見つめてみると、変わらないものがみつかります。それは命の循環です。 芽を出し、花を咲かせ実をつけ朽ちて逝く。実はまた芽を出し花を咲かせ実をつけて朽ちて逝く。その永遠の繰り返しが命をつないで行きます。 「蛙鳴く 田畑の水も 温む頃」
2008年04月27日 15時47分
みどりにかわるとき
 小生にとっての桜の季節が終わりました。これから風景は翠色に染まって行きます。小生のもっとも好きな時節がやってきます。少々花見に浮かれて暴飲暴食ぎみだった生活も節制していかなければなりません。爽やかな季節に向かって気持ちを切り替えていこうと思います。
2008年04月16日 08時02分
全額前納
 国民年金保険料 気持ちよく全額前納します。まあ前納割引を利用したいからですが。 見返りの保証がなにもないものを納めるというのは納得出来ませんから、これは目的税だと納得させています。素直に「国民年金税」と名称変更してしまえばすっきりします。 他にも「税」とは名乗らない「税金」は一杯ありますね。言葉を誤摩化して徴税するやり方は主権在民の国民国家とは言えないのではないかと愚考いたします。
2008年04月04日 12時34分
彼岸に思う 電波検知しない

 3時の横にあるランプが本来はついていないといけないのです。使えない電波時計です。ゴージャスな80年代の香りがします。後世の人はそれをバブルと言いますが、良い時代でした。 結局は人間が破るのです防火壁は。そして最期は人間が守るのですか。問題は中の人の資質とそれに見合うだけの待遇なのでしょうか。勿論その人や家族の安全確保も必須ですけど、実際はお茶飲んでだべっているお局様より低給で激務させられている su は結構います。「目覚めれば まだ夜明け前 月星みえず 春雨の音 街の灯たたく」

 故郷の空は鉛色の洞海湾の上に桃色混じりの煙が溶けていました。そのまま描きましたら、空は青いでしょ本当の色で描きなさいと担任教師に言われました。人は己の望みを現実と思いたがると、その時知ったのでした。 今日は春分の日です。おはぎの日です。

 仕掛けの二重化や攻勢防御は、無知な管理者から見れば無駄に見えます。保守保安要員が欠伸かいて鼻毛抜いているならその現場は静謐なんです。それを遊んでいるだの余剰人員だのといって削減してくるのです。

 父の後半の仕事は保守でした。小生も創作仕事より保守保安仕事が殆どでした。それは普段は見えない仕事で、事故事件が起こったら負けという現場でした。創作現場は華やかで素人にも成果が分かりますが、保守保安現場の成果は評価が難しいと言われます。そしてえてして冷遇されます。 事故の電話一本で飛び出していった父が現場で血を吐いたこともありました。小生も電報一本で零泊三日の出張をさせられたことがありました。結局父とは違う仕事をしたかったのですが同じ道を歩んでいたのです。父はそのような仕事に誇りをもっていました。ふと彼岸に亡父のことを思い出しました。

日時
ざんねん
 人文社の「大きな字の地図で京都を歩こう」は便利。温泉や銭湯が地図に表示されているし、歩く目安が徒歩時間で表示されている。街歩きして一風呂浴びたいなと思ったとき、これは結構便利なのです。 東京のとある街で温泉(銭湯)が潰れるという報道を見ました。京都も結構廃業していると銭湯のおばちゃんに聞かされましたが、それでも地図を見ると結構あるのです。我が町にも二軒ある。 銭湯をなくして平気な訳じゃないとは思いますが残念です。おばちゃん、お疲れ様でした。Tシャツ大事にします。
2008年03月18日 19時26分
LOVE
 旨いものを食べたら載せ、綺麗なものを見たら載せ、感じたことを書く。それはすべて分かち会いたいから。それがLOVEだと思うのです。 縁を大事にしたい。今日言葉を交わした人はタクシーの運転手、ふきのとうを取りにきていたおばさん、そば屋の女将さん、そこの常連の中年ライダー、野良仕事のおじさん、ばんやの隣にすわった若者達。皆一期一会ですが、それが縁だと思うのです。
2008年03月15日 21時21分
おとずれ
 ようやくと咲いてきました。 市内の河津桜が開きました。今年は遅いようですが、いつもの春にいつもの花は咲くのです。 夜は先輩の送別会でした。仕事一筋の方でしたから、退職後の身の置き所など語らいました。久しぶりに二次会でカラオケバーにも行きました。午前様も久しぶりの楽しい夜でした。 春の訪れは送別の季節でもあります。心うきうきする反面、寂しい気持ちにもなるのです。花が散り始めた頃、もう先輩の姿は職場にはいないのです。そして新しい人が入ってきます。 こうして季節は巡り巡って行くのでしょうね。
2008年03月05日 14時48分
はるはわかれ

  春告げる雷様の声響く 御免なさいと雛様なおす

  曙が瑠璃の光に混ざるとき 明日が今日に着替えるとき

 親は一生子離れが出来ないと分かった時、初めて親孝行したくなりました。でもその時すでに母は逝ってしまった後でした。もはや音にならない声で、ごめんねごめんねと言いながら逝ってしまいました。今年は13回忌です。

 春は張るから。。。木の芽が息吹き、花が咲き実を付けてやがて親木から離れて行きます。春は出会いの数だけ別れもあるのですね。歳を取ると別れのほうが増えて来るようにも思えます。

 菩提寺の寒桜は今年も花を咲かせ、そして散り始めていました。

2008年03月04日 10時47分
励起されて

「病は気から」の「気」は実は心持ちという意味ではないのです。生気と言っても、勿論日本語でいう「気持ち」ではない。気の持ち様で病気にならないなら、こんなに苦労はしないですむのですけれど。。。明日は定期診察日です。

 支那語で「気」と言った場合、気功とか気候とか空気とかの気です。その気の流れは当然人間の体内にもあって、それが乱れることを「病気」と言ったのです。現代医学でいう疾病とは違います。

  微笑むの いや笑いなよ声出して 腹からだから お腹もすくよ

 人の好き嫌いは千差万別。他人からみれば自分の嗜好が「あり得な〜い」と思われているかもしれません。ですから他人の好き嫌いにはちょっかいは出しませんから、小生の嗜好にもちょっかい出さないで欲しいと思います。

 己と違う嗜好している存在を認識しているのに「あり得ない」と言うのは「あってはならない」という意思表示なんです。政治家や役人や会社幹部の言う「あってはならない事」という発言と同根の匂いがしてきます。想像力の欠如という劣化が始まっているのです。

 もっとも想像力が乏しく他人を平気で傷つけても許される時代を「こども」というのかもしれません。そんな子供の発言にいちいち励起されているから、今日の小生は少し平常ではないと思うのです。

  こっち見てる 気になるのかな いいんだよ ご主人様が寂しがるから

2008年02月28日 22時08分
みらい

 未だに来ないから未来。永遠に行けないのです。 今日は二二六事件の日です。彼らにとってのアカルイミライとは何だったのか。

 海月(くらげ)が河をゆらゆらと泳いでいる。河に一杯満月が浮かんでいるようでした。海月は流れがないと死んでしまう。流れながらゆらゆらと見えない未来に向かって泳いで行く。切ないですね。

  永久(とわ)に来ぬから未来なの 今を生き その先にまた今が来るだけ

2008年02月26日 13時19分
弱いからこそ

 今朝は気分爽快です。なにかが抜けてすっきりしています。 すぐ消してしまいたい呟きもあるけど、残しておきたい言葉もあります。それが詩になるんでしょうか。散文詩になった呟きがブログなのかもしれません。エッセーとはちと違うのね。 なぜ表現するのかといえば、それは分かち合いたいからなんでしょうね。喜怒哀楽を共有したいのでしょうね。

 弱音を吐いてもいいじゃないですか。弱いからこそ強く生きて行けるのだと思うのです。そんな呟きを言葉や音や絵でこれからも表現していきたいと思います。

2008年02月19日 08時49分
好奇心
 呟きを他人に聴いてもらいたいのだろうか。コードを気にしている段階で、それはもやは呟きではないのです。日記は公開した段階で日誌になるんですなあ。 人を生かしているのは好奇心だとも思う。呟く時は、その好奇心が萎えている時なんだろうね。 もう一度好奇心を励起させなくちゃいけないようです。きっかけをつかみに出かけます。
2008年02月16日 09時29分
乙女のワルツ

 尾道広島倉敷を紀行していた時に流れていた曲でした。岩崎宏美のロマンスよりこちらのほうがピクっとなりました。なぜか三拍子には懐かしさがあるのです。

 昨日、浅草(奥山おまいりまち)でホッピ飲んでいましたら、ふと口ずさんでいました。この歌を懐かしく聴いた時、きっと吾の青春の終わりの始まりが終わったんだなあと感じたものです。

 そして今またこの歌がしみてきます。それは壮年の終わりが始まったのかと思うのです。映画「生きる」で主人公が「ゴンドラの唄」を口ずさむシーンがありますが、あの気分が少し理解できたように思います。(歌唱:伊藤咲子 作詞:阿久 悠 作曲:三木たかし 発売日:1975/7/5)

2008年02月12日 17時29分
仲良し倶楽部

 昔経験しました事象にまた遭遇しました。 当たり障りのない会話を楽しんだり、仲間意識でまとまったりと、ネットワークの利用には色々とありますが、汎用装置におけるそれはどういった心構えが必要なのかということです。 まったりと会話を楽しむ場と考える人と激論したいと望む人が同居し、しかもそれは公開されている場合、どう交通整理したらよいのかという命題への格闘は昔も今も変わっていないようです。 気に食わない相手の発言を認める自由がなくなればとても危険な社会になります。空気を読めということが如何に危険か、その時が来てから気がつくのです。ですが、その時では既に遅いのです。

 大人社会は自己責任と相手を認めるということで成り立っています。そこへ子供が参加すると、感情と我が侭で保護意識まるだしの甘えが出てきます。そうして社会が幼稚化していくのだと愚考いたします。

2008年01月23日 21時57分
戊子(つちのえね)
 あけましておめでとうございます。今年が良い年でありますように。 初春です。早く本当の春が来ないかなと思います。色々な意味の春が皆さんに訪れますように。「幸せは何処から来るの探してる 今年はきっと見つけられるよ」 平成二十年元旦
2008年01月01日 00時00分

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