2004年7月1日更新「技術史・技術論」について
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東京工業大学大学院 社会理工学研究科 経営工学専攻 技術構造分析講座を受験する人向けのページです.ちなみにこのページは技術構造分析のトップページからリンクされており,そこからこのページにきた人もいらっしゃると思います.このページは小林 学(東工大,M2)の個人的なホームページであり,受験する人の参考になればと思い私の経験を元に作りました.ここに書いたことには私見がかなり入っています.受験される方は実際に本を読んで自分自身の言葉で内容をまとめてください.
なお,繰り返しになりますがこのページは個人的なページで私自身が勝手にやっており公のものでは有りません.ここに書かれていることについて決して技術構造分析講座に問い合わせないでください.
ベー=エム=ゲッセン 秋間 実/稲葉 守/小林武信/渋谷一夫訳 『 ニュートン力学の形成 『プリンキピア』 の社会的・経済的根源 』 法政大学出版局 1986年
この本は,ボリス=ミハイロヴィッチ=ゲッセンが1931年,第二回国際科学史学会(ロンドン)で発表した,「ニュートン『プリンキピア』の社会的経済的根源」と題する報告を元に書かれています.この発表は様々な人に強い衝撃を与え,マルクス主義科学史の出発点となりました.日本でも唯物論研究会(1932年創立)が直ちにこの論文を翻訳し,戸坂潤や岡邦雄らに影響を与えました.その集大成的仕事はバナールの『歴史における科学』(1954)です.内容については,詳しくは書きませんが,ニュートン力学の形成とその歴史的位置について史的唯物論の立場から明らかにした本です.つまり科学という上部構造は社会経済的下部構造によって決定されるという史観を提出したのです.
まず当時のブルジョワジーの立場を明らかにました.当時,ブルジョワジーは「交易」「マニュファクチュア」を支配する階級で,生産諸力をあげればあげるほど儲かる階級として「交通」「産業」「軍事」等の様々な問題の技術的問題を改良することを望みました.その技術的問題は主として力学の問題に帰着することになるのです.また国王の絶対権に対する闘争は,同時に支配的国家教会の中央集権主義に対する闘争となりました.イギリスの市民革命期とニュートン力学の形成がほぼ同時期に行われたことから,またニュートン自身がブルジョワジーであったことから,市民革命をブルジョワジーの勝利,ニュートンの業績を中世の古いスコラ学に代わる新しい学問体系の建設であると考えます.それはまたその思想自体,イギリスのブルジョワジーの思想を代表していることを示しました.
スコラ哲学は天地は全く違う世界であり,違った物理法則が成り立つと考え,その貴賤のある世界を受け入れることによって身分制を擁護する思想でした.それに対しニュートンは万有引力によって天地を貫く力学体系の建設に成功しますが,この天と地とは同じ物理法則に支配されるという思想は,直接支配的国家教会と絶対主義に対する闘争となったのです.
東工大の技術構造分析講座を受ける人には読んでいて欲しい本です.
ハーバート=バターフィールド 渡辺正雄訳 『 近代科学の誕生 』 講談社学術文庫 1978年
バターフィールド教授はケンブリッジ大学の歴史学教授であり,その著書 The Origin of Modern Science (1949) はまさに名著だと思います.その訳本である本著は,まず科学史を学ぼうとする人にとって必須の本です.
この本全体を貫いているのは近代科学の誕生は人類の歴史の中でも特に「科学革命」として特筆される画期的な出来事であるという,著者の透徹した歴史的見解であります.
近代科学の誕生を考えるとき,以前はいかにそれが中世の学問と相違するかということが論じられてきました.ニュートンの出現は中性の暗黒の中に突如差し込んだ光明であるかのように論じられてきました.これは中世における歴史的資料が足りないことも一因と考えられます.有名な言葉があります.「中世は暗黒ではない.中世に対する私たちの知識が暗黒なのだ」.しかし最近の研究はむしろ,近代科学の,中世と連接するさまざまの面を明らかにしつつあります.中世に対する研究と近代科学を生み出した科学者たちに関わる資料的研究とによって,彼らが実はいかに多くを伝統的な思想と学問とに負っているかということがますます明らかになっています.
科学の進展はまた,新事実の発見や,実験・観測データの蓄積をまって初めてもたらされるかに考えられがちですが,バターフィールド教授によると,これもまた妥当な解釈とは言い難いものであります.科学の画期的な発展はしばしば,従来と同じ一連のデータを用いながら,今までとは全く違った視点から見直すことによって(バターフィールド教授の言葉で言えば「思考の帽子のかぶり直し」をすることで),つまり「科学者の精神の内部に起こった意識の変化」としてもたらされているのです.
こうして,一般歴史における科学史の意義を明らかにし,科学史の中で「科学革命」の本質を明らかにした点で,この著書が果たした役割は非常に大きいと思います.人類史上,近代科学の誕生こそはすべての社会的・政治的変革にもまして「革命」的重大事件であり,この「科学革命」こそは科学史的考察の原点であるという認識は,主としてバターフィールドのこの本に由来するのです.
トーマス=クーン 中山 茂訳 『 科学革命の構造 』 みすず書房 1971年
"科学革命"という言葉は,私が知る限りではバターフィールド教授によって英語の大文字による固有名詞 "Scientific Revolution"として用いられたのが最初だと思います.これを複数の一般名詞 "scientific revolutions"としてその構造を論じたのがトーマス=クーンであります.
Thomas Kuhnはその著,The Structure of Scientific Revolutions (1962)の中で,"パラダイム転換"によってその構造を論じました.パラダイムとは,広く人々に受け入れられている科学的業績で,一定の期間,科学者に自然に対する問い方と答え方の手本を与えるものです.クーンが描く科学革命の構造は次のような終わりのない図式に要約されます.
"通常科学"→"危機"→"科学革命"→"新しい通常科学"→"新しい危機"→"新しい科学革命"→・・・・
まず,科学者は何らかのパラダイムに属していて,自然のいろいろな現象をそのパラダイムに適合しよう努力します.そうしてパラダイムは発展していきます.この状態を"通常科学(normal science)"と呼びます.そこでどうしてもそのパラダイムに適合しない事象はとりあえずそのままにされます.それは今は原因が分からないかもしれませんが,あとでパラダイムに適合させる事ができるかもしれません.しかし,そういった矛盾が増えていけば"危機"の状態が展開します.そしてそれがある限界に達すると"革命"が起こり,それまでの古いパラダイムは棄てられ,新しいパラダイムが誕生するのです.重要なのは,古いパラダイムと新しいパラダイムはどうやっても相容れないものだということです.例えば,アリストテレスの自然学とニュートン力学,相対性理論と量子力学,フロギストン説とラボアジェからの近代化学,などです.その過程で論争が起こり,新しいパラダイムを受け入れる者もいれば,また古いパラダイムにしがみつく老人もいるでしょう.しかし,いずれ古いパラダイムにしがみつくものは消えゆく運命にあるのです.
クーンのこの"パラダイム転換による科学革命 "は激しい論争の的となりました.それはパラダイムの定義が曖昧だったためなおいっそう激しいものとなりました.
これまでは科学は累積的に発展し,その結果,客観的な真理へ到達できると考えられてきました.しかし,クーンは科学の発展は実はそうではなく科学革命によって全く違った方向に進むことを示しました.その意味で科学のヒストリオグラフィに大きなチャレンジを与えたことは確かです.しかし,科学の真理を科学者集団が認めたことを真理とする(真理を約束する)考えを含んでいます.元来物理学者であったクーンのこの主張は,科学の客観性に対する信仰を揺るがすものでした.クーンの意図は初めから科学の客観性を科学者集団の持つ不確定さによって揺るがすことにあったので,こうしたことは当然でてくるのです.また学会,サークル,研究所などの科学制度史の研究への前進はあるものの,科学を客観的自然から切り離し,技術を通して結びついている社会的経済的構造から結局は科学を切り離すという誤りを含んでいます.クーンの主張が一定の支持を得た現在でも,こうしたことは考慮に入れなければならないでしょう.
メイスン 矢島祐利訳 『 科学の歴史 』 岩波書店 1955年
ここで挙げる本ははっきり言ってかなり専門的です.受験用の入門書としては向かないかもしれませんが,一応参考まで.
中村静治 『 技術論論争史 』 青木書店 1975年
技術論はかなり前からシビアな論争が繰り返されてきました.その意味で,なかなか手が出しにくいところです.この本は中村静治がまとめた技術論に関する論争が総括されています.しかし,中村静治の主観がかなり入っているように感じられます(かなり星野芳郎を憎んでいたようです)しかし,内容は事実に反してはないようです.手っ取り早く技術論を勉強したい人はこの本以外にないでしょう.
メイスン著 矢島祐利訳 『 科学の歴史 』岩波書店 1955年
現在,品切れ(ほとんど絶版に近い状態)だと思います.もう古本屋で探すしかない本です.がんばって探してください.この本の使い方は,一から通して読むより,所々拾い読みするぐらいがちょうどいいかもしれません.内容は偏ることなく結構素直.しかし著者のいわんとするところも押さえてください.メイスンが考える科学と技術の関係とは?
山崎俊雄・大沼正則・菊池俊彦・木本忠昭・道家達将 共編 『科学技術史概論』 オーム社1978年
科学史・技術史のほとんど全分野を網羅した本です.勉強には非常に役たつと思います.
古月 安 『 科学の社会史 』 南窓社 1989年
科学の制度化についてわかりやすく書かれています.
大沼正則 『 科学の歴史 』青木教養選書 1978年
大沼先生の科学史に関する通史の本です.非常に読みやすくすらすらと読めてしまいます.
A.F.チャルマーズ著 高田喜代志 佐野正博訳『 新版 科学論の展開 』 恒星社恒星閣 1983年
科学論の教科書です.ポッパー,クーンからファイヤーアーベントまで網羅.科学論はこれ一冊で十分かも.
E・H・カー 清水幾太郎訳 『 歴史とは何か 』 岩波新書
著者であるE・H・カーはイギリスの歴史・政治学者で,マルクス主義者であり,イギリスにマルクス主義を紹介した人として知られています.読み始めた人は,"歴史とは何か"という大胆なタイトルに対し,表現が控えめなのを歯がゆく思うかもしれません.しかし,最後まで読み通せば,E・H・カーを貫く一つの精神,すなわち史的唯物論にもとづく歴史観を感じることができるでしょう.また唯物史観と個人との関係などにも触れており,なかなかおもしろい.これから歴史を学ぼうとする人には,必読の書です.
ルネ・デカルト(1596-1650)によって著されたこの本は,『屈折光学・気象学・幾何学』の序論として1638年に書かれました.しかし本編の方は今はほとんど読まれていません.なぜなら現代の私たちからみてこれらの本の中に見るべきものがないからです.しかし『 方法序説 』だけは未だに世界中で広く親しまれ,日本でも文庫本になっているほどです.この本は哲学,歴史学を学ぶ者以外にも意味のあるものとなっています.それはこの本が一種の自叙伝をなしているからです.
デカルトは若い頃必死で勉強しました.しかし大人になってそれがすべて無駄であることに気がつくのです.以前明らかな論証として考えていたあらゆる推理を偽なるものとして捨てたのです.私はそれを自分自身に当てはめてみました.私が高校・大学で勉強したことがすべてうそであったと判明したらいったいどう感じるのでしょうか・・・・・
デカルトはついに自分自身が新たに学問(世界観)を造り直す決意をします.それはひとつの完全な理性によって,全く明晰な論理にしたがって造りあげられるのです.デカルトにとっては理性が感じるものは,実際目で見えることや想像できることよりも正しいのです.
そしてデカルトは気がつくのです.いますべてが偽である,そう考えている自分自身の存在はすでに紛れもない真実だということを.私は考える.それゆえ,私は存在するのです.
この「我思う,故に我あり 」(コギト・エルゴ・スム)であることをデカルトは認め,この真理を哲学の第一原理として受け入れたのです.デカルトの思想は,すべての人が賛同できないものであることは確かです.またここでも紹介したマルクスとも全く正反対の立場をとっています. しかし,そういった人々にさえもこのデカルトの生き方は様々な示唆を与えてくれます.
補足
また合理的に考えてみると,「我思う,故に我あり」はまちがっているということに気がつくと思います.人間の思考は実は脳と神経組織の活動であり,情報は電気的信号によって伝達されます.こういった組織と活動がなければ,人間は思考できません.だから本当に正しいのは「私は存在する,ゆえに私は考える」はずです.デカルトも肉体があるからこそ,人間の思考があり得るのだということは容易に理解できたはずです.では当時デカルトの主張はいったいどのような意義をもっていたのでしょうか.
当時,フランスは絶対王政のもとで人間の自由な思考は活動を止めていました.絶対的な王のために宗教・学問がありました.スコラ哲学に代表されるこうした知識の巨大な集合体は,議論のための議論に明け暮れるような全く形骸化したものだったのです.この止まってさび付いていた思考の歯車に最初の一撃を加えたのが,コペルニクスでした.その後,ガリレオ,ブルーノ,など様々な優秀な頭脳がこの止まった思考の歯車を回そうとします.しかし,中世以来の巨大な権限はこれを潰えさせようとします.今まさに過去の遺産は崩れつつあり,しかしそれに代わる新しい学問は生まれず,秩序のない,混沌とした状況だったのです.
その中でデカルトは,理性によって明らかなるもののみを認め,そしてこの理性は貴賤の別のよらず万人が共通にもつものであるという,近代の常識をうち立てるのです.そのため『方法序説』は学者しか読めないラテン語ではなく,一般の人でも読めるフランス語で出版されました.この意味において「我思う,故に我あり」の意義はますます重要であることが分かると思います.
デカルトは簡単な実験によって,ある究極の原理を導き出します.その基本原理をもとに,様々な現象を明晰な論理にしたがって説明していくのです(演繹法).上から下へ,これがデカルトが採った方法でした.こうして導き出された体系は,「水も漏らさぬ」と言われるほど緻密なもので,将来物理学がとるべき姿を予想させるものがありました.
デカルトの間違いはいま起こっている科学革命がデカルト一代で成し遂げられる考えていたことです.デカルトのいう「ひとつの完全な理性」というのは,デカルト自身の理性なのです.そしてこれはひとつの理性以外では成し遂げられないものなのです.また簡単な実験によって,ある究極の原理を導き出すことにすでに無理があったのです.その結果,「渦動宇宙」といったとうてい実証不足の説明を平気で受け入れたのです.結局,イギリス経験論をもとに出発し,演繹法ではなく帰納法によって,つまり多くの実験からある法則を,下から上へという方法を採ったニュートンによってデカルトは追いやられてしまうことになりました.
ベー=エム=ゲッセン著 秋間 実/稲葉 守/小林武信/渋谷一夫訳『ニュートン力学の形成 『プリンキピア』の社会的・経済的根源 』 法政大学出版局 1986年
ハーバート=バターフィールド著 渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』 講談社学術文庫 1978年
メイスン著 矢島祐利訳 『科学の歴史』 岩波書店 1955年
トーマス=クーン 中山 茂訳『科学革命の構造』 みすず書房 1971年
バナール『歴史における科学』
A.F.チャルマーズ著 高田喜代志 佐野正博訳『新版 科学論の展開』 恒星社恒星閣 1983年
山崎俊雄・大沼正則・菊池俊彦・木本忠昭・道家達将 共編 『科学技術史概論』オーム社1978年
古月 安『科学の社会史』 南窓社 1989年
大沼正則 『科学の歴史』青木教養選書 1978年
大沼正則 『科学史を考える』大月書店 1986年
大沼正則 『技術と労働』岩波書店 1995年
詳しくは研究室にくるか,こちらまでメールをください. manabu このあとに@me.titech.ac.jpをつけてください.