シャンカラは弟子達とともにナルマダ河に向かいました。ナルマダ河での沐浴をすますと、彼らはマンダナミシュラの家を探し始めました。女性達が水瓶を抱えて河から帰ってきます。シャンカラは彼女達に尋ねました。彼女達は答えました、「この近くに、鳥籠に入ったたくさんのオウムがヴェーダについて議論している門があります。その家が、マンダナの家です」と。
シャンカラは彼の家を見つけました。しかし、その日は、マンダナミシュラの父の法事の日だったので、門は閉ざされていました。シャンカラは、ヨーガの神秘的な力を使って家に入りました。マンダナミシュラは、このサンニャーシンをとても嫌いました。というのも、このような法事の席にサンヤーシンが上がりこむなど、彼には思いもよらないことだったからです。このサンニャーシンと家長の間で議論が始まりました。結局、彼らは座って討論することにしました。
マンダナミシュラとの討論
さて、ここで誰が判定を下すか、という問題が持ち上がりました。マンダナの妻、ウバヤバラティ自身も偉大な学者でした。双方とも、彼女が判定者となることに依存はありませんでした。彼女は二人の首に花輪をかけると次のように言いました。「議論の終わりに、この花輪が萎れた方が負けとなります」と。
討論は数日続きました。ある日、マンダナの花輪が萎れていきました。ウバヤバラティは、彼女の夫の敗北を宣告することにためらいを感じました。そこで、すぐさまマンダナは、シャンカラの弟子としてサンニャーシンになることを決心しました。シャンカラは彼を入門させると、スレーシュヴァラ・アーチャーリアという名前を新たに授けました。