その後、シュリー・シャンカラは各地を訪れ、ウパニシャッドに基づく一元論、すなわちアドヴァイタ・ヴェーダーンタを説いて回りました。彼は、まず初めにプラヤーガに向かいました。そこには有名な学者であるクマーリラ・バッタが暮らしていました。彼は諸ヴェーダ聖典を説き聞かせる師であり、また、ヴェーダの祭式にも精通していました。ある時、彼は仏教も学ぼうと思い立ちました。彼は仏教徒に変装して仏教の精舎に入り込みました。彼がこのようにして仏教を学んでいると、一人の比丘がヴェーダを批判しました。クマーリラは、それを見過ごすことが出来ませんでした。彼はヴェーダ支持を強く主張しました。比丘たちは、彼を怪しみ、彼の正体がばれてしまいました。そこで彼らは、クマーリラを建物の最上階へ連れて行くと、そこから突き落としてしまいました。落下しながらクマーリラは讃歌を唱えました。それは、「もし、ヴェーダが真実で永遠ならば、その力で私は救われるにちがいない」という内容の讃歌でした。クマーリラは奇跡的に助かりました。しかし、一個の小石が、彼の片目を突き刺しました。それは、「もし、ヴェーダが真実ならば」と、唱えた彼への神聖な罰だったのです。彼は留保なしに、「ヴェーダは真実なるがゆえに」と語るべきだったのです。
クマーリラとの出会い
再びクマーリラはヴェーダを説き始めました。彼の主張は、ヴェーダ諸聖典に説かれるヴェーダの儀式こそが真実である、というものでした。それらのみが、解脱への道を指し示すのである、と主張しました。
しかしシャンカラの哲学はジュニャーナ(ギャーナ)、つまり知識を説くものでした。それは、識別と瞑想が悟りの手段である、と説きます。シャンカラは、彼と討論し、知識の道について納得させるために、クマーリラのもとを訪れました。しかし、クマーリラは、まさに死期を迎えていました。彼は、ヴェーダ聖典を疑った罰として、自らの肉体をゆっくりと火にあぶり、肉体を放棄するところでした。そこで彼は、シャンカラを、彼の弟子であり偉大なヴェーダ学者であるマンダナミシュラと議論するように指示しました。マンダナミシュラは、ナルマダ河の岸辺にある都市、マヒシュマティに住んでいました。シャンカラはクマーリラのもとを辞し、マヒシュマティに向かいました。