旅ノート ウズベキスタンの旅(1995年10月6日〜10月15日)
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◎旅の日程◎ |
1.成田 〜 イスラマバード |
2.イスラマバード 〜 タシケント 〜 サマルカンド |
3.サマルカンド滞在 (レギスタン広場など市内観光) |
4.サマルカンド滞在 (ペンジケント[タジキスタン]) |
5.サマルカンド 〜 シャフリサーブス 〜 ブハラ |
6.ブハラ滞在(市内観光) |
7.ブハラ 〜 ウルゲンチ |
8.ウルゲンチ 〜 (ヒワ) 〜 ウルゲンチ 〜 タシケント |
9.タシケント 〜 イスラマバード |
10.イスラマバード 〜 成田 |
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ウズベキスタンへ
ウズベキスタンへは、名古屋からウズベキスタン航空のチャーター便が出ることもありますが、このツアーでは、パキスタン航空を乗り継いで行きました。成田12:00発のパキスタン航空で20:00にイスラマバードに着きます。成田では、大相撲パリ公演に向かうお相撲さんたちが、列をなして動く歩道を歩いていて壮観でした。
2日目 (イスラマバード 〜 タシケント 〜 サマルカンド) |
天山山脈
イスラマバードからタシケントに向かうパキスタン航空は、大きく迂回して天山山脈の上空を飛んで行きました。雲一つない絶好の天気だったので、氷河のうねりも手に取るように見えて、幸先の良いスタートです。
陸路でサマルカンドへ
タシケントからはバスでサマルカンドへ向かいます。綿花畑の広がる道を旧ソ連とは思えないような、きれいなバスで突っ走りました。でも、日本から同じルートで来た某旅行社のツアーは、バスがパンクして綿花畑で遊んでいたようです。なんとそこには偶然にも私の友人のSさんが参加していたのでした。
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天山山脈 |
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サマルカンドへに向かう途中で |
レギスタン広場
ブルーのモザイクタイルで飾られた3つのメドレッセ(イスラム学校)に囲まれた広場で、チムールの時代からサマルカンドの中心地でした。中央アジア旅行のパンフレットに真っ先に登場する所です。外観はそのようによく紹介されていますが、内部もはっとするような美しさです。特に中央のチャリ・カリのメドレッセの金のイスラム装飾には目を見張るものがあります。
シャーヒ・ジンダ廟
シャーヒ・ジンダとは「生きている王」という意味で、次のような伝説に基いて名付けられたそうです。イスラムの創始者ムハンマドの従兄弟のクサム・イブン・アッバスがある日お祈りをしていた所、異教徒に首をはねられてしまったが、彼は少しも騒がず自分の首を抱え、地下の穴に下りていき永遠の命を得たのだそうです。
ビビ・ハニム・モスク
ビビ・ハニムとはチムールの寵愛が厚かった妃の一人の名前です。1399年、インド遠征で勝利を治めて帰国したチムールは他のどの都市にもないような巨大なモスクを建設し彼女の名前をつけました。
グル・エミル廟
グル・エミルとは「支配者の墓所」という意味で、チムールとその一族のお墓です。チムールの遺骸は地下室に埋葬されていて、1941年にソ連の考古学者が棺を開けて調査したところ、片足が不自由だったという言い伝えが事実であることが証明されました。
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ビビ・ハニム モスク |
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グル・エミル廟 |
ペンジケント
国境を越えてタジキスタンにあるペンジケントの遺跡を訪れました。ここは5〜8世紀に栄えたソグド人の都市でしたが、現在は泥の区画といった感じで見る影もありません。遺跡の隣に小さな博物館があって、近所の子どもが集まってきました。ここはあまり観光地化されていないようで、無邪気に写真に写りたがったり、タジク語を教えてくれたりする素朴でかわいい子どもたちでした。
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ペンジケントの遺跡 |
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ペンジケントの遺跡からのパノラマ |
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ペンジケントで会った子供達 |
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ウズベキスタン・タジキスタン国境 |
メドレッセに登る
午後からはフリータイムだったので、バザールやレギスタン広場に歩いて行きました。レギスタン広場のシェルドルのメドレッセには中に階段があって上に登れるとガイドさんが言っていたので、メドレッセにいた人にどこから登るのか聞いたところ、「本当は登っちゃいけないけど、5ドル出せば内緒で案内してあげるよ」と返事が返ってきました。結局1ドルとボールペン(もらいもの)に負けてもらって登ったけど、階段は真っ暗で埃っぽく、見晴らも良くなかったので、これでも高かったと後悔しました。
ゼラフシャン山脈
ウズベキスタンとタジキスタンをほぼ東西にはしる山脈ですが、高い所でも1750mくらいで険しい山ではありません。ここの山は低木や草が少し生えているだけですが、砂漠のような山並とひつじの群れがいかにもシルクロードらしい景色です。
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ゼラフシャン山脈 |
シャフリサーブス
チムールの故郷といわれるシャフリサーブスには、アク・サライという24年の歳月をかけて造らせた宮殿があります。現在残っているのは主門の門柱だけですが、高さ38メートルのこの門には、当時アーチがかけられて上にプールがあったそうです。門柱の中には階段があり、子どもたちが登っていたので一緒に登ったら、地元の長老に見つかってえらく怒鳴られました。
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アク・サライ |
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アク・サライの門の上から |
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コク・クンバス寺院 |
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シャフリサーブスのバザールにて |
カリヤンミナレット
カリヤンというのは、イラン系の言葉で「大きな」という意味で、ブハラの旧市街では最も高い建物です。12世紀の建築当初は、礼拝の時間を知らせるミナレットとして使用されていましたが、16〜17世紀には犯罪者を塔のてっぺんから投げ落とす、死刑台として使われたそうです。
タキ
タキとは交差点の真ん中にある、丸屋根で覆われた商店のことです。ブハラはシルクロードの要衝として栄えた町なので、16世紀頃つくられたタキが幾つも残っていて、現在でも商店として使われています。丸屋根がいくつも寄せ集まってるタキは遊園地の建物のような可愛いらしさがあります。
ボロ・ハウズ
ボロ・ハウズといっても、ぼろぼろの家ではなくて貯水池です。19世紀までは使われていたそうですが、疫病が流行って使われなくなったそうです。確かに水が澱んでいていかにも病気になりそうな感じです。池の隣には、木造建築でモザイクの美しいボロ・ハウズ寺院があります。
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チャル・ミナール |
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ボロ・ハウズ |
キジルクム砂漠
ブハラを8時に出発し、キジルクム砂漠を走ってウルゲンチに3時半頃に着きました。ここは植林してあるせいか、低木や草が生えているので、あまり砂漠という感じはしません。途中には町やレストハウスはなく、トイレは当然青空の下で済ませました。
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キジルクム砂漠 |
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ウルゲンチのバザールで |
ヒワ
町全体が博物館に指定されているヒワの町は、歩いていると中世にタイムスリップしたような気分になります。茶色の煉瓦で造られた建物に、所々ブルーのタイルで幾何学模様が施されていて、青空に映える町です。でも残念なことに青空は少しの間しか顔を出してくれませんでした。
ウズベキスタン航空
ウルゲンチからタシケントまではウズベキスタン航空に乗りました。機内に入ると、座席の背もたれが前に倒れていて異様な光景です。エンジンのような嫌な匂いもするし、日本からこの飛行機で来なくて良かったとつくづく思いました。
タシケントの町
最後の日はウズベキスタンの首都、タシケントの観光です。官公庁などの近代的な建物の観光は退屈でしたが、バザールはケバブの屋台があったり、スイカがゴロゴロしていたりしていて、シルクロードの町の雰囲気がありました。
遊覧飛行
パキスタン航空の帰国便からは、出発すると間もなくナンガパルバット山、運が良ければK2が見えると添乗員さんが教えてくれたのに、朝4時起きだったので睡魔に負けてしまいました。気が付いたときには、眼下にカラコルムの白い山々が広がっていました。
●参考にさせていただいたもの●
エアリアガイド 中央アジア シルクロード ソ連の旅(昭文社)
旅のメモ(トラベル世界 添乗員さん)
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