秘境の旅 写真館
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旅ノート シリア・ヨルダンの旅(1998年4月23日〜5月5日)

◎旅の日程◎
1.成田 〜 モスクワ
2.モスクワ 〜 ダマスカス(市内観光)
3.ダマスカス 〜 パルミラ(観光)
4.パルミラ 〜 マリ 〜 デュラ・エウロポス 〜 デリゾール
5.デリゾール 〜 アレッポ
6.アレッポ 〜 エブラ 〜 ウガリット 〜 ラタキア
7.ラタキア 〜 クラック・デ・シュバリエ 〜 マルーラ 〜 ダマスカス
8.ダマスカス 〜 ボスラ 〜(国境)〜 ジェラシュ 〜 アンマン
9.アンマン 〜 死海 〜 ペトラ
10.ペトラ滞在
11.ペトラ 〜 マダバ 〜 ネボ山 〜 アンマン 〜 モスクワ
12.モスクワ 〜
13.〜 成田


1日目 (成田 〜 モスクワ)

アエロフロート・ロシア航空
「もう二度と乗りたくない」と言う人が多いので、覚悟して乗ったアエロフロート・ロシア航空でしたが、機体も古くないしアメニティセットはくれるし、「なーんだ、快適じゃない。」こう思ったのは、パキスタン航空に乗り慣れているせいでしょうか。


2日目 (モスクワ 〜 ダマスカス)

ダマスカスの印象
やっとダマスカスに到着、早速旧市街へ。金曜だったので、お店が閉まっていて閑散としていました。でも、アザーンが聞こえてきて、「いよいよダマスカスに来たんだ」という実感が湧きました。古代ローマの神域に建設されたというウマイヤドモスク、イスラムの英雄サラディンの墓、旧約聖書ゆかりの聖アナニア教会などを観光し、つくづくダマスカスは歴史上重要な都市だったのだと思い知りました。

ウマイヤドモスク(写真館シリア4) ウマイヤドモスク
聖アナニア教会 サラディンの墓


3日目 (ダマスカス 〜 パルミラ)

国立博物館
午前中、国立博物館に行き、シリア各地から発掘された出土品の数々を見学しました。パルミラの地下墳墓、ウガリットの粘土板、メソポタミア文明のマリ遺跡の出土品など、これから行く予定の遺跡からこんなにも発見されてるのには驚きました。中でもデュラ・エウロポスのシナゴーグの壁画は圧巻でした。

パルミラ遺跡
シリア砂漠の中程にあるパルミラ遺跡に来ました。パルミラは写真で何度も見たことがありましたが、実物を目の当たりにすると、思っていた以上にスケールが大きくて改めて感動しました。列柱の向こうにアラブ城の岩山が聳えていて、絵に描いたような景色です。

凱旋門(写真館シリア2) 円形劇場(写真館シリア1)
アラブ城(写真館シリア3) 四面門
列柱道路 エラベルの墓


墓の谷

パルミラ時代の一族の墓がある谷です。「エラベルの墓」は商人エラベル一族の墓で、4階建ての塔墓です。墓の中は、左右の壁が棺を天井まで重ねて入れられるような造りになっていて、天井には当時の彩色も残っていました。

4日目 (パルミラ 〜 デリゾール)

パルミラの日の出は...
パルミラの日の出を見ようと5時半に起きたところ、妙な音がします。「ま、まさか砂漠で雨が降るなんて...」

パルミラ遺跡・ベル神殿
午前中は、昨日見学しなかったパルミラのベル神殿に行きましたが、傘をさしての観光でビデオ撮りも一苦労です。ベル神殿とは、雨をもたらす豊穣の神バールシャミンを祭った神殿なので、これは神の恵みということなのでしょうか。

シリア砂漠
ベル神殿観光後、シリア砂漠をさらに進み、ユーフラテス川添いのデリゾールへ。砂漠を横断しているあいだじゅう、バケツをひっくり返したような雨でした。

マリ遺跡
イラクとの国境から7kmの地点にある4000年も前のマリ王国の都市遺跡ですが、原形をとどめてません。しかしここではマリ文書という、25,000枚もの楔形文字の粘土版が発見されていて、メソポタミア文明の重要な遺跡です。博物館で見た出土品を思い出して、想像力を働かせないと見られない遺跡です。

神殿の跡 マリ文書発見場所


デュラ・エウロポス遺跡

マリ遺跡よりも新しくローマ時代の遺跡ですが、これも城壁以外は、土の区画だけという感じでした。ここの見所は、なんといっても遺跡から見下ろすユーフラテス川です。ところが、川に向かって歩いていると、黒い雲がたち込めてきて、川の見える所に着いたときには、雷と風雨の大嵐となってしまいました。シリアでこんなに雨にたたられるとは、思ってもみませんでした。

デュラ・エウロポス遺跡 嵐のユーフラテス川(写真館シリア9)

5日目 (デリゾール 〜 アレッポ)

つらい一日
雨ばかり降ってちょっと暗くなっていたところへ、さらに追い討ちをかけるような事になってしまいました。原因不明の食中りで歩くこともできません。じっくり見たかったアレッポ博物館も早々に切り上げて、アレッポの城塞はもちろんパス。でもスーク(バザール)だけは、よろよろしながら行って、しっかりオリーブ石鹸をゲットしたのでした。

6日目 (アレッポ 〜 ラタキア)

元気回復
1日絶食したら具合も良くなり、天気も良くなってきたので、明るい気分になりました。昨日の分も取り返そうと、つまらない景色もビデオに撮ってしまいました。

エブラ遺跡
これもマリ同様、4000年くらい前の都市遺跡なので、あまり見栄えがしません。しかし、遺跡の周りは一面緑の平野で、そこに赤や黄色の花が咲き乱れていました。まるでヨーロッパの田舎みたいです(行ったことないけど)。

エブラ遺跡 エブラ遺跡


ウガリット遺跡

午後は地中海側にぬけて、ウガリット遺跡に行きました。ここも3〜4000年前の都市遺跡ですが、石で造られているので、エブラより遺跡らしく見えます。ここでも遺跡じゅうに花が咲いていて、遺跡の丘からは、青々とした地中海も見えました。

ウガリット遺跡(写真館シリア8) ウガリット遺跡



ラタキアのホテルは地中海リゾートという感じで、ここがシリアであることを忘れてしまいそうです。

7日目 (ラタキア 〜 ダマスカス)

地中海沿岸地方
今日は地中海に沿って南下し、再びダマスカスに向かいます。シリアでも地中海側のこの辺りは、緑の草が生い茂り、オリーブ畑があって、ヨーロッパの地中海沿岸のような雰囲気があります。

クラック・デ・シュバリエ
地中海から離れて内陸に少し入ったところの、緑の平野の丘の上にさっそうと建っています。内部は十字軍の要塞だった時代の、教会のようなゴシック様式の回廊があったり、イスラム軍の時代のモスク跡があったりして、この土地の激動の歴史が感じられます。

クラック・デ・シュバリエ全景(写真館シリア5) アーチ天井のホール


マルーラ村

イエス・キリストが話していたアラム語が、今でも話されているというマルーラ村を訪問しました。荒涼とした岩山にはりついたような村は、住民の殆どがキリスト教徒です。人里はなれたひっそりとした所なので、伝統を守っていけたのでしょう。

マルーラ村の岩山(写真館シリア6) マルーラ村・サルキス修道院


再びダマスカスへ

今日は金曜でないので、スーク(バザール)も活気に満ちています。中東最大規模といわれるスークハミディーエは、アーケードの広い通りがあって、ちょっと都会的な感じがしました。でもちょっと裏道に入ると、生活用品などを売っている、ごちゃごちゃした所もあります。

8日目 (ダマスカス 〜 アンマン)

ボスラ遺跡
シリア最後の観光はボスラ遺跡です。2世紀頃のローマ時代の遺跡ですが、歩いていて何か違和感があります。それは遺跡の中に人が住んでいるからです。それも彼らの家は、遺跡の石でできているのです。遺跡の発掘前から、住民がそのように家を建てているので、今更立ち退きを迫るわけにもいかないようです。ボスラには世界遺産に指定されている立派な円形劇場もありますが、不思議な町の雰囲気にも興味を惹かれました。

ボスラの劇場(写真館シリア7) 黒い円柱


シリア・ヨルダン国境

ツアーだったせいか何も調べられず、あっさりしたもんでした。シリアではアサド大統領の肖像だらけだったのが、フセイン国王に変わりました。

ジェラシュ遺跡
紀元前4世紀にアレキサンダー大王の武将が建設した町ですが、2世紀のローマの時代が最盛期だったそうです。世界遺産にも指定されていないので、あまり期待してなかったのですが、かなり立派なものでした。列柱街道や劇場、アルテミス神殿や噴水など、ローマの遺跡にありがちなものが揃っていて、見ごたえのある遺跡でした。

南の劇場(写真館ヨルダン11) フォーラム(写真館ヨルダン12)
アルテミス神殿(写真館ヨルダン13) 教会跡にて


9日目 (アンマン 〜 ペトラ)

アンマンの印象
城塞のある丘の上からは、反対側の丘の上までびっしり建物が立ち並んでいるアンマンの町が一望できます。旧市街の真ん中には、2世紀にできたローマ劇場があって不思議な光景です。城塞の丘には、小さいながらも重要な博物館があって、クムランの洞窟で発見された”死海文書”が展示してありました。

アンマンのパノラマ(写真館10) 街中のローマ劇場


死海浮遊体験

死海でぷかぷかしながら本を読んでいる人の写真を、よく見かけるので、泳げない私も挑戦してみることにしました。死海は塩分が30%以上というので、海岸も白っぽいのかと思っていましたが、茶色っぽい普通の石でした。でも水に入ると”あら不思議”。仰向けで首を出していても、ぷかぷか浮いているのです。しばらくすると、ちっちゃい切り傷が痛くなってきました。

10日目 (ペトラ滞在)

待ちに待った瞬間
8年前にヨルダンにペトラの遺跡があると知ったときから、ずっとこの日が来るのを待っていました。遺跡の入口からしばらく馬に乗って、気分も高まります。”シク”という岩の裂け目のような道の入口で馬を下り、ここから歩きます。道の両側の岩は60〜100mもあって、美しいマーブル模様をしています。そして最後に、光の中からあのエル・カズネが現れました。

シクを歩く(写真館1) シクを歩く(写真館2)


エル・カズネ

崖を彫って造ってあるコリント式円柱のある神殿、などど説明するより、”インディージョーンズ・最後の聖戦”のクライマックスで出てきた神殿、と言うと大抵の人は解ってくれます。映画に使われるだけあって、これほどドラマチックな遺跡は見たことありません。

エル・カズネ(写真館3) エル・カズネ(写真館4)


さらに遺跡は続く

エル・カズネから少し歩くと、道が開けた所にローマ劇場があります。この劇場の観客席も、岩を削って作られたものです。また、反対側の岩山には、王家の墳墓といわれる巨大な墓が4つ並んでいます。ここでも美しいマーブル模様の岩が見られました。列柱がちょっとしか残っていない列柱街道を通って、レストランに向かいました。

ローマ劇場(写真館7) ウルム墳墓(写真館6)
マーブル模様の岩(写真館5) 王家の墳墓群(写真館8)


エド・ディル

昼食後は800段の階段を登って、エド・ディルを目指しました。800段といってもお寺の階段とは違って、山道を歩いてる感じで周りの景色も美しかったので、あまり苦にならないように思いましたが、ツアーの他の人たちはバテバテでした。エド・ディルは、エル・カズネに似ていますが、周りの景色が開けているので、違った美しさがあります。苦労しても来る価値はあるところだと思いました。

エド・ディル(写真館9) ペトラ土産 サンドボトル


11日目 (ペトラ 〜 モスクワ)

ネボ山
ペトラからデザートハイウェイを北上し、死海近くのネボ山に来ました。ここは、モーゼがイスラエルの民にカナンの地(現在はイスラエルのエリコ)を指し示した所です。モーゼと同じ地に立って、ヨルダン川や死海、エリコを見ました。

モーゼのモニュメント 教会のモザイクの床


マダバ

マダバの聖ジョージ教会には、6世紀に作られた世界最古のパレスチナの地図のモザイクがあります。230万個の石を使って、エジプトから死海、ヨルダン川、エルサレムやエリコなどが描かれています。この後、飛行機でモスクワに向かわなければならないので、じっくり見られなかったのが残念でした。

パレスチナの地図

12日目、13日目 (モスクワ 〜 成田)

モスクワの観光
モスクワはトランジットといっても夕方の便だったので、市内観光が付いていました。赤の広場やクレムリンなどに行きましたが、シリア・ヨルダンの興奮が冷め遣らないので、何を見てもあまり感動しませんでした(モスクワの人、ごめんなさい)。
帰国
シリア・ヨルダンは思っていた通りの素晴らしいところで、あっという間の2週間でした。今回、遺跡は思う存分堪能したので、次回はもう少し人々の暮らしや習慣を覗きたいと思います。



●参考にさせていただいたもの●
地球の歩き方 ヨルダン・シリア・レバノン(ダイヤモンド社)
世界遺産3 西アジア(講談社)
古代文明と遺跡の謎(自由国民社)
旅のメモ(ユーラシア旅行社 添乗員さん)


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