秘境の旅 写真館
本文へジャンプ タクラマカン砂漠の
写真館へ
 

旅ノート 南疆鉄道とタクラマカン砂漠の旅(2004年4月28日〜5月9日)

◎旅の日程◎
1.成田 〜 北京
2.北京 〜 ウルムチ 〜 トルファン
3.トルファン滞在
4.トルファン〜(南疆鉄道)〜
5.〜 (南疆鉄道) 〜 カシュガル
6.カシュガル 〜 ホータン
7.ホータン 〜 ニヤ
8.ニヤ 〜 タクラマカン砂漠 〜 クチャ
9.クチャ滞在
10.クチャ 〜 コルラ 〜(南疆鉄道) 〜
11.(南疆鉄道)  〜 ウルムチ 〜 北京
12.北京 〜 成田


1日目 (成田 〜 北京)

ビジネスクラス
北京までは中国国際航空で3時間半です。ゴールデンウィークの出発のせいか、オーバーブッキングとの事で運良くビジネスクラスの席をゲットしました。でも優雅に過ごすにはあまりに短いフライトで、物珍しそうに液晶画面を出していじったりしているうちに、あっという間に到着しました。

2日目 (北京 〜 ウルムチ 〜 トルファン)

ウルムチからトルファンへ
ウルムチには午後4時ごろに到着。新疆では北京と同じ時間を使っているので、夜9時ごろまでは明るくまだお昼という感覚です。トルファンまでは高速道路で2時間あまりで天山山脈の景色を期待していたのですが、どんよりとした灰色の空で、お目当ての雪山は全く姿を見せてくれませんでした。

3日目 (トルファン滞在)

ベゼクリク千仏洞
ウイグル語で「美しく飾られた家」という名前の千仏洞ですが、探検家やイスラム教徒、文化大革命により壁画や仏像は、ほとんど破壊されています。石窟は約60窟あるそうですが、その内の7窟を見学しました。

高昌故城
628年、玄奘三蔵が40日間滞在し説法を行ったという講堂や、かすかに仏画の残る仏塔などを見学しました。広大な遺跡の他の部分は廃墟のままで、長い年月に風化され建物の原型もわからないものばかりです。

ベゼクリク千仏洞 高昌故城


アスターナ古墳群
3〜8世紀末までに造られた漢民族の豪族や中央官僚など身分の高い人の墓が多く発見されています。ミイラや壁画のある3窟を見学しました。3年半前は周りに何もなかったのに、仰々しい寺院風の建物や12支のモニュメントなどが出来ていてびっくりしました。

火焔山
灼熱のトルファンの象徴、山肌がメラメラ燃えて見えるという火焔山は、砂煙でかすんでその姿さえはっきり見えませんでした。以前、10月に来たときも見えなかったのでどうも縁が無いようです。

蘇公塔
1777年に建てられたウイグル模様の美しいイスラム建築で、かつてはトルファンのどの場所からでも見られたという高さ38mの塔です。

カレーズ
1000年以上前から使われているこの水利システムは、竪穴式井戸を地下水路で繋ぎ、はるばる山から水を引いてくる仕組みです。しかし、見学したのはカレーズ博物館で、建物の中のガラスに覆われた水路はオアシスを潤す水路の風情はまったくありませんでした。

トルファンの楽しみ
夕方になると町には屋台が出て、ウイグル族や漢族の人たちの様々な料理が並びます。羊の焼き鳥のようなシシカバブや水餃子に舌鼓を打ちました。この時期は中国でも連休にあたり、近くの公会堂でイベントがあるというので見てみることにしました。看板は「女子十二楽坊」風だったのに、はじまってみると、耳をつんざく大音量の歌や、てんで合っていないダンサーズなど、とんだB級娯楽で我慢できずに途中で退散しました。

裏通りのモスク シシカバブー


4日目 (トルファン 〜 南疆鉄道車中)

交河故城
交わる2つの河(二道溝と三道溝)に挟まれた高さ30mの巨大な黄土の断崖に築かれた城で、南北約1000m、東西約300mの広大な敷地に、寺院、官庁街、住宅地などの遺構があります。中国でも休日のせいか軍人さんが見物に来ていたのですが、何故かものすごい勢いで遺跡内を走っていました。

交河故城の入口 2つの河に挟まれた交河故城


南疆鉄道
トルファンから南疆鉄道に乗ってカシュガルに向かいます。しかし、トルファンの駅は町の中心から60kmも離れていてバスで1時間以上もかかり、カシュガルまでは20時間以上もかかるので、鉄道好きの人でなければオススメできないと思いました。軟臥といわれる4人部屋のコンパートメントの一等寝台でしたが、ベッドは狭くカーテンも無く、寝心地も良いものではありませんでした。

南疆鉄道の車内で(写真館C) 南疆鉄道

5日目 (南疆鉄道 〜 カシュガル)

香妃墓
カシュガルに到着したのは午後3時近くで、そのまま香妃墓に向かいました。中国国内も連休中のせいか、ここでも多くの地元の観光客が来ていました。ウイグル族の観光客というのも珍しかったので写真を撮らせてもらいました。

香妃墓の観光客 ミナレットの彫刻(写真館H)


日曜バザール
香妃墓から市街地へ向かう途中で、日曜だけ開かれるバザールを見学。しかし、ここで重大事件発生!バザールの店が予想以上に多く、うかつにも集合場所を見失い人ごみを走り回っていたところ、幸か不幸か「公安」の車に乗った人と目が合ってしまいました。この人に聞けばバスの居所が分かるかもと思ったら、いいから車に乗りなさいと言われ、あれよあれよと言う間に、ホテルに連れて行かれてしまいました。待っていてくれた皆さん、添乗員さんガイドさん、ご心配かけて本当に申し訳ありません!カシュガルの警察官さん、お世話になりました。

日曜バザール(羊の足煮) 日曜バザール(アイス屋さん)


エイティガールモスクと職人街
ホテルからエイティガールモスクへは歩いてすぐに行けたので、皆さんと合流できました。モスクを見学してから職人街へと行きましたが、ここで異様な光景を目にしました。モスクの前の広場は工事中で封鎖され、職人街の道路も工事中で1mほど掘り下げられて人が歩けない状態でした。以前来た時は、広場や店先の道路でのんびり過ごしていた人たちは、今どうしているんだろうと心配になりました。中央政府の方針で古い建物はどんどん壊して新しく立て替えられているそうで、目抜き通りもビルが立ち並びシルクロードのオアシスの風情は失われつつありました。

カシュガルの小学校
3年前の秋にカシュガルに来たときに、小学校の前を通りがかり、下校する小学生の写真を撮ったので、本人達に会って渡せればいいなと写真を持ってきました。時間もないので諦めかけましたが、夕食後、ウイグル人のガイドさんが一緒に小学校行ってくれて、小学校の管理人さんと会うことができました。写真を見せると、小学生の写真の他、職人街の写真に写っている人も知り合いだそうで、必ず本人に渡しますと約束してくれました。カシュガルの街は至る所工事中で変貌を遂げつつありますが、人々の心は相変わらず温かくてとほっとしたひとときでした。

6日目 (カシュガル 〜 ホータン)

ヤルカンドで昼食
カシュガルからホータンまでは約520km、3年前にも通った時はあまり大変だと感じなかったのに、ここでも至る所で工事中で悪路が続きました。途中のヤルカンドではローカルレストランで、ウイグル名物ラグメンとポロを食しました。ラグメンは羊のミートソースのかかったうどんのような麺で、ポロは人参や羊の肉入りのピラフです。

ヤルカンドにて(写真館D) ヤルカンドのバザール(写真館G)
ヤルカンドのご長寿 ラグメン(左)とポロ(右)


ザワのバザール
ホータンに近づいてくると、何やらとても賑やかなバザールに出くわしました。ザワのバザールです。以前に来たときもあっけにとられましたが、道路を埋め尽くすほどの羊のバザールは相変わらず壮観でした。この辺りは、まだ昔ながらのシルクロードの雰囲気が残っていました。

ザワのバザールにて ザワのバザール(車窓より)

7日目 (ホータン 〜 ニヤ)

マリカワト故城
約2000年前の漢代に于てん国の都として栄えた遺跡ですが、原型の分かる建物はなく崩れた土の山ばかりです。隣には白玉河があり遺跡はそっちのけで玉拾いに精を出しました。しかし玉などそう簡単に見つかるものではなく、それを見抜いている物売りの子供達に張り付かれるばかりでした。

ロバ車に乗って(写真館F) マリカワト村にて


ウイグル族の民家訪門
マリカワト故城近くのウイグル族の民家、オボロカスンさん宅を訪問しました。結婚生活30年のご夫妻は、年齢よりだいぶ老けて見えましたが、大勢のお子さんやお孫さんに囲まれて幸せそうでした。突然の訪問にナンとお茶で、もてなしてくれましたが、秋ならば果樹園に実った果物をお出しできたのにと残念がっていました。

ウイグル族の民家にて ウイグル族の民家にて


午後からニヤへ
ホータンのローカルレストランで、ラグメンや汁気の多い麺、羊の水餃子などの昼食を食べ、またまた工事中の悪路を320km走り、ニヤまで移動しました。ニヤに到着したのは午後8時半過ぎで、博物館の観光は無理かと思いましたが、夕食後10時過ぎに開けてくれて見学することができました。でも、こんな時間にミイラを見た後、古ぼけて薄暗いニヤのホテルで過ごすのも、なんとも気味悪いものでした。

8日目 (ニヤ 〜 クチャ)

タクラマカン砂漠縦断
いよいよ旅のハイライト、タクラマカン砂漠の縦断です。砂漠公路は全長522km、ニヤを出発してから目的地のクチャまでは、710kmという長い道のりです。ニヤを出発し砂漠公路の出口から入るとすぐに辺りは一面、果てしなく続くサラサラの砂丘の景色となり、風紋や様々な砂丘の形など自然の造り出す造形美に見とれていました。しかし、途中で砂嵐が道を覆っていく場面にも遭遇し、「死亡之海」と言われる自然の厳しさも実感しました。後半になると砂丘はなくなり、枯れ木のようなのに実は生きている胡楊の林が多く見られます。胡楊は生きて1000年、立ち枯れて1000年、倒れて1000年と言われるほど生命力の強い木なのだそうです。入口に近づき、石油基地が見えるようになると砂漠の景色ではなくなってしまいました。やはり、砂漠好きにとっては入口から入って後の方になって砂丘の景色を見たほうが盛り上がるかもしれませんね。

タクラマカン砂漠(写真館@) タクラマカン砂漠(写真館A)
砂嵐が道を覆う(車窓より) 胡楊の林(車窓より)



9日目 (クチャ滞在)

塩水渓谷
クチャからキジル千仏洞へ向かう途中には、地層が剥き出しになった荒々しい岩山の渓谷があり、次々に変化するギザギザの地層と、乾いて塩が吹き出している河床など独特の自然の奇観を楽しみました。また、ここは天竺を目指した三蔵法師が通ったといわれており、歴史的な要所でもありました。

塩水渓谷 塩水渓谷


キジル千仏洞
またもや延々と工事中の道を通りやっと到着しました。キジル千仏洞は新疆最大の石窟で、紀元3〜9世紀に造られ、全部で236窟ある石窟のうち135窟に壁画があります。天井画には五弦琵琶を持った飛天が描かれていて、奈良の正倉院にあるこの楽器がシルクロードを伝わって来たのだと実感できます。壁画の題材は本上図、釈迦説法図など小乗仏教的なものが多くを占めますが、大乗仏教やガンダーラ様式、ギリシャの影響を受けたのもなどもあります。

クズルガハ千仏洞

キジル千仏洞から塩水渓谷まで戻り、渓谷の乾いた景色の中にあります。4〜8世紀に造られたものですが、石窟内にはほんの少ししか壁画は残っていません。近くには漢代の狼煙台もありましたが、乾ききった月世界のような景色が印象的でした。

キジル千仏洞 クズルガハ千仏洞(写真館B)


スバシ故城
玄奘三蔵の「大唐西域記」にも登場する新疆最大規模の仏教寺院遺跡です。三蔵が訪れた629年には5000人もの僧侶がいて、亀茲国の国王の寺院として栄えましたが、760年に戦火により滅亡しました。遺跡は広大で西側のみ見学しましたが、クチャ河の向こうの東側には仏塔跡が霞んで見えました。

10日目 (クチャ 〜 コルラ 〜 南疆鉄道)

クムトラ千仏洞
発電所でバスを降り、ロバ車に乗ってムザルト川の涼しげな風景を見ながらクムトラ千仏洞に向かいました。3〜13世紀にかけて造られた石窟ですが、唐代のものが多く壁画の人物も漢民族風です。また、亀茲様式の壁画や亀茲文字も残っていて、玄奘三蔵はここにも60日間滞在したといわれています。石窟付近は、ここも乾燥していて地面がパリパリにひび割れていましたが、川岸は砂棗の花が咲いていて良い香りがしていました。

クムトラ千仏洞 クムトラ千仏洞近くの風景


クチャのバザール
クチャの町に戻り、金曜バザールを見学しました。クチャもだいぶ都会的な町並みでしたが、舗装された交差点を羊を乗せたロバ車や馬車が行き交い、新疆らしさも感じられました。

クチャの街中の交差点で バザールの店先で(写真館E)


11日目 (南疆鉄道 〜 ウルムチ 〜 北京)

新疆ウイグル自治区博物館
3年半前は建替えのため休館でしたが、今回は仮設ですが見学することができました。案内人の説明を聞きながら有名な「楼蘭の美女」のミイラなどを見学し、そのままついていくと、なんと土産物屋の商品の説明まで始めてしまい、「そこまでするか!」と唖然としました。

ウルムチ
新疆ウイグル自治区の区都であるウルムチは、ますます大都会になってという印象でした。デパートやスーパーは、以前は照明が暗かったり雑然と商品が置いてあったりしましたが、今やすっかりあか抜けて日本と変わらない様になっていました。

12日目 (北京 〜 成田)

帰国の途へ
3年半ぶりに新疆を訪れて、町並みが漢民族の町のように変わってしまった所が多くてびっくりしました。中国国内からの観光客も増えてホテルも快適に過ごせるようになっていました。中国の経済発展を目の当たりにした旅でしたが、だんだんシルクロードの風情が損なわれていくのは寂しい気がしました。



●参考にさせていただいたもの●
地球の歩き方・西安とシルクロード(ダイヤモンド社)
旅のメモ(西遊旅行 添乗員さん)


このページの先頭へ

Copyright (C) 2006 All rights reserved by Noriko Yamaya