秘境の旅 写真館
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旅ノート マリ・ブルキナファソの旅(2007年1月23日〜2007年2月3日)

◎旅の日程◎
1.成田 〜  
2.〜 パリ(フランス) 〜 トリポリ(リビア) 〜 バマコ
3.バマコ(市内観光) 〜 セグウ
4.セグウ 〜 モプティ 〜 ドゥエンザ
5.ドゥエンザ 〜 トンブクトゥ(市内観光)
6.トンブクトゥ 〜 モプティ
7.モプティ 〜 ジェンネ 〜 ソンゴ 〜 ドゴン族の村(クンドゥ村)
8.岩山トレッキング ドゴン族の村(ティレリ村)
9.ティレリ村 〜 国境 〜 ワヒグヤ
10.ワヒグヤ 〜 ワガドゥグ 〜
11.〜 トリポリ(リビア) 〜 パリ(フランス) 〜
12.〜 成田


1,2日目 (成田 〜 パリ 〜 トリポリ 〜 バマコ)

遥かなるマリへの道のり
成田からパリまでは14時間半、パリで8時間のトランジット、リビアのトリポリまで3時間15分、トリポリで2時間半のトランジット、トリポリからマリのバマコまで4時間20分、うまくいってもマリに着くまで32時間以上かかる遥かな道のりです。
中でも気になったのはパリの8時間。日中なら町に出て観光ができる時間ですが、パリに着くのが朝の4時なので不可能です。そこでシャルルドゴール空港の情報をネットで調べてみたものの、時間つぶしができるような場所は見つかりませんでした。
結局ターミナルを移動したり食事をしたりしてどうにか8時間を過ごしました。さらにリビアではバマコ行きの飛行機が遅れたため、マリまでは35時間近くかかってやっと到着しました。

3日目 (バマコ 〜 セグウ)

ニジェール川の日の出
ニジェール川のほとりに立つホテルで朝食後に日の出を見ました。川では朝から船を出して網で魚を獲る漁師の姿も見られ、はるばるアフリカの地に来たのだなぁという感慨に浸りました。

バマコ市内観光
午前中はバマコの市内観光です。はじめに市内を一望できる丘に登りましたが、視界が悪く何にも見えません。次に国立博物館へ。マリを代表する文化である藍染や泥染めに関する展示、ドゴン族の木彫りのマスク、ジェンネからの出土品などを見学しました。
最後はマルシェ(市場)。乾燥したサルやワニの頭など不気味な商品が並べられてる店がありましたが、これらは薬として使われるのだそうです。ジャンベという太鼓を買いたいという人がいたので楽器店へ。アフリカの民俗音楽には欠かせない楽器です。

ニジェール川の日の出 バマコの市場にて


午後からはセグウへ
午後からは一路、235km離れたセグウへ向かいます。途中、バンバラ族の村を訪問してカリテという木の実からできるバターの作り方などを見せてもらいましたが、暑さと睡眠不足で疲れていたためか頭がもうろうとしていました。夕刻にセグウに到着し気温も下がり過しやすくなったので、夕暮れのニジェール川のほとりを歩きました。

4日目 (セグウ 〜 モプティ 〜 ドゥエンザ)

泥染めの工房を見学
今日はドゥエンザに向けて590kmの移動です。まだ暗いうちにセグウを出発し、間もなく朝日が昇るのを車窓から見ました。途中、サンという町のモスクの前でストップ。初めて間近に見るスーダン様式のモスクです。その後泥染めの工房に行き、木綿の布を植物で染めて泥で絵付けをするという製作の過程を見学しました。

スーダン様式のモスク 泥染め工房の娘さん



モプティで昼食
活気のある港町、モプティのニジェール川のほとりにあるレストランで昼食でした。メニューは「チェブゼン」という煮込み料理で、トマトソースで煮込んだお米の上に白身魚、キャベツ、ナス等の野菜がのっています。見た目よりかなり脂っぽくボリュームがあります。このとき足元で30センチ大のトカゲがわさわさ動いていたので、その方が気になって仕方ありませんでした。

昼食はチェブゼンという料理 テーブルの下にいたのは...

田舎の村のモスク
移動中に見える景色はほとんどサバンナですが、たまに現れる町や村にはかわいらしいモスクが建っています。カッコいいモスクを発見したので訪ねてみることに。白い縁取り装飾が他のものとは違っていて立派なモスクでした。村の子どもたちが集まってきたので、現地ガイド氏がお菓子をあげようとしましたがなかなか収拾がつきません。年長の子が子どもたちを整列させて事態を収めていました。

村のモスク お菓子をもらう順番を待つ子どもたち


ドゥエンザのキャンプメント
宿泊はキャンプメントという簡易宿泊施設で、ベッドだけ置いてある部屋に泊まるか屋根の上にテントを張って泊まります。共同のトイレと水シャワーがあり、食事は厨房で料理したものが出されます。部屋が空いていたので女性は部屋に、男性はテントに泊まりました。

5日目 (ドゥエンザ 〜 トンブクトゥ)

ドンキーキャラバン
これまで舗装された幹線道路を走ってきましたが、ドゥエンザからトンブクトゥ手前のニジェール川まではオフロードを走ります。今日も日の出とともに出発すると遠方にロバの群れが現れました。トンブクトゥに岩塩を運ぶドンキーキャラバンです。キャラバンを率いていたのはトゥアレグ族の男で、いつも埃っぽい砂漠を歩いているため軟膏や目薬を欲しがっていました。

ドンキーキャラバン キャラバンの男

トンブクトゥ市内観光

トンブクトゥは、古代より金や象牙、奴隷、塩などの交易の中継地として栄え、13世紀からはマリ帝国、ソンガイ帝国を通じて莫大な富が集まる重要都市となりました。マリの王マンサ・ムーサはメッカ巡礼の帰りにエジプトで大量の金をばらまき、「黄金の都」伝説も生まれました。しかし航路の発見によって次第に衰退し始め、19世紀にヨーロッパ人の探検家がこの地を訪れた時にはすっかり荒廃していました。
ホテルから歩いてまずは14世紀に建立されたというジンガリベリモスクへ。その後探検家の住んでいた家のある路地裏を歩き、イスラム学校や大学として栄えたシディ・ヤヒヤ・モスク、サンコレモスク等を見学しました。

ジンガリベリ モスク(写真館@) ジンガリベリ モスク
探検家の家の前で サンコレ モスク


ラクダでサハラ砂漠へ

夕方涼しくなったところで町外れに行き、ラクダに乗って20分くらいで綺麗な風紋の残る砂丘に着きました。ここはサハラ砂漠の南端で町の反対側は見渡す限りの砂漠です。トンブクトゥの町はサハラ砂漠からの砂に侵食され、世界危機遺産になっていたこともあります。砂漠の観光後に車で町を走っていたら、道路に深く溜まっていた砂で車がスタックしてしまいました。

サハラ砂漠(写真館A) サハラ砂漠(写真館B)



6日目 (トンブクトゥ 〜 モプティ)

トンブクトゥからモプティへ
昨日と同じ道を通りドゥエンザへ(約200km)、今日はさらにモプティまで175kmの移動です。今日も暗いうちに出発したのですが、ニジェール川のフェリーにうまく乗れず、ドゥエンザでの昼食時も時間がかかったので、予定通りに着けずモプティの観光はぶっ飛んでしまいました。

バニ川からニジェール川遊覧
夕方、ピローグという小船に乗ってニジェール川の遊覧に出かけました。ホテル前のバニ川という支流から船に乗り、途中でニジェール川に合流します。川では、洗濯する人、身体を洗う人、車を洗う人、家畜を洗う人などが並んで洗っています。港は岩塩や食料品などを積んだ船で賑わっていました。漁業を営むボゾ族と遊牧生活をしているフラニ族がいるカコロダ村に上陸。観光客が必ず訪れる島のようで、子ども達がしつこくまとわりついてきて嫌な感じでした。ここでは観光客に写真を撮らせてモノを貰う習慣が根付いてしまったようです。

川で洗濯する人々 港に荷上げされた岩塩
カコロダ村に上陸 遊牧をするフラニ族


7日目 (モプティ 〜 ジェンネ 〜 ソンゴ村 〜 バンディアガラ)

ジェンネ
世界一の大きさを誇る泥のモスクが聳え立つジェンネは世界遺産にも登録されています。月曜日にはモスクの前の広場に市が立ち、カラフルな衣装を着た人々で賑わっています。モスクは当初14世紀頃に建てられましたが、現在のものは1906年に建てられたもので、毎年雨季の前に修復が行われているそうです。
旧市街にある建物の屋上からジェンネの町を一望した後、下に下りるとそこは泥染めの店でした。迷路のような旧市街を歩いた後、念願の大モスクの前に出て周りを一周し月曜市へ。大モスクをじっくり見るにはあまりにも時間が短すぎました。

ジェンネ(大モスクと月曜市)(写真館C) ジェンネ(大モスク)(写真館D)
月曜市とモスク 泥染めの布


ソンゴ村

午後からいよいよドゴン族の住む地域へ向かいました。今まで車窓から見えたのは平地のサバンナばかりでしたが、次第に岩山が見える風景へと変わります。独特な形の岩山のあるソンゴ村へ。背後にある岩山には鮮やかな岩絵が描かれています。これは古代のものではなく、数年毎に行われる割礼の儀式のために描かれたのもです。

ソンゴ村 綿を紡ぐ女性
割礼の岩絵(写真館E) 割礼の岩絵


バンディアガラの断崖へ
日が沈む頃、世界遺産にも登録されているバンディアガラの断崖に到着。それから車で崖を下りてキャンプメントに着いた頃には辺りは真っ暗でした。すでに大勢のフランス人宿泊客がいたので屋根の上でテントを張ります。夕食時、Mさんの誕生会をしました。車の揺れでケーキの上の文字はちょっと潰れていたけど、こんなところでケーキを食べられるとはカンゲキです。

8日目 (ユガ村トレッキング 〜 ティレリ村)

ユガ村トレッキング
朝7時よりユガ村に移動して断崖のトレッキングを開始しました。高低差は400mくらいでしょうか、崖の上にある村を幾つか訪れ頂上に出た後は別の道から下ります。登山道は無くごつごつした岩を足場に気をつけながら登ります。両手を使ってよじ登ったり岩の隙間を通ったりして思ったよりかなりハードでしたが、崖の上の方に住んでいる住民は汲んだ水を頭に載せてスイスイ登っていきます。

ユガ・ドゴロウ地区 ユガ・ドゴロウ地区
ユガ・ピリ地区(写真館F) ユガ・ピリ地区の子ども


ティレリ村

午後から今日の宿泊地ティレリ村に移動しました。夕方、村の散策に出かけましたが、村には平らな道などは無く少し移動するのもトレッキング気分で、ちゃんとガイドに付いて歩かないと迷子になってしまいます。宿泊は村長さんのキャンプメントでテント泊。ハルマッタンなのか風が強くて星がよく見えなかったのが残念でした。

ティレリ村 トグナ(集会所)



9日目 (ティレリ村 〜 国境 〜 ワヒグヤ)

ドゴン族の仮面の踊り
朝、ティレリ村の広場でドゴン族の仮面の踊りを鑑賞しました。仮面の踊りはドゴンの神話の世界を再現するもので60年毎に行われる「シギの祭り」が有名です。身長の倍くらいの長さがあり家を表すシリゲの仮面、天と地を象徴する十字架のような形のカナガの仮面、このほか人物や動物などを模した仮面があります。観光用の踊りですが、なかなかの迫力があり私達6人だけで見せてもらうのは申し訳ないようでした。

ドゴン族の仮面の踊り(写真館G) ドゴン族の仮面の踊り(写真館H)



女性の仮面 シリゲの仮面 動物の仮面

国境近くの町
仮面の踊りを鑑賞した後は、ブルキナファソに向かって移動です。標識も目印もないサバンナを、ドライバーさんのカンとたまに出会う人の道案内だけを頼りにコロという町を目指します。無事に幹線道路に出ることができてコロに到着し給油しました。この町で通りがかった娘さんたちは気軽に写真に応じてくれました。
      
モスクの前で井戸端会議 頭に荷物をのせて運ぶ少女


10日目 (ワヒグヤ 〜 ワガドゥグ 〜 )
ワヒグヤのマルシェ
午前8時、ワヒグヤのマルシェ(市場)に出かけました。ここは観光地ではないので、売っている物は地元の人が日常生活で食べている物や使っているのもです。ここの人達は人間味あるれる人達でほっとしました。
      
 
色とりどりの野菜 キャベツを売る女性 にんじんを売る女性
      


ブルキナファソの首都 ワガドゥグ
午前中にはワガドゥグに着き、市内観光の後、深夜の出発までホテルで休憩しました。市内観光といっても見所は少なく、火事で閉鎖されてしまった中央市場の代わりにできた土産物屋街を見た後、道端でCDを売っている店があったので見ていると、雑居ビルの怪しい部屋に連れ込まれました。そこはCDを売っているだけでしたが、薄暗いピンクの照明でどうみても「未成年お断り」の店のような雰囲気です。
      
閉鎖されている中央市場 市街地から空港が見える
      


11、12日目 ( ワガドゥグ 〜 トリポリ(リビア) 〜 パリ(フランス) 〜 成田)
帰りはよいよい
深夜ワガドゥグを出発し、トリポリまでは3時間半。あまりにも疲れていたので機内食も無視して爆睡しました。トリポリ〜パリ間は飛行機が遅れて、パリでの乗り換えは買い物にもお手洗いにも行けず、慌しく飛行機に乗り込みました。帰りは往きに比べてずいぶん早く帰ってこれたような気がします。

「テロ対策のためパリを発つ飛行機には液体物は100mリットル以下のモノしか持ち込めない事になっています!」この事に関しては私達にちゃんと説明していた添乗員氏でしたが、経由地のトリポリで当の本人がシコタマ蜂蜜を買い込んでいました。そして彼の説明どおりにそれらは全てパリの空港で没収されました。

今回の旅行は、毎日早朝に出発して車にすし詰めになり長距離を移動したり、灼熱の暑さのなか観光やトレッキングを行い体力的にハードな旅でした。さらに肝心な所が観光できず残念に思うことが多々あったり、想像以上に貧しい子供達に気が滅入ってしまったり、精神的な疲労感も大きく疲れ果てました。はるばる行った西アフリカの旅でしたが慌しく過ぎてしまい心残りが山ほどあるので、機会があったらもう一度チャレンジしてみたいと思います。

●参考にさせていただいたもの●
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
週刊世界遺産bW5 マリ 伝説の都市トンブクトゥ/ジェンネの旧市街(講談社)
サハラをゆく〜砂に埋もれた7000年の謎(日本テレビ)


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