秘境の旅 写真館
本文へジャンプ エチオピアの写真館へ 

旅ノート エチオピアの旅(2005年12月23日〜2006年1月3日)

◎旅の日程◎
1.成田 〜 北京 〜 
2.バンコク 〜 アジスアベバ 〜 アクスム(観光)
3.アクスム 〜 ゴンダール(観光)
4.ゴンダール 〜 ラリベラ
5.ラリベラ滞在
6.ラリベラ 〜 バハルダール(タナ湖)
7.青ナイルの滝 〜 アジスアベバ
8.アジスアベバ 〜 ディレダワ 〜 ハラール
9.ハラール 〜 ディレダワ 〜 アジスアベバ
10.アジスアベバ市内観光 〜
11.〜 バンコク 〜
12.〜 北京 〜 成田


1,2日目 (成田 〜 北京 〜 バンコク 〜 アジスアベバ 〜 アクスム)

エチオピアまでの長〜い道のり
エチオピアへは成田〜バンコク〜アジスアベバと乗り継いで行くのが一般的ですが、某航空会社の手違いでバンコク直行便の席の確保ができず、北京経由となってしまいました。北京まで約4時間、バンコクまで約4時間半、アジスアベバまで約9時間、その後国内線でアクスムまで約3時間。目的地まで20時間も飛行機に乗るのは久しぶりです。
途中、北京でバンコク行きの便が2時間遅れてエチオピア航空の出発時間ぎりぎりになってしまいましたが、エチオピア航空は、なんと私達を待っていてくれて、予定より僅かの遅れでエチオピアに到着することができました。

石柱(オベリスク)
昼食後、早速アクスムの観光に出かけました。まずは、一番目を引くオベリスクへ。アクスム王国時代(1〜6世紀)に建てられたのもで、墓標または日時計だったという説があります。入口正面に立っている高さ23mのエザナ王のオベリスクは、少し右に傾いています。倒れて折れている33mのものは、大きすぎて1度も立たなかったという説と8世紀に女王グウディートが倒したという説があります。

33メートルのオベリスク(写真館@) 23メートルのオベリスク


シバの女王の遺跡

ジバの女王はイスラエルにソロモン王を訪ねた帰途、エチオピアで王の子供を産みました。その子はエチオピアのハイレシェラセ皇帝の先祖といわれています。アクスムにはシバの女王ゆかりの遺跡があります。
まずはシバの女王の浴槽跡へ。浴槽といっても普通の池で遺跡という感じはなく、当時から貯水池だったといわれています。今でも付近の住民が生活水を汲みに来ていました。
シバの女王の宮殿跡は、紀元前7〜5世紀に造られたという説と3〜6世紀に造られたという説があり、当時の石で修復されています。蒸気風呂、応接間、祈祷所、雨どい、パン焼き窯などを見学しました。当時は3階建で部屋数は50ほどあったそうです。

シバの女王の浴槽といわれる所 シバの女王の宮殿(蒸気風呂)


聖シオン・マリア聖堂
シバの女王とソロモン王の子メネリク1世がイスラエルから持ち帰ったアーク(モーゼの十戒を納めた「契約の箱」)が納められているので有名な教会です。アフリカで一番古い教会で、4世紀にエザナ王が建設しましたが9世紀に女王グウディートが破壊しました。その後16世紀にファシリダス帝が女人禁制の旧シオン・マリア聖堂を建設し、20世紀にハイレセラシェ皇帝が男女が入れる新シオン・マリア聖堂を建設しました。新聖堂では1000年前にヤギの皮に描かれたという色鮮やかな本を見せてもらいました。

アークが納められている教会 ミサに集まった人々


コーヒーセレモニー
民家の東屋のような所で、コーヒーセレモニーを体験しました。まずはコーヒー豆を煎り、それを大きな鉄の棒ですり潰します。次にポットですり潰した豆を煮詰めるのですが、この地方のポットは注ぎ口のない独特の形をしています。沈殿させた後、一度に全員のカップに注がれました。今日はとても長い一日だったので、さすがにみんなお疲れの様子でした。

コーヒーセレモニー


3日目 (アクスム 〜 ゴンダール)

アクスムの朝
丘の上にあるホテルからは、アクスムの町が一望できました。日曜日だったので周辺の村々からマリア聖堂へ向かう白装束の人々が列を成して歩いていきます。
エチオピアは山がちな土地がら道路網が発達していないので、毎日飛行機による移動となります。チェックインが2時間前で、しかも遅れる事が多いので、観光の時間より空港で待っている時間の方が長いんじゃないかと思うほどです。

教会へ向かう人々の列 いつも遅れるエチオピア航空


デブレ・ベルハン・セラシエ教会
どうにかゴンダールに来ることができて、最初に訪れたのは天使画で有名なデブレ・ベルハン・セラシエ教会です。1674年、イヤス帝によって建設された教会で、天井には80体の天使の顔が、壁には新約聖書とエチオピア正教の宗教画が描かれています。天井の一部にはギース語で「天使の数は数えられない」と書いてあるそうです。この天使の顔は、エチオピア航空の航空券にも描かれていてエチオピアを象徴する文化といえます。

天井の天使画(写真館A)


不思議の城
17世紀から造られた6代の皇帝のお城で、敷地内に6つのお城と12の城門があります。まずは、1代目のファシリダス帝のお城に入り、ダイニングやバルコニーを見学。石造りの4階建てで、とても重厚な感じがしました。ここから渡り廊下で、2代目ヨハンネス1世の図書館、3代目イヤス帝の宮殿に行くことができたそうです。イヤス帝の別宅にはサウナもありました。その後、4代目のダビド王の音楽の間、5代目バカファ王の宮殿と厩、彼の妻である女帝メントワープの宮殿では外壁にゴンダール十字架を見ることができました。

クスカム教会
ゴンダールの町より少し山を登ったところにあるクスカム教会へ。ここはメントゥワープ帝が王家を離れて余生を過ごした宮殿と教会です。不思議の城に似た石造りの建物の廃墟と円形の教会を見学しました。教会の地下には、メントワープ帝、息子のヨハス、孫のイヤス2世の骨が納められているそうです。

不思議の城(写真館B) クスカム教会 メントワープ帝の宮殿



4日目 (ゴンダール 〜 ラリベラ)

ファシリダス帝のプール
プールといっても泳ぐためではなく、洗礼するために使われたものです。ファシリダス帝はこの町をエチオピア正教徒だけの町にするため、全ての人はこのプールで洗礼しなければならなかったそうです。1月のティムカット祭で使われるため修復工事中で、プールに水はありませんでした。

また遅れたエチオピア航空
今日は予め飛行機が遅れると分かっていたので、飛行機の待ち時間にガイドのサムソンさんと添乗員のSさんがエチオピア式マージャンを教えてくれました。トランプを2組使うのですが難しくてすぐには覚えられません。でも覚えるとかなりハマッてしまうゲームのようです。そんな事で時間をつぶしたのにさらに遅れる事件が発生!予約のない人を乗せてしまったので降りてもらうように交渉しているんだとか・・・交渉の末、私達はなんとか乗れましたがスペイン人のグループは乗れなかったようです。
結局、朝の9時半に着く予定が午後2時半過ぎになってしまいました。でも、こういう事はよくあるので、それを見越して日程が組まれているんだそうです。

ナクタラブ教会
夕方、ラリベラ郊外の山腹の洞窟にあるナクタラブ教会へ。12世紀にナクタラブ王によって造られたのもで、洞窟からしたたり落ちている水は聖水とされています。独特の衣装を着た司祭の方が、クロス(十字架)や手書きの本などを見せてくれました。

ナクタラブ教会(外側) ナクタラブ教会(内部)


5日目 (ラリベラ滞在)

岩窟教会群・第一グループと聖ジョージ教会
エチオピア観光のハイライトというべきラリベラの岩窟教会の見学です。ラリベラには11個の教会があり、主にラリベラ王が建てたものですが、聖アバリバノス教会のみラリベラ王の奥さんによって建てられました。

午前中は第一グループの見学で、まずは救世主教会(メドハネアレム教会)へ。火山岩を彫って造られた巨大な教会で72本ある柱は、キリストの弟子の数だといわれています。教会は修復中で足場が組まれ工事現場のようでしたが、聖書を読んで熱心に祈りを捧げている人の姿がありました。
次は3つの教会、聖マリアム教会(マリア教会)、聖マスカル教会(十字架教会)、聖デナギル教会(処女教会)です。マリア教会にはキリストがラリベラ王と話をしたという柱があり、それには解読できない文字で世界の未来が書かれているという伝説があります。
その後、双子の教会、聖ミカエル教会とゴルゴダ教会へ。ゴルゴダ教会は女人禁制なので入れませんでしたが、ラリベラ王の墓とキリストの墓のレプリカ、12使徒の像があるそうです。

第一グループの見学後、ラリベラ村の民家でインジェラ作りを見せてもらって、見晴らしのいい丘のところまで歩いてくると、有名な聖ジョージ教会の十字架が見えました。写真で何度か見ていたものの実物を目の当たりにして、800年も前にこんなに巨大な岩をくり貫いて教会を造った人々に改めて感動しました。穴の下に下りて教会内部に入り、司祭の方より十字架や宝箱などを見せてもらいました。

聖ジョージ教会(写真館D) 聖ジョージ教会
祈りを捧げる人々(写真館C) クロスを持つ司祭(写真館E)


岩窟教会群・第二グループ

午後は第二グループの見学で、まずはラリベラ王の奥さんが24時間で造ったと言われるアバリバノス教会へ。ここも修復用の櫓で覆われて外観がよく見えませんでした。内部では司祭がアクスム様式のクロスを見せてくれました。
次はエマヌエル教会。十字架の形の窓が特徴です。クロスはアクスム様式で、木で出来ているラリベラ王のタウスティックというものもありました。
つづいてラリベラ王の宮殿といわれるメルクリオス教会へ。地下では足かせが見つかっていて、牢獄があったのではと考えられているそうです。ここのクロスはゴンダール様式でした。
洞窟の真っ暗なトンネルを通り、最後にガブリエル教会とラファエル教会に行きました。教会の前は深く掘られていて橋を渡って入口に行くのですが、落ちたら命も危ぶまれる高さです。内部ではヤギ皮の聖書、7つの突起のあるクロスを見せてもらいました。

エマヌエル教会のクロス ガブリエル教会の入口



6日目 (ラリベラ 〜 バハルダール)

ウラキダネ・ミフレット教会
朝ラリベラを出発し飛行機でバハルダールへ。その後タナ湖に向かい船に乗り、ゼギ半島で下船、森の中を歩いてウラキダネ・ミフレット教会に行きました。ここは内部にある数々のキリスト教絵画で有名です。天使や聖書の話を題材にした色鮮やかな絵画を見学しました。

聖マリヤム教会
再び船に乗り石を並べただけの桟橋の上を危なっかしく歩いて、森の中を進み聖マリヤム教会へ。この教会でもウラキダネ教会と同じようなキリスト教絵画を見ました。

ウラキダネ ミフレット教会(写真館F
聖マリアム教会


エチオピアの夕陽
タナ湖の観光後バハルダールに戻ってタナ湖を見下ろす丘に登り夕陽を見る予定でしたが、朝、エチオピア航空が30分近く遅れたため、丘に登る前に夕陽が沈んでしまいました。でもなんとか青ナイルの川岸で夕陽を見ることが出来ました。

石を並べただけの桟橋 青ナイル川と夕陽


7日目 (バハルダール 〜 アジスアベバ)

ティシサット(青ナイル)の滝
世界一の大河、ナイル川の源流青ナイルの滝は幅400m、高さ45m...という、ちょっと昔の説明を読んで、久しぶりに野性的な滝が見られると期待に胸膨らませて来てみたら、「どこに滝があるの?」という状況になってました。幅は400mどころか4mくらいしかありません。最近、近くに発電所ができて、ほとんどの水はそちらに流れていくようになったそうです。そういえば昨日の夜、バハルダールの街には蛍光灯が煌々と点いていて、妙に明るかった気がします。

渡し舟乗り場にて 青ナイルの滝(写真館G)


バハールダルの神学校

今日もエチオピア航空が遅れるというので予定にはなかったのですが、全寮制の新学校を見学しました。彼らは最低15年間もここで学ぶそうです。ノートには上手なキリスト教画が描かれていました。

神学生の宿舎(4人部屋) 神学生のノート



8日目 (アジスアベバ 〜 ディレダワ 〜 ハラール)

ハラール
珍しく飛行機が遅れなかったので8時半にはハラールへの中継地ディレダワに到着。山岳風景や段々畑を見ながらバスで移動し、午前中のうちにハラールに着いてクリスチャンマーケットを見学しました。
午後からはまず旧市街が見渡せる丘へ。高さ3mの城壁で囲まれた町には建物がひしめき合っていて、モスクのドームやミナレットも見られました。城壁内には82のモスクがあるそうです。迷路のような路地を歩いていると、かわいらしいモスクを幾つも見かけました。旧市街ではランボーが住んでいた家やハイレセラシェが住んでいた家などを見学しましたが、ほかのイスラムの町と違って、町の人があまり感じよくないのは貧しさのせいなのでしょうか。

ハラール(写真館H) ハラールのモスク


ハイエナマン

夜、世界で初めてハイエナの餌付けに成功したという、ハイエナマンを見に行きました。町はずれの空き地のような所にバスが止まると、暗闇の中、一人の男に群がるハイエナの姿がライトに照らされて浮かび上がりました。ハイエナたちは昼間は山にいて、夜になるとハイエナマンの所に餌を求めて来るのだとか。餌付けよりもハイエナが町をうろついている光景に驚きました。

ハイエナマン



9日目 (ハラール 〜 ディレダワ 〜 アジスアベバ)

ディレダワ
今日も飛行機が遅れることがわかり、ディレダワでは時間に余裕が出来たので、予定にはなかった鉄道駅の見学とガイドのサムスンさんの実家を訪問することになり、かえってラッキーでした。この鉄道はジブチの港からアジスアベバまで貨物を運ぶ役割を果たしています。サムスンさんの実家は大きな家で、お母さんと居候の方たちが自家製のパンとコーヒーでもてなしてくれました。

ジブチまで通じる鉄道の駅 ディレダワのマーケット


民族舞踊の夕べ
アジスアベバに戻って、ツアーにつきものの民族舞踊を見ながらの夕食です。食事はインジェラとバイキングを選択できましたが、注文したインジェラがなかなか来ないので、わがテーブルは踊りを見ても盛り上がりに欠けました。音楽も単調でイマイチでしたが、最後はお客さんも踊りに参加させて盛り上げていました。

さんざん待たされたインジェラ



10日目 (アジスアベバ市内観光 〜 )

聖ジョージ教会
教会の入口は先に進めないほど人でごったがえしていたので、今日は1月1日だから初詣の人出かと思ったら、エチオピア正教の「聖ジョージの日」(23日)だからだそうです。教会の内部にある、3人のエチオピア人画家によって描かれた数々の壁画は、なかなか見応えのあるものでした。

聖ジョージ教会 聖ジョージ教会にて


アジスアベバのパノラマ
ウントット山からアジスアベバの町を一望しました。さすがに今まで観光してきた町とは違って大都会です。アジスアベバとは新しい花という意味で、メネリク2世の奥さんによって名づけられたそうです。

考古学博物館
最後に博物館へ。400万年前の原人、アウストラロピテクスのルーシーの骨のレプリカから、アクスム王国時代の像やコイン、メネリク2世やハイレシェラシエなど歴代の王家で使われていたものや、現在エチオピア南部の部族が使っている生活用品などを見学しました。

11、12日目 (〜 バンコク 〜 北京 〜 成田)

長〜い帰路
深夜アジスアベバを出発してバンコクへ。10時間以上のトランジット時間でしたが、どうしても行きたいという所もなかったので空港内のトランジットホテルで過ごしました。部屋に入ってカーテンを開けると、窓の下に見えたのは免税店街。バンコクの空港には何度か来ていましたが、2階にこのような施設があるのは初めて知りました。久しぶりにダニ対策を施さずにベッドで仮眠しました。


エチオピアではほとんど毎日飛行機が遅れて、はじめはどうなる事やらと思いましたが、結果的には全ての目的地を観光することができて、なかなか楽しい旅でした。心配していたダニも大した被害が無くすみました。エチオピアでは教会に靴を脱いで入るたびに、ダニにヤラレナイようにコンビニ袋で足を覆ったり、寝るときはベッドにダニ除けスプレーを撒いて、その上にサバイバルシートをしいて寝たりしました。そんな事も今となってはいい思い出です。



●参考にさせていただいたもの●
旅の記録(ユーラシア旅行社 添乗員さん)


このページの先頭へ

Copyright (C) 2006 All rights reserved by Noriko Yamaya