個々の伝記等以外に利用した文献リスト
A 「日本史を変えた人物200 人」
B 「日本史重要人物101」
C 「この人どんな人」
D 「没年日本史人物事典」
E 「人物日本歴史館」
F 「日本の群像」
G 平凡社百科事典
a 中公シリーズ「日本の名著」
b 新潮日本美術文庫
c 新潮日本文学アルバム
e 「本朝医人伝」
f 加来耕三「創始者の研究」
g 山田風太郎「人間臨終図巻」
h 「目でみる日本人物百科」
i 「女たちの20 世紀・100 人」
j 歴史有名人の死の瞬間
k 「音楽界戦後50 年の歩み」
l 「江戸・東京を造った人々」
m 「なにわ人物譜」
n 「江戸大名データファイル127 人」
o 「王朝の歌人たち・中世の歌人たち」
p 「100 人の20 世紀」
q 日本の古典名著
r 「日本の女性」
三省堂「コンサイス日本人名事典」
山川「日本史人物辞典」
東京堂「(新版)世界人名辞典~日本編」
朝日新聞社「現代日本朝日人物事典」
朝日新聞社「日本歴史人物事典」
吉川弘文館「日本近現代人名辞典」
吉川弘文館「日本近世人名辞典」
吉川弘文館「日本古代中世人名辞典」
新人物往来社「鎌倉・室町人名事典」
新人物往来社「戦国人名事典」
日本図書センター「日本女性人名辞典」
三省堂「日本芸能人名事典」
東京堂「江戸文人辞典」
東大出版会「日本近現代人物履歴事典」
各種の人名辞典や年譜の記載されている文献,伝記や評伝,さらにはインターネットなどによって,できる限り様々な人物を取り上げました。人名辞典は時代や編者によって,人物が意図的に拾われたり落とされたりしていること,年譜のある人物は,作家や政治家などに偏っていること,時代小説など,一見評伝風ながら,人物の善悪のイメージや年齢などが創作されていること,さらに,男性中心社会として,女性の役割が過少に見られている(北条政子などが端的な例)ことなどに注意を払い,意識的に偏りを排除するように心がけ,現在までに3468人の年譜を作成するに至っています。
。
次に,それぞれの人物を並べて対照できるように,第2部の年齢段階に応じ,9年ごとにマークが入る形で,原則的に1年1行の形に整理し,記載無い年を空白行にして,等間隔になるような年譜にしました。重要と思われる部分,それぞれの人物が何歳頃に目覚めたり出会ったりして飛躍し始め,何歳頃に成果を出しているかなど手に取るように分るようには強調表示,さらに,人物の年齢段階と時代状況との関係がすぐに掴めるように,日本外史塾のⅡ:時代循環のパターンのところでお示しした西暦年に対応するエポックを記載,どんな時代に生まれ育って,どんな時代に活躍したかなどが手に取るように分るようにしましたので,その人物と時代の関係も分かり,人生設計に役立つものになる,少なくとも自分史の作成の参考になるものと思います。
生没年につきましては,山田風太郎が「人間臨終図巻」で述べていますのと同様,誕生日や死亡日に関係なく,陰暦についても元号変更日に関係なく,単純に西暦年を採用,死亡年齢など食い違う場合もありますが,満年齢と数え年齢の関係などからも,ほぼ問題ないと考えます。つまり,すべての西暦年と年齢について,「ほぼ」「頃」として見て頂きたいということです。
作成してみてわかりましたのは,江戸時代以前の方が人生・家族の在り方に大きな幅があること,とくに優秀な後継者を育てる上で養子の有効性が高いこと,また女性でも,北条政子を代表に男性のトップにも優れる人物がいることをはじめ,人生パターンの多様ぶりです。是非参考にして頂きたいと思います。
なお,伝記や評伝は図書分類では独立しておらず,政治や文学など各分野に分れてしまっているため,これから成長して行こうとする子供や,定年後どう生きて行こうかとする大人たちが歴史上の人物の生き方を発見する機会が無い状態ですので,伝記図書館の必要性も考えています。

⇒コラム(個々の伝記等以外に利用した文献リスト
より詳しく正確にお知りになりたい方は,最下欄に示した評伝その他をお読み頂くようお願いします。
この一枚年譜をもとに,さまざまな切り口から人物探索をしたのが,年齢適活三講です。是非ご覧ください。
また,一枚年譜左端の「西暦年に対応するできごと」から,歴史に関心を抱かれた方は,「引田康英の日本私史三講」のうち,「Ⅱ:時代循環のパターン」をご覧になることをお勧めします。
一枚年譜の作成するにあたって,引用させて頂いた人名事典を作ったり,評伝等を書かれた方々のご努力に敬意を評します。作業の上では,エディタソフト「秀丸」,データベースソフト「桐」に,大変お世話になりました。皆様にも,日本人のつくったソフトの使いやすさを知って頂きたいと思う次第です。
各行庫の姓名のうち,オリーブ色になっているもの(付録の2002年以降死没者はすべて)は,年齢適活三講のデータベース作成後に追加したもので,解説等にもでてこないことを,予め,お断りしておきます。
3500人に近い枚数ですので,容量上の問題もありまして,おおむねひと月ごとに,3回に分けて,書庫を開いて行きたいと思います。今後も逐次人物を追加する予定です。
今月はⅢ:は・ま・や・ら・わ行を開いています。
一枚年譜によりまして,年齢適活三講で分析対象にしました人物3,468名は表になっています。>年齢適活年譜リスト(EXCEL)
それを見て頂ければ,どのような人物であったか,様々な項目から分かりますが,その後に,一枚年譜を作成して追加した人物につきましては,そのような表にしていませんので,とりあえず,五十音順に,それぞれの一枚年譜トップの一行紹介のみ示しておこうと思います。
年齢適活三講で分析対象にした人物後に追加した人物リスト
あ・か行
さ・た・な行
は・ま・や・ら・わ行
なお,2001年以降に没した人物につきましても,幾人か一枚年譜を作成しましたので,は・ま・や・ら・わ行庫の最後に追加しておきました。
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次に,それぞれの人物を並べて対照できるように,第2部の年齢段階に応じ,9年ごとにマークが入る形で,原則的に1年1行の形に整理し,記載無い年を空白行にして,等間隔になるような年譜にしました。重要と思われる部分,それぞれの人物が何歳頃に目覚めたり出会ったりして飛躍し始め,何歳頃に成果を出しているかなど手に取るように分るようには強調表示,さらに,人物の年齢段階と時代状況との関係がすぐに掴めるように,日本外史塾のⅡ:時代循環のパターンのところでお示しした西暦年に対応するエポックを記載,どんな時代に生まれ育って,どんな時代に活躍したかなどが手に取るように分るようにしましたので,その人物と時代の関係も分かり,人生設計に役立つものになる,少なくとも自分史の作成の参考になるものと思います。
生没年につきましては,山田風太郎が「人間臨終図巻」で述べていますのと同様,誕生日や死亡日に関係なく,陰暦についても元号変更日に関係なく,単純に西暦年を採用,死亡年齢など食い違う場合もありますが,満年齢と数え年齢の関係などからも,ほぼ問題ないと考えます。つまり,すべての西暦年と年齢について,「ほぼ」「頃」として見て頂きたいということです。
作成してみてわかりましたのは,江戸時代以前の方が人生・家族の在り方に大きな幅があること,とくに優秀な後継者を育てる上で養子の有効性が高いこと,また女性でも,北条政子を代表に男性のトップにも優れる人物がいることをはじめ,人生パターンの多様ぶりです。是非参考にして頂きたいと思います。
なお,伝記や評伝は図書分類では独立しておらず,政治や文学など各分野に分れてしまっているため,これから成長して行こうとする子供や,定年後どう生きて行こうかとする大人たちが歴史上の人物の生き方を発見する機会が無い状態ですので,伝記図書館の必要性も考えています。
一枚年譜のサンプル

⇒コラム(個々の伝記等以外に利用した文献リスト
より詳しく正確にお知りになりたい方は,最下欄に示した評伝その他をお読み頂くようお願いします。
この一枚年譜をもとに,さまざまな切り口から人物探索をしたのが,年齢適活三講です。是非ご覧ください。
また,一枚年譜左端の「西暦年に対応するできごと」から,歴史に関心を抱かれた方は,「引田康英の日本私史三講」のうち,「Ⅱ:時代循環のパターン」をご覧になることをお勧めします。
一枚年譜の作成するにあたって,引用させて頂いた人名事典を作ったり,評伝等を書かれた方々のご努力に敬意を評します。作業の上では,エディタソフト「秀丸」,データベースソフト「桐」に,大変お世話になりました。皆様にも,日本人のつくったソフトの使いやすさを知って頂きたいと思う次第です。
各行庫の姓名のうち,オリーブ色になっているもの(付録の2002年以降死没者はすべて)は,年齢適活三講のデータベース作成後に追加したもので,解説等にもでてこないことを,予め,お断りしておきます。
3500人に近い枚数ですので,容量上の問題もありまして,おおむねひと月ごとに,3回に分けて,書庫を開いて行きたいと思います。今後も逐次人物を追加する予定です。
今月はⅢ:は・ま・や・ら・わ行を開いています。
一枚年譜によりまして,年齢適活三講で分析対象にしました人物3,468名は表になっています。>年齢適活年譜リスト(EXCEL)
それを見て頂ければ,どのような人物であったか,様々な項目から分かりますが,その後に,一枚年譜を作成して追加した人物につきましては,そのような表にしていませんので,とりあえず,五十音順に,それぞれの一枚年譜トップの一行紹介のみ示しておこうと思います。
年齢適活三講で分析対象にした人物後に追加した人物リスト
あ・か行
相生由太郎 赤星鉄馬 赤松小三郎 秋里籬島 朝倉貞景 朝倉孝景2 朝倉教景(宗滴) 朝比奈弥太郎(泰尚) 荒川豊蔵 荒木村重 安然 石川雲蝶 石黒宗麿 石田昇 石原和三郎 石本秀一 伊藤音次郎 伊藤証信 糸賀一雄 井上房一郎 今川氏真 上原敬二 魚谷常吉 宇喜多直家 薄益三 宇都宮太郎 裏松光世(固禅) 遠藤隆吉 大石誠之助 大上宇市 正親町天皇 大島鎌吉 大島浩 大村卓一 尾形亀之助 岡正雄 沖野岩三郎 おけい(伊藤けい) 小田氏治 織田有楽斎(長益) 尾高惇忠(藍香) 小野アンナ 小野忠重 小原古邨 笠井重治 笠木良明 風見章 金森長近 鎌倉芳太郎 烏丸光廣 川上俊彦 神田日勝 義淵 岸田日出刀 岸本英夫 北白川宮能久親王 桐山襲 金天海 百済王敬福 呉秀三 光格天皇 纐纈彌三 肥沼信次 呉春(松村月溪) 後花園天皇 後陽成天皇 |
実業家。日露戦争後,満鉄との関係で,初期の満州経営を主導した 父から巨額の財産を相続,学術財団{啓明会}設立はじめ各所への資金提供,ブラックバス移入はじめ釣りに生涯 洋式兵学者。日本近代化を先駆するも,譜代大名の藩士だった故,熱心に教えた薩摩藩の門下生に暗殺された 俳諧師。緻密な紹介解説に画家の挿絵溢れる「都名所図会」が大ヒットして,名所図会のジャンルの嚆矢となった 武将。越前国の戦国大名。早世した父の後を受け,一向一揆を撃退し,越前支配と朝倉全盛の基礎を築いた 越前国の戦国大名。安定した政権のもと,諸国の紛争,将軍家の政争に援兵し,公家や文化人受入れに努めた 越前の戦国大名朝倉氏の家臣。傑物として,代々の当主を補佐し繁栄させたが,その死は,滅亡を招いた 尊皇攘夷派が主流になった水戸藩で,執政を務め,"諸生派"の核になり,幕府のために最後まで戦った 美濃焼の陶芸家。志野・織部など桃山時代の名陶が,瀬戸でなく美濃で焼かれたこと立証,古志野の再現に努めた 武将。摂津池田家を乗っ取って,織田信長の家臣となるも謀叛,単身亡命して一族惨殺も,最後は千利休高弟に 学僧。天台宗の密教化を成し遂げ,日本独自の草木成仏の思想を確立,五十音図の原型をも発明した大学者 幕末・維新期に,越後国で活動した彫工。色鮮やかで迫力ある木彫などを遺し,"越後のミケランジェロ"の評。 異端に徹した陶芸家。作品の多くは,出生地の富山家射水の新湊博物館に収蔵されている 精神医学者。日本の精神医学界に多大な影響を及ぼすも,アメリカ留学時に同僚を射殺し,以後,精神病院生活 童謡作詞家。「金太郎」「花咲爺」「兎と亀」「大黒様」など傑作多数 広島商監督で全国制覇,プロ野球誕生時にタイガース監督で黄金時代,廃墟広島にカープを誕生させた""野球の鬼 日本の民間航空のパイオニア。研究所を設立し,多くのパイロットを育て,国産機の開発にも努めた 思想伝道家。"無我愛"運動を始め,半世紀以上に渡って,時流に巻き込まれながら,広く影響を及ぼした。 "障害福祉の父"。障害のある子どもたちの福祉と教育の道を切り開き,一生を捧げた第一人者 実業家。群馬交響楽団の創設はじめ,幅広く地域文化を先導し,巨大な足跡を残した 武将。織田信長に討たれた父の後を継ぎ,今川家を滅亡させた徳川家康に臣従するも,公家文化で高家待遇に 造園家,林学博士。日本の造園学,造園設計,造園教育の確立を主導した 料理研究著述家。包丁のワザと著述のワザともに際立ったが,世間から離れるべく出家するも,自死に至る 武将。戦国大名。不遇な生い立ちで,冷酷な手段を厭わず,暗殺,裏切りを繰り返し,備前岡山城主に至った 大陸浪人。日本人"馬賊"の代表で"天鬼将軍"と呼ばれ,満洲事変を先駆した。弟守次とともに"天鬼兄弟" 陸軍軍人。最も積極的な大陸政策を唱えた。反長州閥の急先鋒。桂太郎,仙波太郎と共に"陸軍の三太郎" 宝暦事件に連座,長期に逼塞の間,平安内裏の考証に没頭,復古図る光格天皇登場で,一躍時の人になった 社会学者,東洋哲学者,教育家。大量の著作・講演で啓蒙し,硬教育による私立巣鴨学園を創設し発展させた。 社会主義者・キリスト者,医師。熊野新宮で活動,ネットワークの結び目となり,大逆事件で処刑された 兵庫県産薬草・貝の研究を先駆した博物学者。生涯生地にあって,郷土史や動植物を中心に,多く著作を遺した 戦国時代の財政難で朝廷の権威も失墜するなか天皇となり,織豊政権から利用されて,形の上では威信も回復 選手としてオリンピック銅メダリスト,東京大会を成功に導き,近代スポーツのあり方に警鐘を鳴らし続けた 陸軍軍人。15年戦争期に駐独大使として,ナチスと連携,A級戦犯で終身刑。ドイツ人以上にドイツ的であった {北炭}に就職し国有化で鉄道官僚,北海道の鉄道整備から大陸経営に出,満鉄総裁まで昇るも敗戦で悲惨な最期。 詩人。宮沢賢治と同時期に,ほぼ似た生涯を送り,詩集の特異さも通じ,対称的に少ないものの熱烈な読者 ウィーン学派に独自の視点を加えて,日本の民族学を育て,オーガナイザー,"座談の名手"として,国際的に活躍 牧師作家。自ら巻き込まれた大逆事件を小説「宿命」にしてデビュー,以後,宗教活動をしながら創作し続けた 戊辰戦争で会津藩が敗れ,日本初の女性移民になったが,現地で早世,後に知られた 戦国大名。常陸名族の小田城主で,人望もあり,合従連衡のなか,落城・奪還を繰り返すも,ついに滅亡した 大名・茶人。野心を持たずに激動の時代を生き延び,利休十哲の一人で有楽流を創始。 有楽町に名を遺す 渋沢栄一の成長に大きな影響を及ぼし,維新後は,官営富岡製糸場の初代工場長になった 音楽教育家。ロシア革命で,亡命来日,早期英才教育の唱導者で,多くのヴァイオリニストほか逸材を育てた 版画家。版画史はじめ,あらゆるもの・ことをおろそかにせず,他者のために,保管し記録し著述し続けた 日本画家,浮世絵師,版画家。 欧米人がこぞって蒐集,日本では忘れられていたが,最近の展覧会で一気に注目 政治家。衆議院議員。アメリカの確かな友人として,大戦前後の日米関係,のちの米中正常化に大きな役割 右翼運動家。革新右翼と呼ばれる思想的転換を満蒙に持ち込むも挫折したが,多くの人に慕われた 近衛文麿から書記官長に抜擢され政権中枢で活動,戦後は,戦争責任を自覚して180°転換,社会党軸に平和活動 中年過ぎて信長の最側近となり,平和主義で長寿を保ち,秀吉,家康からも敬され,飛騨高山藩初代藩主に至った 沖縄の文化財を調査記録,沖縄戦の打撃を受けた沖縄文化の保存と伝承に貢献。紅型を継承発展させて人間国宝 多才多芸な宮廷文化人として,細川幽斎から古今伝授を受けて歌道を復興,奔放な書で「光廣流」と称される 外交官。満洲を含めた極東ロシアにおける日本の権益をつくり,守ることを生涯の役割とした 異彩の画家。幼時に北海道の十勝に入植,開拓とともに絵に徹し,生き様そのままの未完の傑作「馬」を遺して早世。 法相宗の僧。特別待遇され,仏教界において,律令を浸透させる役割を担った 建築学者。建築家。内田祥三と関東大震災後の東京大学キャンパス復興に尽力。建築デザインの権威となった 宗教学者。宗教学の体系化,大学図書館の近代化に献身。10年に及ぶガン闘病の心を率直に語り感動を与えた 皇族軍人。戊辰戦争で朝敵になるも,維新後,台湾出征で不運の死をとげ,祭神に。最後の輪王寺宮 小説家。「パルチザン伝説」でデビュー,幻想に終わった新左翼革命の意義を一貫して問い続けて,早世した 戦前から在日朝鮮人の左翼運動を指導,長期に拘禁されるも非転向貫き,北朝鮮に密航後も日本向けに活動した 陸奥守在任時に 黄金を献上して大仏を完成させ,橘奈良麻呂の乱や藤原仲麻呂の乱でも功績があった 日本の精神医学を開拓し,多くの近代精神医学者を育てた 皇位継承危機に,傍流から天皇になり,長期に在位,幕府に対抗して,復古再興に努め,権威を高めた 特高課長として,三・一五,四・一六事件に活躍。敗戦直後,アメリカや{赤旗}に,その詳細な実態を語った 医学者。第二次世界大戦後の混乱したドイツの小さな街で,伝染病治療に身を捧げた 絵師。与謝蕪村の弟子を全う後,円山応挙の畏友となり,新しい風を起こして,四条派の始祖になった。 室町時代末期の乱世に,傍流から即位。学問諸芸に通じることで天皇の権威を確立し,"中興の英主"になった 豊臣秀吉により朝廷の威信回復,細川幽斎の件で"歌道の帝王",禁裏文庫遺すも,徳川家康により孤独な最期 |
さ・た・な行
斎藤十一 斎藤龍興 斎藤一 斎藤寿雄 榊原弥生 坂本嘉治馬 坂本直寛 佐川官兵衛 佐久間信盛 笹森儀助 佐原(北野)鞠塢 沢辺琢磨 篠原武司 柴五郎 島成郎 島成園 島田清次郎 島津貴久 島津義久 島津義弘 白井晟一 末吉麦門冬(安恭) 菅原精造 杉山龍丸 スタルヒン 諏訪秀三郎 仙石秀久 石宙明 曽根俊虎 平忠常 平将門 高丘親王(真如) 高頭(仁兵衛)式 高野辰之 滝川一益 瀧山 竹中半兵衛(重治) 多田駿 立川(和四郎)富昌 伊達順之助 伊達得夫 立松和博 谷口雅春 谷口吉郎 田畑政治 田村剛 湛慶 チェンバレン 奝然 辻村楠造 徳岡神泉 戸野琢磨 (羽柴)豊臣秀長 中井(大和守)正清 中尾佐助 中勘助 永島達司 永野萬蔵 中林梧竹 中村裕 永山則夫 南部憲一 西川一草亭 西川義方 丹羽長秀 野田泉光院 |
週刊誌の嚆矢{週刊新潮}はじめ,戦後ジャーナリズムを主導,黒子に徹して,新潮社の"天皇"になった 戦国大名。斎藤道三の孫ながら,凡庸で,酒色に溺れ,家臣竹中半兵衛に居城を乗っ取られ,信長に滅ぼされた 謎多き剣客。新撰組隊士となり,戊辰戦争で官軍と,維新後は警視庁に属し西郷軍と戦ったラストサムライ 医師。郷里の医院を継いだのを軸に,女学校や教会を設立,博愛精神を貫き,幅広く活躍・貢献した 第一次世界大戦の終から満州事変までのいわゆる戦間期の京都で,婦人運動を主導した 出版事業家。{冨山房}を設立,吉田東伍「大日本地名辞書」,大槻文彦「大言海」などの刊行で,時代を築いた 自由民権運動家,キリスト教牧師。龍馬の甥 会津藩士として,薩長から"鬼官兵衛"と恐れられ,警視官として出陣した西南戦争では,地元民に慕われた 武将。織田氏家臣団の筆頭として,約30年間,連戦し続けたが,信長に口答えして根に持たれ,追放された 維新後の国土混乱に,取り残された人々の視点から調査,不朽の名著「南嶋探験」を遺し,行政でも多面的に活動 本草家,文人。平民ながら,才覚で一流文人と親交,向島百花園を遺した 日本ハリストス正教会初の正教徒で最初の日本人司祭。坂本龍馬の従兄 鉄道技術官僚。東海道新幹線実現の火付け役となり,全国高速鉄道網,本四架橋を構想した国土のデザイナ。 陸軍軍人。中国通で,義和団の乱に指揮して収拾,列強の将軍らから尊敬され,世界に知られるに至った 60年安保の全学連書記長としてブント運動を主導,その後は占領下の沖縄で精神医療ネットワークづくりに献身 20歳で文展に入選し,閨秀美人画の"三都三園"の一人として,一世を風靡するも,結婚で退場し忘れられた 小説家。「地上」でデビュー,文学青年のカリスマになるも,傲岸不遜で文壇から排除,精神が破綻し夭折した 傍流の出ながら,戦国時代を闊歩し,九州の覇者となる礎を築いた"島津の英主"。父伊作忠良も"中興の祖"に "島津の英主"貴久の嫡男で,3人の弟とともに躍進,最大版図を築き,豊臣秀吉に降伏するも政治力を持ち続けた "島津の英主"貴久の嫡男義久の弟。戦国屈指の猛将"鬼島津"と呼ばれる一方,家族,部下,敵にも優しかった 建築家。戦後のモダニズム建築全盛の風潮に背を向け,哲学的と称される独自の建築を生み出した "知の巨人"南方熊楠も驚く才能で,{沖縄タイムス}主筆となり, 琉球王国文化の保全に努めたが,早世 若くしてパリに渡り,フランスの漆芸振興に寄与し続けて多大の評価を受けるも,日本では知られずに終る漆職人 杉山茂丸の孫,夢野久作の子で,特攻隊隊長で部下大量死胸に,私財なげうち,インドのグリーンファーザーに ロシアから亡命,北海道で育ち,大投手になった日本プロ野球創生期の初の外国人選手 軍人留学生で渡仏,パリジェンヌの虜になり,日本人向け旅館を経営,有名人になるも,自殺に至った 武将。小諸藩初代藩主。秀吉の家臣で,国持大名に出世するも転落,自ら復活を演じ,徳川幕府で特別扱いに 韓国の蝶の研究者,済州島自然文化研究の先駆者。朝鮮戦争による悲劇な最期で,絵本や教科書に。 米沢藩士から海軍軍人となり,興亜会の創立者になった,近代日本史におけるアジア主義の中の最重要人物 武将・豪族。平将門の孫で,坂東平氏抗争のなか,源頼信に臣従,乱を起こして討伐されるも,房総平氏の祖に 坂東平氏一族の抗争から,国府を襲撃して朝敵となり,"新皇"を自称して東国の独立を標榜するも,討伐された 平城天皇の第三皇子で,嵯峨天皇の皇太子になるも,薬子の変で廃され出家,天竺を目指して旅立ち不明に 若くして豪農の家を継ぎ,空前絶後の「日本山嶽志」を著して自費出版,日本山岳会を支え続けた 国文学者。大学出ず,「日本歌謡史」「浄瑠璃史」「日本演劇史」などの業績,童謡の作詞家としても広く知られる 戦国武将。織田信長家臣で,伊勢方面の攻略に活躍,関東申次など万能ぶりを発揮して,天下統一に貢献した 大奥最後の最高責任者。下級幕臣の娘から大出世,5代の将軍に仕えて,行事,人事,難事を取り仕切った 戦国武将。豊臣秀吉に仕え,黒田官兵衛と並ぶ,名軍師の名をほしいままにするも早逝,伝説化した 陸軍軍人。中国通として日中戦争の不拡大派の中心となり,様々な活動を試みるも,東条英機により排除された 大工。幕府作事方の地方分流・諏訪立川流の2代目で,大工仕事だけでなく彫刻面でも大活躍した 大陸浪人。日本人"馬賊"で中国名は張宗援。大陸へのロマンを象徴,満蒙独立運動や山東自治軍に参加した 出版経営者。「二十歳のエチュード」で{書肆ユリイカ}を始め,無名の詩人たちの詩集を次々刊行,時代を画した 新聞記者。次々とスクープ,売春汚職事件を暴露して不当逮捕され,自殺に追い込まれた 宗教家。"生長の家"創始者。神道・仏教・キリスト教など根本は同じ"万教帰一"。"日本会議"のルーツ モダニズム建築家で,文人建築家。幾多の"碑"もデザイン,「博物館明治村」を構想して,初代館長になった ジャーナリスト。「社会体育論」を提唱し,オリンピックに生涯をかけ,東京大会を実現・成功に導いた 造園家,造園学者,林学者。日本の国立公園行政で指導的役割をはたし,"国立公園の父"とよばれる 仏師。運慶の嫡男で,父を継いで慶派の棟梁になり,父に劣らぬ傑作を多数遺した イギリスの日本研究家。日本文学を英訳。東大文学部教授招聘で上田萬年の師となる 東大寺僧。宋の外交政策に対応した最初の入宋僧。請来した栴檀釈迦像は,清凉寺の本尊で胎内遺品とともに国宝 陸軍の経理を担当,日露戦争後の,日本の満蒙経営の基礎づくりに決定的役割をするが,後,特異な精神論へ 京都写生派の流れに立った写実を発展させて独自な様式を確立し,戦後の日本画に大きな影響を与えた 作庭家,ランドスケープアーキテクト。アメリカで学位,日本初の造園設計事務所を開き,国際交流にも貢献 武将。秀吉最初の家来になって以降,補佐役に徹して天下をとらせ,その死は,秀吉の歯止めを無くした 関ヶ原の戦直後に徳川家康に用いられ,重要な城郭や寺社を担当して全面的信頼,中井役所の祖になった 植物学者。探検による発見をもとに,"照葉樹林文化論"を提唱し,"分類の発想"とともに,広く影響を及ぼした 小説家,詩人。特異な人間関係に生き,青年たちから"中せんせ"と慕われた。「銀の匙」は現在なおベストセラー プロモーター。戦後の海外アーチストの日本公演を手掛け,ビートルズまで呼んだ第一人者。"ビッグ・タツ"の愛称。 日本人初のカナダ渡航者。鮭の低級種を塩漬けにして日本に輸出,財を成して"サーモンキング"と呼ばれた 書家。"明治の三筆"の一人。六朝の書法を探究,造型的な独特の書風を確立して,大きな影響を及ぼし,伝説化。 医学者,整形外科医。身体障害者のスポーツ振興をはかり"日本パラリンピックの父"と呼ばれる 殺人犯,小説家。連続殺人事件を起して死刑になる間,獄中で創作活動を続け,その育ちや裁判が社会問題化 日本人として最初にエジプト(ポートサイド)に定住,現地人と結婚し,手広く商売をした 挿花作家。生涯をかけて,"風流生活"の魅力を語り続け,建築・庭園・茶の湯など幅広く関わった 内科医学者。大正天皇の侍医となり,温泉にも蘊蓄,「内科診療ノ実際」は大著ながら超ロングセラーになった 主君織田信長の天下どりを支え続けて,家臣最初の国持大名になり,信長死後は,豊臣秀吉覇権を先導する役割 修験僧(山伏)。60歳前後に,全国の諸山を巡る修行を兼ねて各地を訪れ,「日本九峰修業日記」を遺した |
は・ま・や・ら・わ行
売茶翁(高遊外) 間重富 蓮田善明 長谷川武次郎 秦佐八郎 秦豊吉 畑中武夫 蜂須賀小六正勝 (不干斎)ハビアン 林忠崇 林(源十郎)伴臣 林(源十郎)彪太郎 (大坂屋源介)林孚一 林(源十郎)甫三 早田文藏 原田治郎 原田信一 原弘 原安三郎 樋口季一郎 福田蘭童 藤原寛子 藤原順子 藤原純友 藤原道綱母 古谷駒平 北条氏綱 北条氏康 菩提僊那 穂積重遠 穂積陳重 堀口捨己 堀野正雄 本荘幽蘭 前田利常 前田利長 増田義一 増田甲斎(橘耕斎) 松田進勇 松林伯圓(2代目) 松原頼介 丸山鉄雄 三木鶏郎 源頼信 蓑笠之助(正高) 三淵(和田)嘉子 宮川香山 三宅親連 村上武吉 毛利隆元 本野精吾 守田福松 屋須弘平 山口文象 山田(業広)椿庭 山田守 山本七平 山本帯刀(義路) 山本禾太郎 山本發次郎 山本亡羊 夢野久作 尹東柱 横山源之助 吉田鉄郎 レーモンド 若林忠志 和田重次郎 |
在家黄檗僧の畸人。すべてからの自由を求め,茶を売りながら放浪する仏道全う,京の若者に多大の影響 商人にして天文学者。麻田剛立門下のトップながら,寛政の改暦はじめ,天文方・学者の縁の下の力持ちに徹した 実践的文筆家。戦前の浪漫派を代表する一人で,三島由紀夫を世に出し,その精神的な"師"になった 明治のメディア王。東洋と西洋を融合した"ちりめん本"を発案,欧米に多数の愛好家を生み,文化交流に貢献 ドイツの師と共に,梅毒特効薬で世界初の抗生物質サルバルサンを開発,多くの患者を救い,医に生涯をかけた エリート商社マンで,硬軟両面の文筆に才能発揮して,{東宝}に招かれ,軽演劇に才能発揮し,時代を導いた 天文学者。日本の電波天文学を開拓,若くして日本の天文学界をリードし,国際的に活躍したが,早世した 武将。中年を過ぎに,豊臣秀吉の配下になるや,文武両面からその出世を支え,徳島藩主の家祖になった 禅僧からキリシタンとなり,その優位示す「妙貞問答」を著すも棄教,真っ向否定の「破提宇子」を著した 上総国請西藩藩主。戊辰戦争に脱藩した唯一の大名,維新後は平民扱いも,長命で最後の生き残り大名になった 兄の死で,その子の成長の間,薬種商林家8代当主となって,窮地を救い,倉敷の発展に貢献した 12代当主。林源十郎商店を製薬会社として発展させたが,岡山空襲と戦後不況で倒産,再出発となった 薬種商林家8代当主で中興の祖となり,隠居すると尊攘運動支援,維新後は苦労のなか倉敷発展の基礎 薬種商11代。薬剤師として家業発展,クリスチャンとして石井十次・大原孫三郎らと地域福祉文化に貢献 苦学して植物学者となり,独自の動的分類学を唱え,台湾植物1,636種を命名して"台湾植物の父"といわれる 欧米で日本文化を紹介,文化交流に尽くし,欧米で高く評価されるも,国内では無名であった チョムスキーの生成文法をテコに,若くして日本言語学界を彗星のように駆け抜けて,自殺した天才的学究 グラフィックデザイナー。タイポグラフィーをテコに,装幀(ブックデザイン)を中心に,時代をリードした 実業家。障害を乗り越え,日本化薬から始まり,政府税制調査会会長など,日本財界の重鎮として活躍した 陸軍軍人。満州では,ナチスの迫害を逃れたユダヤ人を救い,アッツ,キスカ島では,非情な決断を迫られた 青木繁の子に生まれすぐに生別,悪事で世間を騒がせるも,尺八と釣りの天才として,一流人と親交した 後冷泉天皇の皇后。父関白頼通の期待担うも皇子ができなかったが,后位を保ち敬意を払われ,超高齢で没した 藤原冬嗣の娘で,仁明天皇の女御になり,文徳天皇を出産,藤原北家による摂関政治の端緒を開いた 貴族から海賊に転じ,平将門の乱に呼応するように,瀬戸内で朝廷に対し反乱を起こした(承平天慶の乱) 歌人(女房三十六歌仙,中古三十六歌仙)。王朝女流文学の嚆矢「蜻蛉日記」の著者として知られる 妻喜代子とともに,日本人として初めて,南アフリカの地に根をおろした 戦国大名。北条早雲の嫡男で,領国を武蔵,下総,駿河方面に拡大し,'勝って兜の緒を締めよ'と遺言した 後北条氏第3代目当主。天才的戦略で後続戦国武将の手本になり,理想的内政により,江戸の太平を先駆した インド生まれの渡来僧。行基に迎えられ,聖武天皇,良弁と共に東大寺の"四聖"になった 法学者。"日本家族法の父"。分かりやすい民法,女性法律家登場に尽力,法律を一般の人に近づけることに生涯 日本初の法学博士。閨閥で近代法学穂積一家の祖になり,英吉利法律学校(中央大学の前身)創立にも関わった。 建築家。東大同期の,様式建築否定の{分離派}結成を主導,後には,伝統文化とモダニズム建築の統合を図る 写真家。日本における近代写真の成立に重要な貢献をするも,戦後,活動を断念したため忘れられた 内外で数十の職業につき,各分野に人脈,120人以上の男と関係し,50人は夫という破天荒さで,時代を彩った 加賀2代藩主。家康が危険視した外様大名ながら,将軍家との姻戚をテコに幕藩体制を先導,百万石を盤石にした 加賀藩初代藩主。前田利家の嫡男で,豊臣秀吉への思いを抱えながら,徳川家康に帰順し,百万石の礎を築いた {実業之日本}を創業,世の中に役立つ本づくりをめざして,一代で大出版社にし,多くの人物を支援し続けた 掛川藩士。脱藩し,ロシアに密出国,露日辞典「和魯通言比考」を完成させ,ロシア人となった 教育家,医学者。日本の植民地下の台湾人で,独自の思想「真・善・美」による杏林大学・病院の創立者 講談の中興の祖。幕末は"泥棒伯圓",維新に対応して"新聞伯圓""正史講談"で時代を読み,一斉を風靡 実業家。中学校同期の岸信介とほぼ同じ寿命の時代を生き,二度の高度成長に立ち会い,2度挫折した NHKのプロデューサー。大組織のサラリーマンとして,大衆と向かい合う表現を模索,娯楽番組の原型を作った 作詞家,マルチタレント。放送CM創成期に,歌や番組を先導して一世を風靡,多くの著名タレントを育てた 武将。源満仲の三男で,平忠常の乱鎮圧で武勇を挙げ,河内国石川郡壺井を本拠地とする河内源氏の祖になった 猿楽師出身で,田中丘隅の女婿となり,その後を継いで幕臣に引立てられ,足柄地方の民生に尽力した 日本初の女性弁護士の1人で,初の女性判事および家庭裁判所長。独特の存在感を遺した 陶芸家。明治時代の日本を代表する陶工。高浮彫,真葛焼の創始者,海外ではMakuzu Kozanとして知られる 瀬戸内海の直島で連続9期36年間町長を務め,近年アートの島として有名になる前の基礎の全てをつくった 瀬戸内全域に進出して"日本最大の海賊"となり,村上水軍として存在感示すも豊臣秀吉の海賊禁止令で没落した 武将。戦国大名。元就の嫡男。有能な二人の弟に劣ると苦悩,"三本の矢"とされるも,父を支えて繁栄に貢献 京都の建築家。日本におけるモダニズム建築の先駆者で,寡作ながら,驚くべき斬新さと潔癖さを示した 長く満洲で医療に従事して,現地との融和に努め,中国要人からも信頼を得て行くが,最後は満洲建国支持に 天文学者をめざしてメキシコに渡るも政変,日本人として初めてグアテマラに移住,写真家として活躍した 製図工から建築家となり,「黒部第二発電所」はじめ,土木デザインにも優れ,独自の近代日本建築運動を展開 臨床家で考証家。徳川時代随一の医学者で,維新後の漢方存続に寄与も,人名辞典類に載らず忘れられた 建築家。逓信建築の先駆者的存在,モダニズム建築を実践し,個性的,印象的なデザインの作品を残した 書店店主。在野の評論家で,保守系マスメディアで活躍。時代を先駆し"山本学"ファンの一方,マイナス評価も 代々,長岡藩の上席家老ながら,河井継之助の改革に率先して応じ,軍事総督として奮戦,会津に散った 推理作家。犯罪事件を中心にノンフィクションの分野を開拓し,怪奇的・幻想的な傑作も残した 佐伯祐三らの才能を見出した異端の蒐集家で,のち中之島美術館の収蔵品。独自の美意識,作家論も発表した 医者,本草学者。自邸{山本読書室}に多くの門人を迎え,知識を解放することで社会変革めざした"稀代のオタク" 特異な探偵小説家。玄洋社の大物杉山茂丸の子で,農園経営,禅僧,新聞記者,能楽教授など,幅広い顔を持つ 詩人。日本の植民地下の朝鮮人に生まれ育ち,傑作詩集「空と風と星と詩」を編むも,治安維持法で獄死した ルポライター。労働運動を始め,名著「日本之下層社会」「内地雑居後之日本」によって底辺記録文学を樹立した。 逓信建築最大のスター建築家。多くのモダニズム建築を設計し,ドイツ語著作で日本建築を欧米諸国に伝えた チェコ出身の建築家。ライトの弟子で来日。多くの作品を多く残し,日本人建築家に大きな影響 ハワイ日系2世のプロ野球投手。創設時の阪神タイガースに入団,その多面的活躍で,今に続く基礎をつくった 明治半ばにアラスカに渡り,大金鉱を発見して一躍時の人となり,犬ゾリ使いとしても名を遺した |
なお,2001年以降に没した人物につきましても,幾人か一枚年譜を作成しましたので,は・ま・や・ら・わ行庫の最後に追加しておきました。