=The refrain at the break of dawn=
鳥のさえずり。動き出した街の音。
そんな中で尚也は夢との境をさまよっている。パジャマ姿で寝返りをうつと、胸いっぱいに吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。部屋の外に近づいてくる足音。その音の持ち主が誰か分かっているだけに、尚也は起きる時間だなと思った。
「おにーちゃん!朝だよ!起きて、遅刻しちゃうぞ」
言うよりも早く、兄のベッドの上によじ登り兄の大きな身体に張り付く妹。休日なのになんの遅刻だと思いながらも、尚也はコアラの様にくっつく妹を振り払いもせずに、手の甲で目をこすった。
「若葉・・・いま何時?」
「んとねぇ・・・・・6時半だよ」
ロデオのように兄に張り付いたまま、8歳の若葉が壁にかけられた時計を見上げる。尚也はその時間を聞くや否や、枕を自分の顔の上に置いて呟いた。
「あと30分」
「駄目だよ〜っ。今日は一緒に梅松(うめまつ)の散歩に行くって言ったじゃ〜んっ」
梅松というのは、竹脇家で飼われている犬のことである。竹脇家の梅松で松竹梅、おめでたい名前だと、家族も命名には満足である。
そもそもは数ヶ月前、萌香と若葉が今にも死にそうな犬を拾ってきたのだが、いつの間にやらどんどん大きくなり、今ではすっかり大型犬。若葉一人など簡単に振りほどけるようになっていた。
「あ〜、そうか。・・・・花姉は?」
諦めたように答えながらも、更に聞いてみる。花姉というのは、尚也、萌香(もえか)、若葉の上にくる竹脇家の長女・果花(かはな)のことである。が、廊下を通りかかったジーパン姿の姉は、妹に乗られたまま起きようとしない弟に、あっさりと言ってのけた。
「アタシはもう出なくちゃいけないの。なんにもしない気楽な高校生と一緒にしないでね〜」
大学の文化祭の準備に追われる毎日で、姉は最近散歩の当番をサボリ気味である。しかし、何にもしていない気楽な高校生というのもあながち間違った表現ではないため、尚也は返す言葉もなくため息だけを漏らした。
「おにーちゃん!起きよーよおっ!散歩散歩散歩ぉ〜!!」
「ん〜。分かったよ、分かったから若葉どいてくれ・・・・」
「はぁい」
聞き分け良く若葉が上から降りる。尚也は顔の上に乗せていた枕をどかすと、ベッドの中で伸びをして、再び涙のにじんだ目をこすった。
「じゃあ、すぐ行くから・・・梅松にリードつけといて」
「わかった!」
意気揚々と部屋を出ていく若葉を見送って、ベッドを出る。けだるく髪をかきあげてパジャマを脱ぐと、冷えた朝の空気が目を覚ましてくれるような気がした。
夏が過ぎ、もう街は秋の気配。朝の空気の冷たさが、徐々に冬に向かっていることを教えてくれる。こんな季節になっても元気に起きる妹を見ると、高校二年生にして自分ももう若くはないなと思った。
適当に服を着て、顔を洗う。階段を降りて下に行くと、若葉が玄関で梅松とじゃれていた。
「だめぇ〜!お座りぃっ!」
梅松はリードを付けられたことで散歩に行くことを知り、喜びのあまりはしゃぎまくっている。当然、若葉の命令など聞く耳も無く、ちぎれんばかりにしっぽを振っていた。
「こら若葉、そんな言い方じゃウメが混乱するだろ。命令する時はちゃんとしなくちゃいけないって教えたろ」
靴を履きながら、尚也がしかる。すると若葉は悪びれない顔で返した。
「だって、きつく言ったら可哀相なんだもーん」
「じゃあ、しつけの出来てない犬になって誰かを噛んで、保健所に連れて行かれてもいいの?」
諭すように腕を組んで言う兄を、若葉は無言で見上げる。不満気に口唇を突き出す仕種が、反論出来ない口惜しさと兄の正しさを物語る。けれど謝るのも納得できないのか、若葉は靴の爪先で足元にあった小石をコンっと蹴った。
妹の強情さには、怒るよりも思わず笑ってしまう。尚也はそんな若葉の頭に手を置くと、小さな手に握られたリードを取って、膝を折った。
「じゃあ、今日はどっちに行くの?」
覗き込んでくる兄の微笑みに、若葉の顔がパッと明るくなる。庭を抜けていく兄の横に付くと、小さな若葉が元気いっぱいに言った。
「萌ちゃんの病院!」
=The refrain at the break of dawn=
朝食に手も付けずに、ヤマトは窓に肘を乗せていた。
穏やかな海は、動き出した街に静かなBGMを流している。今日の海は深い藍色。波はあまり割れていないようだ。
「若葉。転ぶなよ」
視界の端に小さなモノが転がってくる。それが転んだ女の子だということに気付くのに、時間はさほどかからなかった。
「ほら、言ったそばから」
転んだ女の子の側にかがんで、埃を払う高校生くらいの男。女の子の方は泣きもせずに、また走り出していた。
「若葉っ」
のんびりと歩く大型犬を連れているのが、尚也だと気付き、ヤマトは頬杖をついて様子を眺める。そういえば、もう一人妹がいると言ってたな・・・と思った。
「若、ちょっと待って。どこ行くんだよ」
「萌ちゃん呼んでくるね!」
坂を駆け上がろうとしながら、振り返る妹に、慌てた兄が追いかけようとする。確かに、この坂道は歩道がちゃんと整備されておらず、車の通りも多い。
「若葉っ!待って!」
「だって、梅松は病院に入れないじゃ〜ん」
「それは分かってるけど、一人で行っちゃ駄目。若葉は前にも車の前に飛び出して、母さんに怒られただろ」
いつでも飛び出しそうな危険をはらんだ妹の手を、尚也がぎゅっと握り締める。若葉は不満気に口唇をとがらせると、挑むように言った。
「じゃあお兄ちゃん、どうやって萌ちゃん呼ぶの?」
「そうだなぁ・・・」
それに関しては、若葉のいう事が正しい。梅松がいるので病院には入れず、かといって若葉を一人で歩かせる訳にもいかない。尚也が困って病院を見上げると、ずっと二人と一匹を見下ろしていたヤマトと目が合った。
「あ、おはよう」
爽やかに微笑む尚也に、ヤマトが目を丸くする。思わず、自分以外の誰かに声をかけてるんじゃないかと疑い左右を見るが、当然ながら該当者はいない。すると、首を振るだけで答えないヤマトに、尚也が言った。
「ヤマトだよね?悪いけど、いまちょっと・・・いいかな?」
名前を呼ばれ、ヤマトが尚也をじっと見下ろす。尚也がそんなヤマトの様子に返事を待っていると、ヤマトはしばらくの後に小さく肯いた。
=The refrain at the break of dawn=
病院の庭で、萌香と若葉が梅松と戯れている。
ベンチに座りながらそれを眺めていた尚也が、隣りに座るヤマトに向き直って言った。
「どうもありがとう。おかげで助かったよ」
結局、ヤマトが萌香をこっそり庭に連れ出すことで全ては解決した。
ヤマトは小さく首を横に振り、即座にその場を去ろうとする。
「あ」
そんなヤマトに、尚也が声をあげて引き止める。ヤマトは、何の用だといわんばかりに尚也を見下ろした。
「いや・・・・急いでるなら、いいんだけど・・・・」
どうせ朝食は食べる気がしなかったし、急いでる訳ではない。ヤマトはゆうに四呼吸ほどすると、再び静かにベンチに腰を下ろした。
話かけるタイミングも難しく、尚也が手にしたリードを指で弄ぶ。
どんな話なら乗ってくれるんだろう?どんな話題なら、笑ってくれるんだろう?まるで、どこから手をつけたらいいのか分からない難解な宿題を前にしているように、尚也の頭がフル回転で回る。どうして入院してるのか知りたいけど、当然そんなことは聞けない。長くここにいるような感じがしたから、それは余計にタブーだと思った。
そうして考えてみると、話題はタブーだらけのような気がしてくる。普段はそんなに人見知りをしない尚也が、めずらしく緊張した。
「どうして・・・・海、好きなの?」
ようやく絞り出したのがこのセリフ。陳腐だけど、安全ラインだと思った。が。
ヤマトは海を一度見て、小さく息をつく。そして次にしっかりとした声で言った。
「きっと、一生入れないから」
どうして?・・・とは、聞けない。まだ出会って二度目で、そんなに踏み込んだ質問は出来ないだろう。あまりにも急に私的な話になってしまいそうな雰囲気に、尚也の返事が遅れた。
「ほらな」
すると、ヤマトが短く言ってベンチを立った。尚也は、不快にさせると思った質問を止めたのに、より不機嫌そうなヤマトの様子に当惑する。が、ヤマトは最初のあの日、笑顔を許す前に見せた態度で尚也に言った。
「当たり障りのない会話がしたいんだったら、天気の話でもしとけよ。けど、誰が相手でも変わりゃしない会話に付き合うほど、俺は暇じゃないんだよ」
そして、振り返らずにスタスタと歩き出す。尚也が半ば呆然とそんなヤマトの後ろ姿を眺めていると、病院の門の方から、ヤマトと似た雰囲気の少年が歩いてきた。
「外に出てて大丈夫なのか?」
茶色い髪をした彼は、ヤマトの肩にガウンをかけながらヤマトを病院の中へ連れて行く。
尚也は、それからしばらくして萌香が声をかけるまで、半開きの口のままヤマトが消えた方向を見つめていた。
=The refrain at the break of dawn=
−暁のルフラン/第一話・終−
三回くらいであっさり終わろうと思ったのですが、
どうもそう言う訳にはいかないようで・・・(^^;)
でもまぁ、良かったらお読み下さい。すみませ〜ん(^^;)