暁のルフラン
乙姫静香
君は今も覚えているだろうか
あの薄紫の空に
静かに響く波の音を
終わることなく続く
あのさざ波の音を・・・・
尚也は小さな花束を持ち直してナースステーションを離れると、病棟の奥へと進む。
上の妹が入院してから一週間。一度として病室でじっとしていたことのない妹は、今日もその例に漏れずどこかへ姿をくらましていた。
「萌香ちゃんなら、屋上で姿を見たような気がしましたよ」
ナースの言葉に小さな会釈で返し、肩にかけたカバンを持ち直す。階段を上りながら、尚也は小さくため息をついた。
姉と二人の妹に挟まれたたった一人の息子。中小企業の社長を勤める父を持ち、おそらくきっとそれを継ぐであろう将来。高校二年生になった今でも、尚也はそんな自分の未来にいまいち実感を得ることが出来なかった。
かといって、別に両親や姉妹に対する不満がある訳ではない。むしろいい家族だと思うし、反抗期らしい反抗期を迎えることがなかったのもなんとなく分かる。ただ、あまりにも問題の無い日常が、どういうことを意味しているかが分からないだけ。恵まれている人間こそ、そのありがたみを実感するのが難しいという事を、その時の尚也は知らずにいた。
妹の萌香は11歳。上の姉が20歳で尚也は16歳、そして萌香の下に更に8歳の妹がいるのだから、一番上と一番下で一回り年齢が違うことになる。いくら子供が好きとはいえ、良く産んだもんだなと尚也は思った。
階段を登って屋上に出る。洗濯物の真っ白いシーツが風にはためくのを見ながら、今日は外で洗濯物を干せるのかと思った。
海に面したこの病院では、よっぽどカラッと晴れた日でなければ外で洗濯物を干すことが出来ない。海から来る潮風で洗濯物がすぐにべたついてしまうからだ。けれど、自分の髪を撫でる風の爽やかさに、家で母が嬉しそうに洗濯物を干している姿を想像した。
「萌〜。いるのか?」
シーツのはためきに、かき消される尚也の声。そんな尚也の耳に届くスリッパの足音。
「萌?隠れてるのか?」
目の前のシーツを手でかき分けて、海の方へ進む。萌香は海が大好きだから、屋上から眺めていても不思議ではない。尚也は大きなシーツをぬうように、ゆっくりと足を進めた。それと同時に時折聞こえるスリッパの音。
「萌?」
スリッパの近づいている音がして、勢い良くシーツをめくる。と、同時に自分の胸元に飛び込んできた何かに、尚也が目を丸くした。
「わっ!」
飛び込んできた少年も、驚いたように顔を上げる。パジャマ姿の薄い胸が、尚也の制服の胸に重なっていた。
「・・・・・・・!?」
バタバタと真っ白いシーツがはためく中、しばらく言葉もなく見つめ合う。切れ長でありながら、妙に大きく強い印象を与える瞳。尚也と年が変わらないように見えながら、小さな子供のように青みがかった汚れない白目が印象的だった。
彼は、尚也をしばらく見つめた後、尚也が手にしているピンクのガーベラの花束に目を落とす。可愛らしいリボンで飾られたそれを見つめ、そして少し、せつなげに眉を寄せた。
「ヤマトお兄ちゃ〜ん?」
時が止まったように音のない二人の後ろからシーツをかき分けて、よろよろと松葉杖をつきながら少女が現れる。
「萌香」
尚也がその少女を見て声を上げると、その少年が今度は更に驚いたように尚也を見上げる。
「あ、お兄ちゃん」
おさげ髪の萌香は嬉しそうに微笑み、尚也の隣りに並んで、無言の少年に向き直った。
「あのね、ヤマトお兄ちゃんがここまで連れてきてくれたの。お兄ちゃんもここに入院してるんだって」
「へぇ、そうなんだ。・・・・どうも、ありがとう。萌香の兄の、尚也です」
お兄ちゃんっ子の萌香が、嬉しそうに尚也の腕に自分の腕を絡める。するとヤマトは、消え入りそうな声でポツリとこぼした。
「・・・・・・・・・ヤマト・・・です」
「じゃあ、また明日ね。明日も来てね」
せがむ萌香に小さく手を振って、尚也は病室を出た。もう、日が傾いている。親に言われているからとはいえ、毎日欠かさず見舞いに来る尚也は萌香の自慢でもあった。いい加減、兄離れをさせなければいけないと分かりつつ、入院ともなればつい甘やかしてしまう。特に母は家事をしなければいけないこともあって、その間の面倒を尚也に頼むことが多かったのだ。
ヤマトは屋上での自己紹介が済むと、すぐにその場を立ち去った。なにか機嫌を損ねることでもしたかと気になったが、そこまで深くヤマトの事を考える訳でもなかった。しかし・・・。
「ヤマトくん、今日が誕生日なんでしょ?」
「ミコトくんはまだ来ないのかしら?おかしいわね」
そんな会話が耳に届き、思わず足を止める。
自分を見上げた、あの瞳。花束を見つめた、あの目。あれは、何かを語ってなかっただろうか?
尚也はなんとなく足を階段の方に向けると、今日来た時と同じように、再び上へとあがって行った。
屋上には既に何も無かった。風にはためいていたシーツも片づけられ、ただの剥き出しのコンクリートが広がっている。尚也は夕暮れに赤く染まり始めた景色の中に、小さな影を見つけた。
誰に寄りかかるでもない、かといって一人でいるには華奢すぎる身体。
海を黙って見ている細いシルエット。それは、紛れも無くヤマトだった。
尚也はその姿に近づくと、パジャマ姿に並んで海を見、そして言った。
「海、好きなの?」
ヤマトは驚いた風でもなく、隣りに並ぶ尚也をちらりと見て返す。
「好きじゃなかったら、見ないよ」
その不機嫌そうでぶっきらぼうな物言いに、つい笑ってしまう。
「そうかな?」
「そうだよ。お前、頭良さそうに見えて、結構分かってないな」
更に続いた不遜な態度に、今度は少し驚いた。けれどそれは決して不快ではなく、むしろ余分なものを一切削ぎ落としたような誠実さを感じさせた。
「ヤマトくん・・・って言ったっけ」
「『くん』なんてつけんなよ。男同士で気持ち悪ぃ」
どうやらヤマトは、被保護者的扱いをされるのが嫌なようであった。華奢な身体で精一杯突っ張っているように見えるのが、少しせつない。
「じゃあ・・・そのヤマトは、いくつになったの?」
すると、今度はさすがに驚いたようにヤマトが尚也を見上げた。
「どこでンなこと調べてきたんだよ」
「情報ソースは教えないのが探偵の鉄則。・・・・・生意気なこと言う割には、結構分かってないんだな」
尚也が笑顔で付け足すと、ヤマトは少し不満気に口唇をとがらせる。そんな様が面白くて、尚也はつい声をあげて笑ってしまった。
「お・・・前なぁ。そういうの、失礼だぞ。自分ばっかりなんでも分かったような顔しやがってよ。おまけになんか、人を小馬鹿にしたみたいにヘラヘラ笑いやがって」
「この顔は生まれつきだよ。友達にも言われるけど、そんなに俺の顔って笑ってるのかな?」
自分の顔に手を当てて、尚也が首を傾げる。ヤマトはそんな尚也を見上げ、偉そうに胸を張って言った。
「笑ってんじゃねぇか。何が面白いのかわかんないけどさ」
別に何が面白いというわけではない。まぁ、何が面白くないということもなかったが。
「ふむ・・・・・」
やはり笑ってるように見えるのか、と尚也は思いながら、かといってそれを悩むでもなく息をつく。すると、ヤマトが何かをためらうように視線をさまよわせた末に、ポツリと呟いた。
「・・・・・・・・・・・・16・・・」
「え?」
風と波の音にかき消された声に、尚也が聞きかえす。ヤマトは恥ずかしさを忍んで言った言葉を聞きかえされ、半ばヤケクソになって叫んだ。
「16だっツッたんだよ!お前がいくつになったのかってきいただろっ!?」
「へぇ〜、俺の一個下か。もっと・・・・・」
下に見えたと言いかけてやめる。おそらくヤマトの気に触るだろうと思ったからだ。が、そこまで言ってしまっては、言葉を切った意味も無かったらしく、ヤマトは尚也の言葉の先を勘付き、低い声で言った。
「もっと・・・なんだよ。もっとガキに見えたっていうのかよ!悪かったな育ちが悪くって!」
別にそこまで言ってないのに、と思いながら尚也がヤマトを見る。まるでわがままな妹を相手に話しているような気になりながら、尚也は鞄の中に手を入れ、あるものを取り出した。
「えーと・・・・・いち・・に・・さん・・・・」
何を数えだしたのかと、ヤマトが怪訝な目で尚也を見る。尚也はビニールのパックに詰められたお徳用のアルファベットチョコをひとつひとつ取り出していた。
「はい、手ぇ出して」
尚也の天然の微笑みにつられて、ヤマトが白い手を差し出す。
「じゅうご・・・十六っ・・・はい、あげる。誕生日おめでとう」
両手一杯のアルファベットチョコにヤマトの目が丸くなる。
「全部あげたいけど、もう一人の妹が袋のここに『後でよこせ』って書いてあるから、年の数だけね」
尚也が見せたビニールの上には油性マジックで「わかばもたべる」と書いてある。
「でも良かった。ヤマトが俺よりも年上だったら困るところだった。うちの家では、数えものは年の数が原則なんだ」
言いながら、残りのチョコが28個以上あることを簡単に目で計算する尚也を、ヤマトは呆けたような表情で見つめる。が、次の瞬間、顔全体をほころばせて、声を上げた。
「・・・・はっ・・・・あはははははっ!お前、おっかしな奴だなぁっ!」
そんなヤマトを見て、尚也も思わず微笑む。ヤマトは手にしたチョコをひとつ開けて食べると、全体を見て言った。
「おい、このSとそっちにあるY、とっかえろよ」
「え?なんで?」
尚也もチョコをひとつ口に入れながら返す。と、ヤマトが綺麗な顔をにやりと歪ませて言った。
「うちのアニキは、とりあえずこれで自分の名前を並べるぜ」
その言葉に、尚也が得たりとばかりに眉をあげる。
夕日を受けたヤマトの笑顔は、仏頂面よりも数倍可愛いかった。その裏に隠された痛みを、尚也に全く感じさせないほどに。
だから、尚也も無邪気に微笑んだ。まるで、自分と大差の無い未来が、目の前のヤマトにもあるかのように・・・・。落ちていく夕日が、数時間後には朝日となって、毎日帰ってくるかのように・・・。
来ない明日など、ないかのように・・・。
−暁のルフラン/プロローグ・終−
テーマ曲はTOKIOの「何度も夢の中で繰り返すラブソング」です。
タイトルそのまま使ってしまいたいくらい好きな歌です。
キヨシロウ素敵すぎる(#^^#)
というわけで、「それ嘘」が終わる前にある程度進めようかと思ってます。
尚也がただのガキんちょでがっかりしたでしょうか?えへ。