予備校のロビーで、コウは眉間に皺を寄せ、座っていた。
手には、先日見つけた封筒。ずっと手で握っていたのか、封筒は見つけた当初よりも随分とくたびれたものになっていた。
「笹峰くん・・・」
呼ばれて、顔をあげる。コウは歩いてくる尚也の姿を確認すると、勢い込んで立ち上がった。
「竹脇先生っ!」
「ごめん、待たせたね」
尚也はバイトの帰り。昨夜の電話で懇願されて、こうして会うことになったのだ。
「いえ、俺が無理にお願いしたんだから・・・・」
「そんなこと・・・。じゃあ、どこか話せるところに行こうか」
尚也がいつもの笑顔でコウを見下ろす。コウはこみ上げる感情を押さえるように、眉を寄せて肯いた。
You are the only one in this world.
うーーー。まだ目が痛い。
俺は目をパチパチとしばたかせながら、電車を降りて、駅近くのスーパーに飛び込んだ。
尚也、もう帰ってるかな?確か今日は予備校のバイトだから、ちょっと遅くなるかもな。
俺は、スーパーの中をウロウロしながら、夕食のメニューを考える。今日は父さんが帰ってくる日だから、夕食作って待ってないと駄目だし・・・。でもでも、早く尚也の顔見て謝りたいし。
明日、本当に来てくれるのかも、すごーーーーーく気になるし!!
あ、タマネギ無かったなー。買っていかないと。
なんとなく、鳥肉も。
夕飯をすぐに作って・・・・。いや、父さんの方も帰りが遅いと思うし。父さんに一人でご飯食べさせるのって、なんか嫌だし・・・。
あーー、これ買ってかないと。ポトンとカゴの中に入れる。
考え事をしながら、グルグルとスーパーを周る。ホント、夕食なに作ろう。
俺にもバイクがあったら、尚也みたいにヒョーーーンっと行ったり来たり出来るのになー。もうもうもう!尚也が電話くれれば、ここまで悩まなかったのに!
あ、これも買ってかないと・・・。なんかカゴがやけに重い気もするけど、そんなに買ってるのかな?とりあえず夕食夕食。
はぁ・・・・先ずは夕飯を作ってから考えよう。
そして俺は、アホみたいにタマネギを3袋も買っていた。
You are the only one in this world.
予備校近くの喫茶店で、コウは手に持っていた封筒を尚也に差し出す。尚也は、テーブルに置かれたそれを一瞥し、すぐに顔をあげた。
「・・・・・・これは?」
「電話で話した、調査書です」
コウの思いつめた瞳に、尚也は封筒に触ることも出来ず、再び視線を落とす。堪えられないため息が、ゆっくりと漏れた。
「それで・・・・どうしようって言うんだい?僕は・・・」
「知りたいんです!!」
尚也の言葉を遮るように叫ばれた言葉。尚也は、その声のトーンに少し眉を寄せて顔を上げた。それは、思っていたような響きではなく・・・。
「知りたいって・・・何をだい?」
「父さんの、浮気の相手です」
その返事にも首を傾げる。だって、目の前にある調査書には、調査結果がある筈ではないのか?そこに、その相手の名も、あるのではないのか?
「この調査書・・・所々抜けてるんです。トップページもないし。多分、母さんが処分したのか、父さんが見つけたのか・・・」
尚也が声にしなかった問いに気付いたように、コウが続ける。尚也はやっと封筒に手を伸ばすと、中から数枚の書類を取り出した。
そこには、調査対象の密会スケジュールが記されている。レストランでの食事、ホテルへ入った時間、出て来た時間。数日間に渡る張り込みの結果である。しかし、相手の名前が分かるページや調査者の所見などの書かれた紙は見当たらなかった。
「写真は・・・?」
「え?」
尚也の呟きに、コウが顔をあげる。すると尚也は一呼吸置いて続けた。
「いや・・・こういう調査って、大体写真が付いてるものなんじゃないかなと思って・・・」
コウはもちろん、尚也が別のバイトで探偵をやってることなど知らない。だからこそ、複雑な気持ちで尚也は目の前の資料を握り締めた。
「あ・・・いえ、それだけでした。そっか・・・写真・・・」
コウは、尚也の言葉に素直に納得している。尚也は一通りに目を通すと書類を封筒にしまいながら、もう一度ため息をついた。
「で・・・知ってどうするの?相手の所に乗り込む?」
尚也は、コウの目を見ないままに続ける。封筒の下部には、調査会社の名前。
「どうするって・・・そんなことはまだ分からないけど・・・・。でも、母さんの自殺にはこのことが関係してると思うんです!中の調査の日付から見ても、最近の話だし、きっとなにかすごくショックなことがこの中の・・・無くなってる部分にあったんだと思うんです」
テーブルの上で握られたコウの拳が、切なく震える。白くなった関節が、尚也の目に痛々しく映った。
「でも・・・・・・知ったところで、お母さんは帰ってこないよ」
酷いことを言っているな・・・と、言いながら尚也は思う。けれど、言わずにはいられなかった。
「それは・・・・そうだけど・・・」
「それに、この会社に聞いたところで答えてはくれないと思うよ。守秘義務があるからね・・・」
尚也のもっともな説明に、コウは口を固く結ぶ。テーブルの上で握られていた拳は、ひとつになり、まるで祈るようにその意志の固さを表していた。
「でも・・・それでも・・・。確かに、先生の言うことが当然のことで、大人の意見なのかもしれないけど。でも、もしも父さんの浮気の相手が母さんの死に関係していたんだとしたら、俺は父さんの息子で居られない。父さんには俺は一人息子かも知れないけど、俺にとっては父さんと母さんと・・・二人が親で。だから・・・・・・」
さまようコウの視線。揺れる瞳が潤み、尚也はそれ以上何も言えなくなった。
見下ろす封筒を、テーブルの上に置き直す。滑らせてコウに返すと、コウがそれをぎゅっと握り締めた。
何とも言えない気持ちで、尚也は俯くコウを見つめる。
その書類を作成した人物。
それはまさしく、尚也自身だった。
You are the only one in this world.
バイクを下りて、尚也はヘルメットを脱いだ。
張り付いた髪をかきあげながら、鍵を抜くと階段へと足を運ぶ。足が重いのは疲れの所為だけではない。
コウはおそらく会社に電話をするだろうけど、会社は答えないに決まってる。書類を処分したのが父親なら、父親に聞いても答えないだろう。その時、コウはどうする?
尚也は当然ながら浮気の相手を知っている。しかし、それを教える訳にはいかない。なぜなら、コウの読み通り、母親の自殺の一因はそこにあるかもしれないと、尚也自身も思っていたからだ。
コウの母親が自殺をしたと聞いた時、胸をよぎった苦い気持ち。自分はそこにある現実を拾っただけで、そこから先は当人たちの問題と思っても、拭えない焦げのようなもの。教え子の母親でなければそうは思わなかったのだろうから、罪悪感とは言わないだろう。きっと。
自分のことを善人側だとは思ってない。だからこそ、こういうバイトに抵抗もない。
しかし、悪人だとも思ってない訳で、そこがなんとも複雑な気持ちにさせた。
こんなときは、無性に子規の顔を見たくなる。子規の嘘偽りのない素直さが、何にも増して尊かった。
そう言えば、昨夜電話で謝るのを忘れたな・・・と、思いながら部屋の鍵を開ける。まだ電話をするには充分な時間がある。獅子丸にご飯をあげたら、すぐにでも電話をしようと、尚也は決意した。
カチャ
ドアを開けて、不思議な感覚に陥る。部屋の中の電気が、点いていた。
玄関に落とした視線が、一組の靴で止まる。
尚也は弾かれたように中に入ると、飛び出してきた影に、思わず息を止めた。。
You are the only one in this world.
鍵の開く音に、俺は耳をぴくりと反応させた。
どどど・・・どうしよう。いきなり何て言えばいいのかな?やっぱり、すぐに謝った方がいいよね。どうしよう、獅子丸!
と、俺は寝ていた獅子丸を抱えて立ち上がる。ほら、迎えに出なくちゃ。すぐに謝るために!
トテトテッと玄関に向かう。・・・と、向こうから走ってきた尚也が俺にぶつかりそうになった。
「わっ!」
俺は半分寝たままの獅子丸をかばいながら、身を引く。な・・・なにをそんなに焦ってるの?尚也ったら・・・。
「子規くん・・・」
「あっ・・・あのっ・・・帰りが遅いの分かってたんだけど、どうしてもこの間のこと謝りたくて・・・。なんか俺、一人でキレてて、訳分かんないこと言っちゃったけど、やっぱり尚也の言ってる事の方が・・・」
・・・と、俺がしどろもどろに言いはじめると、尚也はそれが全部終わらないうちに、俺の身体をギュッと抱きしめてきた。えっ!?ちょ・・ちょっと、獅子丸がつぶれちゃうよっ!
「尚也っ・・・獅子丸が・・・・」
俺が言うよりも早く、獅子丸は脱出!とばかりに俺の手を擦りぬけていく。そして元いたソファの上に戻ると、やれやれとばかりに再び眠りだした。
「子規くん・・・・」
尚也はここぞとばかりに、さらに強い力で抱きしめてくる。俺はどうしていいか分からずに、ゆっくりと、尚也の背中に腕を回した。
「ど・・・どうしたの?」
なんか、俺の言ったこと・・・聞いてくれてないみたいなんだけど・・・・。怒ってるから電話くれないんじゃなかったのかな?
「子規くん・・・俺の方こそ、ごめんね」
あ、とりあえず聞いててくれたみたい。にしては、不思議な反応じゃない?やっぱり、なにかあったのかな?
「ううん。尚也は悪くないって」
あ、髪の中に鼻突っ込んでるし。風呂入ってきてて良かったなぁ。あはは、耳が擦れてちょっとくすぐったいよう。
聞いてもいいのかな?「何かあったの?」・・・って。
でも、聞かれたくないタイミングっていうのも、あるよね。
「子規くん、超能力者みたい」
「え?なんで?」
相変わらず尚也は俺のこと抱きしめて、匂いを嗅いだり頬擦りしたりしてる。うーん、なんとも動物っぽい。でも、こういう時って必ずお決まりのコースに突入するんだよな。そう、お決まりの・・・あっちのコース。なのに、今日はなんだかそういう感じではないみたい。それがやっぱり、普段と違うな・・・と思った。
「だって、子規くんの顔を見たいなって思ったら、いるんだもの」
くはーーーーっ!相変わらず言ってくれる。顔から火が出るからやめろっつーのっ!!
「でも、今日は謝ったらすぐ帰らなくちゃいけないんだ。昨夜あんまり寝てないし・・・」
「いいよ。だって、明日の夜は泊まれるんでしょ?先生、病院だもんね」
確かに、うちの父さんも病院で泊まりの時は、俺が家に一人で居るよりも尚也の所に居る方が安心だって言うけど・・・。それにその、明日は何といっても俺の誕生日だったりする訳で、その・・・まぁそのつもりも・・・あったんだけど・・・。
うーーーん。いつになったらこういうのが恥ずかしくなくなるんだろう??
「お・・・俺っ、もう帰るっ!!」
張り付いてる尚也を引き剥がして、俺は思わず口走る。
すると、尚也が口唇を尖らせた俺を見て、なぜだか満面の笑みを浮かべた。
You are the only one in this world.
「本当にここまでで良いの?バイクで送るのに」
尚也は駅の改札で立ち止まる俺に、確認するように言った。
ここは、尚也のマンションからの最寄り駅。まだ電車のある時間だし、尚也も疲れてるみたいだから俺は電車で帰ると決めていたんだけど、尚也はちょっと心配なのか、この質問ももう三度目。ったく、高校生でしかも男なんだけど、ここまで心配されちゃう俺って・・・。っつーか、この場合は俺じゃなくて、心配してくる尚也の方に問題があるのかな?
「うん。尚也だって今日はバイトだった訳だし、尚也の方こそ大学の勉強ちゃんとやってるのか心配だしね!」
「ほーー。受験生にそんなことを心配されるとはねぇ。でも遅いことに変りはないから、気を付けて。まめに電話いれるんだよ」
「分かってるって!」
なんじゃこりゃ?はじめてのおつかいか何かか?いつも心配するけど、この心配の仕方は尋常じゃないぞ。やっぱり今日の尚也ってば、変・・・・かも。
「やっぱり自分で送っていった方が楽なんだけど、電車がいいの?」
これで4回目。んもう、尚也ったら俺の気持ちも考えてよね・・・と思う。
「だって・・・さ。俺も尚也が帰りに事故ってないかとか、心配になるんだもん。疲れてたりしたら注意力だって鈍るし、夜は運転には危ないし。バイクじゃあ、車とケンカしたら負けるし・・・・・・って思うんだもん」
口唇をとがらせながら、視線を横に流す。
でも、これは本当のこと。尚也は安全運転派だって分かってるけど、当てられないとも限らない。尚也のバイクに関しては、結構前から心配してるんだぞ。
と、視界が突然暗くなる・・・・・って・・・・ぎゃ!これってば抱きしめられてる!?!?
「なっ・・・尚也っ!!・・・・ここ・・・駅・・・・」
人がっ!人の視線がっ!!俺は思わずワタワタと腕を動かして、抱きしめてくる尚也の腕から脱出する。尚也は、心配半分幸せ充分みたいな顔で、俺を見た。
「帰したくなくなるなぁ・・・・」
ぎゃっ!それはだめだめ!!昨夜はなんせ徹夜だもんで、身体が持たないってば・・・・っておい、なに俺もその気になってんだよ!!だめだめ!染まっちゃだめーーーー!
「いっ・・・いいじゃんっ!明日、また会うんだから」
かろうじてそれだけを言うと、俺はプリペイドカードを差し込んで、改札を抜ける。振り返ると、尚也がじっと俺を見ていた。顔が、熱い。
「17歳の子規くんは、これで見納めだね」
尚也のいつもの笑顔。改札を抜けただけなのに、なんだかすごく遠くに離れたように思えた。
そうか。尚也と出会った一年前は、誕生日の次の日だったからもう17歳だった。
尚也と初めて出会った17歳。そういう・・・歳だったんだ・・・。
「子規くん」
呼ばれて、顔をあげる。上手い返事も出来ず黙っていた俺に、尚也は首を傾げて言った。
「電車が来ちゃうよ。ホームに行った方がいい」
時刻表を見て、俺は肯く。ここの階段狭いから、降りてくる人に巻き込まれると乗り損ねるんだよね。しかも、俺が乗るのって下りだし。
「うん。じゃあ、また明日」
「また明日」
軽く手を振って歩き出す。階段の前で振り返ると、尚也はまだ俺のことを見ていた。
もう一度、手を振る。すると、尚也も手を振ってくる。
「尚也も、早く帰らないとっ!」
俺の言葉に、分かってるからと言いたげに微笑む尚也。そして、もう一度手を振ると、俺は階段を数歩下りた。 これで、壁が影になるから、もう俺の姿は尚也からは見えない筈。
でも。でも・・・・・・。
俺は少しだけ考えて、もう一度階段を上がった。
改札に、まだこっちを見ている尚也の姿。俺の姿を見つけると、弾かれたように笑い出した。
「も・・・もうっ!本当に俺行くからな!今度は本当に行くから、尚也も帰ってね!」
何で笑うんだよう!本当に本当に行くんだから、尚也も早く帰ってよ!
それでもやっぱり尚也は笑ってる。俺はなぜだかちょっとクヤシクなりながら、その場でジタバタと足踏みをした。
その時、電車が近付く音が聞こえてくる。これは乗らないと!
「じゃあ、おやすみ!!」
俺は笑う尚也にそう言うと、今度は本当に階段を駆け降りた。
You are the only one in this world.
子規18歳の誕生日編は番外で・・・にしようと(^^;)
そしてアップされるのは裏・・・でしょうなぁ(笑)