尚也は焼香を終えると、人込みを抜けて家の外に出た。
息が詰まるのは、黒いネクタイの所為だけではない。なんとも言えない苦い想いが、胸の中にこみ上げる。
「竹脇先生!」
聞き覚えのある声に振り返る。するとそこには、尚也と同じように喪服を着込んだ青年の姿があった。
「すみません、お忙しいところをわざわざ来ていただいて」
「いや・・・。いいのかい?出てきてしまって・・・」
駆け寄った彼の泣き腫らした目が、赤く痛々しい。笹峰(ささみね)家と書かれた白い花輪の横で、彼は口唇を震わせた。
「いいんですよ。父親なんて・・・面倒がはぶけたと思ってるんだろうし」
怒りを隠さない彼の口調に、尚也が眉を寄せる。それは彼の言葉に不快感を覚えたというようなものとは、少し違っていた。
「・・・どうして、そんな風に・・・・?」
「こんなこと話すの、家の恥をばらすようなものなのかもしれないけど、うちの父さんと母さん・・・もうずっと仲が悪くて・・・。父さんには、誰か他にいるみたいだったし・・・」
彼は、誰かに話したくて仕方がなかったようだった。そしてその枷は、最初の戸惑いを振り切った瞬間に、消えた。
「離婚の話だって、してたと思う。ただ、母さんの方は応じたくなかったみたいだけど・・・。夜に、よくケンカしてた」
「お父さんかお母さんは、そのことを笹峰くんには・・・?」
尚也が静かな口調で問い掛ける。すると、彼は俯いたまま首を横に振った。
「何も。・・・・・・どっちにも、なにも言われなかった」
重苦しい沈黙が二人の間によぎる。すると、二人の横を近所の主婦らしき三人連れが顔を寄せ合いながら過ぎていった。
「自殺って・・・本当?」
「そうらしいわよ。コウくんが見つけたって。可哀相よねぇ、一人息子なのに、親の自殺を発見するなんて・・・」
「でもここの奥さん、最近ちょっとおかしかったらしいわよ。角の松井さんがね・・・」
その息子がそこにいるとは思いもしなかったのだろう。が、尚也がコウの肩を抱いてその場から消えようとすると、その背中に気付いた一人が他の二人の口を閉ざした。
取ってつけたような会釈に、尚也が代わって会釈で返す。手を乗せた肩が、微かに震えていた。
「笹峰くん・・・・」
コウは俯いたまま尚也に背を向けている。尚也も、もはやコウの正面に回ろうとはしなかった。
「ど・・・して・・・・、自・・・殺なんか・・・・・」
時折鼻をすすりながら、コウが声を震わせる。足元の砂利には吸い込まれていく涙の粒。
「母さ・・・ん・・・。どう・・・して・・・・・?」
尚也は、何も言えずにコウの背中に手をかけようとする。
が、その手はコウの背中に触れぬままに、きつく握り締められた。
You are the only one in this world.
試験から数日後、俺は矢尾と一緒に職員室に呼ばれた。
何の話だか分かるだけに、ちょっと緊張。奨学生の試験の結果なんだろうけど、どうせなら二人一緒に受かりたいよなぁ。
が、俺らを呼んだ先生は席を外しており、二人して同じ位の封筒を受け取って帰る。
う。これって厚いのか?薄いのか?よく分からないよう!
「真岡ぁ」
「ん?」
矢尾がのほほんと言って、俺を見る。俺は緊張の面持ちを崩せないままにあいつを見返した。
「お前、緊張してる?」
な・・・なんでそんなこと聞くんだよ。っつーか、お前の顔、妙に余裕じゃない?
「どうして?」
「だって、顔・・・引きつってるし」
そうかな?マジで、そう見える??あ、でも本当に引きつってるかも・・・。
「いま緊張したってさ、結果はもう出てるし。緊張するだけ損じゃないか?」
矢尾のもっともな意見。そりゃここで緊張してたってなにも変わらないのは分かるけど・・・。
「そうだけどさ、やっぱ緊張するだろ〜。余裕のあるお前がオカシイって」
「そうかなぁ?」
言いながらも矢尾はさっさと封を切って中身を出そうとする。俺もその音に触発されて、封筒の中身を取り出した。
解答用紙の前に、白い紙。えっと、なんだ?この度はY予備校奨学生・・・んなトコはすっ飛ばして・・・・試験の結果・・・。
「・・・・・どう?」
矢尾は、なんとも読めない表情で俺の方を見ている。俺は白い紙から顔をあげると、伺うような瞳で矢尾のことを見た。
「お前は?」
「じゃんっ!」
目の前に出された紙には、合格の文字。俺は思わず満面の笑みを見せると、矢尾に向かって俺の白い紙を見せた。
「うほっ!」
俺の方にもある合格の文字に、矢尾が目を丸くして見せる。
「やった!!」
「ひょーーーーっ!!」
訳の分からない叫び声と共に、俺たちは握り締めたゲンコツで小突きあう。本当はそのまま奇声のひとつでもあげたかったが、職員室の前にいるんだってことを思い出してやめた。
「マジでよかったよ〜。これで一安心」
矢尾はやっぱり家庭の事情があるせいか、本当に嬉しいらしい。なんだよ、さっきまでスゲー余裕に見えたのに、やっぱり嬉しいんじゃん。
「でも、これ定期テストで成績が落ちたらその場で奨学生の資格を失うみたいなこと書いてあるぞ」
俺たちは廊下を進みながら、封筒の中身を漁り出す。とりあえず、保護者の印鑑をもらってすぐに入学手続きを取らなくちゃいけないらしい。父さん、確か今日帰って来るよな。
「だけど、その次の成績が戻ればまた戻れるみたいだし、一回までなら警告ですむんだろ?それよりさ、志望校の方が問題だと思うぞ」
俺の心配をよそに、矢尾はすでに大学そのもののことを考えてるらしい。まぁ、それが普通の受験生かぁ。
「真岡、第一志望どうするんだ?」
矢尾はきっともう決めてるんだろうな。だけど俺は??
矢尾の言葉が、妙に胸に響いた。
You are the only one in this world.
「だからさ、明日予備校の方に行くんだ。尚也は?」
俺は矢尾と別れた後に、さっそく尚也に電話。尚也はとりあえず喜んでくれたみたいだけど・・・。
「・・・尚也?」
「・・・・・・え?・・・あぁ、うん。ごめん、なんだっけ?」
明らかに心ここにあらずって感じの尚也。こんなこと、めずらしい。学校とかバイトとか、忙しいのかな?
「明日、尚也は予備校のバイトするの?」
「明日は、家にいるかな。・・・来る?」
うわ!・・・そんな風に直球で聞かれると、なんか答えにくいじゃん。その気だった分、なんか・・・さ。
「あ、じゃあ・・・行こうかな・・・なんて」
「そう、じゃあ待ってるね」
こうして話してる分には普段通りの尚也みたいなんだけど、でも何かが違うような気がする。それが、何かは分からないんだけど。
「うん。それからね」
「ん?」
「あの、俺の誕生日だけ・・・ど」
自分の誕生日の予定を伝えるのって、恥ずかしいんだよな。『祝って下さい!』って押し付けてるような気がして・・・。
「うん。ちゃんと空けてあるよ。先生と一緒にご飯だよね」
「そう。で、レストラン予約いれてあるって言ってた。父さんそのまま病院に戻らなくちゃいけないんだって」
そこで、俺はなんとなく去年の誕生日のことを思い出してしまう。
去年の誕生日、俺は父さんと血の繋がりがないことを告げられた。それでパニクった俺は、家を飛び出しちゃって・・・それで、出会ったんだ、尚也と。
「まだ一年・・・なんだね」
少しの間の後で、尚也が呟く。そう、俺もそう思う。まだ、一年しか経ってないんだ。もう、随分前のことのような気がするのに・・・。
「じゃ・・・じゃあ、明日行く前に電話するからっ」
「おめでとう」
「・・・うん。じゃあ」
尚也の言葉に頬を緩ませ、PHSの電源を切って、深呼吸。どうして俺、こんなにドキドキしてるんだろう。
でもって、いつまで、ドキドキするのかな・・・・?
You are the only one in this world.
久しぶりに親子二人で向かいあっての食事。そういえば、この間言ってた子ってどうなったのかな?
「ね、父さん」
「ん?」
ご飯を口に運びながら父さんが俺を見る。俺は、お茶を一口飲んで続けた。
「この間のバーニーズってどうなったの?」
連絡が来たのは真夜中。父さんは当然のように飛び出していったけど。なんでも、年を取ったバーニーズマウンテンドッグの雌の体内で、子宮が腐ってたらしい。すぐに手術したって言ってたけど・・・。
「もう大丈夫だな。子宮もしっかりとったし、術後の経過もいいようだ。どうしたんだ?突然」
俺はよくできたと自分で誉めてあげたい肉じゃがをつつきながら、出来るだけ平静を装って息をつく。
「いや、あのさ・・・。俺・・・獣医学部受けようと思って」
「ふぅん。そうか」
え?ふぅんって・・・それだけ?なんかこう・・・もうちょっとなんかリアクションが・・・。
「ふぅんって・・・・いいの?」
「良いも悪いも、お前が受けたいんだろ?だったら止めるのも変だしなぁ」
理解があるのか関心が無いのか、俺は思わず悩んでしまう。まぁ、父さんが言葉の足りないタイプってのは分かってるんだけどさ。それにしても、驚いたり、喜んだりしてくれないのかなぁ?
「そうだけどさ、もうちょっと反対なり賛成なり・・・ないの?」
「反対して欲しいのか?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ」
そりゃ訳もなく反対されたい訳じゃないけどさ。なんかこう、我が家には受験生を抱えてるっていう緊迫感がないような気がするんだよね。俺も先の試験のことよりも、今日の肉じゃがの出来がとりあえず嬉しかったりするし。
「もてないし、暇はないし、患者には感謝されない仕事だぞ」
淡々と語る父さんに、思わず俺も上目遣い。三重苦だな、そりゃ。でも、妙に感謝して来る動物っていうのも、ちょっと怖いでしょ。
「じゃあ、なんで父さんは獣医してるのさ」
「そりゃ、動物が好きだからさ。本当はアフリカに行きたかったんだけどな。母さんとそのつもりでいたんだけど、なんだかんだとタイミングを逃がしたなぁ・・・」
まぁ、最初っから俺をお腹に抱えた母さんと結婚した訳だから、二人っきりの時間なんてなかったもんな。しかし、父さんがアフリカに行きたかったなんて、初めて聞いたぞ。
「どうしてアフリカなの?」
「でかい動物が多いだろ?それから・・・そうだなぁ、人間が『お客さん状態』ってのを見てみたいからかもしれないなぁ。東京じゃあ普通に人が道を歩いてて、野生の動物に命を奪われることはないからな」
なるほど。なんだ父さん、かなり面白いこと考えてるんだ。なんだか、行かせてあげたいな、アフリカ。
「そういや、尚也くんはアフリカに行ったことがあるって言ってたな」
「えっ!?そうなの?」
「ヤマトくんと一緒に、行ったらしいぞ」
・・・・・・え?なに?俺は思わず耳を疑う。いま・・なんて?
「父さん、ヤマトくんのこと知ってるの?」
「あぁ、何度か尚也くんと一緒に病院に来たな。心臓が悪いんだかなんだか、随分と色の白い子だったなぁ」
あ、そうか。父さんは俺よりもずっと前から尚也のことを知ってるんだ。ヤマトくんのことを知ってても、おかしくないんだ。父さんの病院は尚也の実家のすぐ近くなわけだし。
「・・・ふぅ・・・ん」
「頭の良さそうな子だったぞ」
ズキ。そ・・・それは俺に対するイヤミを含んだ激励??俺ってば確かに天才肌じゃないし・・・。あぁ、努力しなくちゃ。
「お前はどうして獣医になろうなんて思ったんだ?うちの病院継ぐためとかじゃないよな?」
「ううん!そういう訳じゃなくて・・・まぁ、影響を受けたってことなら、父さんに関係はあるかもしれないけど・・・」
「ならいいけどな。父さんのことは気にせずに、好きにしていいんだからな」
今なら素直に聞ける台詞。一年前は、父さんのこのぶっきらぼうな言い方に、勝手に傷ついてんだよな。本当は、俺のこと迷惑に思ってるんじゃないかと誤解して。
「うん。大丈夫だよ」
父さんは、俺のこと想ってくれてそう言ってるって、今ならわかる。俺も、同じように父さんのことを想っているから。
「安心して、俺ってば結構しっかりしてると思うよ。父さんの子だもん」
You are the only one in this world.
コウは電気も点けない部屋に一人、座っていた。
開けたままの窓からは夜風が入り込み、白いカーテンを揺らす。この部屋で冷たくなってる母を見つけたのはつい数日前のこと。まるで、昨日のようなこと・・・。
風の所為で余計に冷えた壁に背中を預けたまま、月明かりに薄く浮かび上がる室内を見渡す。父は葬式が終わると同時に、仕事に戻った。帰っては来るのだろうけど、遅いに違いない。そういう自分も、眠りが浅いせいか、やけに早くから予備校へと足を運んでしまった。
始まったばかりの浪人生活になれる前に、こんなことが起こった。
ブルルルッ
胸の携帯が震える。父親かと思ったが、高校の時からの親友だった。
「はい」
「あ、コウか?・・・どうだ?ちゃんと、食べてるか?」
いつも通りの世話の焼き方。両親の不仲のことも、以前からこいつには話している。その所為で食が細くなったときも、こいつはあれやこれやと世話を焼いてきた。
「まぁ、適当に・・・」
向こうは既に大学に受かり、一人暮らしを始めている。一人暮らしとはいっても、実家からもあまり遠くない場所に移動しただけだ。どうして大学の側にしないのか不思議だったけれど、それを聞くと『高校時代の友達にすぐに会えるだろ』と笑って言っていた。どちらかというと激し易いコウとは違って、穏やかなタイプだった。
「飯、作るの面倒くさい時は電話しろよな。俺、作りに行ってもいいし」
まるで通い妻だなとコウは思う。葬式以来、初めて本気で笑顔が零れた。
「お前だって、大学どうなんだよ。ちゃんと行ってるのか?」
「あったりまえだろ。まだ校内で迷ってるけどな」
「お前、方向音痴だもんな〜」
「うるせっ!ちゃんと飯食えよ!じゃなっ!」
「おう」
プツッと切れる携帯の音。コウは笑いながら胸に携帯を戻すと、今までとは違った気持ちで腰を上げた。遅い夕飯でも、作ろうかと思う。
その時、母のベッドの下に、何か見えたような気がした。月の光の加減のせいだろうか?いや、それにしては随分ハッキリと・・・。
ベッドの脇に屈んで下を覗き込む。コウはそこに大きな茶封筒を見つけると、手を伸ばしてそれを取った。ホコリをかぶっていないところをみると、そんなに昔のものではないらしい。
「なんだ?」
呟きながら、中をのぞく。レポートのような紙の束に、首を傾げる。
しかし、そのレポートを目で追うにつれ、電話の名残で穏やかだったコウの表情は、見る間に固まっていった。
You are the only one in this world.
子規の誕生日は一応4月24日だったりして。
牡牛座のO型です。ちなみに尚也は
乙女座なのじゃー。わっはっは(←なぜか笑う)。