「真岡!」
 新学年も始まって数日経った昼休み。俺は渡り廊下で呼び止められ、振り向いた。
 俺を追いかけてきたのは、中学の時からの友人・矢尾。こざっぱりとした性格の良い奴だ。なんだか妙に気が合って、進路も同じときている。受ける大学も同じみたいで、一緒に受かれば大学生活も共にすることになるだろう。まぁ、こいつとだったら、楽しいような気がする。
「お前さ、塾決めたか?」
「塾か〜。やっぱり、お前も行くのか?」
 行かないと受からないモンなのかな?・・・と俺は思ってしまう。だって、実はあまり塾って好きじゃない。幸か不幸か、いままで塾の世話になったことが無いからかもしれないけど、みんな一心不乱に勉強してるってイメージがあるせいかな?
「奨学金が取れればな」
 奨学金?そういや、こいつのあっけらかんとした笑顔に忘れがちだけど、矢尾の家は結構家計が苦しいらしい。だから、大学も奨学金を取らないと行けない筈だ。なんてったって、獣医学部ってことは理系で六年間だもんな・・・。
 でも、矢尾はなんでもないことのように言うと、綺麗に刷られたパンフレットを取り出して俺に見せた。確かに、家の経済状態のことも『俺んち金ねぇんだよな!』と笑顔で言ってたっけ。
「さっき渡邉先生に呼び出されてもらってきた。なんでもナベちゃんの友達がここで先生やってるらしいんだ。それで、もしよかったらこの塾はどうかって」
「え?だってここ・・・理系にはすげー強いって噂じゃん。おまけに金もかかるって・・・」
 そうだよ。全国的に有名な予備校じゃん。合格率だって、たいしたもんだった筈。
「だから、成績が良ければ塾でも奨学金取れるの!ただで行けるんだってば」
「マジ?・・・・や、でも難しいんだろうなぁ」
 きっと大学受験並みに難しい筈。でも、自分の家にどのくらいの金があるかなんて知らないけど、安く済めばそれにこした事はないよなぁ。塾に行きたいって言ったら、行かせてくれないオヤジじゃないだろうけど・・・。
「とりあえず奨学生のテスト受けるのはただじゃん!お前も一緒に受けてみない?」
 矢尾は、くったくのない笑顔で俺にそう言うと、俺の返事を待つかのように見つめてくる。
「えぇ?・・・・でも、そのテストっていつ受けるんだよ」
「今日申し込みをして、明日には・・・」
 へぇ!?そんなにあっさり言うなって!!
「明日ぁ!?」
 俺は思わず声をひっくり返すと、目を丸くして矢尾を見返した。
「だって、もう俺たち三年なんだぜ。早くしないとな。それに、明日を来週にしたって結果は一緒だと思うし」
 そりゃあまぁ、その通りだけどさ。・・・・っつーか、もっともな意見です。
「分かった。俺も受けてみる」
「そうこなくっちゃ!」
 俺が観念して呟くと、あいつは嬉しそうに手を打つ。確かに、味気ないところなら、余計に一人は嫌だよなぁ・・・ってそんなこと思ってる時点で、俺って真剣味が足りないのかもしれないけどさ。本当に大丈夫か?大学受験。
「じゃあ、今日の帰りに申し込みに行こうぜ」
「オッケー」
 俺は矢尾に返しながら思い出す。そういえば、この塾って尚也もバイトしたことあるって言ってたよな。
 どんな所なんだろう。今日、電話してみようかな?なんとなく話す口実もないまま、もう一週間も尚也とは口を聞いていない。別にケンカしてる訳じゃなくて、ただお互いの時間が合わないだけなんだけど、もう忙しい時期は越えたのかな?
 他のバイトしてるときはそうでもないけど、探偵のバイトしてる時の尚也は心なしかいつもより無口になる。だから、余計に俺も邪魔しちゃいけないような気になる。
 もう・・・電話しても大丈夫だよね?
 誰へともなく、俺は心の中で問い掛けていた。




You are the only one in this world.



 夜の10時頃。俺は、電話のベルに呼ばれて脱衣所を出た。
 丁度、風呂から上がったところ。濡れた髪が、急いで着たシャツを湿らせて行く。
「はいっ、真岡です」
 受話器を取って答える。父さんかな?今晩は泊まりになるかもって言ってたけど。
「竹脇です」
 受話器の向こうから聞こえて来る涼しい声。なんだか、胸がキュッとした。
「尚也?・・・どうしたの?バイトは?」
「一回ケリがついたんだ。だから、どうしても子規くんの声が聞きたくなって」
 ほら来た。まったくどうして、そういう恥ずかしいことを何の臆面もなく言えてしまうんだろう?そういう所、すっごく日本人っぽく無い!
「ふ・・・ふぅ〜ん。そんなに会ってなかったっけ?」
 ほら。だから、俺も素直になれない。だって、二人してラブラブオーラなんか出してたらバカップルっぽくないか?それに第一・・・やっぱり、恥ずかしいし。
 口唇をとがらせて、できるだけそっけなく言ってしまう。本当は、もう一週間も会ってないし、声だって聞いてないって俺も思ってた。・・・・会いたいなって・・・思ってた。だから、本当はすっごく嬉しい・・・・けど。
「もう一週間だよ、前に会えたのから。なんだか、すごく長く感じるけど」
 あ、尚也も長いって思ってたんだ。俺だけじゃ・・・なかったんだ。
「一週間って・・・たったの一週間じゃん。俺なんか学校始まったし、全然そんな風に思わなかった」
 う。さすがにこれは言い過ぎ。本当に可愛くないと、自分でも思う。
「本当に?俺は、子規くんに会いたいなって思ったよ。本当は、声だけじゃ足りないくらい」
 くはっ!相変わらず尚也も負けてない。だから、ちょっぴり安心してるところもあるのかも。俺がどんなに可愛くないことを言っても、尚也は分かってくれてるっていうか・・・大丈夫・・・みたいな。別に確信があるわけじゃないんだけど。ただ、なんとなく・・・・。
「今日は、先生は?」
 無言で顔を赤くしてる俺に、尚也が続ける。俺はその質問に、すぐに答えた。
「あ、なんか・・・目を離せない子がいるとかで病院に泊まるって・・・」
 すると、その返事の早さのせいか、尚也は一瞬黙った。
 ま・・・さか、また笑ってるんじゃないだろうなぁ・・・。恥ずかしいから、さっさとなんか言えってば!
「じゃあ、これから行くね」
 ぎゃっ!マジ!?やっぱり・・・来るの?って・・・やっぱりってなによ、俺ってば。まるで、期待してたみたいな・・・・。そんなこと、絶対に無い・・・・わけじゃないけど。
 かぁ〜っと、一人で赤くなってる俺がまるで見えてるみたい。尚也はくすっと電話の向こうで笑うと、囁くように言った。
「・・・駄目?」
 いくら明日が休みって言ったって、明日は俺だって試験があるんだし。一応ちょっと勉強しようかななんて思ってたんだし。そういつも尚也のペースになんか・・・・。
 ちょっとの合間に、断る理由をたくさんたくさん考える。でも結局、俺の口は勝手に呟いていた。
「別に・・・・駄目じゃ・・・ないけど」




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 誰かを好きになると、知らない自分に会える。
 でも、その知らない自分のことを、好きな相手は既に知ってたりして、それって・・・本当に不思議だ。で、教えてもらったりして・・・・「君はこんな人なんだよ」・・・・って。
 尚也は俺のうちに遊びに来る時、たとえそれが父さんの居ない時でも、その・・・なんつーか、しよう・・・とはしない。まぁ、キスくらいは・・・するけどさ。こっそり。でも、それ以外は普通に遊びに来て、泊まったりしても、本当に「仲の良い家庭教師と生徒」って見えるように接してくる。
 それに気付いたのは最近のこと。別に、尚也に確認した訳じゃないけど、そうだと思う。
 でもって・・・そんなことにホッとしている俺がいる。ホッとした直後に、言い知れない苦さが胸の中に広がったけど・・・。
「どうかしたの?」
 シャワーを浴びてきた尚也が、Tシャツ姿で居間に来る。俺は、膝の上にいる獅子丸を撫でる手を休めて、尚也を見た。
「え?なに?」
「なにか、考えごとしてたでしょ」
 尚也はソファの向かいに座りながら、大きく息をつく。濡れた髪が、頬に張り付いた。
 何故だか分からないけど、俺は風呂上がりの尚也を見るとドキドキする。ちょっと髪が伸びたかな?そんなことを思いながらも視線を外せない辺り、結構重症かも。
「え・・・あ・・・、受験のこと」
 嘘ばっか。でも、本当のことなんか、言える訳無いじゃん。もしかしたら、やぶ蛇になっちゃうかもしれないし・・・。
「へぇ。受験生らしいね」
 尚也は俺の嘘を見破ってるかのように、微笑みで返す。いや、尚也は天然で笑顔なんだけどさ。俺のやましいココロがその笑顔を歪んで見させてるのかな?
「受験生らしいに決まってるじゃん!受験生だもん。・・・・塾だって、行こうかと思ってるし」
 なんで、うろたえてるんだ、俺?受験生が受験のこと考えるのも、塾に行こうと考えるのもいたって普通じゃん。もーーーーなんでドキドキするんだよ!尚也のこと、ちゃんと見られないじゃん!!
「塾?そうだねぇ、子規くんの進路を考えると行った方がいいかもね。どこの塾にするか決めたの?」
 俺のココロを本当に知ってるのか知らないのか、尚也は普通に話を続ける。俺は、撫でる手が止まったことで物足りなさそうに俺を見上げる獅子丸に微笑み返して言った。
「うん。明日Y予備校に行って来る。友達に誘われたんだけど、ダメモトで奨学生テスト受けてみることになってさ」
「Y予備校?」
「うん、Y予備校。・・・・もう!そんな顔しなくても分かってるってば、ダメモトだってことは!」
 目を丸くしてじっと見つめて来る尚也に、思わず俺は口唇を尖らせる。ったく、「マジで受けるの?」みたいな顔しなくったっていいじゃん。
「本当に、Y予備校受けるの?明日?」
 もーーーー、そんなに確認しなくてもいいでしょ!無謀なのはハナから承知だって言ってるんだからさぁ。
「・・・・・うん」
 俺は口唇を尖らせたまま、力無く肯く。その時、「さっさと構ってよ」と言いたげな獅子丸が俺の顔に自分の顔を近づけて来て、俺は獅子丸の湿った鼻に、自分の鼻を擦り付けた。はいはい、ちゃんとお前のことも見てるってば。
「そう。じゃあ、明日のためにちょっと勉強でもする?」
「これから?」
 だってもう12時近い。本当に、これからするの?明日のために寝た方がいいんじゃないか?どうせ、ヤマだって張れないんだろうしさ。
「うん、30分だけ。その代わり、明日の朝ご飯作ってあげるから」
 う。それはオイシイ。その分長く寝られるし。でも・・・。
「でも尚也も明日バイトなんじゃないの?」
 尚也ってば、最近ちゃんと寝てるのかな?すぐに無理するからな、尚也は。
「うん。でも大丈夫だよ。そんなに大変なバイトじゃないから」
「ホントにホントに大丈夫?」
 俺は上目遣いで念を押す。念を押したところで、本当のことを言ってくれるかはわからないけどさ。
「子規くん、心配してくれてるの?」
 と、嬉しそうな尚也の顔。だーかーらーーー!!そういうんじゃないでしょ?そういうこと言われると、俺が何も言えなくなっちゃうの、知ってるくせに!!う、顔が熱い。
「し・・・心配っていうか、尚也になにかあったら、獅子丸が困るだろっ!だからっ!な、獅子丸!」
 俺は獅子丸をぎゅっと抱きしめて、小さな顔に頬ずり。獅子丸の喉がグルグル鳴ってるのが聞こえる。くはっ、可愛いなぁ。

「ね、子規くん」
「ん?なに?」
 じゃれる俺たちをニコニコと見ている尚也。俺は獅子丸の肉球を自分の頬に当てながら、目だけを尚也に向ける。
「明日の試験の後に、予定ある?」
「いや・・・友達とお茶するかもしれないけど、そのくらい・・・の筈」
「じゃあ、俺のところに来ない?」
 ・・・・・・・・・・ボンッ。
 ・・・と音がしたかのように、突然弾ける俺の心臓。
 だってこれって・・・・・誘われてるってことだよ・・・・ね?
「え?だ・・・。え・・・・?」
「明日の夜は久しぶりに空いてるから。テストの答え合わせしよう。ね?」
 明日は土曜の夜でしょ?日曜日の前でしょ?それってそれって・・・・。
 俺は思わず立ち上がると、獅子丸を小脇に抱えて歩き出す。
「子規くん?」
「べっ・・勉強するんだろっ?」
 自分でも分からない。なんだかすっごくドキドキする。尚也と・・・とか想像するだけで、なんだか自分でもどうにも出来ないくらいに熱くなってきちゃって。ったく、どういうことだよ!
「やるなら・・・さっさとやろうよ」
 横を向いたまま、言い捨てて階段を駆け登る。
 だめだめ!受験生なんだから、勉強のこと考えないと!色惚けてたら、いくら時間かけてもなんにも頭に入んない。尚也が大学に居るうちに大学生になりたいんだったら、尚更頑張らないと。
 尚也は「はいはい」というように立ち上がって俺の後に付いて来る。
 そう。勉強に集中しないと。
 テスト中だって、尚也のことなんか忘れないといけないんだから!




You are the only one in this world.



 で、どうしてこうよ。
 テスト中は尚也のこともなにもかも忘れて集中って思ってたのに、目の前に座ってるあんたは一体誰!?
 俺の驚いてる姿が楽しいのか、ニコニコと微笑んでいる尚也を座った目で見つめながら、俺はシャーペンをカチカチと鳴らした。名前を書こうと紙に触れた芯が、パキンと音を立てて折れる。
 どーーーーーーして試験官が尚也なのかなぁ?バイトしたことがあるとは聞いていたけど、まだバイトしてるとは聞いてなかったぞ!だいたいそういうことなら、昨夜のうちに話しておいてくれればいいのに!
「では、個人データのマークシートの記入が終わりましたら、そのまま数学の試験に入りますので、しばらくお待ち下さい。質問があれば、今のうちにどうぞ」
 だーーーかーーーらーーー!!俺を見つめて説明すなッツーの!!他にも受験生はいるんだからさ。とはいえ、ほんの二十人程なんだけどね。
「個人データのマークシートは数学の試験中にこちらで回収しますので、通路側に置いておいて下さい。では、間もなく数学の試験を開始します」
 説明にマイクが必要なほどの広い教室。俺は邪念を振り払うように頭をブンブンと振りながら、最後に教壇に立つ尚也を見る。・・・・って、なんで目が合うのさ。
 と、尚也が小さく口を動かす。・・・?なに・・・・?
 ガン・・・バッテ・・・・。
 そう・・・言ったのかな?とりあえず俺は口唇を尖らせたまま小さく肯くと、配られた問題に手を伸ばした。




You are the only one in this world.



しかし尚也、君は一体何個のバイトをしてるんだ?
ワシだって、同時のバイトは三つまでだったのだぞ(^^;)

そして、まだまだ伏線でゴメンナサイ。
でもって、今回から登場の矢尾くん。これからちょくちょく
出てきます。よろしく♪名前は某人から(^^;)
本人は気付くであろう・・・怒られるかしら??ドキドキ(^^;)