***Men's matter, Boys' matter.***
瞼に感じる光。
ジョーは顔をしかめると、手の甲を自分の顔の上にかざしながら薄く目を開けた。
「ジョーくん起きてる?そろそろ支度しないと学校に遅れるわよ〜」
ノックと共に聞こえてくるシンの声。ジョーは寝ぼけた顔で起き上がると、ベッドに腰掛けて言った。
「ん、大丈夫。ありがと・・・」
両手で顔を覆い、しばらくそのままじっとする。しかし、再び眠りに落ちそうになり、慌てて立ち上がった。
昨夜、帰ってきたのは夜もかなり更けてから。それでもシンは何も言わなかった。
結局、大澤は見つからなかった。あれからラビの家に行き、着替えてから心当たりのある店を回ったものの、大澤はどこにもいなかった。
「でもさ、何度か見かけてるってことはニチョによく来るってことでしょ?だったら、これが最後じゃないって。大丈夫、見つかるよ」
ラビは人懐っこい笑顔でそう言い、ジョーの背中を叩いた。
その説明で、ジョーは初めて、そこがシンに聞いていた二丁目だということを知った。ある意味、納得。なんとなく感じていた違和感の意味が、理解できたような気がした。
「でもさ、危ないから一人で歩かない方がいいよ。はい、何かあったら電話ちょーだい」
帰り際に渡された二人のネームカード。名前と携帯電話の番号が書いてある。ジョーは、ベッドの脇に置いておいたそのカードをカバンのサイドポケットに突っ込むと、時計に視線を投げ、慌てて部屋を出た。
「おはよう!」
顔を洗って、食卓に顔を出す。朝食の支度をしているシンの傍らで、ウィルが新聞に目を通していた。
「おはよう。いま、お味噌汁装うわね」
「いいよ。俺、自分でやる」
まめまめしく家事をしているものの、実はシンも昼に仕事をしている身なのだ。しかも、その職種はかなりオカタイもので・・・。だからジョーも、シンに迷惑をかけないように、自分の支度は自分でするようにしていた。アメリカにいた頃は、朝食も全部自分で作っていたのだから、ご飯が出来ているだけでも充分ありがたい。
「なぁ、オヤジ。ちょっといいか?」
「あぁ?」
新聞から目を動かさずにウィルが声だけで返事をする。ジョーはアジの開きの皮を箸で上手に剥きながら、チラリとウィルを振り返った。
「あのさ、俺、携帯電話欲しいんだけど、いいかな。もちろん金は自分の貯金から払うから」
「携帯?自分の金で払えるなら、なんで俺に聞くんだ?」
ウィルは特に反対する気も無いらしく、あっさりと答える。
「日本のバンクアカウント(銀行口座)も持ってない俺が、携帯の契約できるわけねぇだろ。っつーか、オヤジはアメリカ国籍だし、俺は両方のパスポート持ってるけど未成年だし、そんなんで契約出来んのか?」
リビングのソファに座っているウィルに向き直るジョー。すると、ウィルは読んでいた新聞を閉じて、眉を寄せた。
「出来んじゃねぇか?今日俺も買いに行こうと思ってたし。なんなら、お前も行くか?」
めずらしく親子らしい会話。それが嬉しいのか、シンがそこで言葉を挟んだ。
「いいんじゃない?家族で契約すれば安くなるし。日本の街を、親子水入らずで歩くっていうのもいいじゃない」
その姿を想像したのか、シンは茶碗を手にしたまま夢の世界に突入している。ジョーはなんだか無性に恥ずかしくなったものの、携帯の為にぐっと我慢した。
「じゃあ、学校終わった後に、待ち合わせな」
「おう」
ウィルは適当に答え、テレビのチャンネルをくるくると変える。今日はオフなのか、のんびりとしたウィルにジョーも胸を撫で下ろすと、朝食に戻って箸を動かし始めた。次のセリフが出るまでは・・・。
「お前、ウリでもすんのか?」
***Men's matter, Boys' matter.***
遅い。
ジョーはウィルとの待ち合わせ場所に佇み、手首の時計に視線を落とした。待ち合わせの時間から、すでに三十分が経過している。ジョーはため息をつくと、傍らのベンチに腰を下ろした。
まぁ、あの父親のことだから、待っていればいずれ来るだろう。別に急ぎの用事でもないし、しばらくこうしていようと思う。と同時に、頭をよぎる昨日の出来事。ラビも太郎も、どうしてそこまでしてくれるのか不思議なほど親切に、大澤探しを手伝ってくれた。
「ごめんね。・・・もしかして、デートする予定だったんじゃ・・・」
ジョーが別れ際にそう言うと、二人ともが目を丸くし、そしてすぐに目を細めて笑ったラビの方が返した。
「俺たち付き合ってないよ〜。タロちゃんのことカレシって言ったのは、あん時の流れね」
その時にジョーは、ラビが自分と太郎を間違えたのは、フリだったことを確信した。でも、これだけ仲がよく見える二人で、しかも二丁目にいるのにステディじゃないってことには、ちょっと驚いたけれど。
「タロちゃんは想い人がいるし、俺は年上が好み〜」
ニコニコっと続けるラビ。あ、やはりそっちではあるのかと、ジョーはなんとなく納得した。
「でもね〜、タロちゃんは障害だらけだし片想いが長すぎて、も〜大変でさ〜」
と、そこまで言ったところで、太郎のコブシがラビの頭をゴンと小突く。ラビが目を白黒させると、太郎が背後で不機嫌そうに言った。
「バカ、余計なことを言うな」
クールを装ってはいるけれど、プイっとそっぽを向いた太郎の頬が仄かに赤い。大人っぽく見えてもやっぱり自分と同い年だなと、ジョーは微笑んだ。
「ジョーは、あのイチローちゃん・・・えっと、大澤さんだっけ?を、どこで知ったの?」
殴られた旋毛の辺りをさすりつつ、ラビが続ける。ジョーは、あぁ・・・と気を取り直して返した。
「喫茶店で、隣のテーブルにいて・・・直接話したわけじゃないんだけど、話を聞いてたらなんとなく気になって・・・」
「それでフォーリンラヴ!?すっげ〜〜〜!ねー、タロちゃん、聞いた〜〜?ドラマみた〜〜い!」
ラビは興奮気味に足をジタバタさせている。そう改めて言われると、我ながら突飛な行動をしているなとジョーも思った。
「そんなんじゃないけど、ただ・・・なんとなく気になって」
そう、これが恋かなんて自分でも分からない。ただ、大澤のことをもっと知りたい、もっと近づいてみたいって思ってるだけで・・・。
目を輝かせてジョーの話を聞いているラビの横で、意外なことに太郎も真剣にジョーの話を聞いている。余分なことは話さないタイプなんだということは、見ていて分かった。
「・・・よく分かったな、名前」
「あ、名刺・・・拾ったから」
太郎の一言に、ジョーは拾った名刺を見せてみる。それを手に取ると、更に太郎が言った。
「良い会社に勤めてるな。それと、…あんまりこれは見せない方がいいぞ」
言われてみればその通り。自分の素性は大澤も知られたくないだろうし、二丁目に来ていることを会社にバラされたりしたらコトだ。いい人だという印象を受けたにしても、ラビや太郎に見せてしまったことも、すぐに後悔した。その自分の考えの甘さが、周りに迷惑をかけることになるかもしれないのだから。
「うん。そうだね」
ジョーは太郎から受け取った名刺をしまうと、深く肯いた。同じ歳なのに、太郎の方がよっぽどしっかりしているなと思いながら。
そこまで思い出して、ジョーは再び時計に目をやる。すでに四十五分が経過。立ち上がって顔をあげると、視線の向こうに見慣れた姿が見えたような気がした。
人込みの中をこっちに向かってくる人影。周囲よりも頭ひとつ分高い背。基本的に姿勢がいいので、その背は余計に高く見えた。
こうしてみると、口惜しいけれど確かに目を引く。すれ違う中には振り返っている人もいるのだから、やはりそれは身内の贔屓目というわけではないようだ。
「遅ぇよ」
目の前に来た父親に、ジョーは言い放つ。するとウィルは、一向に悪びれた様子もなく、短く返した。
「ほら」
声と同時に、持っていた手提げの紙袋をジョーの胸に突きつける。訳が分からずにそれを受け取ると、ジョーは袋の中を覗いた。
「なんだよ、これ」
袋の中にはさらに紙袋、ジョーがそれを開けようとすると、ウィルは面倒くさそうに言った。
「いいから、家に帰ってから開けろよ。先に用事を済ませるぞ」
「あ、あぁ」
袋を開けようとしていた手を止めて、ジョーが歩きだしたウィルの後に続く。ただでさえ目立つウィルに、ジョーが加わったことで、益々周囲の視線は二人に注がれた。
「・・・なぁ、オヤジ」
「あぁ?」
歩きながら、ジョーはウィルの横顔を目だけで追う。ウィルは視線を前に向けたまま、けだるく答えた。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
真面目なジョーの声に、ウィルが横目でジョーを見る。ノーと言われないことを了承と解釈し、ジョーは続けて言った。
「・・・どうして、日本に帰ってこようと思ったんだ?」
シンから“忍ちゃん”の話を聞いて以来、ジョーはずっと考えていた。もしかしたら、ウィルには会いたい人がいて、そのために日本に帰ってきたのではないかと。そして、その会いたい人とは、“忍ちゃん”なのではないかと。なのに、ウィルには誰かと頻繁に会っているような気配は無い。怖いくらい真面目に、仕事場と家との往復をしていた。
ウィルはジョーの半歩先を歩きながら、チラリとジョーを振り返る。ジョーがそんな父親の視線に応えると、ウィルは再び視線を前に戻して言った。
「別に、深い意味はねぇけどな・・・」
「でも、アメリカにいたって仕事はできただろ?俺はてっきり、オヤジは向こうの方が好きなんだと思ってたから、日本に行くって聞いた時は・・・驚いた」
ジョーにとっては、嬉しい驚きだった。行きたくてたまらなかった日本。まだ見ぬ祖国だと思っていた日本に、ウィルが行くと言いだした時、ジョーは心の中でガッツポーズを決めたほどだ。
ウィルはジョーの言葉に失笑しながら、それでも特には答えない。ジョーは、ウィルが自分の言った何に失笑したのかが気になり、物言わぬ父の横顔を見ていた。
「・・・そういうお前はどうなんだよ」
しばらくして、やっと返ってきたウィルからの言葉。
「え?」
ジョーはそれだけ言うと、父の顔を覗き込むように少し早足で歩いた。
「・・・俺が、なに?」
「お前は、ここでいいのか?」
前方だけを見据えて歩き続けるウィル。いつだって、ジョーには父親が何を見て何を考えているのか、よく分からなかった。
「どういうこと?」
ジョーが言う間に、ウィルは大型量販店に入っていく。入り口の近くに携帯電話のコーナーを見つけると、ウィルは立ち止まり、ジョーを振り返って言った。
「お前は、本当に日本でいいのか?・・・って聞いてんだよ」
***Men's matter, Boys' matter.***
ジョーはベッドの上で買ったばかりの携帯を握り締めると、胸を高鳴らせながらカードに書いてある番号を押した。傍らには携帯のマニュアル。すでに、必要な番号の登録もすませ、メールのアドレスも取得していた。
「あ、あの・・・」
電話の相手はすぐに出た。あまりにもすぐに出られたので、ちょっと驚いたが。
「昨夜はありがと。俺・・・ジョーだけど・・・ラビ?」
昨日知り合ったばかりの相手だけに、ちょっと緊張する。でもきっと、向こうは緊張なんかしてないんだろうなとも思った。
「あ!ジョー!?なになに?携帯買ったの?」
「うん。今日、ちょっとね」
なんだかすごく照れくさい。これではまるで、ラビに電話したくて買ったみたいにも思われそう。でも、実はそれも買った理由のひとつではあるけれど・・・。
「ねぇねぇ。ジョーは、今日こっち来るの?」
そんなジョーの気持ちには全く気付く気配が無い、無邪気なラビの声。ジョーはまだ少し緊張が抜けず、とまどいがちに答えた。
「え?・・・あの、これから出るかってこと?」
もう夕方も過ぎて夜に近くなっている。これから家を出ることになると、シンが心配するだろう。絶対に、外出の理由を聞かれるだろうし・・・。
「うん。あれからね、ちょっと作戦練ったんだ」
「作戦?」
一体なんの話だろうとジョーは思う。作戦って・・・当事者は、ここにいるのに?
「そう、作戦。だってさ、あんなドラマみたいな話聞いたら、絶対にイチローちゃんを見つけなくちゃって思うじゃん?しかもさ、見つけたら、絶対にモノにしなくちゃだめだって!」
モノって・・・。
ジョーとしては、ただ見つけて、ちょっと話ができればいいぐらいにしか思ってない。モノにするだなんて、そんな先のことを言われても、ピンとこなかった。
「ちょっと待ってよ、ラビ。そんなことまで、もう考えてるの?でも俺・・・」
「ジョーは考えてないの!?うっそぉ〜〜!」
嘘といわれても・・・。
「嘘じゃないって。だって・・・」
「じゃあさ、見つけたら一緒にお茶してサヨウナラなわけ?マジ?」
グサ。そう言われると、どうかな・・・と思う。そこまで濃いものを想像してたわけじゃないけれど、かといって、そこまでさっぱりしたものを想像していたわけでもない。要は、話してみなければ分からないのだ。
「わかんないよ。話してみないと・・・」
「う〜〜〜ん。そっかぁ・・・」
ラビは何故だかすごく悲しそうに呟き、そのまま黙りこくる。ジョーはジョーで、何もしていないのに、なんだか酷く悪いことをしたような気になってきた。
「ごめん。でも俺・・・」
「じゃあ、話した時にその気になるかもしれないってことだよね!」
ジョーが謝りかけた瞬間、立ち直ったラビの元気な一言が耳にこだまする。ジョーは再び目を丸くすると、もはや否定もできずに呟いた。
「う・・・うん」
「ならいいの!俺の作戦はそんでもいいから!」
一体、なにがいいんだろう・・・と、ジョーは本気で聞きたくなってくる。ラビはジョーの答えが嬉しかったのか、テンションの上がった声で、さらに言った。
「とりあえず、強力な助っ人は手配しておいたから。今度じっくり打ち合わせを・・・」
と、ラビがそこまで言った時に、電話の向こうでバタバタと人の走ってくる音が聞こえてくる。ジョーがベッドの上で耳をすませると、一瞬電話の話し口が塞がれたのか、無音になった。
「えっ!?マジ!?今行く!!」
「・・・?ラビ?どうしたの?」
そして、次に聞こえてきたのはラビの興奮した声。ジョーが小さく語りかけると、すでに走っているのか、息を弾ませながらラビが言った。
「いた!イチローちゃん発見!!ジョーもすぐ来て!!」
***Men's matter, Boys' matter.***
ラビ大活躍?作戦とは?
そして、ジョーがウィルからもらったものって・・・?(笑)