***Men's matter, Boys' matter.***



 「大丈夫?」
 お腹をさすりながらトイレを後にするジョーに、シンが心配そうに呟く。ジョーは苦笑いでそれに返すと、居間のこたつに潜り込んだ。
「なにか、悪いものでも食べさせたかしら?うーん」
 こたつの向かいにシンも入り、首を捻る。ジョーは背中を丸めてお腹を暖めながら、顔だけをあげて言った。
「ううん。原因は、分かってるから。シンさんの所為じゃないよ」
「ホント?」
「うん。冷たいものを一気に飲んだだけだから。じっとしてればすぐに治るよ」
 トイレとの往復で少々疲れぎみの笑顔。シンは泣きそうな顔でそれを見返し、重い腰をよいしょっとあげた。
「じゃあ、あったかいお茶いれるわね。今持ってくるから」
 元々世話好きというのもあるのだろうけど、シンはどうやらジョーの世話を焼きたいらしい。ジョーは、いままでが父親の面倒を見てくる方だったので、自分が世話されるというのは不思議な感じがしながらも、悪い気はせずにこたつに突っ伏した。
「でも、どうしてそんなこと?今日、そんなに暑かったかしら?」
 目の前に湯飲みを置きながら、シンが再び首を傾げる。ジョーは何と答えていいか分からずに、黙って湯飲みを持った。
「夕ご飯どうする?しばらく食べない方がいいかしら?ウィルは、仕事で遅くなるって言ってたけど」
 静かにお茶を飲むジョーを見ながら、シンが呟く。ジョーは胃に染みるお茶に目を細めて返した。
「いいよ。シンさんの都合にあわせる。冷えただけだから、食べても大丈夫だと思う。このお茶が、効きそうだし」
「そう?ならいいんだけど・・・。痔になったら困るわねぇ・・・」
 含みのある困った笑顔でシンが言う。ジョーは知らない単語に、目を丸くした。
「ジ・・・って?地面の地?」
 すると、シンは一瞬ジョーと同じように目を丸くしてじっとジョーを見返した後、気を取り直したように返した。
「ええとね、痔っていうのは、お尻の病気。肛門・・・お尻の穴が切れちゃったりするとね・・・」
「あ・・・・あぁ、hemorrhoidsだ。切れたり、イボができたりする奴?へぇ・・・痔って言うんだ」
 言いにくそうなシンに対して、あっけらかんと返すジョー。その様子に益々何かを思ったシンは、チラチラとジョーを見ながら、こたつの上のミカンをむきだした。
「・・・・?・・・・なに?なんか俺、間違ってた?」
「ううん。英語の方は分からないけど、多分ジョーくんの思ってるので合ってると思うわ」
 不思議そうにまっすぐ見てくるジョーから視線を逃がすように、シンは手元のミカンを見つめている。そして、剥いたミカンをひと房口に入れると、ジョーを見つめて強引に微笑んだ。
「じゃあ、なに?変だよ、シンさん」
「んふふふふふ」
 眉を寄せるジョーに、シンが引きつりながら笑い返す。隠し事のできない人だな・・・とジョーは思った。
「聞きたいことがあるなら言ってよ。それとも、それも日本の礼儀とかっていうの?」
「そういう訳じゃないけど・・・。プライバシーの侵害とかっていうのは、アメリカ人の方が気にするでしょ?だから・・・」
「でも、そんな風に見られてたら余計に気になるよ。答えるかどうかは別にして、聞くだけ聞いてよ」
 腹の具合が落ち着いてきたのか、少々強気でジョーが言う。シンはミカンをふた房放り込むと、それを飲み下してから、意を決したように言った。
「じゃあね、実はジョーくんがうちにきた当初っから聞きたかった質問だけど、いいかしら?」
「うん」
 それを受けるジョーも真剣な表情で肯く。シンは食べ終えたミカンの皮を丁寧に畳み、ジョーの目をまっすぐに見て、言った。
「ジョーくんは、ノンケなのかしら?」
「・・・・・・・・」
 ジョーは、シンの視線を真正面から受け止めながら、パチクリと瞬きをする。それに釣られてシンも瞬きで返すと、ジョーが口唇をキュッと結んで言った。
「シンさん・・・」
「なぁに?」
 ジョーの真面目な表情に、シンも息を飲む。ジョーの眉間に、深い皺が刻まれた。
「『ノンケ』って・・・なに?」
 瞬間、肩透かしを食らったシンが頬を引きつらせて笑う。ジョーはそれでも真剣にシンの返事を待った。
「『ノンケ』っていうのはね、その気のない・・・んー、男に興味のない男のことよ。ストレートってこと」
「あぁ。そういうことか。へぇ・・・ノンケ」
 ジョーは普通に新しい言葉を得た子供のように、復唱している。シンは意味を理解してもらった上で、それならば・・と、さらに身を乗り出して言った。
「で、どうなの?ジョーくん??」
 シンの、熊のようなつぶらな瞳がキラキラと好奇心に輝いているのが分かる。ジョーは、シンの勢いに押されて上半身を引きながら、お茶を一口啜った。
「シンさんには・・・・どう、見える?」
 薄い茶色の瞳で、ジョーが聞き返す。するとシンはこたつの上に頬杖をつき、深い息を漏らした。
「そうねぇー。うーん、どうかしら?分からないのよねぇ。ウィルと一緒にいるせいか、偏見がないっていうか、アタシを見る目が普通だし。かといって、そっちっていう風にも見えないしねぇ・・・」
 そのシンの判断を、「そういう風に見えるのか・・・」とジョーは内心で受け止める。しかし、少し何かを考えると、ジョーはシンを見て言った。
「アタリでハズレ」
「え?」
「それ、アタリでハズレ。それが・・・答え。それ以上は、内緒」
 そして、キツネにつままれたような顔をしているシンをそのままに、こたつから立ち上がる。
「腹が収まったみたいだから、先に、風呂入ってくるね」
 ジョーはそういうと、ニコっと人懐っこい笑みを残して、居間を出た。




***Men's matter, Boys' matter.***



 立ち昇る湯気。ジョーは湯船の中で両手足を伸ばしながら、低く唸った。
「うーーーーーーんっ」
 日本に来て何が嬉しかったというと、この風呂。深めのバスタブにたっぷりと湯をはって、じっくり浸かるのが気持ち良い。ジョーは日本に来たばかりだというのに、もう何度ものぼせてシンを心配させていた。
 しかしこの、身体を洗った後にじっくりと湯に浸かることができるという日本の風呂のシステムが最高に気に入り、どうしてもダラダラと入ってしまうのである。
『アタリでハズレ』
 さっきの言葉を思い出し、漏らすため息。
 だって、そうとしかいいようがない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない・・・と。
 何故って、生まれてこの方、どっちも試したことなどないから。誰に触ったことも、触られたこともないから。出し惜しんだ訳ではないけれど、気付ばこの歳になっていたのだ。
 そりゃ当然、どういうことをするのかなんて分かってる。5年生の時に、教師に説明を受けてコンドームを配られた。仕組みとしては分かるし、父親を見ていれば、どっちとも可能だというのはよく分かる。そういう衝動が、ないわけでもない。
 しかし、あの父親を見ているからこそ、簡単にやった果てにある修羅場を知っている。ウィルに一方的に入れ込んだ女が、ジョーの目の前で狂言自殺を図ろうとしたこともある。
 片方にとっては「ちょっとやってみる?」程度のつもりが、相手にとっては「結婚しよう!」と響くことを、ジョーはこの時に学んだ。だからこそ、今まで誘われた数多の女友達を袖にしたし、それでゲイだと噂が立っても誰かとする気にはなれなかった。
 理由はふたつ。ひとつは、アメリカでは、どこに居ても自分が「好きになって欲しい自分」になれないような気がしたから。そしてもうひとつは・・・。
 トントン
 と、その時風呂場のガラス戸の向こうに人の影。ノックで視線を投げると同時に、心配そうな声が聞こえた。
「ジョーくん?またのぼせてない?あんまりお湯、熱くしすぎないのよ」
「うん。大丈夫。ありがとう」
 ジョーは、こういうシンの気遣いがとても好きだ。シンのことを、素直に優しいなと思える。
「ウィルがね、仕事が早く終わったからって帰ってきたの。だから一緒に晩御飯食べましょう」
 へぇ、めずらしい・・・とジョーは聞きながら思う。
「わかった。もうすぐ出るね」
「はいはい」
 二回答えてシンの影が消える。ジョーは湯船の端に踵を乗せると、深く湯につかりながら最後のため息をついた。




***Men's matter, Boys' matter.***



 スウェット地の半パンにTシャツという格好で、ジョーは食事の支度が整ったテーブルを見下ろした。
 今日の夕飯は炊き込み御飯に魚の煮付けなど。大好きな和食一色に思わず顔がほころぶ。肩に乗せていたタオルを取って適当に頭に巻きながら、ジョーはシンを見た。
「親父は?まだ帰ってないの?」
「え?・・・あれ、いまそこに居たと思ったのに。二階かしらね?」
 台所で漬物を切りながら、顔だけだして答えるシン。ウィルの部屋は二階の端。着替えでもしてるのだろうかと、ジョーは後ろをチラリと振り返り、驚きに飛び跳ねた。
「うおっ!You scared me!(驚かすなよっ!)」
 知らぬうちに背後に立っていたウィルに、ジョーが震える声で返す。すると、ウィルがそんな息子の姿を、上から下まで舐めるように見ながら言った。
「お前、またその下・・・穿いてないのか?」
「へ?あ、あぁ。穿いてないけど・・・」
 真面目な顔で聞いてくる父に、訳が分からずに答える。風呂上がりに下着を着けないのはいつものこと。寝る時に殆ど服を着ないのも、いつものことだ。何をいまさら・・・と思っていると、ウィルがジョーを軽く手招きして自分の前に立たせた。
「なんだよ・・・?」
 そのままクルリと向きを変えられ、ジョーがウィルに背を向ける格好になる。そして、間髪入れずにウィルがジョーの尻を鷲づかみにした。
「わっ!なにすんだよっ!child abuse(幼児虐待)か?」
 途端に跳ね上がったジョーの身体が、そのままウィルから離れる。振り返って乱心の父を振り返ると。いつもの不敵な笑顔でウィルが言った。
「誰が幼児だよ、そんなデカイ図体して。お前、いまいくつだ?」
「え?16で、もうすぐ17だけど・・・」
 息子の歳も忘れたのか?と言いたげなジョーの顔。すると、ウィルが自分の席の椅子を引きながら返した。
「歳じゃなくて身長。いくらなんでも息子の歳を忘れるほどボケちゃいねぇよ」
「多分、175くらいだと思うけど・・・」
 そして、ジョーもウィルの向かいの席に椅子を引いて座る。が、すぐに立ち上がって全員分の箸を持って帰ってきた。
「最後に測ったのいつだ?まだ伸びてんだろ?」
 箸を受け取りながらウィルが言う。ジョーはシンの席に箸を置き、今度こそしっかりと座った。
「向こうで学校の始まる時に測ったから・・・8月の終わり。半年以上前だな。まだ伸びてると思うけど?」
「そうか・・・」
 そこまで話したところで、シンがキッチンから戻ってくる。
「お待たせ。じゃあ食べましょ」
「いただきます」
 ジョーが両手をあわせ、ウィルは普通に食べはじめる。シンはその両方を見ながら、面白い親子だなと思った。
「美味しい!・・・シンさん、これなに?」
「それは白和えよ。豆腐が好きなら大丈夫だと思うけど」
 聞くが早いか、ジョーは既にそれを口に運んでいる。箸の使い方も慣れたもので、そこら辺の日本人よりもよっぽど上手だった。
「あ、ちょっと甘い」
「食べられる?」
「うん。好きな味」
 そして普通に食べ続ける。高校生らしい元気な食べっぷりに、シンは感心しながらも嬉しく目を細めた。
「でさ、親父」
「ん?」
 箸先で魚の骨を取りながら、ジョーが呟く。ウィルも食事の手を止めぬまま、返した。
「なんで突然そんなこと聞くんだよ」
「あぁ・・・」
 そのことか、とウィルは口の中のものを飲み下す。
「今日、今度モデルやる雑誌の担当者と会ってきたんだがな、俺に高校生の息子がいると知ったら会いたいって言い出したもんだから・・・」
「なにそれ。会ってどうするのさ」
 魚を食べる手を止めて、ジョーが顔をあげる。
「好みに合えば、お前も出せないかと思ってるんじゃねぇか?企画モノのために、まだそんなに露出してないモデルが何人か欲しいらしいぞ。・・・ま、お前をモデルにする件は、うちの事務所の奴にも言われたがな」
 淡々と語る父を、ジョーは瞬きも忘れて見つめる。シンは視線を左右させながら、二人の様子を見守っていた。
「で、親父はなんて答えたんだよ」
「『さぁ、本人がなんて言いますかね』って言っておいたぞ。お前がやりたきゃやればいいし、やりたくなきゃやる必要なんてない」
 まぁ、それならいいけど・・・という顔をしながらも、なにか釈然としないジョー。綺麗に色づいた炊き込み御飯をもぐもぐと食べた後、再び口を開いた。
「モデルするのに、そんなに尻って重要なのかよ」
「そりゃ大切だろう。ましてや、脱ぐともなればな」
 ・・・・・・・?
 着々と食事をしながら、やはり淡々と語るウィルに、ジョーは箸を置いた。
「脱ぐって・・・?」
「その雑誌の企画っていうのが、『女性カメラマンの撮る男性ヌード』っつーもんだからな。お前が出るとなれば、脱ぐことになるだろ?だから、一応どんなもんか確認してみた」
「確認・・・って。じゃあ親父も脱ぐのか?その年で?」
 あ痛。と、シンは『その年』の部分にだけ静かに反応する。高校生の息子を持っているが、ウィルはまだ男盛りの36歳である。モデルをやるだけあって、スタイルだって悪くない。それを、こんなにあっさりとオジサン呼ばわりするのは、やはり若さって奴よねー・・・と、自分の昔を懐かしく振り返りながら、シンは思った。
「仕事だろ?」
 何を馬鹿なことをと言わんばかりに、ウィルが返す。ジョーはそのウィルの言い方が気に触り、ムッとした顔で言った。
「じゃあ別に親父が脱ぐことはいいよ、それで。でもな、何処の世界に16の息子に脱げっていう父親がいるんだよ!?」
「俺は、お前に脱げなんて言ってねぇだろ。やりたきゃやればいいって言ってるだけじゃねぇか。それにな、俺が女と寝て初めて金もらったのは14の時だ。16で脱ぐくらい訳ねぇよ」
「なぁにぃ〜〜っ!」
 寺内貫太郎一家よろしく、二人の間に炎の欠片が見え始める。ジョーの腰が浮き気味になるのを見たシンが、思わず両手を出して言った。
「ちょっとちょっと。待ってよ。ウィルったらなに過激なこと言ってんのよ。ジョーくんに出張ホスト薦めるようなこと言わないの。ジョーくんもちゃんと座って。ウィルもきっと、お世話になってる事務所の人に、聞いてみてくれないかって言われて断れなかっただけだと思うし。ジョーくんが嫌なら、やらなきゃいいだけの話じゃない。ね?」
 仲裁に入ったシンの言葉に、ウィルは黙々と食事を続ける。ジョーも、不満気に息をつきながらも、再び箸を持って食事を始めた。
 たまに顔を合わせると、二人は良くケンカをする。とはいえ、もっぱら売るのはジョーの方。ただウィルも、口もガラも悪い所為か、上手い具合に火に油を注ぐ。だから早めに鎮火させないといけないのだった。
「・・・・会わねぇからな」
 食事の合間にポツリとジョーが漏らす。シンがウィルを見ると、ウィルは無言のまま食事を続けている。
 これが、根深い火種にならなければいいけど・・・とシンはため息をついた。




***Men's matter, Boys' matter.***



 街を行く、人の流れ。今日もジョーは、学校帰りに喫茶店でアイスティーを飲んでいる。そしてその喫茶店は、この間の喫茶店だった。
 昨日もここに来た。ちょうど同じ時間、同じ席。
 けれど、大澤は現れなかった。会計が早かったし、打ち合わせによく使ってる店なら、いつもくるのかなと思ったけれど、そういう訳ではないらしい。
 とはいえ、別に待ち伏せている訳ではない・・・と自分では思っている。偶然向こうが来る時に、自分も居てしまうことがあるかもしれない・・・と思っただけで。
 だが、今日も昨日も、一昨日も大澤は来なかった。せめて一目、どんな奴なのかが分かればすっきりする筈なのに・・・。
 なんなんだろう。あの男の言った言葉が頭から消えない。あの声が、あの吐息が、あの笑い声が、こびりついて離れなかった。
 少しだけ見えた後ろ姿。日本人にしては背は高い方になるのかな?髪は短かった。黒髪で、涼しげな声をしていた。
 窓の外に視線を投げると、今日も暮れていくオレンジの空。二度と同じ雲のカタチを見られないように、あんな偶然は二度とないのかな・・・とジョーは下唇を軽く噛んだ。目の前には、今日も溶けた透明な水をトッピングされた茶色い液体。ストローで掻き回すと、小さくなった氷がチリチリとガラスにあたって鳴った。
 もう味を覚えそうなほど、何度も飲んだこの店のアイスティー。掻き回して一口飲むと、ジョーはストローから口を離して、トレーナーのポケットに手をいれた。
 その瞬間、ふと頭をよぎる記憶。
 ジョーはトレーナーのカンガルーポケットに入れた手を引きぬき、ジーンズの後ろポケットに指をさし入れた。
 指に触れる、一枚の紙切れ。
 取り出すとそれは、あの時拾った大澤の名刺だった。




***Men's matter, Boys' matter.***



改めて思いますが、ワシの話ってば
食べてばっかり・・・・・・・(^^;)
でもこれからもきっと食べ続けます(^^;)
悪しからず(笑)。