「大人・子供(オトナノジジョウ・コドモノジジョウ)」

乙姫 静香






 伝えたいことは、いつもとてもシンプルなこと。
 欲しいものだって、きっと誰もが持ってるもの。


 僕の言葉は、音にならない小さな叫び。




***Men's matter, Boys' matter.***



 窓の向こうから射し込む光に、ジョーの虹彩が益々薄い色に見える。薄い茶色に透ける髪の毛も、光を受けて金色に見えた。
「おい、お前なに持ってる?」
 飛行機に乗ってすでに十時間以上。隣りに座っている彼の若い父親は、自分でもって来たポータブルCDプレイヤーの蓋を開けながらジョーに問い掛けた。
「タツローと坂本龍一。あとは全部スーツケースの中」
 ぶっきらぼうに答えると、ジョーは10枚入りのCD携帯ケースをウィルに渡す。ウィルは相変わらずな息子の音楽趣味に口を歪めると、再び自分のケースを取り出した。
「趣味が合わねぇって分かってんだから、イチイチ聞くなよ」
 洋楽好きのウィルと違って、アメリカ生まれのアメリカ育ちでありながら、ジョーは邦楽が大好きだ。タワーレコードに行っては、輸入された日本のCDを高額で買い求め、幼い頃から聴き漁っていた。見た目のバタ臭さとは違って、食の嗜好も音楽の嗜好も和そのもの。ただ、それは嗜好というレベルを越え、執着と言っても過言ではない程だったけれども・・・。
「ちっとは育ったかと思えば・・・。アホなコダワリしやがって」
「山下達郎のどこがアホなコダワリだよ!聴きもしねぇくせに、分かったようなこというな」
 そんなジョーの反論を聞いているのかいないのか、ウィルのヘッドフォンからはジャカジャカとしたロックな音が漏れてくる。そのままウィルが目を閉じると、ジョーは冷たい視線を父に投げ、再び視線を窓の外に投げた。
 あと数時間で日本に着く。夢にまで見た、日本での生活。
 ジョーを生むためだけにアメリカにやってきた彼の母は、ジョーが物心付くか付かないかのうちに男を作って家を出た。その後、父が新しいオンナやオトコを作るたびに彼の母親役は変わっていったが、最後までその役になり続ける者はいなかった。
「お父さんにはね、誰か居るのよ」
 と、ジョーが10歳くらいの時に母だったウィルのオトコが言った。その時のその言葉が本当かどうかは分からないが、とにかくウィルは一人と長く続けるということができない。最初はそんな父親に苛立ったものだが、中学になる頃には、新しい母親に髭が生えていることにも慣れた。
 正直言って、この父のような人間には死んでもなりたくないと思う。
 どうやったら、日替わりランチのように相手を取り替えられるのか?不思議でたまらない。引っかかってくる相手も、このオトコの何に魅力を感じてついて来るのかも分からない。きっと親子でなかったら、さっさと縁を切っているだろうと、ジョーは常々思っている。そして、そんな風に日替わりの母親を持ったジョーは、子供にしては早いうちに生きていく術のいくつかを体験から学んだ。
「おい。お前、俺のパスポート持ってねぇか?」
「んなの、俺が持ってる訳ないだろ!自分のパスポートくらい自分で管理しろよ」
 目を開けたウィルに聞かれ、半ばキレぎみにジョーが答える。
「日本に着いたら、くそオヤジの面倒なんかみねぇからな!」
 今まで何度となく吐き捨てたセリフ。ただし、一度として実現したことはなかったけれど・・・。
「日本に着いたら・・・日本に着いたら・・・」
 今まで何度も夢に見た、日本での生活。

 そこから、すべてが始まるのだと思っていた。




***Men's matter, Boys' matter.***



 日本に着いてからの数日は、飛ぶように過ぎた。
 ウィルの知り合いの家に身を寄せ、生活用品を揃えたり、学校の手続きをしたり。果ては電車の乗り換えの仕方なんてことまで教えてもらった。同時にウィルはモデルとしての仕事を始め、家に居ないことが多くなった。
「淋しくない?」
 と聞いたのは、居候先のシン。ウィルが日本に居た頃からの友人との話だが、最初見た時は、とてもあの父の友人とは思えなかった。
 というのも、このシン、年齢はウィルと変わらないくらいなのだが、スングリとした体型といい、髭に包まれた顎といい、どうみても熊っぽい。おまけに人の良さが全面に出た笑顔も、あくまでも腰の低い態度も、およそウィルとは対極にいるような人間だった。
 一瞬、まさかこれが新しい母親か?とジョーは仰天したのだが、そういう事実はないようである。
「別に、いつものことだから・・・」
 ジョーは答えると、畳の部屋に正座をして洗濯物を畳み、縁側で飲むための緑茶をいれる。
 ジョーは初めて住む日本の家が嬉しくてたまらないらしく、ひと部屋もらえると知った時も、わざわざ一階の外れにある和室を選んだ。
「ジョーくんは、お父さんのことキライなの?」
 シンはどこか心配そうにそういうと、縁側に並んで一緒にお茶を飲みはじめる。シンはウィルとの関係はないらしいが、湯飲みを持つその小指はしっかりと立っていた。
「ねぇ・・・シンさん。小指・・・」
「あ、ごめんね。気になる?」
「いや、そんなことないけど・・・」
 そう。ジョーの新しい母親ではなかったが、シンの心は見事に女性だった。
 ただ、表向きは普通の男で通しているので、シンのこんな姿を見ることができるのも、極限られた人間だけ。ジョーは、育った環境の所為か、すぐにシンの性癖を見抜いていた。
「シンさんは、なんであんなくそオヤジの友達やってるの?俺の知る限り、シンさんってあのオヤジの友達の中では一番まともだと思うんだけど・・・」
 春の日溜まりの中、縁側で二人、お茶を飲む。シンはまた少し悲しげな顔をすると、ジョーの横顔を眺めながら言った。
「そりゃ好きだからに決まってるじゃない。確かに、ウィルも昔は随分無茶もしたけど、それでもアタシには優しかったし、仲間の面倒見も良かったのよ。忍ちゃんのことがうまく行かなかったのが、いまでも残念といえば残念だけど・・・」
「忍ちゃん?」
 今まで聞いたことのない名前に、ジョーが首を傾げる。すると、やばいことを言ってしまったと顔に書き、シンが慌てて返した。
「あっ・・・と、それはね、あのー・・・ごめんね。お父さんには、その名前は出さないでくれる?やぁねー、つい口が滑っちゃって」
「うん。・・・オヤジには言わないけど、でも・・・誰それ?」
 シンとの共同生活が始まり、毎日それなりに話もするけれど、その名前は初めて聞いた。というより、過去のアメリカの生活の中でも、ウィルの持ち物の中にも、その名前は登場しなかった。
「忍ちゃんはね、お父さんがアメリカに渡る前に付き合ってた子なの。まだ中学生だったんだけど、とにかく日本人ばなれした綺麗な子でね、二人が一緒に居ると・・・ほら、ウィルも独特の凄味っていうか、あるでしょ?だもんだから、目立ったわよー。二人でいると、他のみんなが近づけなくって・・・」
「ふぅん・・・」
 その説明を聞いて、なぜだかジョーは、自然にその「忍」のことを女だと思った。アメリカに渡る前というと、ウィルもまだ十代だった訳だ。まぁ、中学生と付き合ってもおかしくはないだろうけど・・・。
「仲、良かったの?」
「良かったわよー。いっつも一緒にいたし、忍ちゃんが他の男と話そうもんなら、ウィルなんか怒りまくって、独占欲の固まりって感じ。でも忍ちゃんもそこまでするウィルを選んだんだから、好きだったんだと思うわー。最後には家出して一緒に住んでたものね」
 ウィルからは何人もの「過去」を聞かされていたのに、その名前はなかったな・・・とジョーは思う。大体、ウィルが自分の恋人に対してのヤキモチを焼いている姿など見たこともない。いつも、追いかけさせるのが常だし、ジョーの母親が他に男を作った時も、攻めやしなかった。
 だから、それがウィルの恋愛スタイルなんだと思っていた。
「お父さんにはね、誰か居るのよ」
 なぜだか、昔聞いたそんな台詞を、ふっと思い出した。
「ふぅん・・・」




***Men's matter, Boys' matter.***



 ジョーの母親もハーフだったとウィルから聞いたのは、ジョーが小学生の頃だった。
 しかも日本とアメリカ以外の組み合わせだということをほのめかされ、子供心に自分は何者なんだと思ったことを覚えてる。記憶の中の母親は肌の白い、しかしアジアの香りも漂う人だ。ということは、組み合わせは違いこそすれ、父親と似た系統のコンビネーションなのだろう。
 なのに、鏡に映る小学生の自分は、普通のアメリカ人といっても遜色のない風貌をしていた。1/2と1/2を足しても1にはならないじゃないかと、鏡に映る自分に毒を吐いたが、今にして思うと、アジアとは逆の方向に1になる可能性もあることに気付いてなかった自分が笑える。
 別に自分のルーツがどうとかこうとか、あの時の自分はそこまで考えていた訳ではないけれど、妙に『日本』にこだわり出したのは、あれからだったように思う。
 学校とか近所ではもちろん英語だったが、家の中で父と話す言葉はすべて日本語だったし、日本のビデオを借りて見まくったり、日本の食事にこだわったり。週末には日本語学校に通わせてくれと父にせがんだ。
 ウィルは特に反対もしなければ、賛成もせず、ジョーのしたいようにさせていた。
 説教めいたことを言ったのは、たった一度。
「お前はお前じゃねぇか」
 これだけだった。
 しかしながら、育ってみると、あれほど色素の薄かった髪の色も程よい茶色に変わり、顔つきも、日本人にしてはバタ臭く、アメリカ人にしてはオリエンタルな、まぁ、普通のハーフ顔に収まっていった。
 ただ、それだけではおさまらない『何か』はあったけれど・・・。




***Men's matter, Boys' matter.***



 街を歩く。
 まだ、日本に来たという実感がそこまで湧いてこないのは、街の所為だろうか。
「東京だからじゃない?」
 とシンが言うように、東京を離れたらもっと日本だなって思えるのだろうか。
 アメリカにいた頃は、こんなに街中に外国語が溢れてるなんて思わなかった。
 シンの家の周辺もそうだ。思ったよりも、映画で見たような伝統家屋が少ないし、着物の人口も少ない。
 それよりも、ジョーが驚いたのは、思いのほか笑顔が少ないことだった。
 重い扉を次の人のために開けて待っても、笑顔は無いし、歩道を走る自転車に道をあけても礼のひとつも言われない。店の中で他の客と目が合っても、ふいっと視線を逸らされる。
「それが日本の礼儀なのよ」
  と、これもシンに言われたけど、よくわからない。昨日、電車の中で目が合った女子高生に微笑みで返したら、その二人連れは興奮したように声にならない叫びをあげていた。
「ジョーくんの顔でそれをやっちゃだめよー。ナンパだと思われるわよ」
 状況を想像したのか、シンは声をあげて笑っていたが、ジョーは笑えない。
 こんな筈じゃなかったのに・・・という気持ちが、少なからず胸の中に広がりつつあった。
 日本に来たら、もっと違う感情がこみ上げる筈だったのに。
 すぐに家に帰る気もせずに、ジョーは喫茶店に入る。窓際にある見晴らしの良い席に座ると、背もたれに体重を預けて深いため息をついた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
 気を抜いたのも束の間、ウェイトレスの声に、即座に背筋を伸ばして顔を上げる。
「あ・・・・えと、アイスティーください」
「ミルクとレモンのどちらになさいますか?」
 無表情で続けるウェイトレスに、ジョーはまた不思議な感覚に捕らわれる。それでも、気を取りなおすと、微妙な笑顔を浮かべて返した。
「レモンで」
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
「少々お待ち下さい」
 踵を返して歩いていくウェイトレスの後ろ姿を見送り、ジョーは再び背もたれに体重をかける。そして今度は、さっきよりもさらに深いため息をついた。
 生まれてから十七年間。ずっとずっと来たかった日本。その日本に今居るのに、この何とも言えない気持ちはなんだろう?ウィルも、こんな気持ちになってるのだろうか?とジョーが思いながら窓の外を眺めている時に、アイスティーが運ばれてきた。
「お待たせしました」
 アメリカのウェイトレスとは、明らかに目を合わせる回数が違う。これが日本式というのなら別に嫌がられている訳ではないと思うのだけど、ただ、どうしてなのかな?と思った。
 昨夜、アメリカの友達からメールがきていた。「アコガレの日本はどうだ?」と書かれていたけど、すぐに返事を書けなかった。まだ、自分でもよく分からなかったからかもしれない。
 自分は、アメリカに戻りたいと思ってるのだろうか?にしても、まだまだ日本のことが分かった訳じゃない。でも、今見えている日本は、あまりにも自分が思っていたものと違っていた。人も、景色も・・・。
 きっと、この気持ちを説明してもウィルには分からない。そもそも、ジョーの話をちゃんと聞くかさえ怪しい。シンに話しても、きっと分かってもらえないだろう。学校に、まだここまでの話をできる友達はいないし、それに、こんな話は・・・ちょっとしづらい。
「なんで、来たのかな・・・・」
 家では、できない呟き。すると、黙りこくったジョーの耳に、仕切りの向こうから声が聞こえてきた。
「どうもありがとうございます。お疲れ様でした」
 決して事務的ではない、心のこもった声。高くも低くもなく、それでいて張りのある声に、ジョーの目がぱっちりと開いた。
「いえ、すみません、遅くなってしまって」
 それに応えたのは、若い女の声だった。こちらは、恐縮しているのが分かる低姿勢の声。不安感のあることが、声からも分かった。
「大丈夫ですよ。待った甲斐がありました。とても、素敵な作品だと思います」
 ごそごそと紙の音が聞こえる。作品って・・・漫画か何かか?とジョーは耳に神経を集中した。
「よかった。大澤さんにそう言っていただけると、ちょっと安心します」
 そして、安堵のため息。声のトーンが柔らかくなって、聴いてるこっちも安心する。
「大丈夫ですよ。きっと良い反響があると思います。というか・・・僕は、先生の今までの作品の中で、これが一番好きです」
「本当ですか?」
 穏やかに語り続ける男の声。ジョーは、好きな声だな・・・と思った。
「本当ですよ。上手く言えないですけど、不安定な主人公の気持ちが丁寧に描かれてると思います。自分の根っことか、拠り所みたいなものを求める気持ちは、僕も分かりますし」
 その瞬間、じわっ。何かが、染みるようにジョーの胸に広がる。目の前にあるアイスティーのグラスの外側を、水滴が伝って落ちた。
「そうですか?よかった・・・。書いてて、ちょっとこだわり過ぎかなって思う時もあったんですけど、どうしても外せない所だったんで・・・」
「あぁ・・・でも、人ってやっぱりどこかで安心したいとか、自分の存在証明とか必要だと思うんですよね。どんなに突っ張っても、その突っ張る足の置き場がなければ脆いもんだと思いますし、家庭とか、友達とか・・・大きな話で言えば国籍とか、それが誇れるものであるか、愛せるものであるかって、人生そのものに大きく影響してくると思うんです」
 フード付きトレーナーの前ポケットに両手を突っ込んだまま、ジョーは黙ってその声の話を聞いていた。店内に流れるポップスも耳に入らない。ただ、その声の言うことが、痛いほどによく分かった。
「先生がこだわったのも、間違いじゃないと思いますよ。この作品に奥行きが出てるのは、その所為ですから」
 そして、緩和。言われた女の方の気持ちが落ち着いてるであろうことは、ティーカップが置かれる音に続いて届いた吐息で分かる。ジョーは、口をへの字にして動かないままに、心の中で大澤と呼ばれた男の言葉を繰り返していた。
「誇れるものであるか、愛せるものであるか・・・」
 それはずっと、ジョーが探していたモノ。探して求めて、ここまで来てしまったモノ。
 水が染みて、初めて傷があったことに気付くように、ジョーはその言葉の意味を噛み締めて、初めて自分の胸の怪我に気付いた。
「大澤さんに言ってもらえると、本当に大丈夫って気がするから不思議です」
 女が嬉しそうに言い、大澤がクスリと笑みを漏らす。
「なに言ってるんですか、先生は自信のある作品しか渡さないって、存じてますよ」
 そして、続く談笑。ジョーはその間も、頼んだアイスティーを一口も飲まずに、じっと何かを考えていた。
 どうしてだろう。気になって仕方が無い。自分には分からない内輪の話しかしてないのに、大澤の声が耳について離れない。しかもなぜかそれは、どこか優しく響いていた。
 どのくらいそうしていただろう。窓の外がオレンジ色に変わり、店内の灯りが、温かく感じられるころ、会話の切れ目をついて大澤が言った。
「あ、これ新しい名刺です。携帯の番号が変わったんで、なにか緊急の時はこちらにお願いします」
「それ、さっきの封筒にもはいってましたよね?頂きました・・・・よ、あれ?」
 ごそごそと、紙の音がする。しかし、それは止まることなく続いた。
「あれ、おかしいな、さっき見かけたと思ったのに・・・。私の勘違いかしら?」
 いまだに封筒の中を探りながら、女が困ったように言う。しかし、大澤はそれに少しも動じることなく、爽やかに言った。
「もしかしたら、僕が入れ忘れたのかもしれません。念のためもう一枚お渡ししておきますね」
「すみません〜」
 ジョーの目の前では、溶けた氷がグラスの中で透明な層を作っている。なぜだかその女の声に少し苛立ちながら、ジョーはストローでグラスの中をぐるぐると掻き回した。
「じゃあ、すみません。これからまた社の方に戻りますので」
「今度は、ご飯でも食べましょうね」
「はい、是非」
 耳障りな女の声に、ジョーがグラスになみなみと残っているアイスティーを一気に飲みにかかる。
 仕切りの向こうで、席を立つ音。ジョーは胃を冷やしながらそれでもアイスティーを飲むと、勢い込んで立ち上がった。
 仕切りの向こうを見ても、もう誰も居ない。慌てて視線を巡らせると、いま正に店を出て行こうとするスーツ姿。ジョーはテーブルの端に置かれた伝票を鷲づかみにすると、大澤の後を追って席を立った。
 焦る手で会計を済ませ、店の外に飛び出る。
 が、大澤らしきスーツ姿は、人込みに紛れて見えなくなっていた。
「何やってんだ?俺・・・」
 そろそろ家路を辿る人口が増え始める頃。しかし、どこか足早な人の群れの中に紛れようとした時、ジョーはなにか物足りないものを感じた。
 店に入るまで、手に持っていたキャップだった。
 今持ってないということは、店の中にあるということ。恥ずかしいなと思いながらも店に戻ると、それを出迎えたウェイトレスに短く言った。
「あ、忘れ物したんですけど」
「そうですか、どうぞ」
 警戒心もなく促されるままに、店の中に入り、自分の座っていた席に戻る。自分の席も隣りの席も、まだ飲み終わったものがそのまま置いてあった。
 席の上に置いてあったキャップを掴んで、また歩き出す。すると、隣りの席の横を抜けた時、ジョーの目に白いものが止まった。
「?」
 高い背をかがめて、その小さな紙切れを拾う。顔を上げると、目の前には片付けにやってきたウェイトレスが立っていた。
「あ、すみません・・・」
 そそくさという言葉が似合うような足取りで、ジョーが店を出る。キャップを被り直して、ポケットに突っ込んだ紙切れを取り出すと、ジョーは薄暗い街灯の下で、そこに書かれている文字を見た。有り難いことに、アルファベットでふりがながふってある。
「イチハチ・・・。オオサワ・・・ヨシ・・・ユキ・・」
 連れも「大澤」と呼んでいたから、きっとこれがあの声の主。
 ジョーはしばらく、その名刺を見つめたまま、人込みの中に立ち尽くしていた。よく分からないけど、なんだか気になる。
 聞いたこともない出版社。全く知らない男。なのに、なぜか・・・。
「顔くらい・・・見ときゃよかったな・・・・」
 アイスティーの一気の飲みで冷えたお腹を抱えながら、ジョーは春風の中にポツリと呟いた。




***Men's matter, Boys' matter.***



さて、大澤とジョーの番外編です。
この話で、いままでひっぱりに引っ張りまくっていた忍とウィルの
過去もそれとなく匂う予定です(←まだひっぱるのか!?)。
テーマソングはスピッツの『ジュテーム?』辺りです。

「うれしいぬくもりに包まれるため
いくつもの間違い重ねてる
ジュテーム?バカだよな」
/作・草野正宗

という雰囲気が伝わればいいな・・・・と(笑)