二日目。
 俺は尚也と横須賀にいた。目の前には軍艦、灰色の空が広がる。
 昼過ぎの公園には人影もまばらで、のんびりするにはちょうどいい雰囲気だ。尚也はベンチに座りながら、ブランコを漕ぐ俺に言った。
「子規くん英語は?」
「え?」
 ブランコからひょいっと飛び降りる。よくこれでどこまで飛べるか、友達と競争したもんだ。
「話せるの?」
 尚也に言われて気が付く。そんな・・・俺、話せない。
「尚也は?」
「少しはね」
 余裕があるのかそれとも元々そういう顔なのか、尚也が静かに微笑む。本当に、尚也って一体何者?
「あっ」
 そう思った端から、尚也が俺の後方を見て手を振る。振り返ると、背の高い黒人さんがこちらにやって来ていた。
「Hi!」
 優しそうな笑顔でそう言ってくれるものの、身長180cmの尚也が小さく見えるくらいだから相当なでかさだ。太腿なんて俺のウエスト位あるんじゃないか?腕だってすごく鍛えてるのが分かる。これじゃあ日本が戦争に負ける訳だよなぁ。
「Thank you for coming. I'm Naoya Takewaki, I called you yesterday. And this is Natsue's son, Shiki Masaoka.」
「Oh! Is he !? I'm very, very glad to seeing you Shiki. I'm Sam.」
 目の前でなんかインターナショナルな雰囲気が広がりつつある。俺の名前が出たことだけはちょっと分かったぞ。
「子規くん。こちらがサムさん。君のお母さんとマシューさんのことを良く知ってるらしいよ。会えて嬉しいって」
「は・・ハイ!ナイストゥーミーチュー」
 見事なカタカナ英語で握手を交わす。握力もなかなかだぞ、サム。あはは、ひきつり笑い。でも、サムの笑顔はとっても晴れ晴れとしていて、それがちょっと俺の緊張をほぐしてくれた。
「So, Mr. Jackson, Shiki has something to ask you about his mother and Mr. Takigawa. Is it Okay to you?」
「Sure, whatever. And, just Sam is fine.」
「Okay.」
 なんか言って、尚也がサムに微笑む。そして尚也が俺を見た。
「で、子規くん。聞きたいことって?」
 公園の木のテーブルを囲んで俺たち三人が座る。俺の隣りには尚也。尚也の奴、英語少しって・・・素人の俺が聞いても、なんか話しなれてるように聞こえるぞ。ま、助かったけど・・・。
「あ・・・あの・・Who is・・・Mr. Takigawa ?(滝川さんって誰ですか?)」
 うわっ!中学生レベルの英語だよ。で・・でも頭の中がなんか真っ白。よくよく考えてみれば滝川さんのことを聞きたくて来てもらってるのに、いきなり「誰ですか?」はないよな。どんな人ですかって聞きたかったのに・・ううう。英語もっと勉強しておけばよかった。
「Well, he is a friend of mine, very old friend. I'd known him for 20 years. He was my senior when we were in college. He was loved by everybody. He was the last man that betray or hurt somebody.」
 ゆっくりとしゃべってくれる上に、身振り手振りをつけて俺が分かってるかどうか確認しながら話してくれている。いい人だな、と思った。でも、最後の方がちょっと・・・。

「古くからの友人で、もう知り合って20年ほどになる。大学の先輩で、みんなから好かれてたって。そして、決して誰かを裏切ったり傷つけたりしない人だったって」
 俺の当惑顔に尚也があっさり訳をくれる。そのまま通訳を任せてしまいたいとも思ったけど、やっぱり自分で聞いた方がいいよな。俺のために来てもらったんだし。
「そ、それで・・・Why he write・・・letter・・my mother・・・あれ?分かります?」
「ア、スコシ。Do you wanna ask why he wrote a letter to your mother ?」
「Right.」
 横から尚也が答える。すると、サムが少し俺の顔をじっと見つめて黙りこくった。なんで、マシューさんは俺の母さんにあんな手紙を残したのか。サムが小さく息を付いた。
「I think you know everything, don't you ?」
「え?何?・・・俺が知ってるかって・・・?何を」
 つい日本語が口をついて出る。尚也がそれを訳してくれた。
「He said "what is everything ?"」
「The relationship between Matt and Natsue.」
 サムが尚也を見る。尚也は俺の方を見て、サムの言葉をそのまま訳した。
「サムが、君はマシューさんと君のお母さんの関係を知ってるんじゃないのか?って」
 尚也にはまだ話していないことだった。俺は尚也の目を見返し、しっかりと肯いた。
「恋人・・・だったんでしょ?」
「Shiki asked if Mr. Takigawa and his mother were dating or not ?」
「Yeah, they were very good couple. They were like・・・born for each other.」
 尚也の通訳に、サムが答える。俺が無言で尚也を見ると、尚也が言った。
「とても素敵な恋人同士だったって。まるで・・・お互いがお互いのために生まれてきたような感じがしたって」
 瞬間、きゅっと胸が痛くなった。それなら・・それならなぜ。
「Why did he go back to America !?」
 これはちゃんと言えた。一番聞きたかった質問。俺は、膝の上で握り締めた拳を静かに震わせた。
「Because he had to. He had to go back to US, and your mother couldn't go with him. They loved each other so strong, but the situation didn't let them be together.」
 なにかサムが言い訳してるのだけは分かった。そしてそれが俺の求めている答えでなかったということも。帰らなくちゃいけなかったから帰ったって・・・俺の母さんが一緒に行けなかったって・・・でも、でもそんな・・・。
「But・・・my mother・・・」
 視界が涙でにじむ。うわっ、ここで泣くのは、なんかやだ。でも、納得いかない。言いたいことはたくさんあるのに、何て言っていいのかよくわからない。自分で聞かなくちゃ、自分で解決しなくちゃいけないのは分かるんだけど、でも・・・駄目かも、オヤジ。
 ポタポタと机の上に零れる涙。英語にならない言葉は、小さな鳴咽に変わって俺の喉を締め付ける。俺がもはや何も言えずに俯くと、手がふと暖かくなった。尚也の手が、膝の上で握り締めてる俺の手に重ねられていた。
「俺が聞いても、いいかな?」
 俺は覗き込んでくる尚也の瞳にただ肯く。すると、尚也が俺の手を握ったままサムに言った。
「I actually don't know about this story well, but I think he wants to know something that separated Mr. Takigawa and Shiki's mother. For him, it is important to understand why they broke up. The point is not what they did was right or wrong. The point is that something is understandable or not.(僕はこの事情についてよくは知りませんが、僕が思うに子規が知りたいのは二人を別れさせたものがなんなのかだということです。彼にとって、どうして二人が別れたのかはとても大事なことなんです。重要なポイントは、別れたことが正しかったかどうかではなく、分かれた理由が彼にとって納得できるものかどうかなんです)」
 尚也が早口で捲し立てる。もはや何を話しているかはさっぱり分からなかった。
「Well・・・」
 サムは言葉を止めて俺を見る。言葉を選ぼうとしているのか、それとも言いあぐねているのか、その目は俺の向こうにいる俺の母さんを見ているような気がした。
「I wish I could answer to this question. Unfortunately I wasn't here at that time. I hadn't heard about them since I went to home. Then, Shiki had been born when I came back to Japan. As you know, Matt had never come back to Japan, though・・・(それについてはよくわからないんだ。残念ながら、その当時私はここにいなかったからね。私がアメリカに帰ってから彼等のことは聞いてなかったし、日本に帰ってきた時には子規くんはもう生まれていた。君も知ってる通り、マットはもう日本には帰ってこなかったけど・・・)」
「So, how did you know about them after that ?(ではその後の二人のことをどうやって知ったんですか?)」
 尚也が何かを聞き返す。俺は涙を拭いて、空を見上げた。
「Our another friend, who got letter from Matt, told me about it. He just told me that they broke up because Matt's mam needed him so bad.(私達のもう一人の友人、この手紙をマットから受け取っていた奴なんだけど、彼が教えてくれたんだ。マットのお母さんが彼をとても必要としていたために、彼等は別れなければならなかったって・・・)」
 尚也が小さく頷いて、俺を見る。俺は尚也に小さく頷きかえすと、かすれる声で呟いた。
「もう・・・いいよ。もう、分かった」
 鼻をすする俺に、尚也がサムに礼を言う。サムが俺に会えて嬉しかったというようなことを言ってくれ、俺もそれに笑顔で返した。
「Thank you very much.」
 この言葉は学校で教わってて良かったなと思う。今日の中で一番、伝わってる自信がある言葉だった。
 俺たちは立ち上がり、サムが俺に温かいHugをくれた。その後も尚也がサムに何かを言っていたが、俺は足元を見つめていた。なんだか酷く、胸が痛かった。
「See you !」
 手を振って別れる。サムの姿が視界から消えると、俺は尚也に背を向けて、またベンチに腰を下ろした。一度は止まったと思った涙が、またあとからあとから溢れてきたのだ。
「・・・っ・・・」
 公園を渡る緩やかな風が、俺の背中を撫でる。俺は涙を拭くのも面倒くさくなって、座ったままただうなだれた。足元の砂利に吸い込まれていく、涙の粒。
 何を期待していたんだろう。何がはっきりすると思っていたんだろう。余計に混乱しただけだ。母さんのことが、さっぱり分からない。一体何があって、どうしたって言うんだろう。
 トン・・・
 肩に触れる感触。尚也が、俺のとなりに座った。
 でも、何も言わない。黙って座っている。また何か軽口を叩くかもと思っていただけに、尚也の沈黙は大きかった。
  横の通りを流れる車の音。公園にいる子供の騒ぐ声。そんなものに混じって、声が聞こえてきた。
「マシューさんは日本で刑事事件を起こして強制送還。そういう事情だから、二度と日本の地を踏めませんでした」
「え?」
 俺は驚いて顔を上げる。それが、理由?
「そ・・・そうなの?」
「・・・嘘」
 俺はむっとして尚也の顔を睨む。尚也はそんな俺の反応を予想していたのか、いつものように薄笑みを浮かべている。
「どうしてそんな事言うんだよ」
「子規くんが何をしたいのか知りたいから」
 即答。でも、どういうことかわからない。
「理由の可能性なんて、考えようと思えばいくらでも考えられる。俺は真実はひとつだなんて思うタイプじゃない。ひとつしかないものは事実。子規くんが真実を知りたいというなら、決着をつけるのはたやすい。事実を知りたいというのなら、とことん付き合う」
「真実と・・・事実?」
 俺は尚也の言葉を繰り返す。なんで、突然そんなことを言うのだろうか?
「そう、俺の考えでは、真実は人の数だけあるんだよ。思い込みだと思うから。例えば一組の恋人が別れたとする。片方はそれを振られたと思い、もう片方は自然消滅だと思う。さて、正しいのはどっち?」
 そんな、それだけじゃ分からないでしょ。
「・・・分からない」
 すると尚也、嬉しそうに俺を見て言った。
「正解。分からない。・・・でも、それぞれの中ではそれは正しいんだよ。間違ってるという権利は周りには無いでしょ。彼等にとってはどっちも真実。事実は、どうであれ二人は別れたということ。違う?」
 俺は当惑顔で尚也を見ると、何も返せずに口唇を噛んだ。尚也の言いたいことが、よく分からなかった。話している意味は分かるけど、それで何を言おうとしているかが分からなかったのだ。
「じゃあ、俺はただ二人が別れたっていう事実を受け入れろっていうこと?」
「ううん」
 尚也が首を振る。全く、よくわからない。
「ちょっと、移動しようか?」
 尚也が言って、バイクを止めた場所へ歩き出した。




≠≠≠Maybe that's a lie.≠≠≠



 バイクで移動した先は、稲村ガ崎。既に日は落ちていた。
 遠くに江ノ島が電灯のスカートをはいてぽっかりと浮いている。尚也は再び公園の入り口にバイクを停めると砂浜に降りようと言った。
 暗い中に、波頭だけが白く浮かび上がる。白いベールのように近づいてくるその波頭は、距離感がつかめないのもあって、妙にミステリアスで少し怖かった。
 俺たちは砂浜に座ると、しばらく黙って海を眺めた。男二人っていうのも変だなと思う。でも、なんか妙に気持が落ち着いてくるのも確かだった。
「なんで、途中であきらめたの?」
 尚也の突然の言葉、俺は驚いて尚也を見た。
「あきらめた・・・って?」
「あきらめたでしょ。今日話してる途中で」
「あきらめて・・・ないよ」
 嘘だ。あきらめてた・・・と思う。もう駄目だ・・って思った。
「でも子規くん俺に言ったよね、家出してやりたい事は人探しだって。なら、なんで今日サムにマシューさんの居所を聞かなかったの?」
 図星。俺は言うべき言い訳も思い付かずに、尚也を見つめ返した。
「子規くん、英語で話そうとしたでしょ。それはすごく偉いなって思った。でも、それに行き詰まった時に投げ出したでしょ。おまけに行き詰まった理由が、動揺」
 前には波の音、背後には遠く車の音。俺は心臓が高鳴るのを感じていた。
「人探しして、その先にまだ本当の目的があるんじゃないのかな?それで、サムの話は、その目的にそぐわなかった。それで投げ出したくなった。それ以上、聞けなかった」
 淡々と尚也は言ってのける。言葉の一つ一つが、刺さるように痛かった。
「事実を聞く心構えがないのなら、人の手を煩わせてまで聞こうとしちゃいけないでしょ。子規くんの求めてるのは、自分を納得させるための真実?それとも理想とは程遠いかもしれないけど本当にあった事実?」
 尚也の目は真剣だった。他には人っ子一人いない砂浜。繰り返す波の音だけが、時の流れを教えてくれた。
「・・・・母さんが死んでしばらく経った時に、オヤジが教えてくれたんだ。俺は、オヤジとは血のつながりがないって、本当の父親は、このマシュー・タキガワさんだって。オヤジが結婚した時には既に俺は母さんのお腹にいて、それを承知でオヤジは母さんと結婚したって・・・」
 母さんの死の後に、それは再び襲ったショックだった。いろいろ聞きたい事はあっても、もう聞くべき母さんはいない。胸の中で日々膨れ上がった疑問。
 マシューさんは、俺が居ると分かって、母さんと別れたのかな?
 俺のせいで、別れたのかな?
 俺がいなければ、別れなかったのかな?
「それで、その手紙・・・オヤジが俺にくれた。好きにしろ・・・って」
「好きにしろ?」
 尚也の言葉に、頷く。オヤジは、そう言った。好きにしろっ・・・て。その言葉も、痛かった。
「で、俺・・・どうしていいか分からなくなって、マシューさんに会って、聞きたかった。どうして母さんと別れたのか。母さんの事、愛してなかったのかって」
 誰にも話さなかった、誰にも話せなかった言葉がするすると口をついて出てくる。俺はそこまで言い切ると、大きく深呼吸をした。そうしないと、胸が押しつぶされそうだったから。
「だから、マシューさんの事、探そうと思った」
 きっぱりと言いきる俺に、尚也が優しく微笑んだ。




≠≠≠Maybe that's a lie.≠≠≠