母さんは2年前に交通事故で死んだ。
 あまりにも突然の出来事に、俺も親父もしばらくは放心状態だった。自分でいうのもなんだけど、これほど問題のない家庭も珍しいんじゃないかなってくらい、うちは平和で平凡な家で、それはこれからも無条件で続いていくような気がしてた。
 だから、その現実はまるで映画の中でおこる事件のように、俺にとっては手応えのないもので、母さんは死んだんじゃなくて、ただ、どこかに行ってるだけなんじゃないかとか、そんな風にさえ感じられた。
 すごく美人でもなかったし、料理だって上手くはなかったけど、可愛い母さんだったなって今は思う。いつもニコニコしてたし、生きてることが楽しくて仕方ないって感じがしてた。
 このごろ鏡を見るたびに、顔がますます母さんに似ていってるような気がする。
 どうして、死んじゃったのかな。
 こんな大切なことも言わないままで・・・・。
 顔を伝う涙の感触に、俺は目を開けた。あ、昼寝してたんだ。
 目頭から鼻にかけて伝った涙をぬぐう。膝の上では獅子丸が仰向けになって寝ていた。
「ふう」
 大きくため息。尚也はどこに行ったんだろう。
 俺は獅子丸をソファに降ろすと、ベランダに出る。群青色の海が、キラキラと輝いていた。
 家にいるにはもったいないほどのいい天気。布団干したら気持ちいいだろうな、と思った。
 眼下の道を走ってくるバイク。この建物の隣りの駐車場に入っていく。あれって・・・尚也?
 俺は部屋に戻ると、足音を待ってみる。・・・やっぱり人違い?立ち上がってみたものの、何をしようという訳でもない。布団でも、干しといてあげようかな。
 俺は隣りの部屋を開けると、ベッドの上の綿毛布に手を伸ばした。
  ・・・・・あれ?
 ベッドの脇に置いてある棚の上。この写真、尚也・・・じゃないよな。
 可愛いというよりは、綺麗な感じの男の子。俺と、同じ歳くらいかな?海をバックに笑ってる、ダイビング用のウェットスーツ姿で。これ・・・どこだろう?
「何してるの?」
 ビクッ!
 俺は何かいけないことをしてるところを見咎められたように、慌てて振り向いた。別に、本当はやましいことなんて何もない筈なんだけど、でもなにか、その写真は見てはいけないもののような気がしたから。
「お・・お帰り」
 俺は写真立てを背後でそっと元の位置に戻しながら、ひきつった笑いを見せる。尚也はヘルメットをベッドの脇に置くと、熱そうにジャケットを脱ぎながら、俺の方に歩み寄る。
「ベッドで一緒に寝る決心でもついた?」
「え?あ?・・そっ、そういう訳じゃなくて、天気が良いから毛布でも干しとこうかなって思って」
「あぁ、ありがとう」

  あっさりと尚也に言われて、拍子抜けするものの、毛布に手をかける。それを持ってベランダの方に出ると、それについて来ながら尚也が言った。
「明日、横須賀に行こう。アポ取ったから」
「アポ・・・?誰と?」
 言いながら俺は毛布を広げる。振り返ると、尚也がミネラルウォーターの瓶を片手に微笑んだ。
「例のマシューさんのお友達の奥さんから手紙を預かった人。要するに、子規くんちに手紙を持っていった人」
「え!?なんで、そんな人とアポが取れるの?」
「腕がいいから」
 にっこりと笑って、水を飲む。もはや、返す言葉もない。こっちの方が恥ずかしくなる。
「そっか、じゃあ今日は何する?なんか、できることあるかな?」
 時間は限られてるし、出来ることがあるなら出来るだけやってしまいたい。俺はソファに座ると、天井を見上げて小さくため息をついた。
 尚也は瓶のふたを閉めながら、俺の隣りに座る。尚也の香りがふわっと流れてきて、ちょっとドキッとした。そう、なんかこいついい匂いがする。コロンでも使ってるのかな?
「そうだな・・・・じゃあ、しようか」
 しようって、何を?俺はきょとんとした顔で尚也を見返す。でも尚也は何も言わない。しようって・・・あっ!まさかそういう!!
「ま・・・マジでそういうこと言ってるの?」
 少し、身体が逃げてしまう。尚也はそんな俺の反応を楽しんでるような気がしてならない。
「マジでしょ」
 うっそでーーー。こんなまっ昼間から、まさかそんな。俺のことからかって楽しんでるに違いない。いや、きっとそうでしょ。いい加減、俺もただ遊ばれないってば。
「本当にマジ?」
「冗談で言ってどうするの?」
「だって、シラフだぜ」
 うんうん、この間のは酒もシコタマ入ってて、なんか勢いっツーの?そういうのがあったからでしょ。そうそう男と出来る人っていないと思うわけ・・・って、俺もやっちゃった一人だけど。
「酔ってるよ」
「え?だって、運転・・・」
 バイク乗ってただろ?今さっきまで。今手に持ってるのだって、俺もよく飲むブランドのミネラルウォーターだし。どう見てもシラフ。
「子規くんに」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 ぎゃーーーーーーっ!!歯がっ!歯が浮いてる!!俺のっ!俺の歯!!!
 もう絶対に確実!こいつ俺で遊んでる!絶対にマジじゃない!嘘っ!ふかしっ!ジョークッ!!
「ふーん。じゃあ俺も酔っちゃおうかなぁ、尚也に」
 冗談なら冗談で、こっちも付き合っちゃうよ。こっちだって伊達に現役高校生じゃないんだからさ、そういう中身のない会話なら、お手のもんなんだから。
「本当に?」
 口唇を尖らせて言う俺に、尚也が優しく微笑む。あ、違う。優しく見える微笑みであって、真意のほどは分からない。
「本当だよ」
 で、「冗談だよ」って返してくるんでしょ。それでチャンチャンって感じで。
「じゃあ、しよう」
 へ!?
「子規くんがちゃんとその気になってくれるの、待つ気でいたけど。こんなに早いとは思わなかった。嬉しい」
 へ?へ?へ?
「シャワー、浴びる?」
 どっ・・・・どういう・・・?「冗談だよ」・・・は?
 固まってる俺に、尚也が顔を寄せてくる。キスされるのか!?
 すると、コツンと額が寄せられて、至近距離で目が合う。キスをされるよりも、ドキッとした。
 額からじんわりと熱が伝わってくる。お互いの睫毛が、擦れ合うような距離。目が、離せない。
「この間は子規くん初めてだったから、あんまりいろいろ出来なかったけど、今日は時間もあるし、ゆっくりじっくりできるね」
  ゆっくりじっくりって・・・あんた。本当に・・・する気?それとも、レベルアップした冗談?
 俺がそんなことをグルグルと考えている間に、尚也の手が俺の身体をゆっくりとソファに押し倒す。シャツの中に、尚也の大きな手が入り込んできて、俺はビクリと身を震わせた。
「怖い?」
 微笑みながらの奴の台詞。ちょっとカチンと来た。
「怖くなんか・・ないけどっ」
 声も、ちょっと震える。でも、まだ俺どっかで思ってた、尚也が「冗談だよ」って言って、寸止めとかしちゃうの。
「そう?じゃあ、本気でするよ」
 本気?それってどういうこと?この間のが冗談ってこと?本気で、なにするの?
 ビクン
 首を這う舌の感触。胸もなんか、いじられてるし。尚也の足があっさりと膝割ってる。なに?本当に、するって・・・するの?
「っ・・・」
 身体は熱くなってくるし、息が乱れて変な声が出そう。なに・・・これ、マジでしそう。
「口と指と・・・どっちが好き?・・・」
 尚也の口唇が、俺の胸のモンをはさんでこする。ゾクリと腰にしびれる感触。どっちが好きなんて、そんなこと分かんねーよ。
  ベルトの外される音。下腹部に侵入する尚也の指。もう冗談でないことなんて分かりきってる。でも、抗うには、ちょっと気持ちが良い。俺って、何考えてるんだろ。
「感度いいよね、子規くん」
 指で下着の上から俺のモンに触れながら、尚也が俺の耳元で囁く。低い声が、耳の奥をくすぐる様に響き、そんな声にまで俺は感じてしまう。でも本当に、これでいいのか?だって、こういうことってやっぱり、こんなふうになしくずしにしちゃあ・・・。
「だ・・・尚也・・・っ」
「なに?」
 うごめく指に、俺が涙目で尚也を見かえす。
「ごめ・・なさい・・・っ。冗談・・・だって思ったから・・・」
 すると、きょとんと尚也が無言で俺を見る。俺はすまない気持ち半分、この状態をどうしていいのか分からない気持ち半分で尚也を見つめた。
 ブハッ
 突然、尚也が吹き出して俺の身体の上に身を折る。肩を震わせて笑い続ける尚也に、今度は俺の方が唖然とした。
「ど・・・どうしたの・・・?」
「い・・・いやっ・・・律義だなと・・・」
 そのまま涙を浮かべて尚也が爆笑する。俺は、少し気が抜けてソファの上に身を投げだした。でもこれならしなくてすみそう。ちょっと、ほっとする。
「でも、このままじゃマズイでしょ」
 涙を拭きながら、尚也が横たわった俺の上にのしかかる。そして、再び俺のカーゴパンツの中に手を入れてきて。
「んんっ・・・」
 油断をしていたから、めいっぱい鼻にかかった声を上げてしまう。俺は真っ赤になって尚也に言った。
「なっ!?・・謝っ・・た・・・っしょ」
「うん。・・・だから、子規くんだけ。中途半端は辛いでしょ」
 言うが早いか、尚也の頭が視界の下の方に消えていく。それって、え!?マジッ?
「あ・・・っ・・・・」
 あっさりと下着をおろされて、それを口に含まれる。ヌルっとした熱い感覚。
「っ・・・ん・・・・」
 適度に食べごろになってた部分に、ガンガン血が集まっていく。こうなっちゃうともう駄目、理性では止められない。ただひたすらに、もっと気持ちよくなりたくなっちまう。しかも、尚也・・・上手い。
 曲げた右足の下に、尚也の肩。そういえば初めての時も、こんな風にあっさりと口でイカされてたような気がする。
 そこを舌でいじられるたびに、全身の性感帯がびくっとうずく。俺はソファの背に右腕をのせ、視界の端っこでうごめく尚也の頭をぼんやりと見た。それから、腰に響く感覚に、ぎゅっと目を閉じる。
「・・・・・・っ・・・」
 気持ちは感覚を追いかけてるだけ。尚也の動きに合わせて時折ソファの背に爪を立てながら、俺はあっさりと尚也の口で果ててしまった。






≠≠≠Maybe that's a lie.≠≠≠





 後悔。
 その二文字に尽きる。あぁ、後悔。
 よりによって、天気の良い昼下がりに窓を開け放したまま、思いっきり口でされてしまった。でも、しっかりあっさりとイカされてしまうあたり、悲しいかな思春期。
 もう二度と、尚也にたいして軽口はたたくまいと、俺は心に誓った。本音で生きよう。そうしよう。
「はぁ」
 大きくため息。
「獅子丸ぅ。お前はいいなぁ、悩みなさそうで」
 俺の手に握られている結んだコンビニ袋にじゃれつきながら、獅子丸はつぶらな瞳で俺を見返す。
「ご飯もらって、遊んで寝るだけだもんなぁ、お前。俺も生まれ変わったら猫になりたい」
 獅子丸はそんな俺の心を知ってか知らずか、小さな身体でコンビニ袋に猫キックをかましている。尚也はソファの上でうたた寝をしていた。
 考えてみれば、俺は尚也のこと何も知らない。あの写真の人は誰なんだろう。それ以前に、こいつなんで俺にプロポーズなんてしたんだろう。今度、ちゃんと聞いてみなくちゃな。
「えいっ!」
 丸めたコンビニ袋を部屋の向こうに投げる。獅子丸が勢い良く走る。そして、キッチンのテーブルの足に、そのまま激突した。
「獅子丸っ!!」
 俺は思わず焦って駆け寄る。でも、本人(猫?)は何事もなかったように「ニャ」と鳴いた。
 ほっと息をついて獅子丸を床におろす。すると、背後から声がかかった。
「動物、本当に好きみたいだね」
 ソファの上で、尚也が目をこすっている。俺は振り返ると、少し考えて、言った。
「すごく嫌いだった時もあるんだけどね」
「どうして嫌いだったの?」
 俺はソファの前の床に腰を下ろす。尚也はソファに寝そべったまま、横目で俺を見た。
「俺の両親、獣医でさ。それでよく、ヤキモチやいてた。父さんも母さんも、俺より動物の方が大切なのかよ!!って・・・」
「おや、可愛い」
 尚也に返され、俺は口唇を尖らせる。そういう話してるんじゃないでしょ。
「父さんも母さんも、責任感が強いというか、気になる患者がいるとよく病院に泊り込んだし。それで小学生の頃、家出して・・・・」
「なに?家出、趣味なの?」
 もっともな突っ込みに、俺は少し赤くなる。そう言われてみれば、俺って進歩ないのかも。
「で・・でも、真剣な話なの!!母さんが、俺の誕生日を忘れて家に帰ってくれなくて。泣きながら猛ダッシュで・・・」
「ほう、熱いねぇ」
 尚也は楽しそうに話を聞いている。
「でも結局友達の家に行ったからすぐに見つかって、それで母さんは仕事を辞めた」
「え?どうして?」
 尚也がソファの上で起き上がる。俺は、そんな尚也をちらりと見ると、苦笑混じりに呟いた。
「俺が淋しがるからだって。あの時はそれですごく嬉しかったけど、今考えると俺、馬鹿なことしたなぁって思うんだ。仕事したかったんだろうな・・・母さん」
「ふぅん」
 案外あっさりと尚也はうなって、立ち上がる。俺はあいたソファに座ると、窓を閉める尚也を見た。
「でも、それは仕事よりも子規くんの方が大切だと思ったってことでしょ。選ばなくちゃいけないんだったら、選ぶ以外にないし、その選択にお母さん後悔してるようだったの?」
「別に、そのことに関しては何も言わなかったけど・・・」
「じゃあいいじゃない。子規くんが悩む必要はないと思うけど。後悔し続ける選択したとしても、悩むべきなのは子規くんじゃないよ」
 そうかなぁ・・・と思う。本当に、そんな風に思ってもいいのかなぁ?
「悩むのは選んだ本人なんじゃないの?たとえそれが、悩んでも仕方のないことだとしても・・・」
 尚也が、閉めた窓の向こうに広がる夜景を見つめる。
「さて、晩御飯なににするかな」
 空気を変えるように尚也が笑う。俺もその言葉に、自分の空腹を悟った。






≠≠≠Maybe that's a lie.≠≠≠