一日目。
朝、何かを焼く油の香りで目が覚めた。ダイニングのソファベッドで寝てるから、焼いてる音まで良く聞こえる。
昨晩、一緒に寝ようという尚也の誘いを頑強に断り、俺は獅子丸(子猫)と一緒に寝た。獅子丸は困ったことにとても可愛い。なぜ困るかって、だって、獅子丸は俺の猫じゃないから。
そして尚也。一緒にいて分かったこと。それはこいつが実は、とてもまめな男だということ。俺も家事はやる方だから分かるけど、家もきちんと掃除されてるし、料理だってちゃんとしてる。この部屋だって、収納はちゃんとあるし、とても良い部屋だ。家事の何たるかを、分かってるような気がする。
「ん・・・・」
朝の日差しに寝返り。俺の顔の横で寝ていた獅子丸が、大きく伸びをした。
「子規くん。起きた?」
尚也の声。もうちょっと、寝たいなぁ。
「ん・・。起きてない・・・」
「起きないと、キスするよ」
「起きます」
パチッと目を開ける。俺は身体を何とか起こすと、大きなあくびとともに、伸びをした。
「おはよう」
尚也がスクランブルエッグを皿に取り分けながら言う。俺も、髪をかきあげて返した。
「おはよお〜」
返事がそのままあくびになる。なんか、まだすっげー眠い。春眠暁を覚えず・・・か?
「卵は、どうする?」
「うーん。目玉焼き」
「ターンオーバー?」
お、良くそんな事知ってるな。感心感心。
「ううん。サニーサイド」
「知ってるねぇ」
「そっちこそ」
お互いににやりと笑う。
こういう時は、なんかとても話しやすい。俺に欲情さえしなければ、とてもいい奴だと思うんだけどな、尚也。
ベッドから抜け出し、ぼさぼさ頭のまま椅子を引いて座る。カップの中には紅茶がすでに入れてあった。
ミルクを入れて口に運ぶ。程よい温度。胃に染みるー。
「良く眠れた?」
「うん・・・寝てはいるんだけど・・・・」
なんだろう。寝足りない。時間的にはしっかり寝てると思うんだけど。
「ライオン君がじゃましたかな?」
まだ俺の毛布に包まって寝てる、手のひらサイズのライオンを見返して、俺は笑った。
「すげー、暖かいの。なんか、落ち着いた」
特に獅子丸の肉球が、何ともいえない湿り気を帯びていて、柔らかくってたまらない。子猫の肉球があれば、戦争とかなくなるんじゃないかなと、真剣に俺は考えてしまった。
「すっかり、なついちゃったみたいだね」
「そうかな?」
尚也もテーブルについて、朝食を取り始める。正直、美味しかった。
「お、醤油派」
俺が片面だけ焼いた目玉焼きに醤油をかける様を見て、尚也が嬉しそうに言う。
「だって、これは醤油でしょ」
「俺の友人は、マヨネーズをかける」
真剣な顔で目玉焼き談義。
「げ!だって、それ、変じゃん。マヨネーズは卵から出来てるんだから、それって、卵に卵かけてることになるじゃん」
「別の奴は、ソースをかける」
「それもどうかなぁ?」
俺は箸で目玉部分の周りの白身を取って、目玉だけをトーストに乗せる。これをがぶっていくのが美味いんだ。
「一番驚いた奴はコーラをかけた」
・・・・・・・それって、すでに一般論で話す範囲じゃないでしょ。
「なんか、そういうことの研究でもしてるの?」
「心理学の授業でやったんだ」
「そんなことするの!?」」
思わず目を見開いてしまう。マジで?
「嘘」
がっくりと力が抜ける。本当に、こいつの考えてることって、分からない。
「子規くんってさ、いいお家に住んでるでしょ。で、自分の部屋もちゃんと貰ってて。違う?」
・・・当たり。自分の部屋、貰ってるし、確かに、変な家ではない。
「布団じゃなくて、ベッドで寝てる。それも結構小さい時から」
なんで、そんなことまで分かるんだろう?俺は食事の手を止めると、尚也のことをじっと見つめた。
「俺のこと・・・知ってるの?それとも、オヤジから、何か聞いた?」
伺う俺のことを、面白そうに尚也が見る。尚也は箸を置くと、更に言った。
「家事の習慣もちゃんとつけられてる。両親は優しいけど、しつけには厳しい感じ。親のことをちゃんと尊敬していて、勉強も言われる前にちゃんとやる。どう?」
「すご・・・どうして・・・?」
俺はもう、なんて言っていいのか分からない。何もかもが、言われた通り。
「ちょっとは、俺に興味がでたかな?」
にやり。と、企みの笑顔。なんだ、かまかけただけ・・・か?
「べ・・別にっ!」
俺は言い捨てると、トーストの切れ端を口に放り込んだ。
とてもいい天気。開け放たれた窓からは、いい風が入ってくる。なんか俺、家出してるって事実を忘れてしまいそう。
「・・・で、手がかりあるって言ったよね」
「あ・・・うん」
突然、探偵のような顔になる。俺の心も自然と現実に引き戻された。
「どんな?・・・・って聞く前に、まず誰を探しているのか聞かないとね」
それは・・・・。どこまで話せばいいんだろうか。俺はまだ、尚也のことを100%信用している訳ではない。話したくないことだって、もちろんある。
「探してるのは、横須賀の基地にいたっていう、外人さんなんだけど・・・」
「アメリカ人?」
「うん」
特に驚きもせずに、尚也が返す。俺は、紅茶を一口飲んだ。
「名前は?」
「マシュー・タキガワ。ハーフ・・・らしいけど。あ、お茶もう一杯貰ってもいい?自分で入れるから」
俺は立ち上がりながら、紅茶のカップを持つ。
「あ、うん。そっちにポットが」
「あぁ。あのさ、緑茶飲んでもいい?」
「どうぞ」
尚也が指差す方に、紅茶とか緑茶の葉が置いてある。どうも、朝には緑茶を飲まないと落着かない。朝食がパンかご飯かという事よりも、そっちの方がずっと俺には大切なことだったりもする。
「で、子規くんの持ってる手がかりって?」
緑茶をいれてテーブルに戻った俺に、尚也が聞く。俺は湯気の向こうに尚也の顔を見ると、もう一度立ちあがって自分の鞄の中をあさった。
「・・・・・・これ」
黄ばんだ封筒をテーブルの上に置く。紺色のテーブルクロスの上に、その古臭い紙の色がよく映えた。
「見ていいの?」
尚也の言葉に小さく肯く。尚也のしっかりとした指が紙にのばされ、丁寧にそれを広げていくのを見ながら、俺は胸がしめつけられるような感覚に眉を寄せた。
「英語だ」
中の手紙を見て、尚也が短く言う。俺が肯くと、尚也は静かに手紙を読み出した。
「Dear Natsue, I have to apologize for leaving you now. But I really want you to understand the situation.・・・子規くん、これ読めたの?」
みみずのような文字であることは俺も読んだから知ってる。読んだって言っても・・・。
「俺はそこまでしか読めなかったし分からなかった。英語はあまり得意じゃないし」
それからなんかいろいろ書いてあることは分かるものの、それが何と書いてあるかは分からない。
「with love, Matt Takigawa」
手紙の最後の署名を尚也が読み上げる。封筒の表にはNatsueと書いてあった。
「なるほど。でもこの手紙には消印も無ければ、日付も無い。これの何が手がかりなんだい?」
手紙を片手に尚也が言う。俺は暖かいカップを両手で包んで返した。
「それは、この間俺のうちに届けられたものなんだ。届けられたものって言っても、郵便で運ばれたんじゃなくて、今基地にいるっていう人が持ってきてくれたんだ。親父が対応してたから、俺は良く知らないけど」
「なるほど」
尚也は、真剣に俺の話を聞いている。
「そのマットとかいう人は随分前にその手紙を書いていて、書いた後にそれを友達に託して、自分はアメリカに帰ったんだって。でもその友達が、その手紙を出し忘れたまま死んじゃって、その人の奥さんがその手紙を見つけたらしい。で、遅くなったけどこれは届けるべきだって・・・」
「ふうん。それで、この手紙を書いた人、マシュー・タキガワさんを探したい・・・っていうのかい?」
俺は再び力強く肯く。すると、一呼吸置いた後に、尚也が言った。
「どうして?」
やっぱり聞かれた質問。でも、これには答えたくない。俺は黙って尚也を見返した。
「答えられない・・・か。じゃあ、このマシューさんとやらは、一体なんなんだい?」
それには、答えられない。だから俺は正直に言った。
「それは、俺も知りたい」
尚也の瞳が、何かを理解したように俺を見る。俺は黙ってお茶を飲むと、熱い息を吐いた。
「ごちそうさま」
俺は言うと、テーブルの上の食器を重ねてキッチンへと運ぶ。飲みかけのお茶をテーブルの上に置いたまま、俺は眠ってる獅子丸の傍に座った。
尚也はまだ何かを考えているように、手紙を眺めている。俺が日向で獅子丸の頭を撫でると、尚也が手紙をしまいながら言った。
「じゃあ、このナツエって人は誰なんだい?」
窓からの風が俺の髪を微かに揺らす。俺は獅子丸の頭を撫でながら返した。
「俺の、母さん」
「お母さん?」
尚也が確認するように返す。
「うん。俺の母親。2年前に、事故で死んだけど・・・」
≠≠≠Maybe that's a lie.≠≠≠