胸騒ぎで、目が覚めた。
夜も更け、辺りには物音ひとつしない。俺は布団から出ると、寝間着姿で外へ出た。由宇さんの顔色が、あまり良くなかったというのもある。
板の戸をそっと開けてみる。由宇さんは眠っているのか、目を閉じて横たわっていた。
時折、眉を寄せるような仕種。夢でも見ているのだろう。
月明かりの中で、白い彼は益々白く見える。いや、蒼くと言った方がいいだろうか。俺が裾を払って座ると、由宇さんが小さくかぶりを振った。
「ん・・・」
やはり夢を見ているらしく、時折乾いた口唇が動く。何を言おうとしてるのかは分からないが、せつなげに寄せられる眉が、痛々しかった。
「・・祐・・・ん」
一瞬、自分が呼ばれたのかと思った。息を潜めて、彼を見下ろす。
「・・け・・・さん・・・」
が、次の瞬間、彼の口唇から漏れたのは、違う言葉だった。
「健・・祐・・・さ・・・」
ひび割れた口唇で、何度も健祐の名を呼ぶ。本当は毎日叫びだしたいに違いなかった。これが、彼の本心なのだった。
どうしようもないやりきれなさを感じながらも、自然と、手が伸びていた。
彼の寝ている胸元に、自分の手をそっと置く。由宇さんの耳元に口を近づけると、胸をぽんぽんと叩きながら、俺は呟いていた。
「由宇・・・大丈夫だよ。俺なら、ここにいるから・・・」
・・・と。
*****
それから毎晩のように、俺は眠った彼のもとに行っては、夢の中で健祐の代わりに由宇さんに語りかけた。彼が、安心して眠れるように。
昼は昼で、相変わらず他愛のない話をしては、彼が静かに耳を傾けるのをいいことに、時間をつぶした。由宇さんも、夜の俺の行動には気付いてないらしく、そのことに関して何かを聞かれるようなことはなかった。
少し、顔色が良くなったような気もする。自分のしていることが少しでも慰めになるのならば、それはこの上なく嬉しかった。
「宗祐さんは、昼と夜と、どちらが好きですか?」
ふいに、由宇さんがそんなことを聞いてきた。夕焼けの綺麗な日であった。
「そうだなぁ。特にどっちが好きってこともないなぁ」
腕組みをして答える。由宇さんは、長い髪をさらりと揺らして、微笑んだ。
「私は、夜の方が好きです。花街にいた時も、暗闇とあの華やかさの対比がとても好きでした。まるで、花街のそこだけが、とても暖かく見えるんですよ」
「へぇ、そうなのかい?俺はまだ、そういうところには行ったことがないからな」
「そうなんですか?」
「あぁ、そういうことは健祐に任せっきりだったな。まぁ、任せるっていうのも、変な話だが・・・」
言って、俺が笑う。由宇さんは俺の笑い声に笑い返すと、口元に手をそえた。
「宗祐さんが行ったら、きっともてて大変でしょうねぇ」
「由宇さん、それは持ち上げ過ぎだよ。俺なんてそんな華やかな場所、行く勇気もない」
おまけに茶屋の礼儀もよくわからない。健祐には向いてるかもしれないが、俺向きではないと知っていた。
「そうですか。でも、本当に綺麗なんですよ。よかったら、一度通りだけでも見てくださいね。夜の、灯りがともった後に」
「あぁ。そうするよ、機会があったらな」
いつもは人に何かを押し付けない由宇さんが、めずらしく強く主張する。どんなものなのだろうと、ちょっと気になった。
「きっとですよ」
由宇さんが、俺の小指に小指をからめてくる。俺は笑顔で肯いた。
*****
夜の庭で、自分の大きくごつい手を見つめる。
月の光の中に浮かぶ、由宇さんが細い指を絡めてきた小指。そこだけ、暖かい。
言葉にならない想いが、胸の中に湧き起こる。その名を呼ぶだけで、涙がこみ上げてきそうなせつなさに、俺はゆっくりと息を吐いた。
何度となく見た、見えない瞳の中に映る、俺ではない俺の姿。あれは俺であって、俺ではない。きっと・・・そう、きっと。
この腕が、健祐のものだったら。それとも、この姿が健祐とは似ても似つかないものだったら、こんなにも苦しくはなかったのだろうか?こんなにも、彼を愛しく思わなかったのだろうか?
こんなにも、誰かに心乱されることなどなかった。
こんなにも、誰かに触れたいと思ったことなどなかった。
そして、こんなにも・・・健祐を憎いと思ったことなどなかった。
伝えることなど、到底かなわぬ想い。
月が静かに、俺を見下ろしていた。
*****
昼頃、由宇さんの部屋に行くと、いつもとちょっと様子の違う彼がいた。
「どうしたんだ?ほとんど手をつけてないじゃないか」
由宇さんの顔色が悪い。俺はいつものように横に座りながら、傍らに置いてある食事の盆を見た。
「すみません。食欲が、あまりなくて・・・」
辛そうに、それでもゆっくりと由宇さんが身体を起こそうとする。俺は由宇さんの細い肩に手を添えて、それを助けた。
「横になってた方がいいんじゃないか?俺のことは気にしなくていいから」
「いえ、この方が・・・」
と、彼が何かを言いかけて言葉を止める。俺はしばらく黙ってたが、そのまま由宇さんが何もいわないことを感じると、口を開いた。
「もうすぐ、祭りがあるんだ。由宇さんは、祭り好きかい?」
祭りの雰囲気だけでも感じれば、彼の元気も少しは取り戻せるのではないかと、そんな気がした。
「お祭り・・・ですか?」
由宇さんは、今日も細い首を傾ける。
「そうですね。随分と昔に、一度だけ行ったことがあります。まだ、花街に来る前ですけど・・・とても楽しかった」
うっすらと笑みを浮かべて、彼が肯く。俺も、なんとなく嬉しくなった。
「じゃあ、祭りの日に身体の具合が良かったら、一緒に祭りに行こうか」
「宗祐さんと、お祭り・・・ですか?」
由宇さんが、驚いたように目を丸くして、それから恥ずかしそうに俯く。しかし間もなく、彼の口から漏れたのは、俺の意に反するものだった。
「それは・・・駄目です」
俯いたまま、由宇さんは顔を上げない。俺は断られたショックを隠そうと必死になりながら、言葉を繕った。
「そ・・そうだよな。俺なんかと、祭りなんて行ってる場合じゃないな。そんな所、健祐に見つかったら・・・」
「そういう意味じゃないです!」
慌てて由宇さんが顔を上げる。俺は、由宇さんのこんなに大きな声を聞いたことがなかった。
「そういう意味じゃ・・・ないんです。それと、健祐さんも・・・関係ないです」
黒目がちの瞳が、暗く翳る。何故か由宇さんは、とても、悲しそうだった。
「由宇さん・・・」
「だから『俺なんか』なんて・・・言わないで下さい。お願いですから・・・」
かすれるような由宇さんの声。俺はだまって何度も肯いた。
「うん・・・ごめん。俺・・・」
「宗祐さんは・・・っ・・」
何かを言いかけて、由宇さんが咳を始める。俺が傍に寄って背中をさすると、由宇さんが細い身体をよじって苦しげに咳を繰り返した。
「ごほっ・・」
口元にあてた手ぬぐいが、赤く染まる。
「宗祐・・さん・・・」
俺の方に顔を上げて、咳込む口元に手ぬぐいをあてる。
「何?どうしたんだ?由宇さん?」
「もう・・・ここには・・来ちゃいけません」
俺の中で、何かが弾けた。
「どうして!?なんでそんなこと・・・」
俺が聞き返す間にも、彼は身をくの字に曲げて、苦しそうに咳と吐血を繰り返す。俺が由宇さんの顔を覗き込むと、咳のためか、目元に涙を浮かべながら彼が言った。
「健祐さんにご迷惑をかけて、その上もし宗祐さんにこの病を移すようなことになったら・・・私はお二人の御両親に、なんとお詫びしたらいいか・・・」
「そ・・そんな、風邪一つひかない俺が、由宇さんの病気を貰うことなんてないよ。そんな心配は無用だよ」
「宗・・祐さん」
由宇さんの見えてない瞳が、俺を見る。
決意を感じさせる、瞳だった。
「・・・・・後生だから。・・・由宇さん、後生だからここに居させてくれ。由宇さんを一人にするなんて、そんなこと・・・出来る訳ないじゃないか」
俺は恥もなにもかなぐり捨てて、由宇さんの前で手をついた。頭を薄い布団に擦りつけるほどに、身体を折りたたむ。
なんでこの人は、こんな時でありながらも、人のことを先に考えるのだろう。もう少し、あとほんの少しわがままだったら、きっともっと幸せになれてただろうに。
「俺は、由宇さんの傍に居たいんだ・・・」
もう、由宇さんにどう思われても良かった。どんな恥知らずと思われてもいい。そんなことよりも、一瞬一秒でも長く、彼の傍に居たかった。
由宇さんの咳は、夕方になってもまだ、おさまる気配がなかった。
*****
その夜、俺は由宇さんの小屋の外で膝を抱えていた。
きっと夜にはもっと咳が出る。由宇さんのことが、ただ心配だった。
嬉しいことに、由宇さんは今のところ静かに眠れているようだ。このまま、朝になればいいのにと思った。
「・・・・・・」
何かが聞こえたような気がして、耳をすます。
「・・・・・・」
やはり小屋の中から何かが聞こえてくる。俺はそっと戸を開けると眠る由宇さんを見た。
「・・・・っ・・」
由宇さんが、泣いていた。
夢を見ているのか、横たわったまま、かすかにすすり泣くような声が聞こえる。俺は中に入って静かに戸を閉めると、眠る由宇さんの傍に座った。
布団の上に流れる、由宇さんの絹のような長い髪。それを時折揺らして、由宇さんは静かにかぶりを振った。
「・・祐・・さ・・っ・・・」
きっとまた、健祐の夢でも見ているに違いなかった。俺はふと手を伸ばすと、床の上に投げ出された白い手を取った。
ふせられた黒い睫毛の下からは、大粒の涙が、とめどなくこぼれてくる。月の光を受けて光る涙が、胸に痛かった。
「由宇・・・」
つぶやきながら由宇さんの手を、そっと自分の頬に寄せる。すると、由宇さんがぎゅっと、その手を握りかえしてきた。
「・・・行か・・・ないで・・」
かすれる呟き。
冷たい手。
白い手。
由宇さんの手。
気持ちが、溢れる。
細い手首。
なめらかな肌。
自分の目から、涙が・・・・こぼれた。
最初は優しく、由宇さんの手に頬擦りをした。それから、段々と手に力がこもる。
自分の流した涙をたどるように、俺は由宇さんの細い腕に、口唇を押し当てた。
胸も目も、血が吹き出ているかと思うほどに痛かった。
由宇さんの肩に、額を乗せる。由宇さんの香り。その時、彼の手が、俺の頭を優しく抱いた。
はだけた胸元からは、誰よりも白い肌が覗く。俺は吸い寄せられるように、その肌に口付けた。
くっきりと浮かんだ鎖骨。細い首。俺は由宇さんの浴衣のあわせから、手を差し入れる。
「・・・っ・・」
涙のために乱れた呼吸が、薄い胸をせわしなく上下させる。俺は由宇さんの額に手を置いて、そのまま髪を撫でる。ふせられた睫毛を見下ろしながら、震える口唇を重ねた。
「ん・・・っ」
ふさがれた口唇に一瞬眉を寄せ、それでもその口唇に応えるように、由宇さんが首を傾ける。
赤い唇が濡れて輝く。彼の両手が首に回され、俺は彼の細い身体をきつく抱きしめた。
「んっ・・・ふ・・」
戸惑いがちに舌を絡ませる。とても男娼をしていたとは思えないぎこちない反応に、せつなさが募った。
「由宇・・・」
呟けば呟くほどに、気持ちが溢れてくる。俺は何かに衝かれたように由宇さんの着物をはだけると、その肌の感触を確かめるように、口唇を重ねたままに手を這わせた。
「っ・・・ん・・」
時折、手の動きに反応して彼が身を震わせる。口唇を離して、胸へと下りていく。吸い付くような白い肌には、すぐに赤い花弁が散った。
腕も胸も腰も、無駄な肉の一切ない、細すぎる身体。もし俺があの時見つけなかったら、彼は一人でどうしていたというのだろうか。生きる術など、何もないというのに・・・。
「あ・・っ・・」
涙のせいではない声が、彼の口唇から漏れる。けだるく喉をそらす姿が、とても綺麗だった。
「由宇・・・由宇・・・」
俺は熱に浮かされたように、何度も彼の名前を呼ぶ。素肌を重ねると、余計に彼の身体が冷たく感じられた。
「あっ・・ん・・・っ」
止まることのない愛撫に、彼が絶え間なく声を上げる。冷たく感じられた身体は徐々に熱く火照り、白い肌がほのかに上気した。
彼の身体をこの腕に抱きながら、どうしてもこみ上げてくる涙。なぜだかは分からない。どうしようもなく愛しくて、どうしようもなく哀しかった。
「はぁ・・んっ・・・」
波のように揺れる黒髪。眉を寄せ、声を上げながらも、すがるように由宇さんの手が、俺の腕をつかむ。
もう、健祐の代わりでも・・・・いいと思った。
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