***As I grew up***
「それは、その人のやり方の方がよっぽど独占欲って感じがしますけどね」
利人はため息交じりに呟き、組んだ指をほどいた。
「大澤にも、そう言われました」
宮坂は苦笑しながら床を見下ろす。おそらく、この事に関しての周りの意見は一致しているのだろう。宮坂の反応が利人にそう思わせた。
「でも・・・不思議と、嫌じゃなかったんです。それまでの僕は、居ても居なくても同じような存在でしたから・・・」
「だから、忘れられないんですか?」
「え?」
利人の言葉に、宮坂の目が開く。利人は宮坂の目を見つめ返すと、少し意地悪な口調で続けた。
「まるで、忍さんの口調は・・・今でもその彼のことを、忘れていないようだから・・・」
忘れる?
宮坂は心の中でその言葉を繰り返す。忘れる日など、来るのだろうか?記憶の話であるのなら、そんな日など来ないであろうことは明確だ。けれど、利人が今言いたい「忘れる」という意味は別のものだと分かる。
まだ、心はその男の元にあるのではないか?
利人の目が、宮坂に問い掛ける。宮坂はふと視線を落として言葉を探すと、きゅっと口唇を噛み締めた。その時。
ピンポーン
軽快なベルの音。はじかれたように振り向く宮坂。今度こそ、一ノ蔵だろうかと思った。
「さぁ。テストの時かな・・・?」
利人がゆっくりと立ち上がった。
***As I grew up***
チッチッチッと、時計の針が時を刻む音だけが耳に響く。
結局、誰が口を開く訳でもなく、数分の時が流れていた。カナメは脚を組み直し、膝に肘を乗せた大澤は目を伏せたままため息をつく。傍らの尚也は、その様子を静かに見つめていた。
「馬鹿馬鹿しい・・・・」
沈黙を破り、吐き捨てるように言ったのはウィル。瞬間、大澤が目覚めたかのように強い視線をウィルに投げた。
「30過ぎて『大人の恋愛』にトモダチとやらが口出してくるなんて、信じられねぇな。なんだ?お前らまだ手ぇつないで一緒に学校いってんのか?」
嘲笑うように言って、椅子の背に体重を預ける。そっくり返りながら見下すようにウィルが大澤を見ると、その横からカナメが静かに言った。
「一週間・・・・・・かかったんだよ。一週間の間、話らしい話もできなくて、目は何処見てるか分からないし、ほっておくと食事はしないし・・・」
「そりゃご苦労なこった」
ウィルは罪悪感も覚えないのか、くだらないと言い捨てる。すると、そんなウィルを横目で見ながら、それでも冷静にカナメは続けた。
「だけど、あんたへの恨み言は・・・・ひとっことも言わなかった。ただの一度もね」
カナメの言葉は、静かな分、消せない怒りを強く感じさせた。
「アタシたちが、周りに聞いたり、あとから忍にムリヤリ話させたりして、やっと事実関係が分かってきたけど・・・。そうしなきゃあの子、きっと一生黙ってるつもりだったのよ。アンタにだって、忍がそういう子だってことは分かってるでしょ?なのに、どうしてあんなやり方しか出来なかったの!?」
あんなやり方?と一ノ蔵は聞きながら思う。一体、どんなことをしたというのだろうか?
「カナメさん・・・・」
一ノ蔵が口を開き、カナメが視線を投げてくる。カナメは一瞬考えた後に、意を決したように言った。
「もういいや、この際だから珠ちゃんにも言っておくね。この男、忍に家出までさせておきながら、同時進行してた女との間に子供が出来たと分かると、自分の友達に忍のこと回そうとしたのよ。しかも、罵声浴びせた後に雨の中たたき出して・・・」
「・・・・・・え?」
一ノ蔵は、すぐには想像が追いつかずに眉を寄せる。しかし、言葉が脳に染み込むに連れ、見開いた目をゆっくりと翳らせた。大澤が、小さく息をつきながら髪を掻き上げる。
「ヨシが、肺炎おこしかけてる忍のことを見つけて保護したからよかったけど、あれでもし見つけてなかったらどうなってたことか・・・」
カナメはその当時の様子を思い出したように苦い顔で呟く。ウィルは表情を変えぬまま、椅子の上で足を組み直した。
「え・・・・・・。なんで、そんなこと・・・・?忍さんのこと、好きだったんじゃないんですか・・・?」
「コイツは誰のことも好きになんかなんねぇよ」
一ノ蔵がウィルに投げた言葉を遮るように大澤が言う。
「コイツが好きなのは自分のことだけ。だからアメリカに行って子供が生まれたら、その女とも即離婚。無理ねぇよな、男も女も見境ねぇ亭主じゃ嫌にもなるさ。ガキの面も拝んでみたいもんだ」
「俺に似て良い男だぞ」
喉の奥で笑いながら、ウィルが大澤に言う。大澤は冷ややかな視線だけで、それに応えた。
一ノ蔵は、棘のある会話を聞きながら、それとは少し違うことを考えていた。カナメの説明を鵜呑みにするのなら、許せない・・・と思う。一切否定をしないところをみると、確かにカナメの言っていることは正しいのかもしれない。もしくは、そう思われても構わない・・・と思っているのだろう。
でも、それなら余計に不利ではないのだろうか?弁解をするためにやって来たのなら、理解できる。でも、過去のそれらをそのままにして、それでも宮坂に会いに来たとなると・・・理解に苦しむのだ。それだけ、宮坂が自分を好きだという自信があるのか。それとも・・・。
「あの・・・・」
一ノ蔵の口から言葉が漏れ、全員の視線が集中する。ウィルの色素の薄い瞳に見つめられながら、一ノ蔵は続けた。
「忍さんのこと、好き・・・だったんですよね?違うん・・・ですか?」
ウィルは、瞬間少しだけ真剣な目で一ノ蔵のことを見る。が、次の瞬間、少し前までのひねた表情に戻ると、からかうように返した。
「あんた・・・イチノクラとかいったっけ?・・・忍と何回寝たんだよ?」
「は?」
質問に質問で返され、しかもその内容に一ノ蔵が目を丸くする。
「もうやったんだろ?何回やったんだよ」
眉毛の片方をあげて、ウィルが含み笑いで繰り返す。すると、カナメが心底呆れたように言った。
「あんたねぇ、どうしてそういうトコから離れられないのよ。そんなこと関係無いでしょ?」
「関係あるね。ポッと出て来て一度や二度寝たくらいのヤローに、分かったような口聞かれたくねぇしな。だろ?ヨシ」
妙に馴れ馴れしく、ウィルが大澤に話を振る。一ノ蔵は、大澤がそれにまた怒って反撃するのかと思った。が、大澤はその視線を避けるように顔を背け、呟いた。
「知るかよ」
と、その大澤の態度に何を思ったのか、ウィルは「ほぅ」という顔をしてカナメと一ノ蔵を交互に見た。
「ほぅ。こりゃオモシロイ。蚊帳の外っつー奴が居る訳か」
「お前、変なこと口走ったらぶっ殺すぞ」
楽しそうなウィルに、大澤が今度ばかりは拳を握る。一ノ蔵は状況が掴めずに、大澤とウィルを交互に見た。
「ヨッさん・・・どういう・・・?」
一ノ蔵が大澤に問い掛ける。大澤とカナメが何も言えずに視線を落とした。
***As I grew up***
ドアを開けた利人は、そこに立っている少年を見て、目を丸くした。
目の前の少年も、大きな瞳をさらに大きくして利人を見ている。高校生くらいだろうか、可愛い子だなと利人は思った。
「あっ・・・あの、こちらに忍さんって方いらっしゃいますでしょうか?あ、僕は真岡といいますけど、さっきのお兄さんから伝言を預かっていまして」
と、子規がそこまで言うか言わないかの時に、奥から宮坂が出てくる。
「あ、さっきの・・・」
「あ!よかった。違う部屋かと思いました」
ほっとした表情で子規が微笑み、宮坂が訳も分からないままに微笑み返す。間に立っている利人は、さらに理解不可能という顔で、難しい微笑を浮かべていた。
***As I grew up***
「こんなニブイのが相手で、本当に忍は満足してるのか?信じ難いな」
いい加減、散々なことを言われているなと思いながらも、一ノ蔵はただ苦笑する。というのも、怒るよりも先に、考えなければいけないことがあるような気がしたから・・・。
「お前も本当にコイツを認めたのかよ、ヨシ」
「あのなぁ。・・・選ぶのは忍だろ」
「じゃあ、お前は認めてないんだな」
言葉じりを取っては、ほくそ笑むウィル。大澤は大きく息をついてウィルを見ると、歯を噛み締めながら言った。
「この世で忍の相手として認められねぇのは、お前だけだよ」
ふぅ〜ん、という感じで大澤を見返すウィル。すると、一ノ蔵が怒っているでもない声でウィルに声をかけた。
「でも、やっぱりウィルさんは、忍さんのことを好きだとしか思えないんですけど・・・」
「おめぇもシツコイな。なんなんだ?」
ウィルはうざいと言わんばかりに一ノ蔵に顎を向ける。
「いえ、でも大切なことですから。ウィルさんは、忍さんのこと好きなんですよね?」
確認するように繰り返す一ノ蔵。すると、さすがにそれを限界と思ったのか、ウィルが呆れたように言い捨てた。
「お前は馬鹿か?好きでもない相手にそこまで執着するアホが何処にいるんだよ!」
瞬間、一ノ蔵だけでなく、カナメも大澤も、驚いたように顔を上げた。傍らの尚也も、感心したような顔で一ノ蔵を見る。
一ノ蔵は、ウィルの一言を聞くと、安心したように笑顔を見せた。
「じゃあ、忍さんはちゃんと愛されていたんですね。・・・よかった・・・」
ウィルも、一ノ蔵の反応に驚く。そして、自分の吐いた言葉の意味に気付いて黙りこくった。
「そうじゃないかと思ったんですよ。ウィルさんは今でも忍さんのことが好きで、だから会いたくてたまらないんですよね?それほどに忍さんのこと・・・・」
「うるせぇな。黙ってればオンナみたいにベラベラと」
一ノ蔵の言葉を遮るように、ウィルは立ち上がる。そのまま一ノ蔵に近づくと、スーツの肩を掴んで一ノ蔵の顔を覗き込んだ。
「ロマンチックな講釈はいらないんだよ。いいからさっさと忍の部屋を教えな」
肩を掴んだ手に力を込める。大澤はそれを見て立ち上がると、一ノ蔵の肩を掴むウィルの腕を掴んだ。
「離せよ。何したって、珠ちゃんが教える訳ないだろ」
「自分が蚊帳の外にいるってことにも気付かないこの坊ちゃんに、なにが出来るって言うんだ?」
ウィルは手を離したものの、今度は大澤に向き直る。すると、尚也が初めて口を挟んだ。
「あの。一言いいでしょうか?」
***As I grew up***
子規は宮坂に並んで椅子にちょこんと座りながら、温かい緑茶を飲んでいた。
「なんか・・・すみません、俺まで・・・」
「気にしないで下さい。こんな可愛いお客さんなら大歓迎です」
恐縮で小さくなる子規に、利人が笑顔で返す。子規は「可愛い」と言われたことでまた緊張が増したのか、否定も謙遜もする余裕も無いほど、顔を真っ赤にして俯いた。
「で、一ノ蔵さんはなんで『迎えに行くまで待て』だなんて?」
宮坂が小さくなった子規を覗き込むように見つめる。子規は予想していた質問に、ひきつった笑顔で答えた。
「あの、それにはちょっとイロイロと・・・」
一ノ蔵に言われたこと、それは忍を戻さずに、しかもウィルの存在も内緒にすることだった。
「一ノ蔵さんが仕事なら、僕もパーティに戻らなきゃいけないだろうし・・・」
「いやっ!・・・その・・・なんか珠ちゃんさんは、すぐ来るからどうしても忍さんに待っててもらいたいようで・・・。あの、携帯が壊れたとかなんとかで、ここですれ違うと連絡が取れなくなるしって・・・そういうことのような・・・・」
しどろもどろで子規が説明する。言ってる子規も自分で意味が分からなくなっていたが、それで納得したのか、宮坂はふぅ〜んと肯いて言った。
「携帯壊れたんですか?あー、それは・・・。でも、この部屋も僕の部屋って訳じゃないから、居ろって言われても・・・」
「僕の方なら構いませんよ。忍さんも子規くんも、どうぞ状況が落ち着くまで居てください」
利人は、益々面白くなりそうなシチュエイションに頬を緩ませる。宮坂と子規は、申し訳ないという笑顔を同時に浮かべ、そして小さく頭を下げた。
「すみません・・・」
「いえ、僕もさっきの話の答えがどう出るかというのに、興味がありますからね」
「さっきの話?」
部屋に来たばかりの子規が、目を丸くする。すると利人がそんな子規に言った。
「子規くんは、恋人・・・いるんですか?」
あまりにも唐突な質問に、子規が再び顔を真っ赤にする。「答えたくなかったらいいんですけど・・・」と付け加えるつもりが、それよりも早くに答えがわかり、利人は思わず微笑んでしまった。
「じゃあ、仮に・・・ですけど、子規くんは自分の恋人が自分以外の誰かと浮気してるような状況があったら、どうしますか?」
「浮気!?」
利人の質問に、ただでさえ大きな子規の瞳がさらに大きくなる。浮気だなんて、そんなこと考えたことも無い。だけど、仮に・・・・。
「あの・・・・想像するのも難しいんですけど・・・」
眉間に皺を寄せて一生懸命考える子規に、宮坂もつい微笑んでしまう。
「浮気されたら、多分・・・悲しいとか腹立たしいとかそういうのの前に、ただビックリっていうか・・・。でも、とりあえず、ちゃんと話をしたいな・・・と」
「話?」
思わず宮坂が横から問い掛ける。子規は顔を上げて宮坂を見ると、極々素直に答えた。
「はい。ちゃんと、本人の口から聞きたいです」
「それは・・・『本当に浮気したのか?』って」
「はい。なにか、事情があるかもしれないし。誤解があるかもしれないし・・・」
利人の質問にも素直に答える。宮坂は子規の答えに同意するように小さく何度も肯いた。
「じゃあ。それで、本当に浮気してたって認められたら?」
続けて利人が投げた質問に、子規は再び眉間に皺を寄せて考える。
尚也が浮気をしたら?どうするだろう?別れるとか・・・そういう話になるんだろうか?でも、もしも尚也だったら浮気というか、そういうことになってる時点でそれは本気なような気がする。
そうなったら?子規は想像力を駆使して考えてみる。
「それは、その・・・・嫌だなぁって思うと思います」
眉間に皺を寄せたまま、子規はゆっくりと語る。利人も宮坂も、真剣にその言葉に耳を傾けた。
「やっぱり、自分が相手のことを思ってるのと同じ位、相手も自分のことを思ってて欲しいと思ってしまうから、そこに他の誰かが入ってくるのはやだなぁ・・・って」
自分で口にしながら、少なからず子規は驚いていた。こんなこと、とても尚也には聞かせられない。これじゃあまるで、自分が尚也に夢中みたいだ(←そうだとは思いたくないらしい)。
「相手が自分を見てる時は、本当に俺のことだけ考えてて欲しいなぁ・・・って」
だから、尚也をヤマトの所に行かせたのだ。まぁあれは、浮気とは少し違うけれど。むしろ、後から入り込んだのが自分の方かもしれないと、子規はちょっと思う。
宮坂は子規のことを感動のまなざしで見つめる。そして、子規の手をギュっと握ると、深く何度も肯いた。
「ありがとう。ホント・・・ありがとうね、子規くん」
利人は、嬉しそうな宮坂と宮坂の反応にとまどっている子規を交互に見る。そして、腕の時計に視線を落とすと、目の前の二人に言った。
「さて、その珠ちゃんさんは、どうするでしょうね?」
***As I grew up***
尚也は静かに息をつくと、自分を見る全員に視線を配りながら口を開いた。
「この調子だと、終わらないんじゃないでしょうか?このお話」
「俺もそう思う」
尚也の言葉に、大澤も同意する。カナメは無言で肩をすくめた。
「外野の意見で言わせていただくと、その忍さんが決める以外にないような気がするんですよね。皆さんの中にはそれぞれの忍さんが居て、しかもその彼を共有していない。極端な言い方をすると、三人の忍さんが存在してるようなものですよね。三方が譲り合うことをしなければ、いつまでも話は三本の平行線のままなんじゃないですか?」
あまりにも淡々と語る尚也を、半ば感心しながら一ノ蔵は見つめる。おっしゃる通りとは、正にこのことだなと一ノ蔵は思った。
「となると答えは簡単。一ノ蔵さんとお双方がどうしても会わせたくないとおっしゃるなら、羽交い締めにしてでもこちらを引き離して、その間に忍さんを連れ帰るしかないですし、そうでないなら会わせるって選択肢しかないですよね」
「そうよねぇ。話し合いで解決するなら、もうとっくに解決してるしね。忍に会わせたくないなら、忍を隠すんじゃなくて、この男を拉致した方がいいのかも」
尚也の意見にカナメも納得する。そう、結局は会わせるか会わせないかの選択しかないのだ。話し合う意志がウィルに無い以上、どうすればいいかは明白だ。
「そうだな。じゃあ俺とカナメがこいつをこいつの家に連れて帰るよ。珠ちゃんは忍の所に行ってくれ」
「でも、ヨッさん・・・」
一ノ蔵としては、もう少しだけウィルと話をしたいような気もする。別に、忍の過去をほじくりたい訳ではないけれど、カナメや大澤が思っているようなことだけではないなにかが、ウィルにはあるように思えるのだ。もしかしたら、買い被りかもしれないけど・・・。
ただ、これ以上この部屋にいるのは、さすがに迷惑だと一ノ蔵にも分かる。どうしても話がしたいなら、自分で会いに行くこともできるだろう。一ノ蔵は言葉を切ると、ウィルを見て言った。
「別に、僕は忍さんのマネージャーという訳ではないですが・・・今、忍さん、やりたい仕事をもらってとても大切な時期だと思うんです。だから、この仕事が終わるまで、とりあえずはそっとしてあげてもらえませんか?」
そして、自分の名刺をウィルに渡す。
「僕にこんなことを言われるのは腹立たしいでしょうけど、ただ・・・あなたが忍さんのこと好きなら・・・」
と、その瞬間、誰かの携帯が鳴る。お互いが目配せをする中、ウィルがため息交じりに胸元から携帯を取り出した。
「・・・・・・早かったな」
携帯を受け、ウィルが電話の向こうに話し始める。他の全員が、視線を落とした。
「あぁ。・・・分かった、今行く」
言葉少なに語り、すぐに携帯を切るウィル。再び優雅な仕種で携帯を胸の内ポケットに戻すと、ウィルが一ノ蔵を見返して静かに言った。
「残念だが、タイムリミットだな。そっちにとっては、命拾いってとこか」
そして、一ノ蔵に渡された名刺に視線を落とすと無言でそれをポケットに入れ、部屋の入り口へと向かう。
「待てよ」
大澤は、それを追いかけて足を速める。するとカナメもそれに続きながら一ノ蔵の耳元に囁いた。
「アタシら、あいつが帰るの確認してくるから・・・」
三人が慌ただしく部屋を出ていく。パタリと扉が閉まる音が聞こえると、さすがの一ノ蔵も緊張の糸が切れたのか、深いため息をついた。
「・・・・・はぁ」
「お疲れ様です」
横の尚也が、天然笑顔で呟く。すると、一ノ蔵がそんな尚也を見て言った。
「なんか・・・普段使わない筋肉を使ったような感じですね」
***As I grew up***
PHSに電話が入り、子規は部屋を出ていった。後には難しい表情の宮坂と、微妙な沈黙を楽しむ利人が残る。
『その彼がこの部屋に来た時に、僕の姿を見て一人で去ったら忍さんとは違う意見の持ち主。怒って忍さんを部屋から引きずり出したら・・・・正直な気持ちを話してみる価値はあると思いますよ』
利人のセリフが胸に蘇る。
これは、一ノ蔵を試すことになるのだろうか?そう考えると、少し胸が痛い。
期待と不安の入り交じった、なんともいえない感情。
ただ、その殆どが不安ではあったけれど・・・。
***As I grew up***
「ただいま〜」
子規は部屋に戻ると、ソファに座って雑誌を読んでいた尚也の横に勢い良く腰を下ろした。
「おかえり」
子規が持っていた鍵を受け取り、尚也が笑顔で子規を迎える。読んでいた雑誌を閉じ尚也が息をつくと、子規が物言いたげな目で尚也を見た。
「どうしたの?」
「ん?・・・あ、どうなったのかな?と思って」
本当は少し違うことを考えていた。さっきの浮気の話だ。しかし、尚也はそんなことなど知らず、静かに答えた。
「うん。なんとか今日は事無きを得たんじゃないかな。一ノ蔵さんとはすれ違わなかった?」
尚也の質問に、子規が首を横に振る。
「エレベーターの所為かな。会わなかったよ」
そうか・・・という顔で尚也が肯く。そのまま尚也はふと何かを思いつくと、少し意地悪な笑顔で返した。
「そう。ところでさ、子規くんには居るの?」
「え?なにが?」
子規は、何の話?と言いたげな顔で問い返す。すると尚也は、子規の癖の無い髪を触りながら言った。
「乗り込んできそうな、昔の男」
一瞬、きょとんとし、そして次の瞬間、子規の顔が真っ赤に変わる。思った通りのその反応に尚也が笑うと、子規が口唇を突き出して言った。
「俺に変なこと教えたのが誰か、一番良く知ってるくせにぃ〜」
「へぇ。変なことって何?」
さらに意地悪な質問に、子規はそっぽを向く。尚也が拗ねた子規をやんわり抱きしめると、子規が口唇を突き出したままに言った。
「もぉ〜。浮気現場押さえたら、話なんか聞いてやんないからなー!」
***As I grew up***
チャイムの音に、宮坂の身体がピクリと震える。利人は宮坂を見て、一呼吸の後に腰を上げた。
「でますね」
歩いていく利人が言って、宮坂が戸惑いがちに肯く。背後で聞こえるドアの開く音。
「あ・・・」
という一ノ蔵の声が、宮坂の耳にも聞こえた。それから、いくつか交わされる言葉。
「忍さん」
宮坂を呼ぶ利人の声。宮坂ははじかれたように腰を上げると、少しもつれがちな足で入り口へと進んだ。
どういう顔で、一ノ蔵は自分を迎えるのだろうか。それは同時に、一ノ蔵が今までも自分をどういう目で見ていたのかということにも通じる。今まで何度も思われた、誰とでも寝るタイプと思われてるのだとしたら、それはとてつもなく悲しいことだと、宮坂は思った。
「あ、忍さん」
呼ばれて、恐る恐る顔を上げる。
一ノ蔵は・・・・・・普通に微笑んでいた。
これは、どういうことなんだろうか?どう、解釈したら・・・?
「お待たせしました」
「あ、いえ。もう、用事は済んだんですか?」
ひきつる笑顔で宮坂は一ノ蔵を見る。すると一ノ蔵、宮坂のその様子をどう思ったのか、心配そうに返した。
「はい。もう大丈夫です。忍さんこそ・・・どうかしたんですか?」
まさかウィルの存在がばれたのでは?と、一ノ蔵は思う。宮坂は利人へ視線を投げると、聞かれもしないのに、続けて言った。
「あの、こちらは竜神さんで・・・」
「あぁ。さっき下で忍さんと話されてましたよね?・・・・そういえば、どうしてここに?」
一ノ蔵は少し前の記憶を辿りながら宮坂に聞く。と、横から微笑みを浮かべた利人が、代りに答えた。
「どうも。間男です」
瞬間、まさにギョッという顔で、宮坂が利人を見る。一ノ蔵も目を丸くして利人を見たものの、数秒後に頬を緩めて言った。
「冗談キツイですねぇ。驚きました」
はははっと笑って一ノ蔵が利人を見る。それに笑って返しながら、利人が言った。
「あ、冗談だと思いますか?」
と、また空気が止まる。宮坂は緊張のあまり心臓が破けるのではないかと思った。
一ノ蔵は、思いつめた目で自分を見てくる宮坂をじっと見返す。そういえばこの男のことは、大澤も含めたアメリカ繋がりだと言っていた。じゃあ、宮坂の素性のことも知っているということなのだろうか?どっちにしても、単なる冗談で言ってるようには思えない。
『一週間・・・・・・かかったんだよ。一週間の間、話らしい話もできなくて、目は何処見てるか分からないし、ほっておくと食事はしないし・・・』
つい先ほどのカナメのセリフ。あぁ、そうだよなぁ・・・と一ノ蔵は思った。
「そうですね。・・・・・そんなに簡単な人を、好きになったつもりはないんで・・・」
一ノ蔵は利人に真顔で言うと、それからゆっくりと微笑んで宮坂を見た。
宮坂は、一ノ蔵の言葉に、ギュッと胸を鷲づかみされたような気がした。
それからすぐに沸いてくる後悔。どうして自分は、こんなくだらないカケヒキをしてしまったのだろうか・・・と。
「さ、帰りましょう。送りますから・・・」
泣きそうな顔で力強く肯いて、宮坂は部屋の外に出た。その背中を、利人が軽く叩く。
「鍵を落とした時に、僕の部屋のものと入れ違ってしまったんですよ。ここは本来、僕の部屋なんです」
利人はなぜだか少し嬉しそうに、一ノ蔵に言った。一ノ蔵も、安心したように息をついて返す。
「あ、そうなんですか。スイートだなんて、どうりでオカシイと思いましたよ」
「どうぞ。こちらが忍さんの部屋の鍵です」
利人が一枚のカードキーを渡してくる。一ノ蔵が受け取って見ると、確かにさっきの階の鍵だった。
「ありがとうございます。どうも、ご迷惑をおかけしました」
「ありがとうございました」
一ノ蔵の言葉に続いて、宮坂も深く頭を下げる。利人はあまりにも丁寧な二人の様子に、思わず手のひらを向けた。
「いえ。本当にお気になさらないで下さい。僕としても、忍さんに話の相手をしていただけて助かりましたから」
そして清々しい笑顔で続ける。
「本当に、良かったです」
***As I grew up***
静かな廊下を二人で歩く。
塵ひとつ無い絨毯の上を歩きながら、宮坂は泣き出しそうな気持ちを必死で堪えていた。利人があんなことを言いだしたのは予想外とはいえ、さっさと事情を説明して部屋を出なかったのは自分。くだらない迷いに、負けたのだ。
だけど、だからこそ、一ノ蔵の言葉は、痛いくらいに嬉しかった。
「あ・・・あのっ」
「はい?」
切り出した宮坂に、一ノ蔵は普通に返事をする。宮坂はどう切り出していいか分からぬままに、ただ言った。
「あのっ・・・。ごめんなさい・・・・」
言葉が見付からない。だからようやくそれだけを紡ぐと、宮坂は俯いてキュッと口をつぐんだ。
一ノ蔵は、そんな宮坂に足を止めて振り返る。本当になんのことか分からないという表情で宮坂を見下ろすと、一ノ蔵は言った。
「なにがですか?」
「それは・・・その・・・。一ノ蔵さんに、あんなこと言わせてしまって・・・」
それも、初めて会った他人に。
「あんなこと・・・って。そんな恥ずかしいこと言わされましたっけ?」
一ノ蔵は何も気にしていないような顔で、正面から宮坂を見返す。宮坂はもはやどう言っていいか分からずに、黙って一ノ蔵を見つめた。
その沈黙に、一ノ蔵も宮坂の言いたいことが分かってくる。すると今度は一ノ蔵の方がどうしていいか分からなくなり、頭を掻いて黙り込んだ後に、大きな手を宮坂の前に差し出した。
「手、つなぎませんか?この階なら、誰も出てこなさそうだし」
ニコっと笑う一ノ蔵の手を、宮坂がゆっくりと握り返す。そのまま再び歩き出すと、唐突に一ノ蔵が言った。
「そういえば、俺が忍さんに初めて会ったのって・・・本当に、つい最近なんですよね」
確かに、つい先日のパーティで会ったばかり。出会ってまだ一月も経っていないのだと、宮坂も言われて気付いた。ただ、とても信じられなかったけど(←作者も信じられなかったよ・・・)。
「そう・・・ですね」
そんな短い間に、こんなにたくさんのことを考えたのかと思うと、恋の力ってすごいなと宮坂は思う。川原で目覚めて最初に一ノ蔵を見た夜が、とても昔のことのようで・・・。
「きっと、俺の知らない忍さんがたくさんいて、きっと、一生知ることの出来ない忍さんもその中にはいると思うんです」
握った手に、ギュッと力がこもる。宮坂は、どうして一ノ蔵がそんな話をするのか分からなかった。
「俺は、器用な方じゃないし、勘のいい方でもないので、いろいろ・・・すごく時間とかかかっちゃうかもしれないですけど」
そこでエレベーターの前につき、二人が立ち止まる。しかし、一ノ蔵はボタンも押さずに言葉を探していた。
宮坂は、代りにボタンを押すべきかと思いながらも、一ノ蔵の手を離せない。困って一ノ蔵を見上げると、その視線が一ノ蔵のものとぶつかった。
「でも・・・よそ見なんてしませんから。だから・・・あとで振り返って、忍さんの人生の半分以上が、俺と居る時間になるように、頑張らせて下さい」
呼吸が、止まる。
宮坂は、瞬きすら忘れて、じっと一ノ蔵を見つめていた。喉の奥が苦しくなって、こみ上げてくる何か。
それを堪えようとして、でも結局堪えられなくて、宮坂の両の目からは大粒の涙がボロボロと零れ出した。
一ノ蔵は、突然泣き出した宮坂にぎょっとしながらも、さすがにそれが悲しい涙でないことは分かったのか、スーツの前を開けて涙ごと抱きしめる。宮坂は一ノ蔵の背に手を回してスーツの布を握り締めると、しゃくりをあげて泣き続けた。
「こんっ・・・なに、早く・・・・そんなこと・・・言って・・・っ・・・」
胸に宮坂の鳴咽を感じながら、一ノ蔵はつい笑ってしまう。
「でも、多分一週間後も一月後も同じこと思うと思うんですよ。だって、初めて食事に行った夜から、同じこと思い続けてたんで・・・。だったら、今言っても一緒でしょ?」
宮坂の、一ノ蔵を抱きしめる腕に力がこもる。一ノ蔵は宮坂の背を優しく撫でながら、続けて言った。
「根拠はないんですけど、なんか上手くいくと思うんですよ、俺たち」
すると、赤くなった目を、宮坂が一ノ蔵に向ける。ウサギのようになった宮坂の泣き顔にまでトキメク自分が、少し嫌な一ノ蔵であった。
「実はっ・・・僕も・・・そう、思うんですっ・・・・。奇遇・・・っ・・ですね・・・」
言う端から、宮坂の目には新たな涙が浮かんでくる。それでも言おうとする宮坂に、一ノ蔵は微笑みを止めることができない。
「本当。・・・奇遇ですねぇ」
そして、濡れた口唇に軽くくちづける。
口唇が離れると、宮坂は一ノ蔵の首に腕を回し、絞り出すように呟いた。
「倍っていうと・・・62歳・・・なんですけど・・・・」
その後、一ノ蔵が肯きながら爆笑したことは言うまでもない。
それから二人は、やっと本来の部屋に入ることができた。
その頃、ホテルの地下駐車場では、大澤がとんでもないケンカを繰り広げているのだが、当然二人はそんなことなど知る由もない。
そのケンカが後々大澤の身に大きく振りかかってくることになり、その余波を二人も受けることになるのだが・・・。
それはまた、後日談。
***As I grew up***
やっとここまで来て第一部終了♪
大澤の特別編と第二部に続きますので
引き続きよろしくお願いします〜♪