***As I grew up***
一ノ蔵は部屋を出ると、乱れた服を直しながらエレベーターブースに向かった。
宮坂の居る部屋に行くには上。でも階段で行くにはかなり距離があるし・・・と非常階段を横目で見た時に、その声は聞こえてきた。
「お前のわがままに振り回される忍を見るのは、もうゴメンなんだよっ!」
ん?と一ノ蔵は耳を澄ます。かすかに聞こえてきた、どこかで聞いたことのある声。どこかでなんて、あやふやなもんじゃない。あれは、確かに大澤だ。
なんでこんなところに?と一ノ蔵は不思議に思う。宮坂を追っているのなら、最上階に居る筈なのに。でも、やはりあの声は大澤だと思う。
どういうこと?しかも、今の台詞は・・・・。
気になることは無視できない性格(←よく分かる)。
少し考えた後、一ノ蔵は非常階段のドアを開けた。
***As I grew up***
ホテルの一室から輝くネオンの街並みを見下ろし、子規は小さくため息をついた。尚也は傍らで紙の束を探っている。
子規の父の部屋は、眺めのいいツインだった。
「どうしたの?」
「え?」
紙を探りながら尚也が漏らした言葉に、子規が顔を向ける。
「ため息なんかついて・・・」
目指すものに辿り着かないのか、尚也はガサガサと紙をめくり続ける。子規は、尚也の言葉の意味を察し、窓に背を向けてソファに腰を下ろした。
「だってさ、車もビルも・・・すごく小さく見えるんだもん。あの中に人がいるのかと思うと、なんか変な感じでさ・・・」
「ははっ。きっと向こうも、こっちを見上げて同じ事思ってるよ」
「かもね」
尚也の言葉に、子規が素直に笑って返す。その時、尚也が一枚の書類を見つけてその手を止めた。
「あ、これかな?」
「あった?見せて」
尚也から手渡された紙に視線を落とし、子規が小さく肯く。
「うん。これでいいと思う。ありがと」
どういたしましてと軽く眉を上げ、尚也が微笑む。そのまま子規の隣りに並び夜景を見下ろすと、書類をカバンにしまう子規の隣りに座った。
「じゃあ、ご褒美は?」
「え?」
カバンの口を閉じ顔を上げた子規は、目の前にある尚也の顔に少し当惑。しかし、恥ずかしそうに口唇を尖らせた後で、触れる程度の軽いキスを、尚也の頬にした。
「はいっ!ありがと」
そしてそのまま、逃げるように立ち上がる。尚也は一瞬ポカンと子規を見上げたものの、立ち上がったまま動かない子規の手を握り、おかしくてたまらないと言いたげに笑い出した。
「っ・・・大丈夫だよ。先生の部屋で・・・なんて、するわけないでしょ?」
子規は、尚也のセリフに益々顔を赤くして、それでも尚也の手をぎゅっと握り返す。
「べっ・・・別に俺はそういうこと・・・・意識とか、した訳じゃないもん・・・」
「うん。そうだよね。子規くんは、勉強するために早く帰りたいだけだもんね」
尚也は喉の奥で笑い続けながらも、膨れた子規の言葉に合わせる。すると、それはそれで嫌なのか、子規が立ち上がった尚也をじとーっと見上げて言った。
「また・・・すぐそうやって子供扱いしてさっ。そうだもんね、俺、受験生だもんねっ!」
そして、尚也の手を振り払い子規が歩き出す。尚也はその後を追うと、ドアノブに手をかける子規の肩を掴んだ。
「もう行くの?」
「行くよーだ。だって尚也・・・」
「じゃあ、五秒だけ・・・」
子規の言葉を遮るように、背中から尚也が子規を抱きしめる。そのまま子規の首筋に顔を埋めると、尚也は目を閉じて、ゆっくりと深呼吸した。
「尚・・・」
「しーーーーーっ」
何か言おうとする子規の言葉を、尚也は遮る。お互いの鼓動が微かに聞こえるまま、しばらく尚也は子規を抱きしめていた。
「五秒・・・・・経ってるよ・・・・ね?」
とまどいながらも振り払えない腕の中で、子規が呟く。すると尚也が恥ずかしがる子規の顔の横で、伺うように言った。
「キス一回に、何秒かかるかな?」
「しっ・・・知らないよっ・・・そんな・・・・」
キスされるのでは?と、子規は思わずかぁーっと赤くなる。そんな横顔を尚也が愛しげに見つめ、首をゆっくりと傾ける。子規が、覚悟なのかなんなのか、そっと目を閉じ・・・・ようとした時、その声は届いた。
「ふざけんじゃねーぞっ!」
瞬間。至近距離で二人の目がパッチリと開く。そのまま黙ると、続いてもう一発聞こえてきた。
「お前のわがままに振り回される忍を見るのは、もうゴメンなんだよっ!」
声は廊下から聞こえてきた。思わず二人はくっついたまま魚眼レンズを交互に覗き込む。
「ケンカ?」
「いや・・・まだ言い争い程度だと思うけど。女性も居るしね」
尚也は言いながら子規に場所を譲る。子規は防犯レンズから外を覗いて、呟いた。
「すごーい。オレンジの頭してるよ。あれ、地毛かな?」
「どうだろう?もう一回見せて」
「うん」
自分たちのいる部屋の前で固まる男女三人。
「地毛かな?ウィッグみたいに真っ直ぐの髪してるけど。格好も凄いな・・・」
カナメのことを見ながら語る尚也。子規はちょっと前までのムードも忘れ、すっかり外の様子の虜になっていた。
「忍には、もう決まった相手がいるんだからな。お前の出る幕じゃねぇんだよ」
さっきよりは少し落ち着いた声。扉に張り付いていた子規が、肯きながら言う。
「横恋慕って奴かな・・・?」
「子規くん、よくそんな言葉知ってるね」
真剣な子規の横顔に、思わず吹き出す尚也。が、次の瞬間、子規が大きな目を更に見開いて言った。
「あっ!」
***As I grew up***
「一番最初に付き合った人に、言われたんです。お前の気持ちは独占欲と執着だ・・・って。付き合ったって言っても、そんな調子だったから、向こうはどう思ってるか分かりませんけど・・・」
茶色の液体を喉に流し込み、しばらくした後、宮坂は閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「その頃の僕には、本当に何も無くて、それこそ彼・・・しかいなくて。学校もどうでもいいと思ってたし、家にも・・・誰もいませんでしたし。それに・・・・」
何かをいいかけて、言葉を切る。そのまま言葉を探すように視線を落とす宮坂に、黙って聞いていた利人は言った。
「いいですよ、無理に話そうとしなくても」
「あ、いえ・・・そうじゃなくて・・・・」
顔を上げて利人を見る。そして一瞬眉を寄せたような表情を見せて、宮坂が続けた。
「実は・・・所々、覚えてなくて・・・・」
「覚えてない?」
「はい。付き合ってる時にも色々とショックなことはあったんですけど、そういう事の一部とか、あとは振られた前後のこととか・・・なんかすごくあやふやな部分があって・・・。それこそ、その時は本当にあれこれ考えたんで、何処までが事実で何処からが想像かとかも・・・」
利人は、聞きながら小さく息をつく。宮坂はそんな薄ぼんやりとした記憶の向こうを見ようとしているのか、暗い室内へと視線を投げた。
「だから余計に、引き摺ってるんだと思います。それから随分して、他の人と付き合ったりもしましたけど、こんなシコリみたいに残ってないですし・・・」
「でも・・・」
言いかけて、利人が紅茶を口に運ぶ。軽く口唇を濡らすと、利人が宮坂を見つめて言った、
「好きな相手に執着するのは自然なことですよ。独占欲も愛情の一部だと思いますけどね。その彼は、忍さんをしばらなかったんですか?」
「いえ、他の人と話すだけで嫌な顔をされました」
「は?」
それは一体どういうことだと言わんばかりの勢いで利人が声を上げる。
「彼の気に添わないことは、一切できませんでしたし、僕も・・・する気はありませんでしたし・・・」
「でも、それじゃあ・・・」
恋人というよりも奴隷じゃあ・・・と利人は心の中で思う。さすがに、口にすることは躊躇われたが。
「『俺のことを好きなら、他の奴のことは忘れろ』って・・・」
***As I grew up***
一ノ蔵は非常階段のドアを開けると、声のする方に歩いてみた。案の定、少しも歩かないうちにカナメと大澤の姿を見つける。
「ヨッさ・・・」
どうしてこんな所にいるのかと思いながらも一ノ蔵が手をあげると、硬い表情で振り返った大澤の向こうに、見知らぬ姿を見つけた。
ハーフで長身の男。
誰に言われなくても、一ノ蔵にはそれがカナメの言っていた宮坂の最初の男だということが分かった。くやしいけど、見た目は良い。綺麗な顔立ちの中に、変な凄味がある。この隣りに宮坂が並んだら、ちょっと声をかけにくい雰囲気が出来上がるに違いなかった。
「珠ちゃん・・・」
カナメが駆け寄り、一ノ蔵の腕を取る。
「あのね、これが、さっき話した・・・」
「はい。なんか・・・分かりました」
なんとなくトロトロと近寄る。ウィルはその間も、現われた一ノ蔵を値踏みするような目で見つめていた。
「どうも、一ノ蔵です」
律義に自己紹介をして、一ノ蔵がウィルを見る。大澤は腕を組むと、ため息交じりに言った。
「こっちはウィリアム・カヤマ。カナメがどこまで話したか知らないけど、忍のことボロ雑巾みたいにして捨てたくせに、またちょっかい出そうとしてる奴」
ボロ雑巾。その言葉が一ノ蔵の胸を打つ。そんなになったって・・・一体どんなことをされたんだろうと、一ノ蔵は思った。
「過去は過去。今は今だろ」
大澤の言葉に、まったく悪びれる様子もなくウィルがほくそ笑む。その言い方と言葉にカッとなった大澤が、ウィルの胸座を掴んだ。
「ヨシッ!」
カナメがその大澤を引き剥がそうとする。
「ちょっとっ!やめなってば!」
一ノ蔵は、ここまで怒った大澤を初めて見たせいか、一瞬反応が遅れたものの、カナメを手伝って大澤を引き剥がし、その腕を掴んだ。
「ちょっと待って下さいよ。もうちょっと、冷静に話せないんですか?」
「冷静になんて話せる訳ねぇだろ!珠ちゃんだって、こいつのこと知ったら、絶対許せなくなるに決まってる!」
「いや、でも・・・」
まだ知らないし・・・と心の中で突っ込むものの、真剣な大澤にはとても言えない。
すると、騒ぎを聞きつけたのか通報されたのか、ホテルマンが四人の元に走ってきた。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ・・・・」
大澤の腕を掴んだまま、一ノ蔵が営業スマイルで答える。それでもホテルマンはどこか緊張した空気を読んだのか、しっかりとした声で言った。
「他のお客さまのご迷惑になりますので、廊下での立ち話はお控えいただけませんでしょうか?もしもお話がございますなら、お部屋の中かロビーでお願いいたします。お部屋は、どちらでしょうか?」
「あの・・・それは・・・」
一ノ蔵は鍵の事情を知らない。そもそもなんでこの階にみんながいるのかも分かっていない。
「えっ・・・と・・・・」
そこでつい返事が遅れた時、一ノ蔵の横のドアが静かに開いた。
「兄さん遅いヨー。僕、待ってたんだからサー(←ペンギン歩き)」
と、現われたのは子規。緊張が全面に出まくった顔と、棒読みのセリフがなんとも痛々しい(←当然右手と右足が一緒に出ながら歩いている)。部屋の中で尚也が死ぬほど笑ってることなど、この場の全員は知らなかった。
「あ、すみません。うちの兄に部屋の番号教え忘れちゃって。ほら兄さん、こっちだから。兄さんのお友達も荷物取りに来たんだよね。入って入って」
子規が一ノ蔵の腕を取って、部屋の中に招き入れる。
「え?あ・・・」
戸惑いながらも部屋の中に入っていく一ノ蔵。残りの全員を部屋に押し込むと、子規はもう一度ホテルマンに向き直って言った。
「すみませんでした。静かにしますので・・・」
そしてカチャリとドアを閉める。全身から冷や汗が出そうになりながら、子規はドアに背をつけて振り返った。
「はぁ〜〜〜っ」
極度の緊張の後の緩和。子規がついついその場に座り込むと、驚いた一ノ蔵が言った。
「君・・・さっきの・・・」
エレベーターの中で会った・・・と、一ノ蔵が思い出す。尚也がそれに肯きで返すと、大澤が横から口を出した。
「なんだよ。どういう繋がりなんだ?それよりも珠ちゃん、部屋の鍵は?忍は?」
「いや、この二人はさっきエレベーターの中で会って・・・。忍さんは、ヨッさんがくれた鍵の部屋ですよ。どうしてこんな所にいるんですか?もっと上でしょ?」
「俺がとった部屋はこの向かいだぞ。なんだよ、上って」
一ノ蔵の返事に、大澤も眉を寄せる。一ノ蔵は益々混乱しながら答えた。
「だってさっきの鍵・・・」
そこまで言いかけて言葉を切る。そうだ、宮坂の居場所を知られてはいけない相手が、目の前にいるのだった。
「まぁいいです。これで、忍さんの居場所がわからなければ、良いわけですよね?」
「そりゃま、そうだな」
大澤も、とりあえず納得。今、宮坂の身が安全ならいいか・・・と思ったのだ。
「すみません。なんか変なことしちゃって・・・。でも、なんかあそこにいるよりはいいかと思ったので・・・」
子規が、恐縮しながら呟く。すると、慌てて一ノ蔵が返した。
「とんでもない。すごく助かりましたよ。あのままだったら、何処に行けばいいのかもわからなかったし。どうもありがとうございます」
明らかに年下の子規相手に、穏やかな笑顔で深々と頭を下げる。子規はなんとなく嬉しくなって、尚也に視線を投げながら微笑んだ。
「ただ、ここも僕たちの部屋という訳ではないんで、長くは提供できませんが、よろしかったらどうぞ」
尚也が、いつもの天然笑顔で一ノ蔵に告げる。それにも一ノ蔵は丁寧に返した。
「いえいえ、僕等もあまり長居するような事態は好ましくないんで、ご迷惑かけないようにはします。撤退が必要な時はいつでも言って下さい」
そして落ち着いた笑みを見せる。すると、予期せぬ場所から、そのほのぼのとした雰囲気をぶち壊す声が聞こえてきた。
「ったく、なにがどうしたんだか・・・。これが忍の今の男とかいう奴か?」
ウィルが勝手に椅子をひいて座りながら言う。瞬間、一ノ蔵と大澤、カナメの視線が部屋の入り口に立つ子規と尚也に注がれた。
子規は一瞬、なんでみんなが自分たちを見るのか分からなかった。が、次の瞬間、「忍」と呼ばれているのがさっきエレベーターで会った綺麗で優しい男の人のことで、その恋人が目の前の「珠ちゃん」さんで、男同士の二人が恋人って話を聞かれちゃったから焦ってるんだ・・・ということに気付いた。
「別に・・・この部屋の中での話は忘れますので、お気になさらずにどうぞ」
子規がそれだけのことを考えてる間に、尚也はそつのない返事をしている。もちろん、いつもの人の良さそうな笑みで。
「本当にすみません。すぐに済みますので」
一ノ蔵はなんとなく、子規と尚也が兄弟ではないんだなと察しながら(←同類だから)会釈で返す。尚也もすでに、そういう種類の話かと、廊下でのやり取りを見ながら察していた。
「大の大人が狭い部屋に集まって・・・AVでも撮るようなシチュエイションだな」
性質の悪い冗談に、大澤が天井を仰ぎ見る。一ノ蔵は、子規のことをチラリと見て、部屋のメモになにやら走り書きをした。
「あの・・・」
そして、それを尚也に渡す。ツインの片方のベッドに腰掛けていた尚也は、それをチラリと読んで一ノ蔵に微笑んだ。
「子規くん」
「なに?」
子規は、無邪気に返して尚也の隣りに座る。そして尚也にコソコソと耳打ちされると、ちょっとつまんなさそうな顔でノロノロと部屋を後にした。
そして、それを確認した一ノ蔵が安心したように全員に向き直る。
椅子に座ったウィル、ソファに座ったカナメと大澤。ツインの片方に座っている尚也。その全員を見て、一ノ蔵も椅子を引いて座った。
そして、滑舌の良い声で言う。
「さて、誰から話をするんですか?」
***As I grew up***
とうとう明かされるウィルと宮坂の過去?
その時珠ちゃんは!?