***As I grew up***



 ほへっ。
 宮坂は自室のベランダで日向ぼっこをしながら、一人青い空を見上げた。
 風もそんなになく、麗らかな陽射しに、鳥は歌う。それで。
 ほへっ。
 と、春の訪れを感じつつ、幸せな気分で空を見上げた。
 天気はいいし、ご飯は美味しいし、布団も干せて洗濯物も綺麗に洗えて、好きな人はホモ(←おい)。
 幸せって、こういうことを言うのだろうかと宮坂が思った時、電話のベルが鳴った。
「はい」
 コードレスホンを片手に、再びベランダに出る。電話の相手は予測していた通りの相手だった。
「やったか?」
 興味津々の大澤の声に、宮坂は小さなため息で答える。自分がいま感じているささやかな充足感は、きっと大澤には分からないのだろう。
「してないよ」
 あっさり答える。と、大澤は「ふぅ〜ん」という、どっちつかずな声をあげた。
「でもいいもん。一ノ蔵さんがストレートじゃないって分かったから」
 お、言ったんだ・・・と大澤は心の中で思う。こりゃ、思ったよりも展開が早くなりそうだな・・・と、ちょっぴり期待。
「それより、レストランとホテルのことはありがとう。美味しい店だったし雰囲気も良かった」
「だろ?お前もこれからあそこ使えるように言っといたから」
「なんであんな店知ってるんだ?今まで一言も言わなかったじゃない」
「だってお前、ああいう店を必要とすることが今までなかっただろ」
 言われればその通り。大澤と二人で行くっていうのもなんか違う気がするし。でもきっと、昔の男関係の店なんだろうなと、暗黙の了解で宮坂は納得した。
「まぁ、そうだけど・・・・。あ、でもあのカクテルはなんなんだ?一ノ蔵さんひっくり返ったんだぞ」
 そこで大澤、宮坂に聞こえないように笑いを押し殺す。こいつにはきっと、悪魔のしっぽが生えているに違いない。
「ホテル取っといてよかっただろ?普通のラブホに連れ込めるようなお前じゃないしな」
 ぐ。それはアタリ。っていうか、そもそもすべてが大澤のお膳立て。普通ではありえない展開。
「そりゃ・・・そう・・だけど」
 言葉に詰まった宮坂は、ベランダで口唇をとがらせる。なんだか、さっきまで青かった空が曇ってきたような気がした。
「で、どっちが先に告白したんだ?」
 そして、正に本題といいたげな大澤の声。すると宮坂、正真正銘の素で答えた(というか、天然だし)。
「え、何を?」
「何を・・・って、好きだって告白したかされたかしたんだろ?」
 ・・・・・・・・え?
 思わず宮坂、目をぱちくり。なんだか、脳まで酸素が行ってないようなそんな感じに捕らわれながら、首をひねった。
 好き・・・・・?そんな言葉は、どこにも。聞いてないし、言ってもいない。
「・・・・・・・あれ?」
「おい」
 額にぴきっと怒り印が浮かんでいるような大澤の突っ込み。
「お前・・・・自分の嗜好をカミングアウトしただけで満足したんじゃないだろうなぁ・・・」
 大澤のジャブが見事にヒット。宮坂は一瞬の目眩を覚えた。
「そんだけのお膳立てしてやって、やることもやらずにおまけに気持ちの確認もせずに、お前ら一体何をしてたんだ!?」
 何もしてないです・・・・と思いながら宮坂が無言で俯く。だって、一ノ蔵は気絶してたし、自分も眠くなって寝てしまったし・・・。
「あぁもうっ!・・・・・まぁ、今回は俺にも悪い所があった。あの酒のせいかも知れないしな。分かった、俺もこの件に関してはもうこれ以上言わない」
「はい・・・・・すみません」
 とっても申し訳ない気になって、宮坂はうなだれる。
 大澤に怒られるのは苦手。何故って、口では絶対にかなわないし、大澤が自分のことを本当に思ってくれてるのも知っているから。
「で、次はいつ会うんだ?」
「へ?」
「へじゃねぇよ。次の約束はしてるんだろ?いつ?」
「・・・・・してないよ」
「はぁ?」
 あまりにもあっさり答える宮坂に、大澤の目が丸くなる。なんというか、奥手奥手とは思ってたけど、この年になってよもやここまでとは・・・・。
「だってお前、あれから3日経ってるんだぞ!俺が原稿待ちの泊り込みしてる間に、お前はただぼーっとしてたのか?」
「いや・・・その・・・」
 とても「ささやかな幸せに浸ってました」なんて言えない。しかも、その幸せも今考えてみると、ちょっとピントがずれてる気がしてくるし。あ、空が曇ってきてる。マジ?
「お前なぁ、釣り糸もたらさずに魚が釣れるわけないだろ!さっさと電話しろ!」
「は・・・はいっ!」
 しゃちほこばって答えると、宮坂は大澤の怒りのオーラに耐えかね、即座に電話を切った。




***As I grew up***



 ほわん。
 あぁ、幸せ。今までに感じたことのない充足感と穏やかさ。
 一ノ蔵は、自分のデスクに肘を突き、記憶の余韻に浸っていた。
 別にキスをした訳でもナニをした訳でもなく、ただ清らかだった夜。しかし、それがかえって一ノ蔵の心をがっちりと掴んでいた(といっても、殆ど気絶してたけど)。
 目覚めたのは明け方だった。痛む頭を押さえながら起き上がると、そこに宮坂は居た。
 自分の横で、丸くなって眠る宮坂。冷たい感触に振り返ると、自分の頭には濡らしたタオルがあててある。その心遣いと、気絶前に宮坂が言った一言に、思わず胸が熱くなった。
 きゅ〜ん。
 手では触れない胸のどこかが、しめつけられるような感じ。「好き」って・・・こんな感じ?
 健やかな寝息をたてる宮坂があまりにも可愛らしくて、一ノ蔵はつい見入ってしまう。けれど、手で触れるなんてことは恐れ多すぎて出来ない。気がつくと、一ノ蔵は宮坂の隣りで体育座りをしていた。
 ほわん。
 あぁ、もうだめ。好き。スキスキスキスキ好きったら好き。俺ってばホモでよかった〜っと一ノ蔵が浸っていると、その背中をポンッと叩かれた。
「先輩。どうしたんですか?にやにやして」
「あ、中山」
 後輩の中山が背後から俺を覗き込む。言うのもなんだが、こいつもどうやら仲間臭い。本人に自覚があるのかどうかは分からないけど。
「いや、ちょっとな」
「いいことでもあったんですか?」
 コーヒーを片手に、人のパソコンを覗き込む。やりかけの仕事が画面いっぱいに表示されていた。
「お前さ、彼女いるか?」
「はい?」
 コーヒーを飲んでいた中山が目を丸くする。あ、駄目だこいつ。そんな気配無いわ。
「そうか、お前DTPの寺島さんにパソコン習ってるとかで、寺島さんちに入り浸ってるらしいな。それじゃあ、そんな暇ないか」
 ん?もしかして、それがなんつーか、アレか?・・・まぁいいや。やぶ蛇も怖いからな。
「そ・・・そうっすね。暇がないっていうか・・・・」
 この微妙な間はおかしいな。こりゃもう、そうですって言ってるようなもんだ。冷静な奴かと思ってたけど、結構可愛い。
「ふぅん。じゃあ、俺の今のこの幸せはわからないだろうな・・・・」
「どうかしたんですか?」
 遠い目をして満足げな微笑みの一ノ蔵の傍に、中山が椅子を引っ張ってきて座る。一ノ蔵は、クールな瞳で自分を見上げてくる相手に一言、言った。
「セックスばかりがすべてじゃないってことだ」
「え。先輩、勃たなかったんすか」
 へ?思わずきょとんと中山を見返す一ノ蔵。どうして、そういうことになったんだ?
「なんでそうなるんだよ」
「だって、インポって訳でもないのに『愛は身体じゃない』とか『やらなくたって』っていう奴って、大概そういう手痛い経験をしてるのが多いみたいだから・・・。なんつーか、土壇場で・・・って、ねぇ」
 長い脚を組んで、なんか妙に優雅な雰囲気を漂わせつつ中山が語る。一ノ蔵は恐ろしい想像に、ぽそっと呟いた。
「マジかよ」
「それか『勃ったはいいけど、すんげー早く終わっちまった』とか。そういう男の自慰言葉じゃないっすか?まぁ、男なんてデリケートなもんだから、体調とかストレスでそこら辺の状態もちょこちょこ変わりますけど、分かってる子はともかく、いつでも元気いっぱいの男としか付き合ったことのない子だと、ツライっすよね・・・」
 おい、なんだ俺。慰められてるのか?と一ノ蔵は思う。中山は明らかに慰めモードで一ノ蔵を見ていた。知ってはいたけど、生まれながらにして不遜な態度が似合う男である。そこが嫌味に見えないのがスゴイ・・・。
「ツライ?」
「いるんすよね『アタシに魅力がないの?』とか『アタシのこと愛してないの?』とかすぐに思っちゃうのが」
 ちょ・・ちょっと待て。ということはなんだ?宮坂がそういう風に思ってるかもしれないってことか?同じ趣味だっていうのを確認したのに、自分が手を出さなかったから?明け方からじっくり一時間以上、体育座りで寝顔を眺めただけだったから?(←いや、それは宮坂知らないって・・・)
『(悲しげに)僕に魅力がないの?』(←心の中の一ノ蔵ビジョン)
 んなことない!忍さん(←すでに勝手に名前で呼んでいる。敬称は良心)に魅力が無いっていうんならこの世のダイヤもすべて石コロっす!
『(涙を浮かべつつ)僕のこと・・・愛してないの?』(←心の中の一ノ蔵ビジョン。悪化中)
 愛・・・・?愛・・・愛・・・愛・・・・?????
「ぐ・・・・う・・・・」
 思わず悶える。だから、その愛って奴が分からないのだ。確かに、今までの誰よりも気になっているけれど、それが他と比べてどのくらいの気持ちなのか。まだまだ愛には遠いのか?
「せ・・・先輩、先輩?」
 どうどうと、なだめるように中山が一ノ蔵の肩を叩く。なんだかさっきまでの「幸せ好き好きモード」が鎮まっていくような気がする。なんだったんだ?俺のこの幸せの余韻を噛み締めていた3日間は。
「とにかく・・・・フォローすんなら早い方がいいんじゃないすか?間があくと、修復難しくなるって言いますからね」
 なんというか、呆然。
 いかに自分が今までの恋人関係で楽をしていたかが、よく分かる。ケンカをしても適当に謝ったり。それも「あ、なんかまずいこと言っちまったのかな」程度の気楽さで、コトを収めようとしていた気がする。おまけに一ノ蔵から謝ることはごくごくたまにで、というのもほぼ100%相手の方が一ノ蔵に惚れていたからである。
『大体、俺・・・忍さんと付き合ってるって訳じゃないんじゃないか?』
 と、肝心なことに今更気付く。今までは適当にというか、なしくずしにというか、ムスコが橋渡しになってしまって「付き合ってることになってる」状態になってしまったことが殆ど(ハメたつもりがハメられたって状態?)。一ノ蔵から誰かに告白をしたことなんて、一度としてないのだ。
 嫌われたくないとか、積極的に好かれたいとかを、利害の絡まない一個人に対して深く思ったことが無く、そう思わなくても大体好かれていたのだ(傲慢だな、おい)。
 お・・・おいおい、俺。大丈夫なのか?というほど、目の前が真っ暗になりながら一ノ蔵は携帯片手にふらふらと立ち上がる。中山はそんな一ノ蔵を見上げながら、いつもおよそ負のオーラを発することのない不遜(中山的には誉め言葉・・・っつーか、お互いに相手を不遜な奴と思ってるとは・・・)な先輩に、心の中で合掌した。
「係長には資料室って言っときますね」
 中山の気遣いに、一ノ蔵が力無く手を振って返す。そして、心の中ではすがるような気持ちで呟いていた。
『頑張れ、俺!』




***As I grew up***



 ツーツーツー
 話し中の信号音に、宮坂は電話を切った。
 一ノ蔵の携帯はずっと通話中。まぁ、仕事中だろうし、夜にでもかけなおそうと思った。
『釣り糸もたらさずに魚は釣れない』
 もっともな大澤の言葉に、一人で納得。しかし、誰かに自分の気持ちを上手くアピールすることは苦手。おまけに、宮坂をついつい戸惑わせてしまう過去。
 最初の男には、本当に手痛く振られた。実は、それがちょっとトラウマになっている所がある。自分の中の「本当」を相手にさらけ出すのが怖いというか・・・・。
 苦い過去を少しばかり蘇らせ、宮坂がコードレスホンを充電器におこうとしたその時、電話が鳴る。
 宮坂は期待を胸に電話に出た。
「はい、宮坂です」




***As I grew up***



 都内某所にある超有名ホテル。日本のホテルの中でも五本の指に入るそのホテルのロビーで、一ノ蔵は待ち合せの相手を探した。
 仕事が少し押したため、約束の時間に5分程遅れてしまった。電話すればよかったかなと少し後悔。が、相手は怒るでもなくロビーの喫煙コーナーで煙草を吹かしていた。
「すいません、遅れまして」
「よ。こっちこそすまんね、こんな所まで呼んじゃって」
 笑顔で立ち上がったのは大澤。結局一ノ蔵は中山との会話のあと、屋上から大澤に電話をしたのだった。
 大澤は出版社の編集部で働いている。今日も、ホテルに缶詰状態だった作家から原稿をやっとこさ貰いうけた所だった。というわけで、その缶詰状態の作家の滞在場所であるホテルで待ち合せなのだ。
「腹減ってる?」
「まぁ、適度に」
 実はそこまで減っていない。それが宮坂を想うあまりということに、一ノ蔵は気付いていないが。
「そうか。じゃあ上に行くか。俺も、仕事のひと区切りがついたから一杯飲みたい気分だしな。どうせ、酒入れた方が話し易い話なんだろ?」
 大澤の言葉に、曖昧な笑みで一ノ蔵が答える。そして、二人はロビーを抜けてエレベーターブースへと消えた。
 と、その時、二人の消えたラウンジに入ってくる影。白いドレスシャツにチャコールグレーのスラックス姿の宮坂であった。
「あ、宮坂さん。どうもすみません!」
 なにやら慌てた様子の男が宮坂を出迎える。宮坂はその男に笑顔で返すと、足早に駆け寄り、言った。
「こんにちわ、宮坂です。で、すぐに見られるんですか?」
「あ、はいっ!こっちの部屋に準備してありますので」
 そして、男が宮坂をエレベーターブースに促す。宮坂は持っている鞄を持ち直し、早い足取りで奥へと消えた。




***As I grew up***



 屋上のバーには人もまばらで、静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
 一ノ蔵と大澤も窓側に席を取り、向かい合わせで低い椅子に座る。
「で、なに?話って」
 簡単にオーダーを済ませた後、大澤が一ノ蔵に微笑む。一ノ蔵は、聞く気マンマンの相手に少しためらった後、口を開いた。
「単刀直入に聞きますが、大澤さんとシノ・・・えと、宮坂さんは、付き合ってるって訳じゃないんですよね?」
 忍さんと言いかけて、冷静に訂正。大澤は当然その言いかけた言葉もばっちり理解した上で、返した。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「気になるからです」
 即座に返す一ノ蔵。が、その答えに満足しなかったのか、大澤はソファの背に腕を回してそっぽを向いた。
「教えな〜い」
「へ?」
「だって、俺のこと好きでそういうこと聞いてくるなら分かるけど、忍のことが好きで俺にそういう質問するのっておかしくない?気になるなら忍に聞けばいいでしょ」
 う。筋が通っている。一ノ蔵は返答に困り、低く唸った。
「忍には聞いたの?」
「聞きましたよ。『大澤さんのこと好きですか?』って」
「したらなんて?」
「『嫌いだったら20年近くも友達やってない』って言ってました」
「そりゃそうだ」
 わはははははっと笑い飛ばす大澤に、一ノ蔵は少し不愉快になる。なんで自分はこんなアホなことをしているのか・・・?
「ねぇ、珠(たま)ちゃん」
「はぁ!?」
 突然、すごい呼ばれ方をして、さすがに一ノ蔵が目を丸くする。ど・・どうして??
「ちょっと・・・なんなんすか?それ」
「だって、珠三郎っていうんでしょ?下の名前」
「そう・・ですけど、宮坂さんが教えたんですか?」
 怪訝な表情で伺う一ノ蔵に、大澤は手を横に振る。
「違う違う。西川くん。なんだ、忍も知ってるんだ」
 ったく、西川は大澤に何をどこまで話しているのか。今度聞いておかないとな・・・と一ノ蔵は思った。ただ、宮坂が話したんじゃないというのは、一ノ蔵にとって嬉しい情報であったが・・・。
「いいじゃない。『一ノ蔵くん』って長いんだもん。俺のことも『ヨシ』でいいから」
 いいからって言われても・・・と一ノ蔵は心の中でため息。本当にこの人、これで会うの二回目か?と疑いたくなる。
「でも・・・・」
「珠ちゃんも忍のこと、『忍』って呼んでるんでしょ?気持ちでは・・・」
 にんまり・・・っと大澤が笑って、一ノ蔵の反論はここで終了。『珠ちゃん』を許可しない限り、宮坂に何を言うか分かったもんじゃない。『忍をオカズに毎晩抜いてる』位言われるんじゃなかろうか?いや・・・確かに昨晩は・・・・ごにょごにょ。
「じゃあ・・・質問を変えますよ。大澤さんは、宮坂さんのこと・・・どう思ってるんですか?」
「好きだよ」
 案外あっさりと大澤は言って、にっこり微笑む。一ノ蔵はいまだに『珠ちゃん』の尾を引いていた。
「そ・・・それは、友人として?それとも、それ以外の・・・」
「あのさ」
 大澤が一ノ蔵の言葉を遮る。一ノ蔵は言葉を切って大澤を正面から見つめた。
「お待たせしました」
 その時に運ばれてくる飲み物。テーブルに運ばれてきた料理を見つめて、一ノ蔵が言葉をはさんだのはこの所為か?それとも・・・?と思った。
「まぁ、とりあえず乾杯」
 ビールを片手に「一体なにに乾杯?」と思いながらもグラスを合わせる。カチンと音がして、大澤が美味しそうに喉を鳴らした。
「確かに、俺にとって忍はただの友達とは違うよ」
 と、グラスから口を離した大澤がおもむろに話を戻す。一ノ蔵は、から揚げを放り込んだ口を一時止めた。
「俺がここまで世話を焼くのもあいつにだけだし、ここまで幸せになって欲しいと思うのもあいつだけ。あいつのことは知り過ぎてるから、ある意味自分のこととの区別がつかなくなってるのかも」
 一ノ蔵は、止めていた口の動きをゆっくりと再開する。何かを考えながらから揚げを飲み込むと、大澤が再びビールを飲んだ。
「こんなもんでいい?答え」
 一ノ蔵は大澤の言葉をまだ噛み締めているのか、すぐに言葉を返そうとしない。別に大澤も急いでいる訳ではないので、適当に食事をはじめた。
「この間・・・・」
「ん?」
「本当の宮坂さんが知りたければ酔った振りをしてみろって言ったじゃないすか。あれ・・・どういうことなんですか?」
 お互いに食事を続けながら言葉を紡ぐ。
「どういう・・・って、結果として前進したでしょ?」
 まぁ確かに、宮坂がこっちの人間だってことも分かったし、優しいのも分かったけど、それってあの状況じゃなくちゃいけなかったのか?・・・と一ノ蔵。
「まぁ、結果としてはそうですけど。別に・・・酔った振りしなくっても良かったんじゃないんですか?」
「酔ってない相手を忍がホテルに連れて行くと思うか?」
 それは・・・・思わない。
「ひとつ言っておくけど、忍はただ優しい奴ってのとは違うぞ。むしろすごく合理的だし、ビジネスライクな考え方をするし、妙に潔癖だ。自分で歩ける奴に手は貸さないし、必要の無い責任は負おうとしないし・・・」
 いつになく真剣な顔の大澤を、つい一ノ蔵も見つめてしまう。
「なにより、人との距離感に対して神経質」
「距離感?」
 別に、そこまで距離を置かれているという感じはしない。むしろ、出会って間も無い割に近づいている気がしていただけに、一ノ蔵は驚いた。
「あのルックスだけあって、当然忍はもてる。特にアメリカに居た時なんて大変だったんだから」
 まぁ、それも予想はつく。特にアジア人は、実年齢よりも若く見えるっていうし。
「でも一気に強気で近づくと、あいつは拒絶反応を示す。そのくせ、出会ってから時間が立ち過ぎるとあいつは落ちない。なぜか?それは最初の位置決めで遠くに置かれてしまうから。でも、二人きりという状況には滅法弱い。だから、短時間でかつ強引でなく、明確な理由付けができる状況で二人きりにならないと駄目なんだ」
「ほぉ〜」
 思わず感心して肯いてしまう。なんと素晴らしい分析。それが本当に本当かはさておきとして、とりあえず今の所は大澤のもくろみ通りに進んでいるのだ。間違ってはいないのだろう。
「で、忍が珠ちゃんのことをどう思ってるかは分からないけど、まぁ珠ちゃんが忍のことを好きだっていうのなら、そうしてみたら?って言っただけ」
 本当は大澤、思いっきり忍の気持ちを知っている。けれど、もちろんそれを一ノ蔵に言うつもりはない。言ってしまっては面白くないというのもあるが、やはり気持ちの確認というものは当人同志がした方がいいと思っているからだった。
「で、ここが面白いなと思うのは、人ってモンは相手に好意がある場合、その『短時間で強引でなく理由のしっかりとした二人きりの状況』ってもんを『運命』なんて言葉に置き換えちゃったりする時がある訳よ。可愛いよなぁ」
「ほほぉ〜。なるほど」
 これは面白い。素晴らしく納得。そりゃあ運命だと思いもするかもしれない。現に一ノ蔵自身、あの夜の出来事はプラスの記憶として刷り込まれている。それも、目の前の策略家の手によるものなわけだが、それを不快とは思わなかった。結局、望んでいた状況な訳だから。
 でも・・・あれ?
「もしかして・・・・宮坂さんの財布・・・・?」
「あははは。ばれた?忍が寝てる時に珠ちゃんがスーツのジャケットをかけてあげたでしょ。その時に入れちゃった」
 もはや驚くことしかできない。一ノ蔵は横を向いてため息をついた。
「なんか・・・全部仕組まれてるんすか?」
「それは違うだろ」
 笑顔で即答。一ノ蔵が「そうかなぁ?」という顔で大澤を見ると、大澤がからかうような瞳で続けた。
「だって俺、一度も珠ちゃんに『忍のことを好きになれ』なんて言ってないもの。好きになったのは、珠ちゃんの自由意志でしょ?」
「・・・・・・・」
 一ノ蔵の目から、鱗が落ちる。さらに大澤がとどめの一言を放った。
「それは、本当に運命」




***As I grew up***



 宮坂は大きく伸びをすると、ジャケットを手に部屋を出た。
 もう夜も遅い。乾かしたばかりの髪がスースーする。いくら部屋があったとはいえ、シャワーを浴びるんじゃなかったなと少し後悔した。
 宮坂は仕事でこのホテルに呼ばれていた。通訳の仕事は翻訳のそれほどではないにしても、やることがある。が、今回のようなピンチヒッターはいつもよりも数段緊張した。しかも、通訳というよりもインタビューに近い。ハリウッド俳優の映画宣伝用のインタビューなのだが、時間が限られている上に相手も長い拘束時間で疲れきっている。宮坂も、俳優の滞在ホテルの一室で公開予定の映画をビデオで(当然字幕無し)見て、一気にインタビューに備えたのだ。
 集中力を総動員したおかげでインタビューも上手くいき、あとは家に帰るだけである。こんなに遅くなっては一ノ蔵に電話はしない方がいいのかな・・・と、少し迷った。
 エレベーターブースで下を押す。まだ、エレベーターは上に居た。




***As I grew up***



 笑いが止まらない。
 一ノ蔵と大澤は、締まりの無い顔でバーを出た。別に二人とも酒に弱い訳ではないものの、大澤は最近の平均睡眠時間が2時間ほど、そして一ノ蔵も話の中身に気分が高揚したのか、いつもよりも回ってしまっていた。
「いやぁ、ヨッさん(いつの間にやら・・・)。あんた本当に悪い人ですよねぇ。はははははははははっ」
「だって、そうでもしないと、いつまでも忍は恋愛永久凍土から出てこないんだもの。わははははははっ」
 わははははははははっ!
 お互いの台詞の意味を分かっているのか、目を合わせれば意味もなく笑ってしまう。
 エレベータに乗り込み、一ノ蔵がネクタイを緩める。と、それを見た大澤が一ノ蔵のネクタイに手をかけて言った。
「忍の奴、人のネクタイ結ぶの上手いんだぞ」
「へぇ〜、そうなんすか?俺、人のネクタイなんて結べないっすよ」
 へらへらへらっと二人で笑う。微妙に足元がおぼつかなく、一ノ蔵が大澤の背に手を回した。
「あいつ、ネクタイをきっちりしてる男が好きだしな〜。だから、君もきっちりするように(←バカ二人)」
「ふあ〜い(←情けない)」
 と、一ノ蔵のネクタイを掴んで大澤が締め直す。二人の顔が近付いて、大澤が一ノ蔵の顎に目をやり、止まった。
「あ、ここ切れてっぞ」
「そうだ、今日髭剃りの歯を買って帰ろうと思ってたんだ」
 とりあえず大澤が、きゅきゅきゅっとネクタイの結び目を綺麗に整える(←緩めたばかりなのに)。ついでに下顎の傷を指で引っかいた。
「お前、髭薄いな〜」
「脛毛はしっかりあるんすけどね〜」
 と、その時途中で止まるとは思わなかったエレベーターが止まり、ドアが開く。二人して体裁を整える間もなく、そのままドアの向こうにいる人間と目が合い、そして三人して固まった。
「あ・・・・」
「宮坂・・・さん?」
 一ノ蔵のネクタイを掴んで首筋に顔を寄せている大澤。掴まれている一ノ蔵も大澤の背に手を回したまま、もう片方の手で自分のスラックスの裾を引き上げて脛毛を見せている。
 ともすればいちゃついていると言えなくもないようなその光景に、宮坂はただ無言で目を丸くする。そして、誰一人としてそこを動くことが出来ないまま、エレベーターは無情にもその扉を閉じた。




***As I grew up***



え?一×大とか大×一とか?
それはちょっと・・・(−−;)