「被団協」新聞−1999.2月号


1面   国内外に広がる「原爆と人間展」   「松谷」署名32万超す  
2、3面  パキスタン・スリランカ訪問   被爆米軍人への補償   広島・神田山荘新装オープン  「世界子ども平和像」
4面  相談の窓−医療費控除と障害者控除

草の根からの被爆の実相普及へ − 国内外に広がる「原爆と人間展」

 感動のなかで各地で開催されている「原爆と人間展」のパネルの普及が、今年は年初から各地で意欲的にすすめられています。1月25日現在で611セットとなり、うち外国への普及が16カ国、26セットとなりました。

 岐阜県では、加藤昇県原爆被爆者の会会長が先頭に立ち、教育委員長、市町村長にカラーリーフとパンフレットを持って要請。昨年18セット、今年も早ばやと3セットの購入を取り付け、普及数は合計21セットとなりました。うち自治体が7で、県立図書館にも普及できました。

 購入した自治体では、広島への修学旅行の事前学習用教材や、戦争展などで活用しています。

 岡山県の原爆被爆者会は、1月6日付で県内すべての自治体にパネル購入の依頼文書を発送しました。届いたころに被爆者会の妹尾要会長ら役員が訪ねて要請し、今年になって3セットが普及されました。

 外国への普及は、アメリカ5、イギリス3、ロシア2、イタリア2、インド2、スリランカ2、韓国、チェコ、ノルウエー、カナダ、リトアニア、モーリシャス、パキスタン、フイリピン、マレーシア、フランス各1です。

岡山市で16,000人

 岡山市原爆被爆者会は昨年10月14日から19日まで、岡山市の繁華街にある天満屋デパート地下の市民ギャラリーで、「原爆平和展」を開催。市民16,000人が参観しました。

 これには役員のべ30人が交代で説明役に当たり、参観者数はカウンターで数えました。 会はこれまでも、毎年夏に広島、長崎から資料を借りて原爆展を開催してきました。昨年は「原爆と人間展」パネルを県被団協から借りて開催しました。例年は2万人の参観者をえてきました。昨年は会場の都合で秋の開催になったうえ土、日に台風に見舞われて参観者が減ったものです。(岡山市原爆被爆者会事務局長 稲岡英之輔)

新春に3カ国へ−日本生協連が贈呈式 

 世界の300都市に「原爆と人間展」パネルを贈呈して、核兵器のない21世紀をめざそう−としている日本生協連は、今年早々に3カ国から贈呈の申し込みを受けました。

 スリランカ全国協同組合評議会、マレーシア全国協同組合連合会、フィリピン協同組合連合会の3ヵ国で、2月25日に生協ひろしまで贈呈式を予定しています。


「松谷」署名32万超す

 原爆松谷裁判ネットワークは1月26日、4回目の最高裁要請を行ないました。早朝ビラ配りと要請に参加したのは、首都圏の被団協と日本生協連、世界大会実行委の10人。提出した個人署名は119,355人分。累計で32万人を超えました。団体署名473、上申書15通も提出されました。

 こんどの署名提出で特徴的なのは、三重、東京、名古屋の生協のほか、全国地婦連、国労、YWCA、全日本民医連など、署名に取り組む団体が広がってきたことです。

 また、長崎の松谷訴訟を支援する会から届いた署名のなかで、目立ったのが、島根県出雲市の須谷良さんが1人で集めた5,000人分の署名です。

 須谷さんは73歳。清涼飲料水の販売会社を定年退職してから、社会に役立つ仕事をしようと思っているとき、市の図書館で広げた新聞ではじめて松谷裁判のことを知りました。被爆者ではありませんが、「なんと気の毒な人がいるものか」と思いました。

 かつてえん罪事件で署名を集めた経験のある須谷さんは、「署名なら自分にもできる」と思って支援する会から署名簿と松谷裁判のパンフレットを送ってもらいました。

 そして「署名行脚」を始めました。近隣の町にも行きました。平成8年中に4,000人の署名を集めました。9年には6,000人。これらが福岡高裁へ提出され、松谷さんの勝利判決につながりました。

 最高裁への上告を知って、須谷さんは怒りました。そして平成10年中に5,000人分の署名を集めたのです。

 最高裁に提出された署名には、こうした草の根からの願いと怒りがこもっていました。 他の記事   原爆松谷裁判


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