ホームページ立ち上げ奮闘記

2000.11.5

■開設の経緯

書店の店頭には今までに数々の過去の鉄道写真集が並びました。子供の頃から気に入ったものは今までに何冊も購入していますが、それらを見ると、自分が生まれた頃、あるいはそれ以前の作品からは古き良き日の鉄道が伝わってきて、自分が実際に行った場所でもないのに懐かしさのようなものを感じます。諸先輩方の作品を拝見するたびに、自分もあと10年早く生まれていたならばそれらに手が届いたのではないかと思ったものです。
 小学校の高学年の頃から鉄道写真を始めて25年以上が過ぎ、いつのまにか私も今10代、20代の方々が幼少の頃、あるいは 生まれた頃の作品を保有する世代になってしまいました。
 2000年1月にインターネットのプロバイダーに加入して以来、鉄道関係のさまざまなサイトを訪問し、自分もごく限られた人にしか見せたことのないアルバムをより多くの方に見ていただこうと思うようになりました。
 3月に初めて自分の作品を「阿久比大使館」(現、AGUI NET)-岡戸秀郎さん開設-に掲載していただき、この写真は全世界から見ることができるのだと思うと心の底から沸き立つものを感じました。その後、10数コマの掲載をいただいて、しだいに撮影した当時思ったこと、どう行動したのかも交えて伝えたいと思うようになりました。

■写真の取り込み、色補正との格闘

今までに撮影したネガ、ポジのほとんどは残してありますが、20年以上を経過したネガはさすがに変色が著しくなっています。最初のアップロードでは活動の原点となった碧海地区で撮影した小学校〜高校時代の写真が中心となっているため、1コマ1コマ色補正をする必要がありました。
昔は自宅の近くに写真屋さんがなく、1978年頃までは父がひいきにしていた市の中心部に近い純正処理の店に現像を依頼していました。近くのクリーニング店でも取り次ぎをしてくれてはいましたが、色は今ひとつで、品質にうるさかった父はひいきの店にしか出しませんでした。サービスサイズ(E版)1枚65円で、小学生には気軽に撮影、プリントを楽しめる時代ではありませんでした。しかし、さすがは純正処理を名乗るだけあって、20年以上を経た今も大幅な補正なしにそこそこの色が出ています。
 しかし、1979〜80年のネガは平均してどうも調子がよくありません。特に1978年末から1979年初めの1本は特に状態が悪く、フイルムのせいなのか店を変えたのがいけないのかはわかりませんが、色かぶりのほか細かい斑点が大量に残っていました。
 ニコンのフイルムスキャナーCOOL SCAN-3は取り込み時にイメージフィックスという機能を使えば、きずやほこりは大抵見事に除去されますが、変色までは除去できません。  下に補正で苦労した1コマをご紹介しますが、デジタル画像に関する特別な勉強をしたわけでもないため試行錯誤の末の成果です。初期の頃処理した画像が気に入らなくなってやりなおしたりと、時間ばかりが経過していきました。

スキャナーの自動設定による取り込み画像  

今回は使っていない写真ですが、スキャナーの自動設定による取り込みの結果です。(明るさだけは調整しました。)全体に赤味が不足し、空の下2/3ほどが黄ばんでいます。拡大してみると黄土色の斑点が無数にありました。


試行錯誤による苦心の末の補正結果

全体のかぶりは自動補正で取れますが、まだ空が不自然に青い状態であったため、色相、彩度、明度の補正を行いました。フォトショップLEは単色ごとの補正が可能で、幸い空以外に青い部分がないため、補正は楽でした。
問題は黄土色の斑点で、自動補正で消すこともできますが、余計なところまで削られて汚くなってしまいます。そこで、拡大して健全な部分をコピーして斑点の上に貼り付ける操作を丹念に繰り返し、やっとここまでになりました。
しかし、これでも完璧とは言えません。空に強引な補正を掛けたため、不自然な色の境界線が出ており、アンシャープマスク(ピント補正)が効きすぎてギザギザが目立っています。
 比べてみなければこれで上等でしょうか。今後暇を見つけてより高度なテクニックを身につけたいと思います。

■データ整理との格闘

掲載する写真の選定、解説文の作成には、中学1年の頃から付け始めた記録ノートが大いに役立ちました。現在までにA5版で8冊、初期の頃のものはかなり変色してしまっています。
 当時読んでいた「鉄道ピクトリアル」には現在も続く「トピックフォト」というコーナーがありますが、撮影場所、撮影日、車両番号のほか、列車番号や配置車両基地のデータも記載され、それに影響され、中学生の身でわかる範囲で記録していました。改めて見てみると汚いノートですが、我ながらよくも飽きることなく書き続けてきたものだと思います。
中学生の頃の記録ノート

 最初のページに書きましたが、鉄分5%以下の初心者の方にも見ていただけるサイトを目指すと言ってておきながら、列車番号や所属の略号など、専門性の強いものを載せるのはいかがなものかとも思いましたが、結局載せてしまいました。自分が中学生の頃の「偉業?」を大切に生かしたかったのです。
 それでも膨大な記録の中から目的の1コマを探し、撮影データを書き込むのは結構手間のかかる作業で、気が付けば恐ろしい時間になっていることもしばしばでした。
記録ノートNO.1より。一部、父の仕事用のスタンプを借りています。

■HTMLタグとの格闘

初アップロード分についてはほとんどをマイクロソフトから無料で配布されている「フロントページエクスプレス」*(以下FPX)で大枠を作成し、細部の調整には「ノートパッド」やフリーソフト「HTML Maker AZUKI」(森川元也氏)を使いました。最初はシェアの広いあるワープロソフトを使い、HTML形式で保存していましたが、ブラウザで見ると配置がめちゃくちゃになっていたり、そのファイルをFPXで触るといろいろな部分がおかしくなって しまったりとトラブル続きでした。なんとか思うレイアウトができても、ネットスケープではリンクが全く効かなくなっていたり、ファイルサイズが大きすぎて、読み込むのに時間がかかったのでは皆さんに逃げられてしまうのではないかと思うと、国内だけでも何万人のウエブマスターの方々はいったいどうやってあんなに凝ったものを制作されているのだろう、 自分にはなんとセンスがないことかと嘆き、焦ることもしばしばでした。
 そんなとき、HPの作り方を紹介したサイトをいろいろ見ていて、意外な意見に出会いました。

「制作ソフトに頼りきっていてはよいHTML文書はできません。無用のタグが随所にあって重いファイルになっているのです。(--ソフトによってはこんなことが起こるようです。--)私は全てHTMLタグをテキストエディターで・・・。」

そうですね。やはり何事も基本からですよ。早速書店で初心者向けの解説本を買ってきましたが、基本的なタグがわかりやすく解説してあり、FPXで作った文書をテキストエディターで開いてみて、そのときは「なるほど、なるほど」と見ていました。
しかし、いざ参考書を見ながらタグを書いてみても全くイメージの違う表示になってしまったり、リンクが壊れてしまったりとなかなか思うとおりにはいきませんでした。
最も苦労したのは「ホームタウン」の路線図です。試運転時には駅と線を座標の指定によって直接配置していました。これとてさんざん苦労した末、やっとできあがったものですが、試運転のモニターをお願いした方々から「レイアウトが乱れてリンクも切れている。」と連絡がありました。ブラウザによって表示にかなりのばらつきが出てしまったのです。
 これは困りました。実は座標指定のものを作る前に表(tableタグ)に画像を配置する形式で作成していたのですが、駅名と線の間にすき間ができてしまいました。最初はGIFを出力できるソフトを持っていなかったため、駅名の作成には裏技を使いました。「マイクロソフト、ワード」で図を描き、それをHTML形式で保存すると生成されるGIFファイルを利用していますが、この方法では右と下に無用な透明な部分ができてしまうため、画像同士が密着しないのでした。
 2000.11.19の更新で修正しましたが、文字の大きさを大きくするとすき間が開くものと思われます。(説明文はブラウザで文字の大きさを選択していただくため、画像にしませんでした。)また、水平線を画像に変えていますが、これは「みずほ線」の説明文が改行されて縦線にすき間ができるのを防ぐのが目的です。        (2000.11.19 )

* フロントページエクスプレスは無料配布が中止されたそうです。

■古いネガをよみがえらせて

撮影して25年も経つとそのときの細かいできごとはさすがに忘れてしまっています。しかし、古いネガをスキャナーに掛け、大画面で見ながら色を補正する作業を続けていると、ふとその時の空気が流れ込んでくるような気がします。車両はもちろん、隅の方に写っている田圃や建物、標識など、様々なものからその日や当時のことが蘇るのです。あそこにこんなものがあった、彼がこんなことを言った・・・。
 こんなに風情のあるところになぜもっと行っておかなかったのか、この車両をなぜもっと撮っておかなかったのかと悔やまれることは多々ありますが、たとえ今のレベルからは失敗と思われるような作品でも当時の情景を呼び覚ますには十分な力を秘めています。

引き出しの中にはまだたくさんのネガが眠っています。社会人の立場ではなかなか思うに任せませんが、今後テーマを定めて公開していきたいと思います。

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