浄土へ至る道(その3):
このひと月ほどの間に連続して至高のオーディオの音を拝聴させていただく機会を得た。師匠と仰ぐ方のAccutonダイヤモンド三兄弟(+Audio Technologyの4way)、SONYのSUP L11/T11が縁で盟友となった方の完成したてのScanspeak Ellipticor四兄弟(+SONY SUP-L11ウーファの5way)。重鎮オーディオファイルとしてご高名な方のGerman Physiks DDDユニットを四方に配したシステム。
ひとつひとつのユニットにも圧倒される存在感がある:
いすれもオーディオファイルであれば聴いてみたい、手に入れたいと思うはずの垂涎のユニットで構築されている。おそらく、ここまでのユニット構成でシステムを構築している例は国内では少ない、あるいはほとんどないのではないか、と確信できるほどに尋常ならざる突き抜けた構成である。そして、それぞれの方の音は簡単に語れるようなレベルのものでは無い。ここまでの道程は相当に困難なもの(工夫や努力のみならず財力についても)ではなかったかと推測するのだが、それを微塵も感じさせぬ「脱帽」という表現しか思いつかない音である。
オーディオファイルと自認するのであれば、やはりこのレベルの(またはそれに近い)音を沢山聴いた上で音の是非を語るべきとの思いに至る。自分の音や良しと安易に語ることにはためらいも出るようになるはず。辛口で書けば、買ってきたスピーカシステムをリスニングルームに並べてこの次元の音がすんなり出せるとは思わない方が良いだろう。ここまで突き詰めた音を果たして出せるのかどうか、もちろん自分でも自信はない。大多数のオーディオファイルもやはりそう思うかもしれない。それでも心の中でこのレベルの音をひとつの目標として持つことはできる。
今までに拝聴させていただいた数々のオーディオファイルの音(と感動)も思い出す。ストーンエンクロージャで音を極めているAccuton使いの京都の達人、Altec A5をベースとした5Wayを朗々と鳴らす牧場主。その他のオーディオファイルも思い返せばAle Unitの4wayで聴く圧巻のQueen、そして厚木のGoto Unitの4way、などなど本当に魅力的な音の数々。大型のシステムばかりではない。BHBS方式によって低域が支えられた8cm級のユニットの目の覚めるような音(と秀麗なエンクロージャ)。精緻な理論にてアセンブルされた姫路の小口径2wayとパッシブラジエータによって眼前に展開する広大なサウンドステージ。音源との組み合わせの妙もここにはある。
世の中には己の取るに足らない音などを遥かに超越しているオーディオファイルの方々が沢山おり、幸せなことにそれらを拝聴させていただく多くの機会を得てきた。そしてその音に近づこうと追いかけてもきた。冒頭に書いたお三方の音、分けても師匠のオーケストラの音はひとつの理想を具現化しているのではないか、と強く思うものなのだ。
オーナー毎に微妙な個性の違いがあるのは当然かもしれないけれど、音楽の感動をもたらすという意味では同じ土俵にあるものだと思う。それでも音の表情、肌触りというところにそれぞれを構成しているスピーカーユニットの(振動板の?)特徴が出てくるところにオーディオの醍醐味がある。明晰で冷たくもありながら柔らかい感触のダイヤモンド。音の濃さと温もりや艶を感じさせるシルク。全方向に放射した音でライブステージの幻を出現させるチタン。これは先入観がそう感じさせるのか、実際にそうなのか、断言は難しいのだが、、、いずれも理想を追って突き詰めた音であるのだけれど、オーナーの音楽の嗜好がそこにはそれとなく反映されているようにも感じられる。
音楽のジャンルや音源(の録音)とも相関があると思っているが、自分としての好みの方向を突き詰めてみればそこには朧げながらも現れてくるものもある。自分が指向するものを前面に出そうとすれば、これらの至高の音に対してもある種の欲のようなものも表出する。これはつまり自分にとって最上の音は「何処かにある」のでは無く、「自分で創らねばならない」との想いに発展していくものなのだ。このような観点で改めて我が家のベリリウム三兄弟(+SONY SUP-L11の4way)を鑑みると、どこまで自分の望む音が出せているのだろうかと自問してしまうことにもなる。
当然ながら、自分の好きだと思う音を具現化するために伸吟してきたので、好みの方向性は多少なりとも打ち出せているようにも思う。ベリリウムのお陰か付帯音が少なく透明度の高さは担保できていると考えるのだが、逆に音楽の熱量としては控えめな傾向にある。従って自分でそれなりに及第点を付けているのお気に入りの音楽、音源を鳴らす時であれば、おそらくさほどのビハインドは感じなくて済むかもしれない。だが、それでは間違いなく井の中の蛙となるだろう。比較とか優劣ということではなく、ただシンプルにどんな音楽でも誰もが納得するような音へと更に昇華させねばならない、、、そういう新たな意識、あるいは目標(野望?)が生まれても来る。
年齢を重ねただけで浄土に至れる訳ではない。目指すべき地は人それぞれに違うと思うけれど、自分の浄土へ向かって歩き続けねばならない。自分のシステムに対する自己満足は(心の健康のためにも)必要なことかもしれないが、そこに留まっていては真の音の浄土には辿り着けない。改めてそのように強く思う体験でもあった。
ベリリゥム三兄弟:(音の浄土という終着駅へ導いてくれるものとなるか、、、)
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