安住の地、約束の地:
永遠に終わらせることが難しい「完璧なる4wayの設定」という宿題をこのまま抱え続けるのだろうけれど、少なくとも現状はシステムの出音に対してある程度の納得はあって音楽を聴くことにそこそこの満足はできるようになっている。何よりも日々聴く音楽がストリーミングによってどんどん広がっていくので、音楽の海を渡っていくことの楽しさがここにはある。
音楽を聴くための仕掛けとしてはもうこれでいいんじゃないだろうか、、、多彩な音楽を(半分居眠りしながら)聴いていても、このところ大きな不満がない。オーディオシステムの構築に決して法外な費用投下を行ってきている訳ではないけれど自分なりには情熱を持って頑張ったと思うところも少しはある。
現状は謂わば休息の地にいるのかもしれない、と時に思う。モーツアルトのみならず、パガニーニもボッケリーニもバッハもチャイコフスキーもベートーベンも皆素晴らしい音楽だし、それらを充分に堪能しているのにこれ以上オーディオに求めるものは何なのだろうか。
そろそろ自分としては区切りを付ける時期であることは薄々にも自覚しているのだが、そのような観点から現在のこの地点を自分のオーディオの安住の地としてしまっても良いのかもしれない、と思う気持ちがこのところ出始めている。
寝落ちする音楽が聴ければ良いのでは:
世のオーディオ情報を漁れば漁るほど踊らされ感もあって、またある種の飢餓感が増幅されてとても「オーディオの真実」には近づけないようにも思える。機器などの導入による変化(激変?)を語るネット上の情報発信者も多いのだけれど、そこで語られる変化というものは自分で聴いてみなければ何も判らないもの。自分もその片棒を担いでしまっているところもあるが、多少懐疑的になるような類のものもこれらの情報の中には多々あって、自分としては情報に耳を塞いだ井の中の蛙で居てはもちろん遺憾とも思うのだが、今までの経験値がシンプルに「自分で聴いて判断せよ」と告げてくる。
音楽を聴いて初めてそこでの音の質を理解できる。言葉で表すことは不可能ではないけれど極めて難しい。人それぞれ、拠り所とする経験基盤や価値判断の基準が異なっているし、目指すものも日々聴く音楽もまた大きく違う。だから同じ基準で評価することは基本的にはできないことだとも思う。そもそも音楽の好みも異なるし評価に使われる音源もまた千差万別である。当然ながら音源によってシステムの評価も又微妙に、時に大きく変化する。
オーディオの理論的なことはもちろん大事なのだが、自分の感覚、感性を(ちゃんと磨いた上で)結局はこれを頼るべき指針として、僅かづつの積み上げと取捨選択を行うことによってのみ、自分のシステムの音を向上させることができる。そう考えている。世にある情報は大切だけれど鵜呑みにはできないものでもあって、どうしても自分の実践を加えていかねばならない。
そうして創り上げてきたものがやっとここまでは来たようにも思える今、ここに安住したいという気持ちが出てきてしまうのは自然なことなのかもしれない。あるいはこのこと自体、自分はもう年老いたということなのだろうか。
オーディオの音の極みを求道し、自分なりの理想の音を追い求めて来たつもりではある。アプローチはそれぞれ異なるものとしても、幾多のオーディオファイルの素晴らしい音を聴かせて頂いてもきた。追いつけないと思わざるを得ないことはしばしばだけれど、そのような経験値からは客観性に基づくある程度の評価軸を形成することは何とかできたのではないかと思う。
だが、結果としての我がオーディオの音を省みれば、理想の音には到底至らない。至ってはいない。だから、この先にあるかもしれない「次の旅」によって約束の地にたどり着けるものなら、這ってでも進みたい。だが、それはおそらくは夢、幻であろうし、理想とは謂わば永遠の無いものねだりと紙一重。
趣味として考えるなら、この先の機器更新や微細なブラッシュアップもまだまだ続くとは思う。だが、根本を変えるような大きな方針変更はもう無いのかもしれない、と思うところもある。だからここまで進めてきたデジチャンベースの4way構成とベリ三兄弟の更なる熟成を図ることが最重要の課題であろうと、冷静になればそれは判る。いや実際は、まだ、その新たな方針、指針が分かっていない、気が付いていない、ということだけかもしれない、、、そのような囁きも心の内には聞こえてくる。
その新たな命題に気が付けるのか、そのような新たな指針を打ち立てられるのか、それは今はまだ判らない。この観点に於いて、やはり現状は休息の地であって、安住の地にしてはならないんだとは思う。そこだけは自分でも薄々理解できているはずだ。
かねてより思ってきたこと。満足に至らないという飢餓感「のみ」がオーディオを前進させる。理想に至る狭き門はまだ閉じてはいない。だが、もう閉まりかけている。この先の約束の地を目指して道を進めるのなら、それを自覚しておかねばならぬ。
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