オーディオ日記 第37章 夢の旅路は続く(その6) 2016年2月16日


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オーディオの際限の無さ、これはある意味趣味の世界なので何も特別なことはあるまいとは思う。いろいろな分野の多くの愛好家は少しでも精進しようとあれこれと工夫と努力と散財を続けていることは何処の世界も同じ。そして「自分を鍛える」ということ無しには前進も成長もない。また、道具を愛でることも然り。多少オーディオの世界が違うのは、そこに音源という受動的にならざるを得ない部分が存在することくらいか。

きれきれに冴え渡る音源の素晴らしさはオーディオを愛し、またその音に触れねば判らぬであろう。そのような音源はこの世界では貴重品であり、結果それを求めてやまぬことも多い。そのような音源に限って、何故か在庫切れになり、入手できずもどかしい思いをすることも度々である。音源などは所詮複製品であるので、所望者が多ければどんどん作れば良いのにとも思う。一方で容易く入手できないという飢餓感もまた業界のビジネス的には必要なのかもしれないが。世がダウンロード中心に移行しつつあっても、そのような貴重品はあまり登場してこないことが少し不思議でもあり残念でもある。

一方で、当方は「普通の音源を気持ち良く鳴らしたい」という想いが強い。突き抜けたような音源を高い音圧で聴き続けるようなことは自分の得意とするところではなく(たまにであれば良いのだが)むしろすぐに聴き疲れてしまうのだ。優しい音楽(Mozartに代表されるような)をほどほどの音量でそれこそ果てるともなく聴き続けたいと思うことの方が多い。冴え渡る音源を大きな音で聴く、という方向でのチューニングができていないという要因もあるかもしれないが。

やはりオーディオは音源があって始めて成り立つ世界でもある。茶道の世界に例えて良い道具や茶室などに思いを致せば、音源は基本となる抹茶とも云えるだろうか。 作法などの精神性ももちろん重要な要素ではあるが、これ無くしてはそもそもが成り立たない世界という意味で。

このところ少し悩んでいるのは、多様な音源をひとつの設定で鳴らしきれるのだろうか、というもの。4wayのマルチアンプシステムを希求してきたのはシステムの持つ多彩な表現力をポテンシャルとして求めてのことである。しかし、クラシック音楽に於いても大編成のオーケストラから教会音楽、室内楽や器楽曲などその演奏空間は様々で録音時のマイクの距離も同一ではない。もちろんスタジオで録音、製作されるような場合もある。JAZZやROCK、POPS系の音楽などは必ずしも自然な響きを求めているということではなく、音の造詣はそれこそ多彩である。これを限られた「振動板」であるスピーカーユニットを駆使して再現し得るのか。もちろんオーディオのひとつの姿は普遍的に音楽を再現できることだと思う。ただ、それはもしかしたら究極であり、常人では手に入れられるものではないひとつの理想像のような気もしてきている。

4wayの設定で云えば、クラシック系の再生には-6dB/octのスロープ特性を使用し、フラットでかつ各ユニットの音をなるべく溶け合わせたような設定において空間が良く感じられ、音の厚みも出て好ましいと思える。一方、高い音圧を持続するようなROCK系の音楽ではもっと解像度や分離が欲しくなる。言い替えれば-6dB/octのスロープ特性では音の混濁感が中低域に生じてしまうのか、-24dB/octのスロープ特性で中低域のユニットの相互干渉を少な目にして駆動した時の方がROCK系らしい質感の提示となる。また、比較的少ない楽器数での伴奏を伴うボーカルを中心とした音楽では声の存在感、音色やある種の色気を感じさせてくれるような設定(=中域を重視した)が心地良く思う。このような設定では、当方にとってのオールディーズ(50~80年代くらいまで)のボーカル系音楽が良い塩梅の子守唄になる。

システムにより異なる音楽の再現性を楽しむのまたオーディオの醍醐味のひとつである。それ故に複数のシステム(あるいは複数の機器やスピーカー)をお持ちの方も多い。当方も決してOne and Onlyを目指している訳ではない。しかし、音楽によって設定を切り替える(確かにこれが簡単にできるのが実はデジチャンの良さでもあると認識しているのだが)といのは本意ではない。ただ、ジャンルに対する傾向が歴然とあり、そこに得意領域があるのであれば、あまり音楽ジャンルを混在させて聴くということは実態としてないのでそういう聴き方もありかな、と思い始めている。これはひとつの設定ですべてをカバーできないことの言い訳かも、との自問は終わらないのだが。

また、スピーカーユニットそのものの個性や得意領域は厳然としてあり、音源に対してすべてトランスペアレントに振舞ってはくれない。これは必ずしも周波数特や能率、振動板の素材ということで割り切れることではなく、もっと根源的な何か(それは判らないのだが)がその個性を形作っているような気もする。多くのオーディオ先達にとっては、機器による個性、そんなの当たり前、ということなのだとは思う。一方で究極的にトランスペアレントであることがオーディオ(またはスピーカー)の理想であるはずだ、という方もいよう。当方も多くのスピーカーを聴き、その素材にも判らないながら耳を傾け、善しと思えるユニットを手元に迎え入れてきた。

それでも未だ世の多様な音源(と云っても手元にあるのは僅か一握りにも届かないのだが)をひとつのシステムとして鳴らしきることはできない。ちょっと悔しい。メインとなるジャンルの音源に合わせておけば良いのでは、と割り切ろうかとも考えたが、まだまだ足掻き続けなければならないのであろう。

現在の4way構成のベースとなっているのはSONYのユニットであるが、このユニットの個性を消す方向でチューニングを進めて来たようにも思う。そしてたどり着いた設定で聴くMozartはそれが10枚いくらの廉価版のCDであってもとても優しくその音楽を提示してくれて求める方向にはなってきた。ただ、この設定でオールディーズのボーカルを聴いても昔日の熱い想いは蘇えらない。SONYのユニットが得意としてきたボーカルの良さは裏腹に消えてしまっているような気がしてならないのだ。そこで、ウーファとドライバーの受け持ち持帯域を少し広げ、両ユニットの存在感が出るような設定にするともどかしさが減り、少し安堵するのだ。SONYのユニットは初めて聴いた時にボーカルの再生に驚喜し、憧れ続けたユニットであり、永らく苦楽を共にしていることや身体に染みついたものがあって、それと関係しているのかもしれないと自覚はしているが。オーディオや音楽(録音されたものを再生するという狭義の意)は電気的な仕掛けと人間の感性の上に成り立つものでもあり、音源の良否は現在の自分の好みや興味にも依存するし、また過去の甘美な記憶を微妙に引きずっていることもあって、奥が深く、難しいものだとますます感じるようになってきた。自分の耳を鍛えようとは思う。少しは成長したかとも自惚れる。だが、「鳴ってくれない音源」を目の前にした時には、これは元々の音源としての在り様なのか、我がシステムの要因なのか、と困惑し呻吟してしまうことも度々ある。まだ越えるべき峠は多く目指す頂は見えてはいない、ということであろうか。

各設定備忘録:

4way システム設定(クラッシック系)

Unit High Pass Low Pass Slope(H-Pass) Slope(L-Pass)
Low - 250 N/A -6dB/oct
Mid Low 250 1000 -6dB/oct -6dB/oct
Mid High 1000 4000 -6dB/oct -6dB/oct
High 4000 - -6dB/oct N/A

4way システム設定(Rock、Jazz系)

Unit High Pass Low Pass Slope(H-Pass) Slope(L-Pass)
Low - 315 N/A -24dB/oct
Mid Low 315 1250 -24dB/oct -24dB/oct
Mid High 1250 3550 -6dB/oct -12dB/oct
High 3550 - -12dB/oct N/A

4way システム設定(オールディーズ系ボーカル用)

Unit High Pass Low Pass Slope(H-Pass) Slope(L-Pass)
Low - 355 N/A -12dB/oct
Mid Low 355 1400 -6dB/oct -12dB/oct
Mid High 1400 5000 -6dB/oct -12dB/oct
High 5000 - -12dB/oct N/A


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