オーディオ日記 第36章 歩き来た道の果て(その7) 2015年11月 7日


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4way構成が落ち着いてきて、少し安寧の日々が続いている。だが、しばらくするとあれこれとトライしてみたくなるのはどういうとなのだろうか、、、、

我が家の4way構成はユニットをインラインに配置できない、という設置レイアウト上の制約がある。ユニットの数が増えるだけでも音の溶け合いが課題となるのだが、これをさらに「リラックスして聴ける」ようにするにはどうすれば良いのか少し考えてみた。いろいろなアプローチがありそうだが、今回チャレンジしてみたのはリスニングポイントを変更し、やや後ろ(1m程度)にずらしてみる、というもの。

我が家のリスニング環境はマンションのLDKなので、縦長配置である。ダイニングスペースとの絡みから、リスニングポイントはスピーカーからの距離をそれほど取っていなくて、後方にはかなりの余裕がある。また、定在波の影響が一番大きいのではと思われる位置を使っているという課題もあった。

今般永年(約四半世紀)使用してきたリスニングチェアーの老朽化対応をしたこともあり、その設置に際して、リスニングポイントを従来位置から後ろにずらしてみる実験を行った。スピーカーまでの距離は従来の約3.5mから約4.5mへ拡大である。各ユニットから距離が大きくなることによる功罪はどのようなものだろうか。(もちろんこの位置ではダイニングスペースに被ってしまうので、音楽鑑賞時以外は今までの位置にリスニングチェアーを戻す前提であるが。なお、この1m後方に下げた状態でも背後の壁面までは3m弱の距離がある)

ニアフィールドリスニングという言葉があるように、一般論的には、近接距離の方が高域が減衰せず、部屋の影響も相対的に小さくなることから鮮度感の高い音が聴けると思う。特に小口径のユニットの場合は音離れの良さと相俟って音場感が向上するように感じている。我が家の場合はもともとウーファー、ホーンの形状が大きいことに加えて、ミッドローを担当するユニットが平面型ということもあって、実際の投影面積がかなり大きいのだ。従って、近接する距離では4つのユニットが単独で鳴っているイメージがある。これがもう少し「溶け合って聴こえる」状態になれば嬉しいのだが。

ちょっと気になっていたのは「音量」である。共同住宅という環境なので、リスニングポイントを下げることによって音量をかなり上げなければならないようなことになるとこれはちょっとまずい。ある程度の音量感が伴わないと、満足度のメーターは上がらないのだ。この点は皆無ではないが、思った以上に音量低下感は少ない。1ノッチ程度の音量アップで充分だと思えた。さてさて、結果としての音の溶け合いと音楽を聴く「楽しさ」はどうであろうか。

自画自賛かもしれないが、これはなかなかいい感じ。ホーンやFPSは元来音の浸透力が高いので、鮮度感が大きく失われるということはない。念のために中高域で+1dB、高域で+2dBの設定変更を行ってみたがリスニングポイントでの測定上の周波数特性の変化はほぼ検地できない。音の広がりは当然ながら少し大きくなり、その分柔らかくなる感じがするので、特定周波数の音が耳についてしまうというような点は改善方向へ変化している。また、ちょっとふわっとした感じが距離に応じて出てくるので、音の溶け合いの観点も総合評価としてはMozartを聴くにはベターである。その分、臨場感みたいなものは少し薄まっているかもしれない。従来家具等のレイアウト優先でリスニングポイントを決めてきた経緯があるのだが、これはちょっと反省である。

厳密に云えば、もっと大胆に位置を変えながら最適なリスニングポイントを探すべきであろうし、定在波の観点からは縦長配置ではなく、横長配置にすべきなのかもしれない。一方でこれまた収拾がつかなくなっても困ってしまうので現状はこの程度にしておこうかと思う。

後方から見たリスニングポジション比較:


横から見たリスニングポジション比較:


追記:更新したリスニングチェアーは従来のものに比して「座り心地」は実は劣る。これはちょっと残念なのだ。

閑話休題:

オーディオにおける「音の良さ」という評価の観点は、楽器や声の音色の忠実な再現という軸と果たして同一なのであろうか。このところ、このようなテーマをゆるゆると考えている。生の音の持つ瞬発力、大きなダイナミックレンジ、そしてひりひりすると感じる時もあるような楽器から飛び散る刺激的な音。それでもそこに音楽としての快感は存在する。たとえそれがPA装置が介在したものであったとしても。

現実の音をパッケージとしてのオーディオソースに閉じ込める難しさ。そしてそれを再現するオーディオシステムの限界。PA装置の場合はベース用、ギター用、ボーカル用などなどそれぞれマイク、アンプ、スピーカーなど系統が分離されていることが多い。そしてそれが統合されてライブ演奏における音楽表現となる。これは考え方としてはオーディオにおけるマルチアンプシステムにも通じるものがあるかもしれないが、基本的考え方は同一ではない。

時に過剰なまでのオンマイクで録った音が良いと感じる時もある。高域感の不足するもの、周波数レンジの狭いものはどうしても満足度はあがらないし、鮮度感が感じられない音色はリアリティが無くて魅力が少ない。また、リバーブ・エコーがたっぷりしているものが心地よく感じる時もある。総じて響き(残響などのエコー成分?あるいホールトーン?)が豊かな方が音楽としての満足感、安心感?があるようにも思う。クラシック音楽の自然なホールトーン以外は基本的には人工的な加工であるにも係わらず。つまるところ、オーディオにおける音の評価の軸は、この人工的に加工(響きがリバーブとして追加されるなど)された音楽に対する尺度が中心となるのだろうか。

もちろん素のままの音楽の良さを捉えるための「ワンポイント録音」というものもある。が現在はこのような録音のソースは極めて少ないのではないだろうか。オーディオと生の比較はもちろん違う次元のものなので、比較自体がナンセンスなのかもしれない。一方で音楽を聴く、という観点では本来全く同一である。それではオーディオ的な美音、音の良さ、時に云われる音楽性の再現、などなど解釈が難しく、これらを自分のオーディオシステムにおいてはどのような尺度によって判断すれば良いのだろうか。

音楽を聴いて、「単に満足」であればそれでいいのかもしれない。もちろん最終的なゴールとしてはそれ以外の判断材料が無いとも云える。しかし、ソース自体の持つポテンシャルを正確に掴んでいなければ、自分のオーディオシステムのパフォーマンスも判断できない。聴き較べるオーディオシステムの音はひとつとして同じものは無い、と経験上判っている。そこでの良否の感じ方、判定も人様々である。ただ、比較すれば、どちらがより自分に取って好ましい音かは判断できる(出来ない時もあるが)。では、その時の判断基準となる「差」とは一体何か。どこに注目してその差を検知し、単に好み、ということでけではなく判定しているのだろうか。

このように考えてみると、やはりオーディオは一筋縄では語れず、混沌曖昧としたところも内在していると思わざるを得ない。我がオーディオ道も道の果てに近づきつつあるのか、はたまたまだまだ遠い彼方にあるのか、今の自分には未だ判らない。迷路を彷徨っているのか、この先にも道が続いているのか、それも判らない。こんな足掻きは結局終わらないと思うが、それでも「♪きっと信じてドアを出る~」だ。


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