オーディオ日記 第29章 音の泡沫(うたかた)(その1) 2011年11月11日


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準備を含めて大分ばたばたして時間もかかってしまったが、何とか滞り無く引っ越しが完了した。ほっとして気がつけば季節はさらに進んで早くも晩秋の感がある。これからはゆっくりと新環境にてオーディオにも取り組めるようになったかと思うと、疲れも少しは癒される。システムはとにかくレイアウトし、聴けるようにしただけ、という感じでまだまったく新しい部屋に合わせたチューニングはできていない。イコライザの設定も旧宅で使用していたままである。しなしながら、この数週間満足に音楽が聴けていなかったので、心には音への飢餓感がある。改めて聴く我がシステムは概ね変わりなく安心してモーツアルトに浸れ、ピアノや弦が心に沁み渡るが、やはりあれこれいじりたくなる部分も時に顔を出す。部屋全体の大きさとしては拡大していること、背後がダイニングスペースとなっているため、背面からの反射がかなり少ないこと。その分天井が従来より低いこと。このようなルームファクターの変化があるので、徐々に追い込みが必要と認識しているが、今はまだ我慢。しっかりと聴き込んで、部屋に身体も機器も馴染んできた状態になってからチューニングを始めようと考えている。

なお、現時点の音のインプレッションとしては、背面が固いコンクリートの壁ということもあり、ある程度距離を取って設置している効果か音(特に低域)の混濁感はについては杞憂であった。これが一番心配していた点でもある。高域についてはリスニングポイントの背後が大きなスペースになっている影響か、あるいは思ったより反響音が少ないせいか、かなり素直に感じられる。総じて大きな悪影響となるようなポイントが無いことが幸いであり、まずは安堵している次第。

今回のレイアウトでは、従来と比して大きく変更となった部分がある。それはプリアンプまでの機器とチャネルデバイダ以降の機器のラックを分けたこと。プリアンプまでの機器をフロントエンドセクションと考えて、一つのラックにまとめ、リビングルームに隣接する和室に設置している。( PROFILEのページご参照 )これはリビングルームにおいては左右の間隔が従来と同様には取れないことによる。このため、チャネルデバイダ以降をスピーカのドライブセクションと考えて、二つのセクション間(単純に云えばプリアンプとチャネルデバイダ間を)を少し長くケーブリングしたというもの。素直に考えれば決してベストな構成とは云えないかもしれないが、スペースの関係上やむを得ない。一方でスピーカ周りに多少の空間的余裕が生まれてきたことも事実なので、功罪相半ばかもしれない。(しかしながら、微妙なボリュームの設定変更をプリアンプで行うのは少々面倒くさい。このあたりをどうして行くか今後の課題でもあろう)

また、今回の転居にからんでいくつか思うこともあったので少し戯言として記載してみようかと思う。

1.断捨離について
前章でも少し触れたが、今回の転居は老齢となりつつある我が身や家内とのこの先の20年(あるいは30年)を考えての決断である。絶対的なスペースという物理的な制約もあって、長年に亘り溜め込んでしまった不要な品々を思い切って処分することから転居の準備をスタートしたが、現在の心境としては気持ちが身軽になった部分と少し寂しいという部分が同居している。もう使うことの無いと思う家財等には未練は全く無いが、子供達の小さな頃からの思い出の品々(これとて当の子供達が 思い出として取っておいて欲しいとも思ってはいないのだけれど)や、特に趣味関係のものは廃棄することに一抹の寂寞感が伴う。古いウェットスーツやライフジャケット、現役ではなくなっているスキー道具、ラジコン飛行機の残骸などくだらないものも含めて、もろもろ数えあければ切りがないが、これらは自分の青春(?)のある一時点を共にすごした品々でもある。これを廃棄することはその経験や思い出までも捨て去ってしまうことではないか、と何回も自問したことも事実である。しかしながら、物には執着しない、を念頭に迷ったもの、どうしても必要としないものは皆捨ててしまった。

2.所有欲について
オーディオに関しては、なるべく整理を控えたが、それでもサブスピーカとして使用していたJM Lab VEGAとPIONEER S-955などの大きなものはどうしても設置スペースがなく、新たなオーナーの元に旅立った。音楽を聴くためには自分にとってのベストな一組のシステムがあれば本来は充分なはずである。しかしながら、やはりあれやこれや手元に置いておきたい。身近に置いて聴き較べたい、と考えてきた。沢山持っていたい、良い機器が欲しい、良い音で聴きたい、といろいろな欲が混在している。しかし、一時点では一組のシステムでひとつの音楽しか聴けぬ。これが最上の音で音楽を奏でてくれるのであれば、本来それ以上の何を求めるのであろうか。それは単に所有していることを望む「物欲」ではないのだろうか。この点についてはまだ答えを出せていないが、吟味し、削ぎ落として行くことも今後の重要なアプローチだと考えている。その上で、最終ゴールとなるようなOnly OneかつMy Bestな自分のシステムに到達することが本来の目的だと思う。

3.結局、何の為のオーディオか
いろいろな音を聴き比べ、それを自分なりに評価し、より好みにあう心地良い機器を追い求めて来た。本当に良いものもあるし、結果的に評価し切れないものもある。論理的に頭で考えて、「~だから良いはず」という理性で自分を納得させてきてはいないであろうか。あるいは世間の評判というものに頼り、自分の尺度が曇ってきてはいないか。せっかくお金を出して買ったので(あるいは高価な製品なので)、敢えて卑下することも無いと自分を偽っていないか。自分にとって本当に「良い」と思える機器、システムであれば、その差が僅かであってもブラインドで的確に聴き分けられるはずである。じゃ自信が有るのか、と問われれば本心から「聴き分けられる」とは決していえない。
永らく大切に保管してきたステレオサウンド誌も最近の僅かなバックナンバーを残して、結局100冊以上を処分した。自分の オーディオ知識の源泉となってきた、ともいえる雑誌である。感じることしかできない音楽や音を言葉で表現し、手繰り寄せられるのか、評論あるは製品批評ということに疑問はありながらも自ら聴く機会のない機器に対するアンテナとして、その道の知見者の意見もまた大事と思う。自分ひとりでは知り得ないことも多く、必要な情報は何処からか得なければならない。その意味ではインターネットにおける同好の士の経験談や意見ほどありがたいものはなく、これからも自分の耳を磨いていくために頼りにしよう思う。

天上の音楽であるモーツアルトをOnly OneかつMy Bestなシステムで半分居眠りをしつつ聴く、という究極の目標、夢は叶えられつつあると思うこともあるが、実際はまだまだその夢の途中であろう。それまではもがき、苦しみ、そして楽しみながらこのオーディオの道(細い道かもしれない)を尋ね歩こうと思う。これまでの記録を延々と日記として綴ってきたが、まだまだこの遍路は続いて行く。


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