オーディオ日記 第14章 音の彼方(その6)2001年 3月 7日


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季節は冬を突き抜け、春を迎えようとしている。 このところ、非常に多忙にてなかなか記録を残す余裕が無かった。

さて、現状であるが、いろいろ変遷はあるものの、しばらくは落ち着いた状態になっている。 基本的にはP-360のパラレルドライブ(低域、高域)とP-102の中域である。 結局またしてもBTL接続は挫折、やはりネットワークによる3WAYは使用できない、という結論となった。 BTL自体は効果がかなりあるため、マルチで対応するためにはもう一台アンプが必要となってしまう。なお、中高域はアッテネッターにて-14dBとして、F-20にて中域を-1.5dB、高域を-1.0dBとしている。 スロープ特性はすべて-24dB/OCTとし、クロスオーバーは650Hz。これが今のところの落ち着いている状態。微妙なのはDG-28の存在である。イコライズは低域を中心に軸上1.2mにて補正してあり、高域についてはほとんどフラットに近いレベルでしか補正していない。 これはこれで、そこそこの音となるのであるが、DG-28をはずした状態が何ともストレスが無く、この方が何故か気持ち良く感じられる。 特に音色や音の透明感で。もちろんイコライザである以上何らかの劣化が起きて当たり前なのだが、当初はそれほど気にならなかった。最近は少しこの差が大きく感じられる。
購入当初はあまり違和感が無かったのであるがどうしてであろうか。低域にどうしても大きく補正が入るため、はずした状態(STリンクケーブルでのダイレクトの接続)では低域に多少膨らみが出てしまっているのかもしれないが、何とも音楽に安定感があって聴いていて気持ち良い。 DG-28を入れた状態では、特に問題となる帯域はないし、低域もすっきりしている(特に低域のエネルギーの大きい曲では)のであるが、何となく音楽の楽しさ、音色の微妙なかげりまた、音の広がりや透明感が失われてしまう感がある。いやいや、これはこれで敢えてイコライザを使用しないで済めば、それに越したことはないのであるが、購入金額を考えると何とか活用しなくちゃという貧乏根性が頭を持ち上げてしまう。 特に弦楽四重奏など編成の小さいもの、ピアノ、ボーカルなどで上記のような印象が強まるのが特長である。また、音場も心持ち小さくまとまるような気がする。やはりデジタルと云えど、イコライザによる劣化は避けられないのであろうか。しばらくはこの辺りの確認をしながら、次の方向性を模索することになると考えている。

其れにしても、オーディオのなんと難しく、奥の深いことか。たどり着いては離れ、頂上に登ったかと思うと転げ落ち、至福に留まることがない。それでも、一瞬に垣間見るモーツアルトの天上の世界は心を魅了して離さない。従って、ここから立ち去ることはできない。おそらく永久に到達できないのかも知れないし、また果てまで行ってしまったらその次がない、ということは非常にさびしい気もする。この辺りまで来ると、やはりキーはソースの良否である。 音楽自体(と好み)と録音。特に録音の良否は、露骨に満足度に影響を与え、録音の悪い音楽を聴くことは、システム全体の猜疑心に繋がり、精神的に決して良い結果をもたらさない。ただし、これがあったからこそ、何とか少しでも良い音にしようという努力があり、またその結果もついてきているのであるが。好みの音楽と録音がまた一致していないのが不幸の種でもあるかもしれない。もっと良く鳴るはずだという、幻想がああだ、こうだといじくらなければいられないようにしてしまう。至福に浸り続けることは困難と承知しながらも、あがいてしまう。 それでも、今夜もまたモーツアルトを聴いてしまうであろう。やはり、モーツアルトは魂の救い(おおげさか?)なのであろうか。


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