オーディオ日記 第10章 調整と転機 (その10)2000年 1月26日


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尾崎 豊の「I love you」と「十五の夜」を昼間大音量で聞いた。(と云っても、音量は2.5位の位置。) 澄み渡る高域の打楽器、明確ていて質感を失わない声、圧倒的な低域。そして何より音の波に浸れる感覚。 音は大きい。 そこに鳴っているのは音楽。うるさくない。ライブハウスの大音量の中に放り込まれたかのようなベースとドラムの厚み。これだ! これだ! これを感涙と云わずしてなんと云うのだ。

続けた聞いたいろいろなボーカル。 そしてとどめのAgnes Chan。 今更ながら、声の魅力に痺れてしまう。もちろん録音の古いものからいろいろあるが、イメージ通りに、いや、イメージ以上に再現してくれる。 昔のALTECが奏でていたボーカルのリアリティを失わないまま、音の広がりや透明感とバックの引き締まった低音楽器群。ここでは低音のブーミーな感じは全くなく、楽器が奏でるように再現していく。そして、柔らかな音の広がり、漂う高音弦、ピアノの煌き、そして、そしてボーカルの声がピシッと像を結び、そこにいるかのように、今録音されたかのように。その声は自然であり、本来の質感を残しながら、録音時のエコー状態まで手に取るようにわかる。音量を上げるほど実在感が増していき、思わず、手を固く握り締め、のめり込んで聴いてしまう。

そして、ほっとして聞く、ルービンシュタインのショパン。古い録音とはいえ、何とも芯のある音で、ゆったりと楽しんで聴ける。また、テレビで流されていたモーツアルトの交響曲(39番)とピアノ協奏曲(9番、マリアジョアンピルシェ)、ハイテインク指揮。曲の良さもさることながら、何とも演奏を楽しめたのである。

これが、3WAYマルチの本領発揮なのであろうか。電源の極性合わせから、接続ケーブルとの干渉をなるべくさけた配線、アンプの左右振り分け、チャネルデバイダの挿入順序、などなど。ポテンシャルの高さもさることながら、使いこなしが非常に大きく音にインパクトを与える。そこに地獄と天国がある。大きな変更に着手してから、要した年月は3年以上であるからして、この使いこなしとグレードアップに何とも長くかかったものだ。特に感度の高いユニットは使い方が非常に難しいということが実感できたこの3年でもある。
感度が高いが故に問題点をすべて明晰にさらけ出し、ごまかしが利かない。そして問題があれば、聴くに耐えない音が出てくる。これが悪戦苦闘の日々の元凶であった訳である。その反面、全体のクオリティが上がれば上がるほど持てるポテンシャルを徐々に見せはじめてくれる。そして、ついには存在が意識されないほどの音になっていく。
なお、この環境ではDC-91のその自然さが非常に力を発揮していると思える。そろそろ、やっとこさ、アナログを越えたと云って良い状況になってきたのではないだろうか。
何を聴いても良い、というのは言い過ぎであるとは思うが穏やかに聴ける。この構成にしてやっとソースをあまり気にしなくても良くなったのではないだろうか。音のバランスのせいであろうか。質感のせいであろうか。総合性能であろうか。この辺りは正直云ってあまり良く分からない。が、どこかをどう調整したいという感覚はあまり出てこない。これはいじるところがもうない、といういことであろうか?
これで、昨年からの新章を終えることとしたい。次の新しい一歩はどう変わっていくので あろうか。


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