旧日記(2003年1〜6月)

2003年04月11日
「24竜王戦 その2」

 24の棋戦に出場するのはこれが6回目(名人戦2回、竜王戦1回、リレー2回で、今回)ですが、珍しく今回は順調に来ています。知人が運営している「大波道場」から出場しているのですが、あと2勝(トーナメント準優勝)で「銀河」、3勝で本戦出場となります。頑張ります!
2003年04月10日
「町議になれる!?」

 ネットのニュースを見ていたら、北海道美深町の町議選の話がありました。何でも、定数16に対して立候補は13名。このままだと告示日に再選挙(定数の1/6以上の欠がある場合にはそうなるそうです)となってしまうそうな。
 で、考えたのですが、今から美深に転居して立候補することって出来るのでしょうかね?そういう考えで立候補が殺到してもまたニュースになるんでしょうね。
2003年04月09日
「谷川俊太郎の33の質問 その12」
12. 一日が二十五時間だったら、余った一時間を何に使いますか?

 ううむ、単純に考えて、余ったら、半分は自分の自由(将棋、休息等)につかって半分は家族の為に使うでしょう。
 しかし、この質問は、一日の長さがセシウム原子の基底状態の遷移によって発する光の振動周期の9192631770×3600×25倍なのか、{9192631770×(24/25)}×3600×25倍かによっても違ってくるような気がするのですが。
2003年04月08日
「イェーツを読む男」

 このタイトルでピンときたかたには、おそらく幼稚園〜小学生位の息子さんがおありかと思います。
 前回の「仮面ライダー555」で登場したオルフェノクの一人の愛読書がなんと「イェーツ」でした。
 イェーツですか。名前くらいは知っていますが、当然?日本語ですら読んだことはありません。確か、大江健三郎の小説で見かけたような気もするのですが、どうだったでしょう?
 実は、前回の555は、朝起きるのが遅く、最後10分のファイズの戦闘シーンしか見ることが出来ず、あらすじを確認して後悔しても既に遅し。どんな風に詩集を読んでいたのかとか、見たかった・・・。「知性派。独自の美的感覚がある人」と紹介されていたからには、当然持っていた本は原書ではないか、とにらんでいるのですが・・・。
 ファンとしては、「二十億光年の孤独」でも片手に持たせてあげたいところなのですが、ちょっとそぐわないのでしょうね。イェーツを選んだあたりにもなにか伏線あるいは理由がありそうな気がしますが。
2003年04月07日
「入学式」

 今日からRは新一年生!真新しいランドセルをしょい、着慣れないスーツに身を包んでいざ出陣!
 今年の新入生は全市で1万人を越えていたことをニュースで知り、ちょっとびっくり。まあ、冷静に考えてみると、180万の人口があるんだからむしろ少ないくらいですね。
 学校では、6年生が新一年生のサポートをしっかりしてくれ、感謝でした。おっちょこちょいでお調子者のRも5年後にはこうなるのかな、と考えると、楽しくなりました。
 式典ではあくびをしていたR。でも、校長先生が「学校では給食があります。カレーが出ます。 ・・・ ハンバーグも出ます!」というと、俄然目を輝かせて真剣に聞き入っていました。
 隣に座ることとなった女の子と手を繋いで、ちょっと照れくさそうに退場していくR。このしっかりしていておとなしそうな女の子も、Rの隣に座ったのが運のつき?授業中などもうるさそうなRに巻き込まれてとばっちりを食うんじゃないかと少々心配。早速、下から拳を突き上げながら元気良く「はいっ!!」と返事をするRに影響されて、両手を挙げながら大きな声で挨拶するようになった女の子でした・・・。
2003年04月06日
「Congratulations!!」

 お二方、初の道代表おめでとう!連休後半が楽しみですね♪

次はごるの番といきたいところなんですが・・・
2003年04月05日
「50+20+20+9+9+5+2+2+1=」

 Rとのふたりウノ。
Rが勝ったら無条件でもう1回。負けたときには、自分の点数を数えられた時のみもう1回という条件でプレイ。

 今日のところは、4回で許していただけました。
2003年04月04日
「アボガドに挑戦」

 Rの苦手はアボガド。でも、食べないと食後のアイスがあたりません(T_T)。お皿の上には2切れのアボガド、アボガド・・・。交渉の末、一切れはごるのお腹の中に。さあ、残るは一切れのアボガド。「どうやったらたべれるかな〜〜そうだ!わかめでまこう!」 くるくるくる・・・。「では、アボガドにちょうせん!!」
2003年04月03日
「なんでだろ〜」

 少し前、Rは風邪で寝込みました。苦しそうにゼイゼイ息をしていました。今日は折角の休みなのに、遊びにいけないね〜残念だね〜どうして風邪引いちゃったのかな〜。Rは布団から顔を半分覗かせ、ゼイゼイ息をしながら、口の前で両手の指を交差させていました・・・。
2003年04月02日
「谷川俊太郎の33の質問 その11」
11. もしできたら、「やさしさ」を定義してみて下さい。

 (やさしくされる側の)相手にとって必要なもの(食料とかのように「物」であるかもしれないし、言葉とか微笑みとかであるかもしれない。また、その行為は時には相手は喜ばないこともあるかもしれない。)を義務感や経済的な利害等を超えて与えることが出来る心意気のこと。 (むうう、うまく言えん)
 やさしさって、ある種の温かさに通じていると思います。 (ますますうまくいえん・・・)

 逆に、「つめたい」ってなんだろうと考えてみましたが、一番冷たいことは、「無関心」ではないかと思いました。やさしさは、そうするとそれの逆ですね。
2003年04月01日
「新年度」

 今日から新らしい年度となりました。Rは一週間後の入学式を心待ちにしているようです。
 ふと、気がついたのですが、今年はもう4分の1終わってしまったのですね。なんだかちょっと前はお正月だったような気がするのですが・・・。このところ月日がたつのがやけに早いな〜と思うのは、年を取ったということなんですかね?
2003年03月31日
「雪解け」

 ずいぶん風が暖かくなってきました。つい先日まで10数センチの氷の上を歩いていたように思うのですが、ごるの日常よく歩き回る範囲にはすっかり雪はなくなってしまいました。
 この時期は、季節としては好きなのですが、雪に隠されていたゴミが雪がなくなるのと同時に現れてくる時期でもありまして、道を歩くのがちょっと嫌になります。ゴミまで消えるのはもう少し先になりそうです。
2003年03月30日
「スイス式トーナメント」

 今日、『スイス式は、表の上位者によりチャンスのある方式だ』と教わりました。なるほど、例えば、全勝者が一人だった場合、その全勝者と当たるのは1敗の最上位者。同じ1敗の中の最上位者は、表の上から順に決定します。結局、表の上の方にエントリーされると、成績の良い人と当たり易くなり、同星間で順位を決める時にそのことが有利に働く、ということになるのです。
 スイス式はくじ運などあまり関係ないと思っていましたが、大変参考になりました。くじひとつ引くところから勝負は始まっているのですね。
2003年03月29日
「幸運と不運」

 今朝8時に電話がありました。急遽今日から行われる北海道グランドチャンピオン戦に代理出場しないかとのお話。
 お話はありがたかったのですが、今日はRの子守りを任されていまして、手は尽くしてみましたが出場叶わず。トホホ・・・(T_T) 。
 まあ、きちんと出場資格を確保しなさいという天命なのでしょうね。何とか来年はグラチャンに出場したいな、と思っています。
2003年03月28日
「谷川俊太郎の33の質問 その10」
10. 好きな匂いを一つ二つあげて下さい。

 ・残雪の残る春の山が発する匂いと言うか、生命のパワーと言うか、それがいいですねえ。
 ・コーヒーの匂い
 
 鼻は悪いほうなので、あんまり匂いには敏感ではないです・・・。
2003年03月27日
「羽生挑戦」

 ついに、名人戦に再登場となりました。名人失冠後、なかなか再挑戦できず、「このまま誰かに18世名人を先にとられたら面白いなあ。」と思っていました。
 7年前と逆の立場でのタイトル戦ということで、非常に興味深いです。
個人的には、各々の将棋は大熱戦。勝敗は期待を裏切ってワンサイド。4-1で羽生奪取と予想しています。
2003年03月26日
「マンサク」

 好きな花のひとつです。中高時代過ごした田舎では、まだまだ多く残っている雪の白と枝一面に咲き乱れているマンサクの黄色とが絶妙なコントラストを作り出していて、それはそれはきれいだったのを思い出します。
 どこかのニュースで読んだのですが、このマンサク、急速に姿を消しつつあるそうです。残念なことです。
2003年03月25日
「通勤と詰将棋」

 関東に住んでいた頃は、通勤に片道約70分かかりました。現在は約15分。ここ札幌での通勤は非常に快適です。
 ただ、関東では、帰りの通勤列車の中でずっと詰将棋を解いていました。約1時間もあると結構解けるものです。その頃は年間5000題(一題平均手数約9手)位解いていました。
 ここでの通勤では、地下鉄に乗っている時間が約8分ですので、数題しか解けません。随分終盤が弱くなったと感じる今日この頃です。まあ、通勤にかからなくなった時間分をそっくりそのまま詰将棋に当てればいいだけの話かもしれませんが・・・。
2003年03月24日
「名前を残す」

 パウル・ヴィトゲンシュタインというピアニストがいる。第1次世界大戦で右手を失ったため、左手1本でも演奏活動が出来るようにと、当時の著名な作曲家に左手のための協奏曲の作曲を依頼しました。ラヴェル、プロコフィエフ、シュトラウス、ブリテン・・・どの作曲家も一生懸命彼の為に作品を書き上げました。
 しかし、このピアニスト氏、曲の好き嫌いが激しかったのか、はたまた当時の「現代音楽」を理解することが出来なかったのか、折角書いてくれた曲に文句を言う始末。プロコフィエフさんなど、彼にはっきり「私には一音譜も理解できません。私がこの曲を弾くことはないでしょう」と言われています。(可哀想に・・・)
 彼が一番気に入ったラヴェルの作品でさえ、『演奏上の理由』である部分について改善が必要と主張、作曲者ラヴェルと「演奏家は奴隷ではない!」、「演奏家は奴隷である!」と大喧嘩する羽目に。

 さて、今日ではラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は彼の代表作のひとつとされ、多くの演奏会やCD録音で取り上げられています。ヴィトゲンシュタインさんが改善を主張した部分も、作曲されたそのままで演奏されています。私は他にはプロコフィエフの作品(ピアノ協奏曲第4番)しか知らないのですが、その作品も演奏される機会は少ないものの、駄作だとは思いません。

 思うにヴィトゲンシュタインさんはピアニストとしては凡庸だったのでしょうね。右手を失い、作曲を依頼することがなければ、現在ほど名前が残っていなかったのでしょう。
 しかし、ラヴェルの曲の解説でこの逸話をいつもいつも持ち出されると言うのはつらいことでしょうね。こんな名前の残し方はしたくないな、と感じています。
2003年03月23日
「朝日アマ名人戦」

 昨日今日と朝日アマ名人戦が行われました。この大会の最大のセールスポイントは、「ベスト8に入れば朝日オープンに出場できる」ことではないかと思います。今年もそのベスト8をめぐって激戦が繰り広げられたようです。北海道代表の2人のうち、今年も昨年と同じく1名が出場権を獲得しました。連続出場を目指していた方はベスト8入りをかけた対戦で優勝者に惜しくも敗れてしまったようで、残念でした・・・。
 全国大会で2勝でプロの棋戦に出場できる ― 一度はプロの棋戦で指してみたいと思っています。


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