木屋町通 「志る幸」前の路地を抜けると高瀬川に沿った木屋町通に出る。木屋町は、角倉了以が、慶長16(1611)年に開削した高瀬川の東側に整備された。当初は、「樵木(きりこ)町」と呼ばれていたが、高瀬舟が運んでくる材木の倉庫が立ち並ぶようになり、「木屋町」という名称になった。 今では当時の面影は高瀬川にわずかに残るだけで、居酒屋、料亭、スナックなどが建ち並んでいる。 |
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この木屋町通を四条通り側から北へ歩いていくと、右手の町家の前に「本間精一郎遭難之地」という石碑がある。この本間精一郎とは何者だろう。 | ||
本間精一郎は、越後出身。尊皇攘夷の急進派として動いていたが、寺田屋の変以降は酒びたりの日々。同志からも見放され間者ということで狙われることになってしまい、文久2年(1862)閏8月、酒を飲んだ帰りにここで斬殺された。29歳。 斬ったのは土佐藩士武市半平太の命を受けた土佐勤皇党・岡田以蔵(人斬り以蔵)・薩摩の田中新兵衛であるという。 |
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「本間遭難之地」の左斜め向かい、蛸薬師通の角に旧京都府立立誠(りっせい)小学校の建物が見える。この建物前に土佐藩邸跡の小さな碑が残る。かつては蛸薬師木屋町付近一帯が土佐藩邸だったとのことである。 旧立誠小学校は、明治2年(1869)三条河原町に開校した下京第六番組小学校が、その前身である。明治10年(1877)に立誠という名前に代わり、大正期に火災で類焼したため、昭和2年、現在地に新築移転した。平成5年(1993)、児童数の減少に伴って統廃合の結果廃校となり、児童は新設された高倉東小学校に移った。現在は何も使われていないようだが、昭和初期の重厚な建築が高瀬川の風情に溶け込んでいる。 |
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南車屋町あたりから高瀬川をはさんで木屋町通と西木屋町通の2本の通になる。西木屋町通は三条通の一本手前で行き止まりになる。右に大黒橋。左に折れると、これが通称「龍馬通」と呼ばれる通りである。10mほど歩いた右側、京劇会館の向かいに「坂本龍馬寓居之跡」である「酢屋」がある。築280年ほどの建物で、現在は創作木工芸品の展示販売の店 「創作木工芸酢屋」および「ギャラリー龍馬」として営業をしている。この龍馬通は、深夜までネオンが点り、若者たちでにぎわう界隈で、別名「親不孝通」とも呼ばれているとか。 | ![]() |
『酢屋』は、享保6年から現在十代目の酢屋嘉兵衛まで、280年つづく材木商である。幕末には大阪から伏見、京都へと通ずる高瀬川の木材の輸送権を独占しており、非常に繁盛していた。慶応3年6月、坂本龍馬は長崎から上京する ![]() |
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龍馬は『酢屋』の人々から「才谷さん」と呼ばれ、二階の表西側の部屋に住んでいた。上の写真の左側の格子のある部屋である。 通りの向かい、今の「京劇会館」あたりは舟入だった。彼はそこに向かってピストルを撃ち、射撃の練習をしていたという。 |
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宿へ行く前にちょっとぶらぶらと思っていたらすっかり日も暮れてしまった。今夜はとりあえず、池田屋だけチエックしておこうと三条通へ。三条通り沿いのパチンコ屋の前に「池田屋騒動之址」の碑だけが残っている。 | |
元治元年(1864)6月5日朝、新選組によって捕らえられた近江の志士・古高俊太郎の自白により、祇園会の賑わいに乗じて市中に火を放ち、その騒ぎを利して、天皇を奪って長州への連れ去る・・・といった密議が謀られていることが判明する。 守護職や所司代などに通報した新選組は、34人の隊士を二手に分けて午後7時頃から四条通り付近から三条通りにかけての御用改めを開始する。探索の結果、近藤勇隊は三条小橋の旅籠、池田屋に浪士が集結しているのを発見。土方隊の到着を待っていては機を逸すると判断した近藤は、 ![]() この事件により、倒れた浪士の数は宮部鼎蔵など14人、捕縛された浪士の数は19人にのぼり、明治維新が3年遅れたとも、5年遅れたともいわれている。新選組の死者は奥沢栄助ただ一人、重傷は新田革左衛門、安藤早太郎、藤堂平助の三人だけだった。 この事件以後新選組は歴史の表舞台に登場する。 現在はパチンコ店となっている。 |
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三条小橋 四条河原町駅から歩き始めたのが4時30分頃。気付いたら5時30分を過ぎていました。高瀬川に架かる三条小橋の脇に「佐久間象山先生遭難之碑・大村益次郎郷遭難之碑・北へ約壹丁」の碑がある。しかし「そろそろチェックインしなくては。明日あらためて来ましょう。」ということで、平安神宮前の宿へ向かった。 |
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今日の宿 京都トラベラーズイン 京都市左京区岡崎平安神宮鳥居前 TEL 075−771−0225 いつものとおり、寝るだけのお宿。修学旅行の宿として使われているようで、大きなお風呂が嬉しい。 一泊朝食付き 二人で7500円。 ![]() |
今日の夕食 「きまぐれきっちん たまゆら 北店」 先斗町・歌舞練場の斜め前の創作和食の店。雰囲気もいい。料理も手頃で美味しく、お勧め。 しかし、2004年1月で閉店。3月中旬に「すし昌」としてオープンだとか。たまゆら本店は営業中です。 |
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