奧の細道二人旅・最上川船下り

最上川船下り1
最上川は、みちのくから流れ出て、山形を水上としている。
途中に、碁点、隼などという恐ろしい難所がある。
板敷山の北を流れ、果ては酒田の海に入る。
左右の岸から山が迫って川を覆っており、茂みの中を船が下ってゆく。
この船に稲を積んだのを、稲船というらしい。
白糸の滝は、青葉の隙間を流れ落ち、仙人堂が川に面して立っている。
水流が満ちあふれていて、船が危ういほどである。

五月雨をあつめて早し最上川
朝・・・快晴です。
ホテルの窓から月山がかすんで見えます。
本合海

6月3日、好天に恵まれて新庄を立った芭蕉は、本合海から最上川下りの船客となります。
 この乗船の地には「史蹟芭蕉乗船之地」の標柱が立ち、芭蕉と曽良の像、そして句碑があります。
 芭蕉と曽良は最上川の上流のしかも山の上を向いています。これから下ろうとしているのに・・。実は源義経が最上川を遡り、ここで上陸して陸路平泉に向かったのです。もしかすると義経の後ろ姿を見ているのか・・・。
「史蹟芭蕉乗船之地」 芭蕉と曽良 五月雨をあつめて早し最上川
左上の木下に芭蕉と曽良の像
その下に本合海の渡しの碑
右下が渡しの船着き場です

本合海の渡しの碑
船着き場あたりから見た矢向山
矢向山
 本合海船着き場のすぐ下流、最上川が大きく左に流れを変えるところに矢向山があります。この上には「矢向楯」といわれる砦がありました。規模は小さいが難攻不落の城といわれます。
 その中腹に矢向神社が奉られています。「義経記」には「(義経一行は)矢向大明神を伏拝み奉り、会津の津に着き給う。」とありますが、会津は「あひ川の津」であり本合海のことです。
正面白い絶壁の上が矢向楯 矢向神社の鳥居


中央の木の陰に社が見えます。
            句碑
  郭公のの声降りやまぬ地蔵渦 兜太
  ひぐらしの網かぶりたり矢向楯
最上川船下り2へ進む  新庄4へ戻る