奧の細道二人旅・日光1

 日 光 1 

 日光市役所と句碑の1       

東照宮三猿
日光杉並木  卯月朔日(陰暦4月1日)、御山(日光山)にお参りする。その昔、この御山を「二荒山(ふたらさん)」と書いたのを、空海大師が開基の時、「日光」と改められた。千歳の未来を悟りたもうのか、今この御光一天にかがやいて、その恩沢は四方四隅にあふれ、四民安堵のすみかで、平穏である。ますます憚りが多いので、筆をさし置いた。

あらたふと青葉若葉の日の光

黒髪山(男体山)は、霞がかかって、雪がまだ白い。

剃り捨てて黒髪山に衣更  曾良

 曾良は、河合氏であって、惣五郎といった。芭蕉庵の芭蕉の下葉に軒を並べて、私の炊事を助けている。このたび、松島・象潟の眺めを共にしようとすることを喜び、また旅の難儀をいたわろうと、出立の朝、髪を剃って、墨染めに身をやつし、惣五を改めて宋悟とする。そこで、黒髪山の句がある。「衣更」の二字、力があってなかなかよい。
 日光礼幣使街道の見事な杉並木を通って一路日光へ。途中何カ所も杉並木が残っていて、とても気持ちのよいドライブでしたが、あまりに杉並木が見事でカーナビがトンネル状態。
 11時頃には日光に到着。市役所に車を置き資料を貰おうと思ったのですが、観光課はここから数100m駅よりの「郷土センター」でした。それにしてもこの市役所はすごい。まるでお城です。聞けばもともとホテルとして建築された建物とのこと。うなずけます。

 資料をもらい、4つの句碑の1番を探しました。市の資料等には確かに4つ句碑があると書いてあるのですが、一つだけ場所が書いてありません。インターネットで集めた資料によると市役所の向かい側あたりにあるはず。探しました。でも見つかりません。 
芭蕉句碑1 あらたふと 木の下闇も日の光
探し回ること1時間以上。路地まで入り隅々まで探したのですが分かりません。あきらめかけたところで、路地裏にいたおじさんに聞きました。(じつは、この人市役所前のおそばやさん「後藤そば店」さんのご主人でした。)「それなら裏の高野(こうの)さんの庭ですよ。」と教えて貰いました。
 お宅へ伺い、座敷におられた御老人に訳をお話しし見せていただきました。古い碑と新しい碑の二つがありました。拝見して帰ろうとすると先程の御老人が出てこられて説明をしてくださいました。
 古い碑は先々代の建てられた碑で、芭蕉300年記念として御当代が拓本をもとに1.5倍に拡大した新しい碑を建てられたとのことでした。上が古い碑です。
役所の資料などに場所がないのは、個人宅の庭なので遠慮しているのではないかとにことでした。
芭蕉句碑1−1
木の下の句 句碑にあった日光市の看板の文章

 松尾芭蕉句碑 1
  日光山に詣  芭蕉桃青
あらたふと 木の下闇も 日の光
 此真蹟大日堂の碑と異同ありて
しかも意味深長なりよって今茲に
彫り付て諸君の高評をまつ  高野道文識


高野家は、旧家で、道文氏は11代目、明治2年死去。奥の細道で芭蕉が日光に来たときの句は、大日堂にある句碑の句だが、それと異なる句があるのに気付いた道文氏が不思議に思い、碑に刻んで残したものと思われる。芭蕉は日光の句を何回も推敲しており、その一つを手に入れたものであろう。

 今も時折芭蕉ファンが訪れるとのこと。興味のある方は伺ってみてはいかがですか。でも、他人のお宅です。くれぐれも失礼のないように。


拝見した後、表の「後藤そば店」で名物のゆばそばをいただきました。
芭蕉句碑1−2

日光市観光商工課 0288-53-3795  日光観光協会 0288-54-249

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