アタマでは理解していたことだけど、改めてハラで気づいたこと。
「わたし」を苦しめているもの、ネガティブな状況。これらすべては「わたし」が自分で握りしめているということ。もちろん、楽しいことも嬉しいことも自分自身で選択している。
「あんなふうだったらもっと幸せになれるのに!」とか「幸せになるためにはああすべきだ。」というように見えない思考の鎖で自分自身を縛りつける。まさに無縄自縛。
これもそれも、その不自由の全ては「わたし」という枠があるから。
ーーただただ、くつろいでごらんーー神秘家OSHOの金言を、自分自身や周りの人々に言い続けている。そしてこれからもこれだけは伝え続けていくのだろう。
当サロンは明日から1/6までお休みをいただきます。
皆さまの穏やかな年明けをこころよりお祈りしております!
ある日、荘子が夢の中で自分が蝶になって飛んでいたといいます。
荘子の目が覚めた時に、こう思ったそうです。
さてこの自分が蝶の夢をみていたのか?それとも蝶がこの荘子の夢を見ているのか?一体どちらの「わたし」が現実なのだろう。
こんな感じのことが私自身にも起こっていますが、このHPも時間があればリニューアル準備に取り掛かりたいところです。
表面上のツールはタロットと数秘。でも、こういう道具っていうのは、解釈によってはエゴの慰め、「夢のまま」で終わることが多い気がします。乱暴な言い方になってしまいますが、「セラピー」だとか「心理学」とかどういう道具も全部そうです。では蝶でもなく、荘子でもない、更なる内奥にたどり着くには?
もっとシンプルにしていく予定です。サロン名を含めて(笑)、長いサロン名も、道具の長い説明も、それにまつわる物語も、私たちが本当に望んでいることには役に立たないどころか、さらに複雑にしてしまっていると感じていたところです。
こんなふうに思ったのは、大切なクライアントさんたちがきっかけです。彼らは最近、私に会うために来ました。と言ってくださるのです。嬉しさと畏れ多さ、それから「もう一度原点に。基盤には瞑想、スティルネスしかない。」というささやき声を感じます。今まではなるべくわかりやすい言葉にして渡そう。と彼らにフィットする言葉をたくさん伝えようとしていました。けれども、本当のところは、「私」にも「言葉」にもできることなど何もないのです。できることといったら、この瞬間の静けさを共有することだけです。
タロットや数秘学であなたの条件付けを指差しつつ、間のある、リラックスした空間が持てたらと思います。
友達からドイツのお土産にゾネントアのハーブティーをいただく。
私の知る限り、こちらのハーブティーは日本ではティーパックでしか手に入らないのだけれど、本場のは大ぶりのハーブたちがたっぷり入っていて、生き生きしていていい香り!
このパッケージにはどうやら日本では飲食を禁止されているハーブが配合されているらしく、ますます日本では絶対に手に入らないのだそう。でもとにかく美味しいし、リラックスできるという送り主の声はそのまま本当だった。
ティーバックって便利だけど、香りや味わいなど色々損なうのは事実。日本でもリーフで手に入る日がくるといいなぁ。
いけないけない。大切な画像を忘れていました。
赤太郎ショップです。
フォントもイラストも素敵でしょ?
そして秋が訪れました。あぁ、このウェブログのことも忘却の彼方でした。
鳥羽に「何もしない」旅に出ました。
崖の上にある宿泊施設。
潮騒と木々と虫たちの声だけ。とっても贅沢な時間。
ベッドから起き上がって1分で露天風呂に浸かれる贅沢よ!
でも私にとって一番のギフトは、貸切状態の大浴場の露天風呂で出会った、暗闇に蒼く光る秋蛍の演出だった。
窓を開けられることも少なくなった今、昨年我が家にやってきた蚊遣りのぶーちゃんも出番が少ないです。
鼻から豪快に煙を出す姿が個人的にはなかなか愛おしくて好きなんだけど、なんせこの暑さ。っていうか、蚊はどこいった?蚊が心配されるくらいの酷暑。
久しぶりにクンダリーニ瞑想の毎日。おかげで陽炎の不思議さ、夏の夕焼けの美しさ、風鈴の音の優しさに贅沢を感じられる感性が戻ってきた。
なんだか、部屋がとっ散らかって大変です。きっと当分片付きません。
布がどんどん山積みされていって、ミシンやアイロンや細々とした道具に加え、ソーイング本が十数冊。それがあちらこちらに散乱。この夏までに形にしたいシルク、コットン、リネンのスリーショットをとりあえず撮影。自分への励ましです。
…わたしの断捨離どこいった?
目を閉じればその布地がそれぞれの形になる想像はできるんだけど、なんせ手が追いつかない。それでも気に入った布地に出会ったら、買っちゃうんですね。もうこの遊び、笑っちゃう。
仕事、ご飯、洗濯に掃除。そういうものがこの趣味のせいで疎かになることもしばしば。
そんな時、散らかった部屋の真ん中で思う。私が望んでいることはそもそも何だったんだろう?
好きで始めたことなのに、なんだか上手くいかなくて悩みになっちゃうことってありません?
最近よく聞くテーマです。
そういう時にできるベストって、私の場合は「なにもしない」こと。眠るように全身をくつろがせてあげて、ただただ静寂を待つ。やる「べき」だと思い込んでいる重たい気持ちを、下ろす。下ろすまでには泣いたり叫んだり体を動かしたりといった発散の瞑想が必要なこともありますが(そうすれば早く下ろせるから)、そうして平安にたどり着いたらしめたもの。
「そうしたらどうなるんだ?次はどうすればいい?」ってお馴染みマインド君は騒ぐかもしれませんが、鼻で笑いとばしてやりますよ。もう、自分自身に繋がってしまえば、やる「べき」ことなんて一つもないことに気付くんです。私の場合、願望や結果への執着も一緒に落ちていくのですが、そういう時ほど「いま」必要な行動が自然に起こるし、願望に関して言えば結果的には思いもしないところから幸運が舞い込んでくる。自分の世界観は自分のマインドが作り上げます。だから、自分のマインドを超えるには、マインドの奴隷になることではなく、マインドと相棒になることです。時にはかわいいペットにしたっていいぐらいです。思い込みを超えた時、その脱却証明として自分の知る範囲(常識)外から思わぬギフトが届けられます。
画像は「全部ほっぽり出して、コーヒーと一緒にアップルパイ食べようっと。」なある日の夕刻。
ヒヤシンスは紫色とマジェンタだった!自分で植えていなと「何色なんだろう?」っていう待つ時間があって、楽しかった。それに、白と水色のムスカリとの共演もすばらしく、球根の寄せ植えのワクワク感を久しぶりに感じられた。
ソーイングという趣味ができてから、仕事の合間に楽しめるわずかな時間が愛おしく感じられる。
一番楽しいのは、お気に入りの生地が見つかって、それを見つめながらどう形にするのかを静かに思い描く時間。
「自分」という概念を飛び出して、どこにも属していないような、自由で無限空間を泳ぐ感覚。
最近インスタグラムをソーイングの記録のためだけに始めたのだけれど、世界中の人々の創造性に触れられる機会があることに興奮しつつも注意を払っている。
ものすごくエゴちゃんを刺激するツールだからこそ、いかに過不足なく事実を残せるか。
商用という広告としての割り切りがあれば別だろうけど、これは「ひとにみてほしい、良く思われたい」という承認欲求や「こんな◯○なわたし」という自己証明みたいなものの穴を気持ち良く埋めてくれるツールでもある。これに疲れている人って結構いるんじゃないかしら。(まあ、SNSに限ったことじゃありませんが。)自分を大きくも小さくも見せずに、シンプルにポスト。ずっと後で見返したときに「そういえば、こんなものも作ったなぁ。」って懐かしく思えればラッキーぐらいの気持ちで楽しんでいる。
私には珍しく、3日連続で違う友人に会い、エナジャイズ。
1日目はお寿司をいただきながら瞑想についてのシェア、2日目はロミロミの出張マッサージを受け、3日目はジェムショーへお出かけ。
2日目のマッサージの好転反応が早速3日目に出てしまい、身体の中のあらゆるものが大騒ぎで大変でしたが。あぁ、もっと万全な状態でお友達との時間を楽しみたかったなぁ。とはいえ、起こることは起きる。
4日目はですね、もう動けなかったんです。ボディもマインドも、終ー了ー。あらゆる機能がストップをかけてくれた。
食べ物を一切断ち、水だけの生活を数日しましたが、これが不思議と自然なことだと感じた。
ボディーワーカーの友人たちがいう、「からだのそれぞれの部分の正しい位置」みたいなのが感覚的に少しわかったような気がする。実は、「食べることは生きること」ということは思い込みだとうっすら気付いていたんですが。でも食べることって、とっても楽しくて豊かなことですよね?だからきっとこれからも食べるんでしょうけど。でも、「食べないと生きられない」っていうのはただの信念です、たぶん。
今回、「食べられない」ことで「食」への美的感覚に変容が起きた気がする。これが身体に良いとか、悪いとか、成分とかお肉とか化学調味料とか、ビーガンとか。「こうだからいい、わるい」という判断は今の自分には全くくだらないこと。単純に、今たべたいものをいただく。とりわけ、自分が美しいと感じたものはわたしの機嫌をよくしてくれる。画像はロミロミをしてくれた高知の友人のお土産の無農薬文旦。丁度、この週の宅配野菜も文旦で、一気に好物の文旦が4つ!うきうき。
去年の秋は球根を植えられなかったし、この冬はうちのクリスマスローズは咲かなかったし、見たかったなぁ。なんてちょっと拗ねていましたら、超立派なクリスマスローズを主役にしたムスカリ、ヒヤシンス、ローズマリーの寄せ植えをいただきました。
…驚くしかないです。
自分の好みがまあまあエキセントリックなのは自覚していますが、まさかすべてドンピシャでやってくるなんて!いずれにしても、感謝です。
お花は言葉を超えて喜びを伝えてくれる。
おくってくださった方の溢れんばかりのハートを感じます。ありがとうございます!
本日、ドタバタしている我が家の父の13回忌の法要を終えた。
お坊さんが、お釈迦様がまだシッダールタという名の王子だった頃から出家を経て、菩提樹の下で悟りを開くまでのお説法をくださった。とても美しい語りだった。個人的に残念だったのは、「シッダールタの修行は凄まじいものだった。彼ほどの苦行をすることは他の人には難しいだろう。」というくだりと、シッダールタがゴータマ・ブッダになる瞬間の話がなされなかったこと。
言葉というのは本当にややこしい。聴く人によって解釈が異なるから。私は、「それ」を心底望んでいるので、あちこちで幾度となく聞くそのストーリーの一番静謐な部分を聞きたかった。
たぶん「それ」は何かをしたから得られる「難しい」ものではなく、もともと私たちに繋がっているもの。
ブッダは「それ」を見つけるためにあらゆる苦行をしつくし、苦しみ抜いた。で、頑張るのを諦めた。探り尽くしたのだからもう諦めるしかなかったんです、きっと。骨と皮だけの身体に乳粥を与えたら楽になった。で、楽にして座ったら、見出した。シンプルなんです!
もし、あなたが今何かにとても苦しんでいるのなら、降参をおすすめします。苦しみを、心配を「抱える」ことを諦める。これ以上苦行を必要としないのなら、苦しむマインドの癖を見つけ、見つめ、ご自身の意思で捨てることです。そしてそれには、静かに座ることが役立つ気がします。
画像はお土産にいただいた羊羹に付いていたお遍路さんのステッカー。かわいい…
先回に続き、ウール100でコンビネゾン製作。「おすすめはレーヨンなどの下にとろんと落ちる軽い生地です。」に真っ向から抗って、どっしり重い厚地ウールで…(笑)書いてある通りにすればいいものを。言い訳としてはですね、冬のお気に入りのパンツが破けてしまったので、代わりになるあったかーい冬服を作りたかったんです。
言うまでもなく反省点数知れず。今回は前回に比べたら相当簡単なはずだった。
ところが大切なところで「うっかり」を繰り返し、縫い直しが何度か。ちょっと「知っている」と思ったら、注意散漫になるコイツとの攻防戦です。引き締めるところと緩めるところのバランスをうかがっています。おかげでソーイングが趣味になりそうで、もうほとんど苦行です。もはや結果よりもプロセスに注力している今日この頃。
もちろん、あらゆる苦行の終わりも喜んでウェルカムなんだけどなぁ。「それ」がいつやってきてもいいからね。と自分の深い部分に話しかけたり。
一日中暖かくしているリビングに花瓶を移動したら、あっという間に開花。
桃の挿し木って難しいって聞くけどどうなんでしょうね。
また難しいことに挑戦したがっているわたしがいるようです。
週に一度の野菜宅配。ダンボールを開けたらおまけに桃の枝が!
幾つか蕾がついていて、春の訪れを感じる。
しばらく眺めていたら、すっーと静かなスペースに包まれた。
2.5mのカシミア入りタスマニアンウールを余すことなく使って、マキシワンピースが完成!
反省点は数知れず。けれども、よくやったよ、わたし。
見返しや襟のパターンが付属していないため、自作。その上もともとリネンや綿仕様のパターンなので、ウールの場合の落ち感、ギャザーの寄せ感などなど、目を閉じてただただ出来上がりをイメージする時間も多く、私のあらゆる部分がいっぱい働いてくれた。昔の本だからか具体的なソーイング指南がなく、初心者には相当きつかったけれど、おかげで色々身についた気がする。つくづく人間のマインドって「複雑にする」のが仕事なんですね。トホホなことに自然とそっちの道を選ぶ性質なんです。その自動的な部分に意識的でいられたからか、最後まで楽しめた。深刻なことは何も無い。ただ一つ、「今、そのことだけに集中する」エネルギーの使い方は重要。マインドを脇に置いた時、うまくいけばたちまちあらゆることがシンプルだと理解する。
気に入った箱がどうしても処分できない。そのうちの幾つかが歴代iphoneの箱たち。
かなり立派な厚紙なので、はぎれを使ってカルトナージュをすることに。今回はビーズ入れ。
ずいぶん前に購入した「すてきにハンドメイド」を引っ張り出して作り方を見てみると、私からしたら結構な大仕事。
一度解体して布を貼って固定してから、四隅を縫って仕上げるという工程。
一応完成したけれど、布分の厚みが加わったため、蓋がかなりきつい。まだ何箱かあるので、次はもう少し工夫してみよう。っていうか、この課題を持ち越すパターンいらないかも。一発オーケイ!簡単にできちゃった!を望む。
すっかりアップが遅くなってしまいましたが、2018年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年は休息を心身にたっぷり与えられました。本日は里帰りしている友達のロミロミマッサージを受けた。
彼女は人の身体を触ることで喜びを感じる根っからのボディーワーカー。タイマッサージやロミロミや、他の名前の付いた技術のマッサージができる人だけど、彼女のマッサージは、まさに彼女のマッサージだ。なにかの言葉に当てはめられるほど狭小ではない。安心して身体をあずけられるボディーワーカーがいることに感謝。
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お客様にいただいた「紅まどんな」。昨年はじめて知った品種で、そのジューシーさと酸味と甘みのバランスにすっかりファンになった。シールをなんとなくじっーっと見てみましたら、か、かわいい!愛媛の間にあるみかんのマーク、ちょっと懐かしい感じ。フォントもデザインも、なんかいいなぁ。っていうか、この感じ、今流行ってるよね?とふと思う。
数年前から感じ始めているのだけれど、25年〜30年前に流行ったものが今、若干形を変えつつまた巡ってきているような。若い子のファッションもそんな感じがするし、商業デザインなども。私はといえば、そういう集合意識に何となく気づきはするものの、トレンドには全く関心が抱けない気質。ただ、今回は流行がけっこう好きなラインに来ていて、盛り上がっちゃうかも。
私より一回り若い絵描きのお客さんが、「最近、おはようスパンク!をネットで知って。かわいいですよね。スパンクの口が開いた時、喉ちんこがハートマークなんですよね〜。」と言ってくれた時には、かなり興奮しましたから。あの頃流行ったファンシーというか、パステルカラーだらけのあのぼやぁ〜。っとした気の抜けた感じ。何だかニヤニヤしちゃうな。