すっかり年末。
相変わらずせわしい年末。色々終わっていないけど、ここまできたら無理せずにぼちぼちいくしかないな。というマイペースモードに戻りました。
当サロンは年明け8日までお休みをいただきます。
みなさま、善いお年をお迎えください!
本日、二つのブローチが完成!
裏には髪留め用のワニピンと、ブローチピンが二つ留めてあるので色々な用途で使えそう。
去年の暮しの手帖に載っていたtamasさんのレシピを参照し、チクチク。直径5cm位のまあまあな大きさなので、結構時間を要した。今後、蝶々のかたちのスパンコールブローチも製作予定。
とりあえず今年中にできてホッ。
それにしても画像の色が飛びに飛んでて現物と大分違うのがおもしろい。
ひとつは陰陽、もう一つは(大きな花型のビーズがどこからか出てきたので)がらりと雰囲気が変わって甘い雰囲気。艶消しのピンクベージュのビーズが、テラコッタみたいな石の触り心地でお気に入り。
この琥珀色!ずっと気になっていたみりんを買ってみました。
私はお砂糖やみりんが多く使っている所謂「おせち料理」が好みではない。「甘み」が小さな頃から苦手だった。ケーキや和菓子が嫌いで、チェダーチーズのクラッカーを密かに好む子供だった。
それが最近、ほんのひとつまみのお砂糖が色々なものの旨味効果を上げる隠し味になることを発見して、「甘み」に対しての捉え方が変わってきた。
今年は煮しめ、照り焼きでこの三河みりんが活躍する予定。楽しみ。
もう何年目かしら。来年もこちらのほぼ日Plannerにすることに。
全く日々の覚書をしたためられない日も多かった今年。もうちょっと筆まめになりたいような、どっちでもいいような。
でも、手帳や筆、シールなどの文房具はやっぱりすき。
先日、京都に行った帰りに名古屋駅のタカシマヤで買ったボタン。
青リンゴのキャンディーみたい。
できあがったウールブラウスの後ろボタンに。
もう間も無く終わる京都での有本利夫展。思い出す度に「もうすぐ終わっちゃうな。」と声に出していた。
昨晩、ヴィバルディの「四季」が流れてくるのを聞いて、その曲になぞらえて描かれていた4枚の有本利夫のドローイングが脳裏に浮かぶ。「冬」の絵は確かテーブルに伏せる人の絵。おそらく第2楽章、ポカポカ暖炉の前(私個人のイメージだけど)の音楽を描写したであろう、ぽーっとした人物の、ちょっと間抜けな表情。作家のおおらかさと茶目っ気が感じられ、思わず微笑んだ作品なのだった。
あの場所で有本利夫の空気をもう一度感じたい…。もう何度もその声は聞いている。けれども今日のある瞬間、行けない理由を列挙するマインドをそっと脇に置いて、小さなバッグに財布とハンカチ、携帯電話だけを入れて家を飛び出した。
たった数時間の小旅行。前期にはあった例の四季の絵はもうなかったけれど、違う作品が見られたし、同じ絵でも前回とはまた別の見え方に気づいたりして、その静かに流れる時間を堪能した。
「いま、今、いま」。
習慣や決まりごと、社会や人々の言う「常識」の枠組みを超えたところにある「この瞬間」の声を拾い続けること。ハートの声を聞き続けること。それには正誤の判断はない。満たされていると、思考の出番はない。あとのことは大丈夫。流れに身を任せれば何とかなるよ。
家のアンプの調子が悪いので、何年か前から新しいの欲しいなぁ。とぼんやり思っていたのだけれど、突然「もう使わないかアンプあるけどいる?」という連絡がありました。
私はオーディオ機器には疎いので、「真空管」と言われてもよくわからないなぁ。という感じ。でも、パートナーは確かに喜んでいる。頭が黄色く光ってるよ。静かにしててもバレバレですよ。
今日、無事に引き取らせていただいたわけですが、私はもうさっぱりチンプン。しかも、1台のつもりでいたら、2台も来て、プチパニックですよ。ちょっ、この空間にアンプだけでどれだけあるの?もう笑うしかないな。先日は部屋が生地まみれになる。と言いましたが、生地まみれのアンプまみれに訂正です。(不思議なことに今あるアンプ5台は全ていただきもの。)
電球がみるみる温かくなっていくのを見つつ、爆発とかしちゃわない?というおかしな不安を脇に置きつつ、やわらかい音がスピーカーから流れるのを聞いて、今までのアンプとは明らかに音が違うことに驚いた。聴こえなかった音が拾えている。村治佳織さんの「コユンババ」を聞いて、不意に涙が。解釈が前回のアルバムと直近のアルバムとでは全く異なっている。こんなに全身全霊でこの曲にご自身を捧げていたなんて…!まるで目の前で弾いているのを聴いているような心地。
アンプやスピーカーって種類が多くて選ぶのが大変。だから買うならまたオンキョーやマランツのプリメインアンプなのかしら。と思っていたけれど、全く違う方向にも好みの音色を聴かせてくれる機器があったんですね。私からしたら第3の道の提示という感じ。と伝えたら、パートナーは「いつかは憧れの真空管で。」と密かに思っていたんですって。「いつか」が「今」に。
ご縁に感謝します。大切に楽しませていただきます。
冬物の生地はいい感じに集まってくるけれど、最近の洋裁本でピンとくるものがない。
丸善で2時間費やして、手に入れた本は1冊のみ。何だか消化不良。このまま帰宅する気にはなれず、ふらりと古本屋に入ったら、見つけました、きらりと光る本を!茅木真知子さんという方の本。後から調べたら、今でも洋裁本を出し続けていらっしゃるので、ぜひとも全て目を通したい。今のところ、茅木さんが1990年代に引いているパターンがかなり好み。
今後、シルクウール、キャメルと二つの生地が届く予定。あと少しで深緑色のウールブラウスが出来上がるけど、そろそろ他に何を作るかを計画していかないと、部屋が生地だらけになっちゃうな。
ようやく一つのウール生地でラップスカートができた。
飾りボタンの部分も自分で作ることに決めていたので、手が赴くままに三日月をイメージしたブローチを製作した。夜空はきらめく群青色、その縁はパール、三日月と星はシルバーのビーズ。
ヘタッピながらも完成し、リッキーと命名。早速つけてみて記念撮影(写真1)。その後、スーパーへ買い物に行き、帰ってきたら紛失に気づく。こういった紛失はよくあることで、「まぁ、作り直せばいいよね。処女作はヘタッピだったし。」ぐらいの感覚だった。同時刻に、手に入る予定だったものが無理になっちゃいました、ごめんね。という連絡が母からあった。
それは私の人生に強く影響を与えるに違いないもので、心底ときめくもので、ほんの少し手に入れることが怖いと思うほど、欲しいものだった。そのもののエネルギーが私の方へ自然と流れてきていることも実感していた。
もう目の前までに来ていたものが、突然、そっぽを向いて引き返していった。この取り残された感覚は一体何なのだろう。
夜、パートナーに一連のことを報告し、話すことで自分の悲しみがより深いことを確認した。それはモノが自分の手元に来なかったことではなく、手に入れることを許さなかった自分自身に対する絶望であることは確かだった。モノはダミー。その背後にあるものを感じる時、これは完全なる一人芝居、私の条件付けの作動だと確信した。
次の朝、「昨日の夜中、仕事が終わってから家からスーパーへの道を歩いて見てみたけれど、リッキーはいなかったよ。今夜、スーパーへ行って落し物がなかったか聞いてみるから。」とパートナーから言われた。思い入れのないリッキーに対してなぜそこまでしてくれるのだろう。と不思議に思いつつも、自分の足でスーパーに行き、問い合わせたらリッキーが無事に保管されていた。
パートナーは、私が昔からキラキラしたものをよく無くすことを知っていて、そのことを不思議に思っていたそうだ。けれども、今回の一件で「キラキラ」は私自身の創造性や、喜びの源の比喩だと直感したようで、「自分で築き上げた大切な創造を簡単に諦めちゃダメだ。おせっかいと理解した上で、今回だけはリッキーを何としてでも探し当てなくては。」と思ったという。
この美しいひとを、わたしは誇りに思う。ずっと迷子のままでいる、私のある部分をそっと見守ってくれているのだ。
こういうかたちで自分で自分をあきらめる「パターン」が浮き彫りになって、驚愕やら呆れやら。でも、マインドって難しくするのが好きなんでしょうね。こうなったらその部分が緩んでいくのを助けるべく、再び手の動くままに色々なキラキラを自分に作ってあげようと思う。私の「無価値観を抱えている部分」よ、キラキラにせいぜい満たされるがいいさ。
それに本当は知っているんだから。キラキラは失いようのないものだということを。
友達が遊びに来てくれたので、久々に街に出て食事へ!
楽しい会話、美味しい天ぷら、そしてビオワインをたらふくいただきました!
瞑想についてのシェアや、日々の気づき等、たまにしか会えなくても誤解なくキャッチボールができることのありがたさ。
私の「いつになったらこの探求が終わるのか。」という答えようもない投げかけにも、優しく寄り添ってくれる友に感謝。
たぬきがかわいい笹団子のお土産も、ありがとうね!
九谷焼の美しいお椀に縁があり、我が家に来てくれた。
きっと相当古いものだろう。
どんなものを作ろうか、どきどき。炊き合わせとか蕪蒸しとか、そういうものが似合うのかしら?
大切に使います!
続々と集まってくるウールの生地たち。
この夏から本格的に「自分の着るものは自分で作る。」がテーマに。
今回集まってきたものは、おそらく数十年前にスーツの仕立てに使われていたウール100%の生地たち。多少薄くても、暖かさを感じられる素材。つまりとても上質。
これで何を作ろうか、いろいろ想像するのが最近の私の贅沢時間。
秋はどこですかー?
夏から一気に冬が来たんじゃないの。と感じる今日この頃。
本日ようやく衣替え、完了。
カンフルオイルを染み込ませた木々をセットし、虫除け完了。
お香の気分になったので、この前京都の鳩居堂で購入したミニサイズのお香立てとサンダルウッドのお香で。
4cmくらいの小さなお香たてが愛らしい。
楽しみにしていた古川美術館の展示。
様々な時禱書にしずかに盛り上がりました。
何故だか中世の時禱書がとても好き。小冊子まで張り切って買ってしまいましたよ。
古川為三郎さんとご縁がある方から色々伺っていたので、この美術館も記念館でのお茶のじかんも様々な観点から楽しめた。懐が深い人のビジネスって、其処此処にユーモアと親切さ、そして愛情が溢れているなぁ。
今回の京都旅のメインイベント。
展示が行われている美術館も含め、ずっと心待ちにしていた。
予測通り、全てにとても満たされた。
周りの自然に馴染む美術館の設え、照明、響き、そして有本利夫の作品の数々。
面白いCDを購入した。有本利夫がリコーダーで作曲したという「RONDO」。当然バロック期のロンドを思わせるものだけれど、どこか不思議に力が抜けていて、まさにあの絵を思わせるような、はじまりは地をゆっくり回るイメージ、そして美しい転調の後はあの絵のように空中を舞うような自由を思わせる、浮遊感のある音。
去年のリベンジで京都、南禅寺へ。
三門の上へ。かなりの急勾配で、ドキドキ。
登りきった瞬間にひとつの風がすうっと体の中に入って、私が消えた。
まばたきがひとつが起き、木々と空が目の前に広がった。
あらゆるものが色鮮やかに歌ったり踊ったりして完璧に調和している。喜びそのものに触れている確信が湧き起こる。
数分のサイレンスの後、「そうそう。これこれ!瞑想を続けていて心底よかった‥」というマインドが遠くからやってきて、再び頭が動き出す。
この景色にしばらく浸りつつ、ひときわ静かで整然とした場所が目に付いた。あまりにも美しいので、実際に感じてみたいと早速訪ねてみたら、拝観謝絶の立て札が。
どうやらお坊さんたちの修行場らしい。
何もなくて全てあるところ。そういう矛盾をしっかり提示する場所が京都には多く見られて、それがなんとも楽しい。
お客様から赤福の「ついたちもち」をいただいた。
このお客様が1日にみえる時は必ずこの朔日餅を持ってきてくださる。
お菓子も千代紙も月毎に違うのが趣深い。
今月は萩の餅でした。もう秋ですね。
ごちそうさまでした!
いつもお心遣いありがとうございます。
パートナーが買い物の帰りにお花を買ってきてくれた。
近所のお花屋さんは閉店間際で、「残り物しかないけど奥さんが好きそうな感じでやってみるね。」と見繕ってくださったそうだ。
そのお気持ちが嬉しい。ありがとうございます!
お花って、人をしあわせにしてくれるな。
膝の調子が良くなくても、思いっきり飛びたい。
膝の痛みを忘れて飛んで、また痛くなる。のループな最近。
どんどんいい感じにマインドが壊れかかっています。
そんな折、薬局で見つけました!
サポーターってすごいんですね。本当にサポートしてくれる。
友達が会いに来てくれた。彼女のお父さんが家庭菜園で育てたもぎたてのピーマンを持って!
嫁ぎ先が自然豊かな場所で、そこでの暮らしを楽しむ彼女の話はとっても面白い。
今回は「都会からやってきた野菜ソムリエ」の話が面白かった。皆で料理をしている時に、近所の方が育てた野菜が筋張って食べれそうになかったらしく、野菜ソムリエはそれを人越しにゴミ箱に投げ捨てたのだという。
土を触って野菜を育てている人と、その育てられた野菜について机の上だけで学ぶ人との間には、大きなギャップがあるのかもしれない。
今回いただいたピーマンには元気な青虫一匹がついていて、まさに採りたて!
時折「オーガニックにこだわっている」人が虫を毛嫌いする姿に、私のマインドは反応する。「シルク製品が好き。でも絹の糸をはいてまゆを作る蚕は気持ち悪い。」とあべこべを言う人もいる。その原点を見つめてほしい。土は虫が住む場所で、シルク製品は蚕がいて初めて存在する。
虫が苦手なのは構わない。でも「こだわっている」と言うのなら、それがどこからやってきたのかを知ろうとしないのかしら。生産者が様々な工夫の中でどんなふうに作物を育て、ほかの生命と共生しているのか。それを理解していれば言動にはもっと意識的になるはず。
彼らの言う「こだわり」って一体何なんだろう…?
と、真剣ぶって書いてみましたが、実際のところはどうでもいいんです。単純に頭の中で流れているひとつの物語。
夕刻、お世話になっているご夫婦のお宅におよばれした。
私たちの両親よりも少し年上の、先輩ご夫婦。
創造性豊かで、好きなこと、楽しいことが次々と湧き出てくるお二人。
お話は楽しくためになり、手作りのお料理はとっても美味しく、ご縁に心底感謝した。
ところで今回、およばれしたお宅の手前に給水塔があることを初めて知った。
家から自転車で10分の距離でも知らない場所ってあるんだなあ。
パートナーが言うにはこの給水塔、年に一度解放するとのこと!あの階段に登って、街を見渡してみたいな。
周りの緑の剪定も不思議な感じで、お気に入りの場所がまた一つ増えた。
立ち止まってぼーっと眺めていたら、あ、そうだ。「二週間の休暇」を思い出した。
明日、覚えていたら給水塔占いをやろう。
新月の今日はダイナミック瞑想の21日目!
あと2ターンつづけて、トータルで約3ヶ月やりたい気持ちが強く芽生え始めていたのだけど、今日の第3ステージで膝に違和感を感じた直後、強い痛みが生じたので一旦今日で区切ることに。
この瞑想をすると、毎日が新しい瞬間だということに気づかざるを得ないし、外側のあらゆることが、自分自身の内側で起きていることの反映結果だという理解が頻繁に起こる。
日常のほとんど全部のことを無意識的に自分のマインドで決めつけていることに、愕然としたり、あるいは笑いとばしたり。
この21日間で得られた恩恵は、「何が起きるかわからない」日々の状況に「大丈夫!」という自分への信頼に気づけたこと。安定や安心を求めて外側にしがみつく生なんて、もうまっぴらごめんだ。それならば不安や恐怖と手をつないで、未知へとジャンプする勇気をいつも持ち続けよう。
もう一つ、自分以外の人々にかなり影響されている自分のマインドに気づけた。ある日、瞑想の後のシャワータイムに「いまここにいて体験していること以外は、全くぜーんぶ、わたしじゃない」という声が聞こえた。あぁ、この感覚をようやく思い出せた、と涙が溢れた。私の人格がシャワーの水とともに落ちていったのを目撃した。数年前まで参加し続けていた「Who is in?」以来の洞察。いま、たどり着きたい場所にようやく近づいている。膝の様子をみつつ、続けていきたいな。
百貨店に行く用事ができたので、地下鉄でこころして向かう。(都会は疲れるんです。)
いつものように「何か買ってくるものある?」とパートナーに尋ねると、「かせきのおにぎりCDがあれば…」ともごもご。
「かせき」とは「かせきさいだぁ」さんのことで、私が大学時代に一時聴いていたアーティスト。この数年でパートナーが私が20年程前に買ったCDを見つけて、聴き始めたのをきっかけに、はまってしまったようだ。
我が家では「キモかっこいい」(褒め言葉ですよ!)かせきさん。この方絶対に、「うわ、キモっ」て言われるためにああいうポーズで写真撮っていると思う。色々と確信犯だと思うんです。でも、昔気質の職人さんみたいにすごく丁寧に、自分につながり続けてぶれない曲を作っている真のクリエイターだと思う。芸術家に近いのかもしれない。アングラ、サブカルな感じ。
今回もおじさんのくせに(失礼!)ベビーピンクのジャケットに藤色の「ONIGIRI UNIVERSITY」。か、かわいい。それにしてもすごくステキなおにぎりデッサン。
小さな芽が出てきた!何ヶ月ぶりかのピンクのアンスリウム。ここのところ、ずっとみどりの葉っぱだけだったから嬉しい。
パートナーが私のimacのitunesに色々なCDを入れている。
どんな曲たちがあるのかしらと覗いてみたら、「あ、これ持ってること忘れてた!」というものばかり。結構楽しくって作業のBGMに色々なアーティストのものを聴いている。ここ数年、家ではずっとクラシックばかり聴いていたので、歌のものがたまには楽しい。
最近のツボは矢野顕子さんの「はじめてのやのあきこ」。聴くほどにその才能にため息が出る。
曲はもちろん素晴らしいし、弾むピアノも個性的な声も素敵だけれど、詞のおもしろさに心惹かれる。欲しいものに「きらめく星屑の指輪」や「寄せる波で組み立てた椅子」という歌詞が思い浮かぶなんて!
気づいたら、手が止まって完全に「聴くこと」に集中。
毎朝恒例の1時間の瞑想の後は、洗濯機を回しながらシャワーを浴び、仕事の準備にとりかかる慌ただしい一時。
このところシャワー後の束の間の休息時間に飲む、生協のシークワーサーソーダがクセになってます。美味しいんだもの。
ダイナミック瞑想を始めて以来、わたしの中の創造性が踊りだした。
溜めていた布たちがどんどん形になっていく。
面倒な作業も面倒に感じない。とにかく、作ることが楽しい。
今日はブラウスとパンツが完成。ちょっと襟元がもたついたけど、初めてにしてはよくやったよ、わたし。
同じ布で先回のモンペパンツと同じ型のものも完成。ロングスカートにするか最後の最後まで楽しく迷ったけれど、この布はパンツの方が面白いと思ったので、その直感に従うことにした。
けっこうお気に入りなセットアップになったなぁ。
そもそも外に遊びに行きたいとか、誰かとケーキ食べながらおしゃべりしたい。みたいなタイプではないけれど、もともとの気質に拍車がかかってますます引きこもりです。
自分のハートに浮かんでくるものを、忘れないうちに形にしたい、書きたい、描きたい、作りたい。ものごとのはじまりを見つめ、形のないそれらを拾い集める日々。
昨日はわたくしの誕生日!
朝から瞑想をして、仕事をして、おいしいごはんをいただいて、あっという間に1日が終わった。
おいしいご飯が食べられて、美味しいお茶が飲めて、自然を感じられて、静かな時間を少し持てて、ふわふわのタオルケットにくるまって眠りにつける。しあわせ。
今年の自分へのプレゼントは、深めのブルーグリーンの小さなトートバッグ。
「トスカーナで鞣されたレザー」という文言が購入の決め手。
フィレンツェ、サンタクローチェ付近は前のイタリア旅行で訪れたけれど、不思議と馴染みがある街並みだった。小さな革工房が点在していて、どこか素朴で、控えめな街のイメージ。個人的に非常に懐かしさを感じる土地だった。あの場所で、あの空気の中で何世紀にも渡って伝承されつづけている鞣しの技術。ゆっくりと時間をかけて鞣しの工程作業を行う職人に思いを馳せつつ、クリームで最初の手入れをした。
そして夕方、お友達からの手紙が!
きれいなカードと共に現れたのは、若草色のやわらかいリネンのハンカチ!
わぁ。繊細な刺繍…これは彼女が刺してくれたものだと一目でわかった。
あんまりにも美しくて、しばらく眺めていたのだった。
ひらひらと広げてみたら、もう一つの刺繍が!謎解きのシンボルみたいでとってもワクワク。
予想どおりわたしのイニシャルだった。
世界に一つしかない、宝物がきてくれた。いつもありがとう。大切に使わせてもらいます!
今日のダイナミックは、ひとつのブレイクスルーがあった。
少しづつ、どのステージでも身体やマインドを観照する自分がいる。色々と身体的な不出来はあるものの、できなかったことへのジャッジがなくなってきた。すると、突然翌る日は簡単にできてしまったりするので、マインドの仕業に驚きを隠せない日々。ただただ技法通りに、淡々と、リラックスして取り組めることの気軽さ。なんで今までダイナミック瞑想のことを「体力を使うしんどい瞑想」と決めつけていたんだろう。「一体、わたしってば何を達成しようとしていたんだろう。これはスポーツでもなければ修行でもないのにね。」という気づきがやってきて、静かに微笑む自分がいた。
頭の中のおしゃべり声が極端に減り、不安や焦りというエゴがやってくる時に、その始まりを見つめることが習慣づいてきた。そして大好きな夏を全身で感じる。蝉の声や、激しい雨足の音、雷の光に次ぐ音の荘厳さ、タオルケットの感触、アイスミルクティーの舌触り。生き生きとしている!
画像は野菜たっぷりの羽根つき餃子。これとお素麺があれば、パートナーはご機嫌なのです。
決意通り、ダイナミック瞑想が昨日からスタート。近所のことも考えて初めてのサイレントバージョン。まだ2日目だからなのか…つ、つらい。身体が…でも、終わった後の軽さといったら!
久しぶりのダイナミック、やっぱりすごいなぁ。10年前に初めて出会った時は、苦行としか思えなかったけれど、今はもっとリラックスして取り組めているように感じる。もちろん決められた通りにトータルにやるだけだけれど、「やらなくちゃ!」と思う時、知らず知らずのうちに余計な力が入ってしまうもの。そういう余分が少しづつ落ちていっている気がする。そうするとこの瞑想に対する難しさみたいなものも、思い込みが多いんだろうなぁ。と感じる。
夕方から長久手のイオンへ。ショッピングモールは大の苦手だけれど、一度に必要なものが揃いそうな気がしたので気合を入れて。はげはげになりつつある箒や、製作中のブラウス用の接着芯、洗った食器の下に引く分厚くて乾きやすい布巾(画像の通り、素敵な柄に出会えた!)、ブルタック、額縁の後ろを止めるトンボなど「必要なものリスト」を握りしめて歩き回るも、専門店の少なさに愕然。っていうか、私は一体何を期待していたんだろう。「君が必要とする専門店って、マイナーなのだよ!」と自分に言い聞かせる。無論トンボやブルタックはなかったので今度、画材屋さんに行かないとな。
21日間のボディ・マインド・バランシングを終えた翌日、友人からヒプノシスの練習台になってほしいとのお声が。
すごいシンクロ…。この21日間の集大成だ!
気持ちいい例の状態に入った時の自分の身体の思わぬ動きや落ちていった習慣や執着、不思議に感じていたことも含めて友人にシェアし、その後のセッションではありがたいことにいくつかの私の身体の動きを目撃してくれた。やっぱり気のせいじゃなかったんだ!と笑いつつ、身体とマインド、そして感情の結びつきやその声、あるいは本当のわたしが出す「yes」のサインのユニークさを受け、感動。
ヒプノシスとボディ・マインド・バランシングは正確には違ったアプローチだけれど、いずれにしてもとても繊細なもの。
この静かな瞑想の中で更に自分自身を深く知りたいと思った時に、今すべきことは…マインドは強く抵抗しているけれども、ダイナミック瞑想だな。「本気?!」とマインドは言うけれど、変容にはこの瞑想が最速だってこと、私は知っているんだなぁ。ということで、8月からはダイナミック!画像はダイナミック瞑想のことを考えながら作ったパプリカのマリネ。皮を真っ黒に焼いてから、その部分を剥き、ワインビネガーにつけるとたちまち美味しい。
先日、今年摘みのラベンダーをたくさんいただいた。入浴剤に。と言われたけれど、私の中ではポプリにしよう!と決めていたので、早速ハギレの籠を物色し、適当な大きさの布を折り合わせてだだだーっとミシンで直線縫い。ラベンダーをたっぷり詰めて、今度はリボン箱からリボンを選び、きゅっと結ぶだけで即席ポプリの出来上がり。
思いの外ラベンダーの量が多く、布に入りきらなかったものは…とりあえず瓶に詰めておこう。ハーブの香りに包まれながらの作業ってしあわせ。
今週の宅配野菜のフルーツは佐藤錦!今、レッドにレッドな気分!赤一色。
ボディ・マインド・バランシングのCDを聞きながら自分の身体感覚に働きかけをしている。
このCDはとてもソフトで気持ちいいのでうっかり寝てしまいそうになることも多いけれど、トータルに関わればかなりパワフルな瞑想になると感じている。
身体の動きや過去のヴィジョン、夢などでフィードバックがあり、得られる気づきは大きい。わたしなりの身体感覚。例えば失恋をした時のハートがシクシクする(チクッとかズキズキとか表現は人それぞれですね。)「痛み」は、レントゲンには写らないし、怪我などの直接的な痛みとは違って、自分だけが理解し得る感覚的な痛みのように思う。その「痛み」はきっと殆どの人がどこかに持っていて、ある一定の状況や刺激によって悲しみ、怒り、自己憐憫などのネガティブな感情を伴って反応をする。私の場合も、子供の頃からピンチになると、ある部分が痛むことに数年前に気づいた。そこに親切に、一定の距離を持ってアプローチをしていくと、実は私を守ってくれている存在でもあることに気づく。「邪魔で嫌な症状」という扱いをしたり、その痛みを避けるために食べ物や薬、お酒、タバコなど外側のものを頼りにしすぎたり、あるいは蓋をして気づかないままでいた場合、「痛み」はいずれレントゲンに写る病気になるのでしょう。あるいは痛みと同一化することに慣れてしまって、その発動ボタンをたまたま押してしまった相手や状況を恨み、被害者のポジションにはまり続ける人もよく見かける。この種の痛みはなかなか手強いなぁ。
今月は、本当に色んなことがあった。まだまだ色んなことが見えないところでうごめいている。そんな気がしている夏至。
大好きな叔父が脳梗塞で倒れた。
仕事中に倒れた叔父を80才を超えた祖母が発見、救急車を呼んだ。
慌てて姉である母が故郷に駆けつけ、どうなるかわからないままただただ意識の回復を祈る一週間を過ごし、ようやく意識を取り戻したという報告を受けた。祖母、母、叔父。きっとこの家族が今みつめるべき何かがあるのだろう。と思いつつも、叔父の無事を聞かされた私の頬にはなま暖かい涙が次々につたい、この一週間の「生」とは?「幸福とは?」という問いかけが落ちた。生が今、ここにある。それ以外に意味づけは必要ない。今、在る。
叔父のために私が今できること。それはいつも「今」をトータルに生きられる自分でいること。
ひょっとしたら右脳をいためた叔父の役に立つかもしれないと思って、OSHOの「こころでからだの声を聴く」を再読。付属のCDでまずは自分を使って実験してみることにした。
少なくともこの瞑想を1ヶ月は続けてみようと思う。
高知から友人が里帰り!ターシャテューダーの映画を見に行こう!と誘われて私の第3の故郷、岐阜市まで足を伸ばした。ターシャの日常への関わり方が穏やかで力強くて、土の上を裸足で歩きながら花がらを摘んだり、陽の光のなかでデッサンをしたり絵の具を混ぜたり、温かいお茶をお庭を眺めながら楽しむ姿。それは一見普通で、日常のこと。でもそこには濃厚に今を生きることの祝福が溢れていた。
こんなに素敵な映画の上映を、なぜ名古屋では行わないのだろう。そういえば私が気になる美術展やコンサートは名古屋がとばされることが多くて、その度に悔しい思いをするのだけれど。東京から大阪へ行くなら、ちょっと寄り道してくださってもいいのですよ?とよく思う。
でも、久々に我が故郷に行けたことも嬉しかった。岐阜駅には職人の手仕事が光る作品が多く置かれていて、友達とお揃いで素敵なガラスの待針を買った。吸い込まれるような光!色々な制作がより一層楽しくなりそうだ。あ、あとずっと欲しかった爪切りも買いました。関の刃物!鋏や包丁もほしいなぁ。
ここ数年、足首のところがキュッとすぼまっているパンツを探していた。何だかわからないけれど、このモンペのような形が私のハートをクリックしていたのだった。
そして昨年の夏の暮らしの手帖にその作り方が掲載されているのを見た時は、もう小躍りせずにはいられないほど嬉しかった。
今回はとりあえずの一枚を作ってみよう。と奮起。まずはパターンを作り、型紙を切る。夏に丁度良いような薄さの綿麻の布を引っ張り出してレシピ通りにダーっとミシンで縫って、ゴムを入れたらあっという間に完成!半日で出来ると書いてあったけれど、1日約1時間の作業で4日で出来てしまった。布が大分余ったので、セットアップにしてカットソーも作ろうかしら。深いグリーンに幾何学模様のこの布、なかなか昭和のおじさんぽくってツボです。
裾にゴムを入れなければ普通のパンツにもなるので、もう一枚作れるといいな。というか、パジャマのパンツも出来ちゃうな。
型紙を丁寧に作っておいてよかった!
今年もちゃんと咲いてくれました、アスチルベ。
とても控えめだけど、大好きな花。
今年は新しく迎えた花瓶に入れて花姿を楽しんでいる。
この横でミシンを踏む最近なので、お花があると一人で作業している気がせず、場が程よく緩んで「よし!あと少しやってみよう!」という気になれる。
友達と会う約束があるので、円頓寺へ。
名古屋に住んでいながら円頓寺は初めて。昔の蔵がそのまま残されている趣ある風景。最近ニュースで見た「アリゲーターガー」というあの怖ろしくもちょっと面白い魚がいるという堀川はこれか…。名古屋城のために作られた水路という感じだけどこの認識であっているのかしら?お城のために船に木材や石を積みやすい作りになっている。感覚としては、以前訪れたヴェネチアにとてもよく似ていると思った。建物と川がくっついている様子がそう思わせたのかもしれない。
多治見にある好きなお蕎麦屋さんと同系列のお店があると聞いていたので、そちらでお蕎麦をいただき、その後のお茶はウェスティン名古屋キャッスルのティーラウンジで。眼前に現れるのは木々と立派なお城。初めて金のシャチホコを見つめた気がする。金色でした。
昨日までとてつもなく暑かったのに、急に肌寒い。
夜になると、とても冷えている気がする。温かいものが食べたくなって、ポテトグラタンなど焼いてしまいました。
そのほかに温かいスープも用意して夕食を頂いたら、体の奥のほうから何だかほくほくしてきてとても落ち着いた気がする。
今月のお休みは色々な人に会う予定が立て込んで、普段おとなしくしている私には珍しくアクティブな一ヶ月になりそう。
今日は知り合いの個展を見て、学生時代の友人たちと夕食。
個展と夕食の間に、最近はまっている名古屋、栄の丸善へ。
丸善は本も文房具類も充実していて、楽しくて大好きな場所。
今日ゲットしたのは、鳩居堂の線香!鳩居堂の葉書や便箋などは置いてあることは知っていたのだけど、まさかお線香があるなんて…!蚊取り線香と白檀で迷いに迷って、白檀ゲットです。蚊取り線香は夏に改めて。近くにあった鳥獣戯画の小さな風呂敷も何気に衝動買い。ときめいてしまったんだもの、このサイズで何に使うかは全く思い浮かばない今だけれど、活躍するはず。と自分に言い聞かせてみる。
今週は初メロンが届いた!
朝はそのままいただき、もう半分は夕食の前菜で生ハムメロンに。
暑くなってきましたねぇ。
昨日、お友達に会って楽しいひと時を過ごし、プレゼントにいただいた手作りのクッキー、スコーン、ジャム。どう頂こうかとそわそわ、わくわく。
常々「お茶」というのはただの「飲み物」ではなく、自分自身を見つめ、くつろがせてくれるものだと感じる。だからこそ、自分のその時の状態をよく観察して、一緒にいただく物との相性も考慮しつつ意識的に選ぶようにしている。
とりあえず、お昼前のコーヒータイムにカルダモンの美しいクッキーの封をそっとあけて香りを感じてみる。想像では深煎りのコーヒーとのマリアージュだったけれど、これはスペシャルティーコーヒーの方が面白いだろう。ということで、お相手は甘みのあるホンジュラスのCOE。(茶園の名前は忘却。。しまった…)とっても美味しかった。あぁ、幸せ。カルダモンの香りとホンジュラスの甘み、果実感、そして余韻の苦味…。
続いてお昼はスコーンを頂こう!と張り切る。
パートナーが折角だからとサンドイッチも用意してくれ、図らずも小さなアフタヌーンティーに!
紅茶は、ダージリン セカンドフラッシュ キャッスルトン茶園のものに決まっていたので、張り切って用意。
最後にスコーンが焼きあがるまであと僅か。ココットを用意した時に愕然。私ったらクロテッドクリームを買うのを忘却…泣きたい。
チン!の音を聞いて我に帰る。気を取り直して、お店で使うクリームを代わりにセットして、頂いた手作りのイチゴのコンフィチュールを流した。
サクサク、フワフワ!イチゴのジャムが最高によくあっていた。「このスコーンには絶対にクロテッドだね。」と二人で言いながらも「でも何もつけなくても美味しい。」などと会話も弾みつつ、ダージリンの香りも相まって贅沢なアフタヌーンティーに。ご馳走様でした!
今日のクッキーやスコーンはインターネットでも購入できるそうです。美味しいのは勿論、丁寧で美しいものなので、ティータイムを通してくつろぎ、自分自身を大切に扱い、温めていくことにつながっていくと思う。
ふふふ。手に入れたのであります、ハンギングタイプの楠の木ブロック!
ただ、手許に届いたのは白い紐スルー ザ クスノキ…
なんか、もうちょっと遊びがあったってよい気がするんです。ということで、裁縫箱からお気に入りのリボンを取り出し、5個のブロックに通す。残りはあと5個。ちょうどいいサイズのリボンがもう見当たらなかったので、カラフルな刺繍糸をそれぞれ2本取りにして縒って作成。これで衣替えが終了!きっとクローゼットは無敵だ!
お友達とちょうど明後日に会う約束をしたので、このタイミングでクスノキをお裾分けしよう!
他にも彼女に貰って欲しいクリスタルがある。それを朝からメンテナンスし、夕方に箱詰め。
何かがちょっとだけ足りない。そう思って静かにしたら、それには言葉の媒介が必要なことに気づいた。それは私というフィルターを通す必要のないものだったので、禅タロットにその役目をかってもらうことにした。
『Integration』という文言。偶然にも私はその言葉の表すであろうシンボルの封蝋印を持っていたので、スタンプするに至った。
このカードはよくわからない。というフィードバックが多いカードでもある。それは私たちが偏った見方をしがちで、一つの事実には二つの対極があることを認められないから。このカードは単純に、1日というものは昼(光)と夜(闇)を合わせたものだと呈示している。昼も夜も良し悪しはなく、どちらもあってはじめて「1日」が成立する。成功は、失敗があるから成立する。自由というのも、重い責任が必ず背後に潜んでいる。そのどちらも享受した時にはじめて目の前に現れる新しいステージ。
一通りの儀式を終え、私のもとで長年過ごした物が、新たな場所で芽吹きを迎えることになる。
フェンネルに花がついた!
初代のフェンネルは太郎という名がつき、数年すくすくと育ってくれたが、カフェに移動した年の夏に見事にバッタのごはんになった。その後にもカフェで二郎がそれなりに育ったが、やはりバッタのご馳走に終わったのだった。
そして家のベランダで昨年からじっくりと育ったさぶろうは、背丈が140cmほど。きっともうカフェに引っ越すことはない。
でもこの花後の種の収穫、すなわち四郎たちは、カフェのハーブ鉢に植えてみようかな、と考えている。沢山植えれば、きっとバッタもたらふく食べられるだろうし、私たちホモサピエンスもその恩恵に与れるだろう。
新しいフライパンがきた!
実はここ数年、買ってはテフロンが劣化して処分する、を何度か繰り返していた。
速いスパンで不燃ごみを出してしまうことへの疑問と、素材が何だか身体によくない感覚がうごめいていた。
家で話し合いをしたところ、鉄のフライパンやパスタパンは後々絶対に欲しい。との意見が出るも、今回は長く使える物、あとは安全性、そして万能性のあるものをとりあえずの一枚に。というコンセプトで10年保証がついて、安全性が確かなものを選んだ。
到着を楽しみに待って、ようやく届いたフライパンで一番最初に調理したのは、カブのソテー。
1滴のエキストラバージンでじっくり焼きつつ、フランスの美味しいお塩をぱらり。あとは好みでパルメザンを上から削ってかける。
あまくておいしーい!
この時期だけ、花瓶がたりません。
求む、素敵なローズボウル。
花瓶との出会いを切望しつつも、そう思えるのも幸せなことだなぁ。としみじみ。
それにしてもAmbridge rose、咲き始めのカップ咲きの可憐なことよ。
なかなか昼間に写真が撮れないのは残念だけれど、カフェの方も揃って3つのバラが満開!
毎年どれかが必ず不調だったけれど、今年はみんな元気に花をつけてくれた。
通りすがりの方々やお客様にも愛でられ、お花を通じて春の喜びを分かち合えることのしあわせ。
小さなハーブの寄せ植えも見頃。タイムの花が満開だし、チャイブのネギ坊主、そして何と言ってもセージの花!
セージを育てて長いけど、はじめて自分で育てたセージに花がついたところをみました。感慨深いです。
この数週間で冬物を洗濯したり、毛玉の処理をしたりスチームアイロンでせっせとセーターを落ち着かせたりと、衣替えに向けて少しづつ準備。
虫除け用の楠ブロックに染み込ませるカンフルオイルがないことに気づき、連休前に慌てて注文。
届いたのは、連休明けでした。ええ、当然です。例年より遅めの衣替えとなった。
ようやくカンフルオイルを染み込ませて半日おいたブロックと一緒に冬物を収納。
30mlというたっぷりのオイルを前に、ハンギングタイプの楠も欲しいなぁ。という欲望が。
クローゼットに吊るしておくだけで虫除けになるし、何より気持ち良さそうだもの。
そうそう、わたくし自分を褒めたいです。今年の冬物の断捨離は結構思い切りました!
とっても楽になった。
ランプを新調。
ずっと使っていたステンドグラスのランプ。なぜかあちこちヒビが入ってしまって、ちょっとベッド脇に置くには不安になったので、新しいものを設置。ステンドグラスの方も、とても気に入っているので補修して使いたい。
いつだったか、自分を知りたいという探求に出会うきっかけになったタロットカードのひとつ、「Ⅸ The Hermit」。
ウェイト版もマルセイユ版も確かトート版もランタンを持つ隠者が描かれていたと記憶している。
自分の内側を灯す意識の比喩として用いられるこの道具が大好き。
今年の四季咲きの一番はAmbridge Rose。
鈴蘭と一緒に生けることができた。
二鉢のバラが天に召された今年。一向に葉が出ない株を前に落ち込んでいた私だったけど、またナーセリーで買おう!と思い直すことができつつある。
育てるということは、与え、また与えられていることだと感じる。
世話してばかり。与えてばかり。というところに捕らわれると、自分がどれほど与えられ、受け取っているかを忘れてしまう。
この生命の存在が、頭のなかのおしゃべりを一瞬でゼロにしてくれる。
すずらん!
少しずつ鈴が増えていき、同時に清涼な香りが漂う。
今年はバラが遅いけど、順々にじっくり楽しめるのが嬉しい。
それにしても、風に乗って今にも音が鳴りそう。日本語って情緒がありますね。
一足早く、木香薔薇が開花!
去年は花をつけず、2年目にしてようやく黄色の小さな花たちがたっくさん!!
このバラに詳しいお客様が先日おしえてくださったのだけど、木香薔薇に限っては2,3年目からは放っておいてもどんどん大きくなっていくそう。ちゃんと誘引できるかしら。とちょっと怖気付いてしまったことは置いておいて、その方が翌る日、大切に育てている一重の白い木香薔薇をプレゼントしてくださった…!嬉しくってこの先の見えない苦労なんて一瞬で杞憂となる。
シンプルで聡明な雰囲気が漂う花姿は、プレゼントしてくださったお客様の佇まいそのもの。
おっしゃっていた通り、白い花からは芳しい香り。
来年、お花が増えて再びこの美しい香りに包まれることを祈って。
ありがとうございます!
大切に、大切に育てますね!
この冬、ちっとも咲いてくれなかったクリスマスローズがようやく開花。
嬉しいな。また冬に、ね。
いつものように母が突然現れる。今日はなんだかえらく大きな箱を抱えているな…
パソコン教室のお友達からいただいたハーブが大量すぎて、困って持ってきたと言います。
いや、こんなにたくさん、私もどうしよう。っていうか、大量すぎてオバケみたいになってるよ。
イタリアンパセリ、スイスチャード、フェンネル、ディル。香りがすごーい。
フェンネルとディルに関してはもうどっちがどっちかわからないし。(拗ねるしかない)
スイスチャードは今夜すべてサラダに。イタリアンパセリはとりあえずまとめて水切り、そして大きな花瓶に。
一週間はもってくれるだろうから、そのあいだにレモンの塩漬けとあえてドレッシングを作り、あとはドライカレーやパスタ、フォーにしよう。とマインドをフル回転。
で、フェンネルどうしよう?
ピクルスとハーブティー以外に全然浮かばない…
こうなったら、最後の砦。インターネットさまだな。ということで、検索したらおもしろいレシピを発見!
フェンネルの水餃子ですって。
初めて知ったのだけれど、中国ではポピュラーみたい。ちょうど胃が弱っている今のわたしにはぴったり!ということで、レシピ通りひき肉と同量(!)の大量フェンネルをひたすら刻んで、すりおろした生姜、醤油を入れて混ぜ、あとは餃子の皮に包むだけ。
日本で食べる水餃子の味わいではないけれど、確かに美味だった。フェンネルの茎の食感がとてもよかった。ただ一点、もっとこうしたら美味しいだろうな。と思ったのは、スープには絶対ナンプラーが合うと思う!もはや中華料理とは呼べなくなるけれど。
この冬、我が家のあの強靭な根をもつローズマリーのまりこが息絶えた。
原因はコガネムシの幼虫だということが土を掘り返してわかった。
根付いて5年は超えていたので相当な強さだったはずなのに、コガネムシ幼虫の歯の鋭いことよ…
こうなったら気を入れなおして小さなハーブガーデンを再生してやる!と気合。
カフェの方のハーブたちは幸いにも元気に繁殖しているので、ローズマリー、タイムを分けてもらい、とりあえず根を生やしてみることにした。長期戦になるだろうけど、食卓には欠かせないハーブたちなので、わたくし、がんばります。
一方、我が家の野菜室はというと、同じ野菜ばかりが並んでいる。
野菜宅配は何が届くかは箱を開けるまではわからないので、買ったものとよくかぶるのが悩み。
近頃、立て続けにごぼう祭りなので、夜は炊き込みご飯と金平牛蒡。
炊飯器を持たないので、土鍋で。
隙なくちゃんと意識的にお料理するって、私にとってはなかなか難しいこと。
最近、尊敬する土井善晴さんの「一汁一菜」という提案に影響されています。
街中が桜で大賑わいな中、我が家でも次々に球根たちから花が咲きました。
スノーフレーク、ゴールデンベル、ヒヤシンス、ムスカリ、クロッカス…
…クロッカス?
あ!昨年スペインのお土産でもらったサフランのこと、すっかり忘却してた!!!
慌ててキッチンの乾物入れをごそごそ。あった!
クロッカスを見て思い出すところが私らしい。そんな春です。
夕食は鶏肉で出汁をとった野菜たっぷりのサフランスープ。今週中にパエリアもつくろうっと。
中村航さんとフジモトマサルさんの「まさかさかさま」再読。
回文そのものを考えられるのも大層なことだけれど、ストーリー展開できちゃうなんてすごい。
何度読んでも、口元がニヤリは当然、思わず声をだして笑ってしまうことも多いため、持ち出し禁止の本。
そして挿絵の相乗効果!この挿絵のおかげで、また笑えてしまうし、とても幸せな気分になれる。
読んだ後に得られるのは、おおらかで軽やかな心地。
頭にこびりついて離れない回文は、「よし、今夜ニャンコしよ!」
(「第1章 失われた文化を求めて 『ニャンコをめぐる攻防』」より)
仕事を終えたお昼過ぎからおでかけ。岐阜のお友達と待ち合わせをしてジェムショーを堪能し、お茶を楽しむ半日。
いつも素敵な贈り物をありがとう!
手作りのマーマレードは言うまでもなく美味しく、トーストやサラダのおともに。
もうひとつ、京都で出会ったというソイキャンドル。
ラベンダーの花が入っており、優しく香りが漂う。
夕方のリラックスタイムに家のあかりは全部消して、橙色のほのおを見つめることの贅沢さ。
静かに
ゆったりと時が刻まれる。
ずいぶん前のこと。アイスランドに行ったお客様からお土産にいただいたポストカード。
いつまでも見つめていられるぐらい楽しくって、嬉しくって、ずっとずっとこの葉書に相応しい額を探していた。
額を探すためだけに歩き求めることもあったけれど、これというものがみつからないまま、今日に至っていた。
今日もいくつかあるウォーキングコースのひとつを歩いて、学校帰りの子供たちの出入りにつられて隣の駅の文房具屋さんに何となくふらっと入ってみたら、ありました、賞状の額装コーナーに!
昔ながらの街の文房具屋さんという佇まいだけど、豊富な品揃えと落ち着く空間だった。
家に帰って、早速ポストカードを入れてフフフ。そうそう、これ。これですよ!
たくさん描かれている謎の生命体。そのほんの一部をアップします。
ほら、わくわくな生物が当たり前に海上に存在しているんですよ。
よく見ると上半身は馬で、下半身は魚という謎の海獣もいたりして、どきどきしてしまう。
今年に入って、買い物はリュックを背負ってウォーキングで。というスタイルに決めた。
冷え性には運動が必要だし、何より心が急ぐ癖がある私には、一旦自転車は置いておいて、大地を自らの足で一歩一歩踏むことが自分を知るための瞑想になることに気づいていたからだ。
お正月には、なんとこのアスファルトまみれの静かな街のわずかな竹藪の前でタヌキに遭遇した。
隣の駅前には、ケルズの書に出てきそうなケルティック文様(!)が掲げられたバーも発見した。
この近所でこれ以上の衝撃はなかなかのぞめないだろう。と思っていた今日、近所の坂を登りきったところで、驚くべき光景に出会った。
え?え?石垣から桜…ですよね?人工的なパイプまで枝の間に入っちゃってるんですけど。
何がどうなっちゃったの?感は依然拭えないけれど、丁寧に剪定されている枝ぶりを眺めて、それならば咲く生命も散る生命も見に来よう。とこのルートを当分使うことを決めた。
自分の足で道を歩み、そして立ち止まること。その時、内外を見つめること。まさに探求だ。
母が突然現れる。
この日記を読んでいる方々には、おなじみのことでしょうが、突然なんです、毎度。
近くにできたショッピングモールに行ってみよう。ということで、行ってみるも、二人とも店内の空調の息苦しさに酔い、いつの間にかハーバルショップに佇んでいたと言います。
明後日は父の命日だし、お互いにお香を購入。母はスズラン、私はヒノキの香り。
家で炊いてみたら、びっくりするほど短時間で終えてしまった。今時のお線香って安全にできているんだなぁ。
買い物のついでに本屋さんに立ち寄る。
今日は何かを買う目的もないので、なんとなく足が向かう方向に意識を傾けてみよう。
…あ!
本棚の隅の方に1冊だけ異彩を放つ存在が!
手に取ってみたら、「白い糸の刺繍」というタイトルの本。
中身はどうあれこれは持ち帰るに違いないという確信が最初の時点であった。
帰ってゆっくりページをめくっていると、何年も前から気になっていたアジュールの技法が載っていて大興奮!
作ってみたいなぁ。今すぐ取り掛かりたいくらいだ。と思いながらページをめくっていたら、あっという間に読み終えてしまって、一番最後の背表紙に「取り寄せ品」のシールがべったり貼ってあるのを見つける。
出会いって不思議。取り寄せてキャンセルしてくれた方、どうもありがとう!
手紙を出しに郵便局へ。
切手の販売コーナーをふと見たら、「正倉院の宝物」というタイトルの切手を発見。
美しい!美しすぎる!
すぐに求めてウキウキ帰ってきた。
お手紙をいただくとき、思わずその切手の美しさに心を奪われる瞬間がある。
外国の切手の真新しさも好きだけれど、この日本という小さな島国でうみだされる和の文化が感じられるものも大好き。
年末に送ってもらったお餅がそろそろ終盤。
新調したトースターが大活躍で、トースターのツマミを回すのがもはや快感なわたし。
今年は豆餅の数は少なかったけれど、変わらず美味。この食べ方はいろいろな楽しみ方があるのだけれど、チーズとの相性が個人的には抜群で、モッツァレラを乗せてチン!それにお醤油を少し。というのが私の好み。
愛読している料理本には豆餅とブルーチーズのレシピが書いてあるのだけれど、そこに至ることがないまま、毎年白カビ系で消費が終わってしまう我が家。
近所のお花屋さんがおすそ分けにと切花を持ってきてくださった。
色とりどりのラナンキュラスの蕾たち。
お花を花瓶に生けるのは久しぶり。この冬は球根の水耕栽培もできなかったなぁ。
まだまだ寒いけれど、春の兆しを感じられるパステルカラーを見つめていると、ハートにじんわりとあたたかい感覚がやってきた。
あれこれと忙しくしていたことに気づいた。
冬でもたまには花瓶にお花を生けよう。まずはわたしのために。
普段持ち歩いているスヌーピーの布バッグの取手がボロボロで、ちぎれてしまいそうだった。
ピンチを察知していた去年の春のTo Do Listに「バッグ製作」はあったのだけれど、後回し、後回しでようやくこの2月に製作がスタート。
昨年の暮しの手帖にバッグの作り方と刺繍図案が掲載されていて、これにしよう。とデザインは決まっていた。いつだったか多めに購入した紺色のカツラギもあるし、裁縫箱には刺繍糸もある!
空いている時間にチクチク手縫いして、2週間ほどでできあがり。久々の刺繍、楽しかったなぁ。
財布と携帯、あと文庫本を1冊入れたらいっぱいになる小さなバッグ。このサイズ、いいな。
今年に入って長野に引っ越したお客さんからコーヒー豆とクッキーの詰め合わせが届く。
以前にこの日記の中に登場した馬の作品をうみだした画家さんで、絵を見つめながら寒い土地には慣れたかしら?と思っていたところだった。
彼の描く絵の透明感が好きで、その繊細さは確実に静けさから生まれている。
より静かでより自然豊かな土地に惹かれるのは当然なことなのかもしれない。
彼が生活の中でお茶の時間をとても大切にしていることはよく知っていた。だから小包から煌びやかな珈琲豆が見えた瞬間、ホッと安堵した。
ありがとう、元気でいるんだね。新たな土地でも大切な場所を見つけることができたんだね。
良質な豆の選定、丁寧なハンドピック、美しい焙煎。ネルでの抽出がとびきり楽しかった。きっとコーヒーに対する理解がとても似ている焙煎家だろう。と思いを馳せながら美味しくいただく。
シルバーを一気にお掃除。
20代の頃、バリ島で購入したシルバー925のチェーンは数回使っただけで十数年そのままだった。
ずっと気がかりだった黒く変色したシルバーチェーンを丁寧に磨きあげたら、普段からちゃんと使ってあげよう。という気持ちが湧いてきた。
これだけでもいいのだけれど、何かないかなぁ。とアクセサリーケースを開いて見ていたら、とてもお気に入りのタツノオトシゴのペンダントと目があった。
こちらは元々付属しているシルバーチェーンがチョーカー仕様で、今の自分には短かく感じられたので最近は出番が少なかった。
ちょっと勇気がいるけれど、元々のシルバーチェーンからタツノオトシゴを外してみよう。とドキドキしながらヤットコで外し、ぴかぴかになったチェーンに付け替えてみたら…やったぁ!望み通りの雰囲気のペンダントが出来あがった。
そろそろ確定申告。毎年あっぷあっぷでストレスな作業なので、今年は早めに取り掛かろう!と気合を入れてパソコンの前に座ったら、データのバックアップをしなくちゃ。と突然別のスイッチが点灯。中高生の頃の「試験前になると部屋の散らかり具合が気になる」、あの現象が再来です。
色々と整理整頓していたら、謎のフォルダを発見。開くと、かわいいアイコンたちが…!
ずっと前にフジモトマサルさんのHPからダウンロードしたことをすっかり忘れていた。
フォルダを次々にアニマル化させる楽しさったら!!あー、お掃除って大切。すごく大切。
パソコンを立ち上げる度に私に笑顔を与えてくれる動物たち。
フジモトさん、この子たちを生みだしてくれてありがとうございます!
機種変更の時期がやってきていたので、iphone7に。
本当は5やSEのサイズが好みだったんだけど、また大きなサイズに戻ってしまったのね…
一番最初に出たiphone3G以来、はじめてブラックを選んだ。
3Gは現在パートナーのipodとして活躍しているけれど、その丸みや縁の僅かなシルバーなど、クリエイティブなデザインが本当に好き。まるでドラえもんの四次元ポケットのような万能なオモチャ道具を手に入れたようなわくわく感。初めて手にした時のその感覚を今でも鮮明に思い出せる。
ブラック一色のみの初期iphoneはスティーブ・ジョブズの創造性の塊だったと思う。
写真は、iphone6でiphone7を撮っています。なんだか不思議な気持ち。
新年あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
高知から友達が帰郷。
今年の抱負を聞かせてもらい、新しい扉を開こうとしている彼女を心から祝福!
がんばって!いつでも応援しているからね。
自分らしく生きるって大変に思えることもあるけれど、そもそも自分自身が本当に望んでいることを知ろうとするだけで充分なんだ。そしてそれは自分自身でしか見つけられない。
おみやげに鰹節と柿酢をいただく。
この鰹節は本当に美味しいお出汁がとれるので大好物。
ゴンザレ酢と名付けられた柿酢はラベルも含めて彼女の旦那さん作。
以前から何に対してもコツコツと丁寧に関わる人だなぁ。と気づいてはいたけれどこのラベル、プロ以上にプロフェッショナルな仕上がりじゃないですか。
印鑑を作る職人さんだけに、細かい部分のデザインや美しいレタリングやレイアウト、そして何よりユーモアに感動。
お酢は熟成させると飴色に変化すると聞いたので、色々な味わいを楽しみたい。
いつもありがとうございます!